第57話 目的地一歩手前はボス戦の始まり
「これどうしようね?」
積み上がる悪魔の躯を前に、俺達は立ち尽くしていた。
……いや、別に殺してはいないんだけど。
この惨状を前にして、ベルゴは呆れた表情で口を開く。
「見つかりそうになる度に絞め落とすからそうなるんだろう」
「でもベルゴも途中からノリノリで絞め落としてたじゃん?」
「2人じゃどう足掻いても5人同時は絞め落とせんだろうが……!」
「その点リーンってスゲェよな。2人同時に絞め落とすんだもん」
「本当にどうやったのだ?」
颯爽と物陰から飛び出して、腕と脚で悪魔二体同時に仕留めるリーンの絞め技は、もはや芸術の域だった。お前常習犯だろ。直ちに出頭しろ。
「しかし弱ったな。この人数を縛り上げるとなったら、流石にスカートの丈が足りなくなる」
「スカートを引き裂くのはもうやめろ。親御さんと仕立屋が泣いているぞ」
「まあ背に腹は代えられんな」
「やめろと言っているだろう!!」
ベルゴぉ……! そんなんじゃリーンは止まんねえからよぉ……!
ベルゴの絶叫も空しく、スカートも全て引き裂いたリーンが緊縛悪魔を五体量産した。仕事が早い。
「ド~ナ~ド~ナ~」
後はもうご存じの通り、川流れである。
地下水路を住処にするドブネズミくんと共に仲良く下流へ流れていくといい。
いや、それより。
「お前マジでスカートなくなったじゃん」
「身軽でいいぞ」
「なんかもう元からそういう感じの格好になっちゃったじゃん。あっ、それとも元からそういうのを見越したパンツ穿いてる?」
「いや、勝負下着だ」
「勝負かける相手は誰だよ」
一見ブルマにしか見えなくもないけどさぁ?
それにしたってもうちょい下に穿く奴選ぼうぜ?
見てごらんなさいよ、そこに居る年頃の娘を持つ親御さんを。気まずそうに顔を逸らしているだろうに。
「気にするな。下着を見られたところで痛くも痒くもない」
「男気に溢れてるのか男を誘いたいのかどっちかにしろ」
健全な青少年の教育に悪いでしょうが。
とはいえ、リーンの男気(?)のおかげもあってか、地下水路には見張りの気配は全くと言っていいほど消えてなくなった。
「これなら落ち着いて先に進めるな」
「まったく……どっかの誰かさんが見敵必殺かますから」
「どこのどいつだ?」
今下着を晒している恥知らずのことだよ。
そんな恥知らずと一緒に地下水路を進む。
聖都が陥落してから10年経つものの、意外と綺麗なまま残されているのは、悪魔共もここを利用しているからかもしれない。
会敵する可能性こそあるが、地上から潜入するよりはずっと楽に中心部へと進めるという点では、これ以上ない潜入ルートだと言えよう。
「──しっ、待て」
しかし、しばらく進んだ先でリーンが何かを見つけた。
「なんだ? 何が居るのだ?」
「……あそこだ。よく見てみろ」
「ム……?」
物陰に隠れながらリーンが指差す場所を注視する。
そこに居たのは──。
「……犬……か? 小さいな」
「! あれはひょっとして……!?」
「知っているのか?」
「地獄の番犬、
「なにっ……!!?」
「──の幼獣、
「……なんだと?」
呆気にとられるベルゴがもう一度先に居座る魔物を凝視する。
ケルベロスと聞けば頭が三つある凶暴な番犬を想像するだろう。しかし、あの魔物はそのケルベロスの子供である魔物、ペロベロスだ。
体長は60センチ。ほとんど柴犬サイズである。
そんな危ない魔物がスヤスヤと寝息を立てていたのだ!
「……危険なのか?」
「三倍」
「三倍……!?」
「──三倍ペロペロしてくる」
「……それだけか?」
「三倍ナデナデを要求する」
「……他には」
「三倍食べることはない」
「だから何だと言うのだ」
そうなんだよ、ほとんどただの犬なんだよ。
ゲームでも従魔にできる魔物だったけれども、できることはそれこそただの犬と変わらなかった。
まあ、レベル99にしたら〈
俺の友人である鬼龍院くん(本名)と通信対戦した時、舐めてかかってペロベロスの炎に焼き殺されたことは一生忘れない思い出だ。
でも、流石にそこまでペロべロスを育てるやり込みプレイヤーはそうそう居ない。
現実に当てはめた場合は……ほとんど皆無に等しいだろう。
っつーか、なんでそんな奴が地下水路に居るんだよ。
誰かがこっそり飼ってただろ。
「はぁ……ならば無視しても構わんな」
「いや、待て」
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「三倍頭があるということは、三倍吠えるってことだ。迂闊に起こせば地下水路中に鳴き声を響かせるぞ」
「……言われてみれば……いや、そうか?」
懐疑的なベルゴだが、ペロベロスが三倍吠えるのは事実だ。
ペロベロスの厄介な生態として、三つの頭が見張りと睡眠を器用に交代で回している。つまり、一見どれかが寝ていたところで他の頭が起きている──すなわち、絶対に見つかってしまうという事態に陥る。
「誰か〈
「ムゥ……オレは使えんな」
「私も使えない。どうする? 絞め落とすか?」
「絞め技担当のストロングアサシンはちょっと引っ込んどいてくれ」
流石のリーンとはいえ、三つ首を一度に絞め落とすことはできないだろう。
……いや、できるかもしれないけどさ。安全策取りたいじゃん。
「じゃあ殺すしかないな」
「待て待て。お前はあんなにもかわゆい生き物を何の躊躇いもなく殺すってのかい?」
「必要ならやる。それが私の使命だからな」
「悲しき殺戮マシーンよ……」
だが、ここでペロベロスを殺したら血痕も出るだろう。
万が一、血痕を見つけられてしまったら一大事だ。何とか穏便に無力化したいものだが……。
「……そうだ。ケルベロスは蜂蜜と小麦を練って焼いた菓子が好物って言うじゃねえか。そいつを与えりゃいいんじゃねえか?」
「そんな都合のいいものがあるか。甘味なら精々アータンのおやつにと焼いてきたクッキーぐらいしか……」
「あるじゃねえか」
「だ、だがこれはアータンがお腹を空かせた時の為にと丹精込めて焼いたものなのだぞ!?」
「子供泣いた時用のおやつか」
っていうか、何アータンを甘味で甘やかそうとしてんだ。
あの子は最近『おなかにお肉ついてきたかも……』って悩んでたんだぞ!
……でも、元々BMI14ぐらいの体型だったしちょうどいいか。
じゃあ問題ないな! 許す!
「とりあえずあげてみるか」
「本当に大丈夫か……?」
「これで騒ごうものなら縊り殺してやる。安心しろ」
殺したくてウズウズしているストロングアサシンはさておき、ベルゴは懐の袋から取り出したクッキーをペロベロス目掛けて放り投げる。
カランコロンと音を立て、寝息を立てるペロベロスの前に転がるクッキー。
その音に気が付いたペロベロスは耳を立て、クンクンと鼻を動かす。そのまま匂いにペロベロスはクッキーに気が付き、尻尾をブンブンと振り回し、大喜びでクッキーにがっついた。
「おぉ! 食ったぞ!」
「よし、今だベルゴ! 手懐けろ!」
「はぁ!? オ、オレがか……!?」
「クッキーに多少なりとも移ったお前の匂いなら、多少なりともペロベロスも警戒が緩むだろ!」
「ム……なるほど」
そういうことなら、とベルゴはペロベロスの前に歩み出る。
当初の読み通り、最初こそベルゴに警戒の色を見せていたペロベロスであるが、クッキーを食べる際に感じていた匂いの正体だと分かったのか、少しずつ警戒を解きながらベルゴに近寄る。
そして、
「クゥ~ン」
「ハッハッハッ」
「アォン」
「ははっ、カワイイ奴め」
ベルゴはペロベロスの三つ首全てに掌を舐められていた。
頭が三つということは舌も三つ。つまり、三倍のペロペロがベルゴを襲う。
「くすぐったいぞ、まったく」
そう言って体を撫でまわすベルゴに、ペロベロスは最早完全に警戒を解き、お腹を見せるように仰向けに転がっていた。
こうなったらもうただの犬だ。
完全に人に慣らした上で従魔にし、我らが従僕にしてやろうではないか!
「というわけでリーン、よろしく」
「清々しいほどに人に丸投げしやがって」
「ワンちゃん……嫌い?」
「犬みたいな後輩なら好きだがな」
そう言ってリーンは懐から指輪と首輪を取り出す。
あれこそ人と魔物が従魔契約を結ぶのに必要な魔道具だ。主人が着ける方と従魔が着ける方でセットになっており、大概主人側は利便性を求めてコンパクトな指輪型となっている。
そいつを中指に嵌めたリーンは、魔道具をペロベロスへとそっと嵌めようとする──が、しかし。
「ガルルルルッ!」
「グルルルルッ!」
「ウルルルルッ!」
「……おい、どういうことだ」
「オ、オレに言われてもだな……」
抵抗できぬようベルゴに抱きかかえられていたペロベロスだが、その状態のまま三頭全てがリーンに対し、歯を剥き出しにして威嚇していた。
「なんでお前そんなに犬に嫌われてるんだよ」
「そういえば犬はアルコールの匂いが嫌いだと聞いたことがあるな……」
「完全にそれが原因じゃねえか。リーン、お前酒やめろ」
「……」
「……おい、無言で懐から酒瓶取り出すな。あっ、待てコラ! ここでお酒を飲むんじゃない! ペッしなさい!」
アルコール成分を補給したリーンは『もういい』と強引に首輪を嵌めようとする。
だしかし、案の定と言うべきか無理やり嵌めようとした手はペロベロスに噛み付かれる。三つ首全部がだ。
一頭だけでも痛いのに、三頭全部となったらそれはもう……。
にも拘わらず、リーンは痛がる素振りを見せないどころか、フッと鼻を鳴らしたではないか。
「面白い犬っころだ。いいだろう、気に入った。これから私が従魔として存分に飼い慣らしてやるから覚悟しておけ」
「「「グルルルルッ!」」」
「お前の名前は今日から『サウザンド・ヘッド・インフェルノ・ハウンド』だ。いいな? サウザンド・ヘッド・インフェルノ・ハウンド」
「名前コールド負けしてんぞ」
「行くぞ、ペロ」
「大暴投で全部投げ捨てやがった、こいつ……!」
かくして『サウザンド・ヘッド・インフェルノ・ハウンド』あらため、『ペロ』が仲間になった。
「だが、犬を仲間にしたところでなぁ……」
現在一番ペロに懐かれているベルゴであるが、その存在意義を最も疑っているのも彼だった。
『むしろ邪魔なのでは?』と視線で俺に訴えかけてくる。
しかし、そんな彼の視界の端に何かが映り込む。
落ち込んだ表情を浮かべる三つの犬の顔が──。
「クゥ~ン……」
「あぁ!? す、すまない。訂正するから機嫌を直してくれ」
「ハッハッハ!」
「ほら、クッキー食べるか?」
「アンッ!」
「おやつあげ過ぎだぞ、お父さん」
骨抜きにされてんじゃねえよぉ……。
「フンッ、だが勘違いするなよ。お前が懐かれているのはあくまで手持ちにクッキーがあったからだ。この全国ワンちゃんなでなで選手権東京ブロック予選シード第二回戦敗退の俺の手にかかりゃあこの程度の犬を飼い慣らす程度イダダダダ待って待って三つ首同時に噛まないで」
「コラ、ペロ! 放してあげなさい」
「「「クゥ~ン……」」」
「よしよし、放せて偉いな。おやつをあげよう」
「「「アンッ!」」」
ベルゴが行けるなら俺もいけると思って撫でようとしたらダメでした。
それどころか三つ首だけじゃなく、尻尾のヘビにも嫌われている有様だ。泣いてもいい?
「フッ」
「おい、鼻で笑ってんじゃねえよ。サウザンド・ヘッド・インフェルノ・ハウンドって名付けた女がよぉ。名前のセンスって一点ならお前は予選敗退どころか書類不備で不戦敗だぞ、おぉん?」
「そんな名前知らんな。こいつはペロだ」
「語り合おうか……拳で」
犬に嫌われた者同士、悲しみしか宿らぬ空しい拳を固く握る俺達。
しかし、そこへどこからともなく地下水路に響き渡る足音が聞こえてきた。
『はぁ~、だりぃな~』
『ホントだよ。一体誰がこんな場所から侵入してくるってんだ』
『あれだよ、あれ。もうすぐ騎士共がここに攻めてくるって情報があるだろ』
『それで警備強化ってかぁ? ははっ、誇り高き騎士様が地下から潜入たぁ高潔ですこと』
『ギャハハハ! そうだな!』
下卑た笑い声を響かせる悪魔達の気配が近づいてくる。
なるほど。やけに見張りが多いと思っていたら、魔王軍も人間側の動きをある程度把握していたらしい。そりゃあ予想以上にストロングアサシンの出動が多くなるわけだ。
そしてまたその機会がやって来た──と思った、まさにその時だった。
「ワンッ!」
「(あっ、コラ! ペロ!)」
抱き上げられていたベルゴの腕から、さらには物陰からも飛び出すペロ。
そのままペロは声が聞こえてきた方へと一直線に駆け出していく。
『うぉ!? なんだこいつ!?』
『こいつ、たしか……あの門番の……?』
『おいおい、冗談じゃねえよ。なんでこんなところに居るんだよ』
『ケッ、俺は多頭の犬が大っ嫌いなんだよ。クソみてぇな上司を思い出す!』
『ナベリウスの野郎か? ハハッ、じゃあこいつで憂さ晴らしするかぁ?』
おや? 雲行きが怪しくなってきたぞ?
恐る恐る物陰から顔を出して覗いてみると、さっきまで大喜びで尻尾を振って駆け出したペロが、首根っこを掴まれて宙ぶらりんになっていた。
「「「クゥ~ン……」」」
「このまま川に水路に流してやろうぜ!」
「犬なら犬かきで泳げるだろ」
「お、おい……やめとけよ。後でなんか言われるのはイヤだぜ……?」
「時すでに遅し」
「「「……ん?」」」
ペロを虐めようとしていた悪魔共の背後に回った俺達三人は、躊躇いなく奴らの首に腕を回し、
「生類憐み!!」
「ただし貴様ら以外だ」
「ふんぬ!!」
「「「がああああ!!?」」」
ワンちゃんを虐める悪魔は地に沈んだ。
ねえ、知ってる?
江戸時代は犬殺しをしたら流罪になったんだって。
なら後はお分かりの通り、水路流しの刑だ。
下流に流される悪魔の数が再び増えた。
「ったく……動物は大切に扱えっての」
「よく気を引いた、ペロ。ご褒美にクッキーをくれてやろう」
「なるほど、囮に使えるな」
ペロが前に出る→俺達が魔法で姿を消す→背後から絞め落とす。
黄金のコンボができちまったな……。俺達はもう無敵だ。
「このままどんどん悪魔共絞め落としていこうぜ」
「ム? そういえばここは……」
「なんだ? 何かあるのか?」
「たしかこの先には地下水路の中央区画があったはずだ。かなり広い空間に出るぞ」
「ほーん。なら目的地までもうちょっとってとこか」
見敵必殺をかまし続けてきた道のりだが、それももうすぐ終わるらしい。
……広い空間ねぇ。
「こんなんもうヤリ部屋じゃん」
地下水路の最奥──中央区画に入ってみれば、まあ広いこと広いこと。
地面と天井をつなぐ無数の巨大な柱。それを差し引いても尚、動き回るのに不自由しない空間は、まるでここで戦ってくれと言わんばかりであった。
「こんなんもうヤリ部屋じゃん」
だって敵地の中枢に潜入する直前の広大な空間なんて、もうボスが出てくるフラグだもの。
俺がゲーム制作会社でも絶対ボスを配置して、プレイヤーに『はい、残念でしたぁ~! 目的地に着く前にこいつ倒してねぇ~!』ってやるもの。
「こんなんもうヤリ部屋じゃん」
「さっきからヤリ部屋ヤリ部屋うるさいな! 一体何とヤリ合うというのだ!?」
「男女三人。人気のない地下。何も起きないはずがなく……」
「おい」
俺がふざけ過ぎたせいか、リーンがドスの利いた声を響かせる。これだけ広いとちょっとした話し声もよく反響するなぁ。
「……どうやらここはヤリ部屋だったらしいな」
「え? マジで?」
そんな……本当にここがヤリ部屋だったなんて……!
俺はリーンの言葉を聞き、期待に胸を膨らませる。
すると、薄暗い空間の奥からヌルリと現れる影があった。
「……どうやらあれがここの主らしい」
「ケルベロス……!」
巨柱に勝るとも劣らない巨躯を揺らす三つ首の犬。
漆黒の体毛に血に濡れた鋭い牙。辺りに散らばる無数の骨は、奴が食い荒らしてきた人間のものかもしれない。
グーラ教国聖堂騎士団〈
ギルドが定義する危険度に当てはめるなら最上位。それこそヒュドラと同じレベルの危険生物として冒険者には周知されている超危険生物だ。金等級冒険者が複数人集まってようやく倒せるといった手合いだろうか。
しかし、それよりも気になるのが──。
「なぁ、ペロ? あいつお前の親御さ~ん?」
「アンッ!」
「なるほどねぇ~。ちょっと説得してこの先通れるようにしてくれな~い?」
「クゥ~ン……」
「そっかぁ~、話通じないタイプかぁ~」
ワンチャンワンちゃんでどうにかならないかと思ったが、ワンチャンなかったらしい。チャンチャンである。
「う~ん、となるとなぁ……」
腰に佩いた剣の柄を握る。
ほぼ同じタイミングで隣からも、各々の武器を取る音が鳴り響いた。どうやら考えていることは全員同じであるらしい。
「じゃあ……ヤるしかねえよなぁ?」
「そうらしいな」
「図体のデカい犬が……去勢し甲斐がありそうだ」
全員が武器を抜いた瞬間、俺とベルゴはリーンから距離を取った。
何よりケルベロスが明らかな敵意を感じ、三つ首全員が中央区画全土を揺らす咆哮を上げた。
そうだよね、誰だって去勢されたくないもんね。
「よし、誰が一番先に芸仕込めるか競争しようぜ。俺はお手な」
「お前は何を言っているんだ……なら、せめておすわりは仕込んでやろう」
「私はちんちんだ」
「狙う場所の話?」
そんなことを言ったら処刑人の剣が俺の股間を狙って突き出された。やめて、俺のちんちんは狙わないで。世界に一つだけの花なんだから。
一方、完全にこちらを敵とみなしたケルベロスは、猛毒の涎を口から滴らせながら低く身構えた。
さて、奴さんもそろそろ来そうだ。
「さぁて……軽く捻ってやりますかぁー!」
ガシャン!!
「ガシャン?」
背後から聞こえた音に振り返れば、たった今通ってきた通路どころか、中央区画から延びる無数の扉に鉄格子が下りるのが見えた。
「Oh……」
だが、そんなことは大した問題ではない。
「グルルルル……」
「ガルルルル……」
「グォオオオウ!!!」
問題は背後の巨柱の裏側から出てきた二頭目のケルベロス。
子供が居るならそりゃあ親御さんは二人だよね。道理だわ。
前門のケルベロス、後門もケルベロス。
しかも逃げ道は鉄格子で塞がれている。
「……おい、閉じ込められたんだけど?」
「……そう言えば中央区画には侵入者を閉じ込める為の術式が刻まれていたな」
「なるほど。つまり、セックスしないと出られない部屋ってことか」
「事後だろ」
リーンにツッコまれた。
言われてみればたしかにそうだわ、どうしよう。
***
仄暗い空間が延々と続いている。
ネビロスに抱えられたままどこかに運ばれるアータンが目にしたのは、そのような景色ばかりであった。
帰り道を覚えようとしても頭がこんがらがってくる。
いよいよ自分が帰れるか不安になってきた頃、ネビロスはとある扉の前で立ち止まった。
取っ手に手を掛けるでもなく、コンコンと骨ばった手でノックすれば、独りでに扉は開いた。まるで部屋の主を迎え入れるかの如く。
(ここは──うっ!?)
扉が開かれると同時に、アータンは顔に吹き付ける風──それに乗って運ばれてくる悪臭に顔を顰めた。
薬草を煮詰めた濃密な臭いの裏に隠れる、どうしようもない血生臭さ。
たとえるならば、道端に転がる動物の死体から漂ってくる死臭のような──。
「ようこそ、大罪ぃ……おれの研究室へぇ……」
「──!!?」
部屋に入る際、ネビロスが告げた。
鼓動が跳ね上がり、みるみるうちに動悸が激しくなっていく。
──気付いた?
──どうして?
──一体いつ?
頭を巡る思考と不安。
その焦燥を掌に伝わる振動から感じ取ったのか、ネビロスは笑みを浮かべながら台座が鎮座する部屋の中央へと向かう。
「あいつの部下が仕留め損なったとは聞いたがぁ……わざわざそっちの方から来てくれるとはぁ……僥倖だぁ……」
囁くような、それでいて粘着質な声がアータンの耳朶を打つ。
その間にもネビロスの足は進み、あっという間に台座の前へと二人は到着する。
そして、抱きかかえていたアータンを台座に寝かせた。
「ちょうど新しい“大罪”の素体が欲しかったところだったんだぁ……」
意味深な言葉にアータンが怪訝そうに眉を顰める。
──素体?
言っている意味が分からないと混乱するアータンに構わず、ネビロスは徐に指を鳴らした。
部屋中に音が響き渡れば、途端に壁に掛けられていた燭台に次々火が灯っていく。
しかし、それは普通の火ではない。
魔力によって灯される青白く禍々しい魔の光。照らし上げられるネビロスの顔面も、闇の中でより一層不気味に浮かび上がる。
「さぁて……まずは身体の測定だぁ。その後は血を抜いて血液型を特定……安心しろぉ。生きている素体はそうそう殺しはしないぃ……」
「んん゛っ、ん゛ぅー!!?」
「ククッ……あの技術を用いるのなら“大罪”に限るぅ……使われる素材も本望だろうぅ……」
のたうち回るアータンに、ネビロスの骨ばった指先が触れる。
そして悪魔は少女の柔肌を晒そうと、襟元に触れようとした──まさにその時だった。
ギィン!! と。
まさに今少女に触れようとした手を掲げ、真横から襲った刃を受け止めたネビロスが、ドロリとした視線を横に向けた。
「……ネズミが入り込んでいたようだなぁ……」
忌々し気に吐き捨てるネビロス。
彼の瞳に映る存在、それは──。
「あぁ。ネズミが住むにゃあちょうどいい場所だなぁ」
大悪魔に睥睨されても尚、余裕綽々と言った態度を崩さぬ鉄仮面の剣士が、飄々とした口調で言い返した。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、ネビロスが大きく腕を振れば、骨肉に刃を食い込ませていた鉄仮面の剣士は振り回され、部屋の壁際まで放り投げられる。
「おぉっと!」
しかし、危なげなく着地する鉄仮面の剣士。
彼はケタケタと笑いながら、鉄仮面の奥に佇む眼光を闇の中に閃かせる。
「ちわっす、ネビロスさん。お届け物を渡しに上がりましたよ♪」
「……何だぁ……お前はぁ……?」
「暗殺者☆」
そう嘯くのは偽物の勇者──ライアーだった。
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