第102話 覚醒は脱獄の始まり
長い夢を見ていた。
一人の少女との出会い。
近衛騎士として過ごした日々。
聖女となるまでの道のり日々。
聖女となってからの日々も、全て。
懐かしい思い出だ。
しかし、今やそれが二度と手に入れられないような気がして、頬を伝う熱い感覚を覚えた。
『──』
ふと、声が聞こえた。
近いのに遠い。
一枚壁でも隔てたかのような不鮮明な声だった。
『──長! あれ……おかしいな?』
しかし、時間が経つにつれて声ははっきりと聞こえ始める。
近い──この声の主は随分と近くから呼びかけているようだ。
(これ、は……)
『団長聞こえてますかぁ~? 早く目を覚まさないと薬飲ませますよぉ~? い~んですかぁ~?』
(──この声は!?)
パッと視界が澄み渡る。
靄が掛かったようだった頭も冴え渡り、眼前に立つ一人の優男を一瞬にして組み伏せる。
「い゛ッ──い゛だだだだだァッ!?」
「騒ぐな、ルフール。さもなくば貴様の腕を折る……!」
「だ、団長ぉ……僕は魅了されてません゛ッ……!」
「なんだと……? ……分かった」
「ほっ。本当に腕折られるかと──」
「〈
「あっ、一応は試すんですね!?」
ですよね! と自己完結するこの男の名はルフール。
何を隠そう〈
そんな彼にてハハイヤは対し腕を組み伏せたまま〈覚醒魔法〉を発動する。
仮に何者かに魅了されているとするならば、これで精神を正常な状態に戻すことが可能だ。
「あ、あの団長? そろそろ腕を極めるのをやめてもらいたいんですけどぉ……」
「まだ尋問は終わってないぞ」
「これ尋問だったんですか!?」
当然だ、とハハイヤは頷いた。
「魅了されぬまま私を捕らえたのなら貴様が正気でやったことになる。それすなわち貴様が何者かに掌握された教団からの手先として動いたことに他ならない」
「い、いやいやいやいや!? 違うんですって!! あの時はああするしかなくて!?」
「ではなぜ貴様はリオ様に魅了されていない!?」
「魔道具を持ってたんです!! 精神系の魔法に抵抗を高める奴を!!」
必死に弁明するルフールは首を上げる。
すると胸元からは一つのペンダントが現れた。それに施された紋様は確かに精神異常に対し抵抗を高める術式であった。
「……嘘ではなさそうだ」
「でしょお!? 考えてもみてくださいよぉ! もし仮に僕が教団を操る何某の手先だったとして、わざわざ危険を冒してこんな地下牢まで潜り込んだりしませんよぉ!」
「ここは地下牢だったのか?」
「ですです! 団長達は聖女なりすましの実行犯で逮捕! その後地下牢に送られたんです!」
「……確かに」
周囲を見渡すハハイヤは既視感の正体を理解した。
ここは地下牢。それも監獄でも最深部にある重罪を犯した人間を幽閉する場所だ。空気は悪く、カビと糞尿が混ざったような悪臭は、ただの呼吸すらも一種の刑罰になり得るほどである。
「そうか……私はあの後地下牢に送られたのか……」
「ホント信じらんないですよぉ~! いきなりリオ様帰ってきてぇ!? 『ああ、じゃあ影武者どうするのかな?』とか思ってたら捕まえるとかなんとか言ってぇ!? 上も止めるどころかやっちゃえって感じでぇ!? リオ様も僕に〈魅了魔法〉掛けてきてぇ!? 魔道具あったからいいものの、他の皆が魅了されてたらそりゃあ魅了されたフリをするしかないでしょお!?」
「その、なんだ……苦労を掛けた……な?」
「なんで若干疑問形なんですか? 実際苦労したんですよぉ!」
副団長にあるまじきベソを掻くルフール。
彼はこれでも副団長なのだ。普段の言動が全くと言っていいほど頼りないものの、仕事は十二分にこなせる有能である。
普段の言動だけがダメなのだ。
それさえ除けば非常に有能なのに、世の中とはままならぬものである。
本当に言動だけがダメなのだ。
「その言動さえ治ればなぁ……」
「何度も何度も言動って言わないでください。恥も外聞もなく泣きますよ?」
「やっぱり言動なんだよなぁ……」
「はい、今から泣きますね。三、二……」
「フンッ」
「イギュッ!?」
しかし、『一』を言う前にルフールは黙らせられる。
物理的に首を絞められての発声妨害。これには堪らずルフールは、ハハイヤの腕を無言でタップせざるを得なくなる。
「こ、殺されるかと思った……」
「あんなことをしておいて言うのもなんだが助かった。おかげで貴様を殺さなくて済む」
「めちゃくちゃ物騒なこと言うじゃないですかぁ……」
「……」
「……え? 冗談ですよね? ねぇ? ねぇってば! 無言が怖いですって!」
ハハイヤは黙秘するが、もし仮にルフールが正気で教団に弓引いていた場合、誅殺するつもりだったことはここに追記しておこう。
副団長ルフールの命運は、こうして尽きずに済んだ。それもまた彼の有能たる由縁である。
「ともかくここから脱出しましょう。看守は薬で眠らせてますけど、いつ起きてくるか分かったもんじゃないですからね。ここに来るまでも一苦労でしたよぉ……」
「世話を掛けたな」
「あっ、そうだ。団長の武器とか鎧も牢屋の表に持ってきてますから装備しといてください」
「わざわざ持ってきたのか?」
「あと水と軽食も。ここに来てからろくな物も食べてないでしょう? お腹が減っていざという時、力が出ないと困るのは僕なんですからね」
「ルフール……」
やはりこいつほど有能と残念を反復横跳びする部下はいない。
自分が上司だからまだ許せるとは言え、逆に彼の部下がどう思っているのかが不安になってきた。
事が済み次第ヒアリングでも行おう──そんなことを考えつつ、ルフールが持参した軽食を口に詰め込み、三回の咀嚼の後に水を飲んで胃に流し込む。
『いい食いっぷりですねぇ』と感心するルフールにハハイヤは感謝を告げる。
すると『それ作ったの僕なんですよ』と返ってきた。彼は無駄に器用なのだ。
「状況を整理したい」
ハハイヤは時間が惜しいと鎧を着る片手間に状況説明を求める。
ここ数日の記憶が曖昧だ。かなり強力な魅了の支配下に置かれていたらしい。辛うじて思い出せるのはリオに魔法を受けるまでの光景と、汚い地下牢の床と壁くらいだ。
「う~ん、どこから説明したらいいものか……」
「まず知りたいのは教団の状況だ。察するに教団の大部分はリオ様の魅了の支配下に置かれている……相違ないか?」
「僕の見立てもそうですね」
あっけらかんと、しかし絶望的な現実。
これにはハハイヤも着替えながら天井を仰いだ。掃除される機会の少ない地下牢の天井からは、どこからか水が染み出しているのか、ポタポタと水滴が垂れてくる。それがハハイヤの額にぴちゃりと垂れてきた。
「……リオ様」
あの日、自分に魔法を掛けてきた聖女の顔を思い浮かべる。
笑っているような、泣いているような。
どっちつかずとは思わなかった。
人間の表情など一口に言い表せるものではない。きっとあれはどちらも本当の表情だったのだろう。
「一体いつから……」
「そこですよね。流石に一気に魔法で魅了するのは現実的じゃありませんし、地道に数を増やしたんでしょうが……」
「〈聖域〉の感知は? 悪魔の侵入などはなかったか?」
「いえ、一度も」
「そうか……」
悪魔の仕業でないとすれば、やはり魅了の実行犯はリオだ。
〈魅了魔法〉が効きやすい相手の特徴は複数あるが、結局は相手が自身に好感を抱いているか否かに収束する。
その点、国民の多くから人望を集めている聖女は〈魅了魔法〉との相性が最高だ。リオは容姿は勿論のこと、内面についても教団と騎士団から評判が高かった。
「僕の所感から言うと魅了の支配下に置かれている騎士団員はおよそ半数程度……実際はもっと多いかもしれないですね」
「違和感を持つ団員は居ないのか?」
「居るには居るけど、って感じです」
「迂闊には動けないということか」
「えぇ……」
すでに半数以上がリオに魅了されているという異常事態。
それに気が付いたところで異常が過半数を上回っている以上、まだ正気である人間が覚える違和感も数の暴力で封殺されてしまう。
もしそれでも異を唱えようものなら──あとは想像に難くはない。
「ではあの命令は? リオ様はどういう腹積もりで彼を捕らえろと命じたのだ……っ!?」
聖都に辿り着くまでの間、懸命に影武者を演じてくれたアス。
彼の身を案じるハハイヤは、ちょうど腰に佩いた剣の柄を強く握りしめる。手から伝わる振動でガチガチと触れ合う鍔と鞘の金属音は、彼の困惑と義憤を如実に示していた。
「影武者を演じさせたにも拘わらず、そんな彼の献身と覚悟を反故にするなど……!!」
「それについてなのですが……なんでも、リオ様は今までに聖女を騙る人間が罪派と通じていたと仰ったみたいで」
「……なんだと?」
「慰問の最中に姿を消したのは、その偽物を炙り出す為とかなんとか……」
「待て、彼の身は潔白だ! 罪派であった過去も、あくまで洗脳教育を施されていた過去の話であって……!」
必死になってハハイヤは弁解する。
この旅路の道中、ハハイヤはアスから過去の所業──そう呼ぶには自分ではどうしようもない罪の数々を懺悔された。
しかし、それは彼が子供だった時代の話。
ここ最近噂になっていた聖女の黒い噂とは一切関係のないものであるはずだ。
「落ち着いてください、団長!」
「落ち着いていられるか! 聖女のなりすまし? それも罪派と共謀していた? もしそんな罪で捕まろうものなら──!」
「死罪、ですね」
淡々と告げるルフール。
出来る限り感情を乗せず事実のみを告げた彼であったが、むしろそれがハハイヤの燃ゆる義憤に油を注いだ。
「そんなもの……スケープゴートではないか!!」
堪らず拳を振るうハハイヤ。
手甲を嵌めた拳は地下牢の壁に叩きつけられる。危うかった。あと少し自制が間に合わなければ、壁に蜘蛛の巣状の亀裂を広げて震動を地上にまで届けていたかもしれない。
「フーッ……!」
「団長……」
「……済まない、冷静ではなかった」
「心中お察しします」
ハハイヤとルフールの付き合いもそこそこだ。
ルフールはハハイヤという騎士が、一見冷徹な鉄仮面を被りながら、誰よりも内に熱い忠誠心と正義感を秘めていると知っていた。
なればこそ、このような罪を他人に被せる所業を許せないと奮い立つことも予想の範疇だ。ある意味で想像通りの姿にルフールは安堵する。というのも……。
「よろしいので?」
「……何がだ」
「相手はリオ様です」
たとえリオが更なる黒幕に操られていたとして、それでも内部をここまで掌握したのは彼女自身の所業。
聖女としてそれが許されるかと言えば……否だ。
実害を出してしまった以上、非難は免れない。ましてや他国の聖女にも手を出したのだ。これは重大な外交問題にも発展する。
それでも──ハハイヤにとってリオは忠誠を捧げる相手だ。
「盤石を期す為にリオ様を洗脳したのか、リオ様を洗脳する為に盤石を期したのか……どちらにせよ悪魔がリオ様を先行させた理由は、教団掌握の要足り得るからだと愚考します」
「……ああ」
「実質的に教団を無力化。ではなぜ聖女会談の日を狙うと言ったのか?」
「……狙いは聖女か!」
「恐らく」
──七大教国において最も影響力を有する人物とは誰か?
多くの人間はまず教皇を挙げるが、その次に挙がるのはまず間違いなく聖女である。次いで枢機卿や騎士団長が来るものの、やはり聖女には一枚劣るというのが二人の正直な意見だった。
容姿に優れ人望が厚い聖女と〈魅了魔法〉のシナジーは高い。
国を掌握する橋掛けとして、聖女ほど適した立ち位置は存在しないだろう。
つまり、リオ──延いては彼女を攫ったサタナキアの狙いとは。
「各国の聖女を洗脳して国を内部から落とす、か」
「断定はできませんけどねぇ」
「いや……可能性としては十分あり得る」
相手の立場になって考えてみる。
一堂に会する国の上役を一気に洗脳できるまたとない機会。これを逃す理由がハハイヤには思いつかなかった。
「相手を見つめるだけで魅了する奴の魔眼は凶悪だ。あらかじめ対策を講じておかなければひとまとめにやられる!」
「……まずいですねぇ」
「まずいどころの話ではない!」
最悪七大教国──否、大陸全体の危機だ。
ミレニアム王国を除いた七つの宗教国家全てが悪魔の手に落ちるなどあってはならない。さもなければ地上は火と血と涙に沈む。悲鳴と慟哭は空を劈き、積み上げられた死体はいくつもの山を生み出すだろう。
「それだけは防がねば……!」
「どうするんです?」
「それは……」
教団と騎士団の大部分が掌握されている以上、一人でできることなど高が知れている。
──魅了を解除して回る?
いいや、とハハイヤは頭を振った。
解除して回るには人手が足りない。そもそも解除を勘付かれればリオが動き出すだろう。どこまで魅了による洗脳が完了しているかは分からないが、流石に部隊長や守護天使に囲まれれば、騎士団長であるハハイヤも厳しい戦いを強いられる。
足りない。
情報も、人手も。
何もかもが今は足りない。
「クソッ……」
──やはりこうするしかないのか。
一つだけ方法はある。
ただし、それは暗い覚悟を要する手段だ。ともすれば自分の命……何よりも心を投げうたねばならなくなる。
「……団員を魅了して回っているのは、たしかにリオ様なのだな?」
「ええ。この国であの方ほど慕われている人間は居ませんからね」
「……」
「……団長まさか」
「言うな」
ハッと瞠目するルフールを、即座にハハイヤは制した。
何故なら、
「決心が鈍る」
魔法で魅了された人間を正気に戻す方法はいくつかある。
だが、時間も人手も道具もない中では、一度に大人数を相手取ることは不可能だ。
しかし、それを唯一クリアできる手段があるとするならば。
(あの方を──リオ様を討つしかない)
魔法での魅了は、いわば術者に対する好感度の操作。
裏を返せば、術者自身が死ねばそこで魅了の効果は消える。
「落ち着いてください、団長。リオ様に手を掛けずとも、リオ様に掛けられた魅了を解けばいいのでは?」
「っ……そうだな。しかし……」
「しかし……なんです?」
「……考え得る限りの最悪は、リオ様が魅了されていない場合だ」
「……まさか」
『ありえない』とでも言わんばかりの態度をルフールは取った。
それもそのはず。ルフール自身、聖女リオの人柄はよく知るところであった。人当たりも良く、誰にでも礼儀正しい。それでいてふとした瞬間に覗く子供っぽさは、彼女の純真さを表しているようで好感を抱いていた。
──彼女が自らの意志で他者を害すはずがない。
ルフールはそう考えていた、が、しかし。
「魅了されなくていても脅されてやっている可能性だってある!」
「それこそありえない話ですよ! どうしてリオ様が脅されてだけで、こんな大事をしでかすんですか!?」
「それが分からないから悩んでいるのだ! だが──あの人だって普通の人間だ!」
騎士であれば国や民を守るのに己が命を厭わない。
しかし普通の人間……普通の感性であれば、自身の命を奪うと脅迫されてしまえば、分かっていても罪を犯すことだってありえる。
たとえ聖女であろうと、そこは変わらない。
何故ならリオは普通の女の子なのだから。
それを理解しているハハイヤだからこそ最悪を想像してしまう。
もしも本当にリオが自らの意志で団員を
「……」
「団長。もし仮にそうせざるを得なくなったとして……その時は僕がやります」
「いや、いい」
「団長!」
「いいんだ」
万に一、いや、億が一“最悪”に陥ったとして。
「私がやりたいんだ」
忠義を誓った者として。
彼女を愛する者として。
せめて、葬るならば自分の手で──。
「団長……」
「……済まない。こんな場所に居たせいか、悪い考えばかりが頭を過る」
そうだ、とハハイヤは話題を変えるように声を上げた。
「マザー・アグネスはどちらへ? 彼女もここに囚われているのか?」
「いえ。あの方の身柄を我々は確保できておりません」
「逃げ果せられたというのか?」
「ええ。ほら、あの方の近衛を務めていた元聖堂騎士団長の御仁」
「ベルゴ殿だな」
「我々の拘束をあの方が聖霊で破壊したんですよ」
ハハイヤは得心する。
確かあの時用いられた拘束術式は肉体を縛るものであり、魔力の流れ自体を妨害するものではなかった。
だからこそハハイヤは〈聖域〉で上書きしようと試みたし、可能なのであれば聖霊を顕現させて拘束も解けるだろう。
「ビックリしましたよぉ。まさか聖霊を繰り出せるとは思わなんだ」
「そうか。ベルゴ殿達は無事なのか?」
「いえ、結局あの後総出で身柄を確保致しまして」
「む……? では、ここに囚われているのか?」
「ええ、まあ……」
それを早く言え。
そう怒鳴りつけたい衝動をグッと呑み込んだ。彼も地下牢に潜入するのに苦労したと言っていた。多少抜けている部分はあっても、わざわざ骨を折ってくれた副官を怒鳴りつける不義理は働きたくはない。
「そう言えば私はどれぐらい地下牢に閉じ込められていたのだ?」
「五日ほどですね」
「そんなにか。そうだ、会談は? マザー・アグネスが居られないんだ。どうするつもりだ」
「日程は変わらず……」
「……明日だと!?」
経過した日数と日付を暗算したハハイヤは、思わず声を上げた。
通常、会談の日にメインとなる聖女が遅れる場合、開催日は後ろにずらすのが慣例だ。
それをしないとなると、遁走を続けるアグネスを黙殺すると言っていると同義。いよいよ上層部にまでリオの魔の手が及んでいると見て間違いない。
「すみません。もっと早く来られれば……」
「分かっている。当日でないだけやりようはある」
「『悪魔の脅迫に屈さず、盤石を期して迎え撃つことで、我ら人類の堅固かつ強固な守りと繋がりを誇示する』……と言ってましたけど、それにしたってねぇ」
「そういう建前にしておきたいのだろう」
ルフールに案内を任せ、ハハイヤは急ぐ。
向かう先は無論、アグネスの護衛であったベルゴ達が囚われている牢屋だ。
「まず彼らの解放が最優先だ。今回の件、彼らの協力がなくば解決は難しい」
「……協力してくれますかねぇ?」
「侮辱するな。彼らの人柄を見た私がそう言っているのだ。だが
「……たとえの話ですよね?」
「……全てが終わっても収まらぬというのであれば」
「やめてください!?」
仮にハハイヤが腹を切る(物理)場合、エスカレーター方式に次期団長となるのはルフールだ。
「嫌ですよ!? 僕はハハイヤ団長の副官ぐらいがちょうどいいんですからぁ!」
「自分を卑下しているのか評価しているのか判り辛いな……」
「今回の件の後処理をやらされるなんてまっぴらごめんですよぉ!」
「そこに直れ。貴様の根性を叩き直す」
やはり一発ぐらい焼きを入れた方が良いだろうか?
違うベクトルから自分が団長を退いてはいけないという感覚が湧き上がる辺り、ある意味では彼も副官として優秀なのかもしれない。言動は残念だが。
しかし、おかげで少しばかりいつもの調子が戻ってきた。
その点には心の中で感謝し──。
「そう言えばなんですが」
「どうした?」
「騎士学校でよく聞くじゃないですか。牢獄の地下には獄死した人間の幽霊が……」
「殺すぞ」
「すみませんでした」
空気を和らげる為に振った話題であったが、どうも顰蹙を買ったらしい。
ルフールの腰は反りに反る。さながら火に炙られたスルメイカだ。ハハイヤの怒りの火に炙られているという意味では、ルフールも確かにスルメイカであろう。
「確かあの角を曲がった先です」
「そうか。牢屋の鍵はある?」
「勿論」
普段は看守が管理している牢屋の鍵が束になったキーリング。
それを事も無げに掲げるルフールに、ハハイヤはふぅと息を吐いた。
「おやおやおや。どこかで見た顔ぶれだ」
「!」
突如として聞こえる声。
即座に身を構えるハハイヤは、脇の鉄格子越しに見える人物を見て眉を顰めた。
頬は痩せこけ、髪には艶はない。
しかし、地下牢に幽閉されているにしてはまだ生気を感じられる。一年も閉じ込められれば亡霊同然となるのがこの場所だ。
となれば、この男はまだ収監されたばかりの罪人。
「お前は……フロールムで捕らえた罪派の」
「あらあらあら。騎士団長殿に顔を覚えていただけるとは光栄ですねぇ」
たしかドミティアと言ったか。
フロールムに蔓延る罪派の頭領。罪器カドゥケウスを用い、罪獣
あの事件からすでに数週間は経っている。裁判が終わり、収監されていたとしても何らおかしくはない話だ。
「……お前に構っている暇はない」
「まあまあまあお待ちなさいな。先の会話、聞こえてましたよぉ? どうやら貴方もここに囚われていたようですねぇ」
「行くぞ、ルフール」
「──聖女リオが罪派に与した理由」
「!」
──聞きたくはないですかぁ?
冷えた鉄格子の先。
湿った石畳に鎮座するは、ハハイヤが求めてやまぬ真実に他ならなかった。
***
荒涼とした砂漠。
唯一そこに緑と水が溢れ、いくつもの家が立ち並ぶオアシスの村があった。町の中には数多くの住民と魔物が行き交い、今日も今日とて畑を耕すなどの農作業に努めていた。
「──どうしてもお行きになるのですね」
オアシスの村の中、他の建物よりも立派な屋敷。
その玄関には二つの人影が並び、重なっていた。
重なる影の一つ……ロイヤルブルーの御髪を乾いた風に靡かせる女は、金色に縁取られた髪色同様に深い青を湛えた瞳を揺らしていた。
か細い指を目の前の胸に添え、目尻に堪えた雫が零れぬようにと唇を噛みながら。
「まだ帰ってこられたばかりだったのに……」
「ごめんよ。少し面倒事が起こりそうでね」
「分かっています。貴方がそう仰る時は、決まって大事が起こるのだと」
零れぬ内に涙を拭う女。
村娘同然の格好であるというのに、どこか高貴な空気を纏う彼女は、そのまま体を目の前の人物に体を預ける。
「だから約束してください。必ず無事に帰ってくると」
それを青年は受け止める。
全身を鎧に身を包んだ騎士のような風貌の彼は、身を預けてくれた彼女の背中に手を回し、優しく──それは優しく抱きしめた。
「……約束するよ」
「絶対ですよ?」
「絶対だ」
それからたっぷり一分ほど。
十分なくらい抱擁を交わした二人は、名残惜しさを隠さぬままようやく離れた。
「では、行ってらっしゃい」
「うん、行ってきます」
青年は踵を返し、ようやく歩を進めた。
振り返れば玄関に立つ女性は自分に向かって手を振っていた。大分距離が遠くなり、そのシルエットがゴマ粒になっても振られる手は微かに望める。
そうして青年がやって来たのは巨大な赤い竜──ではなく、それに似た外見に蜻蛉の外殻と翅を生やした魔物の元。それは
『オ待チシテオリマシタ、ゴ主人』
「スーリア教国の聖都、テンペランまで」
『ココカラデスト丸一日は掛カリマス』
「出来る限り急いでくれ」
『承知致シマシタ』
魔物にも拘わらず人語を介すのは高い知能の顕れ。
青年を背に乗せたレッドドラゴンフライは、そのまま目に見えぬほど高速で羽搏かせ、一気に上空へと飛び立った。
上空は激しい気流が発生しているものの、赤き蜻蛉は砂塵を切り裂くようにして突き進む。
「ったく、ライアーめ……」
叩きつけられる砂塵に辟易しながら、青年はしばらく会っていない友人の顔……いや、鉄仮面を思い返す。
「急に呼びつけやがって。そういうのはもっと早くに言ってほしいんだけどな」
『早馬デ報セルニモ限界ガアリマスカラネ。致シ方ナイカト』
「キミは大人だな。あいつに見習わせたいよ」
一人と一匹は飛ぶ。
向かうは仲間の下。
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