第116話 聖剣は浄罪の始まり




──寒い。




 冥々たる暗闇が広がる。

 肌を突き刺すような容赦のない冷たさは、刻一刻と体温を奪い去り、確実な死をリオの脳内に想起させる。


 だが、抵抗は出来ない。

 ここはまるで深海だ。全身には纏わりつく水に似た抵抗感が、リオの藻掻きを嘲笑うように取り押さえている。


──苦しい。

──苦しい。

──苦しい。


 肺は空気を求めている。

 だのに、一寸先も見えぬ闇の中では目指すべき水面も望めやしない。ただ広がる圧倒的な暗闇が、リオを絶望の淵へと追い詰める。


──わたし、ここで死ぬんだ。


 そして、遂にリオは藻掻くのをやめた。


 救いは……疾うに望めなかった。


 洗礼の儀を受け、自分の〈罪〉が〈大罪〉でなかったこと。

 それで罪派に脅され、彼らの悪事に加担してしまったこと。

 遂には悪魔に利用され、多くの人を洗脳してしまったこと。


 全てが許されざる罪だった。

 聖女としても、人間としても。


 許されざる罪を犯した者に与えられるはただ一つ──罰だ。

 きっと、これがその罰だろう。


 そう理解した時、リオは抗うのをやめた。


──嫌だ。


 罪を。

 罰を。

 そして、死を受け入れるのだ。


──嫌だ。


 それが聖女として残された最後の責務。

 数万以上に上る教徒の模範となるべき殉教者として、相応しい最期を遂げるのだ。


──嫌だ。


 呼吸を止める。

 心臓を。

 心も……。


──嫌だ。

──嫌だ。

──嫌だ。

──嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!




──死にたくない!




 意識が完全に闇に沈む瞬間、リオの鼓動は高く跳ね上がった。全身に血が駆け巡り、冷え切った体に僅かながら体温が戻る。

 鼓動は、尚も強く打ち鳴らされている。

 息は吸えない。力も入らない。


 それでも体は──心は、生きたいを叫んでいる!


 思い浮かべる顔があった。

 それは幼い頃より傍に仕えて見守り、時には身を呈して守ってくれた存在。生真面目で、堅物で、ちょっと官能的な文学を嗜んだだけで顔を真っ赤にするような──そんな最愛の騎士である。


──ハハイヤ……!


『まだ生き永らえるつもりか?』


──!


 不意に声が響き渡った。

 耳元で、いや、暗闇全体から囁かれる声は、冷え切ったリオを震え上がらせるには十分過ぎる威圧感を伴っていた。


『あれだけ罪を犯したというのに……度し難い奴め』


──違う……わたしは……!


『どれだけ言い繕うともお前が罪を犯した事実だけは変わらん』


 突きつけ、突き放す。

 周囲は何も見えないというのに、リオは一層自分が暗黒の底へ沈んでいくような感覚を覚えた。ズシンと腹の底に伸し掛かった重みは罪悪感だろうか?


 罪悪感が増すごとに深度は深まる。

 底の見えぬ闇に底が見えた気がした。きっと底に着けば自分は死ぬのだろう──そう直感した。


──わたしは……。


『諦めよ。最早誰もお前の帰還など望んではいない。お前の代わりなどいくらでもいるのだからな』


──代わり……?


『そうだ』


 ヌルリと頬を滑る感触。

 それはそのまま前へと回っていき、空気を求めて必死に喘ぐ口元を押さえつけた。


『お前に帰る場所なぞ……既にない』


──……嘘だ。


『お前が死にさえすれば万事丸く収まるのだ』


──噓だ。


『このまま死んでいなくなれ、聖女リオよ。お前に残された責務はそれだけだ』


──嘘だ!


 藻掻く、藻掻く、藻掻く──。

 だが、全身に纏わりつく力は想像以上に強かった。藻掻こうにも藻掻けない。生きようとする意志を挫く、頑なな悪意が透けて見えるようだった。


 諦めたくない!


 そうリオは自分を奮い立たせるが、延々と纏わりついてくる悪意に、とうとう余力は──生命の火は消えかけていた。


──……ハハイヤ。


 もう一度、最愛を思い浮かべる。


 あの人が守ってくれれば。

 いや、守らずとも傍に居てくれさえすれば、いくらでも生きようとする意志は湧いてくるのに。




 ここには──彼女が居ない。




『そうだ。お前が捨てたものだ』


 邪悪な笑みを湛え、悪魔は事実を突き付けた。


──そうか。


 気付いてしまった。


 自分の犯した罪は、取返しの付かない過ちだ。

 救われたいと願うなど、なんと厚顔無恥で烏滸がましいものか。


──わたしはハハイヤを……。




 最愛を切り捨てたのは……他でもない、自分だったのだ。




──ハハイヤ……。


 再び意識が闇に沈みかける。

 もう一度、彼女の顔を思い浮かべようとした。




 けれども彼女は……二度と目の前には現れなかった。




 ***




 大聖堂前広場。

 普段は敬虔な信徒や住民が和気あいあいとする憩いの場は、今や大聖堂より逃げ出した教団員や騎士達の緊急避難所と化していた。


「誰か! 血を止められる物を持っている者は居ないか!」

「意識はあるか!? しっかりしろ!」

「ああ……なんということだ……」

「歴史ある大聖堂が、こんな……」

「これは……神罰なのか……?」


 必死になって負傷者の手当をする者。

 現実を受け入れられず立ち尽くす者。

 ただただ膝を折り、祈りを捧げる者等々……三者三様を呈する広場は、まさしく混迷を極めていた。


「クソッ! 聖女はご無事なのか!?」

「大聖堂があのような状況では、ひょっとすると……」

「おい、滅多なことを言うんじゃない!」

「でも実際そうだろう!?」

「やめろ! こんな時に!」


 好転の兆しが見えぬ事態に焦燥を覚える騎士達の諍いも、あちこちで見え始める。


──不味いな。


 中には辛うじて冷静さを保つ騎士も、勿論居た。

 しかし、やはり解決の糸口が見えぬ事態を前に、焦燥は募っていくばかりだ。


 聖女達の安否は?

 あの大樹は何だ?

 侵入者の行方は?


 解決していない問題ばかりが積み重なる。


(……聖堂騎士の名折れだな)


 常日頃より鍛錬を積み重ねていてもこれなのだ。如何に統率の取れていない騎士が烏合の衆であるかを思い知らされ、騎士の心は挫けていく。


 一人、また一人。

 一人の心が折れる度、連鎖的に誰かの心も折れていく。人一人が支えとなれる人数など高が知れているのだ。


 そうして人々の心には暗雲が──絶望が立ち込め始めた。






「皆様、ご清聴願います!!」






 その時だった。

 広場に澄み渡る凛然とした声に、誰もが耳を傾けた。


「……リオ様?」


 その声の主は広場の先──大聖堂へと繋がる石階いしばしの最上段に立っていた。

 汚れた修道服を身に纏う聖女の姿がある。空色の双眸は僅かな日差しを浴びて光り輝き、桜色の長髪は生温いそよ風にも煌びやかな光沢を反射させ、宙に泳いでいた。


 誰もが目を奪われる美貌。

 この国に住まう者なら知らぬ者は居ないと言っても過言ではない存在。


 聖女リオが──そこには存在していた。


「見ろ! ハハイヤ団長も居るぞ!」

「なんと……!? 反逆罪で囚われていたのではないのか!?」

「な、何がどうなっているのだ……!?」




「静粛にッ!!」




『!!』


 罪人として囚われているはずの団長の出現にどよめく観衆。

 しかし、ハハイヤの怒号染みた呼び掛け一つで、観衆は一斉に口を閉じた。


「これよりリオ様よりお話を賜る!! 楽な姿勢でいい!! 怪我人は治療を受けながらでもいい!!」

「団長……」

「──少し、ほんの少しだけでいいのです」


 背筋の伸びるハハイヤの声音とは打って変わり、労わるような聖女の声音が琴の音のように人々の耳と心を優しく揺らす。最早、耳を傾けない者は誰一人存在していない。


 聖女の御言葉を拝聴する部隊は整った。


「ありがとうございます」


 そう前置いてから、聖女は口を開いた。


「──皆様もご存じの通り、わたしは一時行方を晦ませておりました。それは全て罪派の……延いては、彼らと共謀していた魔王軍の手先より逃れる為に他なりません!」


 のっけからの爆弾発言に、流石の騎士達も騒然とし始める。

 だが、即座にハハイヤが鞘の先端を地面に打ち付けたことで、場は静まり返った。


「まずは皆様に多大なご迷惑とご心配をお掛けしてしまったこと、心より謝罪致します」


 深々と頭を下げる聖女。

 これには騎士達も目を剥いた。何故なら、本来聖女ほど貴い身分の人間が騎士に頭を下げることなどあっていいものではない。たとえ謙虚を美徳とする聖女であろうと、それには変わらなかった。


「リオ様……」

「しかし、このように聖都へ舞い戻ることが叶いました! 会談に赴いてくださった聖女の方々の避難も完了し、聖都に侵入した悪魔──六魔柱も退けました!」

「なんと……六魔柱を……!?」

「これは偏に、勇敢で勤勉な我らが騎士達の尽力に他なりません! 誠に、誠にありがとうございました!」

「そんな……我々はただ……!」


 聖女直々の労いにある者は涙し、ある者は感動に打ち震える。

 それほどまでにスーリア教国において、聖女リオという存在は大きかった。彼女こそ教皇に並ぶ──否、ともすれば教皇以上の影響力を有するスーリア教国の精神的支柱だ。


 だからこそ、彼女の言葉は何よりも価値を持つ。

 力を持つ。

 何より──勇気を湧き上がらせる。


「ですが聞いてください!」


 しかし聖女は続ける。

 ここからが本題だと、そう言わんばかりに語気を強めて。


「今、我が国は未曽有の危機に陥っております! ご覧の通り、伝統ある大聖堂は今や魔王軍の手により見るに堪えない有様です! どうにかしようにも、最早侵入も容易ではない状況……ですが! あそこには今! 救いを求めている人間が取り残されています!」


 目尻に涙を湛え、聖女は訴える。

 その姿を見た瞬間、騎士達の胸の中に何かが灯った。


「取り残された人の中には一人の女性が居ます!! 彼女は愛する者の為に罪を犯し、それを心より悔いている御方です!!」


 一人、騎士が立ち上がる。


「罪は罪!! その通りです!! 犯した罪を償われるべきでしょう!! しかし、しかしです!! 償う時間さえ与えられず死んでいい道理が果たしてあるでしょうか!?」


 二人、騎士が剣を取った。


「誰しも罪は犯します!! しかし、罪を罰するのも!! 許すのも!! 全ては命があっての物種ではないでしょうか!? 償いとは──明日を生きてこそではないでしょうか!?」


 三人、固く心に誓いを立てる。


「どうか彼女が償えるように……償って、明日を笑って生きる為に!! どうか皆様、ほんの少し!! ほんの少しだけわたしに力を貸してはくださいませんかっ!?」




『おおおおおおッッッ!!』




 聖都中が震えた。

 警鐘や悲鳴を覆い尽くす、猛々しい雄叫び。それを上げたのは他でもない、聖女の演説を耳にしていた騎士達であった。


「リオ様に力をお貸しするぞぉー!!」

「民の為、命を懸けることこそ騎士の誉れ!!」

「薬草食ってる場合じゃねえ!!」


 怪我を負っている騎士も、そうでない騎士も次々に再起する。

 一度は心の折れた騎士達も、聖女の呼び掛けを受けるや否や、鍛冶師に叩き直された剣の如く真っすぐ立ち上がっていた。

 ここには最早、折れた剣など一本たりともない。

 彼らこそ民草を守護する剣であり、盾であった。


 それをたった一人の聖女が思い出させた。


──そんな光景を後ろから見守る人影が三つ。


「ヒュ~♪ 中々聖女がサマになってたぞ」

「……こんなの最初で最後ですよ」


 開口一番、茶化してきた鉄仮面に聖女──アスは苦笑を禁じ得なかった。


「でも、すっごいカッコよかったです!」

「ああ。聞いているこちらが鼓舞される演説だったぞ」

「あはは……」


 続けて口を開くアータンとベルゴ。

 彼らにも褒められたところで、ようやくアスも満更でない表情を湛えるに至った。


 演説していた人物は本物のリオではない。影武者のアスだ。

 だが、影武者などとは露ほども思っていない騎士達は、今なお地鳴りのような歓声を聖都中に響かせていた。


「士気は完璧か……」


 聖女の影武者、その面目躍如と言ったところか。

 今までの失態を覆しうる大活躍を前に、隣に佇んでいたハハイヤも思わず微笑んだ。


──あのまま一人で向かっていたら、こうはならなかった。


 ますます自分が人に恵まれているとハハイヤは自覚する。

 そして次の瞬間、騎士団長たる彼の双眸はカッと見開いた。


「──聞け、皆の者!!」


 凛然たる騎士団長の声を受け、瞬く間に騎士達は勇ましい顔つきと化す。


「動ける者は私に続け!! これより我らの拠り所を縛り付ける忌々しい大樹を取り除くッ!!」

『おおおおおっ!!』

「団長!! ただいま参りました!!」

「ルフールか!!」


 ちょうどいいところに! とハハイヤは振り向いく。そこには聖女の避難誘導に当たっていたルフールが各隊長を引き連れて現れたところだった。


 役者は揃った。

 後は聖女を救い出すまでの役目と演目をこなすばかり。


「いいか、時間との勝負だ!! 突入する役目は私を含めた少数精鋭が請け負う!! 各員、部隊長の指示を仰げ!!」

「あのぉ~、団長? じゃあ副団長の僕は誰に指示を仰いだら……」

「貴様は我々に同行だ」

「あひぃん」


 哀れルフール。

 失敗すれば地獄への片道切符となる突撃部隊へ、さらりと編入されたのだった。それも彼に実力があるが故だ。致し方ない。


 一方、指示を受けた団員の動きは迅速だった。

 招集された各隊長を中心に部隊の編制や配置、負傷者や非戦闘員の避難が瞬く間に完了していく。


 そして、いよいよ突入タイミングは目前となった。


「団長!!」

「どうした? 何か問題か!?」

「城門に蔦が絡まり、内部に侵入することができません!!」


 報告に来た騎士が指し示す先──大聖堂の入り口である大きな城門。

 普段はスーリア教の懐の広さを知らしめるよう門戸を開いているはずのそれが、今や大聖堂深部より伸びてきた蔦が絡みつき、押しても引いてもビクともしない鉄壁と化していたのだ。


「いかがなさいますか? このままではとても突入など……!!」

「問題ない」

「え?」

「既に──策は立てている」




 ゴゥッ!!




 石階を上り切った先──大聖堂城門前に風が吹きすさぶ。その中心には一人の少女が佇んでいた。

 身なりからして騎士ではないことは一目瞭然だ。しかしながら、少女より溢れる魔力と……何より掲げた槍の穂先で渦巻いている巨大な水の塊が、彼女を只者ではないと周囲に知らしめていた。


「い、いいんですね!?」

「はい! よろしくお願いします!」

「全員の魔法を撃ち込めだなんて滅茶苦茶言ってくれる……ったく!」


 そして、彼女を取り囲むは〈鋼鉄の処女〉が誇る聖歌隊の面々だ。

 誰も彼もが魔力を高め、魔法を繰り出そうと照準を定めている。


 ただし、狙い澄ます先は硬く閉ざされた城門ではない。


「今だ、放てぇー!」


 少女──〈嫉妬のアータン〉が掲げる膨大な水の塊目掛け、無数の魔法が殺到する。

 普通に考えればこのまま水の塊は爆散。辺りを水浸しにする水しぶきと化すだけだ。


 だが、


 〈嫉妬〉の力は二つ。

 〈堕天〉は自分より強大な敵と相対した際、彼我の差に比例して自分の魔力を増幅させる。格上との対峙に真価を発揮する“個”の力だ。

 対して〈昇天〉は違う。こちらは“軍”。味方の魔力を増幅させる〈昇天〉の力は、味方の数が多ければ多いほど全体的な戦力は向上する。


 第一段階がここまで。

 第二段階からが本番だ。


 大勢からの魔法を浴びる水──否、魔力の塊が膨れ上がる。

 そのサイズは加速度的に膨らみ、最終的にはおおよそ十倍近くまで巨大化するに至った。


 これこそが〈嫉妬〉──その〈昇天〉の真価だ。

 強化した味方の力を結集し、一つの強大な力へ昇華させる。時と場合によっては〈堕天〉以上に力を発揮する様は、人への感謝を忘れぬ美徳があってこそ為せる御業だ。




 斯くして準備万端なアータン──万端アータンは完成した!




「〈海蛇神の八叉大水魔槍レヴィアタン・オクト・オーラハスター〉ァーーーッ!!』




 大勢の助力を得て魔法は完成する。

 宙で渦巻いていた水の塊は、罪器ウェルテクスを指揮杖タクトのように振るうアータンに従って動き出す。


 渦は流れに。

 流れは龍に。

 そして、龍は八岐に裂けて八頭の龍と化した。


 八つの顎は間もなく城門に辿り着く。

 蔦が絡みつき、一切合切をお払い箱となす不動の鉄扉だ。しかし、その鉄扉も大海嘯の如き八岐大蛇の超質量により押し流された。

 轟音を響かせ、蔦を引き千切りながら鉄扉は開かれる。中に犇めいていた蔦も圧倒的波濤を前には無力であった。瞬く間に押し流されては通路の奥までの道は切り開かれたのだった。


「よし、今だ!! 突撃するぞ!!」

「アータンはここで蔦の迎撃だ!! 頼んだぞ!!」

「任せて!!」


 それから『気を付けて!』と告げるアータンのエールを背に、突入部隊は正面からの侵入を果たす。


 突入部隊は五名。

 〈鋼鉄の処女〉からは団長ハハイヤと副団長ルフールが。そして、本来関係のない部外者のライアーとベルゴ、そしてアスが加わることで部隊は編制されていた。


「目指すは会談の間だ!! 急ぐぞ!!」

「最後に聖女様を見かけたのがそこだってか!?」

「ああ!!」


 最低限の処置を受け、辛うじて動けるまでに回復したハハイヤが先導を務める。

 大聖堂の案内だけであればルフールでもできるが、この役目だけはハハイヤが頑なに譲らず、他の誰もそれを止めはしなかった。


「頼む……間に合ってくれ!!」


 祈るように唱えるハハイヤ。

 しかし、そんな彼の行く手を阻むように前方より蔦が現れた。


「チィ!! 邪魔だッ……!!」


「団長!! ここは僕が……」

「オレが露払いする!!」

「あぁん……」


「なぜに喘いだ?」


 カッコよく露払いを請け負おうとしたルフールであったが、一足早くベルゴに蔦を細切れにされた。そのせいかは知らないが色っぽい吐息を漏らして喘いだことをライアーに指摘されたが、だからといって誰も詳細な回答は望んでいなかった。


 その証拠にと言ってはなんだが、ベルゴは迷いない太刀筋──聖霊との協働で迫りくる蔦を次々に切り落とす。


「聖女までの道はオレ達が開こう!! ハハイヤ殿は、聖女を救うことだけを考えていろ!!」

「ベルゴ殿……かたじけない!!」

「僕も忘れないでくださいよぉ~」


 ベルゴに負けじと、ルフールもハハイヤに迫る蔦を切り落とす。


「団長の露払いは本来副団長ぼくの役目なんですからね」

「ルフール……!!」

「聖女救出の大役なんて僕にはとても担えそうにありませんし。そこんとこはちゃあんと団長にお譲り致しますよ」

「お前という奴は……!!」

「その代わり、最小限自分の役目はしっかりこなさせていただきますよっと!!」


 実に頼りなく頼もしい言葉にハハイヤは苦笑を禁じ得なかった。

 誰も彼もが自分にはもったいない──実に素晴らしい誇り高き騎士だ。つい先ほどまで聖女を守るという任を忘れ、自分本位に死に赴こうとしていた自分が恥ずかしくなるほどだ。


 そんな彼らに報いる為にも必ずリオを救わねば──また一つ積み重なる想いが、今にも倒れそうなハハイヤの体を突き動かす。


「──見えた!! 会談の間はあそこだ!!」

「あそこぉ!? 蔦で何も見えねえぞ!!」


「オレに!!」

「僕にお任せを!!」


 この惨状の根源が目の前まで迫るが、分厚く絡み合った蔦が鉄格子よりも固く進路を塞いでいる。

 そこへ飛び出たのはベルゴとルフール、二人の騎士だった。


「──〈至高天しこうてん〉!!」

「──〈月剣宮ワギナ・デンタータ〉!!」


 聖霊と聖域。

 種類の違う二つの刃が、目の前に立ちはだかる一切合切をバラバラに切り裂いた。そうして視界は切り開かれ、景色を埋め尽くさんばかりに蠢動する蔦が目に入った。


 だが、ハハイヤの視線はある一点にのみ注がれていた。

 まるで囚われの身。数多の蔦に雁字搦めにされるは、血涙を流し、虚空を見つめている一人の聖女だった。


「……リオ様」


 反応は、ない。

 それだけ確かめたハハイヤは突入から柄に置いていた手に力を込める。


「今──お救い致します」


 抜剣。

 鞘より抜き放たれた白銀の刃は、天井をも埋め尽くす蔦の群れによって陽光を遮る室内において、一条の眩い光を閃かせた。


 さながら、己が希望だと。

 そう聖女に報せるかの如く。


 ピクリとリオの周囲が蠢いた。

 敵意──あるいは、殺気を感じとったのだろう。一つ一つが鉄槍よりも硬く、そして鋭い穂先を携える蔦が一斉にハハイヤの方に向いた。


「ハハイヤ」

「ええ」

「……作戦通りだ。まずは俺がで大罪化を食い止める」


 ハハイヤの隣に並び立つライアーは、右手に握った清浄なる輝きを放つ聖剣を掲げる。


「あとはアンタがリオに掛かった魅了を解くだけだ……どうだ? 簡単な作戦だろ」

「まったくです。ここに来るまでの道程を思わなければですが」


 実に二十年。

 罪派の、悪魔の、そして大罪の呪縛よりリオを解き放つ為に、それだけの年月を費やしてしまった。


 だが──彼女を苦しめるしがらみの全ては、今日ここでケリをつける。

 その為にハハイヤはここに来た。


「──告解しよう」


 ハハイヤは名乗りを上げる


「我が〈シン〉は〈不義ふぎ〉」


 我こそが聖女の騎士だと。

 我こそがリオの騎士だと。


 その為の──これはだ。




「私は──〈不義ふぎのハハイヤ〉!!」




 今一度罪化するハハイヤに凶器と化した蔦が殺到する。回避の余地は残されていない。


「〈月剣宮ワギナ・デンタータ〉ッ!!」


 だからこそ切り拓く。

 展開されたハハイヤの〈聖域〉の境界に触れた途端、無数の蔦はバラバラに切り裂かれる。


「後ろの蔦はオレ達に任せろ!!」

「団長達はリオ様を!!」


 背後から迫る蔦はベルゴとルフールが対応している。

 二人は前だけを──リオだけを見ていればいいと暗に伝え、ハハイヤとライアーもまた力強く頷いた。


 同時にハハイヤは〈聖域〉の範囲を広げる。

 〈月宮剣〉は境界に触れた対象を迎撃する〈聖域〉。範囲を広げることはそのまま安全圏を──リオまでの道を切り開くことに直結する。


 満身創痍のハハイヤにとって〈聖域〉の拡大は容易いものではない。ともすれば命に係わると言っても過言ではなかった。


「お゛お゛お゛お゛お゛ッ!!」


──それがなんだ!!


 血反吐を吐かん勢いで咆哮するハハイヤ。

 鬼気迫る形相で〈聖域〉を押し広げる彼の御業を前には、あれだけ殺到していた蔦の群れも再生が追い付かず──もしくは恐れをなしたのか、一瞬動きがピタリと止まった。

 その瞬間をハハイヤは見逃さない。


「ライアー殿ッッッ!!」

「応!!」


 この時を待っていたと言わんばかりにライアーが駆け出す。


 向かうは聖女の下。

 剥けるは聖剣の類。


(こいつをリオに──!!)


 浄罪の聖剣とは、全ての罪を洗い流すとされる伝説の罪器。

 如何に罪深き魂をも洗い流すこの聖剣は、まさしく暴走した大罪化によって命を落とさんとしている聖女を救うに相応しい剣と言えよう。


(よし!!)


 届く。

 聖剣の切っ先はリオの罪冠具──首輪目掛けて突き出された。あとは魔力を流し、聖剣の罪器としての権能を発動しさえすればリオの罪は洗い流される。




──キィン。




 虚しい金属音が木霊した。

 ライアーの、ハハイヤの、後ろで奮闘していたベルゴとルフールの視線さえも、に誘導される。


「なっ……!?」


 愕然としたライアーの声が遅れて響いた。

 彼が目にしていたのは弾かれた聖剣がヒュルヒュルと空を切りながら宙を舞う光景。間もなく聖剣は地面に墜落し、床面を蠢く蔦に飲み込まれる。


「そんなッ……!?」


 慄くライアーが視線を戻す。

 聖剣を弾いたのは他でもないリオだ。正確に言えば、聖剣が突き立てられる寸前にリオの口から飛び出た蔦だった。

 その蔦は間もなく二股に裂け、リオの口角を吊り上げてみせる。

 無理やり表情を作られたリオは、依然として血涙を流しながら空虚な笑顔を取り繕わされていた。


 そこには彼女を裏で操る邪悪で、陰湿で、そして傲慢な悪魔の影が透けて見えるようだ。


「クソッ……!!」


 聖女を救う唯一の術は手を離れてしまった。

 ここから蔦を掘り起こし、呑み込まれた聖剣を拾い上げようとなると相当時間が掛かる。その間にも〈聖域〉を展開するハハイヤには負担を強いるし、後ろのベルゴとルフールについても同様だった。


「チクショオぉーーーッ!!」


──希望は絶たれた。


 悔しさと怒りの余り、ライアーは拳を握り慟哭を上げた。






「──なぁ~んて言うとでも思ったか、ぶわぁ~鹿






 それは聖女の背後に隠れる悪魔に向けての言葉。


「お前の性悪でまっくろくろすけな腹ん中は全部──お見通しなんだよォ!!」


──種明かしの時間だ。


 ライアーが鉄仮面の奥に佇む瞳を悪戯っぽく歪めれば、景色が塗り替わる。

 瞬間、意識がないはずのリオが動揺の息を呑む。背後に潜む悪魔の動揺を反映するかのような反応だった。




 ライアー──その手に聖剣はない。




 ベルゴ──未だ背後の蔦と応戦中。




 ルフール──〈聖域〉で迎撃中だ。




 ハハイヤ──




「ハハッ」


 汗だくで〈聖域〉を展開するルフールが、ちらりと聖女の目と鼻の先まで迫っていた団長の後ろ姿を見遣った。


「こんだけ無理させたんです……」




──きっちりリオ様救ってくださいよ……!




 限界を超えたルフールが膝を折る。

 それでも尚、〈聖域〉は張られ続けている。それが自分の役目だと言わんばかりに。


(チャンスは一度切りだ)


 は長続きしない。

 リカバリーの時間も考慮すれば、リオに聖剣を突き立てられるチャンスは一度だけというのがフィクトゥスの所有者であるライアーの見立てだった。


(決めろよ、ハハイヤ……!)


 万が一にも妨害があった時の為、先にイリテュムを聖剣に化けさせた自分が先行する作戦は功を奏した。〈聖域〉もハハイヤが展開している風に見せかけて、実際はライアーの幻影とルフールの〈聖域〉によって誤魔化し、ハハイヤには体力を温存させていたのである。


 合理性だけを突き詰めるのであれば、聖剣を手に取る人間はハハイヤでなくともよかったかもしれない。


 だがこれだけは。

 聖女を救う役目だけは──!




「行け、ハハイヤぁーーーッ!!」




「お゛お゛お゛お゛ォーーーッ!!」

「ギ ギギッ イ゛ィーーーッ!!」




 絶叫し、聖剣を突き出すハハイヤ。

 それに対し魔獣染みた呻き声を発するリオの背後から、忍ばせていたとでも言わんばかりに数本の蔦が現れる。


「まだあんな数を……!?」


 愕然とするルフール。

 今から〈聖域〉の範囲を調整しようにも、〈月剣宮〉はハハイヤの邪魔をしないギリギリの範囲を攻めている。ここから彼を邪魔しないよう調整するのは、それこそハハイヤ並みの卓越した技量を要する。


 すれば必然、聖剣は群がる蔦に絡み取られる。

 こうなってしまえば聖剣もリオに到達するより前に勢いを殺されてしまう。


「くっ!!?」


 呻くハハイヤ。

 対してリオはニタァと粘着質な微笑を湛えさせられた。


 勝った──と、奴は思い込んだことだろう。


──トッ。


 眼前を過ぎ去る白い影を思い出すまでは。

 激動に次ぐ激動に、リオ越しに戦況を観察していた悪魔は“彼”を見逃していた。


 刹那、白い影がリオの眼前に出現する。

 しまった、と反応する暇さえなかった。


(──力とは、困難や逆境を打ち砕く力)


 一度は止まった聖剣がにわかに動き出す。

 柄尻に添えられた極太の根──否、足によって。


(お師様。きっとわたしの力は、この時の為にあったんですね)


 それは本来ラーディクスを用いて行われるはずの技。

 相手に突き付けた武器を蹴り飛ばす、いわば人力パイルバンカー。




「──〈跛魔の撃剣アスモダイオス・ロ・ケータ〉!!」





 布石に重ねた布石。

 それは分厚く行く手に立ちはだかる蔦の壁を突き破り、とうとうリオに聖剣を届かせるに至った。


「ガ……ガァ ア゛ ァア ァーーーッ ッ!!?」


 リオの罪冠具に聖剣が突き立てられた瞬間、刀身より青白い炎が噴き上がる。

 それは罪に侵された聖女の全身を覆い尽くし、絶叫染みた悲鳴をも飲み込む形で浄罪を続けていく。


「ハハイヤッ!!!」

「ああ!!」


 まだだ。

 浄罪だけではリオは救えない。


(リオ様……!!)


 燃え上がる聖女を前に、ハハイヤは迷わず崩れ落ちる彼女を支えんと体ごと迎えに行く。

 炎は不思議と熱くない。文字通り罪だけを焼き尽くす炎だった。それを理解し──いいや、たとえ熱かろうとも支える気概だったハハイヤは、役目を終えた聖剣から手を放す。


 倒れる聖女を抱き留め、最後の工程に移る。

 清廉な炎より現れ出でる聖女と出来るだけ肌を合わせ──それこそ唇をも重ね合わせ、全身に魔力を纏った。




「──〈魁偉公子の聖鎧シュトリ・アルマトゥーラ〉」




 刹那、ハハイヤの全身を覆うように展開された〈聖域〉が、肌身を重ね合わせたリオをも包み込んでいく。

 これがハハイヤの罪魔法──〈不義〉の権能を司る力。

 燃えるように噴き上がる魔力を精密に操り、〈聖域〉を展開できるようになる、ただそれだけの能力だ。彼はこれを極め、比肩する者なき聖域使いとして名を馳せるようになった訳だが、その中には〈聖域〉を体表や体内に展開する通常では扱い難い技も存在する。


 だが〈魁偉公子の聖鎧シュトリ・アルマトゥーラ〉はそれを可能とする。

 一時サタナキアに操られたリオにより妨害された時とは違う。今は肉体を密着させ、リオの肉体を自身と一体化させている為、展開速度は先とは比べ物にならない。


(リオ様)


 唇に伝わる体温は冷たい。


(リオ様)


 それでも尚、ハハイヤは懸命に注ぐ。

 力を、命を、彼女への愛を。




(リオ様──!)




 永い──永い抱擁の時間は、とうとう終わりを迎えた。






「──ハハイ……ヤ……?」

「……リオ様はやはり寝坊助さんだ」

「これは……夢……?」

「いいえ……ようやく、目を覚まされましたね」






 聖女は永い眠りより目を覚ました。

 同時に大聖堂を覆っていた蔦は、リオの罪を焼き尽くした炎によってみるみるうちに燃え上がり、塵と化していく。

 やがて天井を埋め尽くしていた蔦も、大聖堂を覆う傘と化していた大樹も消え去る。

 すると二人の再会を祝福するように吹き抜けとなった天井から光が差し込んだ。どこまでも明るい、まるで二人の未来を暗示するかのような燦々とした輝きに満ちた日差しだった。


 一方で役目を終えた聖剣──浄罪の聖剣と化したフィクトゥスを拾い上げるライアー。次の瞬間、フィクトゥスはさらさらと音もなく塵と化していった。


「……■■■■■■」


 役目を終えた偽物の剣の最期を見届け、空いてしまった掌をライアーは握り締める。

 拳は震えていた。すでに消えてしまった剣を悼むようだった。


「……ありがとうな」


 消えゆく思い出へ、最後の別れを感謝を告げる。

 聖女を救う最後の鍵となってくれた剣に、最大限の感謝の心も込めて。


「……ま~た親父にどやされちまうよ」


 それと悩みの種が一つ増えた。

 剣の生みの親へなんと言い訳しようか。ケタケタと笑いながら空となった鞘を指でなぞる。




 それから虚飾の勇者は歩み出した。

 これから帰るべき日常と、待ってくれている仲間の下へ。




「さぁて」




 ***




「戻るとするか」


 一人が俄かに口走った。


「……どういう意味だ、サタナキア?」

「どうもこうもそのままの意味だ」


 ここはスーリア教国聖都テンペラン近郊にある丘陵地帯。

 自然と調和する聖都の光景はまさしく絶景。故にここは街道沿いから離れながらも、知る人ぞ知る穴場として多くの旅人に愛される場所だった。


 しかし、ここに居るのは三人の悪魔だ。

 倒れるサルガタナスと、それを自身より伸びる影の手で治療するルキフグス。そんな彼らを置いてサタナキアは聖都に戻ろうとしていたのだ。


「何をするつもりだ」

「なに、ただの野暮用だ」

「その仔細を話せと言っている」


 明確な怒気が解き放たれる。

 直後、周囲の木々より小鳥が飛び立ち、木陰や茂みに潜んでいた動物が逃げ出した。向けられる怒気──否、最早殺気と言い換えてもいい剣呑な空気を前に、サタナキアも堪らずおどけたように両手を上げた。


「まあ待て、考えてみよ。今や聖都は混沌の真っ只中だ」


 六魔柱による聖女襲撃。

 洗脳された騎士の蜂起。

 伝説の聖剣二本の奪取。

 そして、聖女リオの大罪化──トラブルに次ぐトラブルのフルコースに、事実、今の聖都は大混乱に陥っていた。


「今、我輩が聖都に戻れば面白いとは思わんか?」


 ロクな統率が取れていない騎士など烏合の衆に等しい。

 ましてや、こちらが撤退したとばかり思い込んでいるところへの再襲撃など堪ったものではないはずだ。恐怖と驚愕の余り呆然とする間抜けな騎士の顔は、想像するだけでも愉快な気分になってくる。


「奴らは今、大罪化した聖女の対処に追われている。満身創痍もいいところだ」

「……そこを貴様が叩く、と」

鬣犬ハイエナとでも言いたげだな。不服か?」

「いや──」


 ルキフグスは、不意に明後日の方向を見遣る。

 頭上には蒼穹が広がっている。彼にとっては鬱陶しく、そして、忌々しく思えてならない日和だ。


 こんな日は決まって面倒に見舞われる。


──ほら、こうしている間にも面倒は向こうからやってくる。


「……まんまとしてやられて程度でムキになるな。遊んでいたお前が悪い」

「なら、その遅れを取り戻そうではないか」

「残念だが時間だ」

「なんだと?」






「──〈暴食の天鼓ハデス〉」






 青天の霹靂だった。

 雲一つない空より振り下ろされた裁きの剣は、平穏だった丘陵に深々と突き立てられた。轟音と爆音が木霊する。落雷が落ちた地点の半径数メートルの地表は、余りに膨大な熱量によってガラス化現象が起こり、一気に荒涼とした荒野が完成した。


 そこに舞い降りる人影が一つ。

 陽の光を浴び、七色に発光する薄い羽根を広げる全身鎧尽くめの……騎士だろうか。ただし、広げられたにはそれぞれ武器を握っていた。

 スプーン肉叉フォークストロー肉刀ナイフ──おおよそ武器にするべきでない食器を、殺傷し得るサイズにまで巨大化させた代物。


 チリチリと、焼かれた地表が悲鳴を上げている。

 そんな陽炎の中に佇む黒い騎士は幽鬼の如く妖しく、それでいて恐ろしい覇気を辺りに振り撒き、先刻までこの場に居た者共を威嚇していた。


「……逃げたか」

「──〈暴食ぼうしょく〉か」

「フッ!!」


 影より浮かび上がる人影に向け、〈暴食〉と呼ばれた騎士は稲妻を走らせる。

 人一人を焼き殺すには十分すぎる威力を孕んだ一撃。だが、ルキフグスは目の前に影の盾を展開。凄絶なる雷の矛と頑強なる影の盾は激突し、次の瞬間には双方魔力の塵となって霧散した。


「チッ」

「荒っぽい出迎えだな、糞が。いや……〈暴食の魔王〉ビュートと呼ぶべきか?」

「黙れ」


 三度、雷は地表を穿つ。

 明確な殺意に溢れた雷は、次々に現れたルキフグスに向けて降り注ぐ。


「……悪魔風情に与えられた呼び名なんて、ゴミ山一つ分の価値すらない」

「死にに来たか」

「まさか」


 無数の雷撃を受けても尚健在するルキフグスに向けて、〈暴食の魔王〉──ビュートは肉叉を突き付ける。


「オマエ達を、殺しに来た」

「フンッ……成程。やはり貴様は〈虚飾〉と……」

「不敬な奴め」


 言外で納得するルキフグスの傍ら、クツクツと喉を鳴らすサタナキアが歩み出る。


「だが、不敬も度が過ぎれば滑稽か。我々三人を前にして『殺す』などと宣えることはな」

を頭数に入れるのか? なんだ、オマエ達の格も所詮その程度か」


「て、めェ……!」


 死にかけ呼ばわりされたサルガタナスが起き上がろうとする。

 一方でサタナキアもまたビュートの煽りを受け、笑顔で固まっていた。しばらくすればその大胆不敵な笑みも、不穏な雰囲気を隠さなくなり始める。


 一触即発。

 いや、すでに導火線に火はつけられていた。あとはいつ爆発するか、その段階の話である。


「……安い挑発に乗るな」

「ルキフグス先に帰れ。此奴は我輩が始末しておこう」

「話を聞け、塵屑が。そんな時間はないと言っている」


 顎をしゃくり、ルキフグスは再び空を指し示す。




「──〈憤怒ふんぬ〉も来るぞ」




 遥か彼方。

 それは丘陵から一望できる山岳の奥の奥。だがしかし、それほどの距離を離れていても尚、ひしひしと感じる魔力の存在が近づいて来ていた。


 まるで煮え滾るマグマのような。

 全てを焼き尽くさんとする烈しい熱量を伴う怒りの化身は、あと一時間もしない内にここに辿り着くであろう。


 それを察知したサタナキアは──。


「ほう」


 嗤っていた。

 今日一番の笑み。見開かれた瞳の奥には、ゆらゆらと黒く燃え上がる邪悪な炎が覗いていた。


「〈憤怒〉が来るか……! ならば尚の事我輩が……」

「……二度は言わん」

「む!?」


 爛々と瞳を輝かせ、意気揚々と踏み込んだサタナキアの足が、広がる影の沼に飲み込まれた。


「既に俺達は目的を達している。これ以上お前と遊んでいる暇はない」

「それを決めるのはオマエ達じゃない」


 刹那、ビュートの背後に無数の槍が浮かんだ。

 誰もがそれらに視線を奪われる。一つ一つが必殺の威力を誇る雷槍だ。注意を向けないはずがない。




「……掛かったな」




──疑似餌ダミーだ。




 しかし、それは囮。

 本命はすでに放たれていた。


『!!』


 世界に“穴”が生まれた。

 そこにある森羅万象を飲み込んだ。空間さえも食い尽くされた証明である黒い空間の中には、やがて周囲の空気が一斉に流れ込んだ。

 暴力的なまでの重力と風圧が周囲を襲う。

 このまま続けばここら一帯は更地と化すだろう。それを理解しているからこそ、ビュートは程なくして“穴”を閉じた。


「……仕留め損なったか」


 一足早く逃げられた。

 そう理解したビュートは背後に浮かべていた雷槍の魔力を、我が身へと還元する。


「聖剣……」


 残されたビュートは、ルキフグスが持ち去った聖剣を思い浮かべる。

 太古の昔──かつて存在した〈原罪〉の力を宿した罪器。罪使い相手には必殺の、あるいは救済にさえ使える伝説の代物だ。


「……厄介ごとばかり増やす」




──だから悪魔は嫌いなんだ。




 そう零したビュートの頭上には、やはり雲一つない青空が広がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る