第31話 人族の英雄

英雄――その言葉が意味するものは、ただの称号や名誉ではない。

それは幾度の戦場を越え、血と炎と絶望の中でなお立ち上がり、数え切れぬ命を救い、時に国の運命すら変えてしまう存在。

人々はその名を畏敬を込めて語り継ぎ、子らは憧れ、老兵は静かに敬礼する。

一方で、その姿を前にした敵は、骨の髄まで染み込む恐怖で震え、牙を噛み鳴らす。


だが、真に英雄と呼ばれる者は、単なる武勇や力だけでそうなるわけではない。

常人が決して歩まぬ危地を進み、誰もが立つことを諦めた場所に、己の意思で立つ者。

その背中に寄りかかれると、人は安心して眠れる――そんな確信を抱かせる者だ。


ソニア・ジネ――

その名は、コルガナ地方を跨ぎドーデン地方まで鳴り響く伝説の戦闘集団殺魔さつまの一員だ。

彼らはコルガナに突如として現れ、各地に口を開けた奈落の魔域シャロウアビスを次々と壊滅させ、その地を覆っていた強力な魔物を根こそぎ狩りつくした。


――そして奈落の大浸食アビス・イロージョン迎撃線。

麦畑を埋め尽くす蝗の群れのように押し寄せる魔神の大軍を迎え撃ち、殺魔さつまはその中心に立った。

死をもたらす呪いの雲デス・クラウドが空を覆い、隕石が降り注ぎメテオ・ストライクが広範囲を破壊する。

その混沌の中、彼らは二体の上位魔神を討ち果たしている。


一体目は――ドッペルゲンガー。

全身漆黒、三メートルの巨躯に赤く裂けた口だけが浮かぶ、影の巨人。

それは観察した者の姿に完璧に変じ、本人を殺してなりかわり、社会に潜み、疑心と混乱を植え付ける魔神。この魔神の放つ隕石はソニアを含む後衛を一撃で地に伏させた。


二体目は――エンデルッツ。

宝石を抱いた乙女の周囲に、無数の蔦が絡まる異形の魔神。

乙女はかつて生贄として捧げられた者の肉体を奪ったもので、その姿を見せつけ、攻撃をためらわせ、罪悪感を嗜虐のように楽しむ。

仲間が龍へと変じて毒霧を切り裂く中、ソニアはその背に飛び乗り、仲間たちと連携して巨大な怪物と化したエンデルッツの首を刎ねた。


それらの戦いを生き延びた者たちは口を揃える――

「彼女がそこに立っている限り、戦線は崩れない」と。


そして今、その英雄が、夜の路地に立っていた。

修道服の裾を夜風に揺らし、右腕は甲殻のような硬質化を宿して輝く。

その歩みは重心の移動すら洗練され、隙はなく、ただ立っているだけで周囲の空気を支配していく。


巡回兵が息を呑む中、その視線はただ一人――

道路向かいの妖魔、ゴブリンのローグを夜の冷気よりも鋭く射抜いていた。


「ᚴᛟᛁᛏᚢᚺᚪ....ᚤᚪᛒᛖᛚᛖᚾᚪ......」


 互いに、一歩も譲らぬまま間合いを計る。

ローグはマジックアイテム通辞の耳飾り越しに聞き取った巡回兵たちのささやきを脳裏に刻む。

英雄――只の出任せではない。目の前の女、ソニアの眼差しはそれ以上。こちらをただの妖魔ゴブリンと侮る気配は微塵もない。


同時に、大きく息を吸い込み、吐く。

体内のマナを練り上げ、己の肉体へと流し込む。


ローグの皮膚がざらつき、緑色の皮膚が甲虫殻のように変化し硬さを増す【ビートルスキン】。ソニアの脚には、しなやかな張力が宿り俊敏さを増す【ガゼルフット】。そして二人同時に、瞳が鋭く獲物を狙う獣の目となる【キャッツアイ】


練技が交錯し、夜の空気が震える。

その一瞬で、ソニアの警戒心はさらに研ぎ澄まされた。

練体士エンハンサー、それは練技という特殊な呼吸法で体内のマナを活性化させ肉体を強化、変容させる技。この技を使えるものは蛮族でも中堅以上の力を持つ者だけだ。


 ソニアは蓄えた知識で目の前のゴブリンを観察する。体を隠せるほどの鉄の大盾を軽々と持ち、もう片方の手には重斧ヘビーアックスが握られている。硬革鎧ハードレザー鉄兜ヘルムを身に着けていることから防御に重きを置く戦士ファイターであることは間違いない。腰袋にはポーションがあることから野伏レンジャーの心得もあるかもしれない。....つくずく目の前の存在があのゴブリンとは思えない。固定観念を捨てて当たらねばならないと、ソニアは腰を落とす。


 対してローグも盾で体を隠しつつも騎手ライダーとしての経験から相手がウィークリングモヤシ野郎ではなく歴戦の戦士とする。構えからも右手の甲殻の手を使用した拳闘士グラップラーであることは間違いない。何の神かは知らんが聖印がある事から神官プリーストでもあるのだろう。防具も回避を目的としている布鎧ポイントガードであることから機動性を重視し、連撃と神聖魔法を駆使するタイプと読み、レプティとプリマを掛け合わせたような魔法戦士であると当たりをつける。そして巡回兵は人間3人....破落戸よりは戦闘力はあるだろうが、目の前のウィークリングに比べれば実力は格段に落ちる。しかし、数の差というのは軽視できないと妖魔であるローグは身に染みて理解をしている。


ᚾᚪᚱᚪ,ᚤᚢᚢᚱᛁᚥᛟᛏᛟᚱᚢᛗᚪᛞᛖなら有利を取るまでだ。」


先に動いたのはローグだった。

ソニアへと踏み込むその足取りは獲物を狙う獣の如き静か――次いで、斧が稲妻の軌跡を描く。だが狙いは女ではない。刃は寸前で逸れ、横合いから松明を掲げた巡回兵の腕を打ち据えた。


乾いた衝撃音と共に、炎の柱が宙を舞う。地面に転がったそれを、ローグは迷いなく踵で踏み砕いた。火が潰れるように消え、赤橙の光は跡形もなく失われる。

闇が、じわりと路地を満たす。視界は墨に沈み、人間もウィークリングも、その奥底を覗くことは叶わない。


――闇は蛮族の領域、そう言わんばかりに暗視を持つローグの瞳は相手の姿をを映し続けていた。


 だが、ソニアは微動だにせず祈りを捧げ始める。


「月神シーンよ、我らに光を……」


祈りが紡がれかけた瞬間、

「ソニア殿お待ちを! 『魔動制御球マギスフィア起動。輝け、投光照明フラッシュライト』!!」


神への祈りをささげようとした瞬間、魔動機師マギテックの巡回兵の一人が素早く反応した。魔動機文明語の起動語コマンドワードに即応し、魔動制御球マギスフィアが投光器へと変形し白光が闇を切り裂く。影が消え、ローグの悔し気な表情が露わになる。


月神シーン様を信仰するあなたが暗視を得られることは百も承知! しかし、光源はわれらで確保するので、攻撃に専念をして下され!!」


「感謝します!!」


ソニアは頷き、祈りを変える。「セイクリッド・ウェポン――!」

神の力が爪に宿り、浄化の輝きを纏う。

 瞬間、ソニアの姿が弾けたかの様に消える、その姿を認識した時には、甲殻の右手が流星のような連撃となり盾に叩き込まれた。鈍い金属音が広がり、衝撃がローグの腕を痺れさせるが、これまでの経験から辛うじて反応は出来た。


 (………固いわね。)


盾越しにも骨に響く衝撃――浅い傷でも蓄積すれば致命となる。

ローグは受け止めながらも後退せず、大盾の縁でカウンターを狙う。巨盾が突き出され、ソニアを押しつぶそうと狙うが――


「はっ!」軽やかな跳躍でかわされ、着地と同時に再び距離を詰められる。

更に巡回兵の援護射撃がローグの鎧を掠め、苛立ちが募る。


 ソニアは距離を離し、息を整え相手の攻撃に備えつつ観察する。防御力は鉄扉並、耐久力もかなり高く真っ先に光源を消しにかかる判断力。どれをとっても普通では無く、これほどの力を持ちながらもハイゴブリンではない。思わず眉をひそめ、妖魔の仲間を確認しようとする。


「巡回兵の皆さん、応援を呼んで下さい!仲間がいる可能性もあります!!!」

 ソニアの指示に、二人の兵が駆け出す。そもそも蛮族が単独で街にいるなど、ドーンやレッサーオーガ等の潜入に長けたものでなければあり得ない。


残った巡回兵の一人はソニアの背後から叫ぶ。

「私はソニア殿を後方から援護を。魔動銃であれば防御など貫けます!!」


ᚴᚢᛋᛟᚵᚪ糞が!!!! 」


 応援を呼ばれては堪らないとローグは巡回兵を追おうとするが、ソニアに行く手を阻まれる。チィッっと内心舌打ちをし、盾を振り回しシールドバッシュで応戦する。

 巨盾を押し当て、ソニアを壁際へと追い詰める――だが、軽やかな跳躍でかわされ、再び正面に回られる。


 読みと反応速度は互角....やや不利といったところ。

だが、ソニアには神官としての回復があり、回復がポーションしかないローグは削り合いに不利。更に援護射撃が動きを狭め、目の前のソニアに専念することが出来ない。

斧が唸りを上げ、爪が閃く。互いに致命打は与えられず、しかし、ソニアの圧力が増し続け間合いを詰められる。マギテックの回復弾や防御を貫通する魔弾、神聖魔法のバフや回復が徐々にローグを追い詰めていく。




 金属音と息遣いだけが、夜の路地に残響していた。

ソニアは獣じみた動きで盾の死角に潜り込み、甲殻の爪でローグの脇腹を狙う。だが、その瞬間には既に盾が回り込み、硬質な大盾で攻撃を弾かれる。


 ローグはその反動を利用し、ローグは賭けに出た。大盾でソニアの視界を覆いながら重斧を低い軌道で薙ぎ相手の虚を突く。そして、弧を描いた重斧の刃がソニアの脇腹へ叩き込まれた。


「ッ……ぐぅ!」


 布鎧越しに骨まで響く衝撃。甲高い金属音と共に息が詰まり、血がとめどなく溢れ路地を赤く染める。重みと衝撃の質量は、骨を断ち内臓まで達した大ダメージクリティカルだ。

ローグはその感触を確かめる間もなく、追撃のために足を踏み込む。


「『徹甲弾クリティカルバレット装填、ターゲットサイト、ロック』穿て!!」


 後方から巡回兵の怒声。乾いた破裂音と共に魔動銃の弾が唸りを上げて飛ぶ。

ローグは咄嗟に首を傾け、弾丸を避けるが、その衝撃でわずかに足が流れた。


その一瞬を見逃すソニアではない。

「――癒しを...キュア・インジャリー!」

 白光がソニアの身体を包み、裂けた肉と砕けかけた骨が一瞬で繋がっていく。温もりと共に痛みが消え、呼吸が整う。


「ᛏᛁᛚᛁ……!」

 ローグは舌打ちし、あんな回復量プリマでも出来ねぇぞと逃走の算段も考えつつ距離を取ろうとするが、ソニアは一歩も退かない。


逆に掌を掲げ、またも連撃を叩き込む。 ローグは大盾で受け流しつつ左足で石畳を強く蹴り、逆に距離を詰め直す。

 大盾が左に振られる――フェイントだ。反射的にソニアがそちらを意識した瞬間、右の重斧が真下から跳ね上がった。

 刃がソニアの膝を狙う。筋を断てば動きが止まる。その軌道を見切ったソニアは、ぎりぎりで足を引き、刃先を空振りさせた。


「……っ!! 」

 ほんの数センチの差。だが、動きの鋭さに巡回兵たちの背筋は凍る。

だが、避けた。ソニアは掌を掲げ、神への祈りを紡ぎ出す。


「月神シーンよ、我が拳に御身の裁きを宿し――ゴッド・フィスト!」


 その瞬間、ソニアの背後に半透明の巨腕が出現した。神々しい月光を帯びた拳がゆっくりと構えを取り――


 「……!」

 ローグの耳が反射的に立つ。迫る衝撃の予感。膝を踏み込み、精神を一点に集中させる。


 月光の拳から盾に伝わる魔法の衝撃波は、周囲の石畳を砕き、盾ごとローグを押し込み、内臓を揺さぶる。視界の端が白く焼け、耳の奥で鼓膜が悲鳴を上げる。

 だが――ローグはその痛みを飲み込み、奥歯を噛み締めて踏みとどまった。

精神抵抗が衝撃を削ぎ、致命傷には至らない。


「……ᛏᛁᛚᛁ、ᛁᛏᛏᛖᛚᛖᚾᚪᛚᚪ ᛒᛟᚴᛖᚵᚪᛚᚪ!」

 盾を押し返し、足を踏み込む。ゴブリンであるローグは魔法が弱点の為、こうした魔法に抵抗するためのマジックアイテム正しき信念のリングを所持していたのだ。なお、これはプリマのバニッシュには毎度効果が発揮されない。


 ソニアの瞳にわずかな驚きが浮かぶ。

 ――目の前で息を荒げつつ、神の拳を受け切ったゴブリンはそれでも膝をつくことなく立っている。 しかし、目の前の相手は常識外れを積み重ねてここまで生き延びてきた怪物モンストラスだ。



 ゴッド・フィストを受けたローグが踏みとどまり、ソニアが息を整える。

互いに呼吸が荒い。削り切れないと悟った瞬間、二人の思考は同時に「次の手」へと動いた。

 ローグは腰の革袋に手を伸ばす。指が札を掴み、短い呪言と共に放り投げると同時に、硫黄の匂いが路地に広がった。


ズシン――!

深緑の鱗を持つ影が、札から飛び出すように姿を現す。


「アギャァァァッ!」


鋭い牙を剥き、低い姿勢でソニアを睨み据える。

ニンブルドラゴン・プレデター――アルム。翼はなくとも、その跳躍と咬みつきは同サイズの猛獣を瞬殺する。ただ戦いの匂いに昂ぶるその双眸は、街灯の光を鈍く反射していた。



「……なら、こちらも。」


ソニアは小さく息を整え、腰から淡い緑色の札を取り出す。


「来て、エメドラ!」


短い呪言と共に放つと、そこから淡い森の香りが流れ出す。

緑の光が溢れ、やがてそこに現れたのは、2メートルほどのタヌキに似た幻獣――エメラルドラクーン。その毛並みは宝石のような光沢を帯び、深い知性を宿した瞳で主を見やる。低く落ち着いた声がソニアの意識に響く。


『なんや、けったいな状況やな。敵は?』


「敵は一体と一匹、ただし耐久はあなた以上。後衛で援護をお願い。」


『あいよ。』


 エメラルドラクーンがふわりと尾を揺らすと、周囲の空気が湿り、微細な光の粒子が舞い始める。妖精魔法の前兆だ。


 アルムも負けじと前肢を地面に打ち付け、ローグの指示を待つ。互いの騎獣が揃い、戦場は一気に騎獣戦へと移行する空気を帯びた。



ローグは素早くアルムの背に飛び乗り、体重を掛けて盾でシールドバッシュを放つ。


「アギャァッ!」


 アルムが前足で踏ん張り、遠心力を付けたその衝撃でソニアは姿勢を崩し転倒してしまう。そこにアルムが低く唸りながら咬みつく。ローグとアルムの熟練された連携コンボへ移行する。まるで息を合わせたかのような瞬発力で、前衛二人はソニアへ向けて猛攻を仕掛ける。


「あぐ……っ!」


ソニアは咄嗟に身をのけぞらせ、甲殻の右手で迎撃するも、ローグの盾による押し込みとアルムの咬みつきが重なり、体勢を崩される。鋭い痛みが走るが、後方のマギテック巡回兵がすぐに反応する。手にした銃口から光の弾丸が飛び出し、彼女の体にかすかな癒しをもたらす――ヒーリングバレットだ。


さらにエメラルドラクーンも、柔らかな光を放つ妖精魔法を展開する。複雑な紋様が空中に浮かび、光の波動がソニアの体を包み込む。アドバンスヒーリングの力で、ローグとアルムの連撃によるダメージは瞬く間に緩和される。痛みが和らぎ、再び立ち上がるソニアの瞳には、鋭い光が宿った。


「……ならば、こちらも。」


甲殻の右手を握り直し、ソニアはアルムへと飛び掛かる。しかし、アルムはその敏捷な後脚で跳ね回り、巧みに攻撃を避ける。そして火炎のブレスを放とうとした瞬間、彼女は立ち止まり、両手をかざす――月神シーンの力を宿した神聖魔法クレセント・シャイン


柔らかな月光が周囲を満たす。光の環は対象の攻撃力を削ぎ、炎も斧の威力も、徐々に鈍る。アルムの火炎ブレスは熱を帯びつつも勢いを失い、修道服を焦がすだけに抑え込まれ、ローグの斧の一振りも重みを削がれる。戦場の空気に一瞬、静かな月光の力が満ちていく。


「……|ᛚᚢ、ᚴᛟᚱᛖᚵᚪ……ᚵᛖᛋᛋᛁᚾᚾᛟᛏᛁᚴᚪᚱᚪ《っ、これが……月神の力か》……!」

「アギャァ....ギャギャギャッ!!!!」


ローグは唇を噛み、アルムも小さく咆哮する。だが、光はわずかに数秒で消え去り、攻撃力は再び戻る。防御力はないものの素早く攻撃が当てにくい。炎のブレスで攻めようにもあの月光の力や後衛の回復もある。

 前衛二人の連携はその威力を戻すが、徐々に戦況は人間側へと傾き始める。ソニアはその隙に距離を取り、再度練技を発動。ガゼルフットでしなやかに跳ね回り、攻撃の隙を最小化しシールドバッシュも当たりずらくなっていく。





 戦闘音が路地に反響し、金属の衝突音と低い咆哮が交錯する中、ギルドの建物の中では別の緊張が走った。職員のセラは、普段は物静かで控えめな女性だったが、戦いの騒ぎを聞くと胸騒ぎが収まらず、思わず窓辺に近づいてしまった。彼女の目には、路地の闇の中で蠢く影と、瞬間的に輝く金属が映る。何かが、ただ事ではないと直感したのだ。


「……あれは、ゴブリン……?」


 好奇心と、職務上の義務感が交錯する。だが、窓からのぞけば戦場の全体像がわかるわけでもない。単なる怪我人か、あるいは住民に被害が及ぶ前に状況を把握しなければ、という危機感も働いていた。無意識のうちに身を乗り出す。


 その瞬間、路地ではマギテック巡回兵の手が反応した。ローグの動きに注意が向いており、視界の片隅にセラがいることを確認できていなかった。咄嗟の判断で、魔動銃から徹甲弾が放たれる。狙いはローグ――だが、窓際の人影が射線上にあることには気付かずに。


弾丸が窓辺のセラに迫る。煌めく光を伴い、鋭く空気を切り裂く音が静かな建物の中にまで響く。セラの瞳が見開かれ、反射的に後ずさる。逃げる時間はない。


「……人がッ!」


 ソニアが咄嗟に手を伸ばす。祈りの言葉が口をついて出る。しかし、時間はゼロに近く、手は届かない。弾丸は窓辺の女性を貫こうとしていた。


 その瞬間、ローグはなぜか体を前に飛ばした。アルムの背に身を乗せたまま、上半身を前に出し、魔弾の進路に自らを差し込む。鋼の鎧に徹甲弾が叩きつけられる衝撃が全身に走る。痛みと衝撃が骨を揺さぶる。だが、それ以上に、ローグの心を揺さぶるのは、なぜ自分が人族の女性を咄嗟に庇ったのかという疑問だった。

人を守る理由も、仲間意識も、信念もない。何かに突き動かされたかのような反応だったのだ。混乱と驚きが、頭を支配する。


「……ᚺᚪ……?」


 疑問符だけが頭を駆け巡る。体は痛みで揺れ、視界の端でアルムが苦悶の声をあげる。だが、ローグは立ち止まれない。まだ戦いは続く。


 ソニアはその動きを見逃さなかった。鋭い瞳がローグを捉え、次の瞬間には広範囲の魔力が爆発する。両手を掲げ、地面を裂く轟音と共に神聖魔法フォース・イクスプロージョンが放たれた。


 爆発がローグを巻き込み、盾も斧も握った腕も宙を舞う。視界が揺れ、世界が一瞬にして歪む。身体を貫く衝撃と、筋肉の痙攣、アルムの咆哮が耳の奥で遠ざかる。思考は霧のように薄れ、血の味と衝撃の感覚だけが残る。ローグの体は横たわり、盾や斧と共に金属音を立てて路面に打ちつけられる。


 理性が問いかける前に、身体は地面に重く沈む。盾も斧も握る力を失い、膝がガクガクと折れる。 アルムも暴れながら、魔力の札に吸い込まれるように縮小され、元の召喚札の中へと戻っていく。息が荒く、胸が痛むが、それ以上に心を支配するのは、自分でも理解できない混乱と絶望感だった。


意識の隅に、セラの驚いた顔、ソニアの瞳が残像のように映る。咄嗟に庇った意味も、蛮族としての矜持も、すべてが混ざり合い、ローグの頭を真っ白にする。ゆっくりと、重力に身を任せるように意識が遠のき、最後の思考はただ一つ──



(……なぜ、だ……)



そして、完全に意識は途切れ、ローグは冷たい石畳の上に、動かぬ存在となる。息も止まり、瞳孔はゆっくりと閉じていった。戦場の音も、アルムの咆哮も、ただ遠く、霞んでいく。


暫しの静寂。そして、ソニアは倒れたローグに向かって一歩ずつ近づく。甲殻の右手にはまだ神聖魔力が宿り、爪先からほのかな光が滲む。夜の路地の闇と、月の光が交錯する中、止めを刺すべく歩を進める。だが、その瞳には敵を討つ戦士としての冷徹さだけでなく、神官としての慈悲も映っている。


「……これで、終わりよ。……もしまたこの地に命を宿すのなら、あなたとは味方でありたいものね。」


路地には、英雄の力と、咄嗟に人を庇った妖魔の絶望が混ざり合い、重く濃い沈黙が落ちた。

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