第97話 上映は履修の始まり




 〈洗礼〉の儀を終えたリオ様は、名実ともに聖女となった。




 以前にも増して磨き上げられた〈回復魔法〉は神癒隊メディックに勝るとも劣らず。加えて薬学や医学も修め、魔法に頼らずとも人を癒す術を身に着けた。

 それだけで聖女として求められる能力は十分過ぎるが、その上で不作に見舞われた土地を救おうと農学を、困窮する人々を救おうと財政学を等々……ここ最近の彼女は、民を救おうという気概がありありと見て取れる程に邁進していた。


 当初は『歴代の聖女と比べても優秀』だったのが、今では『歴代でもかなりの傑物』に。ゆくゆくは『歴代最高』と謳われる日もそう遠くはないだろう。


 ……それにしたって嗜む恋愛小説が多過ぎやしないか?

 普通の恋愛ものならまだ分かる。

 しかし、略奪愛や同性愛、異種間愛等ありとあらゆるジャンルを問わない雑食ぶりには、愛に寛容なスーリア教国とは言えど『よくもまあ集めたものだ……』と感心できた。


 だが趣味は趣味。

 普段は多忙を極めて私生活が無きに等しい聖女だからこそ、馬車での移動の合間くらいは読書を楽しんでもらいたいものだ。


 ……まあ、かと言って自分の私室にまで彼女の本を置いておくスペースを用意する羽目になったのは想定外だったが。


 ともかく、聖女リオは就任してすぐ民に受け入れられた。

 容姿と能力──天に二物を与えられし神の子は、無事その才覚を世界に知らしめるに至ったのだ。


『帰っておくれ』


 けれど、全てが順風満帆だった訳ではない。

 ある日、悪魔の被害を被った地にへ赴いた。既に到着していた神癒隊とも合流し、怪我人の治療を始めようとしたが、眼前に広がる光景は惨憺たる有様だった。

 この世の地獄とはこのことか。

 無数の燃え尽きた家屋。自重に耐え兼ね倒壊した瓦礫があちこちに積もっている。飛び出す瓦礫の内、突き出した黒い棒が人間の手足だと気づけたのは、近くで泣き叫ぶ家族の姿があったからだろう。


 そんな中、辛うじて屋根の残っている建物に怪我人を運び込み、雨風を凌いでいるような状況だった。

 それでもある意味外の方がマシだったかもしれない。

 一歩室内に踏み込めば、生温い風に運ばれた血と薬の臭いが鼻を突く。四方八方から響いてくる呻き声も慣れたものだった。


 見るからに絶望。

 そう表現する他ない光景を前に、リオ様は歩みを進めた。


 彼女は聖女、人類の希望。

 希望が進まずしては民の絶望を晴らせない……その矢先だった。


『……え?』

『あたしは聖女ってのが嫌いでね。治療なんか要らないよ』

『で、ですが……』

『いいったらいいって! さっさと余所行きな!』


 怒号を上げて治療を拒む老婆。

 流石のリオ様もこれには委縮した様子だった。


『リオ様になんという口を……!』

『いえ、構いません』

『しかし……!』

『二度は言いません』


 彼女を慕う近衛騎士の一人が平民の無礼に憤慨していたが、他ならぬリオ様がそれを窘めた。


『今は、一刻も惜しい』


 力強い目だった。

 これには物申そうとしていた近衛騎士も瞠目し、流麗な一礼と共に作業へと戻っていった。


 それを見届けてから自分は口を開く。


『申し訳ございません、リオ様……彼もまたリオ様をお慕いする一人なのです』

『分かっています』

『……先のご婦人の態度もお気になさらず。いつの時代にもそういう御方は居られるものです』

『それも……分かっています』


 気丈に答える彼女だが、自分の目には動揺がありありと見えていた。

 聖女となってから明確に拒絶された出来事はこれが初めてだ。これまでは基本的にどこへ赴いても聖女は歓迎されるものだった。半ば彼女も『聖女とはそういうものだ』と実感し始めていた頃合いだったろうに。


 しかし、ここに来て真正面からの拒絶。

 成人したとは言え、まだ二十にも満たぬ女子……口ではああは言っても、内心では傷ついているはずだ。


 けれども彼女は、聖女の責務を果たさんと己を奮い立たせていた。

 傷の深い者達を優先し、魔法で癒していく。その神の如き御業を目にした者達は、平民も騎士も関係なく沸き立つ。


 絶望を打ち払い、希望の輪を広げていく。

 それを為せる者こそ聖女なのだ──誰もが実感した、その時だ。


『リオ様は居られますか!?』


 一人の騎士が呼び出しに現れ、リオ様は迷わず対応に赴いた。


『何事でしょう?』

『負傷者の一人が、我々の魔法では対処にしようがない状態に!』

『では案内を』


 足早に騎士を追う。

 その先で彼女が目にしたのは──。


『ぐぅッ……』

『この方は──』

『恐らく傷が悪化して……リオ様?』


 呆然と立ち尽くす聖女に騎士が訝しむ。

 我に返ったリオ様はそのまま騎士に説明を促すが、どこか気後れする様子が窺えた。


 というのも、その負傷者というのが先に治療を断った老婆だったからだ。

 説明された通り、悪魔より受けた傷が悪化して命の危機に瀕していたのである。


 一度は治療を拒まれた相手。

 それでも彼女は話を聞く内に、完全な聖女の顔と化した。


『仔細は把握致しました。後はわたしにお任せください』

『やめなって……言ってるだろ……!』

『!』


 いざ治療を始めようとした時だった。

 突然老婆が彼女の手を掴んで止めたのだ。重篤化し、意識も朦朧としていたはず。にも拘わらず、頑なに治療を拒もうと老婆の態度に周囲の誰もが困惑していた。


『……何故そんなに』

『あたしは、いい……!』

『しかし、このまま放っておけば──』

『放っておいておくれよ!』

『できません!』


 魔法の温かな光が室内を淡く照らし上げる。


『──あなたのご配慮は重々理解しております。、と。そういうことですよね?』

『!』

『でしたら問題はありません。皆、全員を救えるように懸命に手を施して下さっております』


 か細くなっていたはずの老婆の息遣いは次第にはっきりとする。

 その上で息を呑む音が聞こえた。

 反発的な態度の裏、それを汲まれたことに対する驚きの表れであろう。


 それからしばし、老婆は静かに治療を受け続けた。


『……孫が』


 不意に。


『孫が、殺されたんです』


 聖女から目を逸らし、土砂降りの外を見つめる老婆が零した。


『……はい』

『まだ五歳でした』

『はい』

『遊び盛りで……息子夫婦にもべったりで……あたしみたいな偏屈な婆にも、『お婆ちゃんお婆ちゃん』って、あ、甘えて、くっ、くれた子がっ』

『はい……』


 相槌を打つ声までもが痛ましい色に染まる。

 老婆の瞳が映す土砂降りは、彼女の心そのものだった。堰を切ったように溢れ出す言葉と想いに、空気は外よりも湿り気を帯びる。


『あの子が言ってたんだ、『一度聖女様に会ってみたい』って! 死ぬ前だってそうさ! 『きっと聖女様が助けに来てくれる』って信じてた! なんで、なんでもっと早くに来てくれなかったんだい!?』

『……申し訳ございません』

『死にたいっ……あたしゃ死にたいよっ……! 早くあの子のところに逝きたい……死なせておくれよ! あたしだけ生き残ったってしょうがないじゃあないかっ!?』

『では、誰が花を手向けるのですか?』

『っ……!?』


 振り向く老婆。

 その涙に濡れた瞳は目にしたのは、これまた大粒の涙で濡らす聖女の悲痛な面持ちだった。


『あなたを愛していたお孫さんなら、きっとあなたに生き延びてほしいと──そう願っているはずです』


 面と向かって言い放たれる言葉に、とうとう老婆は泣き崩れた。

 守れなかった家族に向けて、何度も嗚咽交じりに何度も謝罪を口にする。


 そうして長いこと泣き喚いた後、老婆は聖女にこう告げた。


──ありがとう、と。


 その後、数日間に渡る治療を終えていち段落し、我々は帰路に就いた。


『……儘ならないね』


 馬車に揺られる聖女の呟きが、やけに響いた。

 どこか夢見心地な、フワフワとした声色。疲労ともまた違うそれを聞いた自分は、確かこう返したはずだ。


『こういうことは往々にございます。今はお身体を休めてください』

『色んな場所に訪れて感じてはいたの。聖女は皆に愛されている。けど、聖女だからって自然に愛される訳じゃない』


 敬語も忘れて自然体で語る。

 それが本心の吐露であるとは何となく察せた。


。だから皆聖女に理想を当てはめるし、期待を裏切られたら恨んじゃう』

『それはっ』

『でもね、わたしはそれを悪いこととは思わないの』


 予想外の言葉に振り返れば、彼女は窓から覗かせる顔に微笑みを浮かべていた。

 慈愛に満ちた聖女とも違う、夢に夢見る少女のような爛々とした──。


『わたしにもわたしの理想の聖女がある。聖女は偶像で、理想で、そして希望』


 それは、のろいのような。


『だから誰もが諦めちゃうような絶望の中でも聖女わたしだけは諦めちゃいけない』


 そして、まじないのような。


『そういう聖女を演じ続けなきゃって……そう実感した』


 夢から覚めた少女の微笑みは、少し寂しそうだった。


『……私も微力ではございますが、お支え致します』

、ハハイヤ』


 再び聖女の仮面を被った少女に、自分もまた近衛騎士としての仮面を被る。


 現実は過酷だ。

 何故ならば過酷である現実すらも偽らねばならぬ時があるのだ。


 願わくば、彼女がその重責に押し潰されぬまま居てほしい。




 だのに、自分は──。




 ***




「はい、チ~ズっ!」

「チーズ!?」

「違う違う違う。食べられないチーズだから。儀式的な意味合いのチーズだから」


 チーズと聞いて我慢できずに駆け付けたアータンを抑える。

 するとあからさまにシュンとして落ち込んでしまった。


「あっ、そう……」

「ごめんて。今から作ってあげるから許して」

「ホント!?」

「火ぃ熾して~」

「任せて!」


 さて、チーズを作りながら現状を説明しよう。


 小児洗礼を終えたのが前日の話だ。

 収穫祭はもうちょい先。当日までまだまだ時間が空いている為、俺達は思う存分村人達と交流することにした訳だ。


 具体的には収穫を手伝ったり、ご婦人との井戸端会議したり。

 他には村の子供との遊びがメインであった。


「あっ、なんか美味しそうな匂いする!」

「ねえねえ、おれにも食わせてよ!」


「いいぞ~。食いたい奴はそこに並びな」


「「やったぁ~!」」


 俺がチーズを作る為、鍋に入れた牛乳に火をかけている間にも、匂いを嗅ぎつけた子供らが大挙して押し寄せてくる。大した猟犬の群れだ。二リットル分作っちゃる。


 それはさておき、俺達が悠々と村人と交流を深めている間、椅子に座りながら笑顔から微動だにできずに居るおちんちんシスターが居た。


「ンいいですよぉ、ンリオ様ぁ! ン笑顔が眩しいっ! ングッド! ンエクセレンッ!ンビュ~ティフォ~~~~~ッ!」

「あ、あの……まだ掛かりそうです……?」

「ン何を仰られるのです! ンリオ様の美しさを描き上げるのには、ン何時間掛けたってンいいですからねぇ!」

「で、できれば手短に……」

「ンかしこまりましたぁ!」


 青空の下、アスはやけにハイテンションな画家に絡まれていた。

 彼こそトビア邸に飾られるリオの肖像画の作者さんとのことだ。見た目は完璧ご老人だというのに、溢れ出るパッションやらエナジーやらが尋常ではない。できればお近づきになりたくない部類の人種である。


 ってな感じで、アスはただいま描かれ中である。

 薄いキャンバスが厚くなっちゃうわ。


 なんでも毎年リオが帰郷した際は、ああして馴染みの画家に肖像画を描いてもらうことが恒例行事らしい。

 侍女さん曰くトビアの意向らしいが、そりゃああんだけハイテンションな画家に何時間も絡まれれば、肖像画に描かれるリオも辟易した顔になるわ。


 そして彼女を演じなければならぬアスもまた、この卍とか画号に付けちゃいそうな画家に絡まれる運命を辿る羽目になった訳だ。


 そして、描き始めてすでに三時間。

 笑顔を保つのも難しくなってきたが故、時たま俺が声を掛けてやっていた。あれを見ているとデッサンのモデルとか大変なんだなぁとか思うわ、心の底から。


「(ライアーさん……!)」

「おん?」


 牛乳を煮詰めていると、アスが視線で訴えてくる。


「(助けてください!)」

「チッ、しゃーねーな……」

「(ライアーさん!)」


「ねえねえ、あんちゃん。今日もあれやってよー!」


「よし来た任せとけ」

「(ライアーさん!?)」


 辛くなった時の替え玉として幻影を生もうとしたが、寸前で子供にを強請られてしまったので後回しにする。


「それじゃあ──『ギルティ・シン 色欲のエデン 第三部 そして英雄へ……』始まり始まり~」

「「「わぁーい!」」」


 俺は鉄仮面の目から光線を放ち、目の前に立体映像を映し出す。

 すれば、次々と〈色欲の勇者〉デウスと共に戦った伝説の七魔姫が現れ、キレキレの決めポーズを決めていく。


「今更だけどそれどういう原理なの?」


 世界観をぶち壊す立体映像にアータンが淡々とツッコんだ。淡々アータンである。

 ちなみにこの立体映像はお察しの通り罪魔法だ。目から投影している点については完全にノリである。意味はない。


 でもさぁ、雰囲気出るじゃん?


 現に子供には大ウケだし、上映初日から今日に掛けて青空映画館は満員御礼である。おかげさまで初代ギルシンをなぞった物語も随分進んだ。


 『第一部 貞操の守り人』はデウスが〈色欲の勇者〉として冒険を始めた話。

 『第二部 囚われし姫達』は囚われた七人の姫をデウスが救うまでの話だった。


 そして第三部は完結作。

 ついに七種族の姫が集結。いよいよ〈原罪の魔王〉を倒しに行くという展開だ。


 だが、いい機会だ。

 ここいらで一発デウスと共に世界を救った七魔姫を軽く解説しようじゃあないか。


 鳥人族の姫アヴィスは、天を舞う誇り高き王女だ。初対面時はやや高圧的な印象を受けるものの、それも全ては鳥人族の未来を担う重責が故。好感度を高めていけばいくほどに態度が軟化していく古き良きツンデレちゃんである。


 獣人族ルパは、生真面目を絵に描いたような性格の委員長系狼女。常にクールで知的な印象を振り撒く彼女だが、個別ルートでのデウスに首ったけとなりデレデレとなるギャップが実に美味しいキャラだ。


 木人族ピスティーロは、真顔がデフォの無表情系ヒロイン。夫婦のような“番”の概念がない種族故、出会った当初は恋愛感情が乏しい。しかし、だからこそ後半へ向かうにつれて主人公を劇しく求める姿に、プレイヤーは胸を打たれる。


 竜人族ラチェルタは、姉御肌の豪快お姉さん。お胸も太ももも腹筋もビッグサイズな巨女好きにもぶっ刺さるデザインである。昼も夜も主人公を引っ張りながら、しかし時には受けの姿勢も見せてくれる気立てのいい部分もある。


 鬼人族ラミアーは、雌餓鬼系和風のじゃロリお姫様。由緒正しきメスガキの系譜から繰り出される強引で我儘な立ち振る舞いと、ふとした瞬間に長寿種族が覗かせる妖艶な色気が、全国のロリコンと人外好きをまんまと撃沈せしめた逸話がある。


 虫人族パピリオは、母性と包容力溢れる未亡人女王様。他のヒロインにはない大人の余裕と艶めかしさ、それでいて久しく忘れていた恋という感情に困惑する姿は、まだその“域”に達していなかった青少年を覚醒させた。


 魚人族ピーシスは、初代随一の問題ヒロインだ。何が問題なのかと言えば魚人族の雄性成熟という性質。種族全体がおねショタでありながら、TS属性も宿している罪深き一族であるのに加え、ピーシスはそこに主人公との幼馴染関係を一つまみした。後は……分かるな?


 このように初代ギルシンは余りにも魅力的で罪深いヒロインが大勢居た。

 ギルシン15周年記念にコンシューマー向けで発売された初代リメイクも中々に好評だったが、それでも『リメイク前が良かった』とされるのは、こうしたヒロイン達との出会いで目覚めてしまった被害者が大勢居たからだろう。実際俺もその一人だ。


 後世にはデウスと共に救世の英雄として語られる七魔姫。

 彼女達の助力があってこそ、デウスも世界を救う大偉業を遂げるに至ったことは言うまでもなかろう。


「──そして遂に、〈色欲の勇者〉デウスは七魔姫と共に〈原罪の魔王〉を打ち倒すのでした、と」

「「「おぉ~!」」」


 上映が終われば、辺りからペチペチと可愛らしい万雷の拍手が送られる。

 その中には体育座りで交ざり込んでいたアータンも含まれていた。こう言うと怒られそうではあるが、まったく違和感がないわ。


「皆、面白かったか?」

「面白かった~!」

「勇者さま、カッコよかった!」

「お姫さまもすごく強かった!」


 うんうん、子供達の感想は純粋で良いねぇ。

 揺れる胸なり尻なりを視線で追いかけていたご父兄方とおちんちんシスターには見習ってほしいものだ。


「なあ、アータン? 見習ってほしいよなぁ?」

「何が?」

「今の面白かった?」

「面白かった!」

「面白かったかぁ」


 良かったねぇ。

 野郎共の視線には気づいていないアータンであるが、楽しんでくれたならそれで何よりだ。


「それにしても大した魔法だ……」


 一方、今現在描かれ中の影武者アスを護衛中のハハイヤも、俺の映像技術に舌を巻いていた。


「〈幻惑魔法〉の類だろうが、ここまで精巧な情景を空間に映し出すとは。しかもそれが動いているなど……〈光魔法〉も組み込んだ術式か? いや、しかし……」


 彼は一人ブツブツと呟き、俺の罪魔法を分析していた。

 やめて、分析しないで。初見殺し特化は分析されたら次戦の勝率がガクンと落ちるの。だから出来れば初戦で仕留めたいし、死んでもコンティニュー決めてくる赤い変態が苦手なのよ。


 けれど、〈罪〉なんて大概そうだ。

 精々俺に出来ることは、勝てる時に勝てるよう満足に手札を用意しておくこと。爆発的な火力の向上を望めぬ〈罪〉だからこそ、そうした準備に手は抜けない。


 さて、それはそれとして……と。


「はい、チ~~~ズッ!」

「はぁーーーい!」

「貴方じゃないですわ、聖女様」

「はい……」


 チーズの完成を宣言に反応するアスだが、そっちのチーズではない。すぐさま否定されたアスが肩を落としていた。ごめんね。


「ほ~ら、皆~。おやつだぞ~」

「「「わぁ~い!」」」

「歩きながら食べちゃダメだぞ~」


 煮詰まり琥珀色に輝く牛乳を、子供達に持ってこさせたスプーンで掬う。

 それらをアータンに軽く冷やして固めて貰えば、ペロペロキャンディのように手に持って舐められるなんちゃってチーズの完成である。


「ほれ、アータンの分も」

「わぁい、ありがとう! いただきま~す!」

「味どう?」

「ミルクの風味が濃厚で美味しい! これなんて言うチーズなの?」

「蘇」

「そ……?」


 そう、俺が作っていたチーズとは蘇だ。作り方が失伝されてしまった古代日本チーズ的なアレである。


 ただし、一つ付け加えるとするならばだ。


「正確に言えば蘇っぽい何か」

「ふ~ん……まあ、美味しいからいいや!」

「そっか」


 蘇(?)を舐めてご満悦のアータン。彼女が笑顔なら俺はこれ以上言うことはない。

 俺も鍋底に残った蘇を掬い一口食べる。


「これが蘇か……」

「蘇だねぇ……」


 美味い。パンの上に乗せて焼いて食べたいね、これ。

 かくして蘇を堪能する俺達。


 しかし、一人お忘れではなかろうか?


「(ラ、ライアーさん……そろそろ限界です……!)」

「あぁん? ったく、仕方ねえな」

「(助かります……!)」

「ほらよ」

「(そっちじゃあないっ!)」


 ぬるっとアスの下へ蘇を持ち運んだら、凄絶な眼力で否定されてしまった。

 おかしいな……てっきり蘇が食べたいものだとばかり。念のためにもう一回訊いておくか。


「違う? 蘇じゃない?」

「(違う違う!)」

「蘇じゃ?」

「(蘇じゃない!)」


 蘇じゃなかったらしい。




 ***




 村人との交流も経て空はすっかり夕焼け色。

 点々と空に浮かぶ黒点は、巣へと帰っていく野鳥の後ろ姿。彼らに倣って俺達も宿である屋敷へ帰ろうとした──そんな矢先だった。


「子供が帰って来てない~?」


 血相を変えた親御さんが屋敷へ駆けつけ、子供の所在を聞いてきたのだ。

 しかし、屋敷に居る侍女や使用人、宿泊している騎士や俺達を含めて誰にも心当たりはなかった。聞けば既に他所の家にも聞いて回ったらしく、最後の望みとして屋敷を訪ねたらしい。


 だが、結果から言ってここも空振りだったのだ。

 子供を心配する親御さんは、とうとう膝を折って泣き崩れてしまった。

 これに対し、最も早く立ち上がったのはアスだった。


「委細承知いたしました。今すぐにでも捜索致しましょう」

「ああ、ありがとうございます……!」

「では村の皆さんは村内を。我々で村の外を──」



「くぅ~ん……」


 途中まで言いかけたところでハハイヤから制止が入った。

 引き下がったアスは叱られた子犬のように肩を落とす。善人過ぎて反射的に動き出そうとするのも悩みものだね。そういうところ好きだけども。


「貴方は聖女なのですから、軽々しく出て回られては困ります」

「で、ですが……」

「村の外は騎士達で捜索します。貴方は屋敷で待機を」


 護衛対象にウロウロ歩き回られたら困るのはどこでも共通らしい。

 実際俺もゲームで同じようなことがあった。護衛対象が前線に出てきて、まんまと敵に袋叩きにされてゲームオーバーになるアレだ。あの時は思わずコントローラーをぶん投げそうになった。


「そういうわけでごぜぇやす。あっしらに任せて聖女様はここでお待ち下せぇ」

「どうして三下風なんです?」

「へへぇ」


 特に理由はない。

 ただ、こうしてふざけていられるだけの見通しは立っている。その証拠にベルゴが既に動き出していた。


「そこな親御さん。何かその子の私物は持ってはいないか?」

「私物……ですか?」

「服でもなんでもいい。匂いが染みついたものを寄越してくれ。そうすればすぐにでも見つけられるだろう」


 見た目はおじさん、嗅覚は熊並み。

 その名も元聖堂騎士団長ベルゴ!


 罪化で熊並みの嗅覚を得られるベルゴにとって、当日行方不明になった子供を探し出すなんて朝飯前である。


「わ、分かりました!」

「──そういうことだ。村の外の捜索はオレだけでも十分だ」

「任せてよろしいのか?」

「なに。かくれんぼで余りにも見つけるのが上手過ぎて、娘に泣かれて鬼役を永久禁止にされたオレだ。嗅覚には自信がある」

「それは……心強いな。私がリオ様の近衛騎士だった時代に貴方が欲しかった」

「なんだ、その……苦労されたのだな」

「本当に……」


 別ベクトルで過去の苦労が滲み出るベルゴとハハイヤ。

 ロリ共に苦労したという点で共感する部分があるのだろう。羨ましいような羨ましくないような、傍から見ていて何とも言えない気分になるわ。


「はぁ、はぁ……持ってきました!」

「む、助かる」

「うちの子を……どうかお願いします!」

「ああ、必ず。騎士の誇りに掛けて誓おう」


 子供絡みな所為か、心なしかベルゴの士気も高く見える。

 それを正しく後方理解者面で眺めていたアグネスも、教え子の頼もしく育った姿に満面の笑みを湛えながら喝を入れた。


「よし、その意気だ! 行っといで!」

「は!」

「それと一応人手が要るかもしれないから二人も付いて行きな。アタシの護衛は大丈夫だよ!」

「は? いや、ですが……」

「なんだい?」

「いえ! 行って参ります!」


「怖ぁ~」


 お婆たまの刹那の変貌に威圧され、ベルゴはさっさと捜索を開始した。

 流石はスーリア教国まで護衛無しでやって来たファンキーファッキンヤンキーシスターだ。護衛が居なくてもやられる姿が想像できねえよ。


 それはそれとして、実際問題屋敷の護衛にハハイヤ達が居るのだから、アグネス側の護衛を心配する必要はない。


「よっしゃ、夕飯前が朝飯前になる前に速攻で見つけるぞ」

「うん!」


 これまた気合十分のアータンを引き連れ、俺達もベルゴと共に子供の捜索を開始する。

 この時代、日が落ちるのは異様に早い。夕暮れから半刻もしない内に、空はすっかり夜の帳に覆われてしまうことだろう。そうなってしまえば夜行性の魔物が活動的になり、夜目の利かぬ獲物を一方的に狩り始める。


「なんだかシルウァの村の時を思い出すね」

「あの時もベルゴの鼻を頼りに追ってたな」

「ああ。だが、お前の分身が既に乗り込んでいるとは思わなんだ」

「備えあれば患いなしってな」

「でも、それがあったからベアティちゃんを救えたんだよね……!」


 ああ。そして俺の両手はハンバーグの種でベッタベタになったんだ。

 許さねえぞ、小一時間腰振ってたあの悪魔野郎……! いや、幻聴の代用にハンバーグの空気抜こうとしたのは俺なんだけども。


 でも弁明させて。幻聴生成するにも魔力要るのよ。魔力の節約だったの。お分かり?


「ム……匂いが濃くなってきたな」


 十分ほど小走りで匂いを追った時だ。

 とうとう確かな足取りを感じ取ったベルゴが辺りを見渡す。どうやら匂いの濃淡で、既にこの近辺に子供が居ると判断したようだ。


「さっすがベルゴ。よっ、名探偵」

「よせ。褒めるのは子供の無事を確認してからだ」

「褒めるのは止めないんだね」


 アータン……大人ってのはね、中々褒められることが少ないの。

 だから、ちょっとしたことでも褒めてあげなさい。


「っ……」

「アータン?」

「なんだか視線を感じるような……」


 キョロキョロを辺りを見渡すアータン。

 我がパーティーで一番魔力知覚に長けた彼女は、こと魔力の気配には敏い。


「あ……あそこ!」

「どれどれ」


 アータンが指差す方向を見遣れば、木陰からこちらを見つめる一匹の鹿が居た。鹿と言えば角だが、その鹿はやけに目力の強い瞳が目に付く。


「あれは注視鹿チュウシカだな」

「チュウシカ……って、魔物?」

「一応な。でも害はない。ああやって縄張りに入った生き物を目力だけで追い払おうとする悲しい魔物だ」

「察してもらおうとするだけじゃダメなんだね」


 とりあえず危険な魔物でないと安心したアータン。

 しかし胸を撫でおろすも束の間、再びアータンセンサーに何かが引っかかる。


「んっ……あそこにもなんか居る!」

「おっ、ホントだ」

「ねえ、あの角の形怖いんだけど……あれもチュウシカ?」

「いや、あれは凝視鹿ギョウシカだ。あいつは縄張りに踏み入った生き物が出ていくまで、おはようからおやすみまで執拗に凝視する」

「そこまでするなら話し合うべきだよ」


 曲線を描く左右の角が合わさって一つの眼球のような形を描く鹿、ギョウシカ。

 観察に特化することで天敵との遭遇を回避する生存戦略を編み出した彼らであるが、結局暴力には敵わない悲しい性を背負っている。


「う~ん……でも、まだ変な気配を感じるんだけど」

「あそこの見羚羊ミタカモシカか?」

「えっ? あっ、ホントだ! 怖っ!?」

「あそこにも要視馴鹿ミトカントナカイも居るし」

「なんかヤだよ!? こんな偶蹄類にばっか見つめられる森!!」

「見い蹄類」


「静かにせんか」


 集まる鹿達に怯えるアータンに一発ボケたら、ベルゴに頭を引っ叩かれた。

 色んな偶蹄類に見つめられながらも、どれもアータンセンサーにはピンとこないらしい。

 そのまま歩を進めること数分。


「あそこのようだな」


 とかなんとか言っていたら早速ベルゴが子供を見つけた。

 鬱蒼とした森の中、伐採でもしたのか不自然に開けた場所の中央。そこで子供はスヤスヤと寝息を立てていたのである。


「ったく、呑気なもんだぜ」

「お昼寝でもしてたのかな? 早く起こしてあげなきゃ」

「いや……待て」


 子供に近寄ろうとする俺達をベルゴが制止する。

 見れば、何やらクンクンと執拗に鼻を鳴らしていた。まるで微かな残滓、それを見逃さぬといった挙動。


「これは──」


 張り詰める空気。

 もう一押しあれば、満杯のグラスから零れだしてしまいそうな緊迫感が場に満ちる。真っ先に気づいたベルゴは当然のこと、触発された俺も、そして、アータンですらを感じ取っていた。


 この纏わりつくような魔力の感触──間違いない。




「──敵襲だ!!」




 咄嗟に各々が防御手段を展開する。

 その瞬間だ。

 闇夜の虚空より現れ出でし無数の矢と魔法の光弾。剥き出しの殺意が切っ先を成す攻撃は、一塊になっていた俺達へ殺到した。




 ***




 それは捜索隊が村の外へと出かけてから間もなくのこと。


「ライアーさん達は大丈夫ですかね……」

「心配するんじゃないよ」


 屋敷にある応接間。

 浮足立つアスに対面する形でソファに座るアグネスは、実に平然とした様子でティーカップに注がれた紅茶を優美に口に含む。


「ですが」

「アンタの身内はそこいらの魔物に負けるタマかい? アタシゃ、むしろ出会っちまった相手に同情するがね」

「それは……はい」


 フロールムの娼館地下を思い出し、アスは苦笑を浮かべた。

 たしかに彼らの実力はピカイチだ。元聖堂騎士団長を筆頭に、脇を固める者達もそれに比肩する実力者だ。


 むしろ四人の中では自分が一番頼りないのではないか?

 そう思う機会はしばしばどことではない。


「実力については心配してないんです。ただ……」

「ただ、なんだい?」

「妙な胸騒ぎがして」


 確証はない。要は勘だ。


「気持ちは分からないでもないがねぇ……」

「考えすぎでしょうか?」

「それが悪いってこたぁないよ。最悪に備えとくのが戦士ってもんさ」


 でもね、とアグネスはもう一度含んだ紅茶を飲み下してからアスを見つめた。老齢とは思えぬ強靭な意思を宿した瞳だ。見つめられる方も思わず居直ってしまう。


「任せた相手を信じてどっしり構えるが聖女ってもんさ」

「……!」

「それが人の上に立つ者の姿勢さ。じゃなきゃ相手に失礼だろう?」

「……アグネス様には敵いません」

「聖女は年功序列じゃ務まらないからねぇ」


 カラカラと笑うアグネスに釣られ、アスも頬を綻ばせる。

 真偽は兎も角として、アグネスの教えには説得力があった。それもまた50年もの間、聖女として神を信じ、人を信じてきた者の振る舞いに宿る“力”なのだろう。


(わたしももっと皆さんを信じなくては──)


 アグネスの言葉で浮足立っていた心も凪ぎ始める。


 そうだ、このまま三人を信じて待つのだ。

 それこそが仲間であり、聖女を演じる自分にできる唯一の──。


「……っっ!!?」


 凪いでいた。

 それが、それがだ。


 


「……どうやら来客のようだね」

「アグネス様、この魔力は……!?」

「こいつは大物が来たようだ。ちょっとばかし挨拶に出向くよ!」

「はい!」


 アグネスは自前の武器──『聖灰の剣』と呼ばれるディア教国にて打たれる剣を。アスは自前の罪器ラーディクスを握り締め、蹴破るようにして扉を開き、魔力の下へと駆け付ける。

 場所は屋敷のまさに玄関ホール。

 仮に襲撃を掛けるとするならば、第一に除外されるべき候補に他ならない。


 そんな玄関ホールより感じる、感じる、嫌というほど感じる。

 通路という通路に沿って流れてくる魔力の奔流。陸に居るのにも拘らず、溺れると錯覚するほどに莫大な力の存在を。


(この魔力は〈愚癡のサルガタナス〉──じゃあ、ない!?)


 しかし、それに比肩している。

 いや、あろうことか


 冷や汗が背筋を伝う。

 夕方時の冷気で涼やかだというのに汗が止まらない。


(一体誰が──!?)


 困惑と焦燥のまま、いよいよ玄関ホールにまでたどり着く。

 そこでアスとアグネスが目にした光景は──。






「吾輩を迎え入れるには随分貧相な屋敷だ」






「「っ……!!」」


 愚かにも、あるいは傲慢に真正面の玄関からやって来た襲撃者。

 それは綽綽とした笑みを湛えながら、取り囲む騎士を前に悠然と両腕を広げて佇んでいた。


「だが好い。下賤なりに吾輩を歓迎した。その姿勢を褒め称えたい」

「あなたは……!?」


 一瞥で理解わかった。

 眼前の悪魔が並大抵ではないと。


「お二方」


 現れ出でた悪魔に戦慄する間、誰よりも前に立ち、腰に佩いた剣に手を掛けるハハイヤが声を上げた。


「そこから決して動かぬように」


 有無を言わせぬ声色だった。

 それでいて、団長であるはずの彼より隠し切れぬ緊張の色が窺えた。


 それがどれほどの事態であるのか──。


「どうした? 歓迎の言葉はまだか?」


 悪魔が告げる。




「吾輩を──六魔柱が一柱、〈我慢がまんのサタナキア〉を歓迎できたのだ。歓喜に咽び平服せよ」




 隠さぬは、圧倒的傲慢。


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