戦え、衝撃の眼鏡っ子と
ジャングルジムの鉄骨が、歪み、砕け、霧散した。
青木はジャングルジムだったものから、優雅に着地する。その間も浜岡からは視線を外すことはない。
「どうかしてる能力だな?」
「いえいえ、あなたの物質変換能力が本物であれば、私の能力なんてチンケなものですよ」
追加攻撃がこないうちに、浜岡は自分の能力について考えた。
物質変換能力と呼ばれたものは、左手で握りしめたものを別のものに作り変える力のことだ。
新商品が無料で味わえるということで、高校の正門近くで配られていた『週末ドリンクフルパワーポカリ+』を試飲したせいで、日常からはみ出したのだ。あれを飲んで意識不明となった浜岡は、病院で目覚めるとおかしな能力を手に入れていた。
最初につくったものは、掌サイズのクロワッサンだった。
病院のレストランで注文したイカカレーだけでは、一七歳の男の子は満腹にならなかった。とはいえ、追加でガッツリ食べるほどでもなかったので、一口で食べられるパン的なものがほしいと思っていたときだった。
折り曲げた爪楊枝を左手で握りしめた瞬間、熱を帯びた手の中にクロワッサンが入っていた。
最初は左手で包めるものを、別のものに変換出来る能力だったはずだ。
だが、修行をしたわけでもないのに、力が増していった。すでに能力のルールを把握できなくなっている。
敵の能力みたいに、わかりやすければいいのに。
「なんで、いま攻撃されていないのかを考えてみたんだけどよ。連発には限度があるとかなんじゃねぇの? あるいは、射程距離があるとか? 三メートルほど離れたいまの位置は安全圏なんじゃないか?」
「さすが、浜岡博士のご子息ですね。博士のように、いやになるほど冷静ですね」
「親父のことを知ってるのか?」
浜岡の問いかけに、青木は全力の攻撃で答える。
右腕に見えない衝撃が走り、ねじれた。思わず地面を転がったが、痛みからは逃げられない。口からよだれは垂れ落ちても、悲鳴は出ない。痛すぎるせいで、口から息を吐き出すよりも、吸い込むほうを優先してしまっている。
「すみません。つい、本気で攻撃してしまいました。申し訳ない気持ちがあるので、特別にさきほどの質問に一つだけ答えますね――えーっと。私が見えない衝撃をくわえられる射程距離は五メートルといったところです」
自らの身体を駆け巡る血管内の音がどくどくとうるさい中で、浜岡は敵の射程距離だけは聞き逃さなかった。
――あれ? 五メートルだったら、いまだに射程距離内ってことじゃね?
身体が衝撃を受けて吹き飛ばされる。
射程外まで転がるうちに、右腕の痛みもどこかに吹き飛んだ。痛みを忘れるのは戦闘中においては、救いだ。でも、右腕がぶら下がっているのは厄介だ。ねじれた右腕はわざわざ左手で抱えなければ千切れ落ちそうだった。
震える足で立ち上がり、逃げの一手を選んでいる浜岡の左腕が、燃えるように熱くなる。
「右腕、大変なことになってしまいましたね」
勝手な印象だが、青木は笑いをこらえている感じがして、不気味だった。
――なにが、おかしい!
左腕は、燃えるように熱い。
握り締めた右手の掌から血が滲む。
――待て……右手? ……そうだ右手だ。いつの間にか感覚は戻り、痛みも消えている。
「まさか、右腕が治ったのですか?」
左腕が燃えつきるほどに熱い。そう、熱いのだ。相手の能力に対して、どうかしていると判断したが、それは浜岡も同じではないか。
「おそろしい……この短期間で成長ですか……? それとも、暴走?」
どっちでもいい。重要なのは、今なら、物質変換能力をコントロールできるという事実だ。
「……ハハハハハハハ」
こちらを警戒した青木の顔には、なにが起きても対応できるという自信がみてとれる。その自信を粉々に砕けるのならば、浜岡の笑いは止められそうになかった。
「!? 何が可笑しいんですか?」
「何って? そんなの簡単だ。これが出来たら……お前は死ぬんだからな」
左手の掌だけが異常なまでに冷たくなった。鉄製のグリップが熱を吸収したようだ。そういえば、青木の表情からも熱は失われていた。さっきから引きつった状態で、凍ったように固まっている。
「そ……そんな……」
青木の頬を一筋の光が伝う。
「治癒にあたる再生を行える物資変換能力で、さらに空気を変換して武器をつくりだすなんて。そんなの前例がありませんよ」
イメージしたのは、青木を殺せる武器だった。
さっきの攻撃で五メートル以上飛ばされている。敵の射程外からでも、十分に捉えられるものをつくりだした。
この世界にいままで存在していなかったもの。
浜岡猛が考えた、世界最強のリボルバーだ。
「チェックメイトだ」
――笑いが止まらない……止められない。
……あとは、
……引き金を、
…………引くだけだ。
「やめろ!!」
唐突に声が響いた。
低い男の声が、浜岡の深いところまで入ってくることはなかった。
リボルバーからビームが発射される。
青木が一か八かで衝撃をビームにくわえると、光の攻撃は捻じ曲がる。
パンダの形をしたスプリング遊具が、根本から溶けるように千切れて、地面に転がった。
「ストップだ!」
公園の入り口からの声は、言葉でうったえる以外の選択肢がないという切実さがあった。男は黒い服をまとっており、その姿は半ば闇に溶け込んでいる。
「……勝負はついた。もういいだろう?」
一発撃ったことで、浜岡は倦怠感と共に後悔に似た感情に苛まれていた。銃口を青木に向けたままにしているのは、相手の戦意がどうなっているのか判断がつかないせいだ。
戦わないですむのならば、それに越したことはないのだが。
「私を心配して横槍を入れてくださったのかもしれませんが。カロさんの能力で情報が得られていないのでしたら、まだ戦闘を続けますが?」
「必要な要素は揃ったよ」
「では、予想通り?」
「ああ。間違いなく、浜岡博士は器として息子をつくりだしたようだ」
青木は両手をあげたまま、浜岡を射程内に入れないように遠い位置を維持する。
浜岡は、二、三度息をついてから、左手のリボルバーの銃口を地面に向けた。
「なぁ、親父を……知ってるのか?」
「――浜岡博士は、私が一番尊敬している人物だ」
いつの間にかカロは、浜岡のすぐ隣でタバコをふかしていた。随分暗くなった公園に、その光だけが明るい。
「博士にはケニーと猛という二人の息子がいるというのはきいていたからね」
「俺に兄が? そもそもケニーって日本人じゃないのか?」
「君は面白い優先順位で生きているね。初めて知ったとはいえ、これから会うかわからない兄のことよりも気にすることはないのかい? 『終末ドリンクフルパワアポカリプ(ラ)ス』を飲んだことで得た能力がどうでもいいなんてことないだろ?」
タバコの灰を落とし、ふっと息を吐いてから、カロはもう一つ声のトーンを落とした。
「浜岡くん、異常な能力を得て不安だっただろう。本当はもっとはやくに接触をはかりたかったのだがね。日本は退魔局の権限が強いために、こんなに遅くなって申し訳ない」
「退魔局っていうのは?」
「遠くない未来に退魔局の者も君に接触してくるだろうから、本人たちにきいたほうがいいだろう」
「そーですよ、浜岡くん。予備知識なしで、なにが正しいかを判断してくださいね」
さきほどまでボロクソに攻撃してきたのを忘れさせるほどに、青木は満面の笑みだった。
「君は、神に近い能力を持っているようだ。君一人が何故そんな力を手に入れたのか。そして、お父様のこと。三日後、またここで話す。だが、ここに来るということは、フェイクファーの傲慢に入るということだ」
「いきなり襲いかかってくるあんたらの仲間になるとでも?」
「それだけ、あの『アポカリプ(ラ)ス』に適合した君たちが、我々はおそろしいんだよ」
そんなことを言われても、熱が冷めた浜岡にしてみたら、青木が衝撃の射程内に入ってくるほうがおそろしいわけで。
銃口をそっとカロに向けてみても、青木は気にした様子もなく、懐から紙袋を取り出した。
「入会にあたっての資料をこちらにまとめておいたので、よく考えてから来てくださいね」
受け取った紙袋は、たくさんの資料が入っていてずっしりと重たい。こんなものを懐に隠しもったまま、とんでもない戦闘を青木はこなしていたらしい。しかも、紙袋が綺麗なままなので、結局、浜岡は攻撃を一撃も食らわすことが出来ていなかったのだ。
「それでは、浜岡くん。また今度です~」
浜岡は去っていく二人の背中を見送るしかなかった。
しばらく立ち尽くしていた浜岡だが、公園をランニングする女性がやって来て、慌ててリボルバーを紙袋の中に隠す。まさか、このリボルバーで公園の遊具をひとつ駄目にしたとは思われないだろうが、念には念を入れておいた。
ランニング女は、ジャングルジムとスプリング遊具が壊れているのに気付いていないのか、驚いた様子もなく走り続ける。そして、いっさい走るペースを変えることもなかったのに、浜岡の前でいきなり急停止した。
急に止まるために、彼女の足は地面に足がめり込んでいた。
「良かったです。さきほど、手袋が砂に変換されるのを見ていたのですが、まだ公園にいてくれたようですね」
近付かれるだけで圧倒されてしまう。二メートルをこすムキムキな巨体の女性は、浜岡を見下ろしながら不敵に笑っていた。
「あんた、何者だ?」
さきほどの経験から、まず最初に訊ねておく。答えが返ってくるか、返ってきたとして、それが真実かもわかりようがないので、どれだけ意味があるかはわからない。
「NO~。困りましたね。そんな無駄話をしていると、死人が出てしまいます」
「死人?」
「そうです。斎藤K子ことポセイドンのミーは、いままさに空腹で滅びる直前なのですよ」
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