第91話 軟禁は交渉の始まり
「平日の昼間から飲むワイン……最高よねぇ」
「ライアー、それぶどうジュースだよ」
「俺がワインだと思って飲んだなら、これはワインなのさ」
「ライアーの中身が発酵してるってこと?」
「アータン? アータン?? アーてゃん??? それは時と場合によってはとんでもない罵倒になるからね?」
「ごめんね」
「うん、いいよ」
罪派とサルガタナスとの激戦から早二週間。
俺達は町のとある場所に閉じ込められていた。閉じ込められていると言っても軟禁とかそういうレベルの話だ。
騎士団が駐在している宿舎の一室を借り、ちょっとだけ不自由な暮らしを強いられている。許可が出なければ外出も許されないという状況。多少暇を潰す手段はあるにせよ、二週間ともなるとネタが尽きてくる。
さっきまで本を読んでいたアータンも、とうとう最後の一ページまで読み終えてしまったらしい。
俺がワイン(度数0%)を差し出せば、アータンは気を紛らわせるようにそいつに口を付けた。いい飲みっぷりだ。残り7割ぐらいあったジュースがもう1割ぐらいまで減っている。
「ぷはっ。はぁ……まだ外出はダメなのかなぁ?」
「俺達ゃまだ容疑者だからな」
「うぅ、そうだよね」
それもこれも全てはトンズラこきやがったサルガタナスのせいだ。
奴がもたらした被害は甚大だった。まず町を代表する高級娼館が瓦礫と化した。それだけでなく、周辺の建物や住民に対しても少なくない被害が出た。
これが地下の罪派との戦いだけなら俺達が賞賛されただけだろう。しかし世の中そううまくはいかないものねェン……がっくし。
そして、そういった部分についてはより詳しい人物がここに居る。
「ふんっ! 他国の、人間が、ふんっ! 自分の、領土で、ふぅんぬ! 被害を、出した、以上っ! 責任の、所在は、ふぅううん! はっきり、せねば、なるまぁいっ!」
「ベルゴ。喋んなら腕立てやめろ」
「ふんっ、スマン! どうにも、暇でなっ!」
「アータン、背中に乗っちゃれ」
「はーい」
「ンンンンンっ!!?」
腕立てしながら解説してくれたベルゴには重り(アータン)をプレゼントだ。どうだ、羽根のように軽いだろ? 軽いよな? 軽いと言え。
ますますベルゴの筋トレメニューが充実したところで、今度はアスの方が口を開く。
「でもっ! 元々はっ、王都の、ギルドマスターさんからの、依頼ですよねっ!?」
「そうだな」
「だったら、ギルドマスターさんにも、責任が、行くって、ことですかっ!? それは、それで、なんだか、申し訳、ない、ようなっ……!」
「今頃頭抱えてるだろうよ。今のお前みたいに」
頭を抱えながら美しいフォームでスクワットするアスに向けて言い放つ。お前も筋トレしてんじゃねえよ。
野郎二人が筋トレしてるせいで部屋が汗臭く……ないんだよなぁ。
こいつら理由は違えど人一倍体臭に気を遣っているせいで、むしろ体臭対策の香水の匂いがフワァと漂ってくる。ここは花園かな? 香ってるの雄だけだけど。
軟禁部屋がちょっとしたジムみたいになり、どことなく居心地が悪い。
俺も腹筋辺りでお茶を濁すか……なんて思っていたその時だ。不意に部屋の扉がノックされ、勢いよく扉が開かれた。
「よう、アンタ達! 暇してるかい!?」
「アグネス様! おはようございま──」
「おっ、いい椅子があるじゃないか」
「ヌゥウウウ!!?」
突入する老婆がドカッと座った先はアータンの隣。
つまり、ベルゴの背中だった。予期せぬ重量追加を受けたベルゴの肘はプルプルと笑っている。おじさんの肘の軟骨がすり減っていく音が聞こえるようだ。
「ぐ、うぐぅ……!」
「なんだいベルゴ。そんな苦しそうに……アタシが重いとでも言いたいのかい?」
「い、いえ! 決してそんなことは!」
「じゃあ黙って続けな!」
「は、はい!」
信じられるか? あのケツに敷かれている男、元聖堂騎士団長なんだぜ?
人ってここまで落ちぶれるものなんだな……と思ったそこの貴方。ここは一つベルゴの名誉の為に弁明をしなければならないだろう。
あの老婆──ファンキーファッキンヤンキーシスターこと『アグネス』は、ベルゴの剣の師匠だ。つまり、立場的に頭が上がらない相手なのである。
ちなみに御年80歳。
先日、その事実を耳にして『聖女ってか魔女……』と言いかけたら80歳とは思えぬハイキックが飛んできた。80歳のハイキックじゃねえよ、あれは。
加えて言えばディア教国の大ベテラン聖女だ。一時は引退した立場ではあったが、ドゥウス奪還に際して教団に召還され、聖女代理として後進の為に動いているとのことだ。
ちなみに合計在任期間は50年を超える。
『聖女ってより聖母を越えて聖婆……』などと漏らした暁には、80歳とは思えぬドロップキックが飛んできた。50年分の重みを感じるドロップキックだったぜ、あれは。
そんな元気溌剌お婆ちゃんが来訪した理由とは何か?
緊張感に満ちた部屋の中、アグネスは不敵な笑みを浮かべて宣告する。
「アンタら、今日も暇だし稽古つけてやるよ。庭に出な」
「ゲッ」
「ゲッ、とか言ったそこの鉄仮面。アンタが一番手だね。ゲロ吐くまでしごいてやるから覚悟しな」
「許してほしいゲロ~」
「やかましいカエルだね。ヒキガエルになるまでひき潰してやるよ」
「ゲロ~~~!」
とまあ……連日こんな感じだ。
逃げ出そうにも逃げられないので、否応なしに俺達は庭の方へと連れて行かれる。
軟禁はどうなってんだ? と見張りの騎士を見てみれば、『お疲れ様です』とアグネスに敬礼するだけだ。
仕事を……仕事を全うしろっ! してくださいっ……!
それだけで救われる命があるんです!
しかし、抵抗虚しく俺は庭へと連れられてきた。
ヤダヤダ。今からもう億劫だわ。
「よし、今日こそアンタん中の聖霊を引き摺り出してやる。構えな」
「あの~、アグネス婆さ──」
「お婆ちゃんと呼びなっ!」
「アグネスお婆たま」
「なんだい?」
『婆さん』は駄目なのに、『お婆たま』はオッケーらしい。基準はなんなんだよ。
「いや……聖霊引き摺り出すっつっても、そんなん一朝一夕で出せるもんじゃないと思うんですが」
「だから毎日稽古付けてやってんだろうがい。アンタは誰に剣を教えてもらったか知らないけれど筋がいいからね。聖霊を出せるようになったら竜に翼さ。──死ぬまで付き合ってやるよ」
「聖霊出す前に俺が幽霊になっちゃう~!」
「泣き言言ってないで構えな!」
「助けてア゛ー゛タ゛ン゛!」
救いを求めてアータンに手を伸ばす。
だが、彼女は事前にアグネスから渡された飴で買収されていた。幸せそうな顔でコロコロ飴ちゃんを口の中で転がしている。孫かよ。
「ほらほらほらほら! 死ぬ気で魂ひり出しなぁ!」
「無理ですぅー! 死んじゃいますぅー!」
俺は一ミリもよくないけど。
こんな感じで俺はこのクソバ……お婆たまに連日しごかれていた。
理由は前述した通り、俺に聖霊を習得させたいが故とのこと。
だがしかし、聖霊は才ある人間が血の滲むような鍛錬を年単位で積んで扱える代物だ。
いかにギルシン大好き強火ファンの俺であろうとも、才能がないものはどうしようもない。
一時間もみっちりしごかれれば、庭には聖霊ではなく魂が出た俺が転がっていた。それってつまり死体だね。
呑気に飴玉を転がしていたアータンも心配して駆け寄ってきてくれる。
「ヒュー……ヒュー……」
「ライアー、しっかりして!」
「ア、アータン……飴美味しかった?」
「おいしかった!」
「そう……か……」
よかったねぇ。
「おっかしいねぇ。アタシの見立てなら使えてもおかしかないんだが……」
死に体の俺を見て、アグネスがぶつくさと一人呟いている。
いや、その見立てが間違っているからこその惨状では? そう叫びたかった俺だが、言ったら言ったでまたしごかれそうなのでやめといた。口は禍の元、愚痴は面倒の元である。
「仕方ない……アータン! 次はアンタだよ!」
「は、はぃ!?」
「そんな怯えないでおくれ。ほら、飴ちゃん食べるかい?」
「はい!」
「俺と態度違い過ぎるだろ」
流石にこれには口が出た。
俺とアータンの何が違うってんだ……可愛さか。なら仕方ない。
大ベテラン聖女さえも懐柔するアータンは、飴玉(本日二個目)を頬張りながら、アグネスから魔法の指導を受ける。
それが終わったかと思えばアグネスはアスと模擬戦を始めた。体力底なしかよ。
「ふぅ、いい汗掻いたね……ここいらで一休みしようか」
「ご、ご指導ありがとうございます……!」
「礼なんていいよ」
ただの暇つぶしさ、とアグネスは切り株に座り込んだ。
それから懐をまさぐった彼女は小さな革袋を取り出す。何が入っているのかと思えば、御年80歳の聖女は一本のパイプを咥えた。
「ベルゴ、火ぃくれないか?」
「アグネス様……もうよい御歳なのですから」
「ケチケチ言うんじゃないよ、久々なんだから」
「はぁ……」
深々と溜め息を吐くベルゴ。
仕方がないと言わんばかりの様子を見せた彼は、手慣れた様子で指先に火を灯す。自称・魔法が苦手と謳うベルゴにしては、随分と慣れた所作だ。
若い衆に火をつけてもらうヤクザ──とは言わない。
だって、言わなくてもジロリと睨まれたんだもの。心の声でも読めるのか、このお婆たまは。
「スゥー……フゥー……」
それからアグネスは紫煙を燻らせる。
実に旨そうな表情だ。染み入るように煙草の煙を味わい、最後には少し寂しそうに空を仰ぎながら煙を吐き出す。まるで何かに想いを馳せているかのようだ。
「……ベルゴ」
「一回だけです」
「違うよ」
弟子からの忠告を鬱陶しそうに、しかし、どこか嬉しそうに受け取るアグネス。
当たり前だった日常を思い出しているのだろうか。燃えカスとなった煙草を処理する手間でさえ、彼女は懐かしそうに目を細めていた。
「18年振りの煙草、味わわせてもらったよ」
「禁煙されたのはミカが生まれてからでしたね。その節は本当に……」
「ハハハッ! ミカのおかげで長生きさせてもらったと思ってるさ。別に文句はないよ」
「……ありがとうございます」
「礼を言うのはこっちさ。無駄に長生きしたおかげで……こうして会えた」
カラカラ笑うアグネスは頭を下げるベルゴへと目を向ける。
緩やかな空気が二人の間に流れていた。
きっとあそこだけは何年も昔の空気が流れているのだろう。師匠と弟子の関係はそういうものなんだから。
「アタシはね、アンタが生きてるって聞いて嬉しかったんだ。それで、久々に吸うならアンタに火ィ貰おう、って。そればっかり考えてた」
「ッ……! 遅れてしまい、大変申し訳ございません……!」
「何言ってんだい。またこうやって顔を合わせてくれたんだ。それ以上は求めやしないよ」
「アグネス様……」
「──それにしたって10年も音沙汰ないのはどういうことだい!?」
「すみませんっ!?」
しかし、緩やかな空気は霧散した。
鍛え上げられた尻を蹴り上げるアグネス。ブルンッ♡ と揺れる尻肉の後、痛みの余りベルゴは地に伏した。
推定アス以上の蹴りってとこか……ヤバい威力だな。
「ったく! 親不孝な弟子だこと……」
「も、申し訳ございません! これには深い事情が……いえ、言い訳はありません。すみませんでした……!」
「いいよ、どうせ生真面目なアンタのことだ。やむにやまれぬ事情があったんだろう。分かってるさ」
「……ではなぜオレは蹴られて、いや、なんでもありません!」
あのベルゴが眼光一つで押し黙らされている。怖ぇ。
上下関係も再確認したところで、アグネスはニッと口角を吊り上げる。
「ったく、アンタがもっと早くに聖都へ顔出してくれさえいりゃあミカにも会えたろうに」
「それについては……誠に……」
「堅っ苦しいねえ! もっと嬉しそうにはしゃぎな! だから嫁も来ないんだよ!」
「ゔっ」
痛いところを衝かれたベルゴが呻く。
泣かないで、ベルゴ!
俺達はお前の女子力と包容力を理解しているわ!
決して『だから逆にお嫁さん来ないんじゃない?』とか言わないから、たぶん!
それはさておき、どうにも聞き捨てならぬ台詞が聞こえてきた。
先日も耳にしたが、当事者であるベルゴにしてみれば何度噛み締めても味わいのある言葉らしい。地に伏せていたベルゴは痛みとは違う理由で涙を浮かべていた。
「しかし、まさか本当にミカを連れてくださっていたとは。なんと感謝を伝えればいいものか……」
「いいさいいさ。結果論になるが、あの子にゃアタシの全部を授けられた。今となっちゃアタシは勿論、アンタより強いかもしれないよぉ?」
「まさかそれは……いや、レイとアニーの子なら、あるいは……」
「それにアンタの子でもあるしね」
パチッとウインクするアグネスに、ベルゴは胸を手で押さえる。
ズッキュン♡ と、ときめいたわけではない。どちらかと言えば発言に胸を打たれたのだろう。
ただ、あの年齢でキレのいいウインクをできるとは……中々のやり手だ。無駄に感心してしまう。
というわけで、ベルゴの義娘ミカは生きていた。
しかし、この事実を知らされた日は大変だった。年甲斐もなくベルゴは泣き喚き、その日は一日中ベルゴを宥める羽目となったのは記憶に新しい。
まあ、生死不明の忘れ形見が生きていたのだ。
その嬉し涙が止まるまで付き合うぐらいどうってことない。
「たしか今は冒険者でしたか?」
「そうだよ。聞くところによればもう金等級だとか。あちこちで暴れる罪派や魔物や悪魔共も、あの子がぶっ倒してるとさ。ハハッ、笑えるだろう?」
「ううむ……我が娘ながら凄まじい」
罪派というと、先日のドミティアのような連中だ。
場合によっては罪器カドゥケウスで変身した罪獣と戦うだろう。それさえ下して罪派を捕えるなんてことは、ただの金等級でも簡単な話ではない。
ギルドで言うところの英雄クラスにのみ与えられる特別枠──白金等級だって遠い話ではないだろうに。
18歳ながらそれほどの武勲を打ち立てているとは、流石は聖騎士と聖女の娘かつベルゴの義娘である。強過ぎるだろ。
「だが、そんな危ない真似をしているとなると……早いところミカに追いつかなくては!」
「心配しなくともいいさね。手紙じゃ、今はいい仲間と旅してるって」
「仲間……ですか?」
「ああ」
だから大丈夫さ、と。
まるで母親のように、アグネスは逸るベルゴを宥めてみせた。
うむ、ミカも生きていて信頼できる仲間も居ると分かった。
まさに吉報だ。
これで俺達にも吉報が届けば言うところナシなんだが……。
「失礼いたします、アグネス様」
「どうしたんだい?」
「団長がお戻りになられました。確認が取れたとのことで……」
「そうかい。今向かう」
見張りの騎士が団長の来訪を報せてくれた。
スーリア教国聖堂騎士団〈
ここ数日、罪派や事件の確認で関係各所と連絡を取り合っていたらしいが、ようやくいち段落したらしい。
「アンタ達、行くよ」
リーダーのように振舞うアグネスが俺達を先導する。
やっと軟禁から解放か。そんな淡い期待を胸に案内されて客室まで赴けば、そこには先んじてハハイヤが席の前に直立していた。
「ご足労いただきありがとうございます、マザー・アグネス。どうぞお掛けになってください」
「済まないね。色々苦労掛けて」
「いえ」
手短に挨拶を交わす両者。
ドカッと長椅子の中央に座るアグネスを横目に、俺達は彼女の後ろで手を組んで直立する。
何故座らないか──それを説明するには、今の俺達の立場を明らかにせねばなるまい。
現在俺達は『聖女アグネスの護衛』の立場だ。あれほどの被害を出しながら俺達が牢屋にぶち込まれていないのは、ひとえにこの聖女代理の弁明……いや、詭弁があってこそだ。
何を考えたのかこの聖女、ディア教国からフロールムに着くまで護衛一人付けてこなかったらしい。
『死んでも問題ないババアに護衛なんてつけるのは無駄』とは本人の弁。
そこでアグネスは俺達を『旅先で個人的に雇った護衛』とし、責任の所在を全部自分に擦り付けた──ここまでがつい先日の出来事である。
『トんでも問題ない首だから』とは言うが、生き様がファンキー過ぎるだろ……。
これはもう『お婆たま』呼びは免れんよ。
「で、結果は?」
「冒険者ギルドやディア教国等の関係各所に確認したところ、事実確認が取れたことにする、と」
「そうかい。苦労掛けたね」
「もう一つお知らせが」
「なんだい?」
「『以後気を付けるように』、と」
ハッハッハ。ギルドとディア教団が頭抱えている光景が目に浮かぶぜ。
ごめんね、ギルマス。
ごめんね、エレミア。
俺もお腹痛くなってきた。既に王都へ帰りたくない気持ちがビンビンだぜ。
「その上で今回の一件についてですが、スーリア教団からは不問にする旨が届いております。町に潜んでいた罪派の確保、行方不明の冒険者保護、そして六魔柱の撃退……町の被害を差し引いても感謝を伝えなければならないと、寛大な姿勢を取っております」
「……そういうアンタは不服そうだね」
「……人が、亡くなっていますから」
怜悧な表情を湛えるハハイヤの表情に影が差す。
そうだ、いくら俺達が成し遂げた功績が偉業であろうとも、罪のない人が死んだという事実は免れない。
罪派の襲撃を受けた時。
罪獣が生まれ落ちた時。
サルガタナスが急襲した時。
分岐点はいくらでもあった。
どれが最善の道であったかは、正直今でも分からない。素直に喜べない勝利の味とは……酷く苦く、飲み込みがたいものだ。
「分かっているよ。本当に……本当に申し訳ない」
沈痛な空気の中、アグネスが深々と頭を下げた。
当然これは彼女が指示したものではない。俺達が突っ込んだ首の責任を彼女が取ってくれているだけだ。
だのに、彼女は自分事の如く痛ましい表情で謝罪の言葉を告げた。
……クソッ。
「サルガタナスめ……」
思わず奴の名前が口に出た。
今度は誰一人犠牲を出さず、奴を完膚なきまでに叩く。目の前の光景はそんな決意を俺に抱かせるに十分過ぎた。
俺だけではない。アータンにベルゴ、そしてアスも、今回の犠牲に心を痛めている。
口ではああ言っていたものの、アグネスの鍛錬を連日受けていたのはそういう理由もあった。
そうした俺達の空気を感じ取ってくれたのだろう。
複雑な表情のハハイヤは、俺達に向かって目礼をした。
「すみません、貴方達を責めているわけではなかった。これは町に罪派を蔓延らせた我々の責任でもある」
「罪派の悪行はいつの時代も付き物さね、仕方がないよ」
「仕方がないでは済まされないのです! ですから我々は……!」
拳を震わせるハハイヤは、ハッとした表情で頭を下げた。
「申し訳ない……つい頭に血が上って」
「気にしてないさ。けれど一つ聞いてもいいかい?」
「なんでしょう?」
「何がアンタをそこまで苛立たせる? 騎士団長ともあろうアンタを」
「……分かり、ますか」
傍から見ると冷静な印象を受けそうなハハイヤだが、実際に今の浮足立った彼は平静とは違うらしい。
本人もその自覚があるのか、自制できていない事実を自省するように、一呼吸おいてから口を開いた。
「……先の一件ですが、一つ訂正しなくてはならないことがあります」
「訂正だって?」
「はい。教団──スーリア教団からですが、先の事実確認を真としたいのであれば条件を飲んでもらう、と」
「条件ぅ?」
怪しくなる雲行き。
なんか厄介事に巻き込まれそうな雰囲気が漂ってきたぞ。
「条件ってなんだい? まさか賠償金なんて言わないだろうね」
「いえ。マザー・アグネスへではなく……どちらかと言えば後ろの護衛の方達です」
「はあ?」
アグネスも予想していなかった内容に素っ頓狂な声を上げた。
そこへ畳みかけるようにハハイヤが一人を指差す。
「そこの貴方だ」
「……わたし?」
「そうだ」
指名を貰ったアスは呆然と立ち尽くしている。
そりゃそうだ。いきなり教団からのご指名なんて普通はないだろう。何故ならアスはなんちゃって宣教師。公的に教団所属という身分でもないのだから。
「わ、わたしに何の御用で……?」
「単刀直入に言う。貴方には──聖女になってもらう」
「は?」
「聖女だ。聞こえなかったか?」
「いや、聞こえましたけど……は?」
耳を疑う内容に二度目の『は?』が飛び出る。
だが、ハハイヤの眼は真剣だった。
本気だ。直感的に感じ取ったアスはヒクヒクと頬を引き攣らせ、最後の抵抗に自分の股間を指差した。
「わたし……男ですよ?」
「男でもだ」
「……ッスゥー」
長い深呼吸が続く。
そして、
「……良い医者を……紹介してください」
【悲報】おちんちんシスター、おちんちんが無くなりそう。
「痛くは……しないでください……ッ!」
「いや、それには及ばないが……」
「お願いしますッ!」
「話を聞け!」
この後アスは怒られた。
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