第三十七話 きつねっこ
「ユズ」
「はい!マリンさん」
「ウチは少し仕事が入ってなぁ。ユズには少し留守番をしてもらわなきゃならなくなった」
「え〜!!!つれてってくれないんですか!?」
「九条の坊に爪とぎしたバツだ」
「ごめんなさぁい」
「…ひとりでも、ちゃんとやっていけるか?」
「わかんない。けど、がんばってみます」
「…ほんとうか?」
「うん!!だって、マリンさんが色んなこと教えてくれたもん!!」
「…そうか。大好きだぞ、ユズル」
「俺もー!!!」
「…ただいま戻りました」
バスで居眠りをしてしまい、少し遅れて家に着いた午後六時。
アグラさんとの契約を終えて、さっきよりは心も落ち着いて、お腹もちゃんと空き始めた。
「にゃぁーーー!!!」
「わんわんわん!!!」
なにやら奥から楽しそうな声が聞こえる。
それと、スパイスの効いたカレーの匂いと、ちょっとだけするタバコの匂い。
「みんな騒ぎすぎ!」
「わーっ!サクタだー!!!!」
「帰ったのかよ!連絡してくれれば車飛ばしたのに」
料理上手な三浦さんの帰還だ。
今日は家で何も作らなくてもいいって思うと、一気に肩の荷が降りた。
「は〜最高だ…。あれ?野々瀬さんは」
「上で寝てるぜ。マリンってやつも、上にいるっぽい」
ほっとした。
空っぽになった2人分のお皿からして、一緒に食べたのだろうか。付箋に「ありがとう」とメッセージが書いてある。
野々瀬さんはもちろん、マリンさんらしき人のメッセージまで書いてあるのが意外だったけど。
「サクター!もう傷だいじョブなノ?」
「ばーっちり。ちょっと痒いけどね」
ハタが頭を押し付けるようにして抱きついてくる。
なんだかこうするのも、久し振りな気がした。
しばらくすると、隣からユズルくんがひょこっと顔を出した。
「…こんにちは!」
「はい、こんにちは。もうすっかり元気になったね」
しっぽをゆらゆらさせて、申し訳なさそうに彼は頷いた。
暴れていた時の記憶は無いはずだが、顔の傷を見て自分がやったのだと分かったのだろうか。
「ハタゾンビと仲良くしてくれてありがとう。ご飯いっしょに食べようね」
「…はい!!えへへっ、カレー大好きです!」
「ボクも〜!」
きゃははと笑い合う二人。
三浦さんがおたまでカレーをかき混ぜながら、優しく微笑んでいた。
僕はそこで、ケリを付けに行く決心がついた。
「あ、おーい!もうカレーつぐけど」
「一回野々瀬さんの様子を見てきます。すぐ降りてきますから」
「…リョーかい」
夕暮れの紅い光で照らされた階段を、一歩ずつ踏みしめた。
もし二人が起きていたらなんて言おうかとか、ずっとそういう事考えていた。
結局かるくて安いことしか、僕には言えないのだけれど。
「失礼します」
襖を開けると、夜に近い澄んだ夏の香りが、ふわっと鼻をかすめた。
窓を開けて換気をしていたのだろうか。その部屋は居間よりずっと空気が良かった。
「…チヨは寝たぜぇ。きっと朝までおきねぇよ」
「そうなんですか…?」
「ウチが「体に残ってる氷」を溶かすまじないをしてやったんだ。これで明日には元気ピンピンだ」
そういってマリンは、野々瀬さんの額を優しく撫でた。
小さい子どもを看病するような、優しい手だった。
「…ユズの粗相のことは謝る。上手く感情のコントロールができねぇからって、すこし我儘に育てちまったかもしれねぇ」
「自分の機嫌取りなんて、大人でもできる人は少ない。ユズルくんは、最後はしっかり自分で爪を仕舞ってくれました。とっても良い子です」
「はは。こりゃ、面目ねぇ。…お前は、大人なんだな」
「…違います。まだ全然未熟だけど…、ユズルくんを大切に思う気持ちも、そのためなら犠牲を厭わない思いも理解できるって、ただそれだけです」
マリンは、ふーんとサングラス越しにこちらを見つめた。
なにが面白いのか、口の端をにこーとあげ、いたずらげに微笑んできた。
「オマエもチヨも、まだまだアマちゃんだなぁ。甘すぎて、喉が辛くなっちまう」
「…どういう意味です?」
「…優しい奴は回り道をするんだぜぇ。チヨだったらそうだな…。きっと、これから「二戸部零」のために、とんでもない大回りを強いられるだろうな。助ける命も守る命も、自分が抱えられないほど大きく膨れ上がって、なんでも一筋縄じゃいかなくなる。辛くなっても、やめたくなっても、その喉が焼き切れるまで甘い言葉を吐かなくちゃ救われなくなる。それがどんだけ永遠に続く茨の道か…、お前らは分かってんのかって話だぜぇ」
そう吐き捨てた彼女は、わざとらしくサングラスをかけ直した。
脅しにも聞こえたそれは、なんだか変にあったかくも感じてむず痒い。
一体、どっちがあまちゃんなのか分からない。
「僕をそんなに良い人と勘違いしてもらっちゃ困ります。…きっと、あなたがユズルくんを愛おしく思う気持ちに負けないくらい、僕にも譲れないものがある。数多の責任を、全部捨てされるくらいに大切なものがあります」
「…ほぉ。頼もしいな。ただの若気の至りじゃなきゃいいけど」
「若気の至りは、取り返しがつくこと限定でしょ。僕もあなたも…、どうせ戻れないところまで来ているのに、随分上から目線じゃありません?」
「はは!確かに不粋だったな。いいよ。お前のことは信頼してる。少なくともチヨよりは、頭のネジも飛んでるし」
「…絶妙にムカつくことをいいますね」
マリンはふふふと笑って、すくっと立ち上がった。
「…?」
「くふふ」
壁に写ったマリンの影に、尻尾のシルエットが見える。
間違いない。狐のおっぽだ。
「お前に近衛討伐のヒントやるよ。「身代わり人形」の開発者としてな」
「えっ、」
「まずその1。近衛が使ってる身代わり人形は、アグラっていうジジイが作った偽物と違って、うちの家系固有の式が入ってる。「狐式」っていう、自分の分身をつくる式だ。だから身代わり人形自体を、何枚もチートみたいに使えるってわけ」
「…わかる、けど。なんで」
「近衛がそのことを知らずに使ってんのがミソなのよ。実はな、この式はチヨのと同じでウチで末代なんだよ。継承するヤツが金輪際いない式ってのは、ソイツが死んだら自然にこの世から情報が一切消される。この道理、お前なら分かるだろ?」
「…っ待てよ。お前、まさか」
「やっと分かったかぁ」
「死ぬつもりだな」
その言葉を、口に出せずそのまま飲み込んだ。
彼女の瞳が全てを語っていた。
近衛がこれから重宝するだろう身代わり人形の式自体を、かつてないほどめちゃくちゃにしてやると。
「…そんなことをしたら、一生許さないぞ。仮に上手く行ったとして、近衛がその仕組みに全部気づいていたらどうするつもりだ。残されるユズルくんは一体どうなる?」
「手遅れだな、どちみち。お前と話してて分かった。ユズルに必要なのは、きっとお前みたいな奴らだ。ウチじゃない」
「責任を、ここで放棄するべきじゃない。ユズルくんには、まだあなたが必用だろう!!」
そういうと彼女は、そっと窓の縁に腰をかけた。
窓の開いた、カーテンの揺らめく窓に。
僕は嫌な予感で頭がいっぱいになって、どうしようもなく耳をふさぎたくなった。
「…その2つ。お前が切ってくれたのとは別に、ウチの親父が近衛と結んだ契約があるんだ」
「…」
「もし近衛の肉体がぶっ壊れた時、ウチが魂を隔離する「壺」になるっていう契約だ。隔離結界を利用して、とにかく近衛の神魂が誰にも触れられないようにする役割が、ウチにはある。つまり分かるな?近衛とのガチバトルは、まずウチが死ななきゃ成立しねーの」
「…そんなことって」
「…今のウチの姿は、狐式で作った分身だ。本物のウチは、もうとっくに外に出てる。今更お前に泣かれたってしょうが無いんだ」
「…どうして、そこまでして…」
「ユズルに最後のお別れをしたかったから」
彼女は目を閉じ、微かに深呼吸をした。
僕は何も言えず、ただ唇を強く噛んだ。
「こんなやり方でしか…、ユズルを守ってやれねぇし、近衛にも泡吹かせられねぇんだ。やっぱ、アマちゃんはウチだったよなぁ。生意気言って悪かったよ」
「…そんなこと言わないでください。頑張ったんでしょうが、アナタなりに」
「…がんばったか…。そうだな。そうかも…」
彼女は笑って、そのまま窓からするっと落ちた。
何の落下音も無いまま、彼女の気配だけがふっと消えた。
下を覗いてみても、何の跡も形もない。
「マリン、さん」
分身を本体に合流させたのだろう。
…彼女は死にに行くのだ、これから。
たった一人、のこされるユズルくんのために。
「……うぅ」
第三十七話 きつねっこ
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