第93話 道中は演技の始まり




 8年前だ。

 麗らかな陽気に満たされた庭園。各地より蒐集された数々の花が絢爛に咲き誇る場にて、私と彼女は対面を果たした。


『こちらが聖女となられる御方、リオ様です』


 侍女の一人がそう告げた。

 優しい声音だ。しかし、それに対して私は生返事を返してしまった。


『……その御方でお間違いないでしょうか?』


 こんな質問を投げかけてしまったのも理由がある。


 ちょこんと。

 侍女の背中に隠れる小さな人影があった。それはチラチラと顔を半分覗かせ、私の顔をまじまじと眺めてくる。


 第一印象は人形。勿論、愛くるしい見た目という意味でだ。

 にしたって端正な顔立ちだった。幼さの中に垣間見える美しさの萌芽は、まるで絵画の天使を見ているかのような気分にでもなる。


 そんな天使が口を開いた。


『……この人?』

『そうですよ、リオ様。これから貴方をお守りする御方です』

『ハハイヤと申します。今後、貴方の近衛騎士として命を懸けてお守りする所存です』


 その時、私はまだ新米の騎士。

 従騎士を首席で卒業したとはいえ、聖堂騎士団聖工隊に配属されてすぐ聖女の近衛騎士へと任命される事態は快挙であった。

 実家は貴族とはいえ、そこまで爵位の高くない家柄だ。

 この大抜擢には実家の両親も大いに喜んでくれた。それほどまでに聖女の近衛騎士とは光栄な役職であるのだ。


 だからこそとも言えるが、当時より生真面目だった私は緊張していた。


──任された大役を自分はこなせるだろうか?

──万が一の時、聖女を守り切れるだろうか?


 ここしばらくはそれだけが頭を埋め尽くしていた。

 結局のところ、命懸けで聖女を守護すると覚悟を決めて悩みは終わった。それで払拭できる辺り、私は生真面目以前に単細胞だったかもしれない。


『よろしくお願いします』


 恭しく一礼する。

 すると、こちらの視界に入るように手が差し伸べられた。


『ん』


 握手のつもりなのだろうか。

 それにしては拳が握られているが、未来の聖女自ら手を差し伸べてくれたのだ。


──受け入れてくれた?


 とりあえず最初から拒絶され、近衛騎士をクビにならずには済みそうだ。

 ホッと胸を撫でおろしつつ、私も手を差し伸ばし返す。


 すると、握られていた小さな拳はゆっくりと広げられる。そのまま一回り大きな私の掌に合わせられた掌からは、小さくも熱い体温が伝わってきた。


 そして感じる命の脈動。

 ドクドク……いや、ウネウネと言うべきだろうか?


 これは──。


『ミ……ミミズぁあああ!!?』

『キャハハハ!』

『こ、これ!? リオ様!』


 握らされたミミズに腰を抜かす私。

 それを見て笑い声を上げるリオ様。


 侍女の老婆は大笑いするリオ様を嗜めているものの、てんで反省している様子は見られない。


『くっ……!』

『面白~い!』

『そ、それは貴方がッ!』


 近衛騎士としてあるまじき醜態を見せ、思わず声を荒げる。

 しかし、そんな私に再び手が差し伸べられた。


『あなたのこと気に入りました』

『は?』


 若干キレ気味に返してしまった私は悪くないだろう。

 それでも未来の聖女は臆する様子も見せず、満面の笑みでこう言い放った。


『あなたをわたしの近衛騎士として認めます!』


 どういう論理なのだろうか?

 私は一瞬、眼前の少女の思考回路を疑った。


『ごほんっ! それは無論──』

『だから、毎日わたしと遊んでくださいね!』

『は?』

『じゃないと、あなたがミミズに驚いたって騎士団に言いふらしてあげちゃうんだから!』

『は? ……はぁ!?』


 そこで私は理解した。

 目の前に居るのは聖女ではない。


『これからよろしくね、ハハイヤ!』

『……』

『返事は?』

『は!?』


 この子供は──小悪魔だ。




 未来の聖女との邂逅。

 それは余りにも屈辱的で……今となっては温もりに満ちた思い出だった。




 ***




 行方不明の冒険者を探していたら偽物聖女になっていた。

 俺がじゃないよ。あそこのシスター(男)の話だ。


 何を言っているか分からないと思うが俺も分からない。

 だが外野以上に本人アスが分かっていないだろう。見てごらんなさい、下げ込み窓から覗くあの横顔を。なんということでしょう。遥か遠くに聳える煉獄山を眺めているようで虚空を見つめているではありませんか。


 でもぉ……人生ってそういうものよねェン……?


 俺の心の新宿2丁目に住まう母もそう言っている。


「にしてもだ。随分厄介な依頼を引き受けてしまったものだな……」


 そうぼやくのは馬を引いて歩く新宿2丁目──ではなく、我らがパーティーの母ベルゴだ。愛馬プロヴィタスの手綱を握る彼の顔色はどうも優れない。

 しかし、そんな彼の後頭部を叩く残像が見えた。

 スパァン! と小気味いい音が鳴り響けば、遅れてベルゴの首が斜め45°に傾く光景が目に飛び込んでくる。


「騎士たる者、一度決めたことにウダウダ言うんじゃないよ」

「ぐっ!? も、申し開きのしようもありません……!」

「ったく。図体ばかりデカくなって、肝心の胆はそこまで育ってないじゃないか」


 それ多分アンタが相手だからですよ、などとは口が裂けても言えない。


 何故かって?

 だって言ったら俺が標的になるもの。


「おい、そこ。『藪蛇だから口閉じておこう』なんて面してんじゃないよ」

「なんで分かるのぉ……?」

「鉄仮面の上まで滲んでるからかねぇ」


 目敏いババア……いや、お婆たまである。

 読心されたら堪ったものではない。一応心の中でも敬称は付けておくことは決定した。それはそれとして後頭部に軽めの〈魔弾〉を叩きこまれた。反響音で耳が痛い。


「っつーか、なんでこっちの幌馬車に乗ってんだよ。聖女なら向こうのに一緒に乗りゃあいいじゃねえか」

「あっちはあくまでスーリア教国の聖女様を運ぶ馬車さね」


 死んだ場合の責任を他国に押し付けられない。

 遠回しにそう告げるアグネスに、俺は肩を竦めて両手を挙げた。前世も今世も政治に詳しくはないのだが、色々と気を配らねばならぬ点が多いことだけは何となく理解できる。


 ベルゴが『厄介な依頼』と評した理由が分かるというものだ。


「それにしても聖女ねぇ……」

「なんだい? 文句があるならアタシが聞くよ」

「ステ~イ……ステ~イ……!」


 今にも暴れ出しそうなお婆たまを俺は宥める。

 でなければ、俺の扱いはベルゴ一直線だ。雑にパシられる未来が見える見える。


「アグネス様。聖女ってどんな人がなれるんですか?」


 そこへ助け船を出してくれたのは、我らが天使ことアータンだ。

 直前までヤクザ顔負けのガンを飛ばしていたアグネスも、これにはすぐさま聖母の笑みを湛えて彼女の方を向いた。


 女尊男卑の激しい聖女の風上にも置けねえババアが……!


 まあ、女尊男卑というよりはアータンの可愛さに懐柔されているだけだろうか。可愛さは正義である。


「よく聞いてくれたね。聖女ってのは、選びに選び抜かれた一握りの女しかなれない名誉ある役職さ。努力が必要なのは勿論だが、容姿や才能も重要視されるところが中々世知辛いところさね」


 そう語るアグネスの顔には、確かにかつて美女であった面影が垣間見える。

 そりゃあ若い頃は美人だったのだろう。人生の大半を聖女として過ごしていた以上、聖女に必要な容姿という点は裏打ちされているに等しい。


「聖女は教皇とも違う教団の“顔”さ。ムサいオッサンやジジイ共が裏でこなしている地味な政務の実績を我が事のように喧伝する。……そういう意味じゃあ胆の据わった女じゃあないと務まらないとも言えるね」

「うへぇ……大変そう……」

「アータンも聖女をやってみればいい。嫌でも胆が太くなるからね」


「ハハッ。お婆たまの胆はそんなフォアグラみたいな代物じゃないでしょう?」


「元からだって言いたいのかい?」


 そう言うとアグネスは両手の中指を交差させ、俺に十字を切った。

 聖女のファッキュー・クロスである。こんなものを向けられたのは世界中でも俺一人ぐらいだろう。ちなみにファッキュー・クロスとは『オマエ イマカラ ブチコロス』の祈りを込めた神聖なハンドサインだ。嘘である。


 ただしアグネスの殺意は本物だ。

 聖女が迸らせちゃいけない殺気がビンビンと俺に突き刺さっている。


「……ま、要は才色兼備が求められるのさ。人気商売って奴だからね」

「聖女が人気商売……」

「バチ当たりと思うかい?」


 難色を示すアータンに対し、アグネスはカラカラと笑った。

 まだまだ青く初々しい幻想。それに現実を突きつけるという訳ではないが、人生の紅葉をとうに過ぎ去った大先輩はハリのある声で語る。


「でもね、実際そういうもんさ。人間は大抵ヨボヨボのジジイなんかより綺麗な女の方を応援したくなるものだよ。そうやって人望と一緒に寄付を集めて、困っている人々の為に還元する……それが聖女のお役目さ」


 補助金を寄付金で賄うとは宗教国家ならではという考えだ。

 同時に、寄付金を効率良く収集するべく洗練されたのが現在の聖女。

 俗っぽく例えるなら、売り上げを全部寄付するアイドルのよう──そういう意味では聖女はまさしく“偶像”なのだろう。


「だからこそ、聖女は信者を失望させてはならない。聖女が人気を集めれば集めるほど救える民の人数は多くなるが、その逆もまた然りだからね」

「うへぇ……責任重大」

「そうそう。おかげでアタシゃ独り身さ」


 厄介ファンも比例するってわけか。

 聖女だもんなぁ。男の信者も多かろうて。

 現代日本でも声優やらアイドルが結婚したら炎上していたりするのだから、聖女も迂闊に結婚なんぞできやしない。


「それぐらいアグネス様は人気だったってことですね!」

「アータン……アンタ、良い子だねぇ。飴ちゃんをあげよう」

「わぁい!」


 まーたアータンが飴で飼い慣らされてらぁ。


「ってか50年聖女って、それもう別ベクトルの支持を獲得してんだろ……」

「何言ってんだい。自分で言うのもなんだが、アタシも50ぐらいまでは若い奴らに負けないくらいイケイケだったさ。誰が呼んだか『半世紀の美聖女』とはアタシのことさ」

「美魔女の間違いだろ」

「美しいのは否定しない。嬉しいねぇ……ほぅら! 飴玉をくれてやるよ!」

目は口程に物を言うとて目からは食べられないッッッ!?」


 鉄仮面唯一の弱点である目に飴玉を投げ入れられた。

 やめて、お目目で飴は舐められないの。

 それはそれとして綺麗にホールインワンした飴玉は、鉄仮面内部をカンカン鳴らすように暴れ回り、最終的には俺の口の中へと納まった。蜂蜜味だ。甘くておいしい。


 しばらく飴玉を転がして味わいながら一息吐く。


「フゥ、そう考えたらアニエルとレイエルの結婚も案外大変だったんじゃないか?」

「そうさねぇ。でも相手は聖騎士さ」

「お姫様と勇者みたいにお似合いだな」

「フフッ。だから祝福する声の方が多かったさ」


 在りし日の記憶を思い出すアグネスの表情は実に柔らかかった。

 まるで娘か孫の晴れ舞台を思い出す祖母……いや、実際そうなのだろう。聖女は全ての民を見守る存在。半世紀も見守ったのなら、そこで生まれ育った若い民たちは全員自分の子供のようなものだろう。


「でも、あの子は……──」


 しかし、現実には幸福な日々は続かなかった。

 レイエルは斃れ、アニエルは子を産んで亡くなった。聖騎士と聖女という柱が間隔を置かずに両方失われたのだ。当時の民の絶望は計り知れない。


 彼らを我が子のように見守ってきたアグネスの心境も。


「……暗い話をしたね。けど、聖女ってお役目がどういうものかは理解できたろう?」


 その問いにアータンは神妙な面持ちのまま頷いた。

 聖女の信用が弱者救済に繋がる。

 なればこそ、影武者を演じて信用を維持することがいかに重要かは理解できるだろう。


 今回の依頼、失敗は許されない。

 影武者は影武者であるとバレてはいけない。ひょっとすると死ぬまで己を本物と偽り、その嘘を墓まで持っていく羽目になるかもしれない。


 それを承知したアスは少なくとも人生を掛ける覚悟を決めたわけだ。


「とんでもない船に乗り掛かかられたけども、しっかり仲間を支えてやりな」

「当然」

「いい返事だ」


 即答してやればアグネスがニィと口角を吊り上げた。

 鷲鼻も相まって一層魔女に見える不敵さだが、そこには半世紀以上聖女としての大役を務めてきた威厳と貫禄が滲み出ている。


「さて、そうと決まればまずは聖女様を聖都までエスコートだ。アタシの護衛はアンタ達だ。頼んだよ」

「任せな。こちとらレディーのエスコートにゃ手慣れてらぁ……」

「ほう、やるね。迷子とお年寄りしかエスコートした経験がなさそうな癖に」

「ッ……!」


「泣かないでライアー」


 図星を衝かれた俺をアータンが優しく慰めてくれた。


 そりゃあ転生してから彼女居た経験ないけどさァ……!

 ってか、転生する前も彼女居た経験ないけどさァ……!


 涙を禁じ得ぬ俺を見て、流石に言い過ぎたかとアグネスも『悪いね』と謝った。だが今は逆にその気遣いが心に来る。


 そう思った時だった。




「止まれ!!」




 ***




 不意に誰かが叫び、全員が足を止めた。

 満ちる物々しい空気。その原因は進路に立ち塞がる複数人の襤褸を纏った野盗だった。


 これにライアーはやれやれと首を振る。

 俺の出番だ──そう言わんばかり前に出ようとしていた。


「おうおうてめえらァ! こちらにおわす御方をどなたと心得」

「貴様らッ!! 聖女が居ると知っての狼藉か!!?」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!?」


 強者ムーブをかまそうとした矢先だった。大音声を発する味方ベルゴに鼓膜をやられるライアー。反射的にシャウトラットになった彼はゴロゴロと地面を転がる羽目となる。

 しかし、ベルゴの怒号が効いたのだろう。野盗はあからさまに狼狽していた。

 よくよく見てみれば野盗のほとんどは年若い少年や少女だ。背丈的に成人したかしていないかといった具合である。


「聖女への襲撃は重罪だ!!! 極刑に値するぞ!!! それでもやるか!!?」


 ベルゴは勧告を続ける。

 内容は実に物騒だが事実だ。量刑は襲う相手次第で変わる。教皇や聖女クラスともなれば量刑は最も厳しくなる。


「うるさい! おれ達はもうこうするしかないんだ!」


 錆びた剣を握る手と同様に震える声が返された。

 口振りからして慣れていないであろう野盗の頭目らしき少年は、怯えた瞳の眼光を閃かせながら言葉を続ける。


「おれ達は教団に見捨てられたんだ! 『お前達を養う余裕がないから』って一方的に!」

「なんだと?」

「スーリア教がおれ達を生んだ! だってのに教団はおれ達を見捨てたんだ!」


 だからここに来た、と。

 少年は切実な声色で叫んでいた。


 スーリア教の教えは多様な愛の容認が根底にある。その為、地域によっては一夫多妻が認められているし、国全体に『産めよ増やせよ』といった空気が流れている。

 良く言えば愛に溢れている、悪く言えば性に奔放なお国柄。

 それでいて堕胎は宗教上禁忌とされている。ただし親が育てられない子供を引き取ってもらえるよう各地に教団運営の孤児院が用意されているのだ。


 それもあってかスーリア教国の出生率は七大聖国最大。

 若い世代が多いということは国力の増強や維持に繋がり、結果的にスーリア教国は建国以来七大聖国最大の国力を誇ってきた。


 しかし、それも昔の話。

 魔王軍との戦争で戦費は膨れ上がり、孤児院への支援金も絞られていった。いくら孤児院と言えど面倒を看られる人数に限りはある。



 全員を飢え死にさせるわけにはいかない。

 だからこそ、彼らのように溢れる子供も居るわけだ。


 教団が全て悪いわけではない。

 それでも救われぬ者達からすれば、教団は自分達を見捨てた組織。彼らの事情を汲んで飲み込めというのも酷な話である。


「ではなぜ聖女を襲う!?」

「ッ……せ、聖女が乗ってるってのは知らなかった! でも金と食料くらいなら持ってるだろ!?」


 一行を襲ったのはたまたま。

 魔王軍やら罪派の手先でないという点は分かったが、まだ安心はできない。


「……たとえどのような事情があろうと盗賊行為は重罪だ。お前達の目を見れば分かる、これが初めてだろう? 今ならまだ間に合う! こんなバカな真似はやめろ!」

「やめてどうしろって言うんだ! 学のないおれ達じゃ真面な職にありつけねぇ……じゃあ、こうするしかないじゃないか!」


 それは彼らなりの悲鳴なのだろう。

 頭目の少年の叫びを受け、金髪の少女が握っていた粗末な枝を構える。すると先端には火の玉が浮かんだ。


「……止むを得んか」


 とうとう実力行為に出た野盗を前にベルゴが歯噛みし、大剣コナトゥスの柄を掴んだ。彼らを制圧するなど訳ないだろうに、その表情は酷く苦々しい。

 時を同じくして近衛騎士らも殺気を放った。

 実体のない威圧感だ。それでも野盗である若者らが委縮するには十分だった。

 すでに勝敗は目に見えている。それでも彼らは引き下がれない。


 生きるか死ぬか。

 死ぬと分かっているならどうやって死ぬか──彼らの頭にはそれしか浮かんでいなかった。




「皆、剣を下げなさい」




 だが、その思考は制された。

 凛とした、透き通るような声だ。


「この者らは我が国の民です。誰一人血を流させることは許しません」


 そう言って馬車より降り立ったのは聖女リオ──ではなく、彼女を演じる影武者アスだ。

 しかしながら堂に入った演技である。

 すっかり本物の聖女と騙されている若者はどよめき、後退る。中には端麗な美貌を誇るアスに見惚れたのか頬を染めている者さえ居た。


「アンタが、聖女リオ……?」

「はい」


 迷いなく頷いたアスは片手を上げる。

 すると、傍らに佇んでいたハハイヤがペリースに隠れた腕を上げた。

 何かされるのではと怯える若者たち。

 けれどもハハイヤが掲げた物は剣ではなく、文章が描かれた一枚の羊皮紙であった。


「こちらを」


 ハハイヤから羊皮紙を受け取ったアスは、あろうことか野盗である若者の目の前まで自分一人で歩み寄っていく。

 まだ魔法使いの少女の〈火魔法イグニ〉も消えてはいない。教団の人間が見れば絶句するであろう無防備な状況……それでも聖女を演じるアスは堂々と若者らへと歩み寄り、羊皮紙を手渡すに至った。


「騎士団への紹介状です。あなた達が望むのであれば今日にでも騎士団で仕事をできるよう、一筆したためました」

「え……?」

「偽造文書と扱われぬよう、騎士団長たるハハイヤの魔力も刻印済です」


 これさえあれば無下にはできない、と。

 さらさらと、まるで初めからそうすると決めていたように語る聖女に、若者たちの理解は追いついていなかった。


 だが、理解よりも早く聖女は頭目の少年の手を握った。

 泥や垢で汚れた手を、何の躊躇いもなく。


 手が温かな理由は体温だけではない。

 もっと別の“何か”が、手から胸へ、そしてその奥に埋もれていた感覚を呼び起こす。


──なんだこれは。


「陳謝致します」


 目頭が熱くなる中、ぼやけた視界の中で輝く聖女が告げた。


「理由がどうであれ、あなた方を見捨てるような真似をしてしまったことは変えようのない事実。わたしが至らぬばかりにあなた方には辛い思いをさせてしまいました……誠に、誠に申し訳ございません」

「や……そん、な……」

「ですが、いかなる苦境に追いやられようと、それが他者を害し、罪を犯していいという免罪符にはなりません」


 優しく、それでいて厳しい声音が若者らを諭す。


──分かっている。分かっているのだ、そんなことは。


 しかし、気づけば彼らは涙を流していた。


 罪を犯しても生きたかった。

 その気持ちに偽りはない。

 ただ、罪悪感がなかったわけではなかった。神にも教団にも見捨てられた境遇に置かれても尚、彼らの中に信仰は生きていた。


 だからこその苦悩と葛藤。

 その果てに道を踏み外そうとしてしまった事実を改めて実感し、耐え難い後悔が胸に押し寄せていた。


「……なさい……ごめんなさい……!」

「いいえ。改めてになりますが謝るのはこちらの方。あなた方をそこまで追い詰めてしまった教団われわれにも責任はあります」


 『ですので』と、今度は明るく弾む声色で聖女は告げた。


「今回の件、あなた方が反省してくださるというのなら罪は問いません」


 驚愕に目を剥く若者たち。

 喜びよりも困惑が勝った。偶然とは言え聖女を襲撃したにも拘わらず不問とは甘い、甘過ぎる。

 かと言って、責任の取り方も分からない。

 右往左往するしかない彼らは、先ほどとは違う意味で縋る視線を聖女へと送る。


 すれば、微笑みが返ってきた。


「人間、誰しも間違うことがあります。ですが、本当に償う意志があれば生きて償うべき──わたしはそう考えます」

「聖女……様……」


 汚れた体を優しく抱きしめられ、とうとう少年は人目も憚らず号泣した。

 久方ぶりに触れた人の優しさが、今だけは耐え難いほどに痛かった。それが己に未だ残る罪悪感──良心がある証拠だと説かれ、より一層彼は涙を流した。


「失礼」


 最早闘争する空気ではなくなった場において、一人の騎士が声を上げた。


「その文は私がしたためた物だが、中には戦いを恐れる者も居るだろう。そういう者に関しては小姓ペイジになりたい旨を伝えろ」


 『小姓』とは聖堂騎士団において戦闘以外の雑務を担当する役職。

 剣を握らずとも騎士が十全に戦えるよう支える重要な仕事とは、紹介状を書いたハハイヤの言である。


「騎士とて一人で戦っているわけではない。騎士が握る武器や纏う鎧、毎日口にする食事だって国中の民が納めてくれた税や善意の寄付があってこそだ」


──誰かの支えがあってこそ戦える。


 静かに、しかしながら力強くハハイヤは語る。


「騎士は一人では戦えない。多くの人間に支えられているからこそ国を守る為に戦える。願わくば、私は君達に騎士われわれを支える役目を与えたい」

「騎士を……支える?」

「無論、それも容易い道ではない。だが己を誇れる生き方だ」


 それからフッとハハイヤは口元を綻ばせた。


「どうか己を誇れる生き方を歩んでほしい。その道を選んだ先に我々は居る。君達のことも歓迎しよう」


 先程魔法を繰り出そうとした少女の肩に手を置き、微笑みかける。

 絵に描いたような美青年のハハイヤだ。常に無表情を貫く彼だからこそ、不意に見せる笑顔の破壊力は凄まじい。

 笑みを向けられた少女はボッと顔から火を噴き、『ひゃい……』と上ずった声で返事を返した。これにはライアーも『堕ちたな……』と後方で呟いていた。


 かくして場は収まった。

 荒んでいた若者たちの目も今や煌々と光り輝いている。今すぐにでも貰った紹介状を手に駆け出したい衝動に駆られているようだった。


「団長」

「分かっている」


 一方で近衛騎士の一人がハハイヤに耳打ちした。


「ここから近くの詰所まで彼らを案内しろ。二人ほど騎士を出せ」

「では、フロールムまで」

「案内を終えたら追ってこい」


 表面上は改心したとは言え彼らは盗賊行為を働こうとした一党。

 の可能性も考えた場合、騎士の同行の下確実に案内した方が後顧の憂いがなくて済む。

 その間、聖女の護衛が手薄になるが──聖堂騎士団長が近衛を務めている以上、高位騎士数人なぞだ。


「では頼んだぞ」

「は!」


 案内を頼まれた騎士二名は、それぞれ若者たちの先頭と最後尾に付いて案内を始めた。

 その後ろ姿に手を振って見送る聖女。道を違えようとしていた若者は、聖女の導きにより真っ当な道を歩み始めるのだった──。


「ッ……ぷはぁ~! き、緊張したぁ……」

「だいぶ様になっていましたよ」


 へなへなと膝を折るアス。

 すっかり聖女モードから解放された彼は、ハハイヤから送られる賞賛に対し、恥ずかしそうに赤面する。


「そうですか? ほぼほぼ普段のわたしでしたけれど……」

「普段から礼儀正しい証拠ですね。ですが、あれで十分他人は誤魔化せるでしょう」

「……他人でない人は?」

「……要練習です」


 うへぇ、とアスは声を漏らした。

 聖都への旅路はまだ途中も途中。これからが本番だと思うと気が重くなってくるというものだ。


 だが、こうして思い悩む理由は別にもあった。


「その……聖女襲撃は重罪って聞こえたんですが」

「そうですね。本来であれば死罪です」

「勝手に許したりしてしまって大丈夫だったんですか?」


──改心した罪人を見逃す。


 罪人の事情を憐れんで罰しないことは確かに寛容だ。

 かと言って、何度も罪人を許してしまえば法治国家としての体面が崩れる。見逃した罪人が罪を犯せば、当然赦した当事者を非難する声も上がるだろう。


 アスは今、聖女の影武者だ。

 若者らの境遇に同情していたとは言え、影武者がそのようなリスクを冒していいものか──いかにハハイヤの提案と言えど思うところがないと言えば嘘だった。


「赦免復権は聖女の寛容さを象徴する特権の一つです」

「でも……」

「問題ありません」


 しかし、ハハイヤは杞憂だと一笑に付した。

 何故なら──。


「聖女リオならそうします」

「……」

「リオ様は……そういう御方ですから」


 過去を懐かしみながら語るハハイヤ。

 その口元に浮かぶ笑みに、アスもつられて口角がつり上がった。


「そうですか……お優しい方なんですね」

「ええ、まったく」


 リオという人間の人となりが見えてきた。

 罪を赦し、挽回の機会を与える。たとえそれが自身を貶める可能性を孕んでいようとも、出来る限り人生を救おうとする在り方は、確かに聖女に相応しい。


(わたしは、そういう人に倣わなければならないんですね)


 圧し掛かる責任感がさらに重く感じられる。

 しかし、どうしてだろう。今ではそこに誇らしさを覚えていた。


 影武者を演じる理由は聖女の名誉、延いては民を守る為。


 今は違う。

 一個人としての敬意を抱き、それに倣いたい想いが生まれていた。


(──なんて、烏滸がましいですかね)


 それでもちょっとくらいなら──。


 アスは徐に振り向いた。

 そこには見慣れた三人の顔が並んでいる。聖女を演じる仲間を見守ってくれていた彼らへ、アスは恐る恐る問いかけてみた。


「どう……でしたかね?」




「7点」

「えっ。あ……きゅ、9点!」

「8点だな」




「何点満点中?」

「31点満点」

「合計が素数なことあります?」


 返ってきた謎の採点に、アスはツッコまざるを得なかった。

 聖女の寛容さを獲得する道はまだまだ長い。

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