第117話 一件は落着の始まり




 聖女会談襲撃より早一週間。




 各国の聖女が集う聖女会談を狙っての犯行。

 その実行犯が魔王軍最高幹部〈六魔柱シックス〉ということも相まって、事件はすぐさま大陸中へと伝わり、世間を震撼させるに至った。


 しかしながら、教皇や枢機卿といった教団上層部に死人は出ず、会談の為に赴いていた各国聖女が無事で済んだのは不幸中の幸いであった。

 それでも全く死人が出なかった訳ではない。

 今回の一件で素顔が明らかとなった六魔柱の一人〈我慢のサタナキア〉──彼の能力による大規模洗脳は聖堂騎士団をまんまと二分にし、大規模な同士討ちを発生させた。


 それに伴う殉教者の葬式は、事件が落ち着いてから執り行われる。

 聖女会談についても、事件後意識不明に陥ったリオが快復次第、再び開催される運びとなった。


 そして、今日……聖女リオが目を覚ました。

 ただし、その吉報はまだ誰にも知らされてはいない。


 “彼”を除いては──。


「……本日はご足労いただき誠にありがとうございます」


 場所は聖都の一角に佇む邸宅、その一室だ。

 簡素な外観ながら決して貧乏臭さを感じさせぬ造りは、聖女の住まう邸宅として最低限の威厳を保つ他、一部の熱狂的な信者が様々な贈り物を届けてくれるからだ。


 リオが横たわる寝具もまたその一つ。

 天蓋付きの立派な寝具の枕元には、これまたたくさんのぬいぐるみが敷き詰められている。日々の多忙で疲れ切った聖女を視覚的にも癒す、実に愛らしい風景がそこには広がっていた。


 しかし、まさに今その寝具に横たわるリオの顔色は優れない。

 元より色白の肌はいっそ蒼白と化し、端正な容貌からも疲労の色が拭い切れてはいなかった。


 そんな主を代弁するように、寝具の傍に控えていた近衛──ハハイヤが一歩前に出る。


「横になった状態でのご対応陳謝致します。リオ様はまだ体調も完全には治り切ってないようで……」

「い、いえ」


 入口近くに立っていた人影がビクリと跳ねた。

 聖女リオの影武者を務めていた宣教師──アスは、聖女と団長という教団のトップ・オブ・トップな御仁から頭を下げられ、オドオドとその場で慌てふためいていた。


「あの……体調が優れないようでしたらまた後日でも」

「それには及びません。随分と長い間、あなた方にはご迷惑をお掛けしてしまいました。これ以上、わたしの身勝手な都合で拘束してしまうことは、わたしとしても本意ではありません」

「はぁ」


 目覚めたばかりだというのに澱みなく言い切ったリオに、アスは感心の余り生返事をしてしまった。直後に『しまった!』と口を押さえ赤面するも、時すでに遅し。

 一部始終を目の当たりにしていたリオがきょとんとする。その一方で、ハハイヤは鈴を転がしたような微笑ましい笑い声を響かせていた。


「こういう御方なのです。だから言ったでしょう? 御心配には及ばないと」

「……そのようです。とても優しそうな御方」


 ここに来て初めてリオの強張った表情が綻んだ。

 その時、アスはようやく彼女が緊張していたのだと理解した。それもそうだ。自分が洗脳されて悪行を重ねる一方で、その間にやるべきだった仕事や責任の全てを影武者に押し付けてしまっていたのだ。

 一般的な感性からすれば──聖女の仕事や責任を一般的な感性で考えるのもおかしい話だが──押し付けてしまった相手に申し訳ないと思うのは当然だろう。


「あ、あの! それにつきましては、本当にお気になさらずッ……! 大したことはしておりませんので……」

「……ご配慮痛み入ります。ですがそれはそれ、これはこれ。あなたがわたしの代わりに聖女を務めてくださらなければ、多くの信徒は不安に駆られていたことでしょう。教団を代表し、お礼を申し上げます──誠にありがとうございました」

「あ、あは、えへへっ……」


 素直に礼を言われて悪い思いはしない。

 相手がいっとう美人な聖女ともなれば尚の事だ。ただし、自分がその影武者を演じていた点を踏まえると自画自賛にしかならぬと気づいた時、ニヤケていたアスは真顔に戻った。


 それを見たリオは、何を勘違いしたのか神妙な面持ちを湛える。

 そして、恐る恐るといった様子で……震える唇を開いた。


「では、早速本題に入らせていただきますッ……」

「……はい」

「……この度、わたしは悪魔に洗脳された挙句、教団内部の掌握に加担し……結果的に少なくない数の死傷者を出してしまいました」


 死傷者のほとんどは聖堂騎士。

 洗脳された側とそうでない側。双方の激突は、本来背中を預けて戦うべき仲間に大きな不信と手をかけてしまった悲しみを植え付けてしまった。

 サタナキアに魅了されていたリオが、それを止められたかと言えば限りなく不可能であっただろう。


「そもそもわたしが洗脳された理由も、本を正せば自らの〈罪〉を偽ることを受け入れたことに起因します。まんまと罪派に突かれ、心の隙を生み出してしまったのは他ならぬわたしの責任です」

「……」


 隣で静かに佇むハハイヤも難しい顔を浮かべている。

 ドミティアより聞いた話を信じれば、元々教団内部に潜んでいた罪派が、散々リオが〈色欲〉であると宣伝して引くに引けない状況を作ったことが原因だ。

 当時はリオもまだ幼く、精神も脆かったはず。それで洗礼の儀を務めていた神官──もとい、罪派の工作員の甘言に惑わされたせいだと責めるのは余りにも酷な話だ。


 だが、ハハイヤはあえて口を挟まなかった。

 リオは今、一人の聖女として自分の罪と向き合っている。余計な口出し等不要だ。リオを弁護したいという衝動を必死に抑え、ハハイヤは聖女としての役目を果たそうとする彼女の隣に立つ。


「わたしは……わたしは、今回の件について全てを公表しようと考えています」


 たとえ──リオが破滅の道を歩もうとしていても。


「……全てとは?」

「全てです。わたしの〈罪〉についてもですが、罪派との関わりや教団掌握の件に至るまで……わたしが嘘を吐いたせいで引き起こされた全ての事件について、教団や信徒の皆様にご説明するつもりです」

「それではあなたが……」

「ええ。わたしは聖女から降ろされるでしょう」


 忌憚なき意見を言い放つリオ。

 しかし、その瞳に迷いはなかった。


 自らの罪を受け入れ、罰を受ける。

 それこそが自分が為すべき最初で最後の──否、聖女として最後で最初の役目だと考えたのだろう。


「そこでなのですが……」


 改まった様子で居直るリオ。

 病床に伏しながらも居住まいを正した彼女は、次の瞬間、貴き身分として下げてはならぬ頭を一宣教師へ深々と下げた。


 その真意とは──。




「つきましてはあなたに──本物の〈色欲〉を持つ者であるあなたに、次期聖女のお役目を譲りたく存じます」





 ***




 時は流れて昼下がり。

 事件直後は閑散としていた街並みも、聖女の無事が──否、六魔柱を三人も撃退したという偉業が、詩人や公示人の口より拡散。

 聖女や騎士を讃える英雄譚は、警鐘に怯えていた民衆に勇気と活力を与え、会談前の陰鬱な空気が嘘のように思えるほど町は盛り上がっていた。


 露店も多く立ち並び、中にはドーナツが売られている露店もあった。

 パチパチと鳴り響く油の泡が弾ける音。そして香る甘い匂いに誘われるように、一人の人間が露店の前へと足を運ぶ。


「すみません、これいくつか頂けませんか?」

「あいよ! ……って、うぉ!?」

「どうかしましたか?」

「あ、あぁ……あんたの顔があんまりにもリオ様に似てたからつい。い、一応聞くけど本物とかじゃあ……?」

「ふふっ、よく似てるって言われます」

「そ、そうだよな! だよな! あー、ビックリした!」


 ホッと安堵の息を吐く店主。

 彼の前に立つ美女は、スーリア教国が誇る聖女リオに瓜二つであった。リオと言えば先の聖女会談襲撃においても広場の演説で士気を大いに盛り上げただけに留まらず、率先して大聖堂に取り残された者を救出へ向かったと、大勢の騎士が証言している。


 その勇姿と活躍ぶりから、最早リオへの信仰は聖女というより女神の域に達していた。

 耳を澄ませば、町のあちこちで熱烈な信者がリオについて話している声が聞こえてくる。


「はいよ、お待ち!」

「ありがとうございます! ……あれ? なんだか頼んでいた分より多い気が……」

「サービスだよ、サービス! 姉ちゃんがリオ様にそっくりだからオマケしといたぜ!」

「そんな! 悪いですよ!」

「いいっていいって! 受け取っときな!」

「……ありがとうございます」


 この国では偶像崇拝は禁止されていない。

 店主としては聖女にそっくりな偶像にお供えした程度の考えだ。そんな店主の厚意に甘えた聖女に瓜二つのシスターは、しっかり礼を告げてから露店を後にした。


 その足で向かった先はとある治療院だ。

 ここ数日、この治療院に通い詰めているシスターは、迷いない足取りで病室へと向かっていく。


「──ただいま帰りました」

「お、帰ってきた」

「アスさんお帰……ドーナツ!!」

「わわっ!? もうアータンちゃんったら。ドーナツは逃げませんよ?」

「えへへっ♪」


 シスター病室に入るや否や、ベッドに腰かけていたアータンが飛び込んでいく。

 それを受け止めるシスター──アスは、さながら大木が如き安定感だった。足に根が張っているようにビクともしない体幹は一朝一夕で成せるものではない。


 アスはアータンを抱きかかえたまま、ライアーが上体を起こしているベッドに腰掛ける。それから少女をドーナツで餌付けするや否や『あれ?』と周囲を二、三度ほど見渡した。


「ベルゴさんはどちらへ?」

「夕飯の買い出し」

「ホントもうお母さんじゃないですか」

「それに与っている貴様は娘か? それとも愚息か?」

「息子って選択肢はないんですか?」


 四人は最早疑似家族関係に等しい。

 父(母)のベルゴ、長男のライアー、末妹のアータン。

 そしてアスは次男か長女か見解が分かれるところであるが、本人の熱い要望は無視されて現在皆からは長女扱いされている。アスは枕を濡らした。


 そして、パーティーから長女扱いされる原因となった嘘吐き鉄仮面は、お見舞いにと買ってきたドーナツを、器用に左手で食べている。


「だいぶ腕の調子も良くなってきましたね~」

「まあな。じゃなきゃ、あんな痛い思いした甲斐が……ひぅ゛!?」

「トラウマになってるじゃないですか」


 突如、怯え竦むライアー。

 それを見たアスは『ああ、あれか』とあたりをつけた。


 事の発端は聖女会談襲撃の次の日。

 教団関係者ではない──もとい、教団関係者だけでも治療施設が満杯となった関係上、サルガタナスとの戦いで左腕が千切れたライアーは治療院の世話になっていた。

 罪魔法の応用で幸い接合自体は済んでいたものの、雑な処置では今後の動きに支障が出る──そこで現れたのがだった。


『よう、ライアー。来てやったぞ』

『ゲェ、リーン!?』

『また腕が取れたらしいな。どれ見せてみろ……チッ、やっぱり雑にくっ付けたな。一旦切り落としてちゃんと治してやる。貸せ』

『ちょいちょいちょいちょいリーンさん? 一旦切り落とすってなにかしら? くっ付けた腕ってそんなフィギュアじゃないんですから。いやね、俺もリーンさんを疑ってる訳じゃないんですけれど人としてちょっと心の準備が必要な事柄とかがこの世にはあるもので──』


『リーンさん、やっちゃってください』


『アータン!? アータン!! アーてゃんッ!!』

『ふんぬっ』

『タッカラプト、ポッポルンガ、プピリットパロぉ゛ーーーっ!!?』




『ライアーさぁーーんッ!?』




──ってな感じで、ライアーの左腕は無事元通りになった。


 今なお治療院に入院している理由は、腕を安静にしているのが一つ。血を流し過ぎたことに起因する貧血が一つの理由だ。


「ま、まあ良かったじゃないですか。ちゃんとくっ付いて!」

「そうだよ! ライアーは知らないところで無茶するんだから!」

「うーん、でもなぁ……」

「でもじゃない!」

「うぉ!?」


 ドーナツを頬張っていたアータンは、ここぞとばかりにライアーへと詰め寄る。

 鉄仮面に鼻先が振れるほど顔を寄せるアータン。少女の目尻が微かに潤んでいるのを、ライアーは見逃さなかった。


 そのまま少女は告げる。


「自分を大事にして……」

「……ごめんって」

「謝るんじゃなくって、約束して」


 完全敗北を悟るライアー。

 彼はお手上げと言わんばかりに両手を上げた後、ゆっくり手を下ろして少女の頭をポンポンと叩いた。


「わかった、約束するよ」

「……もし嘘吐いたら」

「嘘吐いたら?」

「またリーンさん呼ぶ」

「ソ゛レ゛タ゛ケ゛ハ゛ヤ゛メ゛テ゛ク゛タ゛サ゛イ゛ッ゛!!」


「どっからその声出してるんですか」


 叫ぶ鶏のような悲鳴を上げるライアー。

 最早彼に抵抗の意思は残されていなかった。屠殺の時を待つばかりの家畜にような諦観に支配された男は、許しを乞うようにベッドの上で土下座を決める。

 これで二度と自分を犠牲にする作戦は立てないだろう。

 満足いく反応を確認し、アータンはフンスと鼻を鳴らし、食べ掛けのドーナツを口の中へ押し込んだ。勝利のドーナツは甘くて旨い。


 閑話休題。


「で、どうだった?」

はんほははひふぇふは何の話ですか?」

「ドーナツは旨いか?」

ほいふぃいふぇふ美味しいです!」

「そうか、よかったな」


 そっちの話ではない。

 アスが頬張ったドーナツを飲み込むまで、しばしの待機時間を挟む。


「お待たせしました。それで何の話ですか?」

「聖女様とのオ・ハ・ナ・シ♡」

「あぁ~」

「どうせ打診あったんだろ? 『聖女にならないか』って」


 ライアーが口走る内容に、三つ目のドーナツを口に運んでいたアータンがギョッと目を剥いた。


──はむはむはむはむ……ごきゅん!


「その話本当ですか!?」

「え、えぇ……それよりもアータンちゃん。食べ物はよく噛んだ方が……」

「だって! アスさんが聖女様になっちゃったら……!」


 その先の言葉を口にするのは憚られたのか、アータンはもじもじとまごついていた。

 もしも聖女となれば、今までのように旅をし続けるなど不可能。アスを仲間としてだけでなく、姉のように慕っているアータンだからこそ、離れ離れになってしまうのではと戦々恐々としていた。


「わたしは……」


 チラリと二人を一瞥するアス。

 アータンは当然として、普段あれほど喧しいライアーでさえ静かに、そして不安そうな眼差しを注いでくるではないか。


 その様子を目の当たりにした時、アスは確信を得た。


「わたしは──」


 自分の選択が正しかったのか、間違っていたのか。




 アスが選び取った道は──。




 ***




「……断られちゃったね」

「そのようですね」

「ハハイヤは知ってたの?」

「いえ」


 ですが、とハハイヤは付け加えて続けた。


「彼ならああ言うだろうと……そんな気はしていました」

「……そっ」


 リオとハハイヤ。

 二人は客人が帰った後から場所を変えぬまま、しかし、二人きりの時間と空間を愛しむように寄り添っていた。

 そのままつい先刻のやり取りを回想しながら物思いに耽る。


『その申し出についてですが、丁重にお断りさせていただきます』


 脳裏に過るリオと瓜二つの顔を持つ青年の姿。

 本来、〈色欲の聖女〉としてリオの地位に座るべきは彼だったはずだ。にも拘わらず、過去に自分がそうすべきであった行動をまざまざと見せつけてきた。


「敵いませんね、あの人には」

「私もです」

「ハハイヤも?」

「ええ……あの御方に説教されたからこそ、私は何が何でもリオ様をお救いする決断を下せました」

「……そっか。じゃあ、感謝しないとだね」


 そう言いながらしなだれかかるリオに、ハハイヤは『本当に』と頷く。


『あなた達は自分勝手なんです!』


 聖女を辞退するアスの言葉は、今でも鮮明に思い出せる。

 そして、その度に思い出し笑いを禁じ得ない。


『自分が悪いだとか、だから命を以て償うだとか! お二人共大層立派なことを仰っていますけれど、それで迷惑被る周りの事を本当に考えていますか!?』

『……これ、私も説教されているのか……?』

『当たり前です!』

『はっ……!』


 傍から見れば美女にしか見えぬ青年は大層ご立腹であった。

 頬を膨らませて腰に手を当てる。プンスコを体現したその姿を前に、稀代の聖女と聖堂騎士団長はひたすらに耳が痛い表情で頷くしかできなかった。


『ご自身が犯した罪で罪悪感を覚えるのは百も承知です! ですけど……で・す・け・ど! だからって、いきなりあなたが聖女を引退する方が世の中大迷惑なんです!』

『し、しかし……かと言って、このまま聖女を続ける訳にも……!』

『いいですか!?』

『ひぃ!?』


 怒鳴ったアスは一息吐く。

 それから今一度大きく息を吸った。その様子を見たリオは、再び怒鳴られるのではとビクリと震え上がる。


 しかしだ。

 次の瞬間、彼女の瞳に飛び込んだのは──笑み。


 それこそ、慈愛に満ちた聖女のように柔らかなで優しげな微笑みだ。


『……罪を悔い改めようとする姿勢そのものは否定いたしません。それは知恵の樹の実を食べた原罪を受け継いだ、全ての人の児としてあるべき姿です』


 だからこそ、と。

 本来聖女となるべきだった者として、アスは深々と頭を下げる。


 今日の日まで聖女を務め上げた、リオというに対して。


『あなたが本当に罪を償う意志があるのなら……不幸しか生まぬ真実は明かさぬままの方がいいでしょう』

『で、ですが……!』

『!!』

『その為の公開処刑です』


 会談の間でリオの名を口に出さなかった理由もそうだ。


 教団や騎士団を掌握したのがリオと判明すれば、たとえ悪魔に洗脳されていた事実を加味しても、対外的な印象が悪化することは避けられないだろう。

 ならば、最初から偽物が暗躍していたことにすればいい。

 罪派との共謀、教団関係者の洗脳、魔王軍の会談襲撃の手引きに至るまで──全てを処刑された偽物に押し付ければ、リオは清廉潔白な聖女のままで居られる。


 あとはこの真相を知る関係者が口外しない限り、聖女リオの地位は盤石と化す。


──偽物として処刑されたアスの名誉を除けば、だが。


『そ──それではあなたがどうなるのです!? あんな事件が起きたからには、わたしの顔に似ているというだけで風当りが……!』

『別にいいんじゃないですか?』

『別にいいんじゃないですか!?』

『その辺はどうでもいいというか……』


 あっけらかんと言い放ったアスに、リオも思わず唖然としてしまう。

 だが、次に言い放たれた言葉を聞いた時、彼女は納得せざるを得なかった。


 その言葉とは、




『だって、わたしにはもう──ちゃんと自分の居場所がありますから』




 胸を手に当て、誇らしげに。

 帰るべき場所がある喜びに満面の笑みを咲かせる青年を前に、最早リオは何も言えなくなったのだった。


『……そう、ですか……』

『ご理解いただけたでしょうか?』

『ええ……とても……』


 頑なに聖女を拒む理由ワケ、その一端を垣間見たリオは素直に引き下がる。


 誰だってそうだ。


 帰れる場所。

 帰りたい場所。

 帰るべき場所。


 全て少しずつ意味合いは違うけれども、人が生きていく上でなければならぬ場所なのだから。

 それを止められる謂れは──ハハイヤの傍らにありたいと願うリオにとってありはしない。しなかったのだ。


『ですが』

『?』

『もしも今後……〈色欲〉の力が必要な時があれば言ってください』


 偽物の聖女は、本物の聖女へ告げる。


『その時は──影武者わたしの出番ですから!』


 あるいは本物の〈色欲〉が、偽物の〈色欲〉へとでも言うべきか。

 運命の掛け違いというものをリオが実感した時、頭の中にある一つの疑問が浮かんだ。


「ねえ、ハハイヤ」

「如何しました、リオ様?」

「もし……もしだよ? もしもわたしが聖女じゃなくて、彼が聖女になっていたら──」

「リオ様を愛します」

「!」


 言い切るより前に、ハハイヤは太ももに置かれていたリオの左手を握った。

 大罪化の代償により老婆のように細く枯れてしまった手だ。それを力強く、愛おしそうに握り締めるハハイヤは、目を見開いたリオに真正面から向かい合う。


「私は……聖女ではなく、リオ様を愛しております」

「ハハイヤ……」

「リオ様……」


 が出来上がっていると察したリオは、途端に赤面して顔を逸らす。


「ダ、ダメよ、ハハイヤ……」

「何故です?」

「だって……わたし達?」


 しかし、無意識の内にリオは唇を噛む。

 その寂しそうな口元を見たハハイヤはと言えば、悪戯気を出した微笑を湛え、そっとリオの顎に手をやった。


 そして、そのまま強引に彼女の顔を自分に向かせる。


「リオ様はお好きなのでは?」

「あ、あれはあくまでああいう本だからであって……!」

「私はリオ様となら喜んで」

「っ……! わっ……」


 私も、と。

 そう言いかけた聖女の唇が塞がれた。


 仄暗い寝室に瑞々しい音が響き渡る。

 重なる二つの影は一つに溶け合い、離れることはなかった。今までの時間を取り戻すようにずっと、ずっと──。




 これは、そう遠くない未来の話だ。

 スーリア教国が誇る聖女と騎士団長が婚約を発表した。多くの信者は歓喜と悲嘆に沸き立ちながらも、その婚約を大いに祝福したという。


 以下、その際挙がったコメントの一つである。




「え!? リオ様の吉事あるんですか!? やったーーー!! え、結婚するんですか!? やだーーー!! でも幸せならオッケーです!!」




 リオが愛されている理由は〈色欲〉だからではない。

 リオがリオであるからこそ、彼女は愛されている。




 掛け替えがないとは、つまりはそういうことなのだ。




 ***




 一方その頃、アータン達は!!



「ア゛ス゛ゥ゛ーーーッ゛!! 俺゛カ゛食゛ヘ゛ヨ゛ウ゛ト゛シ゛タ゛ト゛ー゛ナ゛ツ゛ヲ゛取゛ル゛ナ゛ァ゛ーーーッ゛!!」

「ンッフフフフ! ちょ、ホント、そのダミ声どっから出してるんですかッ……フフフフッ!」

「ノ゛ト゛カ゛……ン゛ン゛ッ゛!! ……喉から」

「明らかに喉やってるじゃないですか!」

「お前達の笑顔の為ならいくらでも喉潰してやるよ」

「なんなんです、その執念!?」




「私゛モ゛ト゛ー゛ナ゛ツ゛食゛ヘ゛タ゛イ゛ナ゛ァ゛!!」




「ア゛ー゛タ゛ン゛!?」

「私にも出来るかなって……えへっ」

「アッハハハハハハ!! ハハ、イヒッ!! ッフフフフ、あ、ダメ!! ツボ……ツボ入っひゃ……お゛ぇ!?」




──馬鹿をやっていた。




「おーい、病院では静かにしろ」

「あっ、ベルゴさ……ンフッフ!!」

「なにを面白がっているのだ……ほら、帰りにドーナツ見かけたから買ってきてやったぞ。皆で仲良く食え」




「「ト゛ー゛ナ゛ツ゛タ゛ァ゛!!」」




「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ──う゛ぉえ゛!?」

「アスぅーーーっ!?」




 そんな時間が、今は何よりも愛おしい。




 ***




 今日もリオの故郷、パルトゥスの村には平穏な日常が流れていた。

 事件が終息し、お祭り騒ぎである聖都とはまさに正反対。


 しかし、この静寂を領主トビアは愛していた。

 亡き妻のことも、彼女の忘れ形見である娘のこともだ。


 家族と故郷を愛すればこそ、やる気はモリモリ湧いてくる。

 だが、時には休憩も必要だ。


 トビアは引き出しから木箱を取り出し、その中にある物をじっと眺めていた。

 母親と子供──妻アザリアと娘リオの血の繋がりを証明する、今となってはただ一つの証拠。




──




 それを眺めるトビアは、ふと窓の外へと目を遣った。


 瞼を閉じれば最愛の娘が──そして、娘に瓜二つだったもう一人の顔が思い浮かばれる。


「……名前、聞いといた方が良かったかな」


 口をついて出た言葉。

 だが、これをトビアは自ら首を横に振ってみせた。


 何故ならそれはの意思に反する行いだから。聖女である娘の名誉を守らんとする想いを、父親である自分が踏み躙る訳にはいかなかった。


 けれども、やはり後ろ髪を引かれる思いがないと言えば嘘だ。


 出来れば名前を聞きたかった。

 もしかすると彼が──。


「……また」


 また彼が来た時のことを思い浮かべる。

 その時は……その時こそ、あの子の名前を聞いてみよう。トビアがそう心に固く誓った時、扉がノックされる音が響き渡った。


『旦那様』

「ん……アンキーラかい?」

『はい。肖像画を納入致しましたので、こちらにお持ち致しました』

「おお、そうかい!」


 興奮を隠せぬトビアが促せば、開かれた扉の奥からゾロゾロと使用人が肖像画を運び込んでくる。

 そのまま部屋に飾られた肖像画を見て、トビアは満足だと言わんばかりに鷹揚に頷いた。


「うん……うん!」


 そこに描かれていたのはリオ──を演じていた名も知らない誰か。

 我が子かもしれない者の肖像画を目の当たりにし、トビアは思わずほろり。涙を零したのであった。




「……いつでもこの家に来てくれていいんだからね」




 またリオを演じながらでも、本当の名を明かした上でもいい。

 ただこの家が彼の帰る場所の一つになればいい──ただそれだけをトビアは願った。

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