第10話

 部屋を出て、次は潮おじさん達の寝室に向かった。渡り廊下を挟んだ向こう側、手摺りは途中で切れてしまうから、あたしはやっぱり支柱を撫でながら歩く。玄関ホールを覆う臙脂色の絨毯に、相変わらずステンドグラスの影が落ちていた。昨日見たのとは少し位置が違う、太陽の位置が違うんだから、当たり前か。夕日の色でもないから極彩色は不純物がなく、ただ眼を刺す。真っ白な月も、眩しい。


「ん?」


 触れていた手摺りの支柱がぐらりと揺れて、あたしは足を止める。

 かくりとそれは折れて、真っ逆さまに下へと落ちた。

 がこんッと、硬い音が、響く。

 …………。

 やべっ。


「あれ、折れちゃったの?」

「ご、ごめんあたし、そんな力を入れたつもりはッ!」

「大丈夫だよ、結構錆びちゃっててグラついてたし――おかーさーん!」


 みなもちゃんは手摺りに身体を預けて、声を張り上げる。吹き抜けに篭って響く声に答えて、ぱたぱたと足音がした。ひょっこりと、廊下から美咲おばさんが出て来る。


「どうしたの、みなも……あら」

「手摺り折れちゃったから、後でくっ付けておいてー? 外れたままだと危ないしー!」

「判ったわ、貴方達も気を付けてね? 落ちたら大変よ」

「はーいっ」


 おばさんが落ちた手摺りを拾うのを確認してから、みなもちゃんは脚を進めた。落ちたのは三日月の支柱、ぽっきりと、行ってしまってる。あうーッとそれを眺めるあたしの頭を、慧天がぽんぽんっと撫でた。苦笑混じりにしてる様子が、なんとなく癪に触る。あたしと慧天の立ち位置が逆だったら、やらかすのは慧天だったはずなのに……ついてない。

 くいくいっと服を引っ張られて、あたしは溜息混じりにみなもちゃんの背中を追い掛ける。


 開かれたドアに向かうと部屋の中は、あまり窓からの光が強くなかった。窓全面にシールが貼られているのか、スモーク状になっている。当たり前だけど、寝室があまりオープンなのは落ち着かないんだろう。つくづく人が住むことを考えてないデザインだし。カーテンはあっても完全な遮光カーテンだから、あんまり意味がないと言うか、極端が過ぎる。あたしも今朝は日の出と共に眼が覚めたし。二度寝したけど。そしてみなもちゃんの声で起きたけど。

 内装は、あたし達の部屋とそう変わらなかった。違うのはベッドがダブルベッド一つしかないことと、家具が少しあるぐらいだろう。それも小さな箪笥とクローゼットぐらいのもので、ささやかだった。シーツの上には投げ捨てるように外出用のウィンドブレーカーが置かれてある。ハンガーがないみたいだから、仕方ないのかな。


「殆ど何にも無いと思うけど、一応……他の部屋も見たかったら言ってね、お母さんから鍵借りて来てるから」


 言って彼女は、小さな金色の鍵を見せる。メッキが剥がれて地金の色が出ているそれは、随分古いらしかった。マスターキーなんだろう――あたしは、首を傾げる。


「鍵って、いつもは施錠してるの?」

「うん。街の方にマンション買ってからは殆ど使わなくなってて、そうなると、泥棒とか心配になるでしょう? ここって結構市の端っこだからひと気もないし、民家も少ないの。だから一つ一つの部屋で、ちゃんと鍵を掛けてるんだって」

「持ってる人って、他に誰がいるかな」


 もし鍵がたくさんあるんだとしたら、犯人と呼ばれる人物は他にも考えられるのかもしれない。昨日の夜のうちに忍び込んできて、流さんを突き落として逃げて行った誰か。ここは街外れだけど辺鄙な山奥じゃないから、人通りが皆無なわけじゃない。ちょっと歩けばコンビニだってあるし、お隣さんと呼べる家も見付けられる。

 流さんは離婚協議中だったんだから、奥さんとか、奥さんの家族とか――他にも誰か調べれば、何か恨みを持っている人がいる可能性だってある。亡くなった人にそういう疑いを向けるのは気が進まない、でもそうじゃなきゃ……みなもちゃんの近くにいる人が、犯人になっちゃう。

 少し考える素振りを見せてから、みなもちゃんはふるふるっと頭を振る。


「お母さんとお父さんとお祖父ちゃんと、あとは、おじさんだけだと思う。親戚でもここを使いがる人なんかいないし……今回も誕生会の前に、大掃除したぐらいだったもん。埃が溜まってて大変だった。足跡なんかもなかったし、誰も入った気配はなかったよ。でも、おじさんがスペアを作って誰かに――奥さんとかにあげてたりしたら、判らないかな」

「そっか――んー、難しいなあ」

「慧天君は何か、質問とかないかな。私で答えられることだったら何でも、お父さんとかにも、私のほうが訊きやすいと思うし。お父さんと叔父さん、あんまり仲が良くなかったって言うか、お互い嫌い合ってたからさ。理由は分からないけど、私が物心つく頃には年中行事でも会わないぐらいだった。お正月とかお盆も、いたりいなかったりで」


 彼女はそう声を掛けるけど、慧天はそれが聞こえていないのか、のろのろとベッドの下やカーテンの中を覗いているばかりだった。相手の方を見ていないと口唇を読めない、口唇が動いていることにすら気付かない。聴覚を完全に遮断している弊害は、視界に入らない声は聞けないということだろう。仕方なくあたしはいつものように慧天のヘッドホンを軽くノックする、振り向いた慧天に、言葉を口パクで伝える。


「……、…………」


 前髪をさらさらと鳴らしながら、慧天は頭を横に振った。それからみなもちゃんにぺこりと頭を下げる。意味が判らなかったのか一瞬ぽけっとした顔になる彼女に苦笑して、あたしはいつものように、それを通訳してみせた。


「結構です、ありがとう、だって」

「あ、そ……っか、残念」


 あたしの言葉に苦笑したみなもちゃんは少しだけ眉根を寄せる。そして慧天の視線がカーテンに向けられるのを確認してから、ぷうっと小さく頬を膨らませた。やきもちだろう。カーテンに? あたしに? 可愛いなあ、巷の女の子と言うのは。


 よく判らないけれど、多分やっぱり、あたしは邪魔なんだろう。通訳のあたしがいなきゃ、慧天は自分で話すしかないのだし。

 案外みなもちゃんが慧天をこの屋敷に呼んだ理由も、そこに求められるのかもしれないとあたしは今更ながらに気付いた。学校ではあたしと言う通訳から離れない、なら、学校外の環境に呼び出すことが出来れば良い。それでも慧天によって、あたしは連れて来られてしまった。言葉を交わすことは出来ないし、乙女チックに二人っきりと言う隙も慧天には無い。


 うーん……。

 何か気を使ってあげなきゃ、いけない気分になってきた。


 慧天の扱いにはあたしの方が一日の長がある。それを使わずに堂々と勝負しなければならないのが、この恋する乙女だ。何が好きなのかは分からない。声は殆ど発さないし、髪型は変わってるし、いつもヘッドホンを外さないし、どっちかって言うといじめられっ子だし、成績は中の上ぐらいだし。顔は髪でほとんど見えていない。

 彼女は慧天のどこを好きになったんだろう。いつも恋人と勘違いされているあたしが傍にいても、好きな何か。運動神経かな、バレリーナ。持久走は完走出来るし上位にいる。そのぐらいしか慧天の特技なんて思い浮かばないけれど、何か、引っ掛かるものがあったんだろう。


 お嬢様育ち、バレリーナでピアノ奏者。葬儀屋の娘。クラスも違う。接点なんてないのに、好きになった。多分理由はないのかもしれない。どこ、と明言できるところはないのかもしれない。例えば体育祭であたしが走ってる時、大声で名前を呼んでた所が切っ掛けだったとか。名前で呼ばれたいと、思ったとか。そんな些細なきっかけで、慧天の事を好きになったのかもしれない。

 あたしだって慧天は好きだけど、やっぱりそこには理由はない。ただいつも一緒に居た。並んで歩いた。どんな時も。あの時も。だから今も、そうしている。それがあたし達の自然体だから。理由のない行為だから。理由のない、好意だから。恋だから。


 あたしは背中側にいる慧天を振り向く。スモーク用のシールをかしかし爪で引っ掻いていた仕草も止まって、所在なさげな様子で霞んだ庭を見下ろしているらしかった。肩を突いて他にすることは無いか促すけど、奴はふるふると頭を振って見せる。これと言って調べることは無いらしい、そっか、とあたしは返事をする。

 他の部屋を調べるかどうかを訊こうとした所で――おーい、と、潮おじさんの声が響いた。渡り廊下の下、玄関ホールの方。


 ドアから顔を出してみなもちゃんは返事をする。それから不意に、ぐっと慧天の腕を引っ張った。つられてあたしも、少し身体が傾いでしまう。何この大きなカブ現象は。いや、そうなるとカブはあたしなのか。


「西園君、ちょっと下に戻ろう? お父さんにアップルパイの材料買ってきてもらうから、それのメモ作って欲しいの。基本的なものは昨日買ってきてもらったけど、隠し味とかこれが欲しいとかあったら付け足したいから」

「……、…………」


 慧天は困ったようにヘッドホンを押さえながら、あたしのワンピを引っ張る。

 あたしはそれから逃げるように、身体を引いた。


「メモ書くぐらい出来るでしょ、行ってらっしゃい。あたしはもうちょっと、うろうろしてるからさ」

「じゃあ鍵、預けておくね。全部の部屋がこれで開けられるから、隣のお祖父ちゃんのの部屋以外ならどこ見てても大丈夫だから!」


 言ってみなもちゃんは嬉しそうに慧天の腕を引っ張って行った。意外と腕力があるんだなあ、バレエってそんな体育会系だっけ? なんて思いながら、あたしは金の鍵を見る。これにぺったり血が付いていたら、青髭だな。うっかり死体のある部屋を見付けて、逃げ回らなくちゃならない。おとぎ話みたいなことを思いながら、あたしも部屋を出た。


 三階はほとんど使われていない客間で、一応全部見たけれど退屈なだけだった。二階の流さんの部屋に戻って、閉じられていたカーテンを開けた。スモークの掛かってない窓、ギラギラ輝く秋の日差し。窓を少し開けて風を入れそこに近付くと、その前にベッドの下が見えた。


 何か薄っぺらいものが、ある。大きさとしては昨日みなもちゃんに流さんが渡したポートレートのサイズだ。何だろうと頭を突っ込もうと思った時――


 頭を、殴られた。

 結構な力だった。

 死ぬとは思えなくても、

 私は意識を失った。

 ちょっとそれは怖かったかもしれない。

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