第99話 聖域は迎撃の始まり




 ここ最近、罪派の動きが活発だ。




 いや、活発と呼ぶのは少し間違いか。

 少し前にスーリア教の罪派教皇を名乗る男が捕えられて以降、それまで水面下で活動していた罪派の検挙数が目に見えて増えたのだ。


『……やることが山積みだな』


 一人だけの執務室。

 文字通り山積みとなった書類を前に、私は独り言ちた。


 書類は各地の被害や取り調べといった内容の報告書ばかり。

 悪魔や魔物の被害に関しては今更だが、罪派に関係する事件については、今まで顕在化していなかったことが不思議なくらい大量であった。


 裏を返せば、それが今までスーリア教国に蔓延っていた“闇”だ。


『失礼いたします、団長。追加の報告書です』

『……そこに置いておいてくれ』


 さらに積み上がる書類。

 とうとう向こう側が見渡せなくなったところで、観念して書類に手を付け始める。


 ……今だけは罪派教皇を捕らえた人間を恨んでもいいだろう。

 でなければ、気をやってしまいそうだ。


 その後、延々と報告書と睨み合いながら間違いは修正し、問題ないものについてはサインを記していく。

 気付けば空は茜色に染まっていた。


──また、か。


 日がな一日書類と向かい合い、それ以外は上層部や部下との打ち合わせばかり。

 そのような日が連日と続けば、生真面目という自覚のある自分でも辟易してきている感覚があった。


『はぁ……』


 リオ様とはしばらく会っていない。

 罪派の事件収束の為、あちこち奔走しているのは自分だけではない。むしろ矢面に立ち、被害者と真っ向から向き合わなければならない聖女の方こそ、忙殺されかねない立場と言えるかもしれない。


 近衛騎士時代が酷く恋しい。

 彼女に振り回されていた頃は、ある意味で今以上に忙しくも充実していた。


 何よりも孤独でなかった。


『……会いたい、な』


 ふと零れた言葉に、自分でも驚いた。

 恋しさと愛しさ、両者が綯い交ぜになった感情は、彼女と会わぬ時間の熟成を経てこれほどまでに膨れ上がっていたのか。


 叶うなら今すぐにでも会いに行きたい。

 そして一生懸命聖女として振る舞う彼女の姿を見て、活力を充填させたい。


 だが、それが叶わぬ願いであることを私は嫌というほど理解していた。


『……はぁ』


 今日何度目になるかも分からない溜め息を吐く。

 この山積みの書類をどうにかしなければ、彼女の下へ行く時間は確保できない。


 ならばやるしかなかろう。

 どれだけ険しい道のりであろうとも、だ。


『今日も徹夜だな』


 もう一度だけ。


──この瞬間だけ、罪派教皇を捕らえてくれた人間を恨みたい。


 筋違いであるとは分かってはいる。

 けれども、どうにか自分が団長でない時期にやってほしかったと思わずには居られなかったのだ。


『リオ様……』


 今日も今日とて夜が更ける。

 一人の夜は寂しく、そして永遠のように長く感じられた。




 ***




 屋敷全体が緊迫した空気に満ちていた。


 その中心に立つは、睨み合う騎士と悪魔。

 共に最上と呼んで差し支えない地位にある強者だ。彼らより溢れ出す魔力や威圧は、物理的に押さえるまでもなく、舞台に上がるまでもない弱者共を地に着けさせるに至っていた。


「こ、このぉ!!」


 しかし、時には己を奮い立たせる者も居た。

 サタナキアが連れてきた数体の悪魔。その内、未だ斃れず戦う意志も絶えていない一体が、物騒な三叉槍を構えてハハイヤの下へ飛び掛かる。


 一介の悪魔が騎士団長を討ち取ったともなれば大金星。

 実力主義の魔王軍上層部からの覚えもよくなることは間違いなし。幹部へと昇進し、他の悪魔からの羨望と尊敬を一身に浴びるであろう。


「……へ?」


 だが、ぐるりと反転する。


「へ、へぁ?」


 視界が、世界が。

 悪魔の目に映る全てが上下反転した。


「ぁ、ぁああッ……!?」


 そして最後に映り込むは、首を失った肉体。

 疾うに絶命し、魔力の粒子と化していく己の体を目にした悪魔の生首は、絶望の余り情けない断末魔を漏らしながら床を転がる。


 ゴロゴロ、ゴロゴロと。


「フム」


 最後にぐしゃり。

 悪魔の生首が霧散するより前にトドメを刺したのは、他ならぬ彼らを連れてきた悪魔の首領であった。


「これが聞きしに及ぶ〈鋼鉄の処女〉に伝わる〈聖域〉──〈月剣宮ワギナ・デンタータ〉か」


 味方を踏み潰したことに一切触れず、綽綽とした笑みを湛えるサタナキアは徐に手を伸ばした。

 すると次の瞬間、伸ばしたサタナキアの指先から血が噴き出る。


──斬られたのだ、一瞬で。


 しかし、ハハイヤには微動だにしていない。

 先の悪魔が飛び掛かった時も、たった今自分が手を伸ばした時も。

 一切の挙動もなく、間合いに入った全てを斬り付けたのである。


「ククッ」


 しかしだ。

 ドクドクと血が溢れるサタナキアの指先。その傷口は瞬く間に塞がれていく。


(あれは〈回復魔法〉の類ではないな)


 ハハイヤはその光景を目の当たりにし、そう結論づけた。

 理由は戦場における主な二通りの回復手段。


 一つ目は〈回復魔法〉によるもの。

 そして二つ目は魔人由来の再生能力によるもの。


 歴史を紐解いた時、こと〈回復魔法〉において人間は魔人の術式よりも改良、洗練されているとされている。それは魔人よりも脆弱かつ自前の再生能力を持たぬ人間が、悪しき魔人から命を救うべく研鑽と研究を積み重ねてきたからに他ならない。

 それ故、ある程度〈回復魔法〉に精通する人間であれば、悪魔の再生が魔法か否かある程度判別がつく。


(再生能力に秀でた悪魔と言えば木人と竜人の類だが……)


 木人族も竜人族もそれぞれ手段は違えど、秀でた再生能力を有している。

 すなわちサタナキアもそのどちらかの血を引く──すなわち〈色欲〉か〈憤怒〉の系統の〈罪〉を持っていると類推されるだろう。


(だが奴は〈我慢〉と名乗っていた。単純に考えれば〈傲慢〉の系譜を継いでいるはず)


 〈傲慢〉となれば鳥人族の系譜。

 しかし、鳥人は目に見えて分かるような再生能力は有していない。


(となると、恐らく奴は複合型。〈傲慢〉系の自己暗示で他種族の再生能力を後押ししたのだろう)


 〈傲慢〉系統の恩恵に与れる魔法は〈暗示魔法〉。

 思い込みの力による自身の強化も他人の弱体化も理論上は可能だ。


 それが六魔柱級ともなれば、自己暗示による肉体再生など造作もないはずだ。


(今の時点で推測できるのはここまで)


 ある程度考察したところでハハイヤは切り上げる。

 複合型魔人の厄介な点は、その能力が〈罪〉によるものなのか種族由来なのかが判別しにくい点だ。


 見誤れば意表を突かれ、手痛い反撃を貰う。

 そして、それが致命打となって命を落とす者も騎士には少なくない。


(──なれば、私のやることは変わらない)


 凛然と。

 整然と。


 一糸乱れぬ構えのハハイヤから迸る魔力は、葉脈のように床や壁を伝い、護衛対象の聖女や屋敷の使用人の存在する範囲を堅牢に守護していた。

 〈月剣宮〉──そう名付けられた〈聖域〉へ不用心にも足を踏み入れた悪魔共は、すでに塵と化している。


「芸術だな」


 不意にサタナキアの呟きが広間に響いた。


「……なんだと?」

「魔族の〈聖域〉は大味が過ぎる。ほとんどの者が自身の罪魔法を付与した〈聖域〉を展開するばかりだ。正直に言って……味気がない」

「……実力主義と個人主義が併せられればそうもなろう」


 魔人、特に悪魔は己の力を至上とする者が多い。

 それと多様な姿かたちをしていることも相まっているのだろう。悪魔には技術の継承という考えが希薄だ。


「それに比べて人間とは実に良い。魔力の斬撃で自動迎撃する〈聖域〉──〈月剣宮ワギナ・デンタータ〉。すでに〈聖域〉内に居る者達には傷一つ付けないところを見るに、綿密に術式を組み込むことで指定する対象を厳しく条件付けしているのだろう?」

「わざわざそれを調べる為に部下を捨て駒にしたのか?」

「人伝の話は信用に値せん。吾輩が実地に赴き見聞して得る知見には遠く及ばん」


 そう語るサタナキアに、ハハイヤは妙な違和感を覚えた。

 まるで誰かから聞いたかのような口振り。


 瞬間、ハハイヤの胸中に一抹の不安が過った。


「……誰から聞いた」

「さて?




──




「貴様ぁ!!」


 激昂するハハイヤの気迫に呼応するかの如く、〈月剣宮〉はその範囲を押し広げる。

 すかさず飛び退き距離を取るサタナキアだが、〈聖域〉が広がる速度はそれを上回っていく。


 〈聖域〉がサタナキアを捉えるまで、あとほんの少し。


「フム。ではこれはどうだ?」


 その時、サタナキアが右手に何かを取り出した。


「子供……!?」


 しかも赤子だった。

 生まれて間もないであろう赤子が、けたたましい泣き声を上げて、サタナキアの盾になるように掲げられている。


「貴様の〈聖域〉は、特に境界に強く作用している」

「ッ!」

「それ故に侵入を試みる外敵には非常に有用だが……では、うっかり足を踏み入れた者はどうなる?」

「貴様……ッ!」


──試してみよう。


 端整な顔立ちに邪悪な笑みを湛え、サタナキアは一転し、前方へと飛び込む。

 これには〈聖域〉を拡大していたハハイヤも、対応を変えざるを得なかった。さもなければサタナキア諸共、赤子を細切れにしてしまいかねない。


「ダメ押しだ」

「なにっ……!?」


 刹那、サタナキアの瞳が妖しく光り輝いた。

 嫌な予感がするまま、咄嗟に目を逸らすハハイヤ。すれば次第に眼前の悪魔に対するとめどない情欲が湧き上がってくる。


(〈魅了魔法ウェヌス〉に近い力を宿す魔眼か!)


 相手を己の虜にすることで、敵意を奪う〈魅了魔法〉。

 洗練された使い手が繰り出せば、相手を意のままに操ることさえ可能ではあるが、魔眼の力によるものは初見であった。


 魅了の回避方法は薬や〈聖域〉の他、強固な精神力を持った者であれば回避できる。例としては少ないものの聖痕でも同様だ。


 もし仮にそののどれにも当てはまらぬ者の場合──は。


「──っかぁ!!」

「!」


 

 大声一喝。己に向けた猿叫まがいの声と共に、一人の聖女を瞼の裏に思い浮かべるハハイヤ。すると先ほどまで煮え滾るようだった情欲が嘘のように消えていくではないか。


「ほぅ……中々にやるな」


 感心したように漏らすサタナキアはアスとアグネスの方も見遣る。


「なるほど。聖女共にも効かんか」


 瞬間、サタナキアの口角は吊り上がる。




「さて──では内と外、同時は対応できるか?」




 

 直後、ハハイヤは周囲から押し寄せる足音を耳にする。


 衣擦れに、金属がかち合う音。

 守護すべき者達を守る〈聖域〉内が、途端に騒々しくなった。


(あの一瞬で!?)


 一瞥して事態を把握する。


 騎士が、そして使用人が。

 戦闘員からそうでない者までが一様に目の色を変え、ただ一人──騎士団長たる自分の下へと殺到していたのだ。


「ハハイヤさん!」

「行くよ!」

「っ……はい!」


 少し離れた場所に待機していたアスとアグネスが動き出す。

 彼らは共に魅了に侵されずに済んだ者達だ。そして、絶体絶命の危機にあるハハイヤを救える者も彼らしか残っていなかった。


 アスが。

 アグネスが。

 そして、サタナキアが。


 この場に居る全員が各々の思惑を抱き、ハハイヤの下へと駆けていく。




「──甘く見られたものだな」




「……何?」


 鮮血が舞う。

 しかし、それは操られる騎士や使用人、ましてや赤子のものではない。


 では何か?


 サタナキアは瞬く間に眼前に現れ出で、自由落下を始めた赤子を優しく抱き留めたハハイヤを見下ろしながら笑みを深めた。


「これはこれは……」

「大層なご高説を垂れてくれたがな、貴様は先人の足元にも及んでいない」




──〈月剣宮・殿中ワギナ・デンタータ・イン・ユーテロ




 赤子を盾に〈聖域〉内に侵入した大罪人。

 その腕のみを魔力の刃は斬り落としていた。


 目にも止まらぬ早業、そして神業だった。

 斬撃の速度もさることながら〈聖域〉の構築を瞬時に組み替えるなど、歴戦の聖工隊ファブリーと言えど易々できるものではない。


「少し見下ろし過ぎたか」

「後悔したか?」


 だが、それももう遅い。


 魔眼に操られる騎士や使用人がハハイヤに追いつくよりも早く、軽々しく〈聖域〉へと踏み込んだ魔力の刃が嵐のように襲い掛かる。


 散る。散る。散る。

 血が止めどなく撒き散らされる。


 洗練され過ぎるが余り一切の無駄なく浴びせられる斬撃は、いっそ暴力的という印象を見る者に与えただろう。

 アスが〈覚醒魔法ヴィギ〉で操られた者達の洗脳を解く頃には、すでに数百という斬撃をサタナキアへと浴びせ終えたところだった。


 激しい嵐に見舞われた肉体は、最早原型を留めてはいない。

 不気味に脈動する肉塊から不規則に血を吹き出す、生ごみにも劣るオブジェと化していた。


「新たに生まれてきた命を盾にする外道に相応しい末路だ」


 吐き捨てるようにハハイヤは言い放った。


 一方的。

 六魔柱相手に一切の反撃を許さず、聖堂騎士団は神業の如き〈聖域〉で返り討ちにする。


 その凛然たる佇まいを言い表すのであれば“宗教画”だ。

 聖人が悪魔を討つ、まさに英雄譚の一頁を切り出したかのような光景が、目の前には広がっていた。


「……すごい」


 思わずアスもそう零した。

 彼とて聖域術に精通する使い手の一人だ。戦闘中、既に展開している〈聖域〉の術式構築を組み替えて迎撃対象を変更するなど、ラーディクスの根や巻物スクロールのように魔法陣を物理的に描く方法では土台無理な話だ。


 それこそ罪度Ⅲ──体外まで魔力回路が拡大する、その域への到達が前提条件。


(わたしでは、とても……──)




『流石に……戯れが過ぎたな』




「ッ!?」


 一人感慨に耽っていれば、聞こえてはならぬ声が耳朶を打った。

 驚愕したのはアスのみならず、アグネス、そしてハハイヤでさえも例外ではない。


 それもそのはずだ。

 声の発信源はハハイヤの腕の中──彼が抱きかかえる赤子の口からであった。


 直後、赤子に異変が起こる。

 バキボキと。明らかに普通の人間ではありえない異音を全身から鳴り響かせながら、赤子は醜悪な肉塊の化け物と化したのだ。


「貴様ッ!!」


 瞠目するも束の間、ハハイヤは神速の一閃で投げ飛ばした肉塊を両断する。

 上下に分かたれるグロテスクな物体。あれが人の形であったなら、背骨を断たれて上半身と下半身が泣き別れになっているところだ。


 だがしかし、斬り飛ばされた肉塊は勝ち誇ったような笑みを湛えていた。


『吾輩の心臓を分かった分身を討ち取ったこと、褒めて遣わそう』


 血溜まりに沈む肉塊が。

 いや──分かたれても尚、傲岸が衰える気配のない肉片は不遜に告げた。


『いやはや。実に実りある時間だった。これで貴様らを迎え入れる準備は盤石と化したことだろう』

「待て! 何が目的だ!?」

『ククッ。その願いは通らんよ』


 何故なら──。


 そこまで口にした瞬間、肉片が何者かに踏み潰されて飛散した。


「なッ……!?」

「──チッ」

「〈愚癡ぐちのサルガタナス〉……!?」


 予期せぬ来訪者に瞠目しつつも、ハハイヤは三度〈聖域〉を展開する。


 今度は逃がさない。

 そう意気込むハハイヤは一瞬でサルガタナスを範囲内に捉えるものの、魔力の刃が彼を切り裂くよりも早く、不機嫌な面持ちを湛える悪魔は姿を消した。


「……また逃げられたか」


 痛恨。

 そう言わんばかりの面持ちでハハイヤは歯噛みする。


 同時に確信も得た。


(〈愚癡〉め……奴の転移術は余りにも危険だ。あれでは聖都を守護する〈聖域〉も意味を成さん)


 だからこそ今この瞬間討ち取りたかった。

 しかし、結果はご覧の通り。

 討ち取ったサタナキアは実は分身で、それを片付けに来たと思しきサルガタナスも取り零した。


「怪我人は?」

「命に関わるような者は居りません」

「村民の方も確認を取れ! 急げよ!」

「は!」


 不幸中の幸いは、敵の狙いが屋敷に集中していたこと。

 おかげで死人は出なかった。先の赤子も結局のところはサタナキアの再生能力を応用した肉人形に過ぎない。


 結果から言えば勝利だ。

 六魔柱が二人も襲撃した中、最優先護衛対象である聖女を守り抜き、誰一人として死なせなかった。


 だのに、ハハイヤは妙な胸騒ぎを覚えていた。


 敗北感ともまた違う。

 何かこれからよからぬことが起こるのではないか……そんな不安にも似た感覚である。


(……詮方のない話か)


「団長! 村の住民ですが、先の行方不明者を含め全員生存を確認致しました!」

「……そうか。ご苦労だった」


 行方不明者の安否を確認した。

 それはすなわち、彼らの無事も意味していた。


 視線を屋敷の外へ向ければ、ちょうどこちらに向かってくる人影が三つほど見えた。

 鉄仮面を被った剣士と可愛らしい魔法使いの少女、そして自分と同じ聖堂騎士団長の地位に座っていた大男。


 やけに疲労した顔色を見るに、向こうも向こうで一波乱あったことは想像に難くはなかった。


「向こうの話も聞かねばな……」


 今は皆の無事を素直に喜ぼう。

 でなければ、得体の知れない怪物に胸を押し潰されそうだった。




 ***




「なあベルゴ」

「どうした?」

「こうさぁ、夜に顎に手ぇやった時『ジョリッ』ってしたら、『ああ……今日働いたなぁ……』って気分にならない?」

「理解できなくはない……いや、凄まじく共感できるな」

「だろ?」


「まったく共感できない……」


 ベルゴと成人男性あるあるを話していたら、アータンにそうツッコまれた。

 そりゃそうでしょうとも。アータンが顎に手をやってもほっぺがムニッてなるだけだもの……あっ、やめて。ポコポコ叩かないで。突然ほっぺをムニッてしたことは謝るから。


 閑話休題それはさておき


 夕闇の中、待ち伏せしていた悪魔との戦い。

 それを何とか制して帰路に就いた俺達だが、浮かべる表情はどいつもこいつも浮かないものであった。


 まあ、それが普通か。

 大量の報酬金を得られる魔物が相手ならともかく、人間同様に知性もあれば言葉を交わせる悪魔が相手だ。忌避感があって当然だと言える。


 俺やベルゴのように悪魔と戦い慣れた者は兎も角、アータンに関しては未だに表情が……いや、全身が強張ったままだった。


「サルガタナス……」


 ふいにアータンが零した名前。

 フロールムで邂逅した大悪魔、〈愚癡のサルガタナス〉。俺達が奴と再会を果たしたのは、つい先刻の出来事であった。


 その時の会話は今でも鮮明に記憶されている。


『──オライをやったのはてめェか』

『ああ、そうだ』


 悪魔が死ねば塵と化す。

 亡骸と呼ぶには烏滸がましい、オライの遺品である弓矢を握り締め、サルガタナスは凄惨な眼差しを俺にぶつけた。


 一触即発。

 そう言い表す他ない空気が森全体に波及し、ぼちぼち眠りに就こうとしていた獣達も一斉に逃げ始める。


『……やるか?』

『いや、今はいい』


 だが、奴自身が纏う空気とは裏腹にサルガタナスは首を横に振った。


『てめェと殺り合うのは会談の日って決めてんだ』

『会談……聖女会談のことか』

『そうだ。てめェも来んだろ?』

『馬鹿言え』


 別に『行かない』という意味で言った訳ではない。

 売られた喧嘩で誰かの命が脅かされるなら俺は戦う、全力で。元一般人の転生者とは言え、二十年も生きた世界で大切な人ができれば、それくらいの覚悟は決めていた。


 だからこそ、奴の発言への気がかりは別にあった。


『会談っつったら聖都の中に入ってくるつもりか?』

『あぁ』

『サシとかのこだわりはねえのかよ』


 聖都へと侵入する。

 それはスーリア教国聖都テンペランに、外敵の侵入を阻む強力な〈聖域〉が張られている事実を加味しても、余りにも無謀な試みであるとしか思えなかった。


 聖都と言えば聖堂騎士団の本拠地だ。

 仮にサルガタナスが〈聖域〉を突破し侵入できたとして──俺の見立てでは確実にできるが──まず間違いなく奴は孤立し、数百に上る聖堂騎士による袋叩きに遭うだろう。


 如何にサルガタナスが強大な悪魔とは言え、突き詰めれば奴も一人の魔人だ。

 団長に副団長、各部隊長に加えて守護天使も出張れば、いくらサルガタナスに無法な罪魔法があるとはいえ、削り切られることは間違いない。


『……なんだと?』

『てめェに心配されなくてもアテはある』


 しかしかだ。


 サルガタナスはそう言い放った。

 

 それはつまり、一対一サシで俺とやり合う算段があるということに他ならない。


 その時、俺の全身が総毛立った。

 この感覚はサンディークに見初められた時と同じだ。圧倒的格上の強者から標的にされ、全身の神経が警鐘を鳴り響かせている。


『……なるほどな』

『てめェにはフロールムでのもある』

『器が小せぇなぁ。むしろ傷は男の勲章だろうが。『男前にしてもらってありがとうございます』が先じゃねえか?』

『……ハッ!』


 不気味なくらい落ち着いているサルガタナスは、鼻を鳴らしてから答えた。


『ああ……よくも俺様を傷物にしてくれやがった』


 それはきっと肉体的な意味ではないのだろう。


 ギュッと。

 サルガタナスの手にあるオライの弓が、強く握り締められた音が聞こえた。


『てめェだけは俺様が殺す』


 それだけ告げてサルガタナスは消えた。

 どう解釈したとしても殺人予告。前世では一度たりともなかった経験に、正直今でも心臓は動悸が激しい。


 こっちを殺そうとしてくる手合いは今までに何度も出会った。

 だが結局はどいつもこいつもその場限りの殺意。戦場では誰もが普遍的に抱く戦意の延長線上の感情でしかなかった。


 けれど奴は違う。

 二度の邂逅を経て、サルガタナスは明確に俺を仇敵と定めた。


 体の傷と心の傷。

 肉体の傷と誇りへの傷。


 どうやら俺は、想像以上に根深い傷を奴に刻み込んでしまったらしい。


「ッ……」

「ライアー……?」

「ん?」

「震えてるの?」


 アータンに指摘され、俺はようやく自分が震えていることに気がついた。


「ハハッ、違う違う。こいつぁ武者震いさ……」

「そうなの? ならいいんだけど……」

「あと夜風で鉄仮面がキンキンに冷えてる。とても寒い」

「異なる問題が発生してるよ!?」


 視線を空に向けたまま、俺は力の抜けていた拳を今一度握り締める。


 この感覚は……五年前のによく似ている。


「──ま、なんとかなるさ」


 鉄仮面を必死に温めようとアータンが頭を抱きしめようとする──その結果、ヘッドロックされたような体勢になりながら、俺はそう言い放った。


 だって何とかなったんだ。

 きっと今回だってどうとでもなる。

 ぶっちゃけ仲間が居なかった分、の方が心理的に辛かったまである。後がない孤軍奮闘ってシビアよ?


 三日三晩、俺がどれだけ死にそうになって頑張ったか……まあいいや。


「なあ、アータン。ベルゴ」

「うん?」

「なんだ?」

「頼りにしてるぜ」


 昔と今は違う。

 隣に並ぶ者達へ親指を立て、俺はそう言い放った。

 それに対して二人は──。


「もちろん!」

「望むところだ」


 仲間が居る。

 支えがある。




 それさえあるなら俺は誰にだって負けない。




 ***




 スーリア教国のとある廃城。

 歴史を振り返れば、一時期は罪派の根城と化していた建物であるが、今では野盗も獣も寄り付かぬ不可侵の聖域と化していた。


 その理由は廃城に居座る二つの存在。


「よくもツレを嗾けやがったな」


 唸り声のような詰問だった。


「はて? なんのことやら」

「トボけんじゃねェ」

「我輩はただ場を設けただけに過ぎん。戦いを望み、そして臨んだのは奴らだ。その上で敗死したのは当人の問題。我輩の関与するところではない」


 だが、尊大で傲岸な悪魔相手に恫喝は意味をなさなかった。

 飄々と白を切るサタナキアは、膝にもたれかかる女の頭を撫でながらワインを呷る。まるで膝の上で眠る猫を撫でるような仕草だが、その相手は紛れもなく聖女であった。


──この女さえ居なければ。


 サルガタナスが必死に自制を働かせる理由は他でもない。


 その脆弱な女こそが“鍵”だ。

 鍵がなければ扉は開かず、宝物庫に仕舞われている宝を得ることはできない。


 故にサルガタナスも時と場を弁え、煮え滾る憤怒と闘争心を抑え込んでいたのである。

 それを知ってか否か、ワイングラスを空にしたサタナキアは、愉悦に満ちた笑みを裂くようにしてようやく口を開いた。


「そうカッカとするな。上に立つ者の器が疑われる」

「てめェはな。だが俺様は“暴力”で上り詰めた性質でな」

「知っている。粗暴で粗野で粗慢。“暴力”が取り柄の貴様らしいことだ」


──この期に及んで喧嘩を売る気か?


 思わず拳を振り掲げかけるも、サルガタナスはこれがサタナキアの通常運転であることを思い出す。


 彼は常に

 それが意識か無意識かは問題ではない。

 一挙手一投足、何かにつけて他人を見下さずにはいられない悪魔なのである。


 無駄に遠回りすれば、それだけフラストレーションを溜める羽目に遭う。

 なればこそ、奴には単刀直入に本題をぶつけねばならないことをサルガタナスは思い出した。


「……別にどこで死のうが奴らの勝手だ。死ぬのは手前が弱ェから……それが“罪”だからな」

「ああ、その通りだな」

「だがな、死に場所は手前で選ばせろ」


 サルガタナスは賢い方ではない。

 如何なる苦難や苦境も、結局は“暴力”で解決できると思い込んでいる。


 しかし、一方で信念や信条──自分の中にある感覚を言葉で言い表せずとも、確固とした価値観を抱いていた。


「……異な事を言う。結局それは貴様の言う“罪”ではないのか?」

「違ェ。どこで戦うか、誰と戦うか……それを選べなきゃただの操り人形。元から死んでいるのと同じだ」


 サルガタナスの刃のような眼光がサタナキアに突き刺さる。


「理解できたか? てめェは俺様のツレを

「なるほどな。それが貴様の主張か」

「手前の意志も関係なく戦場に投げ込むってことはそういう意味だ」


 よく分かった、とサタナキアは首肯。

 そのままボトルを手に、空のワイングラスに紫紺の液体を注ごうとした──が。


 直前でボトルは不自然に捻じ曲がり、ガラスの瓶は粉々に砕け散った。当然中身もぶちまけられる。


「……年代物だったのだがな」

「古臭ェだけで何の価値がある?」


 むしろ感謝しろ、と。

 そう吐き捨てたサルガタナスは、伝えたいことは伝え終えたと言わんばかりに踵を返し、文字通り一瞬にして姿を消した。


「やれやれ」


 まるで子供の癇癪だ。

 そう嘲るサタナキアは、ワインもなくなり手持無沙汰となり、手慰みにずぶ濡れとなった聖女の頭を撫で始めた。


「あれで魔王軍の猟犬か。狂犬でももう少し噛み付く相手は選ぶというのに……」

「……」

「それに比べて、」


 無反応の聖女の耳元に、そっと口を寄せるサタナキア。


「お前は利口だ。賢く、素直で、そして美しい」


 囁くは甘美な言葉。

 甘く、甘く、脳髄まで溶かす甘ったるくて反吐の出るでもある。


「愚民はこぞってお前を崇拝する。お前が作り上げられた偶像とも知らず」

「……」

「だからこそ騙される。お前がどれほど愚かで、間抜けで、己の可愛さの余り愛する者を裏切ることさえ知らずに……な」


 ふと彼女を濡らすワインの雫が伝った。

 紫紺の雫は目尻から頬を伝い、床へと零れ落ちる。




 ここには誰も彼女の目尻を拭ってくれる者は居なかった。




 ***




「……言葉もない」


 危うく六魔柱同士の衝突が勃発しかけていた少し後、廃城の一室に彼らは居た。


「まんまと奴の〈シン〉に魅入られた」

「構やしねェよ」


 しゃり、と。

 瑞々しい咀嚼音を響かせるのはサルガタナスであった。相も変わらず林檎を頬張る大悪魔の前には、痛々しい姿を晒すフォラスがソファに腰かけていた。

 腹部を貫かれた鎧を脱ぎ去られ、巌のような肉体にはベルゴより受けた傷が残っている。

 悪魔──魔人全体に言えることだが、彼らは自然治癒能力が非常に高い。人間であれば放っておけば死ぬような傷でさえ、魔人であれば自然に治る範疇である。


 故にフォラスも痛ましい傷痕を晒しながらも、一命は取り留めていた。

 ただ、彼に刻まれた傷はもっと大きいものだ。


「操られたどころか、あまつさえオライを……」

「構やしねェっつってんだろ。操られようが操られまいが死ぬのはてめェが弱いからだ」

「サルガタナス……」


 沈痛な声音を紡ぎ、フォラスは俯いた。

 落ちる視線の先──彼の手には今、オライの遺品である弓矢が握られていた。


 オライとは長い付き合いだった。

 それこそ共にサルガタナスに仕えた時からの仲だ。飄々と軽薄ながらも、心よりサルガタナスの“力”に心酔し、信頼もしていた姿勢は同志としても好ましかった。


 だが死んだ。

 人間に返り討ちにされて。


「……この借りは」


 震えた手で弓矢を──いや。

 を握り締める。


「この借りは必ずや返す……!」


 オライの〈罪〉──〈使嗾〉の権能が宿りし弓矢を。

 これが壊れた自身の罪器の代わりだ。

 そして、新たなる魔王の道しるべでもある。


 フォラスはジクジクと灼熱に焼かれるような痛みに苛まれる傷に構わず立ち上がり、何処ともなく立ち去っていく。


「ハッ」


 恐らくは弓矢の練習にでも赴いたのだろう。

 奮起する部下──いや、そう呼ぶには近しく、一歩間違えれば馴れ馴れしい距離感の関係である悪魔の後ろ姿に、いつもの調子が戻ったことを悟る。


「さぁて……俺も、と」


 三日月に食いかけとなった林檎は、直後にサルガタナスの握力に耐えきれず弾け飛ぶ。

 飛び散る果汁と果肉。

 間もなく爽やかで芳醇な香りが部屋中に満ち満ちる──が。


「オライ……てめェの墓標にゃ十字架を立ててやる」


 すぐ傍で浮かべられる笑み。

 それは飛び散る果肉を血肉に、果汁を血液に……部屋中を凄惨な殺人現場を幻視させるほど、獰猛で殺意に彩られていた。


「骨が二本ありゃあ十分かァ?」


 一本はまずツレを捨て駒にした高慢ちきな大悪魔。

 もう一本はオライに引導を渡した──そう。




「虚飾の……ライアー……!」




 勇者を騙る偽物だ。

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