第101話 見上げた空は暗雲の始まり
『ハハイヤ! 今日も遊ぼう?』
『ねえ、ハハイヤ! これ食べて!』
『ハハイヤ、一緒に庭で本を読まない?』
『新しい魔法が使えるようになったの! 見ててハハイヤ!』
『ハハイヤ……雷怖いから一緒に眠らない……?』
『ハハイヤ!』
『ハハイヤ?』
『ハハイヤ……わたしは──』
「……はっ!?」
夢を見ていた。
そう自覚した瞬間、私は窓を見て時刻を確認する。
『……まずい!』
『居られますか団長? あっ、やっぱりここに……おはようございます。また上から書類が……』
『ルフール! 少しここを頼んだ!』
『え?』
『残った書類は適当に捌いてくれ! 私が責任を取る!』
『え……えぇー!?』
ちょうど執務室に訪れた副団長と入れ違いになる形で、私は部屋から飛び出した。
『はぁ……はぁ……!』
髪も服装も整えている暇などない。
濃い隈を作った顔を晒すのも厭わず、私は一目散に大聖堂を目指した。鳴り響く鐘の音が出立の合図だ。
『リオ様ぁー!』
『っ……ハハイヤ!?』
ギリギリだった。
ちょうど鐘の音が鳴り終わる頃、私は大聖堂の前に辿り着いていた。そこには聖女を乗せる馬車へ乗り込もうとするリオ様の姿があった。
驚愕に満ちる表情は突然現れた私にか、あるいは私の取り繕わぬ姿を見てか。
いや……両方だろう。
なんとなくそういう確信があった。
『良かった、間に合いました……!』
『まさか見送りに……? いいと言ったのに……』
『申し訳ございません。仕事を終わらせて来るつもりが、寝落ちしてしまって……慌てて』
『こんな酷い隈を作って……!』
『いえ、それもこれも私が至らぬばかりに──』
そう言った瞬間だった。
ぺちり、と。
触れたのではない。
叩かれた。
『……リオ様?』
『馬鹿……あなたの体はもうあなただけのものではないのですよ?』
頬に添えるように叩いてきた手は震えていた。
その瞬間、私は酷い痛みを覚えた。
頬の方ではない。叩かれた頬などちっとも痛くなかった。
けれども胸の方が。
早鐘を打つ心臓が締め付けられるよう痛みだした。
『もうし、わけ……』
『いいんです。あなたはそういう人だって分かってるから』
『っ……リオ様には敵いませんね』
自責の念で俯いていた顔を上げれば、そこには少女が佇んでいた。
聖女ではなく、あの頃傍に居た純真無垢な少女の──。
『……ねえ、ハハイヤ』
『なんでしょう』
『あのね……聞きたいことがあるの』
『私が答えられることならいくらでも』
『じゃあ──』
震える唇はこう紡いだ。
──わたしが罪を犯したとして、あなたはそれでもわたしを愛してくれる?
『……は?』
言っている意味が分からなかった。
連日徹夜続きの頭であったからか、私はしばし思案した後、こう答えた。
『私は……私は、リオ様が罪を犯すような方だとは思っておりません』
『っ……』
『ですので、私の忠義は──』
『分かった』
『リオ様?』
すると彼女は踵を返した。
まるで逃げるように馬車へと乗り込む彼女は、従者によって閉められる扉の合間から、こう告げた。
『──さようならっ、ハハイヤ』
そしてリオ様は聖都を発った。
いつもと同じ慰安巡礼の旅。
私は彼女が帰り次第、あの時の言葉の真意を確かめようとばかり考えていた。
だが、相も変わらず忙殺されそうな日々を送る最中届いたのは、聖女リオが悪魔に攫われたという凶報だった。
***
無事、収穫祭は終わった。
ただし、祭り騒ぎにトラブルは付き物だ。
酔っ払いが暴れたり、アスのジャケットを脱がせなかったり。
赤ちゃんが大勢泣いたり、アスのタイツを脱がせなかったり。
料理を嗅ぎつけた魔物が来たり、アスがキャストオフしたり。
本当にうちのシスターがお騒がせして大変申し訳ございませんでした。
いい意味でも悪い意味でも記憶に残るお祭りだった。
けど──楽しかった。料理を囲んで大笑い。男女関係なしに酒を呷り、赤ら顔で歌を歌う光景は年に一度だけの祭りならではと言えよう。
しかし、そうした時間が過ぎるのは早い。
いつの間にか月と代わり番こに昇った太陽は、熱気と酒気の残滓が濃く残る村を燦々と照らし上げる。
「もうお別れしなければならないとは、寂しいものだね」
まだ朝の早い時間、村の門には大勢の使用人と家主トビアが立っていた。
見送りに来た彼らの視線に佇むのは、今日に村を発たねばならぬ聖女御一行だ。
「申し訳ありません。もう少しゆっくり過ごせればよかったのですが……」
今日も今日とて
昨日は聖女にあるまじき痴態を晒した挙句、幻影の下でキャストオフをかました奴である。破れてようやく脱げたバニー服を畳み、『弁償します』と下着姿で土下座していた姿は記憶に新しい。
「いや、済まない。キミを責めてるわけじゃないんだ」
「……はい」
「キミは今、立派に聖女を務めている道半ば。それを
ノイズ過ぎる思い出を消し去ろうとする間にも、トビアは愛する娘に別れる挨拶を済ませようとしていた。
「キミがどこに何をしていようと私は味方だよ」
「お父様……」
「でも最後に一つだけ。抱きしめてもいいかい?」
優しい笑みを湛えながら両手を差し伸ばすトビア。
その仕草を前に、アスはちらりとハハイヤを一瞥する。確認を取るかのようなアイコンタクトであるが、これにハハイヤが頷いた。
すぅ、と息を吸い込む音。
それからゆっくり空気と共に緊張を吐き出し尽くしたアスは、聖女ではなく子供としての笑みを浮かべる。
「お父様……行ってきます」
「ああ……」
しばしの抱擁。
傍から見れば仲睦まじい親子が紡ぐ温かな一場面であり、実際使用人の多くはほろりと涙を流し、その光景に見入っていた。
だが俺は違う。
「(俺は一体どういう気持ちでこれを見ればいいんだ……)」
「(ライアー、言わないだげて)」
「(あやつは十分頑張っているさ)」
俺の言葉に反応したアータンとベルゴはポーカーフェイスを努めていた。
まあ、勘違いしている赤の他人同士の抱擁を見ればそんな顔にもなるか。事情を知って騙している側という立場を加味したら尚更だ。
名状し難い罪悪感を覚えつつも、親子の長い──それは長い抱擁を見届ける。
「……ふぅ」
時間にすれば一分ほどであったろうか。
トビアは名残惜しそうに息を紡ぎ、寂しさが拭えぬ微笑みを我が子へ投げかける。
「このまま離れたくはないんだけどなぁ」
「……ごめんなさい。けれど、わたしは──」
「ああ、分かっている。〈色欲の聖女〉だったね」
あえて異名の方を口にするトビア。
彼は徐に聖女の肩を掴んで回す。そうやって体の向きを変えられた聖女の向くは、これより慰問の旅にて立ち寄る村々のある方角であった。
「さあお行き。キミの助けを求める者の下へ」
そうして父は我が子の背中を押した。
とととっ、と危なげに押し出される我が子であるが、それから三歩ほど歩いたところで彼は振り返り、聖女としての笑みを──。
「っ……皆さん!」
──いや。
「お世話になりましたぁ~~~!」
彼自身の声で村中に響き渡る感謝を告げた。
これに一瞬面食らうトビアと使用人。そしてハハイヤも思わず瞠目する。
しかし、
「ああ、行ってらっしゃい!」
トビアは満面の笑みを湛えて送り出してくれた。
それから村が見えなくなるまで、絶えず後ろからは見送りの言葉を浴びせられた。これだけでもリオという聖女に対する人望が窺えるようだ。
「いや……リオ個人か」
あの声に込められた感情は聖女を信奉するばかりではない。
もっと近しく、温かな──それこそ故郷を旅立ち大成した若者の凱旋を讃えるようなもの。
「羨ましいねぇ~」
「? ライアーはああいうのに憧れるの?」
「さぁ~て、どうかなぁ~?」
アータンに訊かれて俺は思想する。
「勇者様の凱旋! ってなら憧れるけどな」
「じゃあいつか叶うよ。ライアーはすごい勇者なんだし!」
「……アータ~~~ン!」
「んむぅ~!?」
アータンったら、嬉しいことを言ってくれるじゃないの。
「このこのこのこのぉ~~~!」
「
「おいおいお前達……仲が良いのも程ほどに──ア、アータン!? その顔はどうなっているのだ!?」
アータンがどうなっているのかって?
こう……顔の肉を中央に寄せられて、肉まんを上から見た図みたいになっているだけだけど。
言葉を選ばないのであれば菊も──。
『不潔です!!!』
「心を覗くな」
不潔な気配を感じ取った偽物聖女が前の馬車から叫ぶ。
お前のおちんちんセンサーの感度どうなってんだよ。他人がまだ淫猥な言葉を言い放ってないのに不潔認定は言い掛かりだろうが。
「やれやれ、先が長いね……」
呆れて
すみませんね。
うちの子、ついつい先走っちゃうもんで……。
『不潔です!!!』
「だから心を覗くんじゃねえ」
ちったぁ我慢しろ!
『不潔です!!!』
「おい? おちんちん? おい」
『不けっ……んん゛っ!!!』
「ンそこは踏みとどまるのかいっ」
これは前途多難ですねぇ……。
***
「──旦那様」
「うん?」
聖女一行を見送り、屯していた村人もほとんどが普段の生活へと戻っていく。
そんな中、未だ門近くに佇むトビアにアンキーラは意味深に問いかけた。
「あの件をお伝えしなくてよろしかったのですか?」
「……聴取の件かい」
「ええ……」
アンキーラは柄にもなく顔に暗い影が差す。
如実に表れる不安の色。侍女長たる彼女がそうまでなる理由は特に限られる。
「リオ様が罪派と通じているなど……私めは未だに信じられません」
通りすがりにも聞かれぬよう細心の注意を払っての声だった。
しかし、聞きたくもない言葉に限って聞こえてしまう時もあろう。それがトビアにとっては今だった。
「私もさ。あの子が妻の……アザリアの仇と手を組んでいるなどという証言、認めたいはずもない」
「あんまりです。よりにもよって奥様を手に掛けた罪派などと……!」
「無論、私は潔白を訴えたさ。だが……上はそう易々とあの子の無実を認めたくはないらしい」
というより、と口にしたところでトビアの表情は一層険しくなる。
「……無実と認めるには、余りにも証拠が……」
「では……」
「……どうやらこれは私達が思っているより深刻で……そして、根深い問題なのかもしれない」
そう言ってトビアは村の外へと続く道を見遣る。
つい先刻、聖女一行が辿っていた道だ。他ならぬ我が子を乗せた馬車は、きっとこのまま聖都を目指して進むはずだろう。
「……今からでも追いかけてあの方の身を匿うことは、」
「滅多なことを言うものじゃあないよ」
少しばかり平静を失っていた侍女長を窘めるトビア。
彼女がこれほどまでに狼狽える事態など、それこそ妻が死んで以来だ。つまり今、それに匹敵する事態が進行している。
だが、それでも尚トビアは揺るがない。
揺らいではならないのだ。
「たとえあの子がどのような罪を犯したとしても、領主たる私が私情で匿う訳にはいかない。仮に匿ったとして、それで領民はどうなる?」
トビアは聖都で聴取を受けた。
それは聖女リオの罪派との共謀に関する内容。最低限共有された情報だけでも、それが真実であるならばリオを大罪人として処罰するには十分過ぎる罪状の数々を挙げられた。
罪人は裁かれて然るべき。
そして罪人を匿えば同罪。
いかに多くの信者がリオを愛していたとしても、それは絶対に揺らいではならない。
たとえ彼女がトビアにとって、妻の忘れ形見だとしても──。
「……今は、彼らを信じよう」
縋れるものは多くない。
だが皆無ではなかった。
「彼ら、とは……?」
「ハハイヤ君を」
第一候補は、過去の娘の近衛騎士。
そして次に挙げられるは、ディア教国聖女代理を守護する少し風変わりな騎士達。
「罪派を狩る鉄仮面の剣士。もし彼が本物であるならば──」
噂をすれば影が差すと言う。
その影が何者なのか──願わくば愛する我が子を守る勇者の影であることを父は祈った。
***
◇月〇日
今日パルトゥスの村を発った。
村の人達は優しいし、赤ちゃんも可愛いし。
それに収穫祭も楽しかった!
出てくる料理が美味しくてたくさん食べちゃった……。
もうちょっとだけ留まりたかったけれど、そろそろ出発しなければ聖女会談に間に合わなくなるらしい。折角村の子達とも仲良くなれたのに……。
寂しい旨をライアーに零してみた。
そしたら、
『また一緒に来ようぜ』
サラっと言われてしまった。
……もう。
◇月◇日
慰問巡礼二つ目の村に到着。
この村では流行り病が蔓延しているらしい。
それは大変! なんとかしなくちゃ!
……と、一番奮起していたのは聖女を演じるアスさんじゃなくてライアーだった。人助けのモチベーションが高い点については見習いたい。
それはさておき、どうやらアグネス様が流行り病に心当たりがあるらしく、薬草を採取してきてほしいという話になった。
村の人は病で動けないから動いたのは私達だ。
けど、この薬草採集が中々骨折れた。
薬草を採取する為にはヘルバ山に行かなければならず、ヘルバ山には魔物が住み着く大きな川を渡らねばならず、川を渡るには吊り橋を直さねばならず、吊り橋を直すには職人を呼ばねばならず、職人を呼ぶにはアルティの村まで行かねばならず、アルティの村の職人は──となったとこで、
『タライ回して水切りしてるんじゃねえんだぞ!』
途中、そう叫んだライアーが印象的だった。
言っている意味は分からなかったが、怒っていることだけはよく分かった。
結局ライアーは強行突破で魔物を蹴散らし、薬草を採集してきた。
ちなみに橋の方はベルゴさんが片手間で修理していた。ベルゴさんは逆に何が出来ないんだろう……。
何はともあれ流行り病は治せそうでよかった。
あとライアーからお土産にお花を貰った。
なんでも頂上の木にハート型の可愛らしい花が咲いてたから摘んできたみたい。
嬉しいから押し花にして栞にしようとっと。
◇月×日
慰問巡礼三つ目の村だ。
ここでは魔物の被害に遭ったらしく村は荒れに荒れた様子だった。
聞けば村を襲ったのは大きなクモの魔物。
怪我人も多く、このままでは畑仕事も隣町へ行商にも行けないと、村全体が暗く沈んだ空気に満ちていた。
となれば、当然ライアーが動き出す。
怪我人はアスさんとハハイヤさん達に任せて、私達はライアーを追って魔物の住む山の中へと向かっていった。
しかし、またこの魔物退治が厄介だった。
『血を吐きながら続けるイタチごっこかよ!』
案の定ライアーが叫んでいた。
最終的には原因がヴォラレフィリアの住処に天敵を騙って住み着いた
アグネス様曰く、魔物も考え無しに倒すのではなく、きちんと因果関係を紐解いた上で倒すのが正解みたい。
食物連鎖って大変なんだなあと思いました。
◇月△日
慰問巡礼四つ目の村に到着。
ここは一年前より土砂災害が頻繁に起こり、復興しようにもそれがままならない被災地みたいだ。
そう頻繁に土砂崩れが起こるとなると明確な問題があるはず。
そういうわけで今回も原因調査から始まる……かと思ったけど、どうやら原因は魔物が住み着いて管理が行き届かなくなった人工林と、逆に木が切り倒され過ぎた伐採地にあるみたい。
って、村に先着していたライアーが言っていた。
後からタライ回しにされるのが嫌で先行調査に向かっていたらしい。
そういうわけで現場へ急行。
人工林に住み着いた
分身に先行させるなんて、よっぽタライ回しのイタチごっこが嫌だったんだなぁ……。
◇月▽日
とうとう慰問巡礼最後の村に到着したんだけど、大事件が起こった!
なんでも数日前に野盗の襲撃に遭って、村の人達が何人か攫われたらしい。
これは急がなきゃ!
なんて思っていたら、またまたライアーが先行していた。
野盗の根城を暴いて、人質を奪還して、野盗を捕らえるまで全部やっていた。
早いって。
***
「びっくりするくらい何にも起きなかったな」
「何もなくはなかったよ?」
「えっ……なんかあった?」
「何その反応!? 怖いよ!? 私だけ記憶が欠落してるっ!?」
トボけた振りをするライアーにアータンが恐れを成す。
これも最早見慣れた光景だ。
すぐさまライアーが謝れば、いつもの冗談と分かっていたアータンも子牛の鳴き声のような声を上げ、開いていた冒険の書をバッグにしまう。
冒険の書は王都でライアーより貰った贈り物。
初めての贈り物とだけあって大切に扱う彼女は、今日に至るまでマメに記録を付けていた。
旅が終われば『あんな日もあったな』と懐古に浸れることは請け合いだ。
そんな日を夢見つつもアータンが視線を戻す。ここはちょうど小高い丘だ。見渡すには絶好の場所である。
「わぁ……!」
感嘆の息を漏らすアータン。
彼女の目の前に広がるは、白亜の宮殿や建物、そしてそれらを囲う城壁が聳え立つ絶景であった。
「あの都市こそスーリア教国の聖都テンペランです」
御者を務めるハハイヤが告げる。
一見して分かる王都に勝るとも劣らぬ規模の城塞都市だ。魔物や悪魔の脅威に晒されるこの世界、主要都市には決まって外敵を阻む城壁が建設されているが、それにしても圧倒される光景であった。
城塞都市自体は数知れず。
しかし、テンペランより堅牢な城壁に守られている都市はない。それは単に城壁の材質や硬度が硬いからという理由ではなかった。
「あの町全体が〈聖域〉に囲われている訳か」
「そりゃあ悪魔も入ってこれんわな」
うーむと唸るベルゴにライアーが相槌を打った。
スーリア教国は七大教国の中でも聖域術に関して頭抜けている。特に町一つ覆う〈聖域〉ともなればスーリア教国でなければまず不可能。
しかもテンペランの〈聖域〉には、悪魔を感知する術式も組み込まれている。
以前、アッシドにはシャックスが姿を隠して侵入できた。だが仮にテンペランへ侵入しようものならそうはいかない。
〈聖域〉は悪魔──もとい、魔人の体内にある一定量の魔の因子に反応し、即刻悪魔侵入の報せが教団と騎士団に届くのだ。
「道中色々あったが聖都に入れば安全だ。聖都内の主要な建物には守護用の〈聖域〉が幾重にも張られている。特に教皇や聖女の居わす建物ともなれば、破ろうとする侵入者迎撃用の術式が発動する」
「ほっ。前みたいに六魔柱がいきなり参上ってことはなさそうですね」
「ええ……マザー・アグネスとその従者には色々と苦労を掛けてしまいました」
申し訳ない、とハハイヤはライアー達へ謝る。
「いやいや、こちらこそうちの者が」
「いえ。しかし、」
「ケツが大きいばかりに……」
「……はい」
否定されなかった。それでいて噛み締めるような声音だ。
聖女謹製のバニースーツを一着オジャンにされた実感は、ハハイヤに重くのしかかっていたのだった。
「否定していただかないと傷つくのはわたしなんですが?」
だいぶ失礼なやり取りしていると本人が馬車の窓から顔を覗かせる。
「よう、元凶」
「……」
「なっ……ファッキュークロスだと……!」
無言で突き立てられた中指が十字に交差する。
その光景を見たライアーはベテラン聖女の方に振り返る。あの十字架を授けられる下手人は一人しか居ない。
「ケケッ」
「おのれ、奴もまたファッキュークロスの使い手になったというわけか!」
「とりあえず人に中指立てるのやめよう?」
おおよそ聖女に似つかわしくないハンドサインにアータンが窘める。
いよいよ聖都が目前とだけあり、油断はせずとも朗らかな空気が一行の間に流れていた。
常に襲撃を警戒する日々は精神的に堪えるものだ。
その事実を身に染みて感じた一行は、過去に罪派に追われた身のアスに同情と敬意の念を持つ。
それだけの経験を経てなお、人を助ける旅をする。
これは彼の心根が善性の塊である何よりの証拠だ。
(私も一個人として彼を随分好ましく感じるようになったな)
願わくば、その覚悟に報いたい──。
ハハイヤはお人好しが好きだ。世界がそういう人々で溢れれば、どれだけ平和で素晴らしい世の中が出来るかと夢見ている。
その夢を語った少女がそうだった。
純真無垢……と呼ぶには少々不純な趣味を嗜んではいるものの、素直で明るく、自分を傷つけられたとしても他人の傷に寄り添える。
立派だと思った。
誇らしいとも思った。
何より、支えたいとも思った。
(何故だかな……この御仁を見ているとどうにもリオ様がちらつく)
面影と呼ぶにはどうにも親近感の方が勝る。
そんなアスに違和感と好感を覚えつつ歩を進める間にも、一行はとうとうテンペランの城門前へと辿り着いた。
すでに城門前には多くの騎士が整列している。
「うっひょ~♪ 派手なお出迎えだな」
「聖女を出迎えるともなればな」
「な、なんだか緊張してきたよ……」
自国の騎士と分かっているハハイヤがズンズン進む一方、アグネスを護衛するライアー達は三者三様の反応を見せる。
ざっと見るだけでも百人。元聖堂騎士団長であるベルゴはともかく、アータンからしてみれば壮観と思うよりも威圧感に胃をやられそうだった。
「お帰りなさいませ、団長」
騎士の列に近づけば、一人の騎士が歩み出るや丁寧に頭を下げた。
ハハイヤと同じ純白のペリースを揺らす青年。頼りなさげな優男風の容貌とは裏腹に、ペリースには銀糸で団章が縫い付けられている。
「ルフール。済まない、面倒を掛けたな」
「本当ですよぉ……事件の後処理を頼まれるわ、目撃情報を精査させられるわ。挙句の果てには団長は近衛に就かれるもんだから書類仕事が山のように回ってくるわ……!」
「……大儀だった」
つらつら苦労を語るルフールに、ハハイヤは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
するとルフールは数歩歩み寄りハハイヤに近づく。
「して団長。件の聖女殿はこの馬車に?」
「ああ。大事もなく慰問活動をやり遂げてくださったよ」
「へぇ……」
「私はこのまま彼……彼女を宮殿に案内しようと思う。道中あった悪魔の襲撃についての報告はそれから私が行おう」
「……かしこまりました」
「……ルフール?」
妙な間にハハイヤが眉を顰める。
空気が変わった。聖女を出迎える晴れやかな温度が、一変して冷たく皮膚を凍て刺すような冷たさに──。
「──ッ! 下がれぇ!」
束の間の出来事だった。
ルフールが片手を挙げたかと思えば、ハハイヤ達の足元から光が立ち昇る。それが地面に描かれた魔法陣によるものだと理解する間、魔力の光は全員の足から腰の下半身を、そして上半身までも縛り付けた。
(不味い……向こうはッ!?)
首だけでも動かし、後方のアグネス達を確認するハハイヤ。
だが遅かった。護衛であるライアー達も馬車に乗るアグネスも、例外なく魔力の鎖に縛り付けられている。
抵抗する間もなく完了する拘束。
不意を衝かれ抜刀すらできなかったハハイヤは、してやられた事実に歯噛みしつつ、目の前の副団長を凄絶な眼光を迸らせた。
「ルフールッ!!」
「すみません、団長。上からの命令なものでして……」
「命令だと……? ……ふざけるなァ!!」
怒りのまま吼えるハハイヤ。
彼の体がにわかに光る。あれは魔力の光だ。己を拘束する〈聖域〉を無力化しようと、体内から体外へと拡張される魔力回路そのもので魔法陣を上書きする。
その試みを理解したルフールはギョッと目を剥き、頬に冷や汗を伝わせる。
団長なら出来る──その動揺をハハイヤも見抜いた。畳みかけるように大音声を響かせる。
「貴様ら、どういう了見だ!! 私だけならまだしも、マザー・アグネスも巻き込むなど言語道断だッ!! 今すぐ拘束を解け!!」
「抵抗しないでくださいよ、団長! 僕達はただ命令に従っているだけで……」
「一体何の命令だ!?」
「聖女リオに成り済ます罪派を捕らえよ、と」
「なッ……!?」
ハハイヤは絶句する。
荒唐無稽と呼ぶことさえ憚られた。何故ならそれは自らの過去を、そして罪を告白した上で、聖女の名誉と民の命を守ろうとしてくれた人間に対する屈辱であったからだ。
筆舌に尽くし難き義憤が湧き上がる。
──早く拘束を解かねば。
──いや、それよりも馬車の彼を。
──マザー・アグネスの方は?
──彼らの拘束も解かねばこの窮状を脱し難い。
激昂する裏で一瞬の内に様々な思考を巡らせる。
だが、やはりこの拘束を解かねば話にならない。一秒でも多く時間が欲しい。その為にハハイヤは舌剣を抜き放つ。
「誰だッ!? こんな馬鹿げた命令を下すなど──ッ!!」
「わたしですよ」
「──……は?」
だが鋩は止まった。
まるで時が止まったような。
そんな思考の空白が生まれた。
常在戦場。いついかなる時でさえ致命的な隙を晒すことはないハハイヤに生まれた致命的な隙が、まさにこの瞬間だった。
(何故)
何度も繰り返される言葉。
目を疑った。
耳も疑った。
五感で余すことなく精査する。
それでも尚、ハハイヤは眼前の光景を受け入れられず呆然と立ち尽くしていた。
ありえない。
ありえない。
ありえない──!
ようやく再開する思考も堂々巡りだ。
いや、最悪の展開を想像しないが為、答えを保留していたとも言えよう。
違和感はあった。
唐突な聖女の影武者を立てろという命令。
それ自体は別に歴史を顧みればありふれた話だ。しかし、あの時は余りにも性急過ぎた。
──偶然出くわした瓜二つの人間を聖女に仕立てるか?
いかに容姿が似ているからとはいえ、聖女という立場の重みを誰よりも知る教団であるならば、もっと慎重に……それこそ後からどうにでもできる容姿は後回しにし、聖女本人に精通した人物で影武者を立てて然るべきだ。
(まさか──最初から……!?)
やめろ。そう自分に訴える。
だが思考はすでに歯止めが利かない。
次から次へとピースが合わさる。
最悪な
壊滅した罪派の隆盛。
根付く数多くの罪派。
教団の不合理な命令。
そして、他人を魅了する六魔柱の力──。
(頼む──!!)
そうだ。目の前の彼女が偽物でさえあればこれらの推測を否定できる。
偽物であってくれ──そう願う自分が居ることに、ハハイヤは強い動揺を自覚していた。あと一つ衝撃の衝撃で崩れて壊れる。それは繊細なバランスで辛うじて積み上げられた小石にも似ていた心境であった。
最終手段だった。
全てを識るべく、震える唇でハハイヤは問いかける。
「リオ、様……?」
「はい」
蒼穹を瞳に宿し、桜色の髪を風に妖しく靡かせる女が頷いた。
視界が回っている。
受け入れがたい現実に、脳が理解を拒絶している。
しかし、実際にはそれがリオの放った魔法によるものだとは、ハハイヤは最後まで気づくことはできなかった。
〈魅了魔法〉を回避手段する方法は主に三つ。
一つ目は薬や魔道具のような道具に頼ること。
二つ目は〈聖域〉にて精神防御を講じること。
そして三つ目は強靭な精神力で気を持つこと。
だが、三つ目には致命的な弱点が存在する。
強靭な精神力──たとえば強く想う人間が居たとして、その人間を思い浮かべることで他の全てから魅了されなくは済んでも、その当人からの魅了には抗えない。
(リオ様──)
『ハハイヤ!』
『ハハイヤさん!』
『ハハイヤ殿、しっかりしろ!』
後方から呼びかける声が聞こえる。
けれどもハハイヤは抗えない。思考は靄が掛かったように曖昧なものとなり、目の前の聖女にのみ従いたいという欲望が底なしに湧き上がってくる。
(私は──)
最後の瞬間、欠片ほどに残った理性で今一度聖女の方を見遣る。
その時目に映ったのは──
悪魔のような笑みを浮かべる聖女の
(そうか、私は)
彼女のことを何も知らなかった。
あるいは知ろうともしなかった。
今にも泣き出しそうな聖女の笑みを瞼の裏に焼き付けたと同時に、ハハイヤの理性は完全に闇に鎖された。
空は移ろう。
あれだけ晴れていたのに、今や雨が降りそうなくらい曇天と化していた。
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