第5話
翌朝、早くに馬車を走らせた。
朝が弱いのかアリアさんは馬車の中で眠そうにしている。
「小僧、この森を超えたらカスベルの領都に着くからな」
何故かアリアさんではなく僕に言葉をかけるガラガスさん。
彼女が眠たそうにしているからだろうか。
「魔物も出始めるからな、そろそろちゃんと護衛に回る」
そう言って外に出ていく。
馬車の速度は駆け足くらい。つまるところ、徒歩よりは少し早いくらい。
ガラガスさんの鎧の擦れる音が外から聞こえてくる。
「ふぁ、冒険者様。薬師様からの手紙はもうお読みになったのですか?」
寝ぼけ眼で尋ねてくるアリアさんの言葉にそれを思い出す。
懐から取り出した小さな筒。昨日ニョッキだか、ネッキだかが持ってきたものだ。
「ああ、ちょうど読もうと思ってたところです」
アリアさんに中身が見えないようにそっと開いた。
中に入っていた一枚の紙。
『君たちが立った数日後、カスベル侯から迎えの騎士が寄越された。そして、その騎士に話を聞いたところ、君と同行しているガラガスもアリア嬢を元々護衛していた隊の副隊長として間違いないらしい。
おかしいのはここからだ。あの騎士は私にアリア嬢を迎えに行くように侯爵から達しがあったと言った。
だが、侯爵とガラガスは連絡などとっていない。
可能性の段階だが、ガラガスは偽物ないしは裏切り者の可能性がある』
僕はそれ以上、顔には出さないように手紙を閉じた。
「ふふ、何が書いてありました?」
「いえ、ただの文通ですよ」
「まあ、仲がよろしいのですね。素敵です」
勘違いをしているアリアさんを他所に思考を回す。
ガラガスさんが裏切り者、あるいは偽物。
今すぐ馬車を止めて問い詰める?
――論外だ。
森の中だ。視界は悪く、逃げ場も少ない。
彼は騎士、それも相当な手練れだ。
僕一人ならまだしも、アリアさんを抱えた状態での戦闘や逃走は、無謀を通り越して自殺行為に近い。
なら、森を抜ける。
人目のある領都に入れば、少なくとも彼は表立って動けない。
その時点でアリアさんに事情を説明し、然るべき人間――侯爵家、あるいは正規の騎士団に保護を求める。
それが、今考えうる中で最も安全な選択だ。
……問題は、それまで何事も起きなければ、だが。
馬車は淡々と進んでいく。
木々の隙間から差し込む光が、少しずつ弱くなっていく。
外から聞こえる鎧の音は、規則正しい。
まるで、何も変わっていないかのように。
それが、逆に不気味だった。
「……」
僕は無意識のうちに、剣の柄に指をかけていた。
どれくらい進んだだろうか。
森の奥行きが深まり、空気がひんやりと湿り気を帯び始めた頃――
「――止まれ」
ガラガスさんの低い声が、外から響いた。
御者が反射的に手綱を引き、馬車が減速する。
「何かありました?」
御者のおじさんが、異常を尋ねた、その瞬間だった。
――鈍い音。
理解するより先に、馬車の窓から赤いものが視界を横切った。
それを見てすぐさま外に出る。
「……え?」
御者の身体が、前のめりに崩れる。
背中から突き出たのは、見慣れた長剣。
ガラガスさんの剣だった。
血が、森の土に赤く染み込む。
「……な、なにを……」
声が、喉の奥で引っかかったまま出てこない。
剣が引き抜かれ、御者はそのまま地面に落ちた。
ぴくりとも動かない。
「静かにしろ」
淡々とした声。
いつもの、あの落ち着いた口調のままだった。
「魔物に襲われた、そう思われる方が都合がいい」
ガラガスさんは、馬車の御者台に足をかけ、こちらを見下ろす。
その視線が、まっすぐ僕に突き刺さった。
「……気づいていたな、小僧」
否定できなかった。
沈黙が、肯定になる。
「まあいい」
彼は肩をすくめる。
「森を抜けるまで待つつもりだったが……考えが変わった」
ゆっくりと、剣をえる。
御者の亡骸は、森の土に転がったままだった。
血の匂いが、じわりと広がる。
ガラガスさんは剣についた血を、無造作に地面へ振り払った。
「……っ、な……」
アリアさんの喉から、掠れた声が漏れる。
腰が抜けたのか、馬車の座席に崩れ落ちていた。
「安心しろ」
ガラガスさんは、こちらに背を向けたまま言った。
「御者は最初から邪魔だった。それだけだ」
その言葉に、胸の奥が冷たくなる。
「……最初から、ですか」
震えないよう、意識して声を出した。
「ああ」
彼はゆっくりと振り返る。
「侯爵の迎えも、護衛の任も、すべて不要だった」
そして、アリアさんを真っ直ぐに見据えた。
「俺の目的は一つだ、アリア様」
剣の切っ先が、わずかに彼女へ向く。
「――貴女を、殺す」
「……え?」
あまりに端的な言葉だった。
理解が、追いつかない。
「な、何故……私は……」
「聖女の物語を持つ者だからだ」
淡々と、言い放つ。
「それだけ?」
思わず、口を挟んでいた。
ガラガスさんは、ちらりとこちらを見る。
「それだけで、十分すぎる理由だ」
剣を下ろし、地面に突き立てる。
「物語を持つ者はな、それだけで価値がある。生まれも、才能も、努力も関係ない」
ぎしり、と音がした。
彼が、歯を食いしばっているのがわかる。
「聖女の物語は強すぎる。その存在こそが弱者を虐げる」
焚き火の前で彼が語った言葉が、脳裏をよぎる。
「小僧、あの時俺はお前に言った。『不遇な物語でも、生き方次第で刃になる』」
彼は怒りのままに長剣を握っている。
「……だが、それは嘘だ」
低く、吐き捨てるように言った。
「どれだけ剣を振っても、どれだけ技を磨いても、物語を持つ者の影にしかなれん」
視線が、僕に向く。
「だから壊す。奪う。消す」
一歩、こちらへ踏み出す。
「それが、俺たちのやり方だ」
「……俺たち?」
「ああ、神に選ばれなかった者達」
その口調に、怒号がこもる。
「農民、雑役、下級冒険者。物語に、物語に選ばれなかった者たち」
彼の声に、熱が混じる。
「俺は農民だった」
焚き火の夜よりも、ずっと荒れた声。
「剣を握れば笑われ、夢を語れば嗤われた。物語がない、それだけでな」
剣から手を離し、両手を広げる。
「それでも、俺は騎士になった。技で、血で、努力でだ」
そして、苦々しく笑った。
「だが、どれだけ剣を極めても、農民上がりという物語は消えなかった」
視線が、鋭く僕を射抜く。
「小僧。お前も同じだろう」
心臓が、跳ねた。
「物語に恵まれぬ者」
言い逃れできない言葉だった。
「だから誘っている」
彼は、真剣な目で言った。
「こちらへ来い。俺たちの仲間になれ」
剣を拾い上げる。
「守る側ではなく、狩る側に回れ」
アリアさんが、震える声で叫んだ。
「や、やめて……! 冒険者様は、そんな……!」
「決めるのは小僧だ」
ガラガスさんは、彼女を見なかった。
「お前には、才能がある。技を理解する頭がある。かつての俺には、なかったものだ」
一歩、また一歩と近づく。
「アリア嬢を差し出せば、命は助ける。功績も与える」
剣の切っ先が、僕の胸元に向く。
「どうだ?」
一瞬、森の音が消えたように感じた。
――確かに、この
――確かに、彼の言うことは理解できる。
だが。
僕は、アリアさんの震える肩を見た。
聖女の物語を持つ、ただそれだけで殺される少女を。
「……断ります」
静かに、しかしはっきりと告げた。
ガラガスさんの目が、細くなる。
「理由は?」
「僕は英雄になるために歩みを進めている」
息を吸う。
「たとえ虐げられようとも、目の前の少女の笑顔を守るのが、僕の目指した英雄だから」
一瞬。
彼の顔から、感情が消えた。
「……そうか」
次の瞬間、剣が構えられる。
「ならば、お前も敵だ」
森の奥で、ざわめきが聴こえる。
ここから先は――
どちらかが死ぬまで終わらない。
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魔法で英雄になるために。~とある道化師の英雄譚~ コモンピープル @gokantuduru
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