第32話 戻った記憶
才人試験、という言葉を聞いた瞬間に、菱藍雲からは唸り声のような吐息が聞こえた。
「そうだな。しかも、及第までしている。本当にあの時、百里玄武がお前を百里家の才人として用いなくてよかった」
「そんなことを心配していたんですか? その必要はないのに。だって、あの時百里当主も私を本気で登用するつもりなど全くありませんでした。しかも、私にだって別に百里家の才人になるつもりなど微塵もありませんでしたからね」
「じゃあ、どうして才人試験など受けたんだ?」
「暇だったからですよ。あのとき、私は幼少期に出会った少女を探していただけなのに、それらしき人には全く会えなかったんですからね。他にすることもなくて」
その時、景砂の脳裏にある記憶が浮かんだ。
百里家の紅蓮が咲き誇る池の辺りで、誰からも蔑視されていた少年に琴を演奏している。かと思えば、その次の瞬間には百里家にある自分の部屋で、少しばかり成長した同じ少年に琴を演奏していた。さらにその次の瞬間には、菱家から世子が来るから、その間は部屋から出ないように、と諭される。厳格な面持ちをした父親には、百里家の風格を守るため、菱家のような必要以上の野心を持つ者とは交流しないように諭される......。
景砂の脳裏には、次から次へとどこかにしまわれていた記憶の波が押し寄せていた。そのせいで割れんばかりに痛む頭を彼女は声も出さずに必死に押さえていた。
一方で、彼女の苦しみなどわかるはずのない菱父子は相変わらず会話を続けているのだった。
「まあ、百里家でのことは一旦置いておこう。もう過去のことだ。それで、お前は上官氏の所業を止められなかった。これをどうやって挽回するつもりなんだ?」
「父上。それは、菱家の世子として、父上の手伝いをするかどうか、という意味ですか? それとも、自分の良心に沿って、天下のために何かをする、という意味でしょうか」
「その二者の答えは異なるのか?」
「当たり前でしょう。前者ならば、例の者を菱家から出さずに、三家に対しての人質とするでしょう。後者なら、彼女を百里家に戻すために尽力します」
「じゃあ、お前はどうしたい?」
「そりゃあ、当然百里家に戻したいですよ。どのみち、私は菱家に対する感情などありませんから」
菱珪玉の答えに、菱藍雲は冷笑するだけだった。
だがちょうどその時、彼女を襲っていた頭痛が治まった。頭から両手を下ろし、彼女は視線を姿の隠れている菱父子の方へ向ける。それから、心の中で彼らに話しかけた。
(私は、あなたたちの助けなどなしに百里家へ戻ってみせる)
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