第29話 嫉妬は感謝の始まり




 〈罪〉を解放しようと決意した瞬間だ。




 夢を見た。

 冥い海の中だった。

 一寸先も見えないような闇の中。光なんてものはない。


 ただただ静かな静寂が水のように満ちる世界。

 少女はそこに一人立っていた。


「ここは……?」

『──これは汝の心象。罪の意識。それが形となった世界』

「!」


 突如として聞こえる声にアータンは辺りを見渡す。


「だ、誰ですか!?」

『我は汝の……〈シン〉の具象』

「え……?」

『すでに汝の前に居る』

「ど──」


 どこ?


 そう問いかける直前、少女は気づいた。

 晦冥の深海に、何かが蠢いている。


「……ッ!!?」

『理解したか』


 

 正確に言えば、景色だと思い込んでいた体が身じろいでいるのだと分かってしまった。


 刹那、晦冥に淡い光が灯る。

 仄かに闇を照らす優し気な光だった。

 だが、その光を放つ存在は余りにも大きすぎた。景色の一部分等という生温いものではない。まさしく景色そのもの。


 やがて、晦冥に二つほど灯っていた光がこちらの方へと近づいてきた。


 遠い。

 そう思ったが束の間、すぐ目の前に巨大な牙が突き刺さった。


 あれは“目”だった。

 けれども、余りに大きすぎるが故に鼻っ面が触れんばかりの距離に居ても、彼の存在の双眸は遥かか彼方に佇んでいた。ただそれだけのことだった。


「あ、貴方が私の〈罪〉……?」

『然り。この世界も含めて』

「この世界も……?」


 辺りをもう一度見渡す。


──これが私の世界?


 冥い。冥過ぎる。

 このような世界が自分の心象──心の中であると認めたくなかった。


 しかし、少し理解できるような気もした。


 その時、ふと海中に揺れる景色があることに気が付いた。陳腐な表現であるが、それはまるでグラグラと煮え滾るお湯のようにであった。

 あちこちに空いた孔から噴き上がる海水はあちこちに点在していた。


「……」

『解るか? あれもまた汝の心象』

「……私の……怒り」

『然り』


 〈罪〉は首肯した。


『暗い絶望の中、煮え滾る汝の怒り……それこそが汝の心象世界』

「……私は怒ってるんだね」

『理解できたならば重畳』


 〈罪〉は身じろぐ。

 深海が揺れ、煮え滾っていた海水が攪拌される。

 淡い光を灯した巨体は、その双眸に優し気な輝きを湛えながら、こちらをジッと見つめていた。


『ならば我が何たるか理解できるだろう』

「……うん」

『汝は如何する?』

「戦う」


 アータンは眼前に佇む鼻っ面を撫で、そっと寄り添った。


「私も戦いたい……守りたいの。もう二度と大切なものを失わないように」

『勝てる保証は無い』

「それでも」


 少女の双眸は強い光を宿していた。

 それこそ、この晦冥の中にありありと自身の存在を浮かび上がらせるほどまでに。


「もう、泣いているのだけは嫌だから」

『……』

「だから、力を貸して」

『……よかろう』




 ──ならば、契約だ。




 突如、世界が渦を巻き始めた。

 全てを巻き込まんとする海流が海面へと昇っていくかのような感覚。


『我は汝の裡に眠る魔の力!! これより汝の堅信を以て、汝を我が聖体と認め──〈罪〉の力を授けてやろう!!』


 しかし、アータンはしっかりとその双眸を見開いていた。

 向き合い、けして目を逸らさない。


 己の罪と向き合うという覚悟の下、彼女はこの場に立っていた。


「教えて。私の〈罪〉を」


 恐怖も。

 後悔も。

 嫉妬も。

 全てを抱えて生きていくと、心に決めて。




『汝の罪は──〈嫉妬〉!!』




 世界が、晴れた。


 否、違う。

 足元より湧き上がったマグマにより、周囲に満ちていた海水が一気に熱し上げられて大爆発を起こしたのだ。


『汝は……〈嫉妬のアータン〉也!!』


 開かれた世界の中、一頭の龍のような蛇のような、そんな怪物はアータンを頭の上にひょいと乗せた。

 それから怪物はおもむろに上を目指した。

 上へ、上へ。いつしか海面の高さを越え、空へと達した頃、眼下には水平線の彼方まで世界が広がっていた。


『汝が望みさえすれば、我は天使にも悪魔にも変わり得る!!』

「っ……うん!!」

『努々忘れるな!! 汝の世界は、汝の行いでこの世界は天国にも地獄にも変わり得ると!!』


 そして、地平線が丸く弧を描き始める高さまで上った時、怪物は翼のようなヒレを大きく広げた。


 キラキラと、鱗の一枚一枚が輝きを放っていた。

 体から振り撒かれる水飛沫も、まるで恵みの雨のように地上に降り注いでいた。




 世界に光が満ち溢れていた。

 世界にはもう、暗闇はなかった。




 ***




 世界が、現実へと引き戻される。




(これが、罪化……)




 己の身体に満ち満ちる魔力を前に、アータンは感嘆の息を漏らしていた。

 今まででは考えられぬほどの魔力量。自然に溢れる魔力だけで大地が啼き、海も揺れていた。海面から顔を出す悪魔も恐怖に強張った表情を浮かべている。

 一方で、落馬した従魔隊の女性もまた、罪化を遂げたアータンを見て驚愕していた。


(〈シン〉は当事者の冠す〈罪〉に応じたカルマに対応して力を増幅させる……だが、あの魔力量は……!?)


 それまで優勢を誇っていた悪魔が気圧されるほどの魔力量は明らかに異常だ。

 聖堂騎士団の部隊長でさえ、あそこまで魔力を有する者は記憶にない。


 すなわち、それこそがアータンの罪使いとしての才覚。

 日々を清廉に生き、そして──。


(〈嫉妬〉に対応する美徳は……〈感謝〉!!)


 誰よりも感謝を忘れずに生きてきた証左であった。

 だが、騎士の視線はさらに彼女の武器を捉える。


「つ、杖が……罪器ジンギに!?」


 何故彼女が驚いているのか、少女には分からない。


 しかし、手に入れた水槍を二、三度ほど振り回したアータンは驚くほど掌になじむ握り心地に目を見張った。


「すごい……」


 まるで水槍の方が掌に吸い付いてくるような感触だ。

 不意に手の力を抜いたところでけっして離れない安心感を湛えた握り心地に、アータンはフッと口元を綻ばせた。


(マザー、ありがとう)


 孤児院時代の恩人からの贈り物。

 それを手にした少女は決意を新たにし、眼前の悪魔を見据える。


(おかげで私は……皆を守れる!)


「!」

「──〈水魔槍オーラハスター〉!」

「チィ!!?」


 構えられた水槍の穂先から、一本の水流が投擲槍の如く射出される。

 射線を見切ったフォルネウスは、全身が総毛立つ感覚を覚えて回避に全霊を注いだ。が、次の瞬間には右肩を鋭い痛みが襲った。


「なっ……馬鹿な!!?」


 恐れている暇などない。

 すぐさま視線を自身の右肩へ遣ったフォルネウスは、削られた己の肉の断面を目撃することとなった。

 凄まじい貫通力だ。その証明のように、断面からはようやく血飛沫が上がり始めた。


「お、オレの鮫肌を……!!? ク、ソォオオオ!!!」


 自身の肉体に絶対の自信を持っていたフォルネウスは、屈辱の余り砕けんばかりに歯を食いしばった。

 鋭利な歯が砕け散り、口からは血が流れだす。

 それも数秒後には新たな歯が生え変わることで収まるものの、彼の内より溢れる屈辱が収まることはなかった。


「ならば、オレの〈シン〉の力を味わうがいい!!!」

「っ!」


 大音声を響かせる悪魔に対し、アータンは身構える。

 だが、フォルネウスの掌が向いたのは海の方だった。光を纏っていた掌からは一条の光線が放たれ、海にはおどろおどろしい紫色の光が宿る。


 直後だった。


 海面から無数の水飛沫が上がる。


「こ、これは……魔物!?」


 倒れる従魔隊の一人が瞠目する。

 現れたのはサカナ系の多種多様な魔物であった。


殺人鱏キラーレイ……魚雷飛魚トルピードフィッシュまで!?」


 強力な毒針を有すキラーレイは勿論のこと、敵に突撃して雷属性の魔力を炸裂させるトルピードフィッシュは、冒険者や騎士団の中でも要注意の魔物として周知されている。


 それが数十──否、数百に迫る軍勢を成し、一斉にアータン目掛けて海面から飛び出してきたのだ。


「ハハハハッ!!! これがオレの〈罪〉……〈徴発ちょうはつ〉の力だ!!!」


 異形の顔面を歪に歪ませたフォルネウスは、さらにもう一度掌に魔力を集中させる。


「オレの魔力を浴びせた魔物を隷属させる!!! 魔力を持っている生き物ならば等しくな!!! たとえそれは人間だろうと変わりはない!!!」

「! まさか、それで村の皆を従えるつもりで……!?」

「そうだ!!! 大した魔力もない人間共がゴグ・マゴグの礎になれるかよぉ!!! 死ぬまで奴隷のように働かせるに決まってるだろォ!!!」


 フォルネウスの魔力は膨れ上がる。

 先程海に向かって放った時の数倍に及ぶであろう魔力密度。


──おそらく狙いは自分だ。


 それを理解したアータンは険しい面持ちで水槍を握り直す。

 しかし、その間にも海側からは大量の魔物が迫っていた。どちらも気を抜けば一巻の終わりだ。


 選択までの猶予は残り僅かであった。


「人間の利用価値なんてそんなものだ!!! 魔人の足下にも及ばねえ劣等種の癖に、地上なんていう楽園に我が物顔で居座りやがって……それがオレには我慢ならねえ!!!」


 限界まで高まった魔力を手に、フォルネウスは掌を前に突き出す。


「下僕は下僕らしく、主の足下で這いずり回ってりゃあいいんだよォおおおお!!!」


 極限まで高まった魔力が解放される。


 前方からは紫電となって迫る〈徴発〉の力を宿す魔力。

 横からは大軍勢となって襲い掛かってくる魚の魔物達。


「──!」


 アータンは水槍を構え、何かを唱えようとした。


 しかし次の瞬間、暗い夜闇は眩い閃光に包まれた。


「……ククッ、ハハハハハ!!!」


 フォルネウスは哄笑する。

 未だ視界は暗順応の最中だが、あれだけの軍勢と自身の魔法を防ぐなど不可能だと確信していたからだ。


「馬鹿が、大人しくオレ達の下僕になればいいものを!!!」


 次第に光が収まる。

 さて、そろそろ目が闇になれる頃だろう。そうなれば人間の女が魔物に食いつかれている凄惨な光景が目に入るはずだ。


「〈嫉妬〉だろうが大したことはないなァ!!! ……ふぅ、あとは罪冠具ロザリウムを」

「──主よ、満たしたまえ」

「? ……ッ、馬鹿なぁッ!!?」


 光が収まり、視界が開ける。


 


 女は無傷で、しかも魚の魔物は捕らえられていたのだ。

 


あま真清水ましみず、流れ出でよ。あまねをぞ、うるおしたまえ」


 少女は詠う。

 清らかな声で。


あま真清水ましみずあふでよ。きぬめぐみを、もたらしたまえ」


 少女は詠う。

 力強い双眸を湛え。


あま真清水ましみずそそぎたまえ。つみれたる、ひとくさのはなに」


 少女は詠う。

 そして、流水に命が宿った。


ながかわきしたましいも、みていのちにかえりけり」


 刹那、魚の魔物を閉じ込めていた流水が膨れ上がる。周囲の水……地平線の彼方まで広がる海水を巻き込みながら。


 すると、一本の水流と化した水に変化が訪れる。

 細長く──それでも三メートルほどの直径を誇る水流に、水で形成されたヒレが無数に生えてくるではないか。

 まるで魚類のような特徴が浮かび上がる水流だが、その長さが数十メートルを超えた時、先端が大きく二股に裂けた。


「な……あッ、がッ……!!?」


 驚愕の余り、フォルネウスは発声方法すら忘れてしまった。

 それは最早一頭の巨大な龍であった。二股に裂けた先端には魔力の光が二つほど灯っており、鋭い眼光を光らせているように見えたのだ。


「こ、こんな……こんなこと、あるはずが……!!?」

「──貴方、さっき村の皆を皆殺しにするって言ったよね?」

「!」


 巨大な水龍を従える魔女が、恐ろしく低い声で問い詰めてきた。


 フォルネウスの顔面には滝のような汗が浮かび上がる。


「ち、違う! あ、あれは……頭に血が上って、つい……!」

「嘘ってこと?」

「そ、そうだ! 嘘だ! 本当に殺すつもりなんてなかった! 言ったろ!? オレ達は戦力を欲していると! だからむやみやたらに人間を殺すなんて──」

「たとえ嘘でも」

「……あ?」


 最後まで言い切るより前に、フォルネウスに蛇目の射殺すかの如き眼光が突き刺さった。


 その目に宿るのは、怒りだ。

 燃え上がるような、怒りの炎。

 踏み抜かれた地雷が爆発し、未だに黒煙を上げながら燃え盛る光景を幻視させる気迫が、そこにはあった。


「たとえ嘘でも──言っちゃいけないことがあるんだ!!!」

「ぐ、うぅう……ッ!!?」

「村の皆に! お姉ちゃんの家族に!! ──手を出すなあああああああああッ!!!」


 アータンに呼応するかの如く、水龍も海鳴りのような雄たけびを上げる。




──断罪の時間が来た。




『オオオオオオオオオオオオオ!!!』


 巨大な水龍はフォルネウス目掛けて吶喊する。

 巨体に似合わぬ猛スピード。今からどこかに逃げようとしたところで、あれだけの直径と長さだ。逃げ切れる保証はない。


「ッ……しゅよ、さばきたまえ!!!」


 フォルネウスはヤケクソ気味に魔力を振り絞る。


永遠えいえんよ! なんじ言葉ことばいかずち! たましいとおつるぎなり!」


 生き残る道があるとすれば、ただひとつ。


永遠えいえんよ! なんじ言葉ことばいかずち! わりのないはじまり!」


 完全詠唱と極大魔法。

 この二つを以て迎え撃つ、それだけだ。


永遠えいえんよ! なんじ言葉ことばいかずち! このいたみにわりはない!」


 構えた両手の間に電光が爆ぜる。

 〈雷魔法〉や〈大雷魔法〉よりも強大で、苛烈な眩き。


 これこそ、その二つを凌駕する雷の魔法──。



「──〈極大雷魔法フルグエル〉!!!」



 極大の青い電光は、一条の龍となってアータンの魔法を迎え撃つ。

 

(たとえどれだけ強大な魔法であろうと、所詮水は水! 雷の熱量で焼き飛ばしてくれる!)


 雷魔法は火魔法と風魔法を掛け合わせた属性。

 攻撃力と熱量に関してはそれら二つを上回る。火魔法単体ならば相殺がいいところの水魔法相手でもどうにかできるはずだ。


 そんな一縷の望みを託し、解き放った〈極大雷魔法〉は水龍と激突し、そして──。




 ドパァン!!!




「や、やったァ!!!」


 青い電龍は水龍とぶつかった瞬間、その頭部を稲妻の刃で焼き、瞬時に沸騰させ、そして弾き飛ばした。

 辺りには蒸発によって爆散した水飛沫が雨のように降り注ぐ。


「ハハハハハ!!! 見掛け倒しだったなァ!!! 所詮下等な人間の魔法などその、程……度……?」


 言いかけた時、フォルネウスは気づく。

 〈極大雷魔法〉の熱量によって水蒸気爆発を起こした水龍であるが、それ以降も電龍に全身の至るところを削り取られながらも進行は止めなかった。

 それどころか〈極大雷魔法〉の全てが消え去った瞬間、巨大な水龍は飛び散った水を自身の肉体へと回帰させ、元通りになっていくではないか。


「なッ……馬鹿な、そんなわけが──!!?」


 同時にフォルネウスは気づいた。


──こいつ、さっきよりも巨大に!!?


 水龍は最初よりも明らかに巨大化していた。

 一回りも、二回りも。それこそ全長は優に百メートルを超えるレベルにまで伸びているではないか。


──馬鹿な、どうやって。


 そこまで思考が及んだ瞬間、フォルネウスは一つの違和感に気づいた。


(オレの魔力が……吸われているだとォ!!?)


「あ、あれは……!」


 フォルネウスが瞠目する傍ら、倒れている従魔隊もまた違う理由で目を見開いた。


……!?」


 かつて、騎士が目撃した光景あった。

 まだ見習いであった頃、遠征の演習先で複数の魔物に襲撃される事件があった。

 多勢に無勢を強いられて多くの新人は倒れ伏した。彼女もまたその一人であったが、魔物は駆けつけたある一人の騎士の魔法によって一撃で倒された。


(あれは膨大な水で相手の魔法を防御し、拡散する……そして、魔法を受け止めた水を自身に回帰させることで魔力を吸収し、己の魔法そのものを強化する〈嫉妬〉の罪魔法!)


──すなわち〈極大雷魔法〉も。


「オレの力が……利用された……?」


 衝撃の事実。

 だが、気づいたところでもう遅い。


 断罪者と化した少女の穂先は、目の前の悪魔へと向けられたままだった。


「お姉ちゃんの代わりなんかじゃない……私は自分の意志で大切なものを守るんだ!!!」

「チ──」

「だから貴方を討つ!!! 誰かの幸せを踏み躙ろうとした罪を悔やめ、〈徴発のフォルネウス〉!!!」

「チクショオオオオオオオオオオオオオ!!!」




「──〈海蛇神の大水魔槍レヴィアタン・オーラハスター〉!!!」

『オオオオオオオオオオオオオオッ!!!』




 咆哮を轟かせる水龍の顎が、とうとうフォルネウスの体を捕らえた。

 寸前で防御姿勢を取ったものの、すでに焼け石に水だ。


「ぐぎゃああああああ!!?」


 ただの水圧だけではない。

 水を回収する際、帯電していた電力をそっくりそのまま持ってきていることから、フォルネウスの肉体に突き刺すような電撃が襲い掛かったのである。

 水流と雷撃。二種の責め苦を味わうフォルネウスは、一度空へと昇っていく水龍によって天高く打ち上げられた挙句、そのまま一気に海面へと叩きつけられた。


「フォ、フォルネウス様ァー!!?」

「ぎゃああああ!!?」

「ひ、た、たすけ……!!?」


 海中に潜んでいた悪魔も必死に命乞いするが、水龍はそんな悪魔共もまとめて葬り去った。


 水龍が海中へ潜水する轟音が止み終われば、あれほど海面に浮かんでいた悪魔は一匹たりともいなくなっていた。


 悪魔は死ねば塵と化す。

 つまりはそういうことだ。


「──は、はぁ……」


 特大級の魔法を打ち終えた瞬間、アータンの全身に奔っていた紋様は消え去り、膝からガクリと崩れ落ちた。水槍と化していた杖も元通りだ。杖をついて体を支えることもできない。


 完全に搾り尽くした。

 自分の力の全てを。


(でも、やったんだ)


 アータンは己の右腕に嵌められた手枷を見つめる。

 アイムに無理やり嵌められた忌々しい記憶の象徴。

 当初は複雑な感情を抱くのもやむを得ない経緯で手に入れたが、ようやく今、心の底からアータンはこれを自分のものと受け入れることができようとしていた。


 ライアーのおかげで自分は今を生きている。

 セパルのおかげでこの罪冠具は浄化された。

 村の皆のおかげで二つ目の故郷を見つけた。

 パーターとマーターのおかげで再び愛される決心がついた。

 そして、アイベルのおかげで──自分もやればできるんじゃないかと勇気を貰えた。




「みんな……ありがとう」




──今は、ただこの〈嫉妬〉に〈感謝〉を。




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