第100話 祭りはアクシデントの始まり




 会えない日々が続いている。




 『誰と?』と訊かれれば答えはたった一つ。

 離れている時間に比例し、焦がれる想いは増していく。従騎士時代から“堅物”と揶揄された自分にこのような感情が芽生えるなど、以前であれば夢にも思わなかったろうに。


 ただ……。


 いくら焦がれようと。

 いくら燻ぶろうと。


 それだけで会えるのなら、ここまで思い悩んではいない。


 人の想いが目に見えたのなら、きっと今の私は狼煙を上げているはずだ。

 ここだ、ここだ。

 恥も外聞もなく、自らの欲望を天高く知らしめているだろうに。


 けれども、現実はそうもいかない。


「この国は今どうなっているんだ……?」


 数年前に罪派教皇が捕えられて以降、一時は平穏を得られた。

 しかし、今はその逆だ。

 来る日も来る日も罪派の関与が疑われる事件や事故の報告が、各地より挙がっている。さらにはそれに乗じるかのように悪魔──魔王軍の襲撃も相次いでいる状況だ。


 相次ぐ被害に底を突く支援金。

 それに伴って孤児を受け入れられぬと嘆く孤児院の数は、一つや二つでは済まなくなっていた。


──何か……何か良くない異変が起こっている。


 確証はない。

 確信もない。

 ただただ漠然とした不安が胸の中で渦巻いている、そのような感覚が押し寄せていた。


「──いや、そもそもおかしいだろうが! 何故私が騎士団ではなく教団側の事務仕事を回されなければならんのだ!? 部下に回すといったって限度はあるのだぞ!?」


 ふとした瞬間だった。理不尽な仕事量に我慢の限界が来て一人怒鳴り散らす。

 聖堂騎士団は教団の下部組織と言えど、全ての仕事を請け負っているわけではない。にも拘わらず、教団からあれやこれやと仕事を回されるのだ。

 おかげで明日に見送りを控えているのに、こんな時間まで残業する羽目になっている。


「どういう了見だ、まったく……!」


 いけない。

 騎士の中で誰よりも冷静で居なければならぬ騎士団長として、あるまじき精神状態だ。そう自覚はしていても、どうして私がこの胸に居座る怪物を仕留めていないかと言えば──。


「……馬鹿馬鹿しい話だ」


 ここ最近、教団内でにわかに信じられない噂が流れていた。


──聖女リオは罪派と繋がっている。


 根も葉もない噂だ……と断言できれば、どれほど良かっただろう。

 先日、リオ様とよく顔を合わせていた教団関係者が罪派と判明し投獄された。リオ様の方については罪派との繋がりがないことを証明する為、内々で聞き取りが実施されたと聞いている。


「あるはずがないだろうっ……リオ様が、そんなッ……!」


 思わず執務机を壊しそうになる衝動を抑える。

 リオ様は完璧な聖女だ。

 可憐で、美麗で、知的で、丁寧で──長所を挙げればキリがなく、仮に欠点を挙げても愛嬌になり得るという、スーリア教国の“偶像”として完成されていた。


 そのような彼女が罪派と通じているはずがない。

 そもそも通じる理由がない。


 逆に、だからだろうか?

 嫉妬や出世欲に駆られた内部関係者、あるいは罪派が聖女リオの失墜を目論んだ上での犯行。そうとしか考えられない。


 そんな思考を何度繰り返した頃だろうか。

 自然と手は止まり、瞼は落ちる。

 船を漕ぐ段階も踏まずに机にしなだれかかった私は、はらりと舞う書類を拾うこともせず、意識を闇に落とすのであった。


 数時間経ち、窓の向こう側ではすっかり日が昇っていた。


 朝の訪れを報せる鐘の音が鳴る。




(ああ、たしかリオ様の出立は……──)




 近衛騎士を務めていたから知っている。


 朝一番の鳴鐘めいしょう

 それは慰問巡礼に赴く聖女出立の合図であった。




 ***




 悪魔襲撃から数日。

 あの日の死闘が嘘のように談笑する村人らは、来たる収穫祭に向けて朝から準備に大忙しだ。村中の飾りつけや振舞う料理の準備など、文字通りあちこちお祭り騒ぎである。


 一方、屋敷の使用人たちは戦闘の余波でボロボロになった屋敷の掃除や修繕で忙しかった。なんでも六魔柱が一柱・サタナキアがやって来ていてハハイヤとドンパチしたらしい。


 なるほど……サタナキアと一戦交えたか。

 ククッ。

 クククッ。

 クククククッ!



 なにそのイベント俺知らん。怖っ。



 いや、フロールムからここに至るまで全部オリチャーみたいなものだけど、それにしたってサタナキアが直接襲来するとは夢にも思っていなかった。


 だってあいつと戦うのストーリー後半だぜ?

 中盤に戦う偽物魔王よりもずっと後の相手なんだぜ?


 そんなビッグネームが襲来した事実も驚愕だが、ほぼ一人で撃退したようなものであるハハイヤの実力も大したものだ。騎士団長の座は伊達ではない。

 しかし、当然というべきか戦いの舞台となった玄関ホールは惨憺たる有様であった。壊れた家財や瓦礫でごっちゃごちゃよ。


 こんな時キンニクマさえ居てくれれば万事解決だったのに。

 あの煉獄山が如きマッスルで全てを片づけてくれるだろう。


 だが、残念なことにマッスルの脈動をこの村からは感じられない。

 一応あんなのでも魔物だ。怖がる人間が居るのも致し方ない……いや、普通に考えて怖いな。クマぞ? 普通は蜂蜜よりも血肉を求める肉食動物とはそりゃ無理だわ。


 というわけで、だ。


「アータンタンタンタンタカタ~ン♪ タンタカアータンタンタンタ~ン♪」

「またその歌歌ってる!?」


 作詞・作曲共に俺のオリジナルソング『アータンの歌』を口ずさみ、瓦礫が散乱する屋敷の掃除をしていた。

 やっぱり歌いながらの掃除は捗る……なんてご機嫌に歌っていたらだ。

 ちょうど通りがかったアータンが気付き、箒片手に俺へと詰め寄ってきた。魔女っ子みたいでカワイイな。


「恥ずかしいから人前で歌わないでよ!」

「人前じゃなかったらいいの?」

「そ、そういうわけじゃないけど……」

「でももう皆口ずさんでるけど」

「既に周知されている!?」


 遅かったな、アータン。

 流行ってのは気付いた時には流行っているものなのさ。


「周りを見てみなぁ!」


「フーフンフンフンフンフフフ~ン♪」

「フンフフフーフンフンフンフ~ン♪」


「ほ、ホントに口ずさんでる……!」


 無駄に口ずさみ易いリズムだったのが理由だろう。

 瓦礫を撤去する騎士も、破損した屋敷を修繕する職人も、サブリミナル染みた俺の歌の影響を受けて皆同じフレーズを口ずさんでいた。


「うぅ、恥ずかしぃ……!」

「ハハッ、ごめんて。ついつい口ずさみたくなっちゃって……おや? なんだいアータンその手に宿している氷は。待つんだ、〈氷魔法〉は人の顔面に近づけるべきものじゃあない。あっ、結構力強っ!? 本気で俺を凍らせようとしてございませんこと!?」

「お喋りな口だね。私が塞いだげる」

「ヤダ。聞こえだけはロマンティック……」


 このまま二人の唇が重なる──ことはなく、俺を鉄仮面諸共お口チャックしようと掌に冷気を収束させて試みるアータンと、しばしの格闘を演じる。


「そぉいっ!」

「に゛ゃー!」


 決まり手、バンザイ抱っこ。

 脇の下に手を入れられて持ち上げられるアータン。為す術なく宙づりにされる彼女は、まるで猫のように俺に向かって威嚇している。


「ハハッ、悔しかろう悔しかろう。しかし、いつかその悔しさがバネとなる……」

「食らえーッ!」

「バネェーッ!?」


 しかし、普通のにゃんこと違ってアータンは人間だ。

 余裕で折り曲げられた指先から冷気が迸り、俺の鉄仮面を氷結させる。クリーンヒットした俺は間もなく顔全体に広がる冷たさにノックアウト。そのままアータンに騎乗位マウントを取られる形で地に背中から倒れるのだった。完全敗北である。


「あいつらは何をやっているのだ、何を……」

「仲良しはいいことさ。それよりベルゴ、アンタは手ぇ動かしなっ!」

「スミマセンっ!?」


 そのような光景を見守ってくれるベルゴとお婆たまアグネス

 ただし、建材を担いでいる大男と原始的な拡声器で指示を飛ばす老婆の姿は、作業員に檄を飛ばす現場監督のそれだった。様になり過ぎてるのよ。


 このように騎士は力仕事の真っ最中だ。

 襲撃で負傷した者も多かったが、数日経った今はアスの〈回復魔法〉を受けて全員完治済。屋敷掃除担当でない者は現在野菜の収穫へと駆り出されている。


 野菜と聞けばやはり思い出すのは『ギルティ・シンⅡ 暴食の晩餐会バンケット』だ。

 蝗害の影響で飢餓に苦しむ状況から、初めて野菜を収穫できた時の感動──あれは今でも鮮明に思い出せる経験だ。俺にとっては小学校の芋掘りよりも食育に貢献したと言い切れる。


 野菜も色々種類あったんだよなぁ……。


 攻撃のクリティカル率が上がる『タマタマタマネギ』。

 忍の如く速度と回避性能向上の『ニンニンニンジン』。

 動体視力が上がり幻惑を見破る『バレバレポテト』。


 ギルシンⅡは“空腹度”なるシステムを採用した関係上、満腹か否かで能力値が変動するし、口にした食べ物に応じて色んなバフが掛かっていた。

 バフ効果を狙って食材を組み合わせつつ、美味しそうな料理を作る!

 当時ああも熱中して苦手な野菜を克服できたのも、データ容量ギリギリを攻めた美麗グラフィックがあったからこそ。当時の制作スタッフさん達には本当頭が上がらないというものだ。


「今日の収穫祭、お料理楽しみだね」

ホーハヘーそうだね~


 凍った鉄仮面でフガフガしながらアータンと、今日の収穫祭に期待を募らせる。

 後は祭りの主催となる領主の帰りを待つばかりだ。


「トビア様がお帰りになられたぞ!」


 なんて噂をすれば影が差す。

 質素ながら貧乏臭さは感じさせない高貴な馬車が、門のすぐそこまでやって来ていた。きっとあれも信者からの贈り物であるのだろう。


「いやあ済まない! 遅れてしまって済まない! 本当に済まない!」


 屋敷に着く前に馬車から、やけに謝る人間が下りてくる。

 壮年の男性だった。身なりのいい恰好に口髭を携えた、実に貴族らしい風貌である。それでいて優しい光を湛える双眸は、アスを通して一人の聖女の面影を覗かせる。


「お帰りなさいませ、トビア様」

「済まない、今帰ったよ。長く家を空けて済まないね」

「いえ。屋敷の留守を守るのも我々の務めですから」

「いつも済まないね……」

「……それに関わることなのですが」

「うん?」


 『なんだい?』と小首を傾げるトビアをアンキーラが案内していく。


「あ……行っちゃった」

「あの屋敷の有様を目撃するのか」


 留守にしていた屋敷がボロボロに。

 しかも家中に愛娘の大事な絵画を飾っているときた。


 もし俺がその立場だとしたら、軽く発狂ものではあるが──。




『んぎゃあああ!!?』




「……南無」


 響き渡る絶叫を耳にし、同情する俺は静かに掌を合わせた。

 馬乗りになるアータンも『なむ』とおててを合わせる。言葉の意味は分かっていなさそうではあるが、流れからおおよその意図は汲んでいるだろう。




 コレクターって……こういう時が辛いのよね。




 ***




「リオ! リオッ!! リオォーッ!!」


 凄惨な現場を駆け抜け、屋敷を一人の男が走り抜ける。

 向かう先は先に到着していたと聞く愛娘の下。


「リオ、大丈夫かい!?」

「お゛!?」

「お゛?」


 勢いよくトビアが部屋へと飛び込む。

 突然なる家主のエントリー。思わずリオ(偽物アス)も心の女の子が油断しており、汚い喘ぎ声染みた悲鳴を上げてしまう。


「トビア様、ご無沙汰しております」

「ハハイヤ君! 団長就任おめでとう……って今更だね。済まない、中々君に直接伝える機会がなくて」

「お心遣い痛み入ります」


 しかし、それをフォローするのが近衛騎士ハハイヤだ。すかさず挨拶をしてアスの汚声を誤魔化した。


 その間、アスはお師様直伝の精神統一法にて心を凪ぐ。

 『肝要なのは恥じらいを捨てること』──今思えばあれただの女装する為の教えだったなと思わなくもないが、それによってアスの頭は完全なる聖女モードへと移行した。


「お久しぶりです、お父様」

「ああ、リオ! 怪我はない、か……?」

「……お父様?」

「……あ、なんでもないよ。怪我はないんだね?」

「はい。近衛騎士の方々が守ってくださりましたので」


 にこやかな聖女スマイルを湛えるアス。

 その笑顔を前に数秒固まっていたトビアも、今はホッと胸を撫でおろしている。


「それにしても……」


 トビアは今一度周囲を見渡す。

 今居る部屋はリオの私室だ。戦場と化した玄関からは遠かったにも拘わらず、窓ガラスは割れてそのままになってしまっている。これに頭を下げたのはハハイヤだ。


「大切な家財を破損させてしまい申し開きのしようもございません。全ては私の不徳の致すところ。つきましては私が弁償を……」

「いや、それには及ばないよ」

「しかし……」

「聞いたよ? 悪魔の襲来があっても犠牲者は出なかったと」


 目尻を緩めるトビアは、聖女の面影を覗かせる温顔に笑みを浮かべて言う。


「私にとって大切な財産とは民だよ。もちろん信徒から頂いた物も大事だけれど、彼らの命以上に価値あるものなんてない。むしろ、こちらこそ彼らを守り抜いたことを感謝したい──ありがとう」

「トビア様……もったいなきお言葉です」

「でもちょっといいかい?」

「はい?」

「済まない、失礼するよ!」


 急に踵を返したトビアが早足で退室する。

 何事かと二人が後を追えば、どうやら彼は私室へと向かっているようだった。


「トビア様!?」

「速っ」


 速い、速過ぎる。

 騎士団長が反応に遅れるほど俊敏な足で去ったトビアは、何かを探しているのか駆け込んだ私室からドタバタと物音を奏で始める。


「いかがされました!?」

「ああ……良かった……」


 急いで二人が駆け付ければ、トビアは小さな木箱を大事そうに抱えていた。

 まるで赤子を抱き上げるかのような優しい手つきと眼差し。余程大切な物なのだろうとアスにも十二分に伝わる仕草。


「トビア様、それは……?」

「これかい? へその緒だよ」


 気を利かせたのはハハイヤだった。

 愛娘リオを演じている以上、アスは迂闊に質問もできない。口を閉じているしかない彼の代わりに質問の返答に、トビアはこう続ける。


「これはね、形見なんだよ」

「……アザリア様ですね」

「ああ」


 トビアはもう一度木箱を抱きしめる。

 愛した故人を抱くような、悲痛な空気を滲ませての仕草だった。


「〈色欲〉──リオを狙った罪派によって襲われてアザリアは死んだ」

「……痛ましい事件でした。当時まだ騎士でなかったとは言え、それを防げなかった点については忸怩たる思いで」

「あぁ済まない。君を責めたかった訳ではないんだ」


 『ただ』とトビアは暗い顔を浮かべる。


「証拠隠滅を図った罪派は建物に火を付けた。そのせいで妻の遺体は骨も残らなかった」

「……っ」

「唯一遺ったものは出産の記念にと保管していたへその緒だけだった」


 語り終えたトビアは重々しい吐息を紡いだ後、へその緒が収められた木箱を執務机の引き出しに仕舞った。

 平静を装ってはいたものの、滲み出る痛ましさをひしひしと感じ取るアスは何も言えずに居た。


 死んだ妻の唯一の形見。

 慌てて確認するだけのことはある代物だ。遺体すら残らなかった事実を鑑みるに、それはトビアとアザリアの夫婦関係を。何よりアザリアとリオの親子関係を証明する唯一の証拠する代物である。


 居た堪れない感覚にアスは襲われる。

 トビアが妻と娘への愛を滲ませるほど、部外者である自分が場違いであると突きつけられるようだ。


 しかし、今の自分はリオの影武者。

 相手がどれほど家族を愛していようとも、今はその家族の名誉を守るために騙さなければならない時だ。

 アスとして掛けたかった言葉を飲み込み、リオとしてその場はやり過ごす。沈痛な面持ちを湛える聖女として。


「……っと、済まない。暗い話をしてしまったね」

「いえ。……一層身が引き締まる思いです」

「団長になっても君は変わらないな。いや……そんな君だからこそ団長に選ばれたのかもしれないね」

「おかげでリオ様にはよく『堅物過ぎる』と苦言を呈されたものです。今となっては部下との談笑に役立っておりますがね」


 冗談まじりにハハイヤが返す。

 一瞬面食らうトビアは、今度はさっきとは打って変わって腹を抱えて笑い始めた。


「はははっ! 君も随分娘に毒されたみたいだ」

「毒されたなんてとんでもない。むしろ私が感謝すべきことが多いくらいです」

「……娘とはいい関係だったのだね」

「……ええ。今後とも末永くお付き合いできればと」

「……君になら娘を任せられるよ」

「! あ──ありがとうございます!」


「?」


 不意にトビアの視線が自分に向き、アスは小首を傾げる。

 何の話をしているのかまったく分かったものではないからだ。


 しかし笑みは崩さない。張り付けた聖女スマイルは、さながらライアーの被る鉄仮面の如し。

『じゃああいつの鉄仮面よく動くからダメじゃん』等とは、後から気付いても表情に出してはいけない。それが影武者の極意であり、師より賜った女装の極意である。


「さて、そんなことより今日の収穫祭だ!」


 手を叩いて話題を変えるトビア。

 アスの肩に手を置いた彼は、笑顔で今日の行事について語る。


「収穫祭は毎年夕方から始まる。聖女の君には口上を述べてもらうことになる」

「はい。お役目を果たせるよう、責任をもって務めさせていただきます」


 丁寧に受け答えするアス。

 その立ち振る舞いにトビアは笑みだけを返す。親子の間に言葉は要らない。そう言わんばかりの仕草であった。




 そして、時刻はあっという間に夕方へ──。




 ***




「──なったのに聖女来なぁーーーいっ!」


 叫び倒す人間が一人。


「聖女来なぁーい!? 聖女来ないよぉーっ!」

「ライアー」

「はい」


「最早名前だけで制されるのだな……」


 アータンに名前を呼ばれて黙る俺。

 その姿を見たベルゴは、まるで熟年夫婦のやり取りでも目にしたかのように得も言われぬ表情を浮かべていた。


「にしても遅いねぇ……本当に何してんだか」


 ぼやくのは呆れ半分、心配半分と言った声色のアグネスだ。

 事実、収穫祭が始まる目前だというのに主役の聖女アスがやってこない。不思議がっている村人を見るに、常連にとってもおかしい事態なのは明白だった。


「ったく、トラブルかぁ?」

「何かあったかもしれないし様子を見に行かない?」

「止むを得んな」


 先日の一件から不測の事態には全員神経質気味だ。

 『行っといで』と送り出してくれるアグネスの言葉を背に、俺達は小走りでアスの魔力を感じられる屋敷へ急いで向かう。


「この部屋だ!」

「あれ……開かないよ!?」

「なんだと? そんなはずがあるはずなかろう」


 リオの私室である部屋の取っ手に手を掛けるベルゴ。

 しかし、押してもダメ引いてもダメ。扉は面倒くさい彼女のようにうんともすんとも言わない。


「っ~~~っはあ!! なんなのだ、この扉は!? まったく開かんぞ!?」

「ぬ゛ぅ゛う゛んする?」

「そんな『一杯やる?』みたいなノリでぶち破られそうになる壁の気持ちになって」


『不味い、誰か来た!』

『ええっ!?』


 中から聞き慣れた声が聞こえる。


「その声はハハイヤ!? どうしたんだ、一体!? 皆待ってるぞ!」

『いや、これは止むを得ん事情が……』

「皆の目を盗んでムフフでヌフフなギルティ・シンを犯してたのか!?」

『全く意味が分からないのだが!? 分かりやすく言ってくれ!』

「エッチなことしてた?」

『誰がするか!!』


 食い気味に怒られ、俺はアータンに泣きついた。

 よしよしと慰められる間、『でも今のはライアーが悪いよ』とアータンが追撃を仕掛けてくる。彼女も随分強かになったものだ。涙が止まらないぜ。


「っつーか、本当に何してんだ? 皆待ってるぞ」

『ライアーさん、ちょっといいですか?』

「ん?」

『……あなたの魔法でわたしの分身を代理出席させてもらえません?』

「はあ?」


 つまり〈もう一人の自分アルター・エゴ〉を出せという意味だろうか。


「いや、あれ本人が目の前に居ないと出せないし」

『じゃ、じゃあ分身じゃなくても幻影を出したりとか!?』

「むしろそっちのが難易度高いわ」


 〈もう一人の自分〉はいわば複製。

 俺があれこれ調整しなくても、本物と同じ声なり仕草なりを自然と出力できる。


 だが、幻影となるとそうはいかない。

 一から十まで幻影を投影した上で、声は別で用意しなければならないのだ。幻影と幻聴は別物なのである。


『そ、そんなぁ……』

「おいおい。いい加減皆痺れ切らすぞ?」

『待ってください! もうちょっと! もうちょっとだけ猶予を!』

「……なあ、俺達仲間だろ?」


 徐に語り掛ければ、扉の向こう側から息を呑む声が聞こえた。


「お前がどんな危機に直面しているかは知らない。けど仲間である以上、俺達はお前を見捨てたりなんかしない」

『ライアーさん……』

「だから一緒に背負わせてくれ」

『……分かりました』


 決心したような息遣いと共に扉が緩まる。どうやらハハイヤが〈聖域〉で厳重に侵入を阻んでいたらしい。


 つまり、それほどの事態が扉の向こうで起こっていることの裏返しだ。

 自然と全員の表情も緊張する。

 だがすでに腹は括っている。あとは勇気を持って踏み込むだけだ。


「よし──行くぞ!」

「うん!」

「ああ!」


 俺達が踏み込んだ、その先には──!


「ライアーさぁん……これどうしましょお……?」


 涙目を浮かべるアス。

 彼が身に着けていたのはバニー服──をさらに発展させた、いわゆる逆バニーと呼ばれる衣装であった。

 それを着て壁に手を突くアスを、ハハイヤが後ろから無理やり脱がそうと……。


「お邪魔しましたぁ~」

「待って待って待って!! 皆置いてか──」


 バタンッ! と。

 痴態を晒す逆バニーおちんちんシスターを置き去りにし、俺達は扉の外へと逃げ出した。


 気まずい沈黙が流れる。

 どうしてくれんだよ、この空気。


「ねえライアー……あれって……」


「アータン。あれはお前の心の弱さが見せた幻影だ」

「見なかったことにするな」

「じゃあこうしよう。この世には俺達には救えない者も居るんだ」

「見捨てもするな。さっき仲間と言っただろ」

「今だけあれを仲間と呼びたくない」

「……」


「否定してあげよ?」


 真面目なベルゴでさえ言葉に詰まっていた。


 だがこうしていても仕方ない。

 俺達は再び部屋へと足を踏み入れる。眼前の光景に変化はない。やはりおちんちんシスターは逆バニー服を着ていやがった。

 幸いにも下着は着ていたおかげで具はまろび出ていない。さもなければ、俺の自主規制魔法が発動していたところだ。


「何してんだお前」

「弁明させてください!」

「聞かぬ。問わぬ。受け付けぬ」

「殺生な!? 救いは、救いは得られないんですか!?」

「得られはせぬ」

「そんなぁー!?」


 誰が逆バニーおちんちんシスターの弁明を聞くんだよ──聞くか。凄い気になるもの。

 この混沌とした状況を把握するにはそうする他ないの。誰か俺達を救ってくれ。


「──つまりなんだ? 服を着る順番を間違えたと?」

「ええ」


 そもそも何故祭服がこんな痴女染みた服なのか。

 そこのところ一から十まで説明を求めたい気持ちでいっぱいだ。


「この祭服考えた奴頭大丈夫か? 牢屋ぶち込まれてない?」

「考案したのはリオ様ですが……」

「聖女プロデュース!?」


 なんで聖女が逆バニー着ようとしてんだよ、頭おかしいだろ。

 見てみなさいよ、隣のアータンを。目ぇバッキバキに見開いてるじゃあないの。この子がドライアイになったら責任とれるっていうの!?


「スーリア教国では兎が豊穣の化身とされています。収穫祭ではそんな兎をモチーフにした祭服を着るのが習わしだったのですが……」

「それで局部丸出し逆バニー!?」

「いえ、この服はこちらと合わせることを想定していると伺っています」

「ドッキング型バニースーツぅ!?」


 バニースーツと逆バニースーツの融合──その発想はなかった。

 確かにこれなら双方の露出をカバーし合い、限りなくゼロに近い肌面積を実現し得る。


 これぞまさしく聖女に相応しいバニースーツだ!

 股関節の可動域も確保し、有事にも即座に対応できる優れものだ!


「いや、バニースーツである意味」


 結局のところバニースーツ持ちだしたの聖女リオじゃねえか。脳味噌ピンクか。胎教で官能小説でも読み聞かせられたのかよ。

 ちなみに本来バニースーツはあくまでインナーで、その上に厳めしい衣装を着込むとのことらしい。勝負下着かよ。


「じゃあさっさと上だけでも羽織ればいいじゃねえか。それで隠れるだろ」

「馬鹿言わないでください!? こんな丸出しの上にヒラヒラの衣装を着てみなさい! 悪戯な風が吹いた瞬間にポロリですよ!?」

「聖女の聖女じゃない部分がまろび出ると」

「影武者とバレるって言いたいんですよ!!」


「ポロリした時点で聖女にあるまじき事態なのですが……」


 沈痛な面持ちで唸るハハイヤ。

 そんな彼は未だ何か言いたげに口をまごつかせていた。


「着る順番を間違えたと気づいた時点で、脱がそうとは試みたのですが……」


 ハハイヤはそっとアスの太ましい脚を覆うタイツに指を掛ける。


──カリカリカリ……。


 まるで猫が引っ掻いているような姿を見せられるが、一向にハハイヤの指がタイツの中へ潜り込むことはなかった。


 サイズが……合っていないのだ。


 ピッチピチだ。それはもうピッチピチなのだった。

 タイツはタイツでも網タイツ。網目状の生地の合間からは太ましいお肉がぽっこりと浮かび上がっている。要はそれくらい糸が肉の中に埋もれているのだ。


 締め付けてくるタイツと、それに張り合う太もも。

 両者の言葉もなく、終わりもなく争い続けていた──。


「いや、聞こえる……タイツと太ももの悲鳴が……!」

「ひどい……両方幸せになってないよ……!」

「こんなにも悲しい光景が世の中にはあるのだな」


「言葉選べばいいってもんじゃないですよ?」


 若干キレ気味にアスが言った。


 しかし、この見るに堪えない光景には続きがあった。

 タイツの縁を摘まめないと察したハハイヤは、爪先側のタイツを引っ張ることで脱衣を試みる。


 だが脱げない。

 ハハイヤがゼロ・グラヴィティよろしく斜め四十五度──前方ではなく背中側だが──傾くまで全身を使って引っ張る。

 すると直立を保てなくなったアスがベッドの支柱を掴み、横側へ引っ張られる力によって姿勢が地面と平行になっていくではないか。


「ボンレスハムのポールダンスかよ」

「網タイツ部分がなおさらね」

「今度皆で食べに行くかぁ……」


「選ぶなとは言ってませんよ?」


 今度は泣きそうになりながら言うアス。

 奴も奴で色々と限界だったようだ。ごめん。


 ……いや、本を正せばお前が原因だろうが!


「このデカケツシスターが!! まぁ~たケツがデカすぎて抜けねえってのか!?」

「わたしだって好きで抜けなくなってるわけじゃないんですよぉ!!」

「クソッ、時間がねえ!! 全員で力合わせてこの服脱がせるぞ!!」


 既に村人は長時間待たされている。

 一刻も早く着替えを済ませ、収穫祭を開始したいところであるのだが──。


「ぜ、全然脱げねえ……なんだこりゃあッ!?」

「タイツの縁がお肉に埋もれてるよ!!」

「くっ、止むを得ん!! 誰か鋏を持ってきてくれ!!」


「待ってくれ!! これはリオ様が着ようと楽しみにしていたものなんだ!!」


「な、なんだとォ!? では……!!」

「アスさん!! もうちょっと太もものお肉引っ込められない!?」


「そんなお腹の肉みたいに!?」


 総掛かりでもタイツを脱がそうとするも、肉厚な太ももと融合したタイツは一向に脱げる気配が感じられない。どうなってんだコレ。ふざけんじゃねえぞ。

 そうやって悪戦苦闘している間にも、部屋の外側からは足音が近づいてくる。


『あのぉ~、リオ様?』

「(こ、この声はアンキーラさん……!?)」

『村の方々がリオ様をお待ちしております。お着替えはまだ掛かりそうでしょうか?』


 屋敷の侍女であるアンキーラ。

 侍女長である彼女が出張ってきたということは、もう待つ方も我慢の限界であるのだろう。

 アスが影武者とバレぬよう着替えを覗かせなかった訳だが、今ここでアンキーラが入室してしまえば、まろび出そうなアスの罪器を目撃されてしまう。そうなれば命の懸かった影武者作戦が全て水の泡だ。


 ……なんでこいつの股間に人の命を懸けなきゃならねえんだ!


「(仕方ねえ! アス、腹括れ!)」

「(え? あ、はい!)」


『リオ様? いかがなさいましたか?』


 不審に思ったアンキーラがとうとう入室する。


「あら、もうお着替えは済まれていたのですね」

「え、えぇ……ちょうど今」

「それなら良かった。ささっ、村の方々がお待ちしておりますよ」


 祭服を身に纏ったアスの姿を見たアンキーラは、そそくさと帰っていく。


「……よし、バレてないな」

「ライアーさん、あの……」

「このまま祭りの会場に行くぞ」

「ライアーさん?」

「魔力保たないんだよ早くしろ」


 後ろで何か言たそうにする声は無視する。


 はお前の責任だ。

 てめえの尻はてめえで拭うんだよ……!




 ***




 収穫祭の会場は教会前の広場だ。

 今日という日の為に農作物の収穫も終え、あちこちには取り立ての野菜で作られた料理が所狭しとテーブルに並び、香しい匂いを辺りに漂わせている。

 しかし、住民からすれば主役は収穫した作物ではない。


「あ……リオ様が来られたぞ!」

「今年もまた一段とお美しい御姿で……」

「ふぉっふぉっ、仕立てた甲斐がありますわい」


 凛然とした歩き姿で現れる美女。

 スーリア教国において豊穣の化身は兎とされている。

 それを彷彿とさせる祭服を身に纏った聖女は、迷いなく作物が奉納された祭壇へと向かい、静かに膝を突いて祈りを捧げ始めた。


 場が神聖な儀式の舞台に一変する。


 祈りはどれほど続いただろうか。

 すると、徐に祈りを捧げていた聖女が立ち上がる。


 衣をゆらりとはためかせて振り返れば、男性陣が頬を染める。


「──皆様」


 次に凛とした声に鼓膜を揺さぶられて、女性陣も頬を染めた。


「今宵は太陽の恵み、月の守り、そして大地の実りに感謝を捧げる時。春に種を蒔き、夏の日の下で育み、秋の風と共に刈り取ったこの収穫は、ただ我らの手の技のみならず、天と地、そしてスーリアの神の助けによるもの」


 澱みなく紡がれる言葉は、まるで歌のようだった。

 優しい声に耳を癒され、穏やかな声に心を奪われる。

 まだ日は落ち切っていないというのに、すでに全員が夢見心地であった。


「ここにいる全ての者の努力が、この豊穣をもたらしました。今宵はその実りを讃え、謳い、踊り、祝いと歓びの声を、神のおわす天上にまで響かせましょう」




──ビリッ!!




「ビリッ?」

「なんだ今の音?」

「何か破れたのか?」


 突如鳴り響いた不審な音にどよめく村人。

 しかし、雑音が鳴り響いたとて笑顔を崩さぬ聖女は、注がれた杯を手に持ち宣言する。


「さあ! この地の未来が、さらに豊かで実り多きものになるよう祈りを捧げましょう! 皆様、準備はよろしいでしょうか!」


「リオ様ぁー!」

「きゃー!」

「いつでもいいぞぉー!」




「いざ、収穫の恵みに感謝を──乾杯!」




 聖女が杯を掲げた時、爆音のような歓声が村中に轟いた。

 間もなく収穫祭の名に違わぬお祭り騒ぎが始まる。料理を食べ進める者や酒を呷って酔っ払う者、肩を組んで歌い踊る者等々……。


「ふっ……」

「今年も皆大はしゃぎですねぇ」

「アンキーラ。わたしは少し席を外します」

「あら? 始まったばかりなのにどちらまで?」

「ちょっとお花を摘みに」


 茶目っ気を出してウインクする聖女に、アンキーラは『かしこまりました』と恭しく頭を下げる。

 直後、聖女はあっという間にその場から立ち去る。

 小走りとは思えぬ目にも止まらぬ速さだった。歩幅は小さいのに速いという実にアンバランスな走る姿を目の当たりにし、アンキーラは怪訝そうに首を傾げる。


「……そんなに我慢されていたのかしら?」

「そ、そうかもしれません」


 若干言い淀みながらハハイヤは答える。


(……リオ様、申し訳ございません)


 心の中で謝るハハイヤ。

 彼の耳の奥では、つい先程鳴り響いた何かの破れる音が何度も反芻していた。




 その音の正体とは──。




『ちくしょう!! なんでちょっと破れた癖にまだこんな脱がし辛いんだよ!!』

『ひ、ひぃ……しゅ、しゅみません……きゅう……』

『みんな、大変だよ!! 太ももが締め付けられ過ぎて、アスさんが窒息しかけてる!!』

『太ももで皮膚呼吸でもしているのか、こやつは!?』




 完全なキャストオフまでにはまだまだ時間が掛かりそうなおちんちんシスター(とその一行)なのであった。

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