第13話

 誤解を解いた所で、あたしは慧天が見ていたみなもちゃんの事を思い出す。


「……そう。あそこでみなもちゃんが踊ってたってことが、多分、人払いになってたんだよね」


 ぽつりとあたしが呟いた言葉に、慧天は相槌を打たなかった。

 リビングを出て各自部屋に戻った頃、慧天が庭をうろうろしていたのだと美咲おばさんは言っていた。みなもちゃんが踊っていたのもその辺りだろう。流さんがいつからそこにいたのか、それが問題になる――いつ死んだのか、そして、いつから死んでいたのか。

 みなもちゃんがいつからいつまで踊っていたのかは判らない。でもその後に彼が死んだのだとしたら、計算が合わない気がする。あたしがお風呂を出た頃にはもう日付は変わりかけていた、死亡推定時刻には誤差の幅が出る。それでも昨日の内だと、刑事さんは言っていた。

 頭が痛い。


 そもそもみなもちゃんは、どうして踊っていたことを言わないんだろう。

 覚えてないのだろうか。

 月狂いの、家族。

 慧天を、犯人だと思った彼女。

 あるいは単純に。

 外部に犯人を、求めたかったのだろうか。

 あたしが襲われたのなら、それが慧天でも、良かったのかもしれない。


「静紅、静紅」

「んー、なぁに」

「ちょっと外、出ようよ。風に当たった方が気分も良くなると思うし」

「アルテミス見てないのも思い出したし?」

「う。い、いや、それだけじゃなく用事がちょっと、出来たから」

「ふーん? って言っても、靴取りに広間行くのも今はねぇ……」

「靴ならあるよ」


 がさり。

 慧天の巨大なリュックの中から、ビニール袋に入れられた靴が出てくる。

 慧天のスニーカーと、あたしのローファー。紛れもなく、この屋敷に来る時に履いてきたものだ。


「朝にバルコニーから持って来てたんだ、警察の人の出入りとかで踏まれちゃいそうだったから。そこの窓から出ようよ、ほら」

「…………」


 一面の窓ガラスを指差す奴の頭に、なんとなくチョップしてみた。

 食品と靴を、一緒のリュッグに突っ込むんじゃない。


 外に出る前にヘッドホンの再生ボタンが押され、いつものようにロックの音がそこからは漏れ出した。耳を塞いで、だけど、その手はあたしのガーゼワンピを握っている。いつものスタイル、いつもの距離で、いつものスタンス。バルコニーの方を向いて少し顔を顰めて見せるのに、あたしは苦笑する。

 とんとんっと手を叩いて、軽く触れた。

 大丈夫と、言い聞かせるように。


「それで、なんだっけ……アルテミスと、用事?」

「……、…………」


 あたしの言葉に慧天は少し顔を上げて、芝生を指差した。ただ雑草が覆っているだけの緑のスペースがまぁるくそこには広がっている。みなもちゃんの部屋が何処から何処までなのかは、全面がガラス張りになっている所為でよく判らなかった。観察してみると、部屋と部屋を隔てる壁の部分は鏡張りになっているらしい。格子状の窓枠も細いし、シルバーで目立たないから、どこまでも透き通った壁が続いているようだった。

 芝生は、人型に凹んでいた。草深いからくっきりとそれが残っていてどこかコミカルな滑稽さがある、でもそこに人が落ちた跡だと考えて、実際にそこに人が――死体が横たわっていたのだと思い出せば、緊張に喉が渇いた。現場保存のために張られた黄色いテープのギリギリまで身体を寄せて、慧天はそれを眺めている。

 形は窓から一メートルほど離れた場所、近くに立っている木の陰にあった。みなもちゃんの部屋から覗かせてもらった方がよく見えそうだ、言おうとしたところで、慧天は身体を屈ませる。服を掴まれているから必然的に、あたしの体勢も崩れた。仕方なく膝を折ると、奴は草を覗き込み、きょろきょろと何かを探している様子でいる。


「何してるの? 探し物?」


 こくんっと頷かれる。


「流さんの持ち物?」


 ふるふる。


「じゃあ、犯人の持ち物?」


 ふるふる。


「じゃあ何よ」


 ぱく、と慧天は口唇を開く。


「……足跡?」


 こくんっと頷かれて、同時に慧天はあたしのシャツを離した。四つん這いになって芝生に手を付き、きょろきょろと絶えず草の中を眺め続けている。仕方なく、あたしも同じように草を掻き分けた。足跡なんて言われても大雑把過ぎて判らない――のそのそと、膝を進ませる。

 大体ここには警察の人もたくさん入ったわけで、今更特定の足跡を探し出せるなんてことはないだろう。雨が降っていた訳でも無し、何か特徴があるにしても、この草だ。古い推理小説では靴に付いた泥からその人がどんな馬車に乗ってどんな道を通って来た、なんて言い当てちゃう探偵がいたけど、これじゃあこそげ取られてる。まさか草の一本一本を調べて探すなんて言い出さないでしょうね、こいつは。


 草に手を付いて、あたしは見回す。それらしいものは見付からない、何も。

 あれ、と思う。

 何も、足跡が、ない。

 付いた手を上げて、まじまじと観察してみる。最初は押さえつけられた草が倒れていたけれど、それはゆっくりとまた持ち上がってきていた。茫々になっているからお互いがクッションになって、完全に折れてしまうと言うことがないんだろう。だからあれだけ人が歩いても、足跡は殆ど――でも死体があったところにはくっきりと、人型になって――あれ?

 転落死体を見るのは、二度目だった。

 何かが違う。

 真っ逆さまの頭と笑う顔、ごちッ。


「ぅあいたッ!」

「、!?」

「づ、ぬあ、い、いたたたた……ご、ごめん平気、バルコニーに頭ぶつけちゃって」


 思考に没頭しながらも身体を進ませていたものだから、あたしの頭はバルコニーに激突していた。白い建材の飾り部分、出っ張りがごつんっと。それ自体も痛いしたんこぶにも響くしで、ダブルパンチを食らってしまう。


 確かバルコニーは静かの海だったはずだけど、この二つは案外位置が近いのかもしれない。縮尺の関係もあるのか、佇んでいる細い木を挟んで、殆どくっ付きそうなぐらいに近かった。もうちょっと早く気付いてれば……頭をさすると、いつのまにか近くに戻っていた慧天にも撫でられる。相変わらず場所がずれてて、ただ髪を撫でているだけだ。


「ぅあち」

「?」

「いや、なんかピリッとした――項の辺り」


 髪を上げると、慧天は頷いてみせる。ぱくっと開いた口唇が言うことには、蚯蚓腫れが出来ているらしい。ひりひり痛む、殴られた時にでも何かに引っ掛かったのか。なでなでと慧天がそれをなぞる、くすぐったいような、痛いような。

 ふっと、その視線が庭の奥に向けられる。


「慧天?」

「……、…………」


 指差されたのは、緑に埋もれかかっているオリオンだった。そっか、アルテミスも見たいんだっけと思い出す。慧天も同じことを考えたのか、あたしの手を引っ張って立ち上がらせた。弓矢の向いている方向を向いてみる。

 アルテミスに背を見せているからその背は窓に向けられている。無防備に晒された背中には弓と矢筒が掛けられていて、脚は、歩き出そうとしているように前に出ていた。何も知らないで海の向こうに歩みを進めようとしていた彼は、そのまま愛する人に射抜かれる。なんとなく後頭部を押さえた。オリオンの気持ちが判るような、気分になる。

 慧天は視線を上げて、屋上を見る。僅かにだけどぽっこりと頭のような人影が見えた。視力が悪い方ではないあたしにもそれはよく見えず、うーんと目を凝らす。望遠鏡があったらな、と思った。十数年前まではここにも持ち込まれていたんだろうけれど、部屋を見回ったところそう言うものは見付からなかったので、サークル自体か個人の持ち物だったんだろう。


「そうだ、三階には屋上に繋がる場所って無かったんだよね。どうやって行くんだろ、あそこ」

「それなら、屋敷の横に階段があるよ」


 響いた声に振り向くと、バルコニーに身体を凭れさせたみなもちゃんの姿が見えた。風にさらさら揺る長い髪を押さえて、彼女はあたし達を眺めている。視線はチラチラと逸らされ気味で、バツが悪そうな様子が全身から滲み出ていた。慧天もあたしの陰に隠れる、隠れたいのは、あたしも一緒なのに。


 こっちの気配に気付いたのか、みなもちゃんは視線を伏せて両手を組み合わせた。もじもじと指を合わせながら、ちらりと上目遣い気味にあたし達を伺い――小さく、その口唇を開く。


「その、さっきは、ごめんなさい。なんだか興奮してたみたいで、だから」

「別に気にしてないよ。ね、慧天」

「…………」


 あたしの陰に身体を隠しながら、慧天は小さくこくりと頷く。背中を丸めてまで中途半端な隠れ身の術をしなくてはならないのかと激しく突っ込みたい。体格の差から言って、まず間違いなく頭は隠れても足は出てるから。

 頭の回転は速いはずなのに、なんでこいつは変なところで馬鹿みたいなことするんだろう。あたしが慧天より背が高かったことなんてないのに。なんせ早生まれだったから。慧天の誕生日は五月。この体格差は大きい、子供にとって。


 そっか、と小さく頷いて、みなもちゃんは軽い深呼吸をした。それからしっかりと顔を上げて、まっすぐに、あたし達を見詰める。

 その表情はまだ不安そうだった。

 でも、視線は逸らされなかった。


「二人がまだ調べるの続ける、なら、私も手伝いたいの。屋上とか倉庫とか、判りにくいところとかあるから」

「でも、みなもちゃんは」

「疑って、る。多分今も私、まだ疑ってるんだ。慧天君のことも、本当はきっと静紅さんのことも」


 彼女はまっすぐにあたし達を見て、そう告げる。

 でも、と繋げて。


「だから、ちゃんと本当のこと知りたいの。本当かどうか判らないのに疑ってるのって、気持ち悪くてぐるぐるするから、だから、手伝いたい。私、嫌だよ。お祖父ちゃんもお父さんもお母さんも、先生も、氷空や優子、慧天君も静紅さんも――ずっとぐるぐるして見てるの、やだ。ずっとずっとそうなるのなんか、嫌だもん」


 言った彼女の背中が、小さく傾いだ。身体を支えるように抱きしめて、みなもちゃんは小さく口唇を噛み締めている。ぎゅぅっと眼を閉じてから、また、あたし達を見て。


「私は、犯人が知りたい。誰だとしても――宙ぶらりんより、きっと、良いから」


 きっぱりと、言った。

 眩しいぐらいに、言い切った。


「……屋敷の両脇、外からしか、屋上には行けないようになってるの。本条さんに渡してた鍵、まだ持ってる?」


 すぐに背筋を伸ばして問い掛けてくるみなもちゃんの声に、あたしはポケットに手を突っ込む。触れたのは錆びた金属の気配、取り出すと、借りていた鍵。それを見た彼女はこくんっと頷いて、広間に通じるガラスのドアに身体を向ける。


「それで錠開けられるよ。案内するから二人とも早く、こっちに来て?」


 振り向くと、慧天が頷いた。

 宙ぶらりんは嫌。

 知ってしまった方が、きっと楽になれる。

 あたしは今更ながらに気付いたことを、慧天に問い掛けた。


「ねえ慧天、最初から犯人を探すって言わなかったの、もしかして――」


 慧天はやっぱり頷いた。


 そっか。

 先生の無実を立証することと、本当の犯人を突き止めることは、同じじゃない。

 でも後者の方が、他に有らぬ疑いを掛けられる人がそれ以上出ない分、積極的だ。

 でもそれは、みなもちゃんにとっては確実に。

 親しい人の犯罪が、立証されてしまうということだから。

 だから慧天は、それを避けた。

 なのに、今は――


「――――――――――――――」


 あたしの所為、か。

 あの時みたいに。


 靴を持ってリビングのバルコニーから玄関のホールに向かうと、赤味を帯び始めた陽光がステンドグラスの影を絨毯に落としていた。少しの眩しさにあたしは軽く目に手を翳し、それを見上げる。必然視界に入り込んできたのはあの渡り廊下だった。月齢が刻まれた、月の満ち欠けを示す――。


「あれ、いつの間に誰か治したんだね、手摺り」


 見上げたみなもちゃんの言葉に、あたしは『ああ』と返す。


「結構早くに治してたみたいだったよ、あたしが行った時はもう直ってたし。結構古いみたいだけど、このお屋敷って築何年ぐらいなの?」

「えっと、私が生まれるよりずっと前で、お父さん達が小さいころに建てられたって聞いたかな……三十年ぐらいだと思う。この二十年は殆ど手入れしてないから、色々危なっかしいんだよね」

「ふーん……」


 須田星志最初の星、か。これも本に書いていた事だけれど。

 慧天はあたしの袖を掴んで、離さない。

 多分これ以上あたしが傷付かないようにしてくれているからだろう。

 転びもしないように、付いてくる。

 同じ歩幅で。

 並んで歩く。

 同じ、スピードで。

 それは小学校のあの頃以来かもしれない。

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