第92話 誘拐は影武者の始まり
事の始まりは1か月前。
スーリア教国には一人の聖女が居た。
名をリオ。
今年で20となるうら若き乙女だ。一方で聖女としての任期は5年目に突入し、生来の才能も相まって能力と人望を兼ね備えるに至っていた。
稀代の聖女として名を馳せる未来は間違いない──誰もがそう思っていた。
『貴様らの聖女は我の手に堕ちた。聖女が集いし日、貴様らが崇めしこの女こそ国を滅ぼす御使いとなるであろう』
しかし、リオは攫われた。
魔物や悪魔の被害にあった村々を訪れる慰問活動中の出来事だった。
当然、彼女を守る近衛騎士は居たが殉教。
ほとんどが惨殺され、残ったただ一人は今の言葉を報せるメッセンジャーとして機能した後、不自然な自死を遂げた。
これによりスーリア教団は混乱に陥った。
聖女が攫われた事実もだが、聖女が集いし日──すなわち聖女会談の日が二か月もしないところまで迫っていたからだ。
聖女誘拐の件は教団内部でも箝口令を敷かれたが、人の口には戸が立てられない。どこからともなく漏れた聖女誘拐の噂は国中に知れ渡り、各地に暗雲を立ち込めさせた。
こうなっては致し方ない。
そう考えたスーリア教団はむしろ開き直った。聖女会談襲撃については伏せ、聖女リオが行方不明となったことだけをお触れを出し、彼女の目撃情報を募ったのである。
しかし、有力な手掛かりは得られない。
聖女会談の日まで時間もなかった。今から悪魔の手中に収まった聖女を探し出すことは、砂漠で一つの砂粒を見つけるに等しい可能性だ。
そこで教団の実務に携わる枢機卿がある決定を下した。
『影武者を立て、聖女リオが発見されたとお触れを出すのです』
これに〈鋼鉄の処女〉団長ハハイヤは激怒した。
『ふざけるなぁ!!』
枢機卿の決定が記された書簡を読み終えたハハイヤは、その場で書簡をバラバラに引き裂いた。『読み終えた後、すぐさま破棄するように』と指示が記されていたことが唯一の救いだろう。でなければ、彼は重要な書簡を破り捨てた罰を受けていたはずだ。
だが、ハハイヤの怒りはその程度では収まらない。
『影武者を立てろだと!!? そんなもの、事実上の捜索打ち切りではないか!!』
影武者を立てること、別にそれ自体を悪と断じるつもりはない。
ハハイヤが危惧している点は別だ。攫った悪魔は“リオを聖女会談襲撃の使徒として用いる”と告げた。
影武者と本人が出くわす可能性は当然ある。
さらに言えば、聖女会談当日に戻ってきたリオ本人をどう対処するのか──ハハイヤはそれを懸念していた。
救出できるものならそうしたい。
ただし、何らかの理由ですでにリオが手遅れの状態であれば危うい。
さらに衆目を集める場で、なおかつ本物と偽物が一堂に会してしまったならば──。
偽物を本物と扱い、本物を殺害しなくてはならない。
そんな最悪な未来をハハイヤは危ぶんでいたのだった。
***
「……私は一時期、リオ様の近衛騎士だった」
あれからハハイヤは教団の内情を語ってくれた。
どうやら彼も色々と思うところがあるらしく、面を伏せながら響かせる声は、ひどく暗く沈んでいた。
それを俺達は黙って聞く。
黙って聞くべきだと、そう思った。
「あの方は幼き頃より聖女になるべく教育を受けてきた。同年代の子供がまだ遊んでいるような年頃より勉強と鍛錬の日々……」
顔が見えないというのに、彼の沈痛な面持ちがありありと見えるようだ。
机に両肘をつき、伏せた頭部の前で祈るように組んだ手が印象的だった。それだけで彼がどれだけリオを心配しているか、どれほど親密な関係であったかが伝わってくる。
「こんなこと、影武者を頼む貴方に言うべきではないと分かっている……しかしだ! 私はリオ様を救いたい!」
腹の底から絞り出すような声が響く。
体を、胸を、心を揺るがすような声だった。
「アス殿と言ったな? 恥を忍んで言う。貴方には影武者を演じてもらいつつ、リオ様救出に手を貸してほしい!」
徐に立ち上がったハハイヤは、アスの手を両手で掴んだ。
鼻っ面がくっつかんばかりの距離である。マジでキスする二秒前って感じで、アスも『はわわ』と狼狽えている。初々しいくらいのチェリーシスターである。いや、チェリーなシスターってなんだよ?
「き、救出するったって、具体的に何をすれば……?」
「……正直まだ具体的な方法は考えていない。ただ、リオ様が現れる可能性が高いのは聖女会談当日だ。その日、何が何でもリオ様を保護する!」
「それについては異論はないんですけれど……」
「他に問題があるのか?」
「聖女の影武者って何をすればよろしいので……?」
不安そうなアスは至極当然な疑問を口にした。
ぶっちゃけ俺も聖女が何するかなんてフワッとしか分かってない。神聖なパワーでどうたらこうたらっていうのも、作品によってまちまちだろう。
「……上層部からの指示では、聖女リオの無事を喧伝する為に聖都への道すがら、立ち寄る町や村で慰問活動をせよとのことだ」
「はぁ」
「懸念点としては、リオ様は信徒からの人望……人気が非常に高い。中には熱心な信者も居るほどでな、半端な演技ではすぐにバレてしまいかねない。無論、そこでバレてしまっては全てが水の泡だ。信徒の教団に対する信頼の失墜は計り知れないものとなろう」
「ヒュッ」
「信徒からの信頼は教団への寄付……すなわち、教団の運営費にも直結する。税だけでは賄いきれぬ人道支援のほとんども、善意の寄付によって成り立っている部分が大きい。つまりだな、貴方が偽物とバレるだけで人死にが出るというわけだ」
みるみるうちにアスが蒼褪めていく。
そりゃあ……そうだろうよ。本人からしてみれば、なんで頼まれている立場なのにそこまで責任を負わなければならないんだって感じだろう。
「ち、ちなみに断った場合は……?」
「……今回の町の被害額の賠償をさせると言付かっている」
「ッ、スゥー……」
アスが瞑想始めちゃった。
凄くか細い息を紡ぎ、しばしの沈黙。彼の頭の中では、きっと一生かかっても払いきれない額の賠償金の数字が浮かび上がっていることだろう。俺も想像したかない。
「個人的にはそのような不義理断じて認められんが、どうにも上層部も相当切羽詰まっているらしい」
「スゥー……」
「だが、気休めかもしれないが影武者については心配ないとだけ。正直言ってリオ様と貴方は瓜二つだ」
「ちなみにどの程度?」
「……シモを切り落とせば確実にバレないと保証しよう」
「さようなら、わたしの
「待て待て待て待て早まるな!」
おちんちんストップを掛けろォ!
「やめて、アスさん! ご両親が悲しむよ!」
「将来孫の顔を見せるかもしれんのだ! 大事にとっておけ!」
「そ、そうですかね? 親の顔知らないですけど……」
「オレが親みたいなものだ! それではダメか!?」
「じゃあ私妹で!」
「リクエスト制なんです?」
ってな感じで、三人総出でおちんちんシスターの凶行を止めた。止め方が最低なのはスルーしてほしい。
何よりおちんちんシスターからおちんちんを取ったら、ただのシスターになっちゃうだろうが!
いや……本来あるべき姿か。
「私もリオ様の近衛騎士として長い。だが、それを踏まえても顔の作りや声の感じがそっくりだ。細かい所作や言葉遣いを習得すればまずバレることはないだろう」
「全力でサポートしてくれると?」
「当然だ」
聞いたアスはふむふむ唸る。
これが全く似ていない人間を演じろとなれば違ってくるだろうが、今回は近衛騎士お墨付きである。
偽物聖女を演じる希望も見え始めた。
幾分か顔色が良くなったアスは顔を上げ、ハハイヤと見つめ合う。
「それなら先に話しておかなければならないことがあります。わたしはかつて罪派の一員でした」
「! なんだと……?」
「ですが騎士団や教団の方々のおかげで教化も済み、こうして一教徒として過ごさせていただいております」
周囲が──というか、俺達が止める間もなく過去を語り始めるアス。
罪派だった過去など明かそうものなら、普通周りから白い目で見られることになってもおかしくない。ましてや相手が聖堂騎士なら尚更だ。
それでもアスは語る。
信頼はそれでこそ成ると──俺達がそうであったよう。
「わたしは日々考えております。如何にして過去の過ちを償えるか……そればかりを」
「……」
「こんなわたしでもよろしければ国の為、衆生の為、そして何より貴方が救いたいと願う御方の為、この命を捧げましょう」
「アス殿……!」
力強く言い放ったアスを前に、ハハイヤの瞳は揺れていた。
すると彼はアスの前に跪き、深々と頭を垂れた。
「かたじけない! かたじけない……!」
「ハ、ハハイヤさん! いいんですよ、わたしが勝手にやると決めただけのことですから」
「それでも……かたじけない……!」
何度も感謝を告げるハハイヤ。
生真面目さはベルゴに匹敵、いや、それ以上かもしれない。
苦々しい笑顔を浮かべながらアスは、俺達の方を向いてきた。
「すみません、勝手に決めてしまって……」
「大丈夫だよ、アスさん」
「ああ。オレはむしろお前が断ったらどうしようかと冷や冷やしたぞ」
「そんな!」
しませんよ、とアスは頬を掻く。
途中尻込みこそしていたが元より断るつもりはなかったようだ。とんだお人好しである。
さて……。
「ライアーさんもすみません。でも、いいですよねっ!」
「う~~~~~~~~~~ん……」
「あるぇ!!?」
俺は悩んでいた。
とても悩んでいた。
例えるならば彼女に連れてこられた服屋で『ねえ、これどっちが似合ってるかな?』と言われた時ぐらい悩んでいた。
その様子を見て渋っていると勘違いされたのか、アスのみならずアータンとベルゴもまでもが驚いて詰め寄ってくる。
「どうしちゃったの!? いつもなら食い気味に『人助けの時間だぁー!』って若干倫理観を疑う発言をしながら首を突っ込むのに!」
「そうだぞ! 『助けを待ってる人は居ねえか?』などと正気を疑う独り言を呟くお前がどうした!?」
「『人助けすると脳内麻薬がドバドバ溢れ出るぜ~!』ってギリギリ法に触れない狂人であるあなたがどうしたんです!?」
「皆そんな風に思ってたの?」
善意と良心に駆られる狂人的な認知をされていたと知り、俺の心と体はボロボロだ。
泣いていい? ってか泣いた。
アータンによしよしされた。
泣き止んだ。
というのは冗談としてだ。俺は割と本気で悩んでいたのだ。
「う~ん……」
「ライアーがそこまで悩むなんて珍しいね。本当にどうしたの?」
「これがなぁ……」
俺がここまで渋る理由は一つだ。
それはゲーム本編での彼が死に至る原因にあった。
ゲーム本編でも宣教師として活動していたアス。
彼はある時、仲間を見捨てるでご存じ偽物勇者withアータンと出会う。
そこでどういったやり取りが行われたか知らないが、以降彼は偽物勇者一行の旅に同行する……のだが、ここからが悲惨だ。
道中彼らは謎の一団に襲われる。
これに抵抗するも、途中偽物勇者はアスを見捨てて逃亡。抵抗虚しくアスは謎の一団──もとい、魔王軍の息が掛かった連中に連れ去られるのだ。
この後アスはどうなったと思う?
──聖女リオの影武者として処刑された、だ。
この頃、ゲーム本編では本物勇者一行にヴァザリアが加わり、スーリア教国各地に蔓延る罪派の悪事を暴く話に突入している。
各地の事件を解決していくと、その裏で糸を引く存在──なんと聖女リオの存在が明らかとなるのだ!
そこで本物勇者一行は聖女リオを弾劾することに成功。
この断罪イベントを経て、リオは断頭台で処刑される流れとなる──が、しかしだ。実はこの段階では、まだ教団内部にリオに加担する勢力が残存していた。
主人公一行はたしかにリオが処刑される瞬間を目にした。
だが、蓋を開けてみれば処刑された人間はまったくの別人──それどころか、ヴァザリアと仲の良かった一般人であると判明する。
主人公一行は己の犯した取返しのつかない過ちに苦悩する。
それでもリオを止めるには、前に進むしかなかった……。
これがゲーム本編におけるアスの死に関係するイベントだ。
重いわ。
滞りなく処刑されたなら本人だと思うだろう。それが実は『主人公に全然関係ない赤の他人でした~☆』とか知るかよ。
いや、まあヴァザリアだけは兄妹同然に慕った相手なんだけど……むしろ罪深さが加速するぅ!
ってな感じで、アスが偽物の聖女を演じる=死亡フラグという式が、原作既プレイ勢の俺の中で組み上がっている。
すでに本編の流れからかけ離れているとは言え、本編の胸糞鬱展開を思い出すと、どうにも首を縦に振れない。
「う~ん」
「……少し、いいですか?」
「アス?」
悩みに悩む俺を見かねたのかアスが歩み寄って来る。
人助けを渋る俺にケツキックの一発でもかましてくるか──なんて若干身構えていれば、アスは静かに、そして優しく俺の手を取った。
……ん? これどういう空気?
「分かってます。偽物を演じる以上、聖女を攫った下手人から刺客が差し向けられる可能性がある。それでわたしの命が狙われるかもしれない」
「……あ~」
「そのことを心配してくださっているんですよね?」
若干すれ違いが発生している。
ただ、アスを心配している点についてはその通りだ。
衝いて出た返事は曖昧な煮え切らない声音だった。
けれど、アスにとってはそれで十分だったらしい。むしろ決心を一層固めたらしく微笑みを浮かべ、俺の手を両手で包み込むように握り締めた。
……ヤダ、ドキドキしちゃう。
アスったら顔面偏差値75みたいな顔だから、男と分かっていてもときめきが止まらないわ。女の子になっちゃう。
「聞いてますか?」
「あ、はい」
「ライアーさんの心配は尤もです。わたしだってこんな危ないこと、他人ができるんだったらその人に任せたい気持ちは……ほんのちょぴっとだけあります」
ほんのちょぴっとで済むならお前も大概お人好しだよ。
──なんて、言えるわけないよなぁ。
「でも、これはわたしにしかできない」
力強く言い切られた。
逸らしていた視線をアスへと戻せば、固められた意志そのものと評すべき双眸が、そこには佇んでいた。
「わたしはリオさんがどういう御方か全然存じ上げません。けれど、ハハイヤさんのお話を聞いたら……ッ!」
「居ても立っても居られないってか?」
「……はい!」
罪派の教皇として育て上げられたアス。
教団の聖女として育て上げられたリオとは、ある意味で対照的な存在だ。それを彼自身薄々感じ取っているのかもしれない。
一歩間違えば魔の道に堕ちていたのは──。
「わたしもリオさんを救いたい。ハハイヤさんが愛した御方を救いたい」
「……」
「だから、その上で一つお願いがあります」
「……言ってみな」
「人助けするわたしを助けてください」
揺るがない。
それは瞳か、はたまた意志か。
アスは真っすぐな眼差しで射貫くように、俺をジッと見つめた。
「赤の他人の為に命を張れっていうのは難しくても、仲間の為だったら命を掛けられる……わたし、ライアーさんがそういう人だって信じてますから」
「……はぁ」
「ダメ、ですか?」
こてん? と小首を傾げるアス。
わざとか天然なのか分からないが、やられている側からしてみればかなりの破壊力だ。
でも、仲間にお願いされたんなら仕方がない。
「ったく、人の琴線に触れる頼み方してくれやがるぜ」
「! それじゃあ……?」
「任せろ。
元から断る気はなかった。
しかし、飲み下すまで時間が要りそうだったところに、アスが火をつけてくれた。これを無下にしては勇者の名が廃るというものだ──偽物だけど。
けれど、お誂え向きじゃあないだろうか。
偽物聖女を守る偽物勇者。
どちらも偽物って点を除けばよくあるファンタジーの王道展開だ。
「やってやろうじゃあねえかこの野郎ぉ!」
「ライアー!」
「偽物演じてぇ! 聖女も救うぅ!」
「よく言った、ライアー!」
「最後は下手人ぶっ飛ばして大団円よぉ!」
「ライアーさん!」
「えい! えい! おー!」
「「「おー!」」」
「仲良しだね、アンタら」
勝手に盛り上がる俺達を見てアグネスが呆れながら零した。
まあ……それほどでもぉ~?
「っつーわけだ。スーリア教団とあんた個人の頼みを引き受けるぜ。ハハイヤ団長さん」
「……かたじけない!」
「なーに、人助けだ。当然のことをするまでよ」
「そりゃいいんだけどね。アタシ個人の護衛なのを忘れちゃいやしないかい?」
「申し訳ございません、お婆たま!」
すぐさま俺はアグネスお婆たまに土下座して許諾を得る。
最近特訓でボコボコにされ過ぎる余り、一応この人の護衛って建前があることを忘れていた。それもこれも全部この婆さんが強いのがイケない。
ざけんな80歳。
一世紀近い積み重ねを四半世紀生きてない小僧に味わわせるんじゃあないよ。ほぼクアドラプルスコアやろがい。
「まあ、アタシも問題はないよ。どうせ聖都に行く道すがらさ。アンタらのご同伴に与ろうかね」
「ハッ! マザー・アグネスにつきましても、私を含めた近衛騎士一同が命を懸けてお守りいたします」
スーリア教国聖都チャスティ。
フロールムからチャスティまでの間、〈鋼鉄の処女〉の騎士も近衛として同行するとのことだ。聖女誘拐なんて起こったばかりだから当然とも言える。
「心強いねぇ! これなら道中、アンタらをクタクタになるまで鍛えてやっても問題なさそうだぁ……」
「ヤダぁーーー!」
「逃げられるなんて思うんじゃないよ! 特にアンタは徹底的に鍛えてやる!」
「なんでぇ!? なんで俺ぇ!?」
「喜びな! アタシはねぇ、見込みのある男にゃビシバシ行く派なのさ!」
「女尊男卑反対! 我平等求む!」
「やかましい! 聖女会談の日にゃ襲撃があるって話なんだろ? なら、その日までにアンタを鍛えるのは当然だろ!」
「付け焼き刃じゃ何も斬れませェーーーん!」
「付け焼き刃でも相手を火傷ぐらいにゃできるだろ!」
「ぎゃあああ! アー・イェア・フォー・ユー!」
この鬼婆、執拗に俺を虐めようとしてくる。
助けてアータン。はちみつ飴なんかで懐柔されないで。このババア、何個飴玉隠しもってやがる。大阪のおばちゃんかよ。
「さて、話をまとめるよ」
懇願虚しく鬼鍛錬が確約された俺を捨て置き、アグネスはハハイヤと話の締めに入る。
「
「はい。私情を挟んだ依頼をしてしまい申し訳ありませんが……」
「アタシになんか気ぃ遣わなくたっていいよ。老い先短いババアより、若い奴らの命の方が大事さ」
「っ……本当に、かたじけない!」
涙ながらに頭を下げるハハイヤ。
その震える肩にアグネスがそっと手を添えたところで、今日の話し合いは終わったのであった。
後日、フロールムを発つ準備は整った。
晴れて軟禁生活も終えた俺達を出迎えたのは、罪派のアジトで救出した〈蒼の狼〉を始めとする冒険者一同である。
一時は罪化によって魔人と化したものの、今では教団から赴いた神癒隊の免罪符によって元の姿に戻っている。
「この前は本当に助かった。君たちに助けてもらわなければどうなっていたことやら……礼と言ってはなんだが、冒険者ギルドで会った時は是非声をかけてくれ。難しい依頼でもなんでも手伝うよ」
「いいよぉ、また会った時にメシでも奢ってくれれば」
「……そうか、ならまた会う日を楽しみにしている!」
達者でなと、挨拶は手短に済ませた。
護衛の騎士達をいつまでも待たせるわけにはいかないからな。
それに同じ冒険者だ。また王都なり聖都なり主要な都市のギルドで顔を合わせる機会はあるだろう。積もる話はその時にでもすればいい。
今はまず聖女会談──そしてリオの救出だ。
「きゃー! リオ様ぁー!」
「こっち見てぇー!」
「今日も一段とお美しい……」
「我らの女神!」
「踏んづけてほしいですッ!」
「あ、あはは……」
……それ以前の問題かもしれない。
早速聖女を演じるアスが、本物が来たと信じ込んでいる住民の熱狂に気圧されている。中には『リオ様♡』と書かれた手拭いを掲げたり、カツラやらシスター服を着てリオを扮する女性まで居るくらいだ。
この光景……どこかで見たことがある。
たぶんあれだ。アイドルのライブとかイベントに来るオタクだ。
「(くれぐれもヘマはしないでくれ)」
「(は、はい……)」
ハハイヤに念押しされるアス。
ただでさえぎこちない微笑みのポリゴンがさらに荒くなった気がする。カックカクである。初代Pray Studioかよ。
「ではルフール。後は頼んだぞ」
「はぁ……」
すると、一層険のある表情を湛えたハハイヤがルフールに詰め寄る。
「(あの少女が見たという目撃情報の確認もな)」
「(そ、それはもちろん……)」
念押し、という感じで頼まれたルフールが苦笑している。
頼まれた内容とは引き続いてのリオ捜索。事の発端は先の話し合いの場で、アータンが口にした言葉だった。
『あっ……私その人見たかも』
なんでも町で迷子になった際、アスに非常によく似た女性を見かけたそうな。
その情報にハハイヤは大層食いつき、幾人かの騎士をフロールムに残すことを決めたらしい。
しかし、これ以上俺達がその件に協力することは難しい。
何せこれまでも大概であったが、一層前途多難の旅路が始まりそうだからだ。
けど──だからこそ全力で楽しまくちゃな。
***
異常なまでの熱気の渦から逃げるように、馬車の揺れに身を任せる。
まさかここまで聖女──リオが信者に人気だったとは予想外だ。逆に何故自分が町に来た時騒ぎにならなかったか、それはリオに扮する者達を見た瞬間、なんとなく察することができた。
(わたしも
リオを扮する人間が一人や二人居たところで『ああ、あの人も信者なんだな』と思われるぐらいには、聖女リオがスーリア教国で崇拝されている事実の裏返しだ。
別ベクトルで今回の一件、重要度が数段跳ね上がる。
その事実にアスは誰にも聞こえぬよう溜め息を吐き、苦笑を浮かべた。
(まあ、引き受けたからにはやるしかないですよねぇ)
自分にしかできないことだったとはいえ、後悔が一ミリもないと言えば嘘になる。
だが、嘘だって時に人の命を救う。
それを彼は身をもって知っていた。
(ですよね? ライアーさん)
視線を少し離れた場所を歩く鉄仮面の剣士へと向ける。
今、彼は聖女アグネスの護衛という役割で、アグネスの乗る馬車に付き従っていた。彼が自分から離れた場所に居ることを寂しく思いつつ、アスはゆっくりと瞼を閉じる。
思い出す光景は数年前。
まだ自分は今ほど“真”を晒せず旅をしていた時期のことだ。旅の道中、不意に罪派と遭遇した日があった。
『そこな貴方! 今、ここを黒い髪のおと……いや、女が通っていかれませんでしたか!?』
『あ~、あっちに走って行ったよ』
『そうですか! 感謝いたします!』
『足元気を付けろよぉ~! ……──もう出てきていいぞ』
『は、はい……』
執拗に追いかけてくる罪派から身を隠した時、通りがかった一人の冒険者が嘘を吐き、罪派を撒いてくれた。
別にそういう段取りをしたわけではない。
ただ必死になって物陰に身を隠した自分を見た、ただそれだけで全てを察してくれたのだろう。襤褸切れ同然になっていた怪しい装いの自分の方を怪しまず、むしろ外面だけは一端の教団に見える追いかける側を騙したのである。
『すみません。何もお礼をできなくて』
『んや、気にすんな。旅は道連れ世は情け、困ってる人を人助けってな』
『本当に……本当にありがとうございます!』
その冒険者とはすぐ近くの町に到着するまでの間、決して多くはない言葉を交わした。
ただ彼は無暗に詮索をしようとせず、ケタケタと剽軽な語りで、憔悴していた自分を笑わせてくれたものだ。
だが、とうとう訪れた別れの瞬間──アスはどうしても聞きたくなった。
『あの……どうしてわたしを助けてくれたんですか?』
無償の人助け。
それは高尚で賞賛される行いだろう。しかしできる人間は限られる。それこそ高潔な精神と博愛の心を持たなければまず無理だ。
『こんな素性も知れぬ風貌のわたしを……』
『相手の外見なんて関係ないだろ』
『!』
彼は言い切った。
そして、こうも続けた。
『別にお前が男でも女でもイケメンでもブサイクでも助けたさ。それが勇者ってもんだろ』
『……あなたは……勇者なんですか?』
『いや、偽物だけど』
『じゃあなんなんですか!?』
『要はだ』
彼は鉄仮面の奥に佇む瞳を細めた。
顔は見えないのに、笑っている表情がはっきりと見えるようだった。
──そうだ。
『助けるんだったら外見より中身が、俺は大事だと思ってる。『悪人助けるんのかぁ~……』ってなったら萎えるけど、善人だったら『よっしゃ! 助けたろ!』ってなるだろ?』
『そういう……ものなんですかねえ?』
『少なくとも俺はな』
冒険者の彼は笑いながら言った。
『俺はお前が困ってる善人に見えた! だから助けた! これじゃ不十分か?』
『……わたしが盗みや人を殺した悪人だったらどうするんですか?』
『ん? そんときゃあれだ。これを機に改心して善行でも積んでくれや』
『適当!?』
『そんなとこまで責任持てるかよ』
背中を押した冒険者は、最後に自分が身に着けていたマントを被せてくれた。
まだ買って間もないであろう。綺麗な布地はそれだけで、薄汚い装いだったアスを、容姿端麗な修道女のような外見へと変貌させた。
『じゃあな! 礼ならまた会った時にでもしてくれ!』
『は……はい! 必ず!』
『顔覚えてたらでいいぞ~』
『顔見てないんですけど!?』
『確かな蟹、たしかに』
最後まで冒険者は明るくふざけていた。
だが、その声音や口調、鉄仮面……アスにはどれも脳裏に強く刻み込まれていた。
(ライアーさん……今のわたしが在るのは、あなたのおかげでもあるんです)
鉄仮面の剣士。
偽物の勇者ライアー。
彼はきっと憶えていないだろう。
なぜなら当時は声も、髪や目の色も、自分という自分を偽っていたから。
でも、彼は変わっていなかった。
変わらずに居てくれた。
他人を救う勇者の背中がそこにはあった。
別に気付いてもらえなくてもいい。
今回の一件が終わった後にでも、酒を酌み交わしながら肴代わりに話してみようか。
そんな幻想を抱いてみれば、自然と口元には笑みが零れる。
聖女を演じる上で羽織った純白の衣。その下に着込んだ修道服のくすんだ赤い裏地に触れれば、ポッと胸に温かな熱が灯ったのを感じた。
(一緒に頑張りましょうね……ライアーさん)
外側は偽れても、内側は偽れない。
どうか偽りなきこの想いを打ち明けられる日が、今はどうしようもなく待ち遠しい。
***
「──ご苦労だったな」
薄暗い部屋の中、威厳溢れる声音が響いた。
浮かぶ人影は三つ。声の主は仰々しい椅子に座る貴族服──アビ・ア・ラ・フランセーズと称される衣服を纏う男だった。
「……いいご身分だな」
そんな男を睨む人物は、目の前に杖を転がした。
鉄の杖。罪派において至宝とされる重要な罪器である。
外套を被った男──サルガタナスは、薄暗闇の中でもはっきりと見える眼光を閃かせ、眼前の男を睨みつけた。
対して男はクツクツと喉を鳴らす。
「そう言うな。吾輩もそれを手に入れる為、色々と根回ししたのだ」
「馬鹿言うんじゃねえ。てめえが関与してると知ってたら、わざわざ俺様も出向かなかったぜ」
「フフッ、我は高貴なる立場にある。同じ六魔柱と言え、吾輩と貴様では“格”が違う。下賤が駒として動くのはいつの時代も当然だろう?」
「てめえ──」
魔力が噴き上がる。
常人であればあてられただけで意識を失うほどの圧。
それを放つサルガタナスであったが、眼前の男はそれ以上の魔力を解き放った。
ぶつかる魔力の双波。数秒ほど拮抗したそれらは、周囲の花瓶やら家具といった調度品に罅を入れたところで収まった。
「……チッ!」
「軽い冗談だ。少なくとも吾輩は貴様を六魔柱に相応しいと思っている」
「てめえ自身はどうなんだよ?」
「我か?」
鼻を鳴らし、一拍してから言う。
「我こそ──魔王に相応しい」
不敬を超えて滑稽。
しかし、それを冗談で済ませぬ圧を迸らせながら男は笑みを浮かべた。不敵な、それでいて見る者全員を跪かせる蠱惑的な笑みだった。
万人を魅了するカリスマとでも言おうか。
威厳と自信に満ち溢れる笑みを崩さぬ彼を見て、サルガタナスはつまらなさそうにそっぽを向いた。
「……だからてめえは気に食わねえんだ」
「ククッ、そんな貴様に吉報だ」
「吉報だぁ?」
「来たる聖女会談──吾輩に手を貸せ」
「なんだと?」
再びピリつく空気。
しかし、男は両手を挙げてサルガタナスを宥めながら続けた。
「殺気立つな。〈邪見〉からの指示だ」
「〈邪見〉だとぉ?」
「なんでも目当ての代物があるらしい。貴様には吾輩と共にその手伝いをしてほしいとのことだ」
「その命令は絶対か?」
「当然だ」
響く舌打ち。
不服ながらもサルガタナスは承諾した。彼とて魔王軍の一員。内心下剋上を狙っているとは言え、別に真正面から全てに反逆したいとか、そういうわけではなかった。
「面倒臭ぇな……」
「だが貴様にも悪い話じゃないだろう。聞いた話によればスーリア教国の聖女が見つかったと専ら噂だ」
「あ? それが何の関係が──あぁ」
得心したようにサルガタナスは頷いた。
行方不明とされるスーリア教聖女は魔王軍の手の中。それを見つかったと喧伝するとなれば、影武者を立てたのだろうと想像がつく。
あの時戦った〈大罪〉の一人──中には、聖女によく似た顔も居た。
「……ハハッ! そいつぁいい」
「気は乗ったか?」
「俄然」
「重畳」
やる気を出し始めるサルガタナスを見て満足そうにする男。
彼はその大きな胸板に抱き留めた一人の女の頭を撫でた。女は蕩けた──あるいは虚ろと言うべき瞳を湛え、その身を男に委ねている。
「にしても、てめえも悪趣味だな。わざわざてめえの国の聖女に襲わせさせるたぁ」
「大事なデモンストレーションだ。〈邪見〉からもそう言付かっている」
「〈我慢〉様は〈邪見〉に重用されて忙しそうだなぁ?」
「なに……全ては吾輩が有能で魅力的過ぎるが故のこと」
「サタナキア様ぁ……」
抱き留めていた女がポツリと漏らした。
それを聞いた男、サタナキアは笑みを湛えた。見る者によって蠱惑にも、邪悪にも、柔和にも、凄絶にも──ありとあらゆる面を兼ね備えた笑みだった。
「どうした? リオ」
「わたしは何をすればいいですか?」
「そうだな」
リオと呼ばれた女に問われ、サタナキアは瞑目しながら告げる。
「吾輩の敵を──全て討ち滅ぼしてくれ」
「サタナキア様の……?」
「それさえできれば、吾輩が全霊を尽くしてお前を愛してやろう」
「あ、あぁ……」
悪魔の囁きを耳にし、聖女は震える。
「サタナキア様の、愛……!」
「そうだ。愛だ」
「わたし、わたし頑張ります……!」
愛を貰えると聞いて喜びに打ち震えるリオ。
そのような彼女を優しく抱きしめる悪魔。
聖女と悪魔が抱きしめ合う図。
なんとも背徳的な光景なのだろう。見る者によっては種族の垣根を超えた真の愛と受け取る者が居るやもしれない──が。
「ケッ」
つまらなさそうにサルガタナスは退出する。
生憎と彼はラブロマンスに興味はない。
そして何より──見え見えの嘘にも興味はなかった。
「……同情するぜ」
ポツリと独り言ち、サルガタナスは消えた。
見飽きた光景など見る必要はないのだから。
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