第12話 離脱


12

 突然、マルスと兵士の間の空間に紅い光が瞬く。

「これはーー」

 マルスが右腕を掲げたまま硬直していると、その紅い光ーー次元光放射ーーはその強さを増し、中心から空間が歪んでいく。それはそのまま、あっという間にワームホールを形成してしまう。

 ワームホールの向こう側には、マルスの見慣れたアルテミスの車内の光景が広がっていた。

 そのアルテミス内からマルスのいるところまで、本来なら一キロメートル近くある彼我の距離を、文字通りたった一歩で横断した彼女は断固たる口調で告げる。

「それ以上、やってはダメよ」

「……あんたも天使だったとはな、アスカ」

 アルテミスの車内にいたはずのアスカが、その天使の力でもってマルスと兵士の間に割って入ってきた。

『え? え? えええ! ア、アスカさん?』

 マルスの耳元には困惑するミネルヴァの通信が届くが、返事をしている余裕はない。いつでも“大天使ミカエルの剣“を振り下ろせる態勢を崩そうとはしなかった。

「なんのつもりだ」

「殺してはダメ」

 アスカの言葉に、マルスは語気を強める。

「やらなきゃ、俺たちが生き残れない。そう言ったよな? MSTFの兵士が乗ってたら、生かしておけなくなるってよ」

「それは……。だけど、それは憎しみの連鎖の元凶だわ。そんなことをしていたら、いつまで経っても状況は改善しない」

「はっ。こいつらに優しくしてたら、そのうち風化して狙われなくなるようになるとでも? あんたはMSTFを知らなさすぎる」

 アスカの言葉を鼻で笑い、マルスは不意に横を見る。

 アスカが釣られてマルスの視線を追うと、その先には一台の装甲車が停まっていた。

 その砲塔は、アスカたちの方を向いている。

「MSTFっていう組織はな。味方の命だって毛ほども気にしちゃいねーんだよ」

 マルスが言い終わらないうちにその対戦車砲が火を吹く。

 轟音とともに土煙が舞い上がり、タングステンカーバイドの徹甲弾が一秒に満たない時間で襲来する。

 マルスが徹甲弾を叩き斬ろうとする前に、瞳を紅く輝かせたアスカが空中にワームホールを瞬時に形成した。その数は二つ。

 徹甲弾が片方のワームホールに着弾。と同時にもう片方のワームホールから射出。やってきた軌道とほぼ同じ軌道をたどり、往復一.五秒の後には元いた装甲車の所へと帰還した。

 徹甲弾による衝撃波でマルスとアスカが耳を押さえている間に、装甲車が爆散する。

「アスカ。第四項にしても、その力は……」

 アスカの力の意味を理解し、絶句するマルス。

 アスカが形成した二つのワームホール。その片側に入った徹甲弾がもう片側から射出されたということは、それらが相互に繋がっているということだ。

 一つのワームホールを作れるというよりも、同じ時間軸の二点をつなぐ扉を形成できる、という方が正確なのかもしれない。

 そんな力を使いこなしているからこそ、彼女はアルテミスからマルスのいる所へとたった一歩でやってこれたのだ。

 自らの力とは全く違う、天使の中でもさらに規格外の力にマルスは息を呑む。

「……ってか、んなこと言ってる割にはアンタも思いっきりぶっ壊してんじゃねーか」

「私だって、無機物にまで優しくするつもりなんてないわよ」

 そう言ってアスカは肩をすくめる。

「でも、あなたはもう人殺しなんてしてはいけないはずだわ。そんなことをしなくても生きていく未来を、あなたは選択できる」

「それができるなら苦労はしてない。静かに暮らしていけるならそれでいい。争いも無用な殺人も望んじゃいない。……けど、そんなのはもう無理だ」

「それはーー」

 反論しようとしたアスカを、マルスが目で制す。

「こいつらは、俺の家族を殺した。クラリスの家族もだ」

「……!」

 マルスの告白に、アスカも二の句を告げなかった。

 苦悶に満ちたマルスの顔は、その話をしたくなかったという気持ちがありありと伝わってくる。

「何も悪いことなんてしてなかった俺たちに先に手を出してきたのは、こいつらが先だ。殺す理由なんざ、それだけでも十分すぎるだろうよ」

「……け、けれど、それで今度は彼らが、あなたに仲間を殺されたから、と復讐に駆り立てられてやってくるのよ。それはクラリスとミネルヴァを危険にさらすことと同じではないの?」

「それは……」

 言葉に詰まるマルス。

 アスカから視線を外すが、その先にいるのは怯えきったMSTFの兵士くらいだ。彼は心底怯えきったまま、マルスとアスカの会話の行方を見守っていた。

 マルスは少し宙を見上げ、アスカへと反論する言葉を探す。

 だが、やがてあきらめたようにうつむいて声を絞り出した。

「……これは、俺の問題だ」

「これは、私の問題でもあるわ」

 決然としたアスカの言葉に、マルスは眉根を寄せる。

「私は母の生き方を否定した。だから、救える命は救わなきゃいけないのよ」

「何の話をしてる?」

「とにかく、あなたはもう人殺しをしてはいけないのよ。それに、私がさせない」

「だから、こいつ等を逃がせって? そんな高すぎるリスクを侵せって? バカ言うんじゃねーよ」

 そう言いながら、マルスは空中へ向けて不可視の斬撃を放ち、再び飛来する徹甲弾を無力化する。

「絶対にやらせないわ。あなたはこの人を殺すべきじゃない」

 アスカもまたワームホールを背後に展開し、徹甲弾を装甲車に返却する。

「いいえ、この人だけじゃない。これからは誰も殺すべきじゃないのよ。マルス。貴方は変わらなければダメよ。クラリスとミネルヴァのために」

「……御託はもういい。そこをどけ」

「イヤよ」

『二人とも! どうでもいいから早くしてよぉ!』

 ミネルヴァの叫びに二人がアルテミスの方を向く。

 アルテミスの前方にいた装甲車一台が浮き上がり、最後に生き残っていた一台の真上に墜落するところだった。

 ズシン、と重い音を響かせて装甲車が沈黙。アルテミスの周囲には破壊され尽くした装甲車の残骸だけが残されている。

 マルスとアスカの周囲はともかく、向こうの戦闘はほぼ終結した見ていいのだろう。

「マルス。終わらせるわよ」

 そう言って、アスカは紅く輝く瞳をひと際強くきらめかせる。

「ああ? 何をーー」

 マルスの言葉に答えず、アスカは突進。マルスの背後にワームホールを展開すると、彼になにかさせる前に体当たりして、二人でもつれ合ったままワームホールに突入した。

「ぐっ……な、これはーー」

「え? ええっ? マルス、アスカ!」

 ワームホールの向こう側で驚愕の声を上げたのはクラリスだった。

「ミネルヴァ! 離脱して!」

 MSTFの兵士がいた場所からアルテミスの車上に転移してきたアスカは、驚くクラリスに返事をすることなくワームホールを閉じて叫ぶ。

『でも……』

「いいから早く!」

『わ、わかりましたっ!』

 アスカの態度に、ミネルヴァもアクセルを全開にする。アルテミスがうなり、タイヤが赤い大地を空回りしながらも、すぐに最大速力でMSTFから離れていく。

 はるか後方に置き去りにしていくMSTFの兵士を見やり、アスカがほっと息をつく。

 そんな姿にクラリスは目を丸くし、マルスは舌打ちをするのだった。


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