第17話
夜通し話し合った翌日、自転車の鍵を解いて、あたし達二人で月影屋敷もとい城金家を辞する。急ぐのは警察署だ。あそこに行くには長い坂道があるから嫌いなんだけれど、仕方ないだろう。慧天はヘッドホンを首に掛け、ヘルメットをしている。あたしもお揃いのヘルメットだ。色まで同じ、サイズも同じ。だから本当はどっちがどっちのだか分からない時もある、と話したら、みなもちゃんは羨ましそうにしていた。人の恋を潰す趣味はないけれど、幼馴染と言うのはやっぱり強みになってしまうらしい。
まあ、あたしだって慧天の事は嫌いじゃないから、仕方ないんだろうけれど。慧天だってそうだろう。お互い嫌い同士じゃない、好き同士だからこそ趣味趣向は似る。今日はアップルパイ作る気力がないから、お茶会は来週にしよう。茶葉は勿論ダージリン。古いブリティッシュ・ロックを聞きながらのんびり過ごす。慧天はヘッドホンも外して。あの三人も呼んでみようか、と訊ねると、慧天はふるふると頭を振った。自分に秋波を出している女子は苦手らしい。あたしの立場は何だ、と訊ねれば、大切な人。と返される。
ええい、いちいち恥ずかしいやつだな。まあその恥じらいの無さを抱えて、あたし達は警察署に向かっているんだけど。捜査本部みたいなのは敷かれてなくて、事故か自殺で片付けられようとしているらしかったのは誤算だった。あたし達別に事件の謎解かなくても良かったんじゃん、なんて。
あんな居心地悪い真似までして。あーまったく、たんこぶと擦り傷が痛い。
「あの、月影屋敷での事故の担当刑事さんは」
「ああ、諏佐警部ですね。お呼びしますか?」
「お願いします」
二年前の事件も担当してくれた刑事さんだ。ちょっとプライド高くて鼻につくところもあるけれど、基本的には優しいお巡りさんなので、ちょっとホッとする。こなれた革靴でかつかつとやって来た顔は、あたしたちを見ておや、と言う顔をした。
「西園君に本条さんか。今日は何の用事だね。例の転落死なら、確かに私の管轄だが」
「事故だった証拠、持って来たんです。静紅」
ガスコンロの入った重いリュックサックは、上げ下ろしが面倒だ。だからあたしがファスナーをおろし、中に入っていた大きな紙を広げる。
そこに描かれていたのは、美咲おばさんのクロッキーだった。
あたしがベッドの下から見付けた、それ。
丁寧に、丁寧に描かれているのが、ちょっと悲しい。
「これは――美咲夫人か?」
「流さん、美咲おばさんのことが好きだったんです」
「はぁ!?」
「このクロッキーは、屋上のアルテミス像の弓に引っ掛かってたんです。多分風で飛ばされたのを取りに行こうとして、窓から身体を乗り出したのが死因ですね」
「勝手に決めつけるな! しかし信憑性はあるな……丁度良い、保志先生も連れて行け」
「え、容疑晴れてるじゃないですか。いつの間に」
「最初から任意だったんだ、それをあーだこーだ入り浸られて邪魔なことこの上ない。どうせうちの生徒が解決しますよ、なんて言って……本当にそうなったのは癪だが、持って行くが良い。と、君達そのヘルメットは、自転車か? 二人乗りは道交法違反だな……と言うかお揃いのヘルメットとか、仲が良いな」
「知ってたでしょう? それぐらい」
「そうだな、二年前からな」
くすっと優しく笑った諏佐刑事の元に、保志先生が引き摺られてくる。日曜日で良かったな。流石に警察署で月曜日を迎えるのは問題があっただろう。
事故の全体的なあらましは、こんな感じだった。
事故の夜、いつものように満月を部屋の中で過ごしていた流おじさんは、屋敷が売りに出される前にと自分の持ち物の整理をしていた。部屋に置いてある画材を集めたり、キャンバスから剥がした絵を丸めたり。
空気の入れ替えのために日中は窓を開けているのが常だった彼は、うっかりしていたのか、夜になっても一箇所だけ閉じ忘れていた。そしてその隙間から入った夜風が一枚のクロッキーを飛ばしてしまう。ただのクロッキーだったら後で回収するか、そのままにしておいても良かったが、それは出来なかった――モチーフになっていたのが、美咲おばさんだったからだ。
部屋の前に枝を伸ばしている木に引っ掛かったそれを取るために、おじさんは不安定な姿勢で腕を伸ばした。窓枠に手を掛けて、両肩を出すと言う危険な姿勢。しかし膝を付いていた毛足の長い絨毯はずるりと滑り、彼の身体は窓の外へと投げ出される――その際にもがいた手が枝に触れ、掴もうとしたけれど、ただ枝をしならせただけだった。そして彼は落ちる。
元の形に戻ろうとした枝は捩れながら、窓にぶつかった。その拍子に開いていた窓は半端に閉じられる。そして引っ掛かっていたクロッキーも、跳ね飛ばされた。それは、屋上で見付かる。アルテミス像の弓に、引っ掛かる形で。
証拠になるものはいくらでも出て来た。流おじさんの部屋の隅には庭木の葉が、像の錆が所々に付着して汚れたクロッキーも屋上から。庭木自体にも強く引っ張られたらしい裂け目が枝や幹に見付かって、それは、どこまでも事故の傍証になった。見られたくないものだったから、すぐに回収したかった――それゆえの、事故だったのだと。
慧天の筋書き証拠は捏造、全部を死人に押し付ける形になったけれど、十五年前の事件に触れず穏便に片付けるには、これが一番の良策だっただろう。詳しい説明をあたしがすると、諏佐警部と保志先生はうんうん頷いて納得してくれた。物証として汚れたクロッキーが提出され、事件は解決である。誰一人の逮捕者も出さず。
それは犯人として名乗り出ずに済んだみなもちゃんのご両親も、子供たちが殺し合いをしていた事実にショックを受けたお祖父さんにも、良かったことだろう。ただ一人、みなもちゃんと言う被害者は残してしまったけれど。
強姦で生まれた子供。父親じゃなかった父親。父親だった叔父。それを殺してしまった母。すべては彼女のトラウマとなるだろう。彼女と言う被害者を一番救いたかったのは、慧天だろう。自分のようにならないように。だけどそれは失敗した。あたしと言う通訳が真実に辿り着いてしまった事で。ならばせめて誰も犠牲者が出なかったことにしよう、と慧天は言った。そうすれば犯人もいない。事件ではなく事故になる。自殺よりまだましな方。
新聞では地方欄でちょっと触れられていたけれど、マスコミとしては面白くなかったのか、月影屋敷の外観がちょっと載っただけだった。誰も許可は出していないのに。昔の写真だったのだろうか。
須田屋敷にはジンクスがある。必ず誰かが飛び降りる。他の国では知らないけれど、日本にある四件ぐらいは、全部人死にが出てたはずだ。あたし達の通っていた火輪小学校も、この月影屋敷も。太陽と月。初期の何作かは、国内にある。それが評価されて、海外にも進出した。ジンクスが今でも続いているのかは知らない。少なくともニュースで取り上げられてるのを見たことはない。
三十年。それでも続いたジンクスは、呪いと言っても良いのかもしれない。偏執的な渡り廊下さえなければ、今回の事件だって起こらなかったことだろうし。
まあすべては誤魔化し切れた事だ。さて、来週はお茶請けのパイ何にしようかな、なんて考えながら、あたし達は無理やり保志先生を引きずって警察署を出た。解剖所見でも移動の痕跡は認められなかったらしい。落としてすぐに運んだからだろう。
「監察医制度ってね、日本ではあんまり行き渡ってないんだよ。政令指定都市が中心で、田舎になると警察官が解剖しちゃうこともあるんだって。だから、少しぐらいなら誤魔化せるかなって」
「かな、って……そんな見切り発進で人にあんな詭弁の口上を言わされても困るんだけど? 大体なんでそんなこと知ってるのよ、あんたは」
「色々知りたがりな知り合いがいるから、かな……論理の構築は完璧であるべきだ、とか言ってたけど、多分ただの知りたがりだったんだと思う。あちこちの業界や制度にある抜け穴や盲点みたいなの、調べるのが趣味だったんだ。ねえ保志先生」
「ってあんたかい」
「違うよー俺の父親の口癖だよー。須田星志って言うんだけど」
「はぁ!?」
声を上げるのはあたしだけ。慧天は知っていたみたいだった。そんな。なんで教えてくれないの。あ、保志、星、スター、須田……今更繋がっても何の意味もない事に、あたしは呆気にとられる。お祖父さんの方と仲が良かったって、そう言う事か。友人の子供だから。あーっとあたしは天を仰ぐ。ヘルメットがずれた。直して、先生を睨む。そして慧天も睨む。
自分は喋りたくないからって探偵ごっことかさせといて、結局あたしが一番何にも知らなかったんじゃないか。ごめん、と言われたけれど、許しませんよ静紅ちゃんは。
……確かにあたし達の住んでいる
潮おじさんと美咲おばさんは最後まで、自首することと、隠蔽してしまうことの間で葛藤していた。
どんな理由があっても人を殺したことは変わらないと言っていたし、それを誤魔化そうとして、更に犯行を重ねたことを悔いているようだった。あたしの事に関してはあたしが口を噤めば良いだけのことでも、流さんのことはそうもいかない。警察と言うよりも、世間に動かれている状態なのだから、今更沈黙することは出来ないのだ。だったらいっそのこと、と、思うのも無理はない。
でも、そうなったら。
みなもちゃんが、独りぼっちになってしまう。
ショックを受けたみなもちゃんを放り出して、二人ともどこかに行っちゃうんだとしたら、それはあまりにも無責任すぎる。罪は裁かれなきゃならないものだと思うけど、それが警察とか裁判所とか、外でしか出来ないことだとは思わない。
自分の心の中でずっと後悔をして、ずっと考えて、そうしているのだって裁きの一つだと思う。ぎこちなく家族として過ごしていって、それがまた元に戻ったら――償い終わったことに、なる。
そう言う考え方も有りなんじゃないかと、少しだけ、思った。
狂人のロジックは判らない。流さんも、美咲おばさんや潮おじさんも、そして『せんせい』も、きっと独自の理論と論理に従っていたんだろう。他の誰を犠牲に、生贄にしても、構わないものを基準においていた。二年前その煽りを食ったのはあたしで、今回は慧天。
二年前は人が一人死んで、
今回も人が一人死んだ。
でも今のあたし達は、人を殺さなかった。
殺さなくて済むぐらいに賢く、なれたんだろう。
少しは成長したんだろう。
二年も、経つんだし。
「どうやっても、二人はずっと後悔し続けたのかもしれないわね。露見しなくても、自分は知ってるんだから」
「かもね。でも――事故は、事故だったんだよ。だから、事故にして片付けて、良かったと思う」
「美咲おばさんが嘘吐いてたって、考えないの? 本当は殺意があったって」
「静紅は考える?」
「可能性としては」
「意見としては?」
「無いと思うけどさ。それより気になってるのはみなもちゃんの方だわー」
屋敷を出る前に一昨日の夜のことを訊いてみたけれど、彼女は部屋に戻ったらすぐに眠ってしまったと答えた。バルコニーで踊っていたなんてことは、なかったと。美咲おばさんも戸締りの際に慧天は見たのに、死角でバルコニーの様子は判らなかったらしい。
一番の月狂いは、みなもちゃんだったのかもしれない。
もしかしたら、彼女の身体を借りた女神の誰かが、踊っていたのかも。
古代の巫女のように、死人を弔っていたのかも。
「……無いと思うけどさ」
ふうっと息を吐くと同時に、あたし達はロードバイクにまたがる。徒歩の保志先生は捨てて。
「えっ俺ここで置いてかれちゃうの?」
「大人はおっきいお財布持ってるでしょ。月影屋敷までタクシーで行って、自分の車取って来なよ」
「えー俺基本的なサンデードライバーなんだけどなー」
「サンデーじゃん」
パーティーは金曜だったし。
ちぇーっと言ってる先生を置いて、あたし達は走り出す。自転車用道路が日本にも欲しいな、と思いながら、こんな田舎じゃもしその制度が出来たとしても恩恵は受けないだろうな、もしくは遅くなるだろうな、なんて考えながら。
「あのさ、二年前のこと訊きたいんだけど」
ひぐ、と、慧天は音を立てて息を呑む。
「せんせい、最後になんて言ったの?」
あたしが忘れて、
慧天が忘れられなかった、
ことばがひとつ。
「――何にも」
「慧天」
「笑っただけだよ」
「ウソツキ」
「知らない」
上着のポケットに手を突っ込んで肩を聳えさせながらのそのそと歩いている保志先生を置いてけぼりにして、緩い下りの坂道に沿って病院や市役所が並んでいる所為か人通りは多かった。車道で気を付けながらドラレコも作動させる。
ちらちらと頬を擽る髪が少し煩わしい。伸び始めたみたいだからそろそろ短くしよう、――いや。
伸ばそうかな。
冬も、近いし。
みなもちゃんの長い髪も、ちょっと憧れるし。
「そうそう、屋敷を出る前にみなもちゃんに連れてかれてたけど、なんだったの? ああ、もしかして告白の仕切り直しかな? あはは、ちゃんと応えてあげたのー? まさか首振るだけだったとか言ったら殴るわよ」
「断ったよ」
「え」
「声出してちゃんと言った。君のアップルパイは食べられないって」
往来、隣の道路を、車が通り過ぎる。
慧天の声は小さかったけど、ちゃんと聞こえた。
「――そっか」
「…………」
「よし、次の週末はアップルパイ作ってあげるわ」
あたしが自慢して作れる、極少数の料理だからね。
シナモンは掛けない。りんごは固め。BGMはQUEEN。
お茶会をしよう。何事もなかったかのように。何事も、無かったんだから。
少なくともあたし達には、何にもなかった。お互いたんこぶは出来たけど、来週には無くなってるだろう。やっぱり何にもない。全く何にも、無い。
帰りにはリンゴを買っていこう。ちょっとお高いのを奮発して。代わりにプチケーキはなしだ。予算オーバーはよろしくない。食べ過ぎも、よろしくない。結局頭脳労働の代謝としてクッキー缶一つ空にして来たんだから。
秋空にはいわし雲。風を切って走る、もう『名探偵』ではなくなった慧天と一緒に。
月影屋敷の犯罪 ぜろ @illness24
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