第104話 断罪は処刑の始まり
その日、聖都テンペランは物々しい空気に覆われていた。
「おい、あれ……」
従来、聖女会談の日は町中がお祭り騒ぎだ。
各国の聖女が集うという一大イベントにかこつけ、大通りには多くの露店が並び、そこかしこから音楽隊が陽気な音楽を鳴り響かせる。
大聖堂や宮殿を一望できる大広場では、踊り子達が噴水周りにこぞって集まり、おひねり目当てに華麗かつ扇情的な舞を演じていた。
そして、最後には会談を終えた聖女達が大聖堂から顔を出す。
七大教国が誇る珠玉の秘宝を拝み、その美貌に万雷の拍手と喝采を浴びせかけるのだ。
要は見物。聖女という高貴な身分に対し、余りにも俗っぽい行いである。
しかし、聖女会談とは長年争い続けてきた七大教国が手を取り合った和平の証拠。それも100年以上経った今、今更重苦しい空気を漂わせる理由はなかった。
「ぼちぼち始まりそうか?」
「みたいだねぇ……」
だが、今日は違う。
日を避けるように佇む建物があった。罪を犯した罪人が収監される、そこは監獄だった。囚人の脱獄を考慮してか、聖都の居住区からはそれなりに離れ、その上で深い堀と高い塀に囲まれている。
普段、不浄を衆目に晒させないという名目で人を寄らせないこの地区は、聖都の住民にとってはある種の禁足地だった。
しかしながら、ある時に限ってのみ監獄近くの広場が開放される。
中央区の大広場とは違い、噴水も花壇もなければ希望も感じられない侘しい場所だ。
それもそのはず。何せこの広場は──。
「聖女になりすました罪派の処刑だってよ」
「公開処刑をするのも久しぶりか?」
断頭台が設置された公開処刑場。
そこには既に多くの観衆が集まり、設置されているギロチンへと連行される罪人の見物に来ていた。
身に纏う修道服はくたびれ、黒い生地は目に見えて薄汚れていた。
嵌められた手枷から覗く地肌は赤黒く変色しており、随分長く拘束されていたであろうことが容易に想像できる。
ここ最近では珍しい公開処刑を目前にして、観衆からは異様な熱気を帯びていた。
理由としては罪人の容姿だ。
この国では教皇に並んで──ともすると、教皇以上に支持を集めている聖女リオと瓜二つの顔。
他人の空似とは思えぬほどそっくりな見た目をしているという噂は、公開処刑がたった数日前に出回ったにも拘らず、人伝にあっという間に聖都中へ広がった。
「あれがリオ様の偽物?」
「たしかに似てるな……」
「おい、滅多なこと言うな!」
「そうよそうよ! リオ様に失礼よ!」
聖女を騙った不心得者を見にきた者。
シンプルな好奇心から足を運んだ者。
その他、聖女の首が落とされる絵面を見てみたいなどという倒錯的な欲望を抱き訪れている者もゼロではなかった。
「良い面してるのにもったいねえ」
「フンッ! 同情の余地なんかあるもんか」
「リオ様を騙り罪を犯すなんて悪魔にも勝る……いいえ、悪魔にも劣る所業です!」
「極刑で当然よ! 早く首を刎ねられるがいいわ!」
いよいよ殺気を迸らせる観衆が現れる。
聖女リオを慕う信者から滲む殺意は、次第に観衆全体へと伝播する。
熱気は殺気を、殺気は狂気を産み落とす。
「静粛に」
狂気が完全に伝播する寸前、正装を身に纏った処刑執行人が唸るような低音を響かせた。
彼が片手を上げれば、刑務官が死刑囚をギロチンに固定する。やや少し不慣れな手つきではあったが、足掻く力も残されていないのか死刑囚は暴れず、おかげで無事に拘束も完了した。
「これより……公開処刑を開始する」
重々しい宣言が処刑場を震わせる。
ギロチンに掛けられた死刑囚──聖女リオを騙った大罪人は、ゆっくりと、その虚ろな表情を観衆に晒してみせた。
***
同時刻、大聖堂にて──。
「縁起でもありませんわねぇ……」
とある一室に佇む円卓。
その周囲に置かれた七つの席の内、比較的奥の方に座る妙齢の女性が声を上げた。
「こんな日に処刑と……日程をずらせば良かったものを」
そう語るイーラ教国聖女。
黒い金剛石をはめ込んだような双眸は、覗き込むと吸い込まれそうな美しさと妖しさを兼ね備えた輝きを放っている。
「で、ですが罪派が聖女の名を騙り国や民を脅かしていたのです。せ、聖女の象徴的権威を脅かす悪行を牽制するという意味では、これも致し方ないことかと……」
反論するのはインヴィー教国聖女。
光の当たり加減によって色彩を変える極彩色の髪色。派手派手しい色合いからは想像できぬおどおどとした態度ではあるが、口にしている内容は理路整然としていた。
「それよりもアグネス様はまだお出でではなくて? まだということでしたら滞在を伸ばして、開催日をずらすことはやぶさかでありませんが……」
不浄な話題を逸らすアヴァリー教国聖女が円卓を見渡す。
落ち着いた茶髪をふわりふわりと揺らしながら視線を泳がせれば、上座に設けられた二つの空席が目に付く。
「だが、それでは悪魔の言葉に屈したことになる。全員が揃わぬ内に始めるのは気が進まんが、先に話し合える分の議題についてはまとめておかないだろうか?」
進行を促したのはグーラ教国聖女。
スペルビ教国聖女の発言に一定の理解を示すものの、生憎ながら滞在の費用もタダではない。滞在期間が長引けば長引くほどに自国も他国も負担する費用が増えるのは世の必定であった。
「とは言いますけれど、肝心の主催国が──あっ」
白金を糸に伸ばしたような髪を垂らすスペルビ教国聖女。
控えめに発言しようとした彼女であるが、不意に近づいてくる足音に気がつき、入り口の方へと目を遣った。
「──皆様、長らくお待たせしてしまい申し訳ございません」
空気が、一変した。
彼女が登場しただけで、会談の間全体に圧し掛かるような空気が満ち満ちる。見た目の華々しさとは裏腹の重々しい空気だ。
聖女間に格差はない。
しかし、それはあくまでも建前だ。実際には単純な年功序列や成し遂げた功績の数により、当人達が頭の中でだけ明確な格付けをしている。
七大教国内で最も格が高い聖女と言えば、在任期間が最も長いディア教国聖女アグネス。
それに次ぐ聖女となれば、かつて世界を救った〈大罪〉と同じ〈罪〉を宿すスーリア教国聖女──リオとなる。
「少々立て込んでおりまして。準備に手間取ってしまいました」
「色欲の」
「はい?」
申し訳なさそうに謝罪を口にするリオに対し、グーラ教国聖女が声を上げた。
「罪派になりすまされ、一時身を潜めなければならなかったと聞くが……その後はどうだ?」
「その件につきましても今からお話しようかと」
「むっ……」
質問をひらりと躱し、リオは空席の前に立つ。
そのまま掌を円卓へと翳せば、察した他の聖女らも同様の所作を見せる。
直後、聖女の掌より光が灯った。
仄かな魔力の光。すると円卓の中央にはめ込まれた宝玉は淡く発光し、円卓から床へ、壁へ、そして天井へと光の紋様が奔っていく。
間もなく部屋全体が光に覆われた。
同時に唯一の出入り口である巨大な扉は、重厚な振動音を響かせながら閉じられる。
「──これで、この部屋は固く閉ざされました」
密室と化した空間に鈴を転がしたような声が反響する。
「皆様もご存じであるように、この部屋への立ち入りは何人たりとも禁じられております。その為、このように〈聖域〉を張る処置を取らせていただいております」
今、この場に居る者は六人の聖女のみ。
道中同行した近衛騎士も、この時に限っては部屋の外での待機を命じられている。それほどまでに会談の機密性は高く保たなければならない。
しかし、この処置は何もスーリア教国のみではない。
他国においても聖女会談の場となる部屋には、この会談の間同様の〈聖域〉が張られ、外部からの侵入者の一切を寄せ付けないのである。
「〈聖域〉の起動に必要なのは今皆様にしていただいた通りです。
「“鍵”……ですか」
「ええ」
インヴィー教国聖女にリオは説明を続ける。
仮面を張り付けたかのような笑顔だった。それに在任期間の短いインヴィー教国聖女は、形容し難い違和感を覚えつつ耳を傾ける。
「この〈聖域〉は“鍵”となった者の魔力を吸い上げ、維持するよう術式が組み込まれています。それは有事の際、ここが教皇や
「はあ」
「それ故に魔力の吸い上げも微々たる量。救援が到着するまで長期間に渡る籠城を可能としております」
にこやかに語るリオとは裏腹に、各国の聖女は怪訝な面持ちを湛える。
「あのぉ、リオ様? 何を仰りたいかがよく分からないのですが」
「おい〈色欲〉。何を今更そんな説明を──」
「〈聖域〉の解除方法は“鍵”となった対象全員からの魔力供給が途絶えること。すなわち、全員が供給を止めるか、もしくは死ぬしか、この外界と断絶された空間からの脱出は不可能となる訳です」
「──転移術でも使わぬ限りはな」
『っ!!?』
異音が──否。
異物が、そこには立っていた。
全員の視線が交わる、まさにど真ん中。
円卓の上には二つの人影が佇んでいた。
「初めまして、諸君」
不遜にも卓上に立つ美丈夫。
その獅子のように傲慢で、蛇のように
悪魔は嗤った。
「さて──余興と洒落込もうじゃあないか」
***
鐘が響いている。
聖都全体に響き渡る甲高い音色だった。
「お、おい……なんだこの音……?」
「聞いたことないぞ」
「いや、たしかこれは……」
だがしかし、処刑場に集まっていた観衆は聞き慣れぬ音色に戸惑いを隠せずにいた。
日の出の報せでも、結婚を祝うウェディングベルでもない。
一番近いのは訃報を報せる葬送の音色。
「──いよいよだね」
ただ、それを真に理解できる者は多くはなかった。
観衆の中、一人の黒い外套に身を包んだ老婆が佇んでいた。
彼女は響き渡る警鐘を耳にするや、すぅ、と胸を大きく膨らませる。
そして、
「おーい!! こりゃあ悪魔が聖都にやって来たんじゃあないかぁー!?」
突如大声で叫ぶ老婆に、観衆の視線が集中した。
これに老婆はほくそ笑み、そのまま残りの空気と共に喉を震わせる。
「こいつもアンタの仕業なのかぁーいっ!?」
遠くまで通る声だった。
その声に導かれるようにして、今度は別の方向に観衆の注目が注がれた。
それはまさに今、断頭台に首を掛けられる人間──。
──聖女リオを騙った罪深き罪人へ。
衆目は捉えた。
罪人が……口元に三日月を湛える瞬間を。
***
「──最も煩わしきは聖都を覆う〈聖域〉だった」
円卓の上に立ち、聖女を見下す大悪魔サタナキアは語る。
「あれは我々悪魔を瞬時に感知する〈聖域〉あれが中々に厄介者でな」
「貴様……どうやってここに!?」
「そのせいでお前達のような権力しか能のない連中は、鐘の音が聞こえた途端、急かされたモグラのように穴倉の奥へと逃げ込んでいく」
聖女の問いに答えることはなく、サタナキアは悠々と己の話のみを進める。
それに歯噛みする聖女。だが動けない。
彼女達は理解していた。〈聖域〉が張られた会談の間に侵入された事実の重さと、それをまんまと成し遂げてみせた眼前の悪魔の強大さを。
聖女とて強者と対面する機会はある。騎士団長などが良い例だ。
ただ、目の前の相手はそれを遥かに凌駕する威圧感を伴っていた。ここまで心の底より彼我の差を思い知らされる経験などありはしない──あっていいはずがなかった。
恐れ戦く聖女の表情を堪能するサタナキア。
その悦に浸った悪魔に、さらに聖女が表情を引き攣らせたところを見て、彼はこの上なく上機嫌に喉を鳴らしてから続けた。
「だから我輩は待ち詫びていたのだ。お前達が一堂に会する、この瞬間をな」
ひっ、と。
喉が引き攣るような悲鳴を上げたインヴィー教国聖女が駆け出す。
向かう先は唯一の出入り口となる大扉。彼女だけでなく全員の近衛騎士が、あの扉の奥に控えているはずだった。
「あ……開かないっ!?」
しかし、開かず。
涙目になりながら扉を叩き、外に待機する近衛へ危機を報せようとするインヴィー教国聖女であるが、他の聖女らは彼女のようにその場から逃げ出すことはなかった。
「ククッ。お前達はそこの
「……まさか〈色欲〉と魔王が繋がっていたとはな」
「魔王が、ではない。我輩と……いや、我輩こそが次なる魔王に相応しき身である以上、強ちそれも間違いではないな」
そう言い切りサタナキアは上機嫌に高笑いしてみせる。
魔王という主を持ちながら、いずれ自分こそが王になると言って憚らぬ言動。その傲岸不遜に裏打ちされた魔力にあてられ、聖女達は押し黙る。
加えて隣に居座るもう一体の悪魔の威圧感もだ。相当の実力者であろうことは想像に難くない魔力に、聖女達は真面に戦って勝てる相手でないと理解していた。
──ではどう脱出すればいいか?
「たしか全員死ぬか魔力注入をやめるか、でしたかしら?」
「ハンッ! それならとっくに答えは出ているだろう」
力のない笑みを湛えるイーラ教国聖女。
一方でグーラ教国聖女は両手に魔力を収束させる。
矛先はスーリア教国聖女リオに向く。
この期に及んでも張り付いている微笑みはいっそ不気味だ。悪魔の邪悪な嘲笑にしか見えない。
全ての聖女を……いや、七大教国全てを敵に回す背信行為。
最早彼女の本心がどうこうという段階ではない。この神聖なる場に悪魔を呼び込み聖女を陥れた以上、手段を選んでいられる状況ではなくなっていた。
敵意を超えて殺意が迸る。
射殺すような眼光を迸らせるグーラ教国聖女に続き、イーラ教とアヴァリー教の聖女も臨戦態勢を取った。
「〈色欲〉を始末しない限り私達は永久にここから出られんぞ」
「……これはまさか……いえ、今はそれどころじゃ!」
「リオ様! 目をお覚ましになって!」
「無駄だ」
身構えつつも呼びかけるアヴァリー教国聖女。
しかし、それをサタナキアは一蹴する。
「既にリオは我が魅力の虜。すなわち、お前達を鳥籠に閉じ込めておく“鍵”が我が掌中にあると同義」
ゴクリ、と。
覚悟を決めるよう唾を飲み込む音と息遣いが、静寂に満たされる空間に鳴り響いた。外でけたたましく鳴り響いている警鐘も、閉ざされた会談の間までは届かない。
文字通り密閉された空間。
逃げ場など──初めから無い。
「だが安心しろ。すぐお前達の心配も杞憂と化す」
見開かれるサタナキアの双眸。
ありとあらゆる者を魅了する魔性の瞳に魅入られた者は、たとえ万人に愛される聖女であろうと平静を保てなくなる。
それは誰よりもリオが。
〈色欲の聖女〉が証明してしまっていた。
「
不遜にも聖女をメス呼ばわりする悪魔が告げる。
「お前達には踊り明かしてもらうぞ。死ぬまで──我が掌の上でな」
魔眼が妖しい光を放った。
聖女達は身構える。
しかし、放たれる光と魔力を遮る物は何一つとして存在せず、サイケデリックな色相は白亜の空間一杯に広がっていく。
そして──血飛沫が舞った。
***
「──クククッ」
処刑場に響く、押し殺すような笑い声。
聖都全体を不穏な空気に塗り替える警鐘の中、その声は必然的に観衆の注目を集めるに至った。
「お、おい……」
「ククッ、クククククッ! アーッハッハッハッハ!」
「あいつ……笑ってるぞ!?」
とうとう堪え切れず、罪人は哄笑する。
汚れた桜色の髪も、修道服も。
手枷を嵌められた手首が抉れ、血が流れることさえも厭わず、罪人は大きく体を振りながら処刑場全体に狂った笑い声を届かせる。
けたたましく響く警鐘と哄笑。
ただでさえ不安に煽られる中での異様な罪人の姿は、観衆らに一つの推測を立てさせるに至った。
その時だ。
「とうとう馬脚を露わしたね!」
初めに声を上げた老婆が見計らったように、再び声を上げた。
「リオ様を騙って一体何を企んでいたんだい!?」
「アハハハハ! 教団に教えられていないようだな!? なら教えてやるッ! もうすでに聖都には悪魔が……魔王軍が侵入し、聖女を殺す算段を付けている!」
「な、なんだってぇー!?」
やり過ぎなくらい罪人は邪悪な笑顔を咲かせる。
端整な顔立ちが台無しになるほどの形相だ。薄汚れた顔に深い皺と刻みながら、ケタケタと笑い続ける姿は壊れた人形に似ていた。
それを見た観衆はと言えば、あからさまに顔色を変え浮足立つ。当然色は青。今すぐにでもこの場から離れたい──逃げたいという心境が如実に現れていた。
「もちろんお前達も例外じゃないぞぉ!」
『!』
「もうすぐ悪魔が聖都に雪崩れ込んでくる! そうなれば皆殺しだぁ!」
罪人は一人一人を見渡すように眼球を転がす。
血走った瞳と一瞬でも目が合った観衆は、顔面蒼白となりながらドタバタとその場から走り去る。つられて他の観衆も一人、また一人と処刑場から逃げるように立ち去り始める。
「ククッ、ククク!」
「おい貴様! 余計なことを喋るな!」
「ハハハハハ! 死にたくない奴は逃げろぉ! 家族や友人とでも一緒に穴倉の中にでも逃げ込むんだなァーーーハハハハハハハッ!」
『きゃ、きゃあああ!!?』
「え、ええい!」
警鐘木霊する空の下、蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う観衆。
その光景に笑壺に入る罪人を見かね、とうとう執行人がギロチンの刃を支える紐に手を掛ける。
首の真上に吊るされた三日月上の刃が鈍く光る。
これまでに幾人もの罪人の血を吸ってきた刃。それは執行人が手を放せば重力に引かれ、垂直に落下を始めた。
──ザンッ!
骨肉を断つ音が奏でられる。
疾うに逃げ出す者も居る中、一部観衆には最後まで処刑を見届けようとギロチンへ釘付けとなる者も多く居た。
だからこそ目にしてしまう。
血飛沫を撒き散らし、宙を舞う罪人の生首。それが宙を何回転かしたところで生首は……いや、生首どころか首無しの肉体の方すら光の粒子となって消えていく瞬間を。
あからさまに瞠目する執行人と刑務官。
その様子から異常を察知した観衆は、とうとうこれらが罪人と悪魔の仕組んだショーに過ぎないと悟る。
狙いはさしずめ──処刑に見入って逃げ遅れた観衆を仕留めることか。
「大変だぁー! 罪人はとっくに逃げてたんだッ! すぐにでも悪魔が襲い掛かってくるぞぉー!」
『ひっ……』
「早く避難するんだぁー!」
『うわあああ!!?』
老婆の一声が決定打だった。
それまで心のどこかで『まさか』と呑気に身構えていた観衆も、消えた罪人の姿を見て、泡を食ったように逃げ始める。
まさに人波。津波のように処刑場から逃げ去る観衆達は、我先にと安全な場所を求める。
処刑場に残るのは呆然と立ち尽くす執行人らと逃げ遅れた観衆。
そして……。
「えーん! えーん!」
「ほら、大丈夫かい? 男が泣くもんじゃないよ」
「だってぇ……」
「転んで擦りむいたのかい? だったらほら」
泣き喚ていた子供を抱き上げた老婆が、怪我を負った膝を光で覆う。
〈回復魔法〉──癒しの光に包まれた部位は瞬く間に塞がり、男の子は流していた涙を引っ込め、目の前で起こった魔法の奇跡に目を見張っていた。
「わぁ……すごぉーい!」
「だろう? もう怪我は平気かい?」
「うん!」
「そりゃ良かった。だったら早く家にお帰り。そんで家族やお友達と一緒に避難所に逃げるんだ。いいね?」
「わかった!」
『おばあちゃんありがとう!』と礼を告げ、子供は走り去る。
それを満足げに見届けた老婆はと言えば、今度は白亜の宮殿──大聖堂の方を見遣った。大聖堂ではただいま聖女会談が執り行われるはず。
当然各国の聖女も──そして、リオもそこに居ると考えていいだろう。
(最初が肝心だ)
老婆の口角は吊り上がる。
そこに不安や心配の色はない。あるのは信頼。愚直なまでに仲間を信じる心が、その笑みには表れていた。
「やられた分、かましてやりな……!」
尚も警鐘は響き渡る。
警戒と避難を促す、不安を煽る音色。
ただし、彼女にだけはそれが違う意味に聞こえていた。
言うなれば開戦を報せるゴングの音色。
切り落とされたのは断じて首ではない。
それすなわち──戦いの幕だ。
***
「──なんだと?」
トプッ、と。
口から血反吐を吐いたのはサタナキアだった。妖艶な弧を描いていた唇の両端からは、夥しい量の鮮血がとめどなく溢れる。溢れる。溢れていく。
まず目についたのは胸から飛び出す刃だった。
背骨と心臓を一突きだ。刀身は鮮やかな紅に彩られていた。
「ほう」
ギギッ、と蝶番が錆びた扉のようにぎこちなく振り返る。
感心した声音を漏らした大悪魔が見つけたるは、何もない場所から溶明するかのように現れる複数の人影。
一人は鉄仮面の剣士。
一人は聖女の影武者。
一人は元団長の偉丈夫。
そして一人は──。
「おのれは──がっ!?」
サタナキアを貫く剣を握る美丈夫の騎士。
鉄紺の総髪を靡かせる騎士は、いっそ無機質なくらい冷徹な表情を湛えていた。
しかし、その仮面の奥には炎が揺らめく。
義憤と憎悪が綯い交ぜとなった苛烈なまでの業火である。
その炎は冷たい刀身を伝わり、刃を熱する。
貫かれたサタナキアもまた灼熱に襲われた。ダメ押しにと剛力を以て剣をさらに押し込まれたのだ。
だが、それだけでは終わらない。
刀身には葉脈染みた魔力紋が無数に広がっていた。注ぎ込まれる魔力に呼応し、発動される罪器の術式を表す紋様だ。
「サタナキア──覚悟ォ!!」
〈
彼の握る剣より三日月が昇った。
それは、悪魔の所業の一切を許さぬ裁きの光そのものだった。
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