第42章 使用人

 菱珪玉は百里家に向けて伝書鳩を飛ばした。とはいえ、別に大した内容は一つもない。百里景砂の儀式が順調に終わったことを祝う言葉を少し書いただけだ。まあ、その心境は複雑極まりなかったが。

 それにしても、百里景砂が儀式を終えた翌日の菱家は奇妙なまでに静けさを保っていた。菱珪玉の感覚では、菱家が静けさを保っていることなどめったにないのだ。あるとすれば、嵐の前の静けさといえる状況のみだ。

 ざわめきを抑えられなくなっている自分の心を無理に覆いながら、菱珪玉は狭い自室の外に出た。

 普通、名家の公子というのは使用人を連れているものらしい。というのを、彼は百里家と上官家で学んだ。しかし、菱家の嫡子であるはずの菱珪玉は生まれてこの方、自分の使用人というものを控えさせたことがない。まあ、正直その必要性も全くないのだが。

 菱珪玉とすれ違う、菱家の傍系公子たちが彼を見るたび一切隠そうともしない嘲笑を浮かべる。彼らの一歩後ろには、やはり身を縮こまらせている使用人がいた。

 歩いているうちに、菱珪玉は庭園の真ん中に造られている群青の池にたどり着いた。この池を通り過ぎる度、彼はいつも百里家の紅蓮の池を思い出してしまうのだった。そこは、初めて百里景砂と出会った場所だったから。

 彼が久々に過去に浸ろうとしたところで、菱藍雲に仕えているはずの使用人が些か厳かすぎる態度でやってきた。

「公子。当主がお呼びになっています」

 いや、もしかするとこの口調は名家の公子や令嬢であれば当たり前に受け入れられるものなのかもしれない。しかし、菱珪玉が彼らから受ける口調というのは、最低限の敬意が感じられるもので、中には嘲笑していると思しき口調だってあるくらいだ。

「何か大きな出来事でも起こったのか?」

 と、菱珪玉が訝しげに聞く。

 すると、菱藍雲の使用人はにんまりとした笑みを浮かべて声高らかに言ったのだった。

「当主が夫人をどう片付けるか検討しておられます」

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