第21話 PCX一人旅 震災の日 井土浜へ
3月11日、14年前は小雪の舞う寒い日だった。私は内陸部の小学校で教頭をしていたので、職員室にいた。すごい揺れで教員になって初めて机の下に潜り込んだ。壁が動き、校舎が崩れるかと思ったが、なんとかもった。校内放送の設備が壊れ、ハンドマイクで校庭への避難を呼びかけ、校庭に全員がそろった。幸いなことにけが人はいなかった。後で巡回してみたら校舎2階と体育館への連結通路にひびがはいっていた。停電・断水で翌日から休校となり、体育館は避難所となった。通電するまで、私は職員室に泊まり込みとなった。暖房器具は全て体育館に持っていったので、保健室から持ち込んだ布団の中で震えながら寝ていた。1週間後に電気がついた時は、(救われた)と心から思った。
そして、2025年3月11日。10度を越す陽気でPCXを車庫からだした。めざすは中学生のころ、自転車でいった仙台市の井土浜である。
まずは、昔住んでいた仙台市長町をめざす。
コスモスラインから菅生を抜け、志賀姥ケ懐トンネルを抜ける。適度なカーブがあり、走りやすい。私のお気に入りルートである。
岩沼に入ると、幹線道路に入る。交通量が多い。太白大橋を越えて右折。旧4号に入る。長町の商店街は私の知っているものとは大きくさまがわりした。同級生の店やよく行ったスーパーもなくなった。
広瀬橋を越えて右折。県道長町・井土浜線に入る。若林小までは昔のままの雰囲気だ。4号線バイパスを越えると昔とは大違い。田園地帯がなくなって住宅地になっている。仙台東道路まで住宅地が広がっている。東道路から先は津波震災区域なので田園地帯が残っている。この道路を木剣を自転車につけて走ったのである。
途中、津波避難道路にまぎれこんでしまい、昔の井土浜にたどりつけなかった。でも、井土浜という地名はあるけれど、そこに浜はない。そこにいく道がないのである。津波でねこそぎもっていかれた。そこで、海岸公園・冒険広場にたどりついた。そこに遊具や展望台がある。そこから見ると、かつて木剣を振り回した松林の跡が見える。まるで歯がぬけた櫛みたいな景色だ。
公園の片隅にさびついたオフロードバイクがあった。案内板を見ると津波でながされたバイクだとのこと。各地で壊れたパトカーとかの展示物は見たが、バイクは初めてだ。ここも被災地なのだということを改めて思わされた。そして、地震が起きた午後2時46分にはまだ早いけれど、海に向かった手を合わせた。
昼時になったので、岩沼の三宝亭さんをめざす。仙台空港の脇道を通り、岩沼市内へ。ここのチャーハンが私のお気に入りである。相変わらずいい味をしている。
帰りは岩沼・村田線を通る。村田の町が見える高台にくると、遠くに雄大な蔵王が見える。私のふるさとの山である。ただ、見入っている暇はない。すぐに農免道路村田・菅生線に入る。ここもコスモスラインと同様に起伏とカーブがあり、バイカーにはたまらない道である。SUGOにバイクで来られた際にはぜひ走ってほしいルートである。途中、BMWに抜かれた。私はそれなりのスピードをだしていたのだが、音もなくすっと抜いていってしまった。ストレートで抜くならまだしも、カーブで抜くのはやめてほしい。バイク同士のマナーだと思う。
菅生からは来た道をもどる。風も少なくいいツーリングだった。
走行データ
出発時刻 9時30分
帰宅時刻 13時30分
走行距離 110km
消費燃料 2.5L(推定)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます