第95話 実家は実態の始まり




 聖女リオは天才だった。




 普段のお転婆な性格からは想像もつかぬ天稟。

 聖女として席が確約されずとも、騎士となれば上位に。それこそ、長い目で見ればゆくゆくは輝かしい功績を遺した後、聖女としての椅子を用意されるだろう──それほどまでの才能の塊であった。


 火や水、土に風。

 基本的な四属性に加え、回復系の魔法も難なく修めていく様は、まさに未来の聖女が育っていく光景を見ているようで胸が高まった。


 特に〈回復魔法ティオ〉系統の習熟が目まぐるしい。

 神癒隊でも高位の騎士でなければ習得できぬ〈大回復魔法ラーティオ〉を始め、すでに回復系としては最上位に位置する〈超回復魔法フォラーティオ〉を修めるのも時間の問題だ。


 教育係も手放しに褒め称えていた。

 『将来的には傷病者を癒す聖女として名を挙げるべきだろう』と。


 聖女の在り方は様々だ。


 政務に携わり、裏から国を支える聖女。

 各地で被害をもたらす魔物を倒す聖女。

 それこそ突出した才がなくとも、傷ついた民衆に寄り添い、彼らの心を支える聖女だって歴代の中には居た。


 けれども、折角芽が出た才能だ。

 実益面から見ても、わざわざ宝の持ち腐れにする理由は皆無。是非ともリオ様には傷ついた者達の身も心も癒す術を修めてほしい。それが誰しも願っていた道だった。


 そんなある日の出来事──。


『ハハイヤぁ……』


 未来の聖女が顔を泣き腫らしていた。

 滅多なことでは泣かぬ彼女だ。余程のことがあったのだと踏んで訊いてみれば、彼女はとぼとぼとある場所まで向かっていった。


『これ……』

『花、ですか?』


 庭園の一角にある花壇。

 未来の聖女の為にと、各地から信徒が贈ってくれた多種多様な花が咲き誇る光景は、まさに百花繚乱と言い表すに相応しい絢爛さであった。

 しかしながら、ただ一輪だけ花枯れていた。


 憶えている。

 彼女がよく好きだと自分に話してくれていた花だ。余程気に入っていたのだろう、その花だけは庭師に任せず、彼女が水やりなどの面倒を看ていたはず。


『枯れちゃった……』


 涙目を湛え、枯れた花を憐れむように撫でる少女の姿は酷くいじらしかった。


『ちゃんとお水をあげてたのに……』

『少し見てみましょう。……ああ、これは』

『何かわかりました!?』

『おそらく水のやり過ぎですね』

『えぇ……?』


 明らかに余所の場所より濡れた土を見てすぐさま察した。

 なんてことはない、ただの根腐れだ。


『水をやり過ぎると根が呼吸できなくなるんです。要は溺れているわけですね』

『……もしかして、わたしのせい?』

『……はい』


 自分が原因だと判明し、彼女はあからさまに動揺する。


『そんな……』

『で、ですが、ちゃんと処置すればまだ間に合います!』

『ホント!?』

『ええ』


 それから腐った根を切り落とし、泥同然になっていた土は新たなものに入れ替えた。


『これで治るはずですよ』

『やった!』

『今度からは気を付けましょうね』


 改めて注意を促せば、明るくなった少女の顔に再び陰りが覗いた。


『……お水をあげ過ぎるのも良くないんですね』

『ええ。良かれと思ってしてあげたことが全て正しいとは限りません』


 罪悪感に苛まれる少女を宥め、それから先達として言葉を送る。


『時には注いだ愛が相手を苦しめることだってありえます』

『愛が……?』

『与えすぎれば腐り、足りなければ枯れる。愛とは心という繊細な器に注がれる水のようなもの』


 聖女とは国中の民を愛さなければならぬ立場。

 誤った愛し方をしてはいけないと、その一心で言葉を紡ぐ。


『ですから、何が正しいのか──それを学ばなければならないのです』

『……』

『……リオ様?』

『わたしは、』


 俯いていた少女が面を上げる。


『わたしは、ハハイヤをちゃんと愛せていますか?』


 涙目を湛えたまま、服の裾をギュッと握り締める少女。

 今にも泣き出しそうな彼女の様子に、しばし面食らう。

 しかし、その輝く雫が零れぬ内にと、自然と右手の人差し指は彼女の目尻にあてがわれていた。


『……はい。私はちゃんとリオ様の愛を感じております』


 一人の近衛騎士として……いや、傍に居る人間として信頼されているとはひしひし感じられていた。


 だからこそ迷いなく頷けた。

 それを見た彼女も胸を撫でおろし、次の瞬間にはこの庭園で最も可憐な笑顔を咲き誇らせた。


『じゃあ! ハハイヤもわたしをきちんと愛してください!』

『ええ、無論です』

『それじゃあ今日のティータイムは……』

『リオ様。ティータイムの前にまだやることが残っております』

『うへぇ』


 バレたとでも言わんばかりに舌を出す少女。

 見慣れた姿に苦笑しつつ、自分は彼女の手を取った。それを彼女は振り切らず、むしろ離すまいと握り返してくれる。


『さ、行きましょう』

『終わったら一緒にティータイムですからね?』

『ぜひとも』


 最初の頃は早々に辞めたいと思っていた。だが、今は違う。


 我儘で、純真で、枯れた花に涙を流せる心優しき少女。

 いずれ彼女が聖女となる日を待ち遠しい──見届けたいと心から強く願う自分が在る。


 その確信を胸に抱きながら共に歩みを進める。


『こんな日がいつまでも続けばいいのに』


 まったくもってその通りだ。

 この時、彼女と自分の心は一つだった。




 ***




「皆さまお待ちしておりました」


 無事パルトゥスの村に到着した一行。

 日もすっかりと傾き、間もなく夜の帳が下ろされるといった頃合いだった。


 宿屋のチェックインだとすればギリギリアウトかもしれない。

 だが、こんな時間帯に訪れたにも拘わらず、恭しく頭を下げる侍女が出迎える家があった。


「ご無沙汰しております、アンキーラ殿」

「これはこれはハハイヤ様。遅ればせながら、団長就任おめでとうございます」

「お心遣いいただきありがとうございます。それと……先んじて早馬で報せたとはいえ、急な来訪となり申し訳ございません」

「いいえ。毎年リオ様がお帰りになられる時期です。むしろ、いつ帰ってこられるかと首を長くしてお待ちしておりました」


 にこやかに笑う侍女に、ハハイヤは思わず笑みを零す。

 アンキーラはこの屋敷に長く勤めているベテラン侍女だ。老境に差し掛かりながらも優美さと機敏さを兼ね備えた仕事ぶりは、騎士団の従士に見習わせたいほどであるとハハイヤも考えるほどだ。


 本来聖女を迎え入れることは大事おおごとである。

 王都や聖都といった主要都市ならばともかく、少し離れた町や村ともなれば、受け入れの準備にも相応の日数を要する。宿や食事の手配などやることはいくらでもあるのだ。


 しかし、アンキーラの手腕があればこそ無理難題は無理でも難題でもなくなる。

 共に準備を済ませたであろう他の侍女らも、どこか誇らしそうな表情を湛え、アンキーラの後方に整列していた。


「ですが、旦那様は聖都よりまだお戻りになられていないのです」

「トビア様がですか?」

「この時期は侯爵や伯爵などの招待状も多く……申し訳ございません」

「存じ上げております。むしろ謝らなければならぬのはこちらの方です」

「お心遣い痛み入ります」


 教団からの指示とは言え、通常一か月以上前から通達すべき連絡をほとんど直前にしたようなものだ。

 貴族であっても陸路での移動手段は馬車が最速だ。

 聖都からパルトゥスの村まではどれだけ急いでも二週間は掛かる。トビアが聖都を発つのと同時に通達が出されたと考えたとしても、あと一週間は時間が掛かる見込みとなろう。


「旦那様はそうなることを見越していたのでしょう。もしリオ様が訪れられた時には皆さまを厚く歓迎するように、と……そうおっしゃっておりました」

「なんと……」

「家主が不在ではありますが、収穫祭まで皆様がご不便せぬよう誠心誠意お世話させていただきます」

「こちらこそ。お邪魔している間、リオ様含め屋敷の方達は命を懸けてお守りいたします」

「心強い限りの御言葉です」


 この世でも上から数えた方が早い聖堂騎士団長からの言葉に、アンキーラは柔和な笑みを湛える。


「さて、それでは皆様を客室に……」

「……いかがなされましたか?」

「ええと」


 不意に固まるアンキーラ。

 彼女の視線はたぶん──おそらく──いや、紛れもなくアスに向かって注がれていた。


──もうバレた?


 だとしたら早過ぎる。

 屋敷を訪れて早々絶体絶命の危機が訪れた。

 そう直感するアスは内心の焦燥をおくびにも出さぬまま、聖女らしい笑みを取り繕って小首を傾げる。


「どうかいたしましたか?」

「リオ様、何というか、そのぅ……大きくなられましたか?」

「はい?」


 動悸が激しい、激し過ぎる。

 今にも心臓が爆発しそうだ。


 というかする。

 間もなくする。


 気分としては自爆寸前の心境に近い。


(そういえば居ましたしね……自爆するバク)


 たしか自爆獏ジバクバクとかいう悪霊だ。

 自分が自爆する凄惨な光景を見せつけた後、そのせいで悪夢に苛まれる相手の夢を食べる悪霊系の魔物である。その生産方法が正しいのかは魔物研究者の間でも永遠の議題とされている。


 などと現実逃避をしつつ、作り笑いを浮かべるアス。

 そろそろ表情筋が断裂しそうだ。そう錯覚した時だ。


「お気づきになられましたか」

(ライアーさん?)

「ここだけの話、リオ様は最近体を鍛えることに嵌っておられるようで」

(鉄仮面? おい、鉄仮面)

「まあ」

(『まあ』じゃないんですよ)


──吹くな、法螺を。

──堂々と吹き鳴らすでない。


 アスは背中に滝のような汗を掻きながら、嘯いているライアーに視線を注ぐ。


「体が大きく見えるのもきっとそのせいでしょう。ご覧ください、この大腿四頭筋を」

「ふけっ──んん゛っ!」

「ふけ……?」


 危なかった。

 反射的にいつもの『不潔です!』からのケツキック──略してフケツキックが飛び出してしまうところを、咳払いで誤魔化す。


 今の自分は貞潔な聖女。

 他人より過敏なエッチ判定の赴くままにケツキックをしてはならぬ立場だ。抑えなくては。


「ここまで立派に仕上げる為に過ごした眠れぬ夜の数は両手だけでは足らず……」

「なんと……一体どうして……?」

「全ては苦しみ喘ぐ衆生の為。己が肉体が命運を分かつ時に備え、リオ様は日夜鍛えておられるのです」


──やめろ。本物に筋肉を植え付けようとするのは。

──いや、筋肉植え付けるってなんだ。


 困惑の余りセルフツッコミを決めたところで、アスはハハイヤに視線を移す。


(いいんですか!? こんな適当な印象操作を許して!)

「──たしかリオ様はここ最近肉体改造に打ち込んでいるとか」

(いいんだ……)


 元近衛騎士がそう言った。


 じゃあ大丈夫か。

 だって元近衛騎士の団長が担保したんだもの。


 アスは思考を放棄しつつ、この場に漂う居た堪れなさより逃げるべく、アンキーラへ話を振る。


「申し訳ございません。それで部屋の方は……?」

「ああ、そうでした」


 思い出したように声を上げるアンキーラは案内を再開する。

 これで皆と共に安息の地へ迎える──。


「リオ様、どうぞこちらへ」

「はい」


 訳もなかった。

 リオにとっては実家だ。客室とは別に自室くらいそりゃああるだろう。


 涙を吞み、アスはライアーやアグネス達とは違う方向へ向かわざるを得なかった。


 それはさておき屋敷の中は広大だ。

 ハハイヤ曰く、二人の聖女とその護衛を寝泊まりさせるに十分な部屋数を誇っていると言う。


 これも聖女を輩出した家系が得た利権──かと思われるが、そうでもないらしい。

 この屋敷の主トビアは、スーリア教団が設定した教区の一つを統治する聖職貴族の家柄に属している。

 聖職貴族とは行政に携わる高位聖職者に与えられる称号である、宗教国家における貴族のような存在。領地を統治する貴族と考えると分かりやすい。


 トビアの家も教区を統治してから歴史は長い。

 要は聖女を輩出する以前より、高貴な身分を迎え入れられる程度に格の高い血筋であったと言う方が正しいだろう。


(そんな家に聖女を騙って上がり込むなんて……)


 客室へと案内される間、アスは戦々恐々としていた。

 通路に置かれる調度品の数々はどれも見事。素人目から見ても高価だと確信できる代物ばかりだ。


(絶対触れないようにしよう)


 壊そうものなら売らなければならなくなる、玉を。


 風の噂では黒魔術に傾倒する貴族などが儀式で使うべく買い取っているらしい。そこそこの値段で取引されていたはずだ。


 もしもの時は、本当に女の子になってしまうかもしれない。


──それにしてもだ。


 右手を照覧あれ。笑うリオの肖像画がある。

 左手を照覧あれ。憂うリオの肖像画がある。


 右、左、右、左……通路の壁という壁に、ありとあらゆる表情を湛えた聖女の肖像画がこれでもかと飾られていた。


(愛が……愛が重い!)


 息苦しい空間とも言う。


 この家の主、トビアと言ったか。

 リオのことが大好き過ぎる。見てみろ、奥に行くにつれて肖像画のリオも若干嫌そうな顔になってきている。ちょっとしたパラパラ漫画だ。


 娘の嫌がることをやるんじゃねえと思ったところでアンキーラが振り返る。


「どうでしょう、リオ様?」

「え?」

「去年来られた時、肖像画が多過ぎるとトビアをお叱りになったでしょう?」

「あぁ~~~……そう言えばそんなこと言ったような、言ってないような……」

「あれから皆で泣く泣く選別すること三日三晩……おかげで珠玉の逸品を厳選することができました。それもこれもリオ様のおかげです」


 見誤った。減らしてこれだった。


 アスは何故だか己のタマタマが縮み上がる感覚を覚える。一歩女の子に近づいてしまった。


「ご、ご苦労様です……」

「それと片づけた肖像画についてですが、贈ってくださった方々が『流石に描き過ぎた』と反省なされまして……」

「そんな! 別に反省する必要は──」

「小さく描き直した上でモザイクアートにしてくださったのです。こちら壁をご覧ください」

「反省してください?」


 そこには愛ゆえの狂気が広がっていた。

 百面相を湛えるリオの絵の数々。小さく生まれ変わった肖像画は、丁寧かつ緻密に並べられ、一人の大きなリオを描いていた。


 無数の絵を並べ、新たな一枚を生み出すモザイクアート──実に見事な芸術だ。

 当人とその影武者でさえなければ、その熱量と労力を素直に感嘆できただろう事実が悔やまれる。


 最早ちょっとしたお化け屋敷よりも怖い。

 背筋に悪寒を覚えるアスは、足早に階段を駆け上っていった。


「……あ」


 そして二階に辿り着いた時、不意に足が止まった。

 いや、止まってしまったと表現した方が正しいか。


 絵画が張り付けられていた。

 なんてことはない、ただの肖像画だ。

 見目麗しい貴婦人が赤子を抱き抱えている、ただそれだけの内容。けれども、不思議な引力がそこにはあった。


 描かれた貴婦人が自分に似た容貌だからか? いや、違う。

 肖像画の右部分──額縁に隠された部分に強烈な違和感を覚えたのだ。


(日焼け……じゃあない?)

「(リオ様の御母上、アザリア様です)」

「(この方が?)」


 そっと後ろからハハイヤが耳打ちする。立ち止まっている状態を不審がられたのだろう。

 いけないと歩み出そうとするアス。しかし、目の前のアンキーラは微笑ましそうにこちらを眺めていた。


「うふふっ。お急ぎ立てはしませんよ。ご満足ゆくまでどうぞ」

「あ、いえ……もう大丈夫です」

「あら、よろしいので? いつもでしたらもっとご覧になられるのに」


 しまったと気づいた時にはもう遅い。

 失言を取り返そうとアスの脳味噌はフル回転する。テルマーエの温泉で、縮み上がった金玉の皺と連動していると言われた脳味噌だが、ここぞという時には役立つ代物だ。


「今日はもう疲れてしまって……見るのはまた明日にしようかと」

「そうでしたか」


 失礼致しましたとアンキーラは案内を再開する。


「ここでございます」


 程なくして辿り着いた部屋は凄まじかった。

 まず広い。数人が寝泊まりできる客室よりも大きかった。

 それでいて部屋の中央に鎮座する天幕付きのベッドには、無数の愛らしいぬいぐるみがこれでもかと敷き詰められている。

 成人した女性の寝床にしては幼稚な寝床であるが、聞いた話ではリオが聖都に移り住んだのは6歳の頃。


 きっとその頃の面影が残っているのだろう。

 一般人には覗けぬ聖女の可愛らしい一面に、アスは思わず笑みを零した。


「お着替えはクローゼットに用意してありますが……サイズが合わなければお申し付けください」

「何から何までありがとうございます」

「もったいなきお言葉で。お疲れのことでしたが食事はいかがなさいますか? 軽食でしたらすぐご用意できますが」

「あ……ではお願いします」

「かしこまりました」


 恭しく頭を下げるアンキーラは部屋を後にする。

 そして足音が遠ざかった頃を見計らい……、


「ぶへぁ~……!」


 膝から崩れ落ちるがまま、アスはベッドに倒れ込んだ。


「お疲れ様です」

「生きた心地がしませんでしたぁ……!」


 特に体格を指摘された時だ。

 やはり男と女の体格差は如何ともしがたい。多少なりとも体格を誤魔化す術に長けた自分でこうなのだ。屋敷の使用人の観察眼は侮れない。


「これが収穫祭まで続くかと思うと……」

「お気持ちは分かりますが、ご辛抱を」

「はぃ……」


 弱弱しく返事するアスが横を向けば、ベッドに敷き詰められたぬいぐるみと目が合った。

 黒曜石の如く吸い込まれそうな黒い瞳だ。どこを見ているかもはっきりとしないのに、何故だかこちらを見つめられているようで気がしてならない。


 妙な居た堪れなさを覚え、ぬいぐるみを退かすべく手で掴む。


「ん?」

「どうかいたしました?」

「なんか……このぬいぐるみ、中が硬いような……」


 明らかに綿ではない感触を訝しみ、今一度確かめてみる。

 やはり硬い。木か何か分からないが、中身に芯のような存在を感じられる。だが普通ぬいぐるみに芯など入れるだろうか?


「私が確かめましょう」

「え、えええ!? いいんですか、勝手に……?」

「何か仕込まれていてはいけませんから」


 そう言うハハイヤは、アスから取り上げたぬいぐるみの縫合を手際よく解いていく。


「こ、これは……!?」

「……『姫と女騎士 禁断なる蜜月』……?」


 ぬいぐるみの中に埋め込まれていた物、それは小説だった。

 タイトルを読み上げるアスの傍ら、パラパラとページを捲るハハイヤ。


「『──いけません、姫様。私如きの身分では貴方と結ばれること等。それに貴方には婚約者が……』。姫は言った。『そんなことを言って。ご覧なさい、貴方の口から涎がこんなにも──』」

「不潔ですっ!!!」


 途中までハハイヤが読み上げたところで、アスが強引に本を閉じる。

 そして、騎士団長の目にも追えぬ速さで小説を奪い去り、ベッドの上へポスリと叩きつけた。


「なんでこんなものがぬいぐるみの中にあるんですか!?」

「……そう言えば以前実家にお帰りになった際、ベッドの下に隠していた愛読書を机の上に積み上げられていたとか」

「だからってぬいぐるみの中に!?」

「棚の裏や机の隠し引き出しの中に隠してもバレたらしいので、多分それで……」

「こんなもの埋め込まれたら呪物になりますよ!?」


 だからか、あのぬいぐるみの悲しい瞳は。


 それはさておき、まさかと考えたアスは片っ端からぬいぐるみの感触を確かめていく。


 するとまあ出てくるわ出てくるわ。

 いかがわしい本が次々と。


「これにも! あれにも! そ~~~れにも!」

「……はぁ。リオ様ったら……」

「ざっと30冊はあるんですが!? どうなってんですか!?」

「……聖都に居る頃もその……れ、恋愛小説をご愛読されておられたので」

「恋愛と一括りにするには尖り過ぎた内容でしたが!?」


 身分違いの恋。

 婚前交渉。

 そして略奪愛。


 スリーストライク、バッターアウト。

 もしもリオが男であったら、もれなくバッターの彼女からバットとボールを奪い去らねばならぬ内容ではあった。


「こんなものを聖女が読んでていいんですか!?」

「せ……聖女とは言え個人の趣味の範疇ですから……」

「抱えてるものが爆発物!」


 貞潔堅固が求められる聖女がおおよそ抱えていい代物ではない。

 バレれば漏れなく爆発大炎上。支持率低下からの寄付金減少コンボは免れない。ある意味違う層の支持率は堅固になるかもしれないが、一般層からの支持率は落ちるデメリットの方が大き過ぎる。


「じゃあなんですか!? わたしは聖女にあるまじき本を嗜む変態聖女として屋敷の人達に見られていると!?」

「……っ」

「あなたは本当に笑えていますか?」


 アスが鏡を向けてみれば、ハハイヤは名状し難き自分の微苦笑を見ることとなった。それが答えである。


「ま、まあ、屋敷の方々はそれを踏まえた上でリオ様をお慕いしておられますので……」

「踏まえられている事実に耐えられないです」

「それは……ご愁傷様です」


 一関係者として申し訳なさそうにするハハイヤ。だが彼に当たったところでしょうがないとアスは溜め息を吐いた。


『リオ様』

「! は、はい!?」

『軽食をお持ち致しました。部屋の中に入ってもよろしいでしょうか?』

「あ……どうぞ」

『では失礼いたします』


 先程頼んだ軽食が届いたようだ。

 扉を開けばアンキーラがサンドイッチを載せたワゴンを押して入室する。

 サンドイッチは市民がよく食すライ麦から作られた黒パンではなく、見るからにフワフワな食感だと理解できる白パンだった。

 パンの色は社会的地位の表れ。昔は王族や貴族が市民には白パンを食すことを禁じたくらいだ。


 そのような白パンに挟まれている食材は瑞々しい野菜の数々にハムといった多様な具材。

 思わず垂涎しかねない豪華な具材に、アスは思わず唾を飲み込んだ。


「わぁ! ありがとうございます!」

「こちら、村の方々がリオ様にと頂戴した野菜を使っております」

「本当ですか!?」


 本人でない事実に申し訳なさを感じつつも、やはり食欲には抗えない。

 唸る腹の虫が暴れる前にと、アスは祈りを捧げてからサンドイッチに手を付けた。


「それではいただきます。あむっ……んぅ~! おいしい!」

「……」

「? あのぉ……どうかされましたか?」

「あぁ、いえ……」


 サンドイッチを頬張るアスを凝視するアンキーラは、目尻からほろりと零れる涙をハンカチで拭いながらこう語る。


「お野菜が嫌いと我儘をおっしゃっていたリオ様が、このように『おいしい』とおっしゃってくださるなんて……アンキーラは感無量にございます!」

「ん゛っふ」

「リ、リオ様!?」


 己の隙を晒した事実に咽るアス。

 すかさず彼の視線は隣の騎士団長へと向けられる。


「(これはどういうことですか!?)」

「……リオ様は聖女になろうと邁進しておられました」


 神妙な語り口でハハイヤは続ける。


「聖都で生活する間、数多くの信徒から食料も贈られました。聖女たる者、いかに苦手な食べ物であろうとも無駄にしまいと努力していた姿……私は忘れておりません」

(あぁ、あくまで子供の頃の話で──)

「きっと私が見ていない間に苦手な野菜も克服なさっていたのでしょう」

(いや、これ克服できてないな)


 少なくともハハイヤはリオが成人するまで近衛騎士だった。

 彼の口振りからして、リオは成人しても野菜が嫌いであったのだろう。だからこそアンキーラもこの様子なのだ。


(野菜が嫌いな聖女って、それはどうなんですか……)


「リオ様。ニンジンは食べられますよね?」

「え? あ、はい」

「ピーマンも?」

「まあ美味しくいただけますけど……」

「タマネギもトマトも、ゴーヤだって食べられるようになりましたねぇ!?」


(もしかして偽物わたしを通して本物を矯正しようとしてる?)


 ここぞとばかりに野菜の品種名を挙げるハハイヤから妙な意図を感じ取る。

 どうやらリオという聖女は好き嫌いが激しかったようだ。近衛騎士時代のハハイヤの苦労が滲み出る畳みかけ方だった。


「ああ、なんという……アンキーラは感激です……!」


 しかもアンキーラはと言えば感激の余り号泣する有様。彼女も彼女で幼少期のリオには手を焼かされていたらしい。

 その様子を見ると矯正に手を貸すのもやぶさかではなくなるが、影武者としてそれはどうなんだという感覚もある。


(まあ……いいや)


 アスは考えることを止めた。

 だってサンドイッチが美味しいんだもの。


「ふぅ、ごちそうさまでした……」

「このままお眠りに?」

「いえ、とりあえず体だけ清めようかと」

「ではご用意してまいります。しばしお待ちを」


 空になった皿を載せたワゴンを押し、アンキーラは再び退室する。


 そうして残されたアスは立ち上がり、クローゼットへと向かった。

 入浴するからには着替えが欲しい。流石に薄汚れた私服で他人のベッドに潜り込むわけにはいかない。


「寝間着寝間着っと……あっ、これなんか──」


 クローゼットを物色すると、女物のネグリジェが見つかった。


 まあ、これなら男の体格でも着られるだろう──大事な部分が透けて見えるスケスケ生地でなければの話だが。


 静かに、それでいて勢いよくネグリジェは叩きつけられた。

 アスは再びベッドに突っ伏す。


「ん゛ぅ゛ーっ゛!!」

「冷静に! 冷静になって!」

「なんですかこれ!? 脳味噌を媚薬漬けにされた機織り職人が仕立てた服ですか!? 裸の王様でもイチモツは隠しますよ!?」

「……リオ様はご就寝の際、余り着込まれない御方でしたので……」

「おのれヌーディスト聖女!」


 どうやらスーリア教国聖女は裸族らしい。


「もうヤダ……わたし屋敷の人にこういう目で見られてるの……?」

「べ、別の寝間着を探しましょう。ほら、これとかは」

「! これは……!」


 ハハイヤが見繕った寝間着をアスは受け取る。

 それはウールを編んだ肌触りのいいセーターだった。

 なるほど、これはさっきのスケスケネグリジェよりずっといい。胸も隠れているし股間も隠れている。


 完璧だ──背中側がおっぴろげという点を除けば、だが。


「ん゛ぅ゛ーっ゛っ゛!!」

「さっきよりはマシですから!」

「肌面積ィ゛ーっ゛!!」


 童貞はたしかに殺されていた。

 ただし、羞恥心にだった。


「こ、これなんかは……?」

「局部しか隠せないィ゛ーっ゛!!」




 ***




 一方その頃、アータンは!


「二人とも見てみて! この前王都で買ったカワウソパジャマ! 中がふわふわで温かいんだよ♪」

「「カワイイ~」」


 アスとは違い健全なファッションショーが繰り広げられていた。

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