第16話
「正直、事故か自殺として処理されるのが理想だった。でも君が気付いてしまって、彦浮も警察に連れて行かれた。僕も美咲もほとほと参っていてね、どうやって誤魔化せば良いのか、自分達のことを隠しながら、どうやって彼を釈放してもらえば良いのか――」
「な、んで、なんでッ!」
みなもちゃんが、立ち上がった。
長い髪を乱しながら、地団太を踏むように床を鳴らして。
ぼろぼろ泣きながら――座っている両親を、見下ろす。
「なんで、どうして、判らないよ……なんで、叔父さん殺したりしたの!? 仲良くないの知ってたけど、でも、そんな、殺したりッ殺すなんて、そんな、そんなのッ!」
「事故、だったんだよ」
嗚咽を漏らして震える美咲おばさんの肩を抱きながら、潮おじさんは頭を振った。慧天は口元を引き結びながら、それでもおじさんを見詰めている。
慧天は行為をトレースして推理することは出来たけれど、動機は判らなかった。当たり前だろう、あたし達がこの屋敷に来たのは昨日で、全員、昨日が初対面だったようなもので。だから後ろに何があるとか、そんなことが、判るはずもなかった。
潮おじさんは、折り合いが悪い兄弟だと言っていた。
理由は、曖昧だった。
そんな曖昧な理由で、兄弟って、殺しあえるものなのか。殺したことを、隠してしまえるものなのか。
あたしは慧天の手を握る。
緊張していて、冷たい。
どっちの手も。
あたしはきっと――殺せない。
慧天を殺すことなんか、絶対に出来ない。
でもあの日、慧天は一度『せんせい』と一緒に死んでしまったんだと思う。あたしの所為で。だから今ここに居る『名探偵』は慧天じゃない。ただの『名探偵』。慧天じゃ、西園慧天じゃ、なくなって。ただ耳を塞ぐ、動機なんてどうでも良いと思ってる、『名探偵』。保志先生の潔白を証明するはずが、真犯人にまで追い付いてしまった――加減を掛け忘れた、『名探偵』。
なんで隠したの。分かっていればあたしだってそこまで辿り着いているとは言わなかった。辿り着いてしまうとは思わなかった? あたしは、また余計な事をしてしまった? この家族に。夫婦に。親子に。ああ、頭が痛い。脳震盪の名残がまだ残ってる。たんこぶも蚯蚓腫れも全部痛い。
でも一番痛いのは慧天だ。こんなはずじゃなかったという顔をしている。みなもちゃんも、潮おじさんも美咲おばさんもお祖父さんも、絶望した顔をしている。呆然としている。潮おじさんは意を決したように口を開いた。熊さんみたいな髭の、巨人族のオリオンは。アルテミスに射抜かれた、オリオンは。
否、それはやっぱり、恋の矢でもあったのかもしれない。愛の矢でもあったのかもしれない。恋人を、愛しい人を射る。両方の意味がそこには、あったのかも。
「流はいつも、満月の夜は部屋に篭って寝ているのが常だった。でもそうじゃなかった時が、一度だけあったんだ。十五年前の一月、やっぱり、この屋敷だった」
「そんなの聞いてなッ」
「聞きなさい!」
潮おじさんは怒鳴る。
みなもちゃんは息を呑む。
「いたのは僕と親父と美咲と、流と彦浮だった。親父と僕と彦浮は、みんなこの屋敷が気に入っていてね――年末年始や、長期の休みやら、ここで過ごしていた。親父が引退してからも。僕は大学で知り合った美咲と付き合ってた。だからその時もここに呼んだ。その時にあいつも、流も、やって来た。今回みたいに突然、ふらっとね」
「う――ああ、あああ…………ッ」
おじさんは、おばさんの肩を抱き締める。
ぎゅうっと、離さないように、しっかりと。
守るように。
包むように。
いつか慧天があたしをそうしたように。
「あの日も、満月だった。いつも不貞寝してるあいつが、その日はふらふら歩き回ってた」
「イヤ、いやぁ――怖、も、いやぁああッ」
「台所で食器の片付けをしていた美咲を、あいつは」
「いやああああああああああ!!」
美咲おばさんは叫ぶ。
身体を小さく丸めながら。
潮おじさんは抱く。
彼女を、守って。
みなもちゃんは、呆然と。
あたし達は、俯いて。
手を、繋ぎながら。
「じゅうご、ねんまえ――いちが、つ」
みなもちゃんは、ぺたんッと絨毯に座り込んだ。
彼女の誕生日は、九月の終わり。
逆算すれば解ること。
何を考えてるのか、考えない。
あたしは、考えなかった。
ただ、納得する。
昨日の夕飯、慧天が指差した、流おじさんのお皿。
みなもちゃんがの作ったハンバーグだけが、綺麗に食べられていた理由。
ルナと、アルテミス。
両方が欲しかったのは、流さん。
「あ――あの、ひと、わたし、みてた……のぉ、渡り廊下――真ん中で、笑い、ながらぁ」
ぼろぼろと涙を零しながら、美咲おばさんは掠れた声を零す。細い身体は崩れて壊れてしまいそうなぐらいに、震えていた。あの時の慧天を思い出す、あの時の、あたしを思い出す。多分こんな感じだった、自分達を思い出す。それでも。それでもどうにもならなかったお互いを、思い出す。
ブリティッシュ・ロックの中で紅茶を飲みながら、落ち着くのを待った日。落ち着いても人の声が聴けなくなった、慧天。あたしがプレゼントしたヘッドホンは、これで三代目だ。
どんどん密閉性を上げて行くそれに、あたしは心配しか出来なかった。でも、今はそれで良いんだろう。今じゃなければ、いつかがやって来る。二人のような復活の日がやって来る。それに勝てるかどうかは、結局の所慧天次第なのだろう。
美咲おばさんは勝てなかった。そして性質の悪い負け方をしてしまった。それが現状の、結果だ。正当防衛は認められるかもしれないけれど、その後の死体遺棄は罪に問われると思って良い。否、あたし達が口を塞いでいればそれは問題ないのか。でも殺害現場に死体を置かなかったのは、失敗だろう。やっぱり。殺人の成功なんて分からないけれど。
幸いペンキの跡があちこちについている玄関ホールは、血痕が分からない。でも警察が本腰入れて殺人と決め捜査を始めてまったら、そこも洗い直されるかもしれない。もっともまだ新聞記者も来てないから、どう扱われるのかは謎だ。殺人? 事故? 自殺? すべての可能性から逃げたあたしには、決めることが出来ない。
『せんせい』からも、慧天からも逃げて。
血の掛かった髪を、ハサミで切った。
千切るみたいに。
気持ち悪くて。
怖くて。
思い出したくなくて。
傷付きたくなくて。
傷が嫌で。
何も残したくなくて。
忘れた言葉が、一つ。
あたしが忘れて、
慧天が忘れられなかった、
ことばがひとつ。
「わらって、なんにも――しゃべらない、で……わたし、すりぬけようと、したわぁ――でもあのひと、わたしのうで、つかんだの……つかんで、はなしてくれなくて、こわくて、だからわたし、わたしふりはらって」
ぼきり、折れた、手摺り。
くるり、落ちた、身体。
どすん、響いた、音。
渡り廊下を通らずに、一階へと降りる事は出来ない。『宇宙人』の芸術と偏執が込められた渡り廊下。たった一つの通り道を塞がれて、逃げられなくて、行き詰って。
だから――だから。
「月の、真ん中に、落ちたの」
ステンドグラスの事だろう。外の常夜灯が照らし出す影。
月の庭を歩く彼女の姿を、アルテミスが見下ろしていた。
弓矢でその獲物を狩り取るのを待つように。
「ステンドグラスの、影――月の真ん中に、落ちたのよ」
彼女は、笑った。
「みなも」
潮おじさんの言葉に、みなもちゃんは顔を上げる。ぼんやりと虚ろな目の彼女を見て、柔和そうな目元に苦笑を浮かべながら、足元に置いていた買出しのビニール袋――その一つを、差し出した。
「アップルパイ、頑張るんだよ」
「ひ、ひっぃ……ひぃぃ、っくぅ……うえ、ああッ…………」
ぐい、と慧天があたしの手を掴んで引っ張る。
ぱくぱく、いつものようにその口元が音の無い言葉を零すのに、あたしは思わず眼を見開いた。ちょっと、待て、あんた、一体何を言って。だけど慧天はぐいぐいあたしの手を引っ張る、早く通訳をしろと急かすように。
ネガティブで消極的に動くことがデフォルトのこいつが、こんなにあたしを焚き付けるのは珍しいことだ。でも、それにしたって、こんな――ああもう。
あたしはふるふるっと、頭を振った。そして頷く。慧天は、ちょっと涙目になって、でもぱっと笑った。それが自分の言葉に向けられているだけで自分自身に向けられている訳じゃないのは分かっているけれど、ちょっとどきっとするのは秘密だ。
言葉を出すのはあたし、だけどその責任はあたしに無く、慧天にある。しかし言葉を発すること自体が緊張と注目を伴い集めることなのだ。だから慧天は喋らない。目立ちたくない。衆目を集めたくない。なのに、ああもう。
どうせいつものことなのだ。
この通訳は。
そうでいようと決めたのは、あの頃のあたしなんだから、仕方がない。それがどんな突拍子の無い事でも、話すのはあたし。言葉はあたしの担当。頭脳担当の慧天ではなく、あたしが言わなきゃならない。
それが傍目には、あたしの言葉だと変わらなくっても。あたしの中では濾過される、間違いのない慧天の言葉なのだ。だから手を上げて発言権を求める。みんなの視線があたしに集まる。せめて言い訳がましくあたしは言う。
「すいません、ちょっと、慧天の話を聞いてください――――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます