第85話 女装は仮面の始まり




 物心がついた時知った。

 わたしは、特別な存在だと。


「アデウス様」

「アデウス様」

「お導きを」

「お導きを」


 仰々しい玉座に座る子供を前に、数多の信徒がひれ伏している。

 燭台の光も届かぬ聖堂の片隅にまでびっしりと詰めている信徒の数は、優に百を超えていたであろう。陰の中からも、まるで怨念のように不気味な声が響いてくる。


 けれどもわたしは、それを特段不気味とは思ってもいなかった。


 環境とは恐ろしいものだ。

 世間一般では異常としか考えられぬ光景を前にしたところで、それを日常と認識していたわたしには、何がおかしいか分からなかった。


 それが一糸纏わぬ男女のまぐわいでもだ。

 教育係曰く『神聖な儀式』と称される交合でさえ、当時のわたしは何の疑問も抱いていなかった。

 従者だった女性らも『アデウス様もいつかは』や『楽しみですね』と繰り返すものだから、むしろ待ち望んでいた節さえある。


 しかしわたしが10歳になった時、異常な日常が終焉を迎えた。


 いわゆる『罪派』と称される集団は、当時のスーリア教国聖堂騎士団〈鋼鉄の処女アイアン・メイデン〉の襲撃を受け、壊滅した。

 同時に罪派の中で洗脳教育されていた子供──つまりわたしは、その時にようやく異常でない世界へと連れ出されることとなったのだ。


「いいですか? 性交というものは真に愛し合った者同士が……──」

「マザー! 質問です」

「どうしました? アデウス」

「それはつまり、愛し合った者同士なら誰としても良いということですか?」

「ええ。愛は老若男女を問いません」

「では家族とでも?」

「限度はあります」

「兄弟とでも?」

「限度はあります」

「魔物とでも?」

「限度はあります」


 教化──という措置がある。

 特に元罪派の洗脳教育に遭った者向けの、日常生活へと戻れるようにする教育のことだ。


 当然、当時罪派の教えに染まり切っていたわたしも教化措置を受けた。

 自分で言うのもなんだが、当時のわたしは素直で勉強熱心。言い換えればだったわたしを教化する為に、教鞭を執ったマザーには大変苦労を掛けたであろう。


 おかげさまで2年ほど経てば、わたしは一般人の生活に溶け込める程度には常識を身に着けられた。他に教化を受けていた子供も同様に……というより、一番時間が掛かっていたのはわたしだったから、ほとんどの子供はとっくの昔に教化が終わっていた。


 むしろ先に終わった者に『遅いよ』と言われる始末。

 かくして、わたしは保護された子供達と共に孤児院で暮らすことになったのだ。


 きっとこのままここで成人を迎えるのだろう。

そうとばかり思っていた──。




──あの日までは。




 その日はたまたま孤児院の外に居た。

 お腹を空かせた友人や年下の子、それに面倒を看てくれているマザーにもたくさん食べてもらおうと、近くの川へ釣りに出かけていたのだ。


 日も傾き始めたからそろそろ帰ろう。その日の釣果を片手に孤児院がある村の帰路についたが、どうにも風の匂いがおかしい。


 

 毎日飽くことなく繰り広げられていた酒池肉林が血の海と化した日と同じ臭い。


 気付いた時、すでにわたしは走り出していた。

 釣果も投げ捨て、あらん限りの力を振り絞る。


 これが杞憂で済めばいい。

 それなら捨てた釣果も後で拾って笑い話にすればいいのだから。


 けれども、村に近づくにつれて胸騒ぎはどんどん大きくなっていた。


 そして……──。




「お待ちしておりました、アデウス様」




「え……?」


 村は。

 人は。

 全ては、血の海に沈んでいた。


 無事な人間など誰一人としていない。


 老人も赤子も。

 男も女も。

 仲の良かった友人も、年端もいかぬ下の子も、道を正してくれたマザーも。


 全部が全部──にされていたのだ。


「ひっ……」


 村全体を血の海に沈めた襲撃者──否、罪派の狙いはわたしだった。


 その時、初めて気づいたのだ。

 罪派から見た自分の価値というものを。どうやら彼らにとって、わたしという存在は村一つを滅ぼすに十分だったらしい。


 つまり、この惨状を生み出した原因は……わたしだ。



 わたしには何もできなかった。

 罪派に手を引かれるがまま、生者の居なくなった村から連れ出されたのだ。


 抵抗する気力なんてこれっぽっちも湧かなかった。

 村を襲撃した罪派の人数もそうだが、自分のせいで村が滅んだ、ただその事実に打ちひしがれていたから。


 けれど何の導きか、わたしを連れた罪派の馬車は魔物の襲撃に遭った。

 村の住人を皆殺しにできる者達でも手こずる魔物だ。わたしはその隙を突き、罪派の下から逃げ出した。


 当然追手は来る。

 それでも逃げ続ければ、いつしか後方に罪派の姿は見えなくなった。


 逃げ出してから数日、わたしは近くを通りがかったキャラバンに拾われた。

 幸運にもキャラバンの人達は親切だった。裸足の上、血と泥塗れのわたしの姿を見て同情してくれたらしく、温かい食事を分け与えて『大変だったろう』と慰めてくれたのだ。

 数日振りの人の温もり。それに触れたわたしの目からは、枯れたとばかり思い込んでいた涙がとめどなく溢れ出してきた。


「このまま近くの町まで連れて行ってあげよう」


 そう告げるキャラバンの隊長。

 彼らの厚意に甘えて荷馬車に乗った途端、わたしは数日振りの眠気に襲われた。それまでは罪派に追われて気が気ではなく、疲れているのに眠れぬ日々が続いていたからだ。


 キャラバンは人数も多く、護衛の冒険者も同行している。

 ようやく安心して眠れる──そう思い込んでいたわたしの幻想が打ち砕かれたのは、まさにその日の夜中だ。


「ぎゃあああ!」

「アデウス様はどこだ?」

「こいつら罪派か!?」

「アデウス様。ここに居るのは分かっていますよ」

「ま、まさか……あの子供を狙って……!?」


 荷馬車の外では死闘が繰り広げられていた。

 大勢の悲鳴と嗚咽に混じり、噴き上がる血がパタパタと幌を叩くように降り注ぐ。震えながらそっと外を覗けば、そこには地獄が広がっていた。


 剣で四肢を斬り落とされる者。

 槍で心の臓を貫かれる者。

 魔法で全身を焼かれる者。


 血と汚物が撒き散らされる光景は、まさしく村の惨状と同じものであった。

 今回は戦える者が居た為、戦況は拮抗している。

 だがそれも時間の問題だ。罪派の多くは下っ端であろうと罪冠具を身に着けている。本来なら教団に認められた者しか与えられぬ道具は、人に人ならざる力を与える代物だ。一度解放されれば、一介の冒険者ではどうにもならない。


 そんな中だった。

 崩れ落ちていくキャラバンの護衛と、不意に目が合った。


『おまえのせいだ』


 パクパクと喘ぐ口がそう言っているように聞こえた。

 わたしは一人逃げ出していた。子供一人が残っていたところでどうにもならない。そう自分に言い聞かせて。


 わたしは……見殺しにしたのだ。

 追ってきた罪派から、助けてくれたキャラバンの人々を囮にする形で。


 それから罪派から逃げ続ける生活が続いた。

 少しでも罪派に見つからぬようにと、人目に付かぬ小さな村や集落を転々とする日々だ。しかしながら、異様に鼻の良い罪派の追跡は止まらない。


 ある日は家に泊めてくれた親切な家族が。

 ある日は食事を分け与えてくれた教会が。

 ある日は護衛を買って出てくれた騎士が。


 その全てが、わたしを追う罪派の手に掛かって殺された。


 もう、我慢の限界だった。

 1年以上の逃亡生活を経て疲れ切ったわたしは……名も付けられていない森の中へと足を踏み入れていた。

 未開拓の森など凶暴な生物や魔物の巣窟同然。戦えもしない子供が迷い込んでは数日も生きられぬ極限環境と言える場所である。


 けれど、当時のわたしにはそれで良かったのだ。


 一刻も早く消えて居なくなりたかった。


 毎晩夢に出るのだ。

 そして、罪派に殺された人々がこう叫んでいた。


『おまえのせいだ』

『おまえのせいだ』

『おまえのせいだ』


「あっ……あぁあ……」


 頭がおかしくなりそうだった。

 いや、おかしかったのはとっくの昔からかもしれない。


 最初から大人しく罪派に連れて行かれていれば、あのような大勢の犠牲を出すことはなかった。犠牲は自分一人だけで済み、それ以外の者達はきっと今も平穏な暮らしを続けているはずだったろうに。


 それを壊したのだ。

 他ならぬわたしが。


「あ……──」


 鬱蒼とする森の中、とうとう歩く力もなくなった。

 それから何時間経った頃か。起き上がる気力もあく、ただただ死を……わたしの罪に対する罰を受けようとした時、後ろから足音が聞こえてきた。


 死神だろうか?

 死神だといいな。


 ようやく報いが受けられると。

 そうとばかり思い込んでいたら、


「──なんと、こんなところに子供が倒れているとは」

「あ、なた……は……?」

「なに、ただの変わり者の修道士だ。だが、もう安心なさい」


 わたしを担ぎ上げたのは一人の老修道士だった。

 現れた場所が現れた場所だ。まだ生きていたいと弁えぬ自分が見せた都合のいい幻覚かとも思ったが、老修道士──後に師と仰ぐことになる彼は、死にかけのわたしを拾い上げてくれた。


 本人が口にした通り、お師様は大層な変わり者だった。


 素性も知れず、わたしを拾い上げたのもそうだ。

 普通、ボロボロな風体の子供を拾ったならば、事情の一つや二つ聞いて然るべきだろうに。お師様はそれをせず、まるで当たり前かというように身寄りのないわたしの面倒を看てくれた。


 最初はいつ離れようかと、そればかり考えていた。

 なぜなら罪派がやって来る。猟犬のように微かな臭いも追ってくる奴らから、再び犠牲者を出すわけにはいかなかった。


 だから、何度も隙を見て逃げ出そうとした──けれども、それは土台不可能な話だった。

 そもそもお師様の暮らす修道院は辺鄙と呼ぶのも烏滸がましいくらい、俗世から離れた立地にあったのだ。


 森を抜け、山を登り、切り立った崖の上にポツンと建つ修道院。

 いつ建てられたかも分からない修道院には、わたし以外にはお師様しか居ない。修道士というより陰修士の修行場といった具合であった。


 まず、崖から降りるのも一苦労。

 やっとの思いで辿り着いた山道も過酷の一言に尽き、そこから森林を越えて行くことなど、当時のわたしにはどう足掻いても不可能だった。


 死ぬだけなら崖から飛び降りればいい。

 けれども、自分を殺すだけの度胸のない自分が、いざ勇気を出した時に限って、お師様は先回りしていた。


 そして、こう言うのだ。

 『今日のメシを探しに行こう』と。


「長年生きているとの、なんとなく人の悩みに察しがつく」


 とうとう死にに向かう日々に諦めが付いた頃、満を持したかのようにお師様は切り出した。


「追われる身は辛かろう。何より優しいお主にとっては、それで他者を巻き込むことも耐え難かろうて」


 全てを見透かしたかのような言葉だった。


 同時に思い出す。どうして自分があそこまで自死にこだわったのか。


 辛かった。そうだ。

 苦しかった。それもある。

 申し訳なかった。これが一番当てはまっていた。


 わたしは、自分が許せなかった。

 わたしが無力なせいで、わたしを助けてくれた多くの人間を救うことができなかった。だのに、自分ばかりがのうのうと生き延びている。


 無辜の民を見殺しにした無力感と罪悪感。

 それでも生きたいと願ってしまう生への渇望。


 一生消えぬ十字架を背負いながらも、その重さに圧し潰されそうになってしまっていたわたしに、お師様はこう諭してくれた。


「アデウスよ。この老いぼれから一つ助言をくれてやる。──自分を偽るのだ」

「偽る……?」

「時にアデウスよ。お主、女装の経験は?」

「は?」


──何を言ってるんだ、この爺は?


 初めは言っている意味が分からなかった。

 しかし、いざ聞いてみれば至極単純な話だった。

 追われる身の人間が一目でバレぬように変装するなど当たり前だ。ただ、その時のわたしには変装──ましてや異性の格好をする行為など、これっぽっちも考え付かなかっただけである。


「お主は中々に顔がいい。ちょこっと化粧をして、それっぽい恰好でもすれば男とは見抜かれまい」

「そ、そうでしょうか……?」

「わたしが言うのだから間違いない。懐かしいな……わたしも若い頃はそんじょそこらの美人など目ではなかった。だから、お金に困った時は破廉恥な衣装を着て酒場に飛び込み、酔っ払い相手にたんまりとおひねりを貰ったものよ」

「聞きたくなかったです、お師様のそんな話」

「男というのは馬鹿な生き物でな。ちょっと捲ってみせてやれば、野郎の胸とも知らんでアホのように銭を……」

「不潔です!!!」

「ん゛っ゛ふぅ゛う゛う゛っ!!?」


 生まれて初めて人の尻を全力で蹴った瞬間だ。険しい山道を登っても弱音一つ零さないお師様が、この時ばかりは地面をのたうち回り、『な、なんとキレのいい蹴りを……!』とうわ言を呟いていた。


 一方で、お師様の見立てに間違いはなかった。

 無駄に手慣れたお師様の手ほどきを受け、なぜか修道院に用意されていた化粧品を使えば、年相応の男児でしかなかったわたしも綺麗な女の子へと早変わり。鏡の中に居る自分が別人に見えた初めての経験だった。


 同時期、わたしはお師様から護身術も習い始めた。

 老人とは思えぬ機敏な動きを披露するお師様は、いわゆる武術の達人という奴だったのだろう。拳一つで岩を砕くこともあれば、振り回す棒で滝をも切り裂いた。日常的に使う薪だって斧なんて使わない。手刀で木を切り倒し、薪割りだって手刀で行う。


 きっと隠居する前は高名な武闘家だったのかもしれない。

 なるほど。だから訳ありにしか見えぬ子供を臆せず拾い上げられたのか。


──そうとばかり思っていた。


「アデウス。弱さとはなんだと思う?」

「……申し訳ございません」

「責めているわけではない。暇つぶしの問答だ」


 お師様との組手で疲弊し、大の字になって寝転んでいたわたしは、つい責められているものだと受け取ったがどうにも違うらしい。


「わたしはな、『力がないこと』を弱さだと思うんだ」

「それは……そうなのでは?」

「では、ここで言う力とはなんだ?」


 わたしは、その問いに答えられなかった。

 何も浮かばなかったわけではない。

 しかし、答えようとした途端、締め付けられるような胸の痛みを覚えた。同時に殺された人々の顔が脳裏を過り、言葉とは違うものが口から吐き出そうになってしまう。


「お主には辛い問答だったか」

「……はい」

「そうだな、過去のお前に足りなかった力を一つ挙げるとするのなら、『戦う力』と言ったところか」

「分かっております。だから、わたしは……!」

「だが、力とは何もそれだけではない」


 優しい声音でお師様は語る。


「財力や知力、それに魅力……生活力だって立派な“力”だ」

「は、はあ?」

「わたしはな、己の生き辛さを打破し得るものこそ“力”だと思うんだ」


 それから彼はわたしの両肩を掴み、ジッと両の眼を見据えてきた。

 そこに映る自分は実に間の抜けた表情を浮かべているが、きっとお師様は別のものを見据えていたのだろう。


「お主は己を偽る“力”を身に着けた。けれど、それは必ずしもお主に安寧だけを与えるとは限らん。きっとどこかで偽り続ける人生に生き辛さを覚えるはずだ」


 まるで自分が経験したかのような実感を伴った言葉は、わたしに重く圧し掛かった。


「だからな、強うなれ。逆境や困難を打ち砕ける“力”を手に入れろ」


 そう諭してくれたお師様は4年前に亡くなった。わたしが16歳になった時だ。

 享年90歳、大往生である。


 伽藍洞になってしまった修道院を一人整理し、わたしは世話になった修道院から旅立った。


 行くあてなどない。

 ただ少しでも贖罪がしたかった。自分を救ってくれた人達を犠牲にした罪は、多くの人々を救うことで償えると信じたかったのだ。

 宣教師と名乗ったのも、人助けの旅にそれらしいと思っただけである。

 少し齧っただけのスーリア教を伝道しつつ、メインは困った世の為人の為に働く。


 苦労はあったが、実に充実した日々だった。


 そしてお師様が言っていた通りだ。女の格好であると、何かと好待遇を受ける機会が多かった。片や、色目を使ってすり寄る輩も少なくはなかったが、そこはお師様が伝授してくれた護身術でどうとでもなった。


「ありがとうね、シスターさん」

「本当に助かったよ!」

「ああ、なんとお礼を申し上げればよいのやら……」

「ありがとう、!」


 感謝の言葉を聞く度、心地よい感覚を覚えた。

 けれど、一つだけ違和感もあった。


──本当に感謝されているのはなのだろうか?


 今、わたしが他人に見せている姿は、あくまで己を偽った姿。

 声や口調、容姿に至るまで、何もかもが本当の自分からはかけ離れているものだ。


 そうしていく内に違和感は膨れ上がっていく。


 本当の自分と偽物の自分。

 罪人の自分と善人の自分。


 本当の姿で生きる方が苦しく、偽った姿で生きる方が楽に生きられる。


 ちゃんちゃらおかしな話だ。

 けれども、わたしは楽な方に逃げた。


 本当の──罪を犯した自分から逃げるように、偽る為の化粧は日に日に濃くなっていった。


 格好も男性としての体型を隠せるゆったりとした服にした。

 胸のような膨らみに見せるよう腰にベルトも巻いたりした。

 声もできるだけ女性に似せられるよう毎日努力をしてみた。


 偽って、偽って、偽って──。

 いつしか、本当の自分の方が偽物のように思えた頃だった。


「お姉ちゃん……?」

「……あ」


 当時、わたしは訪れた村の孤児院の手伝いをしていた。

 中でもヴァザリアという子供は、わたしを『お姉ちゃん』と呼び慕ってくれるまで懐いてくれていた。わたしも彼を『ヴァザリィ』と呼んでは、弟のように可愛がっていたものだ。


──けれど、ある時彼女に見られてしまった。


 姿


「こ、これは……その……」

「お姉ちゃん……それって……」

「わたし、は──」

「すっごーい! お兄ちゃん、お化粧できるんだ!」

「……え?」


 ヴァザリアは目を輝かせて、そう言い放った。


「ねえねえ! ぼくにもお化粧教えて!」

「あっ、えっと……でも、ヴァザリィは男の子ですし……」

「じゃあ問題ないね。ぼく、女の子だもん」

「へ?」


 その時、わたしはすっぴんのまま間の抜けた顔を浮かべていたであろう。

 けれどヴァザリィはそんなわたしを笑うことなく、しかし、いつもと変わらぬ笑みを湛えて接してくれた。


 わたしは馬鹿だったのだ。

 偽らぬ自分ではないと愛されないとばかり思い込み、本当の自分を許してもらう努力を捨てていた。


 自分で自分を生き辛くしていたのだ。


 そんな単純なことをこの子は教えてくれた。


「っ……!」

「……お姉ちゃん? あっ、お兄ちゃんって呼んだ方がいい?」

「ううん……好きな方でっ、呼んでいいですよっ……」


 自分の無知とこの子の純真に、わたしは涙した。

 化粧が落ちるくらいボロボロと泣いて、久方ぶりに他人に素顔を晒すことができた。


「そっか。じゃあお姉ちゃんって呼ぶね」

「ぐすっ……それはっ、どうして……?」

「初めましてがお姉ちゃんだったから。それじゃダメ?」

「──!」


 恐らくあの子なりの気遣いだったろう。

 子供ながらに疑問は覚えていたはずだ。にも拘わらず、己の疑問を全部飲み込んでわたしを受け入れてくれた。


 嬉しかった──本当の本当に。

 偽っていない自分でも受け入れてくれる人間が居る、ただそれだけの事実が。


 結局わたしの性別はヴァザリィにしか明かさなかった。

 あの子を罪派絡みに巻き込まぬ為だ。それは致し方がない。


 けれど、ヴァザリィと二人きりの時だけは偽らぬ自分で居られた。


 あの時間は、今もわたしを支える大切な思い出だ。

 本当の自分と偽る自分、その両方を肯定できる証拠としても。


 だから──ヴァザリィが罪派に追われていると聞いて、居ても立っても居られなかった。


 風のうわさで聞いた。

 以前過ごしていた村が罪派の襲撃に遭った。狙いは〈洗礼〉の儀において、〈大罪〉であると確認できた一人の少女であると。


 襲撃を受けた孤児院のマザーが言っていた。

 追われていたのはヴァザリア。

 紛れもない……あの子のことだ。


 理由は明白だ。奴らは〈大罪〉を求めている。だからこそ〈大罪〉であると判明したヴァザリィを手中に収めようと目論んだのだろう。


 しかしながら、すでにヴァザリィは教団や罪派が確保するよりも早く、宣教師として世の為人の為にと旅に出ていたらしい。おかげで罪派に捕まる事態には至っていなかったことは不幸中の幸いだ。


 だが、悠長にしていられる状況ではない。

 いつ罪派の手がヴァザリィに迫るかも分からない。そうなるより前にヴァザリィを安心できる教団などに囲ってもらう必要がある。


 もしくは──追手の方をどうにかする。

 つまりは、罪派を潰すのだ。

 これも風の噂だが、わたしが宣教師として旅を続けている最中、一度スーリア教罪派教皇とやらが何者かの手によって壊滅させられたらしい。


 これにより罪派の勢力は衰退。以前ほど幅を利かせることはなくなっただろう。

 それでも奴らの執念は凄まじい。むしろ、再起を狙って〈大罪〉のヴァザリィを神輿に担ぎ上げようとする展開は容易に想像できる範疇だ。


 ……ようやく、過去の罪を真正面から償う機会が与えられたと思えた。

 ヴァザリィの、血の繋がっていない家族同然の妹の為に罪派を──忌まわしき過去の因縁をす。




 これが、わたしの贖罪だ。




 ***




 アスは唇を噛んで後悔する。

 そうして視線を前に向ければ、まんまと秘密を明かされた罪派とそれを聞いたライアー達が──。


(いつかは皆さんにも話そうとしていた……けども)




「おうおうボケコラ。さっきはよくウチのモンのセンシティブな部分に触れてくれたのぅ。どうケジメつけちゃろうか、おぉん?」

「そんなに強くなかったね」

「オレ達も甘く見られたものだな」





 一切合切なぎ倒していた。


「あれ~……?」


──完全にタイミングを逃した。



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