第109話 聖域は証明の始まり




『大聖堂全体に〈聖域〉を張ります』




 時は作戦会議中まで遡る。

 国、そして聖女の命運をかけた一大決戦を前に、そう宣言したのはアスだった。


『わたしの〈シン〉──〈色欲しきよく〉と、この罪器があれば可能です』


 罪器ラーディクス。

〈色欲〉が刻まれし罪器の名だ。


 大罪の大いなる力の影響か、はたまた元々の素材の影響か。持ち主の意思によりありとあらゆる植物の根を生やし、注ぐ魔力量によっては茎を伸ばし、葉や花、そして実すらも枝に生やすことのできるこの世に二つとない逸品である。


 しかし、今回の主役はあくまで“根”だ。


『たしか大聖堂の地下には水路が張り巡らされているんでしたよね?』

『地下水路に〈聖域〉を仕掛けるのか……いけるかもしれないな』


 平面型の〈聖域〉は、描いた魔法陣より遠過ぎれば効果が薄い。

 魅了を解除する〈聖域〉がギリギリ作用する場所を選ぶとするならば、大聖堂直下の地下水路は、〈聖域〉に精通するハハイヤから見ても適当であったようだ。


『流石に会談当日でも警備は居ると思うが……』




『シュッ! シュッシュッ!』




『……大丈夫そうだな』

『シュシュシュッシュ! シュシュッシュシュシュシュ!』


 誰かを仮想敵に設定しているのだろう。

 一人シャドウボクシングを演じているライアーを見て、ハハイヤは巡回する警備について解決したとみなす。


『〈聖域〉さえ発動してしまえば、リオさんに魅了された騎士や教団の方達の洗脳は解けるはずです!』

『ふむ……いちいち魅了された相手を相手取るより、そちらの方が相手の意表を突けるか。しかし、大聖堂全体となると相当広くなってしまいますが……』

『そこは……頑張りますっ!』


 まさかの、ここに来て根性だ。

 途中まで真面目に作戦を構築していたハハイヤも、これにはジト目でアスを凝視してしまった。素晴らしいジト目だった。全国ジト目選手権大会があれば入賞は確実に狙えるであろうジト目だった。チベットスナギツネが憑依したかの如きジト目で──。


『なぁに、そこは心配いらんよ』

『ライアー殿、解決策でも?』

『うちには秘密兵器が居る──なっ!? アータン!』


『んぇ……?』


『おねむだねぇ、アータン! おはよぉ!』


 普段の健康的な生活が仇となったようだ。

 ライアーに肩を抱き寄せられたアータンは、深夜を回って重くなった瞼を擦りながら、辛うじてといった様子で返事する。


 これにはハハイヤもチベットスナギツネにならざるを得ない。


『……その案はやめておこう』

『待て待て待て待てお待ちなさいな。ちょいとだけでも話を聞いてちょ』


 何もライアーは無策でアスの案を推している訳ではない。


『この子の〈罪〉は〈嫉妬しっと〉だ』

『なんと……〈嫉妬〉だと!?』

『現状、〈昇天〉なら罪度Ⅱまで行けるのは確認済みだ』


 そして、〈嫉妬〉の〈昇天〉の力は味方の魔力増幅。

 罪度による能力強化も踏まえれば、時間さえあれば大聖堂地下に〈聖域〉を展開することは不可能ではない──それがライアーの見立てであった。


『よし、それなら二人には〈聖域〉を任せます。我々三人は会談の間でサタナキア達を迎え撃つ準備を──』

『いいや、だ』

『四人……ですか?』

『ああ。敵の虚を衝く布石を打とう』




──俺の〈もう一人の自分アルター・エゴ〉を使ってな。




 悪戯を思いついたかのようにケタケタ笑い、嘘吐きはとある一人を指差しながらこう告げた。




『──油断は待つもんじゃねぇ。てめえで作るもんなんだよ』




 ***




本体わたしが〈聖域〉を準備し終えるまでの間、会談の間ではわたしの分身に戦わせる!)


 ブチブチと。

 全力で振り抜かれる脚に、サタナキアの首が悲鳴を上げる。


(同時にに思い込ませる! わたしが弱いと! 戦うまでもない相手だと!)


 最早、首は原型を留められなくなっていた。

 綺麗に脚の形に陥没する首は、潰れた肉に埋もれる骨をも衝撃で粉々に砕かれる。


 罪化した──それも罪度Ⅲの──アスの跳び蹴りの威力は、サタナキアの想像を遥かに上回っていた。


 

 


「ご、れ゛はッ……!!?」

「おおおおおッ!!!」


 普段の鈴を転がしたような声音が嘘のような雄叫び。

 腹から、いや、全身の筋肉を用いて絞り出す咆哮は広大な空間を震わせながら、尚も吐き出し続けられる。


(戦わせていたのは! ライアーさんの話では、分身の強さは本体わたしの四分の一! つまり、相手から見て今のわたしの強さは──)


 四倍。


 強さという数値化しにくい概念。それを何倍だと言われてもピンとこないかもしれない。

 だが、実際に対峙すれば嫌というほどに理解できる。


 ありとあらゆる能力が半減した分身を生み出す〈もう一人の自分〉。その技によって生み出した分身は、当然さらに半減した能力値で生まれる。

 しかし、単純な筋力や魔力とは違い、破壊力とは複数の力が掛け合わさって引き出されるもの。ある程度は罪化によって能力の低下は補えるかもしれないが、それでも本体の全力とは程遠いだろう。


 すなわち、体感の強さとしては四倍以上。


「──っらぁ!!!」


 とうとう足を振り抜いたアス。

 サタナキアの頭蓋が弾け飛ばん勢いの一撃であったが、それでも悪魔の両足はその場から離れてはいない。

 いや……よくよく見れば足より円卓に根が張ってあるではないか。

 余程自分の言葉を撤回したくないのだろう。涙ぐましい努力に、アスは意趣返しに心の中でせせら笑う。


「ッ!!」


 肉弾戦において吹き飛ばない──距離が離れないということは、追撃が仕掛けられることと同義。

 これ幸いと、地に足を付けたアスはぐるりと一回転。

 美しい弧を描いた武道僧は、空を裂く音を響かせながら今一度悪魔の首を蹴り抜いた。


「おおおおおッ!!」


 まだだ、まだ終わらない。


「おおおおおッ、おおおおおおおおおおおおッッッ!!」


 乱打に次ぐ乱打。

 猛攻を凌ぐ猛攻。


 この世において最高峰の強度を有する木人椿サンドバック相手に、容赦のない蹴りと拳を叩きこんでいくアス。

 脚にも拳にも硬い棘を生やしていることから、突き刺さったサタナキアからは一撃ごとに血飛沫が舞う。


「まだ!! まだ!! まだまだまだまだぁーーーッ!!」


 常人であればとうに致死量の打撃を与えても尚、アスのラッシュは終わらなかった。


(〈覚醒魔法〉と同じ効力を持った〈聖域〉!! それを展開した今、こいつの〈罪〉が弱まっているはず!!)


 一部の状態異常に作用する〈覚醒魔法〉。

 具体的には状態異常の中でも精神系──魅了や暗示に陥った者に対し、強く効力を発揮する。


 前者は言うまでもない。

 この場面で重要なのは後者──暗示にも通用するという点だ。


 〈傲慢〉の系譜にある〈罪〉は暗示の力に恵まれるケースが多い。サタナキアもそれは例外ではなかった。

 暗示の恐ろしさは自己暗示による自己強化にある。

 極まった者が使用すれば、ありとあらゆる事象を可能にしてみせる万能の力だ。六魔柱の一柱たるサタナキアであれば、その領域に至っていてもなんらおかしくはない。


 だからこそ、〈聖域〉でサタナキアを弱体化させる。

 彼の異常なまでの再生能力や戦闘力は、極まった暗示の力──つまり〈我慢〉にあるとはライアーの見立てだった。


 そしてもう一つ。


『そういう手合いほど、自分の虚を衝かれたら脆くなるんだよ』


 自己暗示とは、言い換えれば自分を信じる力だ。

 しかし、突如として自分への信用が揺らぐ事態が起これば?


 塗り固められた自信は間もなく瓦解し、本当の姿が露わとなるであろう。

 たとえそれが騎士団長らを圧倒せし、絶対強者であろうとも──!


(今だ。今ここで決める!!)


 チャンスはそう多くない。

 一度立て直されれば、これほどの強者相手に虚を衝けるタイミングなど二度と来ない。


「おおおおおおおおおおお!!!」


 執拗な、それでいて過剰なまでのラッシュ。

 だが、理由はそれだけではない。


 ちらりと横を一瞥すれば、そこには〈聖域〉の効果で苦しむリオの姿があった。やはり彼女は魅了の支配下にあったのだ。あの頭痛も強力な魅了と持続的な覚醒効果が拮抗している何よりの証拠。


(こいつは何食わぬ顔で嘘を……!!)


 リオを。

 彼女を愛するハハイヤを。

 そして、聖女を信じる全ての人々を侮辱する悪魔のような所業に、アスは憤っていた。


 いや……と、そこでアスはかぶりを振った。


「おまえは悪魔以下の下種だ!! 外道だ!! 人の心を理解できない化物だ!!」


 嵐の如き打撃を浴びせるアスは、不意に足裏から“根”を生やす。

 それは円卓から床へと広がっていく。


「だから平然とこんなことができるんだ!! 人の心を弄んでいられるんだ!!」


 激情に駆られるがまま、アスは全身を捻った。

 植物の繊維とは名ばかりの筋肉の鎧。それらが生み出す力は筆舌に尽くし難い。


 にも拘わらず、蹴りの態勢を取ったアスから攻撃は繰り出されない。

 それも当然だ。彼の脚は生やした根に固定されているのだから。


 しかし、根は今にも爆ぜそうなくらい張り詰めていた。

 もし仮にそれが千切れたとすれば──。




「人の心を──愛を!! なんだと思ってるんだあああああーーーーーッ!!」




 ──植物には爆発により種子を撒き散らす種が存在する。

 正確に言えば、殻が水分を失って縮むことで殻全体に張力が発生し、それが限界を迎えた時に爆発するのだ。

 これはそれと似たようなものである。

 あるいは、船を岸に留めておく係船索が千切れるのと同じ現象と言っておくべきか。




 尋常ではない張力を解放して繰り出される蹴り。

 たったそれだけで音速を超え、円錐状の伴流──空気の壁を突き破り、三日月を描く死神の鎌は大悪魔の首を刈り取らんと振り抜かれた。




「──〈跛魔の月剣アスモダイオス・ルーヌラエ〉!!」




 根が。

 サタナキアの足を縫い留めていた根が、ブチブチと。


「ッッッ──!!!」


 千切れた。

 刹那、人影が線と化す。高速で吹っ飛んだ残影だ。

 それは堅牢な会談の間の壁を容易く突き破り、通路の奥へ、さらにはそこに並んでいたいくつもの柱を砕きながら突き抜けていった。


 砕いた柱が何本瓦礫と化しただろう。

 最後の轟音が鳴り響いた。勢いが死んでも尚、悪魔は柱の中へと埋もれる。まるで磔刑、見せしめだ。


 直後、磔の悪魔の眼前に白い綿毛が舞い降りる。




「足──離れましたね?」




 瞬時に追いついたアスを見下すサタナキア。

 しかし、今となっては“見下す”という行為一つとっても、違う意味合いを有す。


 見上げる偽物から、見上げた聖女へ。

 見下す大悪魔から、見下げた悪魔へ。




「……小石に躓いたか」

「随分と大きな小石だったようで」




 この瞬間、紛れもなく彼らの立場は逆転していた。

 すなわち──反撃の時間だった。




 ***



 寸刻と半刻の狭間。

 集結した隊長達との交戦開始から、それくらいの時間が経った。





「はああああッ!」




 今なお健在するルフールは、鬼気迫る咆哮が上げて剣を振るっている。

 副団長全力の抵抗だ。これには数の上で勝る隊長達も気圧され、中々に決定打を与えられていない。


 一対四──それでいて戦況は互角。

 副団長の面目躍如と評すべき光景が、目の前には広がっている。


「くっ!」


 矢も盾もたまらず一人の騎士が魔法を放つ。

 巨大な火球は一直線にルフール目掛けて飛んでいく。直撃コースだ。


「侮るなと言った!」


 しかし、ルフールはこれを左腕に装備した小盾で受け止めた。

 けたたましい爆音と共に、逸らされた爆炎が床を黒く焦がす。


「ルフール!」

「問題ありません……熱ッ!?」

「ルフールぅ……」

「やめて! そんな目で僕を見ないで!」


 ペリースに引火した炎を慌てて鎮火する残念副団長が泣き叫ぶ。途中までカッコよかったのによぉ……。


 だが、ああ豪語した手前手傷を負った様子は見られない。それもこれも小盾より展開する淡い光──〈聖域〉のおかげだろう。


「盾から展開する〈聖域〉か、便利だな!」

「一点物の罪器です! あげませんよ!」


 騎士隊隊長ハカミヤが仕掛けてくる。

 しかしそれをルフールは難なく小盾で弾く──パリィしてみせた。剣術や槍術に長けた騎士隊相手にパリィするなど余程の技量がなければ不可能だ。


 あれこそ副団長と隊長の実力差。

 見ていてこれほど頼もしい光景はない。


「けど隙が……くッ!」


 後隙に仕掛けようとするルフールに、聖歌隊隊長が撃った魔法が飛来する。

 これも小盾で弾いたはいいものの、一方で収束させていた魔法は霧散──水泡に帰してしまった。


 彼はここまで宣言通り一人で隊長達を抑えこんでいる。

 ただ、やはり平騎士相手とは違って魅了を解除する隙がない。〈覚醒魔法〉を打ち込もうと試みても、後ろから援護が飛び、後隙を潰してくる。


 見事、そして厄介な連携だ。

 これでは魅了を解除し、戦力ダウンを狙うのも至難の業だ。


 やはりここは加勢を──。


「あぁ~~~~もう゛ッ!! お前ら後で覚えてろ!? これが終わったら療養中って名目で僕の仕事押し付けてやるからな!!」


──しなくても大丈夫そうだ。


 半ば自棄になっているルフールから一旦目を逸らし、俺は背後の聖女達を見遣る。


「〈転移魔法ミグラーテ〉まで、あとどれくらい掛かりそうだ?」

「もう少し……もう少しお時間をッ!」

「ああ、頼む」


 急かす訳にはいかない。

 かと言って『ゆっくりやれ』とも言えるはずもない。


 歯痒い状況が──サルガタナスを討ち取れなかったが故の現状に、自分への腹立たしさでどうにかなってしまいそうだった。


「──……間に合ってくれよ」


 祈るように口にした……その次の瞬間だった。


「! この光……」


「な、なんだ!?」

「何が起こっている!? これも敵の……!?」

「いや……この〈聖域〉は……!!」


「……ヘヘッ」


 通路が淡い光に包まれる光景に、俺は笑みを禁じ得なかった。

 聖女を護衛していた近衛が口にしたように、これは紛れもない〈聖域〉だ。だが発動者はこの場に居ない。それどころか〈聖域〉を発動する魔法陣さえ、足元にははっきりと見えやしない。


 けれど、これでいい。

 


『ぐ、あああ……!?』

『あッ……あ゛……!?』

『頭、が……!!』

『リオ……様……!?』


 苦悶の声に誘われるように視線を向ければ、つい先程まで敵意に満ちていた隊長達が、頭を押さえて床に転がっていた。

 〈聖域〉の効果通りしっかり魅了に対して作用しているらしい。


「これなら──!」




「〈転移魔法〉、準備完了致しました!」




「ナイスタイミング!」


 直後に聖女の一人、インヴィー教国聖女がこちらに呼びかけてくる。

 待ち望んでいた瞬間に、俺は弩にでも弾かれたかのように飛び出した。


 視線の先では、悠然と浮かぶ黒い球体の真下とすぐ真横の床に魔法陣が描かれている。俺は迷わず真横の床に描かれた方に立った。


「転移されるのは貴方だけでよろしいのですね!?」

「ああ、そうだ!」

「内部の構造がどうなっているかは不明です! そもそもこれで本当に侵入できるかどうかさえ……!」

「それでもやってくれ!」

「本当にいいんですね!?」

「いいってゔぁ!? お願いしますよぉ~~~~~!」

「は、はい!?」


 無限ループの会話かよ、ってくらい度重なる確認に、鉄仮面が削れるぐらい床に額を擦りつけるように土下座する。

 それでようやっと俺の誠意を理解してもらえたようだ。あれほど不安がっていた聖女さん達も今や……あれ? なんかさっきより不安がってるな。


 いや、俺が不審がられているだけかアッハッハ! 泣くね。

 まあ、俺の尊厳程度で人命救えるなら安いもんか。


「それでは術式を起動します!」


 一人の聖女が音頭を取る。

 すると五人の聖女は一糸乱れぬ動きで魔法陣に魔力を注入し始めた。地面に描かれた紋様に沿うように魔力は全体へと行き届く。

 刹那、視界が揺らぎ始めた。

 〈転移魔法〉が起動した兆候だろう。『だろう』というのは、俺が〈転移魔法〉を使った経験がないからだ。


 強いて言えばフロールムでの強制転移ぐらいだが──。


「正常に起動しております!」

「いけそうですね……!」

「よし! このまま魔力を込め続ける!」

「すみません。少しそちらの魔力が多過ぎるようですが……」

「も、申し訳ありません!」


 聖女が五人も揃い魔法を発動しようなんて、一生に一度お目に掛かれるかどうかという光景だ。


 ルフールが抑えていた隊長達も今は全員無力化されている。

 後は〈転移魔法〉が完全に発動するまで待機するのみ──。




『──させんぞ』




 低い声がどこからともなく響いた。

 次の瞬間、床に描かれた魔法陣は踏み砕かれる。突然の事態に、聖女も近衛も愕然とした表情で舞い上がる床の破片を目で追っていた。


「そ、そんな──!?」


 魔法陣が掻き消されては〈転移魔法〉は発動できない。

 それほどまで繊細な術式を求められるのが、この魔法だ。


 一体誰がこんなことを──。


 下手人を見つけようと視線を泳がせる面々。

 しかし見えない。いや、見えないのに見えると言うべきだろうか。


 破片が舞い上がると共に流れる土煙の中、巨大な輪郭が浮かび上がっていた。見上げんばかりの鎧武者。

 思わず気圧された聖女の一人は尻もちをついた。

 しかし、それはただ目の前の巨躯に圧倒されたからではない。不可視にも拘わらずありありと目に見える覇気こそが、その理由であった。


「ヒッ……!?」




『サルガタナスの邪魔だけは……!』




「無駄足ご足労」

『ッ!』


 だが、今度は不可視の悪魔──〈湮滅のフォラス〉が驚愕する番であった。


 踏み砕いたはずの魔法陣が、ない。

 正確に言えば床は踏み砕いているにも拘らず、そこへ綿密に描かれていた魔法陣だけが消えてなくなっていたと言うべきだろうか。


 ま、そりゃそうだ。


『ッ──〈虚飾〉!!』


 


 あらかじめフォラスの妨害が来ると踏んでの細工だ。

 気付いた奴は、慌ててゆらりと現れ出でた俺達の方へ迫ってくる。


 これには近衛が出張って行く手を阻む。

 が、鬼気迫るフォラスの進撃は止められなかった。〈湮滅〉による透明化を存分に活かし、にゅるりと人と人の間を縫って近づいてくるフォラスは、間もなく俺の眼前に辿り着いた。


『今度こそ──消えてなくなれぃ!!』

「学習しねーでやんの」

『ッ!?』


 わざわざ本当の場所なんて言って堪るかよ。


 フォラスが誘導された場所は、俺が投影したデコイ。

 サルガタナス戦まで温存しろと言われていた魔力ではあるが、そもそも〈聖域〉に侵入できなければ話にならない以上、この消費魔力は必要経費ってところだ。


「ほ~らほらほら」

「こっちだぞ~」

「いや、こっちかもよ~?」

「どこかな~? 分かるかな~?」

「まあ、分からねえだろ~な~」


『おのれぇええいッ!』


 とうとう我慢の限界を迎えたフォラスが強硬手段に出る。

 弓を握る方と逆の手に掲げるは、巨大な火の剣。


『幻影を見破るなどしゃらくさい!! 魔法陣ごと焼き切ってくれるわ!!』

「にゃ~!?」


 にゃるほどぉ……。

 合理的過ぎる判断に思わずネコちゃんになってしまったぜ。


「でも──もう遅ぇ」


 タンッ、と。

 炎の剣を掲げる手の甲に、一本の矢が突き刺さる。


『なッ……!!?』


 驚愕に滲んだ声を漏らすフォラス。

 奴が振り返った先──通路の奥には、たった今現れたばかりである小さな人影が佇んでいた。


 水で生み出したレンズを覗き、光り輝く弓矢を構えている。

 そのきゃわたんなシルエットの正体は間違えるはずもない。


「──アータン!!」

「ライアー!! 〈聖域〉の起動終わったよ!!」

「来てもらってばかりで悪いけどさぁ!! 一つ頼まれごとを引き受けてくれないか!!」


 え? と小首を傾げる彼女に対し、俺はフォラスを顎でしゃくって指し示す。


!!」

「!! ……うん!!」

「任せ──」


 最後まで言い切るより早く視界が歪む。


 けれど、心残りはない。

 俺を見つめる彼女の瞳は、全てを理解してくれたように強く光り輝いていた。


 あれなら大丈夫だという確信が、俺に安堵をもたらせる。

 アータンも強くなったなぁ……なんだか子供の成長を見届けた親みたいな気分だよ。


 だが、そうした気分で居られるのも今の内だ。

 歪んだ視界の揺らぎが収まりつつある。景色は、大聖堂の通路から漆黒に彩られた謎の空間へと移ろっていた。




 そして、俺は──異なる世界に飛び込んだ。




 ***




 彼らは新たな聖域ステージに立つ。




「よお、また会ったな──サルガタナス」




 対峙するは、国の存亡を左右する強大な悪魔。

 打ち倒すに懸けなければならないのは己の命。




「ここからが本番ですよ──サタナキア」




 それでも、彼らは立ち向かう。




 揺るがぬ意志を持ち。

 曲げられぬ信念を抱き。

 そして、強大な力と恐怖に挫けぬ勇気を胸に宿して。




「第二ラウンドと──」

「──いきましょうか」




 彼らは今、勇者と相成った。




 偽物だろうと救いたいものがあると。

 偽物だからこそ救えるものがあると。




 これは──それを証明する為の戦いだ。




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