第94話 海獣は合唱の始まり




『リオ様! どこですかぁー!?』




 近衛騎士を始めてから知ったことがある。

 リオはクソガキ──いや、メスガキ──いや、大層活発的な少女である。


 聖女と聞いて想像する人物像とはどのようなものだろう?

 貞潔で、寛容で、謙虚で、献身的で、信仰心が篤い。

 大抵の人間が思い浮かべるであろう聖女像と比べた場合、リオという少女はそのどれも当てはまらない性格だった。


『ねえ、ハハイヤ。略奪愛って素敵よね』

『や~だ~! 勉強したくな~い~!』

『ハハイヤ! わたしって……カワイイよね♡』

『知らない人の為になんか頑張れな~い』

『スーリア教の教えってよくわかんな~い!』


 ここ数日だけでも頭を抱えてしまう言動はいくつも見受けられた。


──将来聖女になることを期待されている少女の姿か、これが?


 確かに大罪の〈罪〉とやらを持っているのかもしれないが、それにしたってやることなすこと幼稚過ぎる。まだまだ子供であるとはいえ先が思いやられて仕方がない。


『これでは近衛ではなくお守りだ……』


 今日も今日とて勉強から逃げ出したリオを追う最中、自分は深いため息を吐いた。

 近衛騎士とは名誉ある役職のはず。しかしその実態がやんちゃな子供のお守りと知れば、実家の両親はさぞ悲しむことだろう。


『リオ様ぁーーー!!』


 ほとんど怒鳴るように少女の名を呼ぶ。

 だが、当然のように少女は現れない。通路に怒鳴り声が虚しく反響するばかりだ。


『……もう辞めようか、この仕事』


 近衛騎士となって早一か月。

 すでに自分の心は折れかけていた。


 自分は国を守りたい一心で騎士となった。

 もし仮に、近衛騎士ではなく前線にでも配属されていれば、護国の剣として喜んで剣を振っていただろうに。現実はロクに反省もしない子供を追い掛け回す日々だ。


 己が腐る感覚にはもう耐えられなかった。


『異動は誰に相談すればいいものか……』

『やめちゃうの?』

『うぉおう!?』


 突然声が聞こえたかと思えば、すぐ近くの部屋の陰から少女の顔が見えて驚いた。


『リ、リオ様! こんなところに!?』

『ハハイヤ、やめちゃう……?』

『え……』


 もしや今の話を聞かれていたのだろうか?


 だとすると申し訳ない、いや、原因は目の前の少女にある。自分が申し訳なく思う謂れはこれっぽっちもないはずだ。


 だが──寂しそうに唇を噛み、必死に涙を堪えながら服の裾を掴んでくる少女の姿を見た時、そのような考えは霧散した。


 聖女とは孤独だ。

 殊にスーリア教国においては、生まれて間もなく小児洗礼が執り行われ、その子供が宿す〈罪〉を判別している。

 大抵はその子供生来の気質を判断する程度で終わるおまじないだが、大罪に限っては話が別だ。


 〈原罪〉に近しい七つの大罪。

 〈罪〉の中でもとりわけ強大な力を有す大罪の持ち主は、未来の英雄としての活躍を期待され、国を挙げて英才教育が施される。


 彼女もまた大罪を宿したが故、英雄となるよう望まれた存在だ。

 聞くところによれば母親は大罪を狙った罪派によって殺害。

 幼少期こそ父親と一緒に暮らしていたものの、罪派や悪魔の襲撃を考慮して外出は禁止されていたらしい。


 そして、気付けば聖都に移住。

 間もなく聖女としての教育が始められたのだ。


 侍女曰く、ほんの少し前までリオは大人しい性格だったと聞く。

 それがある日を境に我儘な言動をするようになった。


 自分は元々生真面目な気質だ。

 故に騎士として育てられることに疑問を抱かず、今日まで剣を振るってきた。


 しかし、誰もが与えられた義務を全うできるわけではない。

 ましてや子供。本来ならまだまだ遊んでいたい年頃だろうに。


 それを思えば──。


『……やめませんよ』


 潤んでいた瞳が見開かれる。


『ホント!?』

『ただし!』


 逃げられぬよう両肩を掴み、ずいっと顔を寄せる。

 これにはリオもたじたじと狼狽した。畳みかけるならば今しかない。


『遊ぶのは構いませんが、それは今日のお勉強が済んでから! いいですね!?』

『うへぇ……お勉強嫌~い』

『ダメです。リオ様が立派な聖女になるまでお守りするのが私の役目ですから』


 あくまで自分は近衛騎士。

 教育係のように直接指導するわけでもない立場からすれば、掛けられる言葉はこの程度だ。


『じゃあ』

『?』


 やや自分より下にある顔。

 自然と上目遣いになるリオは、縋るようにこう告げた。


『私が立派な聖女になれない間は、ずっと傍に居てくれるの?』

『それは……』


 これには流石に苦笑を禁じえなかった。

 やはり彼女は賢い。頭が回るのが速いからこその願いに、しばしの間返答に詰まってしまった。


 それにようやく返した答えはと言えば……。


『きっとなれます』


 それが考え出した精一杯。


『聖女になるまでも、聖女になってからも……貴方が抱く理想の聖女像を叶えるまで、私はずっとお仕え致します』

『わたしの……聖女像?』

『そうです』


 ともすれば、それは一生掛かっても辿り着かぬ果てかもしれない。

 それでもいい。

 自分は今まさに己の騎士道を見つけた。この少女が聖女になるまで命を懸けて守り抜くこと。それはただ命ばかりを守るとか、そういう話ではないのだ。


 彼女の心──子供としての心も守りたい。

 今日という日が、いつか聖女となった彼女を支える思い出となってほしいのだ。


 人は、与えられなかったものを他者に与えることはできない。

 親に愛されなかった子供が自分の子供の愛し方が分からないように──そのような経験を聖女に味わわせるわけにはいかない。


『だから一緒に頑張りましょう』

『……ホントに、それまでは一緒に居てくれる』

『ええ。騎士に二言はありません』

『じゃあ約束だからね!』


 そう言ってリオは手を差し出してきた。

 違う土地では指切りと称される行為と同じ代物。手切りのつもりだろうと、子供らしい微笑ましい要望に自分は迷わず応えた。


『誓いましょうとも』


 そうしてリオと固い握手──手切りを交わした。


『じゃあ今から遊ぼ!』

『え? いえ、だから遊ぶのは……』

『ハハイヤがわたしを見つけられたらお勉強するから!』


 そう言うや、リオはピュ~ッと走り去っていった。

 大した逃げ足だ。これならたとえ賊に襲われたところで心配はない。


『……リオ様ぁーーーっ!!!』


 言っている場合か。

 呆気に取られていたのも束の間、逃げ去るリオを全力で追いかけ始める。


 前言撤回だ。

 リオという少女は紛れもないクソガキだ。




 ***




 野盗の襲撃未遂から早数時間。

 広大な平野に切り拓かれた街道を進む俺達は、最初の目的地となる村を目指していた。


「む?」


 しかし、ふと御者を務めていたハハイヤが馬車を止めた。


「なんだなんだぁ? また野盗がお出ででカーニバルか?」

「いや……あれを見てみろ」

「ん~?」


 顎をしゃくるハハイヤの指し示す方向を見遣る。

 整備された街道。

 今日まで数多の馬車や旅人に踏み均された道の上には、不自然な楕円形の物体が転がっていた。

 薄茶色で、一見岩のように思えたそれだが、俺達の気配を感じ取ったのかむくりと身を起こしたではないか。


「ありゃあ──」

野海豹ノザラシだ」


 こちらを見つめる愛くるしいお顔。

 それは紛れもなくアザラシ。どこからどう見てもアザラシ。陸地に居るのにアザラシであった。


──パンパンパンパンッ!


 威嚇のつもりなのか、ノザラシは豪快に腹をヒレで叩き、小気味いい音を鳴り響かせていた。しかし所詮はアザラシ……いや、ノザラシだ。愛くるしい見た目のせいで全くと言っていいほど怖くない。


「カワイイ……」


 アータンも目を奪われているご様子だ。

 あのプルプルなお腹の肉を揉みしだきたいという欲望が、ワキワキさせられる手に溢れ出している。


「油断するな、アータン。あれも一応魔物だ」

「魔物なの?」

「魔力を流したヒレで土を掻き分けて地中を泳げるんだ」

「へぇ~。危ない魔物?」

「まっっっっっったく」

「だいぶ強めな主張だね」


 まあ……危険度で言えば最低ランクだもん。

 害と言えば地中を泳ぐ生態で畑や道を荒らされるくらいで、直接的に人間を害する事例はほとんどない。襲われたとしても、毛皮や肉目的で狩ろうとした猟師や冒険者に反撃するといった、そりゃそうだろって反応の範疇だ。


 それに狩猟するメリットもほとんどない。

 肉や脂は土臭いし、毛皮も大して触り心地は良くない。しかも大して強くない為、わざわざ冒険者ギルドに依頼してくる人間もいないという有様だ。

 つまり、素材としても高く買い取られることはないのである。


 可愛いさだけが取り柄の生き物──それがノザラシだ。

 いや、でも荒地を耕すには有用ってビュートが言っていたな。


 良かった、可愛いさ以外にも取り柄はあった。

 可愛くて有用、つまり最強の存在じゃあないか。


「アータンみたいだな」

「……何が言いたいの?」

「あれ?」


 誉め言葉として言ったつもりが、何故だかアータンの逆鱗に触れてしまったようだ。凄惨な視線を向けられると同時に、鉄仮面のバイザーを勢い良く下ろされた。ガシャァン! と鳴り響く金属音が鉄仮面内に反響する。お耳がお陀仏になっちゃうわ。


「ぷいっ!」


 アータンは大層ご立腹である。

 顔は真っ赤っか。鉛丹アータンの再来である。


 俺は悶絶しながらも、行く手を阻むノザラシを退かそうとノザラシの下まで駆け寄る。

 これだけ丸々太った体だ。さぞ転がすのも容易かろうて。


「ほ~れほれほれ、お退き~。道と人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られちまうぞ~」

「ア゛ア゛ア゛~~~ッ!」

「お前……見た目に反して鳴き声全然可愛くないのな……」


 腹をペチペチ叩きながら抵抗するノザラシを横の草むらまでゴロゴロ転がす。

 不満の意を表す腹太鼓はいつまで経っても鳴り止まない。が、奴の機嫌を取るまでの義理はありませ~~~ん!


「よし、先に進むか」

「いや、待て」


 再度出発……かと思えば、再びハハイヤから待ったが入る。

 今度は何事か。そう思い視線を向けた先には、ノザラシより一回り大きな体の魔物が街道に居座っていた。


「あの孤独なシルエットは……」

地海驢エリアシカだな」


 陸上なのにまた海獣が居る。

 アザラシよりも大きな海獣と言えば……そうだね、アシカだね。

 堂々と道のど真ん中に居座る奴は紛れもなくアシカの姿をしていた。しかしノザラシの例に漏れず、奴もれっきとした魔物である。


 危険度は……まあ、ノザラシとどっこいどっこいだ。

 大して危なくもない為、こいつも道の横へと誘導するように追い立てていく。


「ったく、なんでお前らは揃いも揃って道に出てくんだ……?」

「ワ゛ア゛ア゛ア゛~~~ッ!」

「相変わらず可愛げの欠片もねえ鳴き声しやがって」


 しかもよくよく見ると目つきが怖い。

 大きい眼球から、ちょこっとだけ白目部分が覗いているのが軽くホラーだ。昔水族館で見たアシカさんに抱いていたイメージが崩れそうである。子供の純真な夢を壊さないでほしい。大人しく魚でも食ってな。


 かくして抵抗するエリアシカを撤去。

 止めていた足を再び動かし始めた──それから程なくしての出来事だった。


「不味いな、陸海象リクセイウチ山海馬マウントドが街道で縄張り争いしている」

Fxxckinファッキン marineマリン mammalsアニマルズ!」


 3メートルは優に超える海獣同士が目の前で喧嘩していた。

 片やセイウチ、片やトド。地面を鳴らしながら激突する海獣同士の激突は、まさに大迫力だ!


けぇれッ! 海にッ!」

「これでは馬車が通れんな……少々手間になるが奴らを街道から退かそう」

「倒すのはダメなのか……?」

「聖女が罪のない生き物を殺めるのは……な。できる限り穏便に済ませたい」

「ちくしょお!」


 倒せば速攻で済む話かと思われたが、どうやらそう簡単に済む話ではないらしい。

 半ばやけっぱちになりながらも、俺はアータンやベルゴと共に激突する魔物の下へと駆け出した。


「退け退けぇ! 聖女様のお通りだぁ!」

「それで話が通じれば苦労はせんのだがな」

「ならアータン様のお通りだぁ!」

「えっ、私!?」

「前に王都でやってみせたオットセイの物真似を披露してやりなぁ!」

「あれわざとやったわけじゃないから! えっと……あ、あうっ! あうっ!」

「律儀にやらなくてもいいんだぞ、アータン」

「カワイイから無問題モーマンタイよ。……あれ? なんかこっち見てね?」


 ふざけてオットセイの物真似が仇となった。

 喧嘩を売られたとでも思ったのだろう。リクセイウチとマウントドが標的をこちらに変え、猛進してきたではないか。


「不味い! こっちに向かってくるぞ!」

「私のせい!? これ私のせい!?」

「誰が悪いかと辿った先には嗾けた俺が居た。本当に済まない」

「自分の責任だと認められるって素敵だと思うよ!」

「言っている場合か! 奴らを止めるぞ!」


 聖霊まで繰り出したベルゴが、突っ込んでくる魔物を食い止める。

 流石にあの巨体は罪化か聖霊でなければ止められない。妥当な判断である。


 それにしてもだ。


「オ゛オ゛オ゛~~~ッ!」

「ブワ゛ァ゛~~~ンッ!」

「ワ゛ア゛ア゛ア゛~~~ッ!」

「ア゛ア゛ア゛~~~ッ!」


「アシカとアザラシは出てくんじゃねえ!」


──パンパンパンパンッ!


「腹叩いてんじゃねえぞぉ!」


『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!』


「ネズミもお呼びじゃねえんだよ!」


 平原は一変して咆哮と騒音が轟く青空コンサートと化した。




 近隣住民の皆様、本当にごめんなさい。




 ***




 一方、馬車の中に居るアスはと言えば。


『オ゛オ゛オ゛~~~ッ!』

『ブワ゛ァ゛~~~ンッ!』

『ワ゛ア゛ア゛ア゛~~~ッ!』

『ア゛ア゛ア゛~~~ッ!』

『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!』

『うるせえええ! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!』

『あうっ! あうっ! あうっ!』


(何かが……何かが外で起こっている……!?)


 重なる獣たちの雄叫びに怯え、肩を抱いて震えていたとな。




 ***




 大絶叫喧しいモンスターズに遭遇して、早数時間。

 以降、魔物の襲撃を受けなかった一行は、視線の先に大きな村を捉えるに至っていた。


「あれが最初の目的地、パルトゥスの村です」

「おお!」


 ハハイヤが馬車の中に呼びかければ、お尻を痛そうにしたアスが、のそのそと下げ込み窓から顔を覗かせる。

 聖女が利用する馬車とは言え、内装はそこまで豪奢ではない。

 清貧を心掛けた質素な馬車は、数時間もの移動にお尻が耐えうるだけの造りではなかった。お尻が痛くなる度立ち上がり、狭い車内でストレッチしていたのは一度や二度のことではない。


「これでお尻がお亡くなりにならずに済む……!」

「ご不便お掛けして申し訳ございません」


 聖女の影武者を演じているとは言え、実際は一介の冒険者に過ぎないアスへ、ハハイヤは恭しく頭を下げる。


「何分清貧を心掛けた造りになっておりますので……」

「あ……申し訳ございません、文句なんか垂れて」

「しかし、聖女を守るという一点ではこれに勝るものはありません。馬車の内装に描かれた紋様は強固な防御結界を構成する〈聖域〉の魔法陣になっております」

「そうなんですか?」


 言われてみれば、確かに内装の幾何学な紋様は魔法陣だった。

 それもかなり複雑だ。アスが〈聖域〉に精通しているからこそ理解できるが、そうでない者が見たところで魔法陣とは思うまい。


「この〈聖域〉は搭乗者の魔力で馬車を守ります。それゆえ、外部から襲撃に遭い護衛が全滅しても何日かは耐え抜ける……そういった代物なのです」

「なるほど。聖女を守り抜く為なんですね」

「聖都に張られた〈聖域〉はもっと巨大で堅牢です。何せ聖都全体を覆っているのですから」

「聖都全体!? そんな魔力、一体どこから……?」

「大気中に存在する魔素を吸収して永続的に維持するよう術式が組み込まれています。その分、発動の時に大掛かりな儀式と莫大な魔力が必要になりますがね。ですが、おかげで“ドゥウスの悲劇”のように悪魔が大挙するような襲撃は一切起こっておりません」


 “ドゥウスの悲劇”──それはディア教国以外にも知れ渡った大事件の名だ。

 大挙した悪魔により聖都が陥落した事実は、各国に危機感を募らせるに十分だった。


 しかし、それもスーリア教国には縁のない話。

 聖都テンペランに張られた〈聖域〉は堅牢堅固の鉄壁。上空からも地面からも侵入を阻む〈聖域〉により、何度か襲来した魔王軍の部隊も結局は侵入できなかった。


「たとえ密かに侵入されようと〈聖域〉が悪魔を感知しますし、大聖堂のような重要施設にも侵入を阻む〈聖域〉が各部屋に張られています。テンペランが難攻不落である所以です」


 その話に感心するアスは、以降もハハイヤと談笑を続ける。

 そうこうしているとパルトゥスの村は目と鼻の先まで近づいていた。


 日の傾き具合からして、今日はこの村で寝泊まりせねばなるまい。

 となれば、気になるのは村の詳細だ。


「ちなみにここはどういう村なのでしょうか?」

「リオ様が生まれ育った村と聞き及んでおります」

「……え?」

「具体的には6歳の頃まで──」

「ちょ、ちょ、ちょ! ちょっと待ってください!?」


 聞き捨てならぬ内容を耳にし、アスは窓から目一杯身を乗り出す。


 生まれ育った?

 6歳の頃まで?


「いきなり影武者が寄っちゃいけない場所なのでは?」

「大丈夫です…………………………多分」

「奥歯に挟まった物が大き過ぎる!?」


 顔こそ見えないが、きっと視線は泳いでいることだろう。バッタバタのバタフライなはずだ。


「いくらなんでも既知の間柄が居る場所は心許ないですよ!? 一瞬で見抜かれません!?」

「『男子三日会わざれば刮目して見よ』と言いますし……それで通しましょう」

「いや聖女!? いやわたしは男ですけど!!」


 アスはどうしようもない現実に涙した。

 まさか最初に訪れる地が聖女に所縁があるとは思いもしなかった。不覚。完全に見通しが甘かった。


「もっとこう段階を踏んでいくものだとばかり……!」

「申し訳ありません。聖都への行程を考えた場合、どうしても立ち寄るしかなく……」


 整備されている主要な街道は基本的に一本道だ。

 そこを外れるとなれば相応に時間が掛かるし、最悪の場合聖女会談に間に合わなくなる危険性を孕んでいる。

 わざわざ野営するとなれば近衛騎士に負担を掛け、同様に仲間やアグネス達にも負担を掛ける。それについてはアスとしても不本意だった。


「ぐっ、分かりました……なんとか善処します……!」

「そう気負わずに。重ね重ねにはなりますが、リオ様が居られたのは幼少期だけ。以降は年に一度、村の収穫祭の時だけです」

「つまり、近々収穫祭があると?」

「はい。祭服を着て簡単な口上を述べるだけですよ」

「ほっ。それなら……」


 それを聞いて一安心。

 流石にこれ以上は許容量上限を超える。一発瞑想を決めておかなければ平静で居られなかったかもしれない。


「日程に余裕はありますので収穫祭までに段取りは確認しておきます」

「よろしくお願いします……」

「それと本日泊まる宿についてですが、リオ様のご実家に話を通しております」

「……ですよね」

「そこは流石に……」


 聖女を、というか娘が実家ではなく村内の宿屋に泊まる方が不自然だ。

 やむを得ないと言えばやむを得ないのだが、アスの胃痛は加速に加速を重ねて深刻になっていく。


 若干涙目になりながら、アスは助けを求めて後ろへ振り返った。


「ライアーさぁ~ん」

「落ち着きなさいませ、お嬢様。そんなに動揺していると村人にも怪しまれますことよ」

「今一番不審な御仁が目の前に居るんですが……」

「フフッ、ご冗談を」

「ご冗談なのは歩きながら紅茶淹れてるあなたですよ」


 いつの間に用意したのか、ライアーは沸かした紅茶をやけに高い位置からティーカップに注いでいた。

 よくよく見ると幌馬車の中で、アグネスとアータンがティータイムに突入しているではないか。木皿に並べたクッキーを摘まみながら紅茶を含む姿は昼下がりの婦人が如し。

 きっとあのクッキーもベルゴが焼いた美味しい一品なのだろう。想像するだけで涎が溢れてくるようだ……。


「ってかなんで一滴も零れないんですか!?」

「昔何度も火傷しながら練習したからにございます」

「もっと自分の体を労わってください!?」


 茶葉の豊潤な香りが風に乗って運ばれ、若干心に安らぎが訪れる──だが、鉄仮面の鎧尽くめが歩きながら紅茶を淹れる光景でプラマイゼロだ。むしろマイナスかもしれない。


 しかし、なんだかんだ紅茶を受け取ったアスは一口含む。

 美味しい……その事実が今は異様に腹が立つ。


「もう……お願いしますよ、ライアーさん。万が一の時はライアーさんの魔法頼みなんですから」

「勿論にございます」

「……本当に大丈夫ですかね」

「とある国にこんなことわざがございます。『案ずるより産むが易し』、と」


 要はやらなければ始まらない。

 まだ起こっていない問題にうんうん悩むよりもまず、行き当たりばったりでも直面した問題を解決する心構えをしておく方が重要だ。


「本当に……本当にお願いしますよ……!?」

「まあまあ、そう焦らずに。紅茶のおかわりは?」

「あっ、いただきます──って、わぁ!? そのまま注ぐんですか!? まだわたしが手に持ってるでしょうがあああ!?」

「お嬢様、暴れないでください。手元が狂います」

「狂わざるを得ない状況を生んでるのはあなたでしょう!?」

「ハハッ」

「鼻で笑うなぁ!」

「バイザーを下げないでくださいお嬢様。前が見えなくなります故──」

「熱゛ァ゛!!?」

「ほら熱゛ァ゛!!」


 視界を塞がれ手元が狂った結果、アスとライアーは手に熱々の紅茶を浴びる羽目に遭った。


 まるで漫才のようなやり取りを繰り広げる二人。

 その光景をアグネスとアータンは紅茶を味わいながら楽しんでいた。


「楽しいパーティーだねぇ」

「あははっ。それは本当に……」

「なんだか懐かしいよ。昔もこんな光景──」


 いや、と。

 そこまで口にしたところでアグネスが頭を振った。


「嫌だねぇ。年を取ると誰との思い出かもあやふやになっちまう」

「でも、あの人との思い出なら間違えようがないかも……」

「ハハハッ! そりゃたしかにね!」


 からから笑うアグネスは、残った紅茶を一気に飲み干す。


「さて、こっからが本番だよアンタ達! 気張ってきな! でなきゃ一生借金地獄だよ!」


 聖女の影武者任務は始まったばかり。

 尻に火がつく言葉を吐かれた面々は、自分の気が引き締まる感覚を覚えながら、第一の関門となる土地──パルトゥスの村に歩を進めるのだった。

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