第38話 百里家の言い伝え

 百里家には、ある言い伝えがある。

 百里家の長女が自然に宿る霊気を手に入れたとき、雲渓大陸は間もなく平和に包まれる。

 その言い伝えを知らない者は、少なくとも百里家の中にはいない。

 そして当代の当主である百里玄武の長女というのが、まさに百里景砂だったのだ。

「私も言い伝えの継承者になるのですね」

 百里景砂は目を伏せた。まるで、あふれてきそうな涙を隠すかのように。

「うん。私の代で、この言い伝えを途切れさせるわけにはいかない。娘がいる身ならなおさら」

「いいんです。子どもの時から、いつかこの日が来ることはわかっていましたから。しかも、今は雲渓大陸がいつ危機に陥るかすらもわからない時です。私が犠牲になることで、雲渓大陸に平穏をもたらせるなら、私としても満足ですから」

「……すまない」

 百里玄武は、懐から新たな玉佩を百里景砂に差し出した。それは、竹が施された翡翠の玉佩で、霊気を兼ね備える百里家の娘であることを示すものだったのだ。

 百里景砂は黙ってそれを受け取った。と同時に、自らの運命をも受け入れたのだ。

 百里家の言い伝えは百里家の誰もが知るところだが、その裏にはもう一つ、当事者と百里家当主しか知りえない言い伝えがあるのだ。

 霊気を手に入れた百里家の長女は、雲渓大陸に平和をもたらした瞬間に、天地に帰属する。

 もし、三家と菱家の争いが終わり、雲渓大陸に早いうちに平和がもたらされてしまえば、百里景砂はそのまま命を落とすことになる。

「父上、私はいつ儀式を行う予定なのですか?」

 百里景砂は竹の玉佩を袖の中にしまってから、静かに尋ねた。その時に、ふと気づく。いつの間に、この部屋の空気はこれほどまでに重たくなってしまったのだろう、と。

「予定としては、三日後に執り行う予定だ。その日が、最も霊気が多い日らしい。だけど、菱家の動向によっては、それが早まることも往々にしてあり得る」

「わかりました。それなら、いつ儀式を迎えてもいいように準備しておきます」

「うん。なあ、景砂。君は、私を恨むかい?」

 不意にかけられた百里玄武の言葉に、百里景砂は思わず眉根をひそめた。

「なぜです?」

「景砂は私の長女だから、言い伝えを継承するために短命になるかもしれない」

「それは、昔からわかっていたことです。ですから、昔から長く生きていたいと思ったことはありません」

「それに、菱珪玉のこともある。あの子はいい子だが、出身が菱家であるために……」

「彼のことは、とうに諦めています」

「だけど、彼が諦めるだろうか。あの子は百里家にいたときから、景砂に想いを寄せていただろう?」

(え?)

 つい、百里景砂の心に動揺が走る。だが、一瞬でそのすべてを胸の内にしまい込んだ。百里家の人間である以上、安易に動揺を見せてはいけない、という一心で。

「そのことは初耳ですが、もしそうなら、彼もきっと私のことをとうに諦めているでしょう。彼はそこまで意味のないことをする人ではありませんから」

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