スケープゴート その4


 俺は背後の扉に寄りかかったまま腕を組み、全員を見渡してから森と視線を合わせた。

「その前に、いくつか質問させてほしい……」

 無言のうちに了承が返る。

「もっと早くに確認しておくべきだったかもしれないが、下着を盗まれたのは森さん、きみ一人であっているか?」

 森が小さく頷く。

 その次の問いは、聞くに憚るが、得ておきたい情報だ。

「もう一つ。下着を盗まれた当人が、今はどんな状態か確認したい。つまり、下着がないのなら、帰り支度にも差し障るだろうからな……」

 森は戸惑いの表情を見せながらも口を開いた。

「いつも着替えをもってきているので……。今は、それを着ています」

 彼女の蚊の鳴くような細い声に、部屋の沈黙が一層深くなっていく。

 今度は村上の方へ顔だけを向け、顎を軽くしゃくる。

「村上。さっき“部活がある日は迎えに来る”と、言っていたな。じゃあ部活がない日はどうしているんだ?」

 村上は眉間を寄せた。

「先に帰ることの方が多いな……それが何だっていうんだ?」

 俺は軽く手を払うようなジェスチャーをしながら、「ただの確認だ」と、少しばかりぞんざいに答える。

「最後に、この件は既に顧問には伝えているのか?」

 これには葛西がかぶりを振って答えた。

「大事にする前に、事実だけ見たかったの。先生には後で言うつもりよ」

 その回答に俺は小さく頷くと、扉から背を離し、指をリズムなく弾きながら狭い室内の限られたスペースを二、三周し頭の中を整理した。そんな俺に、村上は鼻を鳴らしせかすような視線を寄こした。

 俺は両手をポケットに突っ込み、再び扉にもたれて口を開いた。

「順を追って説明する……」

 全員が俺が次にいう言葉を待ち構えているのが分かる。

 そのとき、18時半の下校5分前を知らせる校内放送がじれったく鳴り響いた。部室の古いスピーカーから流れる音割れした放送が耳に障る。それが終わるまで待つと、俺は一つ息を吐き、一つずつはっきりと話していった。


「俺のクラスは、今日は七限目まである日だから、ホームルームまで含めるとすべての授業が終わったのが16時半ごろだ。それから、俺の学級班は今週は掃除当番だったから、それからだいたい15分間は教室に残っていたはずだ。まあ、このあたりのことはクラスの誰かに聞けば確かめられるだろう……」

 俺の話に赤羽は頷く。村上と森は、どこか神妙な目でこちらを見つめている。

 俺は記憶を呼び起こすようにゆっくりと目を閉じると、そのまま供述を続けた。

「掃除が終わると、俺はすぐに図書室に向かった。それから受付にいた司書の藤田先生に手渡しで本を返却した。これがだいたい17時前後だ。これくらいの時刻にサンテックスを返しに来た男子がいなかったか、直接先生に聞いてみれば、これも確かめられるはずだ。時刻までは打刻されないが、図書カードにも俺が本を返却したことが記録されているだろう。それから18時ごろに葛西さんが俺を呼び出しに来るまで、ずっと図書室にいた」

 もっとも、俺は放課後はだいたいいつも図書室にいて顔も知られているから、“放課後に菅原が来なかったか”と聞けばそれで足りる。問題なのは……。

「それを証明できる人はいるの?」

 葛西が怪訝な面持ちで問うてきたので、俺はかぶりを振る。

「生憎、そのあと藤田先生は裏手にこもったきり出てこなかったからな……。他にちらほら生徒は来たが、誰かまでは覚えていない。それは相手も同じだろう」

 葛西の怪訝な面持ちが全員に伝播する。

「つまり、俺のアリバイを立証できる人物は今のところいない。ただ、決定的な物証になるかと言われれば今一つだが、状況証拠的に俺の無実を裏付けるものはある」

 と、俺は床に置かれたままにされた自分の鞄を指さす。それを見て、赤羽と葛西は顔を見合わせると、小首をかしげた。

「俺のクラスの最後の授業は数学だった。担当は川戸先生で、まあ、週末にまとめて大量の宿題を出す人だから、この中にも苦しめられた人はいるかもしれないな……」

 赤羽がもうーんと唸る。おそらくこれは共感の意だ。

「で、それがどうしたの?」

 葛西が先を急かす。

「俺は今日、図書室でずっと数学の宿題を解いていたんだ。さっきも言った通り、数学は最後の授業だったから、俺が図書館に来るまでの間に問題を解くような時間的余裕はなかったことになる。つまり、俺は図書室に入室した17時ごろから、葛西さんが俺のところに来る18時ごろまで、宿題を解き続けていたわけだ……」

「でも、だからと言って菅原くんがずっと図書室にいたと言うことの証明にはならないじゃない?」

 腕を組んだままの赤羽が、傾いだ小首を反対側にもう一度傾いで、異議を唱える。利発そうに見えて意外と鈍い人だ。


 俺は床に広げられた自分の荷物の前にしゃがむと、その中から数学のノートを拾い上げた。それから最後のページをさっと開き、片手の指先で押さえたままそれを頭の上に掲げると、それが全員に見えるように示した。

「この通り、俺は今日出された数学の宿題を、終わり付近まで解き進めている。計算量にして見開き3ページ弱、これでもかなり早い方だ。そして、水泳部員ならよく知っているだろうが、うちの高校の図書室からプールの更衣室まで、少なく見ても往復10分はかかる。俺が真犯人だとすれば、17時に図書室で本を返却してから、プールの女子更衣室に向かい、部員の下着を物色した後、それをどこかに隠して、再び図書室に戻って、見開き三ページ分の計算量をこなしたと言うことになる。絶対に不可能とは言い切れないが、こんな勤勉な下着泥棒はちょっと不自然だろう?」

 俺は立ち上がると、ノートを赤羽に手渡し、話を続けた。

「それに、もし犯行の動機が性的興味だとしたら、普通の男ならこんなに器用な切り替えはできないし、それに、あれだ……そんなに早く片付くものでもない……。村上、男のおまえならよく分かるはずだ」

 俺のこの挑発に、意外にも村上は黙っている。周りの女子生徒は再び眉を顰めたが、今更もう気にすることもない。

「それだけじゃない。むしろここからが本題だが、さっきの村上と森さんの証言を突き合わせても、俺に向けられた嫌疑はほとんど拭えるはずだ……」


 と、第二第三の矢を番えた、その時だった。

「――いや、もういい」

 そう言ったのは村上だった。

「菅原、悪かった。今のお前が嘘をついているとは思えない。それに、宿題の量を見ても、このまま疑い続けるのには無理がある……」

 意外な白旗に俺は思わず言葉を失う。

「そうね、今の話を聞いて、私も菅原くんは無実だとほぼ確信したわ。森さんは……どうかしら?」

 森はあのか細い声で答える。

「はい……私も、あの時見た人影は見間違えな気がしてきました……」

 無責任なことを言う森を、俺は罵ってやりたくなったが、せっかく風向きが変わったのだからこれは我慢する。他の部員からも声が上がらないのを見るに、俺が無実と結論することに異議はないようだ。


 すると、村上は今度は部員たちに向き直り、神妙な面持ちで口を開いた。

「だが、菅原じゃないとなると厄介だ。場合によっては警察に知らせた方がいいかもしれない……」

 警察というワードが赤色灯のように室内を駆けたので、全員が思わず息をのんだ。俺の背後では、村上が何気ない顔で扉の内側へ半歩寄る。森は窓際に寄り、ブラインドの紐をいじって視界を塞いだ。

 俺は黙って成り行きを見守った。

「ええ、確かにそうね。うちの生徒が犯人ならまだしも、もし外部の人間の犯行だとしたら、これは見過ごせないわ」

 言いながら、赤羽はこれまででいちばん険しい表情を作った。

「ちょっと待ってください」

 と、ほかの部員に紛れて少しの間沈黙を守っていた葛西が声を上げた。その直前、村上が短く咳払いを一つした。

 何やら意味ありげな半拍の沈黙をおいて、葛西は声音を落とした。

「警察なんて……、ちょっと大袈裟じゃないですか? それに、村上くんも、北口から出てくる男子を見たって……」

 村上の視線がじっと葛西を見据えた。

「確かにそうだが、そいつが犯人とも限らないからな……」

 これまでにしてきた証言を裏返すようなことを言う村上に、俺は思わず失笑がこみ上げた。

 村上は続けた。

「いずれにしても顧問には相談しておいた方がいい。葛西さんもそのつもりだと言っていただろう?」

「……」

 何か思案げな顔をするばかりで、葛西は答えない。


 その時だった――「ねえ!」と森が突然大きな声を上げたので、皆が驚いて彼女へ視線を向けた。いきなり浴びせられた注目に怯んだのか、森はまた肩を窄め、蚊の鳴くような弱々しい声に戻る。

「あの……大人に言うのは、もう少し待ってくれませんか……」

 この森の頼みに、どこからともなく脱力したようなため息が漏れた。

 赤羽が柔らかな声音で諭す。

「森さん。大事にしたくないっていうあなたの気持ちも分かるわ。でもね、もし不審者が校内に侵入していたのなら、これはみんなの安全にも関わることなのよ?」

 それを聞くと、森は目をぎゅっと閉じ、そのまま黙り込んでしまう。

「赤羽さん……確かにそうですが」

 こんな森を前にして、村上はフォローを試みるが、うまく言葉が続かず、彼もまた黙り込む。

 部員たちは依然として互いの顔色を伺うばかりで、葛西も俯いたままだ。

 事を荒立てたくない躊躇いか、外部犯の可能性への恐怖か……。いずれにせよ、重苦しい空気が部屋を満たしていった。

 そんな光景を見かねた俺は、つい心にもないことを口走ってしまった。

「森さんがそう言うなら、今すぐ大人に報告する必要はないと俺は思う」

 赤羽が微かに眉を上げる。

「でも……」

 部長としての責任感からか、彼女はなかなか首を縦に振りそうにない。

「そんなに心配なら、明日までに俺が真犯人を見つけます。だから、大人への報告は少なくともそれまで保留にしておいてください」

 言い切った後で、俺は心ひそかに自嘲した。俺のした思いがけない申し出に、皆が驚きを隠せない表情を浮かべた。

「ちょっと、菅原くん。あなた本気で言っているの?」

 赤羽はほとんど不審感を隠さずに言った。

「はい、俺もこんな不名誉な疑いをかけられて腹が立っていますし、それに……」


 それに、“真犯人の目星は既についている”と言いかけて、俺は口を噤んだ。


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