第13話 想定外


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 装甲車の残骸のかたわらで、灰色の装甲服を身に着けた兵士が座り込んでいる。

 視界のはるか彼方に、砂ぼこりが舞い上がっているのが見えた。

 つい先程まで、目の前に二人もの天使がいて、常軌を逸した力を振るっていたなど、彼にはどうしても信じられなかった。

 だが、事実だ。

 連絡を受けて集められた装甲車を用意したというのにーーその数、実に三十四台にも上ったーー彼らにはまったく歯が立たなかったのだから。

 元月軌道工業プラント「ヘカテー」謹製の装甲車「ガランティスⅣ」は、そのほとんどがスクラップと化した。

 まあいい、と彼は思う。この損害はもともと織り込み済みだから、大量の始末書と格闘するハメにはならないはずだ。

 それに、対戦車装備の装甲車である「ガランティスⅣ」は、結局の所火星での使用用途がほとんどなかった。対天使戦に投入されたのも、上層部に在庫処分に近い思惑があったとしても驚かない。

 たとえそこに、自分たちの犠牲が織り込み済みにされていたとしても。

「はぁ……」

 彼はヘルメットを脱ぐと、深くため息をつく。

 二十代後半から三十代前半頃の痩身の男だった。短く刈り上げた金髪に、彫りの深い整った容貌。切れ長の瞳にはエメラルドの輝きをたたえている。その表情は苦悶に歪んでいた。

 ドーム外での任務に出るくらいには優秀だったし、その後の出世についても苦労しない自信はあったが、対天使戦では流石の彼も為すすべがなかった。

 装甲車の破壊に巻き込まれたものの、防護性能の高い灰色の装甲服のおかげで打ち身程度しかダメージは負っていないようだった。

『今の装備では勝ち目がない。追うな。戦闘の継続は厳に慎め。例の装備が必要だ。出直すぞ』

「……了解」

 通信に、男は短く返答すると、ヘルメットをかぶり直す。

 視線の先では、まだ砂ぼこりが立ち上っている。

 マルス・シュタイナーとクラリス・ヴァイセンホープ。そこにアスカという名の天使が更にもう一人加わったことを知っているのは、彼だけだった。

「……」

 しかし、彼はそれを仲間に伝えようとはしなかった。

 それよりも、マルス・シュタイナーの言動に引っかかりを覚えたのだ。

 マルスとクラリスの二人は、火星連邦が発足して百八十年以上が経過しているが、連邦史上最悪の犯罪者だと言われている。パリドーム事変における被害の八割は二人によるものと言われているし、実際に目の辺りにした彼らの力は現代の物理学に従っているとは思えない、文字通り異次元の力だった。初めて遭遇してみて、その書評ももっともだと彼は感じていた。そもそも火星連邦発足以降、彼ら以外の天使が確認されたことなどない。下手な爆弾などとは比較にならない力を秘めた個人に対して、MSTFの装備はあまりにも貧弱だった。

 なにしろ、そんな装備が必要になったことなどこれまでに一度もなかったのだから。

 しかし、それでも彼は言ったのだ。「こいつらは、俺の家族を殺した。クラリスの家族もだ」と。「何も悪いことなんてしてなかった俺たちに先に手を出してきたのは、こいつ等が先だ」と。

 それは、資料には載っていない情報だった。

 彼らは強大な力を持っているがゆえに、火星連邦というーー巨大であるがゆえに、利権や権力によるしがらみのせいで正義が通らないこともよくあるーー組織に対して反抗しているのだろうと思っていた。

 しかし、彼の言うことが仮に事実だとしたら、先に手を出してきたのはこちら側、MSTFということになる。

 それが真実だったならば、MSTFの上層部が把握していないなどということはありえない。だがしかし、その情報を知っていてあえて隠匿していたとしたら……いや、MSTFならば実に有り得そうなことだ。

 MSTFが都合の悪い真実を隠匿した事例など、いくらでもあるのだから。

 それに、地球の〈崩壊〉後に移住してきた後期入植者たちから、地球の〈崩壊〉以前に火星へ移住してきた初期入植者たちへの差別感情は、未だ大なり小なり残っている。彼らの出身と言われているパリドームでは特にだ。

 その差別感情がパリドームにおいて一部の初期入植者たちによるテロリズムを引き起こし、パリドーム事変のような大事件にまで発展したのだから。

 アスカと呼ばれていた女性は言った。「これからは誰も殺すべきじゃないのよ。マルス。貴方は変わらなければダメよ」と。その言葉はそっくりそのまま自分たちにも当てはまる話ではないか?

 いい加減、MSTFは変わらなければならない。

 彼らと自分たち、双方が変わらなければ、止められるはずの不毛な争いはいつまで経っても終わらないのだから。

 しかし、誰かが主導しなければ変化とはなかなか起きないものだ。向こうにはアスカがいる。彼女は見ず知らずの自分を助けようとしたことから考えても、いい兆候だろう。しかしMSTFにはそんな考えの人物など見当たらない。誰もいないというのなら、いっそのこと自分がーー。

「だとしても、まずは……」

 思わず口にしてしまい、その先の言葉は声にせずに口をつぐむ。

 事実を調べないことには何も始まらない。

 マルスとクラリスという、二人の天使について。

 パリドーム事変と、それ以前の二人に何が起きたのかということについて。

 その情報が無駄になることはないはずだ。

 お互いに最悪の相手で、そのどちらもが過去にとらわれて憎しみ合っていているが、そこを整理してお互いの罪を許し合えるようになれば、無益な争いを流血無しに終結させられるかもしれないのだから。

 憎しみではなく、和解によって。

 ……それは流石に理想論すぎやしないだろうか。

 彼はそんな疑問を内心で渋々認めた。

 パリドーム事変では彼らのせいで多大な被害が出た。パリドームを管轄とするMSTF第五師団は解体再編成されて火星連邦直下の管理下に置かれ、パリドーム長官も解任された。

 それはテロ組織の仕業ではあるが、あの二人はその組織の主要かつ最大の戦力だった。あの被害は二人の引き起こしたものだと言っても誇張とは言い難い。

 それに、二人がパリドームを脱出した後にも各地で多大な被害が出ている。物的損害に比べれば人的被害はそれほどではないが……皆無ではない。

 彼の周囲にも、殺された同僚がいないわけではないのだ。

 彼ら二人を恨む者は多い。

 だがそれでも、本当は何があったのかを知ることは無駄にならないはずだ。

 ただの理想論に過ぎないとしても、歩み寄る努力を怠っていいことにはならないはずだから。


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