第31話 菱家父子の会話

 景砂が入り込んだ部屋には、数えきれないくらいの書物がびっしりと並んだ棚に整然と並べられていた。彼女はひとまず菱夫人が通り過ぎていくのをただ待機していた。

 菱夫人の足音がなくなり、彼女はすぐにでもその部屋を出ようとする。しかし、先ほどまで出口があった場所には、ただの書棚しかなく、先ほど通ったはずの扉の跡形もなくなっていたのだ。

(一体どういうこと?)

 念のためもう一度同じ場所を触ってみるが、やはり書棚だけがあるばかりだ。

(仕方がない。他の出口を探さないと)

 景砂は息をひそめながらとりあえず通路だと思われるところをただひたすらに歩いた。

 それからどのくらい経ったのか。景砂はまるきり時間の感覚がなくなってしまっていたころ、人の話し声が聞こえた。彼らの場所から景砂の姿が見えるのかは不明だが、彼女はとりあえず偶然左側にあった像らしきものの影に隠れた。

「お前の母親は、百里景砂に何をしたんだ?」

「……知りません」

 像の影から、景砂は一瞬だけ首を伸ばす。すると、ぼんやりとした灯りの中には、沈んだような顔をした菱珪玉と、顔を見るからに真っ赤にした菱藍雲が異様な雰囲気の中で向かい合っていた。

「ふん。母親に口止めされたか。まあ、いい。お前の母親は、奇妙な薬を使って百里景砂の記憶をすぐにでも取り戻させようとしているとか。どうして止めなかった?」

「もし父上の言う通りなら、お言葉ですが。止めるも何も、母上があの者に薬を盛った時、私は禁足となっていたのですよ。一体どうやって止めると言うんですか?」

「あいつが薬を盛るのを止められなかったなら、すぐに人に解毒薬を渡して百里景砂に飲ませるとかできるだろう! 今まで長く他の家の人質となっていたのに、それくらいのこともできないのか」

「私はただおとなしく日々を過ごしていただけです。人質になったからといって、私は他の家の者を害するような真似はしません」

 その時、微かにではあったが、菱藍雲の嘲笑までも景砂の耳に入ってきた。

「そうか? なら、お前はどうして私の計画通りこの菱家に、百里景砂を連れてきたんだ? まさか、自分の目の届く場所であればあの女を守れるとでも? この菱家で? 頭に水でも入ったのか? お前はこの菱家の世子ではあるが、人質として外にいた期間が長い。この家の誰かが、喜んでお前の支持をするとでも思うのか?」

「そんなことを思ってはいません。菱家の人間が、私を目に見える形で支持するなど、命を差し出すかのような行為でしょうから」

「ほう。その点に関してはよくわかっているじゃないか」

「まあ。これでも私は百里家にいた間に百里家の才人試験を受けたことのある身ですからね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る