第121話 海難は苦難の始まり




「ゆ~でた、ゆでた、ゆでたまご~♪ たまたまゆ~でた、ゆでたまご~♪」




 誰が歌っていると思う?

 これね、アータン。船に備え付けてある調理場で、お尻をフリフリ振りながらゆでたまごを茹でているのである。


「大将、ゆでたまご一丁!」

「はい、おまちどおさま♪」


 威勢よく注文してみれば、剥き立て熱々のゆでたまごを皿に盛りつけたアータンが駆けつけてくる。フリル付きのエプロンがスカートの裾と共に揺れて愛らしい印象が強い。あのエプロン、ベルゴの自前だけど。


 それはさておき、俺達は船上でご機嫌な朝食と決め込む為に調理場を借りていた。

 中世風の船と聞けば、一見すると劣悪な環境や食料事情を想像しがちであるが、お生憎様ここはファンタジーな世界観。栄養不足で病気になったり、傷んだ食べ物でお腹を壊したりしないよう、食料保存庫は加工した氷魔鉱石による温度管理が行われている。


「船上でお野菜が頂けるなんて贅沢よねぇ……」

「どこのマダムですか?」

「俺の心に住まうマダム」

「ライアーさんの心の中、集合住宅並みに色んな人住んでません?」


 そう言われると否定できない。

 少なくとも俺、ライ子、マダムが住んでいることは確定だ。現在男女比率1:2である……あれ、俺は女の子だったのか?


「まあ、一つ一つの食事に感謝できるのはいいことだ」

「ほら、男手一つで娘を育ててきたお父さんもこう言っている」

「前菜のカルパッチョができたぞ」

「ヤダ。この男手、地中海のかほり……」


 シングルファザーにしてはオシャンティー過ぎる料理が登場した。初めてだわ、朝食に新鮮な魚をふんだんに用いたカルパッチョ出されたの。現代日本でもそうそう得られない経験だぞ。


「クソッ、めちゃくちゃ旨そう……!」

「いやぁ、慣れれば船もいいものだな。特に獲り立ての魚を食べられるところが気に入った」

「昨日のパエリアも美味しかったですしね~」

「ね~」


 アスとアータンの二人は、昨日の食卓を思い出して涎を垂らしている。すっかり彼女達はベルゴの料理に胃袋を鷲掴みにされているようだ。


「ケッ! チャラチャラした料理に夢中になりやがって! それが冒険者のメシか!?」

「別にいいじゃないですか、冒険者がカルパッチョ食べても」

「待ってろ! 俺が真の冒険者メシってのを作ってやる!」

「いや、いいですよ。そんな謎の対抗心燃やさなくても」

「──こちらエッグベネディクトでございます」

「お洒落の権化みたいな単語が出てきたじゃないですか」


 香ばしく焼いたマフィンにベーコン、サーモンの切り身、ポーチドエッグを載せ、その上からオランデーズソースをかけた一品──エッグベネディクト。エッグベネディクトそのものよりポーチドエッグの作成難易度が激高なこの料理は、カルパッチョの並ぶ食卓に相応しいお洒落さはあるだろう。


「これのどこが冒険者メシなんですか!?」

「冒険者の暇な時間を練習に費やしたという意味で」

「冒険者だってあくせく働いてるんですよ……!?」


 ちなみに、このエッグベネディクトに用いたポーチドエッグ──先のゆでたまごのなりそこないである。

 失敗をも糧にする、それが冒険者の流儀よ。


「このソース美味しい~!」

「アータン、これはオランデーズソースだ。バターとレモンの果汁に、卵黄を混ぜたソースでな……」


 アスに冒険者メシの定義について詰められたが、お味の方はアータンより及第点をいただけた。それが何よりである。


 このように充実した食生活を送ること早数日。アヴァリー教国本土である月島も、地平線の彼方にうっすらと見え始めていた。


「あそこが月島か……あ、アジ釣れた」

「意外と大きいんだね」

「アジが?」

「島が!」


 そして、俺達は食後の腹ごなしに釣りをしていた。

 護衛の冒険者は他にも同乗しているから、護衛は持ち回り制となっている。なので、暇な時間はお金を払って借りられる釣り竿で海釣りだ。

 俺達は釣りを楽しみ、しかも新鮮な海の幸を堪能できる。

 船員は釣り竿を貸す金を受け取り、しかも食料も自前で調達してもらえる。まさに一石二鳥の仕組みなのだ。


 釣果を木桶に突っ込んでいれば、今のところ坊主のベルゴが唸り声を上げていた。


「アヴァリー教国か……一度、あそこの騎士達を見た覚えがあるが奇妙な出で立ちをした者達だったな」

「奇妙って……どんなふうにです?」

「なんというか、男なのにスカートのような装いを……」

「……? どうしてわたしをジッと見つめるんですか?」

「スマン、オレの価値観が古いだけだった」


 アスに視線を注いでいたベルゴが釣り竿を上げれば魚が付いていた。

 あの魚は……たしかオジサンだ。おじさんではない。釣り上げたベルゴはおじさんだが。


 さて、ここまでの情報で薄々察せるかもしれないが、アヴァリー教国とはギルシンシリーズにおける日本的立ち位置の国である。


 つまりは……RPGにありがちな日本っぽい国という訳だ!

 過去のアヴァリー教国が舞台であるギルシンⅢのサブタイトルが『強欲の黄金郷エルドラド』なのもそういう理由である。


 先程ベルゴが言及した『スカートのような装い』も、要は袴だ。アヴァリー教国の騎士は武士なのである。

 つまり得物も西洋風の剣ではなく刀。そう刀だ。


 刀!

 カタナ!

 KATANA!


「刀が欲しいィーーーッ!」

「あっ、ライアー。太刀魚釣れたよ」

「お前じゃねェーーーッ!」

「あぁーーーッ!?」


 折角釣れた太刀魚……ではなく、大太刀魚をリリースする。アータンが悲痛な叫びを上げているが、あの魚は鉄臭くて余り美味しくない。元より彼女のご期待に沿える味ではないので無問題だ。


「なんだライアー。お前は刀が欲しかったのか」

「おうよ! 男の子なら──一度は夢見る武器だろ……?」

「いや、知らんが」

「いっつも思うんですけどライアーさんって意外と知識豊富ですよね」

「意外と、か……アス、尻向けろ」

「ごめんなさぁーーーいッ!?」


 俺がいつも蹴られる側だと思うなよ。

 親しき仲にも礼儀あり。俺達は互いにライン越えと判断した場合に限り、ケツを蹴ってもいいという盟約、略してケツ盟を交わしている。


 青い地平線の彼方に、甲高い悲鳴が響き渡る。

 どうだ、アス。お前もあれくらい尻が青い時期があったんだぞ……ん? あれ、アスくん? どうして君はあの赤い変態サンディークみたいに恍惚とした顔でハァハァしてるんだい? アスくん? アスくん??


「刀か……たしか片刃の剣のことだな。思い入れでもあるのか?」

「好きな作品の主人公が持ってた」

「それは……好きになるな」

「だろ~?」


 流石ベルゴだ。男の浪漫を理解してくれるぜ。

 無論、西洋剣も浪漫はある。しかし、それ以上に心の中の男の子が刀を握れと叫んでいるのだ。これこそ大和魂。日本男児に流れる本能という奴だ。


 だが、俺にはついぞ刀を得物にする機会には恵まれなかった。

 というのも、ギルシン世界において刀とはアヴァリー教国を中心に流通している武器だ。手に入れるには実際にアヴァリー教国まで赴かなければならない。

 加えて、刀とはそのほとんどが鍛造。大量生産に向いている鋳造とは違い、一本一本職人が丹念に鉄を打って仕上げている。その為、そもそもの流通量が少なく、それに比例してお値段も中々にお高く……という問題もあった。


「昔、シムローに打ってもらおうとしたけど『カタナなんて打てるか』って突っぱねられちゃった」

「武器と一口に言っても製法は全然違うだろう」


 然もありなん、って感じだ。

 贋作の名工シムローとは言え、作ったこともない刀の贋作を作ることは無理だった。『せめて作り方教えやがれ!』と怒られたぜ。


「じゃあアヴァリー教国に着いたら刀買う?」

「いいのがあったら……な!」


 問いかけるアータンに応えると同時に魚を釣り上げた。釣れたのは赤いイワシの赤鰯アカイワシだった。刀の話をしていたところなのに縁起が悪い。

 八つ当たりに今日はいわしのつみれ汁を作ってやろう。そんなことを考えている最中、甲板の方からどよめきが聞こえてきた。


「なんだなんだ、ヤベぇ魔物でも現れたか? クラーケンとか、クラーケンとか、クラーケンとか」

「何がそこまでライアーをクラーケンに駆り立てるの?」


 初代ギルシンの触手責めスチル絵……かな。

 イベント発生させるのに、いちいちクラーケン相手に負けなきゃいけなかったから、コンプリートが中々大変だった記憶がある。

 それはさておき、俺達は釣りを中断して船首へと向かう。船尾から船首までは徒歩数分も掛からない距離しかない。


「お? ありゃあ……!」

「わあ! すっごい形の島だね!」


 感嘆の声を上げるアータンの言う通り、視線の先には歪な形をした島が浮かんで見えていた。一言に言えば逆三角錐形。どうやって自然に生み出されたか不思議なくらい、今にも折れて倒れそうな形状をしていたのである。


「よお、あんちゃん達! あれを見るのは初めてかい?」

「ああ。もしかしてあれが獄卒島か?」

「おっ、知ってるとは意外と博識だね!」

「アータン! 皆が俺を馬鹿にする!」


 ほぼほぼ他人の船員にさえ『意外と』と付け加えられ、俺は泣いた。アータンはそんな俺の頭を優しく『よしよし』と撫でてくれる。

 これには船員も反省……いや、若干引いている。引くな。先に引き金を引いたのは貴様ぞ?


「わ、悪かった。あんまりこっちのこと知らなさそうな顔だったからつい……」

「許そう」

「許しの反応速度えげつないな。まあ、知ってたんならお連れの方向けってことで」


 その船員は添乗員よろしく今見えている島について解説し始める。


「獄卒島ってのは、ここじゃ曰く付きの島でな。昔は悪さをした罪人の流刑地だったんだが、なんでも島には地獄から這い出てきた悪魔がうじゃうじゃ居るらしい」

「悪魔が!?」

「つっても、あくまで噂だ。そもそもあんな断崖絶壁だ。周りの海も荒れてるし、上陸どころじゃねえってことでお上からは立ち入りすんなってお触れが出てる」


 一瞬悪魔の巣窟と聞いたアータンも、それを聞いて胸を撫でおろす。

 島に上陸できないということは、裏を返せば島から出ることも難しいという意味だ。悪魔が住み着いたところで問題はない──そもそも、問題が出ていたならすでに対応しているだろう。


「だから今じゃこうして観光名所になってる訳よ。あっ、言っとくが近づくのも厳禁だぞ? あの近くにゃ恐ろしい魔物が住んでるって話で……」

「へ~。ちょうどあんな感じの奴か?」

「そうそう、あんな感じの……は?」


 船員は俺が指差す方角に目を向けた。

 そこには海面から顔を覗かせるえんぺらと触手、そして周囲に浮かぶ船の残骸がプカプカと浮かんでおり──。


「──おいおいおいおい!? 本当に出てるじゃねえか!?」

「あ、やっぱりあれ?」

「命に係わる危機感の欠如!?」


 『他人事じゃねえぞ!』と叫ぶ船員が指示を飛ばし、船は魔物の現れた海域を遠回りするような航路を取る。

 しかし、そこへ焦燥した様子のアスが声を上げた。


「待ってください! 人が溺れてます!」

「人ぉ!? こんなところに人なんか……いや……!」

「このままじゃ彼らが! 助けに行きましょう!」


 アスの言う通り、船の残骸近くには数人分の人影が浮かんでいた。

 波に攫われた不幸な漁師か、立ち入り禁止の島に近づこうとした馬鹿か。どちらにせよこのまま見捨てれば海の藻屑。いや、そうなる前に魔物に食われてしまうだろう。


「だ、だが近づけん事情が……!」

「そんなことおっしゃってる場合ですか!」

「おやめなさい、アス」

「えっ、マダム?」

「近づけない事情があるとおっしゃっているでしょう……無理を言ってはなりません」


 窮地こそ心の平静が大事──すなわちマダムだ、マダムの心を持て。

 ……ごめん、適当言った。


「悪いな、船長」

「いや、俺は船長じゃないが……」

「悪いな、艦長」

「訂正しても尚間違ってるわ。仕事のできねえ新人か」

「あんたらに無理強いはしない──けどな!」


 言うや、俺は剣を抜き放つ。

 誰が見ても臨戦態勢──が、四人。俺以外にも魔法使い、戦士、僧侶な見た目の三人もまた己が得物を握り締めて立っていた。


「こちとら勝手に人を助けちまう性分でさぁ!」

「ライアーがね」

「ライアーがな」

「ライアーさんがですね」

「マントヒヒ~」


 満場一致だった。満場一致過ぎて俺はマントヒヒになってしまった。マントヒヒの鳴き声知らんけど。


「おい!? 助けに行くったって、まさか泳いで行くつもりじゃねえだろうな!?」

「いや、俺は飛べるんで」

「あっ、飛べるのか……飛べるのか!?」


 ささっと部分罪化し翼を生やす。鳥人タイプは翼が生えるから便利よね。

 しかし、俺はいいとして他三人は別だ。飛天で滞空はできても、あれは長時間の飛行には向いていない。アータンぐらい魔力オバケでもなければ、すぐさま魔力がすっからかんになってしまうのが関の山である。


「罪器解放──ラーディクス!」

「罪器解放──コナトゥス!」

「罪器解放──ウェルテクス!」


 アスがラーディクスで根っこを山ほど生やす。

 ベルゴがコナトゥスで根っこを削り出す。

 アータンがウェルテクスで推進力を付与する。


 はい、即席小舟の完成だ。しかもエンジン(アータン)付きである。

 これには船員もお口あんぐりだ。


「あ、あんたら……!?」

「そういう訳なんで。行ってきやす」

「待っ……あぁ~、分かった! とりあえず生きて帰ってこい! 話はそれからだ!」

「あいあいさー!」


 俺は空から、三人は海から救助に出発する。

 見送る船員の声と風を受け、俺は空高く飛翔した。そして暴れ狂う魔物を眼下に収める。


「にしても、デケぇクラーケンだな……」


 クラーケンとは一度戦った経験がある。

 その時はセパルやザンなどと一緒に戦ったが、まあまあそれなりに苦労をした覚えがあった。しかし、その時の個体と比べても異常に大きい。そもそもなんか色が違う。クラーケンは普通のイカさんみたいな色味をしているはずだが、目の前の個体はギンギラギンな金属光沢を放っている。


異常個体イレギュラーか?」

「ライア~! どうする~!?」

「救助優先~!」

「分かった~!」


 小舟から頑張って声を出すアータンに応答する。

 目的を履き違えてはいけない。俺達はあくまで救助に赴いたのだ。クラーケン退治は二の次である。


「その為に……もッ──!!」


 翼を折り畳み、急降下。

 一気にクラーケンの下まで接近し、既に抜いていたイリテュムを振り抜く──が。


「硬ッ!?」


 想像以上の硬さ。

 まるで鋼の鎧にでも打ち付けたかのような衝撃が手に伝わる。当然、触腕を切り飛ばせはしなかった。

 しかも、今の一撃で俺を敵と認定したのだろう。謎のクラーケンはギロリと眼球をこちらに向け、無数に分裂した触腕を差し向けてくる。


「チッ! 罪器解放──イリテュム!」


 ご生憎様、触手責めはNGだ。

 小さい触腕は兎も角、大きい触腕は普通の剣では斬り飛ばせない。そこで俺はイリテュムを極太で極厚、そして極大の刃を携えた斧を顕現させる。

 大の大人より一回りも二回りも巨大な斧は、おおよそ人の手に扱える代物ではない。だからこそ俺は抱きしめた斧を重力に任せて振り下とす。


「──巨神兵ネフィリムの戦斧」


 自由落下の刃が、金属の触腕と激突。

 決着は一瞬だった。素材をも再現された巨神兵の戦斧は、ギルシン世界において最重量を誇る金属によって生み出された武器だ。

 斬るのではなく、押し潰す。

 真正面からぶつかった軟体の触腕は、最重量の刃に押し潰されて真っ二つに裂け、勢いを逃そうと曲げたところで千切れて飛んだ。


 それにクラーケンは甲高い悲鳴を上げて蠢く。


「おいおい、イカって鳴くのかよぉおおぐおおおお!?」


 寸前で思い出し、イリテュムを巨神兵の戦斧から戻す。

 あとちょっと戻すのが遅れていたら愛剣が海にドボンだった。そうなったら……俺は海女さんになるしかない。


『──』

「あっぶねえ!?」


 ふざけたことを考えていたら、目の前を炎が通り過ぎた。

 誰の攻撃か──炎の発生源に目をやれば、そこでは謎のクラーケンが触腕より黒煙を立ち昇らせていた。


「……自分からスルメになろうなんて、殊勝なイカさんだこと」

『──!』

「前言撤回!」


 イカが火を噴く。

 そのようなあり得ぬ光景に皮肉を漏らせば、謎のクラーケンの全身より閃光が迸る。


 ありえない──俺の記憶にあるイカ系の魔物の中に、あんな技を扱える種族は存在していなかったはずだ。


「おいおい、レアエネミー登場かぁ!? これだから人生ギルシンはやめらんねえんだ!」

『──』

「っ、爆──!?」


 突如、今度は海面が爆発する。

 周囲を襲う爆風は空に居る俺と、アータン達の乗る船に向かって大波と化して襲い掛かる。


「っ~……! ……気~付いちゃった、気~付いちゃったぁ……♪」


 爆風に煽られながらも、何とか空中で体勢を整える。

 先の爆発は、単に火薬を爆発させたものではない。鷲獅子と化し、視力の上がった俺の瞳は水面にブクブクと浮かび上がる無数の泡を捉えた。


っと……」

『──』

「随分理系なイカさんだな。文系からしちゃ尊敬するぜ」

『──』

「っとォ、あぶねえ!」


 化学を使いこなすケミカルクラーケン。

 電解なんてものは中学校の理科でも習う基本的な知識だ。しかし、それを生物がやるとなるといくつか疑問点が出てくる。


「つまりなんだァ!? このイカさん、電撃使えんのか!?」


 出し惜しみはナシだ。

 〈虚飾〉の罪魔法で幻影を生みだしつつ、相手の視覚を翻弄しようとする。


 だがしかし、相手のケミカルクラーケンはどうやってか俺を認識し、次々に鋭利な形に作り替えた触腕をブンブン振り回してくる。

 おいおい、おかしいだろ。魔王軍の幹部でも初見じゃ見抜けない幻影だぞ。


「ハァ……ハァ……気付いちゃったんだけどさぁ……!」


 翼を羽搏かせながら、俺は眼下のクラーケンと睨み合う。

 すると、さっき斬り飛ばしたはずのクラーケンの触腕は、断面から金属の泡がゴポゴポと湧き上がるや、元通りに再生してしまったではないか。


 いや、


「その魔法……〈錬金魔法アルケミア〉か?」

『──』

「お前、まさか……」


 答えは、ない。

 あるはずもない。

 必要なのは自身の理解。それに伴う警戒心の引き上げ。普通ではない相手と戦う上で抱く固定観念ほど危険なものはない。


「まっ、なんとかするけどさ」

「ラ、ライアーさん!」

「なぁ~んでぇ~すかッ!?」


 予想外のタイミングでの呼び掛けに変な声出ちゃった。ヤダ、恥ずかしい。

 だがしかし、アスの声色からしてただごとではなさそうだ。ケミカルクラーケンから差し向けられる触腕を回避しつつ、アス達が乗る小舟へ視線を寄越す。


 そこには、たった今海より引き揚げられた人影が……。


「……あ」

「この人、が生えてます!」

「……お前の心の弱さが見せる幻覚」

「ではないですよっ!?」


 そう言うとアスは引き揚げた人のおでこに生えた、それはそれは立派な一本角を優しく握り、上下に擦って見せつける。やめい、その動き。動きがアレなせいで今自主規制魔法が発動しちゃってるでしょうが!


「この人、もしかして……!?」

「話は後だ! 今はこの状況を切り抜けるぞ!」

「わわわっ!? イカさんこっちに来てるぅ~!?」

「チィ! 迎撃するにも限界がある……アータン、あの島を目指せ!」


 エンジン役のアータンに指示を飛ばすベルゴ。

 彼が指差す方角にあるのは、船員から何度も上陸禁止を念押しされた島──獄卒島であった。

 最善は一旦元の船まで戻ること。だが現状、ケミカルクラーケン相手に無事切り抜けて撤退することは難しい。




「俺はなぁ……自分よりデカくて硬ぇ敵にゃあ無力なんだよぉ!!」




「大抵皆そうだよ!?」

「アータン急げ! ライアーが引きつけている間に!」

「他の溺れてる人の救助も忘れずに! ライアーさん、頑張ってください!」


 俺がクラーケンと戯れてわちゃわちゃしている間にも、小舟は要救助者を拾い上げつつ獄卒島を目指す。

 夢の国のネズミも追い返すレベルの天然ネズミ返しとなっている断崖絶壁。一見上陸できる場所など皆無のように思えるが……仕方ない。


「アータン、あそこ目指せ!」

「なに!? 何かあるの!?」

「俺の勘があそこを目指せと言っている!」

「じゃあ信じる!」

「心の底からありがとね~~~!」


 俺の体裁もクソもない提案を飲み込んでくれるアータン。本当に大好き。


 やはり信頼!

 信頼が全てを解決してくれる……!


「てめっ、覚えてろよこのケミカルクラーケン! 今度会った時はその足全部切り落としてロシアンたこ焼きルーレットの具にしてやるからな!? わさびととうがらしをたっぷり盛り込んだ地獄の激辛香辛料に喘ぐ貴様の顔が目に浮か──ひでぶッ!?」

「ああ!? 恐ろしく早い滑舌で捲し立てながらライアーが落ちた!?」

「……今だけ……ペンギンになりたい゛ッ……!」

「心が折れてる!?」

「貴方だけの肯定ペンギンになりたい……!」

「よく分からないこと言ってないでライアーも逃げなよ!」


 ケミカルクラーケンに叩き落された俺は、海水でびしょびしょになりながらも、アータンからの声援(?)を受けて再び羽搏いた。

 俺は自分よりデカくて硬くて、そして海中に居る奴には勝てないらしい。勉強になった。




 そして俺達はとうとう獄卒島へと辿り着く──のだったが……。




 ***




 鉄を打つ音が響く。

 魂を吹き込む音色だ。


 ここは神聖な鍛冶場。

 絢爛さとは程遠い無骨で質素な風景が広がっている。だからこそと言うべきか、その中で一際輝く炎の赤と鋼の銀が何よりも目を引いた。


 ここでは炎と鋼こそが主役。

 人はあくまで鋼という主役を飾り、極上の一振りに仕立て上げる着付師のようなもの。


 炎と鋼が反射する光の影に潜む。

 けれども、誰よりも炎と鋼に魅入られた人間──彼らを鍛冶師と呼んだ。


「──邪魔するぞ」


 不意に呼びかける声に、振り上げられた槌がピタリと止まった。


「……なんだ?」

「聞いたか?」

「知らん」


 一刀両断だ。

 まだ主題にさえ入っていないというのに──これには問いかけた側ですら苦笑いを浮かべるしかなくなる。


「……まあ、知らんと思ったから立ち寄った訳だが」

「用がないなら帰ってくれ。今大事なところなんだ」

「分かってる」


 だから要点だけ、と入口に立つ青年は続けた。


「この島にお前と同じ間人げんじんが流れ着いたみたいだ」

「……なんだって?」

「少しは興味湧いたか?」


 そう告げる青年がズイッと玄関を潜る。

 すると、それまで玄関の向こう側に居ることで隠れていた立派な角が露わになった。彼の肌と同じ黒色の、雄々しい二本角だ。

 おおよそ人間からかけ離れたシルエット。

 ニヤリと口角を吊り上げれば、鋭い犬歯──否、牙が覗く笑みを湛えながら青年は改めて呼びかけた。




「なあ──?」




 ザザァン、と。

 島には大波が打ち付ける音色が響き渡った。それがこれより起こる一波乱を示すものかどうかは、まだ誰にも分からない。



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