第120話 乗船は船旅の始まり




──アヴァリー教国




 ミレニアム王国から見て東方に存在する宗教国家。

 領土はプルガトリア大陸と地続きに存在する湾岸部と、沿海部にある弧状列島によって形成されている。

 アヴァリー教国の聖都があるのは弧状列島──別名〈月島げっとう〉の中心部だ。当然栄えている都市も聖都を中心とした街ばかり。すなわちアヴァリー教国は月島に主要都市を抱えた島国ということになる。


 だが、かつては〈大淫婦〉と称される魔王により支配されて、月島の内と外の交流が禁じられていた。

 鎖された島内で人間は奴隷以下の扱いを受け、息絶えた者の屍は山となり、川を堰き止めんばかりの勢いだったとされている。


「しかし!」

「声デッカ」

「そんな時、立ち上がった勇者が居た! 炭鉱夫として働かせられながらも、密かに反抗の機会を狙っていた稀代の益荒男……その名も〈強欲ごうよくのマモン〉!」


 ついつい語気が強くなってしまったが、それも致し方ない。

 人間が奴隷として生き死にさえも悪魔に操られる──そのように鬱屈と諦観に満たされた空気をぶち壊し、いずれ鎖された国を丸ごと解放した快男児、彼こそが『ギルティ・シンⅢ 強欲の黄金卿エルドラド』の主人公である〈強欲のマモン〉なのだ!


「マモンはすっげぇぞぉ!? 〈殉死のアルブス〉に罪冠具を授かった途端に怒涛の快進撃の始まり始まり! 手始めに自分らをこき使っていた悪魔を返り討ちにしてやったかと思えば、掘り当てた太古の箱舟を海賊船に大改修! 大時化だろうが知ったこっちゃねえと東奔西走! 〈大淫婦〉の駆る魔王軍に抵抗を続けていた三つの鬼人族をまとめあげて〈大淫婦〉と奴の使役する罪獣を撃破! 最後にゃ付いてきた三人の鬼姫と船上結婚式で大団円よ!」

「ライアー、なんかこういう話凄く詳しいよね」

「アータン……男とは、そういうものなのだ」

「三股……!? 一夫多妻……!? ──合意の上ならよしとしましょう」


「不潔判定セーフ!」


 許された。


 そうなのだ。

 流石は第一作目で七股純愛メスケモハーレムがトゥルーエンドだったギルシンだ。コンシューマーゲームである三作目であってもエンジン全開である。ルート選択にもよるが、マモンは最終的に仲間として付いてきてくれていた鬼姫三人とくっつく。


 これがンまぁ~~~グッとくる鬼系ヒロインでさぁ。


 豪放磊落な姉御系赤鬼、シュテン。

 妖姿媚態な花魁系青鬼、トラクマ。

 清浄無垢な巫女系黄鬼、ホシグマ。


 以上! 総勢三名がマモンのヒロインだ!

 二作目で真っ当に幼馴染ヒロインとの恋愛パートやっていた癖に、三作目で全員鬼ヒロインとはアクセル吹かせ過ぎだろ。もっとやれ。


「──けど、それほど甲斐性があったマモンだからこそ今のアヴァリー教国があるんだなぁ……」

「……」

「おや? アータンのお気に召さなかった?」

「お嫁さんを三人も娶るなんて──不潔!」

「しまった! こっちにも審判が居た!」


「待ってください。その審判、わたしも含まれてます?」


 何か言っているアスはさておき、これは予想外だった。

 不潔判定を下すのは何もおちんちんシスターだけではないということだ。しかしながら、メルヘンなファンタジーがお好きなアータンにとっては、御伽噺だろうが一夫多妻は許容できなかったらしい。


「そっか不潔かぁ……ちなみにアータンさん、どの辺が不潔だと?」

「男なら! 女一人を! 愛し抜け!」

「五七五頂きました。ありがとうございます」

「ライアーもなんだからねっ!」

「あ、はい」


 反射的に頷いてしまったが、それにアータンはうんうんと頷いている。

 どうやら俺のハーレムルートは今の選択肢で完全に折れたようだ。アータン教の信徒たる俺はアータンの告げる教義には逆らえない。元々ハーレムなんて作る予定はないけどもね。


 閑話休題。


 どうして俺達が以上のような会話をしていたかと言えば、ちょっぴりとだけこれからの旅路に関わる点があるからだ。

 カラコロと音を鳴らし、舗装されていない街道を馬車と共に進んでいく。不意に漂ってくる潮の香りを感じて小高い丘を駆け上がれば、眼下には広大な青色が広がっていた。


「海だ!」

「あそこがアヴァリー教国本土〈月島〉に向かう為の港町だ」

「ってことは……」

「船に乗るぞぉー!」

「やったぁー!」


 両手を挙げて喜ぶアータンに腕を回し、高い高いよろしく抱き上げる。


「掛かったな」

「え?」

「こ~のま~ま大車輪~♪」

「せ、世界が回ってるぅ~!?」

「空が回ってる? 貴様、地動説の申し子か! アータンの世界はアータンを中心に回っているのだ……心せい!」


 悲鳴を上げながら回されるアータンには地動説も天動説も古いことを告げておく。

 己の世界の中心は……トントンッ(胸を拳で叩く)。お前だろ?


 冗談はさておき。


「初めての船旅、楽しみだなぁ~なあアータン!」

「うぅうん! 楽しみぃいぃいぃい!」

「よ~し、じゃあこのまま港町まで進んでくぞ~」

「させるかぁ!」

「あっ!? 此奴、鉄仮面に抱き着いて視界を……前が見えねぁああ!?」

「死なば諸共ぉー!」


「仲良いですねぇ」

「良いことだ」


 回転中に視界を奪われ、平衡感覚を失うがままアータンと共に草の上にぶっ倒れる。

 それをアスとベルゴは微笑ましく眺めていた。保護者かよ。

 温かい眼差しを向けられながら起き上がる俺達は、ケタケタと笑い合いながらもうすぐそこにある港町を今一度見遣る。

 特にアータン。彼女は期待と興奮に満ちた眼差しを、桟橋に並ぶ大きな船の数々に向けていた。


 一応、船に乗る機会はリーパの村であった。

 ただし、あの時はあくまで漁船──小さな小舟だ。今回のように長い船旅に耐えうる代物ではない。


「おっきな船楽しみだなぁ」

「クククッ……」

「? ライアー、どうしたの?」

「そう言っていられるのも今の内だ」

「えっ、船に爆薬でも仕掛けた?」

「クククッ、してない」


 そんなことしたら即刻お縄の豚箱入りだわ。まだ俺は豚さんという名の犯罪者とルームシェアを決め込む予定はない。


「船にはが付き物だ」

?」

「はたしてアータンに耐えられるかな……?」




 船に付き物なアレとは──!




 ***




「スマン、船酔いしてしまった……」

「ベルゴがするのかよ」


 正解は船酔いである。

 ただし酔ったのはアータンではない。名前の一文字も性別も被っていない、被っているとすれば可愛さぐらいしかない中年男性であるベルゴであった。


「大丈夫ですか、ベルゴさん?」

「だ、大丈夫だ。オレは元騎士団長! この程度の苦難の道なぞ……うぷっ!」

「苦難の道は舗装されてませんからご無理はなさらず」


 ベルゴ、完全ノックアウトである。

 斯くして三半規管が弱々なおじさんは船に備え付けのベッドに伏すこととなった。


「あんなに激しくお馬さんに乗っても平気なのに不思議だね」

「ね~」

「あっ、昨日お酒飲んでたからかな?」

「ね~」


 そう語るのは昨晩港町の酒場でエールを十杯呷っていたアータン大先生である。大酒をかっくらった翌日、波に揺られる船に乗っても平気な辺り、〈嫉妬〉の恩恵によってアルコールへの耐性も高いのだろう。セパル? あいつは知らん。


「オ、オレのことはいい……お前達は船旅を楽し、め……」

「よーし、甲板出て景色楽しむぞ~」

「これが苦しむ衆生を見捨てる醜き世界の縮図ですか」


 ベルゴに言われた通りにしようとしたら、アスから辛辣なコメントをいただいた。

 流石に心が痛んだので、船酔い中のベルゴには秘蔵の酔い止め薬を渡す。昔セパルに貰った薬だが、こんなところで役に立つとはな。世の中何がどこで役に立つか分からないものである。


「わたしはもう少しベルゴさんを看ておきますよ」

「おう、分かった」


 ベルゴの看病はアスに任せ、俺とアータンの二人は甲板に赴く。

 天気は晴れ。頭上に昇る太陽の光が燦々と照り付ける、絶好の船旅日和である。頬を撫でる潮風に気持ちよく、上げられた帆も目一杯に張っていた。

 欄干に寄りかかるアータンも瞼を閉じ、全身で海の空気を味わっている。


「気持ちい~……あっ、あそこに鳥さんが居るよ!」

「ありゃウミネコだな」

「へ~! じゃあ、あの海を泳いでる猫は?」

「あれもウミネコだな」

「にゃんと……」


 ウミネコと聞けば大抵鳥の方を思い浮かべるだろうが、ギルシン世界には違うウミネコも存在する。

 その名も海猫ウミネコ──察しのいい人間は思い至るだろうが、以前戦った海獅子マーライオンの幼体だ。あんな厳ついライオンも生まれたてはカワイイにゃんこという訳である。


「カワイイ……」

「金持ちの貴族なんかはたまに飼ってるみたいだな。んで、ある程度大きく育ったら騎士団に引き渡されて優秀な戦力になるらしい」

「強かったもんね。そう考えたら案外人に寄り添ってる──」


 魔物なのかも、と。

 そう言い切る寸前、船体全体が大きく揺れた。なんてことはない波に揺られただけの現象。俺は兎も角として、体重の軽いアータンは寄りかかっていた欄干からピョーンと。すなわち、海の方へと体が投げ出され──。


「んみゃあああ!?」

「君を二度とは放さない!!」

「えっ? ライ……ぶべぁ!?」


 すかさず放り出されたアータンの両脚を掴んだ。

 しかし、そうなれば必然。遠心力と重力のままに下方へスイングするアータンは、船体と熱いヴェーゼを交わしていた。


「それについては本当に申し訳ないと思っている所存」

「う、ううん……気にして──ッ!?」

「どしたんアータン?」

「……見た?」


 半ば宙吊り状態と化しているアータンは、逆さまのままスカートの裾を押さえていた。ここからでははっきりと見えないが、どうにも彼女の顔が紅潮しているように見える。


「……あ、もしかしてパンツ?」

「! ……見た?」

「安心しろ、アータン。俺はセンシティブなものを視界に入れた瞬間、自動的に対象をモザイクや白い光で覆い隠す自主規制魔法が発動する」

「そうだった! ……あれ? じゃあ今視界どうなってるの?」

「何も見えねえ」

「逆に危ないよ!?」


 言われた通り、現在俺の視界の大半はアータンのスカートを中心に放たれる白い光によって覆い尽くされている。やり過ぎな修正を掛けたエロ漫画みたいな視界だ。

 そうか、こういう弊害もあるのか……改善点を獲得した俺は、自主規制を白い光から黒い闇へと変更。一本釣りされたマグロの如く宙吊り状態のアータンを引き揚げる。


 その際、両腕を広げて抱き着こうとしてくるアータンを受け止めた訳だが……あ、この状態あれっぽいな。


「エンダァーーー!! イヤァーーー!!」

「急に歌ってどうしたの?」

「あ、違え。これ身辺警備の方だった」

「一人で納得するの怖いよ」

「ごめんね」


 名作映画の主題歌違いをかましたところで、俺達は船室へと戻る。

 おんおんと鳴り響く怨嗟の声──に聞こえたのは、未だに船酔いにやられるベルゴの声だった。


「おいおい、騎士団長ともあろう男が情けねえな。揺り篭に揺られていたエケチェン時代を忘れたか?」

「そんな遠い昔のことは憶えて……いや、十年前の出来事を『最近』とか言うようになったなぁ。とすると赤子だった時代も最近か?」

「おじさぁん……」

「ちなみに今の『最近』も十年前ぐらい前から言い始めている」

「おじさぁん……」


 重症のようですね。

 酷い船酔いにやられている中年男性を眺めていると、俺の将来を見せつけられているようで居た堪れなくなってくる。


「アス、なんとかいい方法はないか?」

「ないことはないですが……」

「あんのかよ。じゃあ、それやってやれ」

「でも、結構荒療治ですよ?」

「構わん、やれ」


 パーティーの責任者としてアスに治療を命ずる。


「仕方ありませんね……」

「ム……? アス、何をするつもりィイヤア゛ア゛ッ!?」

「ちょっと痛みますからねー」

「待て!! これはちょっとどころの話じィヤア゛ア゛ッ!!」


「Oh……」


 何をするのかと思えば、歴戦の風格を漂わせながら腕を捲っていたアスが、徐にベルゴの腕を指で押し始めた。

 きっと船酔いに効くツボでも押しているのだろう。ただし、現状を見る限りではベルゴの体調不良ランキングのトップにツボ押しの痛みがランクインしたようにしか見えない。


「ヌゥ゛ウ゛ン゛!?」

「痛みますか? 血行とリンパの流れが悪い人はそうなんですよ~」

「本当なのか!? 人体から鳴ってはいけない音が鳴っているぞ!?」

「筋肉と関節が固まっている証拠ですね。ちょうどいい機会ですし、この際全身整体しちゃいましょうか」

「待て!! まずはオレの返事を待つところからでは──ンガアアア!?」


 シームレスにツボ押しから整体へと移るアスに、ベルゴは為す術なく組み伏せられる。

 一見すると美人シスターにマッサージされているという羨まけしからん状態ではあるが、真っ赤と真っ青のグラデーションに彩られる顔面を見るからに、とてもではないが極楽気分とは言い難そうだ。


「ベルゴさん痛そう……」

「仕方ねえさ。おじさんの血行とリンパなんてのはドロドロのヘドロみたいなもんなんだ」


 そうこう言っている間にも整体は佳境へ突入。

 最早プロレス技を掛けているようにしか見えない体勢を取っている、あるいは取られている二人からは、岩を磨り潰すかの如き破砕音が鳴り響いていた。子供に弄ばれるオモチャでもああはならない。


「フゥー、これで一先ず終了です。お疲れ様でした」

「……ハッ!? 川の向こうでアグネス様が中指を立てていたのが見えた……」

「殺すな。殺されるぞ」


 だいぶ強いパワーワードを言ってしまった。だが事実であり、仮にこの発言を本人に告げ口されようものなら俺も殺される。ゲームオー婆だ。

 しかし、整体が終わったベルゴは随分と爽やかな表情を浮かべていた。本人も『お?』と言いながら、肩をブンブンと回している。


「おお! 体が軽い!」

「大分凝り固まってましたからね。もっと自分のお体は大切にしてください」

「むぅ、時には体を労わらねばという訳か……アス、ありがとう」

「フッフッフ、お師様仕込みの整体術です。またのご利用お待ちしておりますよ」

「そうか? ならライアー、お前も受けるといい」

「えっ!?」


 ベルゴの提案に驚くアス。何驚いてんねん、驚いてるのは俺の方だわ。完全にさっきの意趣返しだろう。


「いやいやいや、待つんだアスくん。俺は別にどこも悪くなんかしていない」

「で、でも四六時中鉄仮面被っている方が正常とは思えませんし……」

「クソッ、ぐうの音も出ねえ正論ぶちまかされた!」


 確かにそうだわ。

 起きている時も寝ている時も病める時も健やかなる時も鉄仮面ライフな俺が、常人と同じ体の具合であるはずがなかったわ。


「なんか、言われた途端肩が凝ってきたような……」

「ほ、ほら! やっぱりライアーさんは体の具合が悪いんですよ! 私が治療して差し上げます!」

「嬉々として体調不良宣告される俺の身にもなって?」

「まあまあ! わたしの手に掛かればどんな諸症状もあっという間に治りますから!」


 鼻息を荒くしながらにじり寄るアス。

 最早逃亡は出来ぬと悟った俺は、諦めて客室に備え付けられたベッドの上に寝転がった。


「じゃあ頼むわ。ま、言うても俺様ピチピチの二十歳よ? 凝ってるとは言えそんな大した痛みじゃ──」

「あっ、硬。肘でいきますねー」

「早速手以外が出ぁーーーッ!?」


 開始一秒でウィークポイントにぶちまかされる肘鉄。俺は死んだ。


「痛い痛い痛い!? 人体から鳴っちゃいけねえ音が鳴ってる!!」

「さっきのオレと同じセリフを吐いているな」

「あ~、やっぱり凝ってますね~。肩甲骨もだいぶ硬いですし、膝でいきますね」

「膝!? 膝って何!? 嫌な予感しかァーーーッ!?」


 膝でいくと告げられた直後、俺は何故かベッドではなく天井を仰いでいた。

 両腕を引っ張られながら肩甲骨のど真ん中に膝をぶち込まれる海老反りに、体中がボキボキと何かが壊れていく音が鳴っている。


「待って壊れちゃうぅー!? アタシの体おかしくなっちゃうー!?」

「アハハ、大丈夫ですよ~! ──すぐ癖になりますから♡」

「アスくん!? アスくん!! 貴方存外サディスティックなのねェ゛!?」


 それから俺はアスにいいように体を弄ばれた。

 頭の天辺から足のつま先に至るまで壊れるくらい弄ばれた俺の肉体は、ホカホカと上気し、じっとりと汗ばんでいる。アスもアスで、何故かホクホク顔で肌もツヤツヤと光り輝いていた。なんで?


「うぅ……アタシもうお嫁にいけない……!」

「お疲れさまでしたー」

「そしてお店のように突き放してくる……!」

「お店ってなんですか!?」


 不潔です! とアスは汗拭き用の手拭いを投げつけてくれた。

 ありがたく頂戴して全身に浮かぶ玉のような汗を拭う──その瞬間、俺は得も言われぬ浮遊感の余り『お?』と口を吐いて出てしまった。


「体が……軽い!」

「ドヤァ!」


 アスが清々しいほどのドヤ顔を浮かべる……が、それに値するべき仕事ぶりではあった。こいつ、別に宣教師とかじゃなくて整体師としても食っていけるのではなかろうか?


「ウッヒョ~! 肩とか背中とか、今までうっすら調子が悪かった場所がすっきりしてるぜぇ~!」

「重いものを身に着けている人あるあるですね」


「……」


「どうしたのだ、アータン?」

「私もちょっとやられてみたいかも……」


 なんとここで名乗りを上げるアータン。

 余程絶賛する俺達の評価を聞き、興味が湧いたのであろう。


「アスさん。私にもしてもらってもいい……?」

「別に構いませんけど……痛いかもですよ?」

「体の不具合は私の責に帰するところだから甘んじます」


「潔っ」


 アータン、そこまで整体に情熱を掛けるとは!

 見抜けなかった、この俺の目をもってしても!


 そこまで覚悟を決められちゃあ、施術するアスも引き下がれない。


「あの……痛かったら言ってくださいね?」

「はい!」

「手始めに肩からでもいきましょうか」


 ついに始まる施術。

 アスの指が肩に触れた瞬間、アータンはギュッと瞼を閉じた。可愛い。


 野郎共の肉体から破砕音を鳴り響かせた地獄の施術ではあるが、少女相手にはどうなるのか──誰もが息を呑んで見守る中、アスの指は鍵盤を叩くかの如く滑らかに折り畳まれた。


 そして──!


 フニフニ。


「……」

「……」

「……アータンちゃん」

「は、はい!?」

「肩は大丈夫そうなので、背中いきますね」

「どうぞ!」


 肩から手を放すアスは、そのまま背中を揉み始める。


 フニフニフニ。


「……」

「ふふっ! ……あっ、ごめんなさい! ちょっとくすぐったくて……」

「大丈夫ですよ。背中も大丈夫みたいなので脚をしますね」

「お願いします!」


 意気込んで返事するアータン。

 アスはそのまま寝転ぶアータンのふくらはぎに指を押し込んでいく。ベルゴにやった時は、砂利を擦り合わせたような音色を奏でた場面だが、アータンのふくらはぎからはそんないかつい音は流れない。


 フニ。

 フニフニ。

 フニフニフニ。


 まるでぬいぐるみでも揉んでいるかのような気の抜ける音──いや、音すら呼べない脳内効果音が鳴り響くのみ。


「……終了です」

「え? もうお終いですか?」

「アータンちゃんは……健康ですね!」

「あ……ありがとうございます?」


 結果、悲鳴や絶叫の一つもなく施術は終了した。


「あれが……健康優良児!」

「オレ達が失った若さか……」

「どうして二人は泣いてるの?」


 それはね、健康とは得てして得難いものだからさ。


 野郎二人、俺達は男泣きするしかなかった。




 ***




 港町から月島まで、船でおおよそ十日掛かる。

 その間、俺達は他の船客と共に穏やかな船旅を楽しむ──訳ゃねえだろ!


「護衛のあんちゃん! 前から魚雷飛魚トルピードフィッシュが出てきやがった!」

「あいよ! アータン!」

「〈火魔法イグニ〉!」

大太刀魚オオダチウオも来たぞ!」

「あいよ! アータン!」

「〈大火魔法イグニス〉!」

「まずい、血獄鮫ヘルマリンだ! なんとかしてくれー!」

「あいよ! アータン!」

「〈極大火魔法イグニエル〉!」


 迫りくる恐ろしい海の魔物。

 一匹でも勝手を許せば船体に穴が空き、沈没は免れない凶暴な魔物ばかり──なのだが、その全てをアータンの魔法が一蹴した。魔法って便利。


「お疲れ様です、アータン大先生! 肩でも揉みましょうか!?」

「くるしゅーない」

「どうぞ、ライムジュースです」

「くるしゅーない」

「お暑いでしょう。団扇をお扇ぎいたします」

「くるしゅーない」


 これには近接主体の野郎共も使用人プレイでアータンを崇めるしかなかった。

 アータンもノリノリで用意された椅子に座りつつ、どこかから持ってきたサングラスを掛け、搾りたてのライムジュースをグビグビ呷っている。

 しかし、そうしてもらえるだけの仕事ぶりなのは事実だ。船には俺達以外にも護衛として雇われた冒険者達が乗船しているものの、大抵の敵はアータンの杖から火ィ噴く奴で勝ててしまう。今のところ活躍の場がなくしょんぼり半分、楽できてラッキー半分といった雰囲気がプンプン漂わせている。


「あの子、大したもんだな……あれで銅等級って本当か?」

「銀……いや、金はあるだろ」

「上級魔法使えるんだもんな。期待の新星ってとこか」


 ククッ、香るわ香るわ。

 アータンを褒め称える空気がなぁ!


「聞いたか、アータン? 皆、アータンのこと凄いってよ」

「どやぁ……」

「あーら、なんて素敵なドヤ顔なのかしら。皆様見てくださる? このほっぺたのまあるい曲線を。ここまで育てたのあたくし達なんですよ?」


『おぉ~』


 ぷりんとしたほっぺの曲線を見せつけてやれば、アータンに注目していた冒険者達も感嘆の声を上げていた。

 アータンも自己肯定感も最近は育ってきている。実に上質な脂が乗ってきた。是非とも彼女にはこのまま自分を愛せるだけの自己肯定感を養ってほしいものである。


 それはさておきここは沖。


「ここまでの船旅は順風満帆……月島まであと五日ってところか?」

「乗ってみたら案外スムーズだったね」

「まあ、アヴァリー教国が公認している航路だ。そうそう問題が起こっても困るのだが……」

「問題と言えば少し気になる話が」


 フラグ染みた発言をベルゴがした途端、団扇を扇いでいたアスが言葉を続けた。


「なんでも近頃、この海域で恐ろしい魔物が現れるとかなんとか……」

「おいおい、チミィ。今更恐ろしい魔物どうこうで話題が沸くとでも? こちとら魔物を一蹴しなさるアータン大先生がいらっしゃるんだぞ!」

「どやぁ……」

「……カワイイ」


 もっちり育ったほっぺを揉みしだくアス。

 このもっちり感には誰も抗えないのである。


「──ではなくてですね。一応慣れない船旅なんですから用心しておきましょうと言いたい訳で」

「それはそう」

「理解早っ」


 そりゃあ……ねぇ?


「人間死んだらやり直せないんだから用心はするさ」

「分かっておられるならいいんですけど……」

「ちなみにその魔物、どんな魔物なんだ?」

「目撃者曰く大烏賊クラーケンによく似た魔物だと」

「なんだクラーケンかよ。だったらぶっ倒してロシアンタコ焼きにしてやらあ」

「ロシアンタコ焼き!? 過去に何をされたんですか!?」

「聞きたいか? 不覚を取った騎士団長がヌルヌル触手プレイに処された一部始終を……」

「不潔でぇす!!」

「痛ぁーーーッ!?」


 ありのままを告げようとしたら『不潔』からのケツキック、略してフケツキックを浴びる羽目となった。


 許さねえ……許さねえぞ、セパル!

 このケツキックの痛みはお前が不覚を取ったせいだ! 今度会ったらケツキックしてやる!


 と、ここには居ない女に怒りを滾らせながらも船は進んでいく。


 しかし、この時の俺達はまだ知らなかった。

 件の魔物──クラーケンらしき魔物は、ただの魔物ではない恐ろしい怪物であることを。そして、その先にあるめぐり逢いを。


「──的なことを考えてたらなんか起こるかな」

「誰に向けて言ってるの?」

「いずれ語り部となる俺」

「へぇ~」


 アータンのスルースキルも随分鍛えられてきた。

 お返しに肩を叩いて振り返ったところに人差し指を突き立てる。今日のほっぺの出来栄えも最高である。


 なんて笑っていたら人差し指を握られた。


 やめて、アータン。折れちゃうから。

 謝るから許して……あ゜。

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