第58話 金的は屈服の始まり




 ケルベロス。

 一般的には地獄の番犬を務める三つ首の犬という印象が強いだろう。それはギルシンシリーズでも変わらず、イヌ系の魔物の中では最上位に位置する強敵として、多くのナンバリングに登場している。

 性格は獰猛かつ凶暴。敵とみなした標的は、その三つ首で同時に噛み付いてバラバラに八つ裂きにした後、吐き出す業火で消し炭にしてしまう。


 もしもギルシンの世界に来る機会があったとしても、絶対に出くわしたくない魔物トップ10に入る危険生物である。


 まあ、現在そいつら二体に囲まれている真っ只中なんですがね。ヘヘッ。


「危ない犬、危犬きけん。なんちて」

「「「グオォ!」」」

「ほわっきゃあああ!!?」


 現実逃避染みた思考を巡らせていたら、ケルベロス渾身のお手が振り下ろされた。

 紙一重で回避したものの、さっきまで俺が居た床面が蜘蛛の巣を張ったように罅が入って陥没している。


「こっわぁ~」

「呑気に言っている場合かッ!」


 一方、ベルゴはもう一頭のケルベロスとやり合っていた。

 相変わらずの馬鹿力で真正面から攻撃を受け流し、返す太刀で一撃入れようとする辺り、こいつも人間をやめている。


 けれども、巨体に似合わぬ俊敏さを持つケルベロスには中々当てられない。


「流石だな。うちの番犬に欲しい」


 しかし、リーンはこれっぽっちも焦った様子を見せぬまま、ケルベロスの噛み付きやらなんやらをいなし続けている。お前の危機感どうなっとんじゃ。


 それはそれとして一つ別問題がある。


「早めにこいつらどうにかしねえとなぁ。このままじゃアータン達と合流できねえぞ」

「うむ……早めに片付けておくに越したことはないな」

「帰りもここを通るんだからな。道理だ」


 三人で背中合わせになって、前と後ろから挟み込んでくるケルベロスに向かい合う。

 この中央区画はベルゴ曰く、主要な地下水路すべてと繋がっているポイントらしい。

 当初より計画していた潜入ルートもこの中央区画の経由ありきだ。帰り道も同様である。


 なので、このような危険生物は早めに処理しておくに越したことはないというのが俺達の総意だった。


「しゃーねー、とっとと〈シン〉で片づけるか」


 敵の根城に潜入している手前、何が起こってもおかしくはない。

 その為に魔力を温存すること自体は正しいとはいえ、だからと温存し過ぎて進めないのも本末転倒だ。


 俺は罪冠具でもある鉄仮面のバイザーを下す。

 次の瞬間、増幅する魔力が解放された。

 周囲に広がる魔力の余波を受けたケルベロスは、その濃密で重厚な魔力の質を浴び、一瞬怯んだような様子を見せる。


「行くぞ」


 罪冠具より、罪紋シギルが広がっていく。

 罪紋は各々が保有する魔の因子によって変化する。


 俺の場合──魔人化した時、グリフォンのような鳥人族の血が濃く出る者は、生え揃った羽毛の如き矢羽根模様の罪紋が浮かび上がる。

 一方アータンの場合は魚人族の血が濃い為、浮かび上がるのは連なる波紋、いわゆる青海波に似た紋様となる。


 他の種族も様々だ。


 竜人族ならば三角、あるいは四角形を並べた鱗模様に。

 虫人族ならば六角形やハニカム構造と呼ばれる模様に。

 鬼人族ならば黒い横縞が入った雄々しいトラ柄模様に。

 木人族ならば植物のような唐草やペイズリーの模様に。

 獣人族ならば毛皮を彷彿とさせる細かな縦線の模様に。


「──告解する」


 その紋様はまるで羽毛だ。

 刹那、羽根が舞うように魔力の炎が噴き上がった。


「我が〈シン〉は〈虚飾きょしょく〉。俺は──〈虚飾のライアー〉!」


 ゴゥッ!! と、何倍にも膨れ上がった魔力が地下水路全体に広がっていく。


「──大した魔力量だ」

「ありがとう、お父さん」

「誰がお父さんだ」


 ベルゴからお褒めの言葉を受け取った俺は、そいつを一齧りし、自分の魔力を高める。


 あぁ……滾る……漲るぅ……!

 オタクはな、好きな作品のパワーアップを自分でもやってみたい生き物なんだよ。


 これならばケルベロスの首が千個に増えてサウザンド・ヘッド・インフェルノ・ハウンドになったとしても圧勝できそうだぜ。


「そんじゃあ俺も行かせてもらいましょうかぁ!」

「グオォ!」

「あらよっと」


 振り下ろされるケルベロスのお手。

 だが、こいつは罪魔法の幻影で位置を誤認させて回避する。


「舐めんなよ、ワンちゃん。こちとらお前より頭の多いヘビ相手にしたことあんだぞ」

「グルルル……オアァ!」


 挑発する俺にケルベロスが咆哮する。

 油断すれば全身が硬直してそのまま噛み殺されるだろうが、あらかじめ本体とは別の場所に魔法を投影していた俺には通用しない。

 案の定、囮に誘われたケルベロスはそちらの方に噛み付く。


 どうだ、地下水路の空気の味は。

 カビの風味がして旨かろう。


「しっかり嚙み締めろよぉ?」

「? ──ギャン!?」


 忽然と姿を消した俺を探していたケルベロスの顎目掛け、〈大魔弾マギア〉をぶっ放す。罪度Ⅱともなれば専門の魔法職でない俺でも中々の威力が出るものだ。

 轟音が響いた直後、たまらずケルベロスの首が一つ怯んだ。

 これに怒るのは狙われなかった別の頭だ。怯んだ頭部に飛び乗った俺目掛けて、必殺のお手を繰り出そうとしてくる。


「ほーれ、こっちこっち。ここにお手よぉ~」

「グォオオオウ!! ──ギャン!?」

「はい、残念賞。おやつ抜きぃ~」


 しかし、頭部の俺はあくまで幻影。

 命中したところで痛くも痒くもない一方で、脳天にお手を食らったケルベロスはたまらずダウンする。


「っと、まあこんなもんよ」


 それからも執拗にケルベロスのお手やら噛み付きが襲い掛かってくるが、〈虚飾〉の罪魔法を前にはケルベロスも終始翻弄されてばかりだ。


 さて、


「ふんっ!」


 俺がケルベロスとキャッキャウフフしている一方で、ベルゴはもう一方のケルベロスと戯れていた。

 と言っても、戯れているなどという生易しい言葉で表現するべきではない轟音が鳴り響いている。地下ということもあり轟音が反響して耳が痛い。


「どうした。その程度か?」


 ケルベロスの前足を両手で掲げる大剣で受け止めるベルゴ。

 どういう筋力をしているのか甚だ疑問に感じる光景だ。普通、あの巨体の前足を受け止められるか?


「グルルォ……!」

「グォウ! グォウ!」

「オォォォオオ!」


「吠えるばかりで来ないのなら──こちらから行くぞ! 〈降臨ペンテコステ〉!」


 刹那、ベルゴより噴き上がる魔力が渦を巻き、一体の炎の巨人と化す。

 魂の力の具現化、聖霊。以前より一回りも二回りも大きくなったように見える聖霊は、巨大なケルベロスをさらに上から見下ろす形でこの場に召喚された。

 これにはケルベロスも警戒し、低い唸り声を響かせる。


 しかし、


「ぬん!」


 猛々しく燃え盛る魔力の炎を靡かせて、炎の巨人が動き出す。

 灰色の火の粉を辺りに撒き散らしながら躍動する両腕は、まずは番犬の左右の首を押さえつけ、地面に叩きつけた。

 これより逃げ出そうとするケルベロスだが、首根っこを掴む聖霊の腕力にはどうにも敵わず、左右の首は苦しそうなうめき声を漏らすばかり。


 ならばと唯一生き残った真ん中の首が、鋭い牙を剥き出しにし、眼前のベルゴへと噛み付こうとする。

 伝説には岩や鉄をも噛み砕いたと言われる顎。人間が噛み付かれれば即死は免れない。


 それでもベルゴは動かない。

 不動のまま、眼前に迫りくるケルベロスを見据えていた。


「──ふんッ!」


 気合の一喝。

 次の瞬間、あろうことかベルゴは大剣を地面に突き立てるや、頭を横にして噛み付いてくるケルベロスの上顎と下顎を素手で受け止めた。


「ぬぅううううん……おおおおお! 伏せぃ!」


 両腕に血管を浮かび上がらせるベルゴは、獣のような雄叫びを上げるや、受け止めた顎諸共ケルベロスの頭を掲げ、そのまま床へと叩きつけたではないか。

 地下水路全体に反響したかのような地響きが鳴り響くと同時に、罅割れた床からは大量の土煙が舞う。


「……やはりあったか」


 聖霊と合わせてケルベロスを押さえつけたベルゴが何かを見つけたような言葉を紡ぐ。

 すると彼は俺達の方へと振り向き、こう告げた。


「従魔契約の魔道具がある! こいつは従魔だ!」

「ま、なんとなくは察してたけどよ」

「この場に指示を出す主が居るはずだ! そいつを探すんだ! それならこやつらを無力化できる!」

「ん? 倒した方が……ああ、そういうことか」


 従魔は基本的に契約を結んだ主に従う。

 すなわち、このケルベロスも何者かと従魔契約を結んだ魔物であり、今も主からの指示に従っている可能性が非常に高い。


 となれば、この閉鎖空間もケルベロスの主が作り上げたものと見るべきだろう。

 ワンチャンそいつを捕まえればケルベロスを止められるし、そうでなくとも上への報告は免れられるかもしれない。


「でもなぁ~……ここ割と広いしなぁ~」


 居るかもしれないとは言われても、だ。

 こんなにも空間が広いとなると、指示を出す主一人見つけるのも一苦労である。


 さて、どうしたものだか。


 なんて思っていた、その時だ。


「考えがある」

「リーン?」

「後は私に任せろ」


 策があるとでも言いたげなリーンが、ベルゴが押さえ込むケルベロスの下へと駆け出した。

 飛天を用いた彼女は、あっという間にケルベロスの背に飛び乗れば、そのまま首輪型の魔道具目掛けて処刑人の剣を突き立てる。


「一つ目」


 金属で作られた首輪は、剣で貫かれるや甲高い音を奏でながら砕け散った。

 するとリーンは身に着けていた金の腕輪を一つ外し、掌に発動する〈火魔法イグニ〉でそいつを引き延ばす。

 両腕を広げた長さまで引き延ばされた金の腕輪は、そのままケルベロスの耳を貫いて強引に嵌められる。


「次」


 そう言うとリーンは俺が相手取っているケルベロス目掛けて突進してきた。

 標的はケルベロスのはずなのに、なんだか俺の方が冷や汗が止まらなくなる。なぜならばもう一つ金の腕輪を熱で引き延ばすリーンが、槍投げでもするようなフォームでケルベロスを狙っていたからだ。


 ……ちょうど俺が乗っている頭の。


「ふんぬッ」

「ほわっきゃあああああ!!?」


 ヒュンッ!! と風を裂く音を奏でて飛来した金の腕輪改め槍は、俺の真横を通り過ぎる形でケルベロスの耳を貫いた。あと半歩横にずれていたなら貫かれていたのは俺だ。

 だが安心するのも束の間、耳に走る痛みにケルベロスが暴れ始める。暴れ馬ならぬ暴れ犬の騎乗の始まりだ。


「リィーーーン!! 俺を、俺を狙いやがったな!?」

「狙ってはいない。ただ近いところに投げたら面白い反応するだろうなとは思った気持ちは否定できない」

未必の故意刑法38条1項柱書!!」


 なんてふざけた会話をしている間にも、リーンは暴れるケルベロスの背中に飛び移り、首輪型の魔道具を一閃で破壊する。


「よし」

「あっ待ってそろそろ限界です振り落とされるやばいやばい助けて!!」

「助けてほしいか」

「助けてほしいです!! 神様仏様リーン様!! お供え物はお酒でよろしいでしょうか!?」

「つまみはチーズだ」


 こいつ……!! ここぞとばかりに上乗せしやがって……!!

 しかし、暴れケルベロスを前に握力は限界を迎えた。黒い体毛から手がすっぽ抜け、俺の体は宙へと放り出される。


 あ~れ~、と悲鳴を上げる間もなく浮遊感は忽然と消え失せる。

 軽やかに跳躍したリーンが俺を抱きかかえ、そのまま着地したからだ。しかもお姫様抱っこである。


「ヤダ、カッコいい……乙女になっちゃう……」

「重い。退け」

「ひどい!」


 アタイの乙女心を弄びやがって……!


 斯くして乙女心諸共、抱きかかえられた俺は床へと放り投げられた。

 こいつマジで俺に対してだけ扱いが雑だ。泣きたい。


 でも、それが正解だと理解したのはすぐの出来事だった。


「「「グォオオオウ!!」」」


 耳を貫かれたケルベロスが怒りの咆哮を上げる。

 口からは赫々と燃え盛る炎が漏れているが、あれはケルベロスの必殺技が繰り出される兆候だった。


「ヤベッ、〈憤怒の業火インフェルノ〉が来る!」


 火魔法イグニ系最上級魔法、〈憤怒の業火インフェルノ〉。

 属性付きの最上級魔法恒例、地獄の名を関した魔法名シリーズの一つでもある。


 その威力はまさしく地獄を焼き尽くす業火を称するに相応しい凄まじさだ。

 仮にここで放たれれば、あっという間に地下全体が竈よろしく熱し上げられることだろう。


 それだけは避けなくてはならない──と思った時には、リーンは動き出していた。


 炎を口に含むケルベロスに対し真正面から突進。

 飛天で瞬く間に番犬の股間へと滑り込んだ彼女は、ケルベロスが振り返る間もなく、頭上でブラブラと揺れている二つの“金”目掛けて剣の側面を振りぬいた。


 “金”とは何か。

 ちなみにこっちのケルベロスは雄である。


 雄。

 金。

 あとは分かるね?


「ふんぬっ!」




「ッ゛ッ゛ッ゛!!? キ゛ャ゛イ゛ーーーーーン゛ッ゛!!?」




「ひぃん!?」

「おっふ!?」


 打ち据えられるタマタマ。

 木霊する痛々しい叫び声。

 咄嗟に股間を抑える俺達。


 揺れる玉袋は、まるで大晦日に撞かれる鐘の如く前後に揺れ、地下全体に肉を叩く鮮烈な衝撃音を轟かせていた。ほとんど破裂音だ。パァンて。あっ、タマタマがせり上がって来る。


 当然、たまらずケルベロスはおすわりする。

 それどころか止まぬ痛みに喘ぐ番犬は、自身のタマを打ち据えた相手に降伏せんばかりに仰向けになった。


 男の急所──ちんちんを差し出すように。


「「「ヘッヘッヘッヘッ……!」」」


「どうだ。私の躾もよくできたものだろう」

「いや、どう見ても激痛で過呼吸気味になってるんだが?」

「……軟弱な奴め。立て、おとこだろ」

「男だからこそ……立てない時がある……!」


 そう、例えば全力で股間を打ち据えられた時なんかは特に。


「「「グォオオオウ!」」」


 一体を無力化して一安心──できるはずもなく、もう一頭のケルベロスがリーン目掛けて突撃してくる。

 夫をやられたと思ったのだろう。殺気マシマシの全力疾走だった。

 あれだけの巨体が猛スピードでぶつかってくるだけで相当の威力は発揮するはずだ。避けるなり受け流すなりしなければリーンは吹き飛ばされる。


 けれども、この黒騎士は動かない。

 不動にして、しかし、鋭い眼光だけを鉄仮面の奥より閃かせる。


 すると、あれだけ猛スピードで迫っていたケルベロスが突然急ブレーキを掛けた。

 しかし、大質量が突然止まろうとしたところで限界はある。

 床面を滑るケルベロスの巨体。それはとうとうリーンの目と鼻の先にまで近づいたところで、ようやくすべての速度が死んだ。


「「「グルルルルッ……!」」」

「……どうした?」

「「「グルル……ヴォオオオウ!」」」

「……おい、黙れ。誰の前だと思っている?」


 眼前で吠えるケルベロスを前に、不快感を隠さぬリーンが魔力を解放する。

 従魔契約の方法は至ってシンプルだ。契約用の魔道具を嵌めた後、エサなりなんなりで懐柔させるか、力の差を見せつけて服従させるかだ。


 物理的な暴力でもいい。

 圧倒的な魔力を見せつけるでもいい。


 ともかく、どちらが上か──そいつを分からせてやればいいのだ。


「お前の主は……私だ」

「「「ッ!」」」

「伏せろ。そして、私の足を舐めろ」


 ちょうど今、仰向けに倒れるケルベロスの足に腰掛けるリーン。

 足まで組んで女王の如く振舞う彼女からは、今も尚、業火に等しい魔力が溢れ続けていた。


 それを真正面から浴びるケルベロスは一歩下がる。

 すると、耳に嵌められた金のタグ──もとい、従魔契約用の魔道具に文字が浮かび上がった。


 煌々と光る文字はリーンの魔力に呼応したものだ。

 そして、放たれる光の強さはリーンの魔力量に比例している。


 圧倒的な魔力に呼応する魔道具。

 次の瞬間、あれほど敵意を剥き出しにしていたケルベロスは床に伏せ、大きな口から伸ばす舌先でリーンの足を舐め始めた。


「よし……いい子だ」


「おぉ~」

「あのケルベロスが……跪いた……!?」


 リーンは舐めてくるケルベロスの頭をそっと撫で、柔和な微笑みを浮かべる。

 この場面だけ見れば神話の生物を従える聖女の一枚絵そのものだ。

 けれども、いかんせんここに至るまでの経緯を知っていると何とも言えない気分になる。


 まあ、何はともあれだ。


「よし、こいつらはもう私の従魔になったぞ」

「ヤダァ~、可愛ぃ~ん♡ お宅の子のお名前聞いてもい~い?♡」

「雄がソドム。雌がゴモラだ」

「サウザンド・ヘッド・インフェルノ・ハウンドはどこに行ったんだよ。家出か?」

「実家にでも帰ったんだろ」


 女ぁ……!

 お前のあのセンスはどこいったぁ……!


 まあいいや。


「よろしくなぁ~、ソドムにゴモラ~♪」

「「「「「「ガウッ!」」」」」」

「洒落にならんワンッ!!?」


 撫でようと思ったら夫婦の三つ首全てが噛み付いて来やがった。


 あ、危ねぇ。

 危うく俺の四肢が全部持ってかれるところだったぜ。


「これだから最近のマナーを飼い主は……まったく、困るザマスよ」

「よし、ソドム。ゴモラ。ペロ。こいつを舐めてやれ」

「やめろぉーーー!!?」


 三位一体が三位一体となってペロペロしようとしてくる。

 3Wayスリーウェイ×3Wayスリーウェイ。世はまさに大ペロペロ時代だ。

 これをリーンが『よし』と言うまで反復横跳びで避け続けた俺は、高校以来の全力反復横跳びに肩で息をしつつ、ケルベロスを宥めるベルゴの方を見た。


「随分可愛がってんなぁ」

「うぅむ……こう近くで触れてみると、案外普通の犬だなぁと思ってな」

「さ、流石元騎士団長様……ケルベロス相手に普通の犬たぁ……げほぉ!」

「まあ、言いたいことは分からんでもないが……」

「だから殺さなかったのか?」

「──あぁ」


 すっかり主よりもケルベロスに懐かれたベルゴはペロベロスを抱き上げる。

 二頭のケルベロスの間に生まれてきた子供。

 それを見つめるベルゴの目は実に優しく、まさしく子を持つ親の眼差しに他ならなかった。


「子の前で親を殺すなど……できんよ。たとえ魔物でもな」

「「「クゥ~ン」」」

「ハハッ、くすぐったいぞ。こやつめ」


 三つ首に舐められるベルゴは、くすぐったそうに呟いた。


「……あんたも人の親だな」

「なんだ、今更」

「別にぃ~」


 べ、別に感慨深くなんてなってないんだからねっ!


「よし……じゃあ仕上げと行こうか」

「む? ……ああ、そうか」

「考えることは全員同じだな」


 俺とベルゴ、そしてリーンが仄暗い天井を見上げた。




 ***




(馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! ケルベロスが二頭も手懐けられるなど……!)


 地下水路の天井に張り巡らされる梁の上。

 誰の目にも届かぬ場所に、密かに用意されている監視塔があった。それは本来従魔と侵入者の戦いを見守る為に用意された安全地帯に他ならない。


 しかし、その中に居る悪魔は大いに焦っていた。

 彼こそが地下水路の侵入者撃退の任を託されたケルベロスの主、名をナベリウスと言った。


 しかし、彼の顔色はとても芳しいものとは言えなかった。


(不味い、不味い、不味い! あんな奴らと真面にやり合っても勝てるはずがない!)


 本来ケルベロスは悪魔でも手に負えない凶暴な魔物だ。聖堂騎士団でも隊長以上が出張ってきてようやく相手にできるクラスである。

 それを従魔として従えられていたのは、偏に彼の上司──ネビロスの助力あってこそ。


 すなわち、あのケルベロスはネビロスからの借り物。私物と呼び変えてもいい。

 それを突破されるどころか侵入者に奪われるなどあってはならぬ事態だ。


(どうする、どうする、どうする!? このことを早くネビロス様に……しかし、そうすれば俺達の命が……!)


 焦燥に駆られるナベリウスの顔面からは大量の汗が流れる。

 ボタボタと滴り落ちる汗のせいで、全身の体毛と羽毛はすでにずぶ濡れであった。


 しかし、足元に滴り落ちた汗で水たまりができた頃、ナベリウスは違和感を覚えた。


(なんだか熱いような……いや、熱い!? 熱い! とてつもなく熱い!)


 監視塔の気温がにわかに上昇していることを察知し、ナベリウスは窓から下を覗こうとする。

 だが、次の瞬間に視界を覆った獄炎を前にナベリウスは腰を抜かした。


「ひ、ひぃいいい!!?」


『なるほど。ここに元飼い主が居るわけか』

『流石、嗅覚は優れているな』

『私が見てこようか? そのまま首を持って来てやる』


 監視塔の真下では、侵入者側についたケルベロスが自分の匂いを辿り、あろうことか炎で炙っている最中だった。

 しかも、侵入者の巨漢と黒騎士は恐ろしい会話している。これではどっちが悪魔か分からない。

 本能的に危機感を覚えたナベリウスは、文字通り尻尾を巻いて監視塔の裏口へと逃げ出した。


(こ、殺される! 兎にも角にもここから離れなければ──)


 そうして裏口の階段に差し掛かる寸前、何かにぶつかった。


「やぁ」

「……は?」

「出会い頭の猫キック!」

「ぎぃやっはぁあああああ!!?」


 だが残念。

 すでに裏口に待ち構えていた謎の鉄仮面のドロップキックを喰らったナベリウスは、反対側の窓から飛び出した。あとはそのまま急転直下、地面に激突である。


「げぶぁ!!?」


「おっ、こいつが元飼い主か」

「上から高みの見物を決め込んでいたとは……従魔士の風上にも置けん奴が」

「なので叩き落してきました」


「き、貴様ら……ひぃ!!?」


 息も絶え絶えとなるナベリウスを、たった今蹴り飛ばした張本人であるライアーも含めた侵入者三人が取り囲む。


「どうするぅ~? 煮るぅ? 焼くぅ? 蒸すぅ?」

「美味しい調理法みたいに言うんじゃない」

「まずは火が通り易いよう微塵切りに……」


「ひぃいいい!!?」


 恐ろしい会話を繰り広げる三人に、腰を抜かしながら器用に手だけで後退するナベリウス。

 しかし、進路上に聳え立っていた監視塔に背中がぶつかり、彼は逃げ道さえ塞がれてしまう。


「お、おのれ……!」


 命運は尽きた。

 そう直感したナベリウスは、その三つ首をそれぞれ三人の方へと向け、こう吠えた。


「この劣等種共がッ!! ここは貴様ら如きが踏み入っていい場所ではないわ!!」

「仇討ちか!? それとも囚われた人間を助けに来たか!? フンッ、過去のしがらみに囚われる塵屑共めがッ!!」

「貴様らに取り戻せるものなど何一つないわ!! ここには数万の悪魔と魔物がうじゃうじゃと犇めいている!! 貴様らはかつての聖都の住民同様、死んでネビロス様の従僕としてこき使われるが関の山──」


 そこまで捲し立てたところで、ナベリウスはそれ以上言葉を紡げなかった。

 何故ならば、


「「「やかましい」」」


 ほぼ同時に三人が一閃。


 三つ首全てを刎ねられた悪魔は、断末魔さえ上げられなかった。

 灰の如く吹かれて消える寸前に悪魔が目撃したのは、憤怒の形相を湛える三人の顔。死んでも脳裏に焼き付く憤怒の炎に、ナベリウスは逆鱗に触れたと自覚しつつ、その生涯の幕を閉じた。


「よーし、次行こう。次~」

「ああ……」

「向こうもそろそろ集合場所に付いている頃か?」


 消えゆく悪魔に目もやらず、三人は突き進む。

 そんな中、リーンの問いにライアーは答える。


「あぁ──


 布石なら、すでに打っていた。




 ***




「──どうしてだぁ? どうして人間はぁ……どいつもこいつもぉ……自分の思い通りになると思ってるぅ……?」


 血生臭い部屋に一人、骸骨のような悪魔が腰掛けていた。

 彼は右手に握る手を模した杖を握りながら、膝を突く一人の人間に目を向けた。


「なぁ……教えてくれよぉ……」

「ぐッ……!」

「まさかぁ……お前はぁ……おれに勝てるとぉ……ほんのひとかけらでも思ってたのかぁ……?」


 ほくそ笑むように。

 人を嘲笑うように。


 大悪魔は、少女を救いに来た勇者を見下していた。

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