第28話 嫉妬は勇者の始まり
どうしてだろう。
過去の思い出が、瞼の裏に浮かび上がっていた。
『待って、おねえちゃ~ん! ──あうっ! ぅううぇ~ん……!』
『アータン!? まったく、アンタったらホントどんくさいんだから』
何でもない道で転ぶ私を、呆れた顔の姉が抱き起す……そんな場面だった。
いつも私はこうだった。
姉には簡単にできてしまうところで躓いて、泣いて。
そして、最後には優しく慰めてもらう。
『ほ~ら、いつまでも泣いてないの!』
『だってぇ……』
『私だったら転んでも泣かないんだからっ! だからアータンも、もう泣かない!』
『うぅ……』
『ったく、しょうがないわねぇ……』
姉は私と違ってしっかり者だった。
いかんせんやんちゃが過ぎているところもあったが、それを有り余って補うくらい子供にしては独立し、度々周りの大人を驚かせていたものだ。
私には、そんな姉が羨ましかった。
父と母にはいつも誉められ──それと同じくらい叱られてもいたが──周囲の人間に認められる姉の姿を。
魔法だって最初に才覚を示したのは姉だ。私はそんな姉の見様見真似の猿真似程度の魔法しか扱えなかった。
それでも両親は誉めてくれたし、姉も喜んでくれた。
嬉しかったし、誇らしかったのは事実。
けれども、姉の凄い部分を見せつけられるたびに感じる劣等感が、いつも私の心の奥にあった。
『私におぶってもらえるなんて、アータンは幸せ者ねぇ』
『ぐすっ……ごめんなさい』
『な~に謝ってんの。私達姉妹でしょ』
助け合うのは当たり前でしょ、と。
自分の凄さを鼻にも掛けないその態度が、尚の事、私を惨めにさせた。
私はいつも姉の足を引っ張るばかり。
迷った時は手を引かれ、時には背負われてお荷物になる。
そんな自分がどうしようもなく──悔しかった。
『……ねえ、アータン』
『……なぁに?』
『今日は私がおぶってあげたけど、今度私が怪我した時はアンタがおぶるのよ。いい?』
『えぇ!? ムリだよぉ……私、力ないし……』
『何いっちょ前に文句言ってんの! こういう時はウソでも『うん』って言うもんなの!』
『うぇええぇん……お姉ちゃん怒ったぁ……!』
『もぉ~、怒ってないって! ほ~ら、怒ってない証拠にスキップもしてあげるんだから♪』
『うぅ~、揺れて気持ち悪ぃ~!』
『ほらほらほらぁ! スキップして楽しい気持ちになってきたんじゃない?! アンタもそろそろ泣き止──ぶべらぁ!!?』
『おねえちゃーんっ!!?』
……あぁ、そうだ。
記憶に残らないようななんてことのないやり取りのはずなのに、どうしてこの日だけ強く憶えていたか。
『ぐっ……な、泣かない……泣くもんですか……』
『お、おねえちゃん……大丈夫……?』
『──ふっかつ!』
『わぁ!?』
『ふーっ! ……ど、どうよ……私は泣かなかったわよ……?』
ちょっとだけ横顔に涙が滲んでいたけれど……その時は、それよりも私のように泣き喚かなかった姉に感心していた。
『す、すごい……!』
『有言実行。アンタもいつかはこの立派なお姉ちゃんのようになるのよ……いい?』
『えぇ~……やっぱムリ……』
『ムリじゃない! アンタは私の妹なんだから!』
『それ関係ある……?』
『ある!』
当時も無茶苦茶な理論だったと感じた。
『だって双子よ!? 私にできて、アンタにできないはずないじゃない!』
『……ホント?』
『ホントよ! ウソだったら針千本でも万本でも飲んでやるわ!』
『……ホント?』
『……そうしない為にアンタが頑張るのよ!』
『えぇ~~~!!?』
やっぱり無茶苦茶な姉だった。
しかし、その言葉にはずいぶんと勇気づけられた。
双子だから片方にできて片方にできないわけがない、と。
そんな学説があるわけでもないのに、声高々に告げる姉を前に、私は何となく『そういうものなんだろうなぁ』と思いながら生きていた。
魔法も人生も、すべて姉が見本だった。
あのように誇らしい姉になりたいと何度も羨んだ。
一方で、そんな凄まじい姉を妬ましいとも思った。
『おねえちゃん……どこ……?』
だが、あの日私は失った。
人生の見本を。
追いかけるべき背中を。
『おねえちゃん……』
孤児院時代、よく小さい子の面倒を見ていた。
けれど、それも所詮は姉の真似。私が特別面倒を見るのが得意というわけではない。
姉だったらできると──そう自分に言い聞かせていただけだ。
それから紆余曲折あり、冒険者として旅に出た。
姉を探す旅路。道中、そんな姉も冒険者となっていると風の噂を耳にした。
結局、私は姉の猿真似しかできないのだろうか。
姉の劣化品なのだろうか。
……いいや、偽物かもしれない。
現に悪魔は姉を狙って村を襲いに来たのだ。その為に罪のない村人の大勢を危険にさらしてしまっている。
私が中途半端なばっかりに。
(お姉ちゃん……)
私は今、もう一度燃え盛る火の中に佇んでいた。
あの日の地獄を彷彿とさせる光景だった。
炎を見つめると、不意に途方に暮れる幼子の姿を幻視した。
あの幼子は私だ。
そう理解した瞬間、炎の奥より悪魔が現れた。
あれは幻覚ではない。現実に存在する悪魔。抵抗してもしなくとも、こちらの命を奪おうとする悪意の塊。
あれを討たねば、自分は永遠に囚われたままだと確信した。
(お姉ちゃん、私は……)
武器を構えた。
自分の武器は三つ。
杖と、魔法と、もう一つ。
(私に……勇気を!)
あの日、姉に授けてもらった言葉がある。
***
「我が〈
〈罪〉を解放し、全身に
体表に拡張された魔力回路から、魔力を炎のように吹き出す彼はシーコーンと共にアガレスへと吶喊した。
「むぅ……!?」
水流の弾丸と化したイェリアルを受け止めるアガレスは、低い声で唸った。
あれだけの巨体と言えど、罪化した部隊長の一撃を完全に受け止め切ることは難しい。案の定、アガレスはその場から数メートルほど後方へ押されていった。
「ぬぅん!!」
しかし、アガレスも無抵抗のままでいる道理もない。
両腕に生えた鋭利な翼を構えれば、イェリアルの喉笛を掻き切らんと腕を横薙ぎに振るった。
罪化して基礎的な硬さが向上したと言えど、急所への攻撃は侮るべきではない。
「だから俺が邪魔をするぅ!」
「チッ」
刃翼が喉笛に触れるより前に、俺が割り込ませた剣が刃翼を阻んだ。
おいおい、まさか邪魔をされないとでも思ったか? 甘すぎるよ、アガレスさん。
「小賢しい蠅めが……」
「臭い物の周りを飛び回りま~す。ブーンブーンってな」
「ライアー殿!」
イェリアルの掛け声を聞いてその場から飛びのく。
俺の目に映ったのは、彼の乗るシーコーンの角から延びる巨大な水の槍だった。逆巻くように夜空を衝く水槍は、罪化したイェリアルの魔力を存分にシーコーンに分け与えて生み出された強大な一本だ。
「食らえ!! 〈
一度〈
地面を蹴り砕くほど勢いをつけた一突きだった。
それを両腕の刃翼で受け止めたアガレスは、鰐の下半身となることで増えた四本の脚で地面をしっかりと踏みしめる。
「ぬうう……ぉおおお!!」
「ぐっ!?」
アガレスが地鳴りの如き雄たけびを上げ、刃翼に突き立てられる角を弾いた。
直後、角を中心に逆巻いていた水流は霧散し、イェリアルもシーコーン諸共後方へ弾き飛ばされる。
イェリアルはそのまま墜落──することはなく、落下地点に〈水魔法〉を放って自ら緩衝材を生み出した。なるほど、ああいう使い方もあるのか。
「いいんじゃねえの? こっちは俺ら二人でどうとでもできそうだ」
「しかしライアー殿……」
イェリアルの表情は硬い。
というのも、この戦いは俺達だけが勝てればいいという話ではない。
俺達の後ろではアータンと他の従魔隊が悪魔と戦っている。
向こう側の頭はフォルネウスとかいうサメとエイを混ぜたような悪魔だ。雷魔法を使っている辺り、中々難儀な敵だと言えよう。
だが、それを踏まえて言い切る。
「大丈夫だよ。アータンは強いさ。勿論、あんたの部下もな」
「……その言葉を信じましょう!」
そう言ったイェリアルは部下に全幅の信頼を置き、目の前の敵に集中すると決めたようだ。
俺もそれがいいと考えた。
何故ならば、
「ま、もしもの時はさっさとこいつを片せばいいだけよ」
「……妄言もここまで極まれば笑えてくるな」
そう言ってアガレスは鰐となった下半身で大地を踏み砕く。
「断言しよう。儂の肉体は、貴様らの攻撃を通さぬ」
次の瞬間、アガレスの体表を薄い魔力の光が包み込む。あれはおそらく自分自身の守りを固める〈
以前、セパルが用いた〈
ただでさえ硬い鰐の体表に防御魔法を重ねてきた奴は、今まさに鉄壁と評して違わぬ防御を誇っているはずだ。これを崩すのは容易に済む話ではない。
だからまあ、いっときますか。
「ははっ! よっぽど俺様の
アガレスは守りだけではなく、口も堅くしたようだ。
俺の挑発に乗る素振りは見せず、淡々と自身の守りに注力している。
「……貴様の罪魔法は、所詮幻影を作る程度の代物。儂が守りを固めた以上、最早貴様に勝機はない」
「ホントかなぁ?」
「それに直に向こうが片付く。貴様を仕留めるのはそれからで十分だ」
背後で雷鳴が轟いた。
オマケに幾度となく電光が辺りを照らしていた。向こうは随分と派手にやっているようだ。
「お仲間が助けに来てくれるの待ちか? ぷぷぷ! 情けないでやんの」
「言ったはずだ。我々にとって勝利に勝る誇りなどないとな。勝利こそが至高。主義や信条など、それに比べれば塵も同然だ」
「勝てば無様もチャラってか。ちゃんちゃら笑える話だぜ」
俺はアガレスの言葉を笑い飛ばす。
別に奴の価値観が変とかどうとかは思っていない。悪魔が人間と違う価値観であることぐらい知っている。
っていうか、俺だって勝てば官軍みたいな考えのところがある。勝てるんだったら不意打ちだろうが毒の仕込みだろうがやってやるさ。
でも、俺と奴の認識には一つだけ齟齬がある。
「お前さぁ……勘違いしてんじゃねえか?」
俺は振り向かぬまま、後ろの方を親指で指す。
未だ轟音は鳴りやまない。が、それこそが悪魔に屈しない戦士たちの証明なのではないだろうか?
そうだ、あいつだって──。
「
「……元より勝つ為に必要な戦力を揃えたつもりだ。勝って当然」
「ププーッ!」
その言葉を聞いて、俺は思わず噴き出した。
「お、お前ッ……それマジか……?」
「……何がおかしい?」
「おかしいって……そりゃ……ひぃー!」
これには腹を抱えて大爆笑だ。
隣のイェリアルは俺の笑う姿を怪訝そうに眺めているが、まあ歴史に疎い若者であればそれも仕方はないだろう。
「ひぃ、ひぃ……あー、笑える。お前さぁ──誰を相手にしてんのか本当に分かってんのか?」
「……どういう意味だ」
「あいつは〈嫉妬〉だぜ?」
〈
しかし、〈嫉妬〉はかつてこの世界においてそれ以上の伝説を残している。
「勇者の〈罪〉だぜ?」
──お前ら雑魚悪魔如きが集まったところで勝てると思ったかよ?
***
「〈
「〈
雷撃と火炎が衝突する。
夜闇を照らす青い電光と赤い火光。目にした者の網膜を焼かんばかりの暴力的な閃光は、やがて青の方に形勢が傾いた。
バチンッ! と雷撃が爆ぜれば、火炎は中心を貫かれて霧散する。
「くっ!?」
「この程度か? 〈嫉妬〉ォ!」
「ま、まだだ!」
繰り返される魔法の応酬。
だが、何度繰り返しても結果は同じだった。フォルネウスの放った〈雷魔法〉がアータンの〈火魔法〉を貫き、着実に少女の肉体にダメージを負わせていく。
(やっぱり駄目だ……
そこでアータンは頭を振った。
(ううん、違う……圧し負けているのは単純に私の力が──!!?)
「〈
「きゃあ!?」
やはり繰り出した火炎の弾は雷撃に貫かれる。
しかも今度は〈雷魔法〉の中級魔法〈大雷魔法〉。初級魔法の〈火魔法〉ではとてもではないが防ぎきれない威力だった。
矛でもあり盾でもあった火炎が貫かれれば、バチバチと爆ぜる雷撃はアータンの周囲の地面を裂くように着弾する。直撃こそしなかったものの、裂かれた地面からは石や破片が飛び散り、アータンの頬に掠っていく。
爆風に煽られたのもあり、アータンはその場にペタンと尻もちをついた。
だが、彼女が立てなかったのは爆風に煽られた以上に、もう一つ別の理由がある。
(──勝てない)
恐怖。
何とか立ち上がろうと脚に力を込めても、体が一切言うことを聞かない。
震える四肢にはうまく力が入らず、何度立ち上がろうとしても生まれたての小鹿のように倒れてしまう。
「~っ……!」
「弱過ぎる。貴様、本当に〈嫉妬〉か?」
「!」
ギクリ、と。
核心を突かれたアータンの表情が一瞬で固まった。
暗闇の中でなければ一瞬でバレていたであろう反応だった。
だが、気づかぬフォルネウスは淡々と冷めた口調で続ける。
「マルバスを倒したからどんな奴かと思えば……これならそこいらの騎士の方がまだ骨がある」
コキコキと首を鳴らすフォルネウスは、隣から迫る〈
「邪魔だ」
「ぐわああ!?」
「ひっ!?」
返す〈雷魔法〉で一人の従魔隊が地に伏せる。
日々厳しい鍛錬を積んでいるであろう騎士がたった一撃でだ。
それがどういう意味であるのか理解してしまったアータンの表情は、さらに恐怖と絶望に彩られてしまう。
(やっぱり……やっぱり私、ここに来るんじゃ──)
「おい、〈嫉妬〉」
「っ! な……なに?」
「〈罪〉を解放しろ。罪化してみろ」
「へ……?」
思いもよらぬ言葉に少女は目を丸めた。
──どういう意味?
答えは少女が聞き返すよりも早く、鋭い牙の生え揃った悪魔の口より紡がれる。
「オレ達が欲しいのは〈嫉妬〉だ。貴様が本当に〈嫉妬〉でなければ、こうやってわざわざ手加減する必要もねえんだよ」
「んなっ……」
「どうした? できないか?」
恐れ戦くが余り返答に詰まるアータン。
しかし、ここで罪化できなければ本当に殺されると思った。
アータンはアイムに無理やり〈洗礼〉を行われ、〈罪〉を解放してしまった時の記憶を思い返す。
忌々しい記憶に刻まれた感触を手繰り寄せようとしながら、手枷型の罪冠器に魔力を注ぎ込もうとする。
が、しかし。
「っ……!!」
過ってしまった。
自分の肉体を蝕む邪悪な力を。
内より湧き上がる負の感情を
一度は高まった魔力が萎んでいく光景を見て、フォルネウスは深々と息を吐く。
鮫の眼球のように黒一色に染まった瞳に落胆と憤怒の色が浮かび上がった。
「……まさか、他人の空似だったとは」
ギリギリと咬合し、不快音を鳴り響かせていた歯が砕け散る。
が、次の瞬間には鋭い歯がフォルネウスの口に生え揃う。異常なまでの再生能力だ。
人間では考えられぬ光景を目の当たりにし、アータンはほとんど恐慌に陥った。
(ライアーは──駄目。向こうは向こうで戦ってる。騎士の人達も他の悪魔で手が放せない)
助けを呼ぼうにも、誰も彼もが各々の相手で手一杯な状況だ。
そんな状況の中で救援を求めようものなら、その時は助けに来てくれた味方が背中からやられてしまう。
(どうしよう)
勝てない。
守りたかったのに。
(どうしよう)
勝てない。
助けたかったのに。
(どうし、よう……)
勝てない。
救いたかったのに。
(やっぱり、私なんか──)
目の前が真っ白になった。
ライアーに救ってもらったのに。
ギルドに祝ってもらったのに。
セパルに諭してもらったのに。
村の皆に認めてもらったのに。
パーターとマーターに愛してもらったのに。
(私なんかッ……!!)
「……だが罪使いか。惜しいなァ」
「……え?」
声色の変わった悪魔に、アータンの思考が中断される。
恐る恐る顔を上げてみれば、悪魔はそれこそ悪魔染みた醜悪な笑みを湛えていた。
「人間の精神は脆弱だ。故に〈罪〉の力を引き出し切れない……それが実に惜しい」
「な……なに、を……?」
「どうだ? 魔王軍に下る気はないか?」
予想外もいいところだった。
返答も忘れて呆気にとられるアータンに、フォルネウスは血管が浮かび上がる拳を握りしめて力説し始める。
「魔王軍『ゴグ・マゴグ』は地上と戦う力を欲している! 地上に生きる人間も、その身に流れる血の系譜を遡ればオレ達と同じ魔人の種族! 貴様さえ首を縦に振るならばゴグ・マゴグに加えるのも吝かじゃあない!」
どうだ!? とフォルネウスは問いかけてくる。
興奮し、血走った瞳が彼の言葉が本気であることを告げていた。
「な……何の為に?」
「ミレニアム王国とそれを取り囲む七大教国を討ち滅ぼし、地上を我らが領土とする為」
「!」
「地獄に生きる悪魔は、かつて地上に暮らしていた人間と魔人との戦いに敗れた者達の末裔……つまり、勝者さえ違っていればオレ達が地上に暮らしていたはずだ」
「う、嘘だ……」
「嘘? ……何が嘘だぁ!!」
フォルネウスは激昂し、足元を踏み砕いた。
その破片の一つがアータンの頬を掠った。傷は浅いが、頬には一筋の赤い線が浮かび上がってくる。
「つっ……!?」
「貴様らに分かるか!? 光が差さぬ荒涼とした大地に生きる苦痛が!!」
悪魔の慟哭が響く。
「渇きを癒すには凍て刺すように冷たい水か煮え滾る血の河に口をつけるしかない!! 暴風が吹き荒れ、火の雨が降り注ぐ日には糞尿の海に身を潜めて怯えるしかできぬ!!」
「そ、そんな……」
「この地上に胡坐を掻いて生きてきた人間共は、その安寧の貴さの価値を知らんのだ!! だから我らを排斥できる!! だから我らを一方的に悪と断ずる!!」
一通り叫び終えたフォルネウスは乱れた息を整えた後、ゆっくりと片腕を持ち上げた。
その所作にビクリと身構えるアータンであったが、悪魔はそれから何をするというわけでもなく掌を返すだけだった。
しかし、それはまるで少女に手を差し伸べているようで──。
「オレ達と共に世界をひっくり返さないか?」
「あ……、っと……」
「オレ達は同族と認めた者達を無下にはせん。地上の人間共のように同族を虐げ、排斥することもしない」
──どうだ?
悪魔は、そう言ってアータンを誘った。
「私、は……」
少女の双眸が震える。
自分は悪魔のことを何も知らなかった。
ただ人間に害を為す化物とばかり思っていた。
けれども、彼らにも事情はあったのだ。
その歴史がどこまで真実かは定かではないが、劣悪な環境に追いやられた苦痛という点においては親近感のようなものを覚えた。
そこだけは嫌というほど理解できたから。
「私は……」
もしも。
もしも、それが真実であるならば無暗に拒絶するべきではない。
「悪魔の甘言に惑わされてはいけません!!」
不意に一人の従魔隊の女性がアータンに呼びかけた。
直後、槍を構えた従魔隊の女性は、シーホースと共に悪魔を仕留めようと吶喊を仕掛ける。
「でえええい!!」
「──話の邪魔だ」
けれども、決死の吶喊はフォルネウスの片手で受け止められてしまった。
首根っこを掴まれたシーホースは苦しそうに呻き、暴れる。
しかし、剛力を誇るフォルネウスの握力を前には脱出も敵わない。
「少し黙っていろ」
「──!!」
「ど、どうした!? 落ち着け!!」
「ヒヒィーン!!」
フォルネウスの掌が光った瞬間、それまで従順であったシーホースが途端に暴れ馬となり果てる。乗っていた女性は必死に手綱を握って制御を試みるものの、平静を失ったシーホースを落ち着かせることはできなかった。
これでは従魔隊の強みを失ったに等しい。
間もなく女性はシーホースの背から放り飛ばされ、硬い地面に背中を叩きつけられることとなった。
「大丈夫ですか!?」
「答えがまだだ、人間」
「っ……!」
「もっと話を噛み砕かんと分からねえか? 生きたければオレ達の仲間に加われ。死にたきゃそのまま死ね。ただそれだけの話だ」
打って変わって口調が荒々しくなったフォルネウスは、威圧を掛けるようにアータンに詰め寄る。
そして、もう少しで手が触れようという距離まで迫った。
その時だった。
「もし……」
「?」
「もし私が貴方達の仲間になったら……村の皆はどうなるの?」
震える唇でアータンが問いかける。
これにフォルネウスは少し黙した後、淡々と答えを返した。
「……この村の人間が恋しいか? なるほど、そういうことなら考えがある。この村の人間も貴様と同じようにオレ達の仲間に加えてやろう」
「悪魔の……?」
「フッ、そう怯えるこたぁない。悪魔なんてのは魔人と一緒だ。魔人の体はいいぞぉ? 漲る力、溢れる魔力! 人間を超越した力こそ心の平穏を生み出す。そうすれば人間共が繰り広げているような醜いいざこざなんぞなくなるって寸法だ」
クツクツと喉を鳴らし、フォルネウスは改めて手を差し伸べる。
「来い、人間。貴様も新たな地上の支配者の一人になるんだ」
「……」
「さあ」
差し伸べられた生への活路。
それだけでなく村の人間も生き残れる道。
それらを提示された少女の瞳は揺れ動く。
そして、手枷を嵌めた右腕がゆるりと持ち上げられた。
「っ、いけません!」
シーホースから落馬した従魔隊の女性が叫ぶ。
彼女はうっすらと気づいていた。
だが、彼女が何か伝えるよりも前に集まってきた悪魔に包囲され、彼女は孤軍奮闘を強いられる。
その間にもアータンの手は向かっていた。
フォルネウスの、淡い光が灯る掌へ。
「……歓迎するぞ」
歪な笑顔を浮かべるフォルネウスがアータンの手を取ろうとした。
その刹那。
「アータン!」
声が、
「──お前ならやれる」
背中を押してくれる勇気の魔法が、聞こえた。
(ライアー)
もう、迷う必要などなかった。
パチンッ、と。
「……?」
フォルネウスは自分の弾かれた手を見て、一瞬呆気に取られた。
何が起こったのかよく見てみれば、アータンが手枷──罪冠器が嵌められた腕を大きく振りぬいた姿が目に入った。
弾かれたのだ。
自分の手を。
拒まれたのだ。
自分の誘いを。
「……──~~~~~、人間ッッッ!!!」
眼前の事実を理解した瞬間、フォルネウスは自身に満ち満ちる魔力を解き放つ。
「よくも下等な人間がオレの誘いを断りやがったなっ!!! 折角の慈悲を無下にしやがって……貴様ら全員皆殺しにしてくれる!!!」
「……貴方は何も分かってない」
「なんだとォ……!!?」
「分かってないから、そんなことが言えるんだ……」
怒りに震える悪魔を前に、アータンの声は震えていた。
だがそれは恐怖故ではない。
振り抜いた腕と逆の方の腕が震えていた。握られた拳は怒りを宿していた。
──ドクンッ。
鼓動が高鳴った。
「村の皆は、この村を愛していた」
手枷を中心に、熱が広がっていく。
「お姉ちゃんは、村の皆に愛されていた」
魔力の胎動を覚える。
「お姉ちゃんは、新しい家族に愛されて……」
燃えるような力の脈動は、やがて全身へと広がった。
「その家族は、私のことも愛してくれた」
そして、にわかに手枷が光を放ち始めた。
「何一つ代わりなんていないんだ。故郷も、人も、思い出も」
だから、と少女は手枷の──罪冠具の嵌められた右腕を前へ突き出した。
刹那、アータンの全身から淡い緑色の光が迸り始める。
(なんだこの異様な魔力の高まりは……!!?)
「……お姉ちゃんがどうして二人に何も伝えなかったか、ようやくわかったの」
「っ……さっきからブツブツと喋りやがって」
フォルネウスは頭上に一本の雷槍を生み出す。
眼前の人間の実力は既に知れていた。十分に殺せる威力だと断じ、悪魔は雷槍の穂先を少女に向ける。
「殺してほしいなら──ハッキリ言ぇッ!!!」
「──告解する」
爆発だった。
「お、おおおおおっ!!?」
少女から噴出する魔力に振り下ろした雷槍の穂先が削られたのを見た瞬間、フォルネウスの巨体は後ろへ大きく吹き飛ばされる。
「なんッ、なんだこの魔力はァーッ!!?」
異常だった。
罪化し、異形の力を手に入れた自分が単なる魔力の圧だけで吹き飛ばされるという事態。
これを異常と呼ばずして何と呼べばいいのだろうか?
「──きっと、お姉ちゃんは村の皆を守る為に何も伝えなかったんだ。貴方のような悪魔や罪派に村の皆を利用されると思ったから」
全身から魔力を噴出させるアータンは、普段よりも一トーン低い声でそう告げた。
彼女の全身には波打つような紋様が奔っていた。
初めて〈罪〉を解放した日と同じ紋様だった。
しかし、違う点がいくつかあった。
一つ目は色。以前は光を吸い込むかの如く漆黒だった魔力回路が、今は眩い緑色を解き放っていた。それは穢れた魔力に冒されていない純粋な自分自身の魔力の光だ。
二つ目は目だ。
紋様と同様に前回白目が黒く染まっていた瞳が、今度は緑色だった瞳の部分が白へ。そして白い部分が反転して緑に染まっていたのである。
正しく色彩が逆転していた。
そして、三つ目。
「大好きな村の皆を……家族を巻き込みたくないから、一人で戦おうとしたんだ」
彼女の握る杖が変形していた。
孤児院のマザーから託された一振り。普段は一メートルにも満たないそれが、なぜか今は背丈ほどの水の槍に変わっていたのである。
透き通った水槍には、たしかに元の杖が見て取れる。水槍はどうやら杖を核にして形成されているようだった。
「そんなお姉ちゃんの家族を貴方は戦いに巻き込もうとした」
「っ……!!」
「村もグチャグチャにして……建物も、花も……!」
改めて水槍となった杖を握りしめるアータンは、反転した双眸を吹き飛んだフォルネウスを睨みつける。
さっきとは反対に、今度はフォルネウスが委縮する番だった。
その構図は、まさしく蛇に睨まれた蛙だ。硬直したフォルネウスは、アータンから迸る魔力の圧に身動きを取れなかった。
そして、
「全部が……全部が大切な、掛け替えのない思い出だったんだッ!!!」
二度目の爆発、否、大爆発。
ただの魔力の噴出で宙を舞っていた魔力が爆風に煽られ、地に、もしくは海に墜落する。
「なんだ……なんなんだよ、この魔力はぁ……!!?」
まだまだ魔力は震え上がる。
生粋の悪魔であるフォルネウスが恐れ戦く程に。
「何なんだ貴様はぁああああッ!!?」
それからようやく魔力の高まりが止まった。
天を衝くまでに膨れ上がった膨大な魔力。
その余波は凄まじく、周囲の木々は風もないのに震えて葉を撒き散らし、海も怯えるように激しく波立っていた。
「……私の〈
かつてインヴィー教国を救った勇者と同じ〈罪〉。
そして、姉が背負った〈罪〉と同じ。
(お姉ちゃんだけじゃない)
『だって双子よ!? 私にできて、アンタにできないはずないじゃない!』
(私も……背負うんだ)
大切な者を守るという、その覚悟を。
自分も背負うという誓いをアータンは言葉にする。
「私は──〈嫉妬のアータン〉だ!!!」
愛する人間に代わりはいない。
だが、同じ人間を愛したなら。
同じ人間に愛されたのならば。
愛した人間を守る為、代わりに戦うことはできる。
今が、まさにその時だ。
戦え、〈嫉妬〉。
悪魔を倒し、掛け替えのないものを守る為に。
〈
お前が勇者になってみせろ。
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