第32話 呪いと祝福

「……これで、終わりよ。……もしまたこの地に命を宿すのなら、あなたとは味方でありたいものね。」


路地には、英雄の力と、咄嗟に人を庇った妖魔の絶望が混ざり合い、重く濃い沈黙が落ちた。

ソニアの拳が、倒れ伏すローグの胸元へと迫る。


その時だった。

──ソニアの右側から、聞き慣れぬ声が囁いた。


「それは、勘弁して欲しいかなぁ~。」


(声・・・!)

咄嗟に右を向く、確かに聞こえたが、誰もいなかった

(幻聴・・・?いや、フェイント!?)


即座に後方へ振り返った刹那、背後から影が立ち上がる。

二メートルを超える巨躯。青い光を灯す無機質な眼孔。

石の巨人──ストーンゴーレムが、いつの間にか背後にいた。

無機質な目が青く輝き、ストーンゴーレムが拳を振り下ろしてきた。


「……っ!?」


咄嗟にカウンター。ソニアの拳が先に届き、振り下ろされる腕を粉砕する。

石の破片が炸裂し、夜気に散った。


(凌いだ・・!)


わずかに息を整えた瞬間、視界の端に閃光が煌めく。

頭上から降り注ぐナイフが、月光を弾いて軌跡を描いたのだ。


ソニアは見るより先に地面を蹴った。

瞬間、いた場所にナイフが突き刺さる──が、すぐに“戻った”。

軌跡を巻き戻すように、刃はふたたび夜空へと昇る。


その異様な軌跡を追い、顔を上げたソニアの瞳が、屋根の上の三つの影を捉えた。

半月を背に、夜風に立つ者たち。


中央──白蛇の髪をなびかせ、血のように赤い大鎌を持つメドゥーサ。

右には、フードを目深くかぶり不気味な笑顔の仮面を被ったフッドがいた。

左には、紫色の毛並みの良いグレムリン。


「何者……?」


その問いに答える者はいない。

レプティは無言で右手を掲げ、戻ってきたナイフを受け止める。

そして、その刃で自らの手首を切り裂いた。


【――ブラッドミスト】


赤い霧が溢れ、夜風に広がる。

血の匂いに毒を混ぜたような刺激が、路地を覆い尽くした。

ソニアは思わず息を止め、目を細める。視界が紅に染まる。


その隙を縫い、インテゲルがマギスフィアを掲げる。


魔動制御球マギスフィア起動。――“ワイヤーアンカー”』


コマンド・ワードを唱えることで光が走り、球体が変形。フックのついたワイヤーが射出される。それは正確にローグの鎧を絡め取り、ガシャンと金属が鳴る。


「確保。――巻き上げる」


ワイヤーが唸りを上げ、ローグの身体が宙を舞った。

仲間たちのもと、屋根の上へと引き上げられていく。


その様子を紅い霧の中確認したソニアは拳を構え直した。

ゴーレムが再びその巨体を揺らし、道を塞ぐ。


だが次の瞬間、英雄の拳が風を裂いた。

その勢いの乗った連撃を前に、石の躯が砕け核ごと吹き飛ぶ。

轟音とともに、破片が火花のように散った。


「逃がすか……!」


崩れ落ちるゴーレムの残骸を蹴り、ソニアが駆けだした。

一気に建物の壁を蹴って、二階のベランダに着地。

金属柵が悲鳴を上げるより早く、さらに反動を利用して跳ぶ。


その脚力と反射神経が、幾度もの戦場で鍛え上げた“英雄”の名にふさわしい軌跡を描く。三階、四階と跳ね上がるたび足場の破片が宙に舞い、拳を構えたまま、血の霧を貫いて飛翔する。そして最後の一蹴りで、彼女は屋根の縁に届き、妖魔を追うのだった。









屋根の上。

三つの影は――さっきまでの威厳など跡形もなく、全速力で逃げていた。


「やばいやばいやばいやばい!!!!! あんなのと街中で戦ってられないわよ!?」

蛇髪を震わせながらレプティが叫ぶ。


「何あのウィークリングやばすぎでしょ!? 僕のゴーレム十秒しか足止めできてないよ!?」

カイが涙目で魔導書を抱えたまま羽を動かす。


「くそ、ローグ重いな……! レプティ、足しっかり持ってくれッ!」

インテゲルが鎧ごと担いだローグに引きずられそうになりながら吼える。


「う、うるさい! 文句はあと!!脱出経路は!?」

レプティの声に、四人一人気絶中が、屋根の上を滑るように全速で駆け抜けた。


夜風が裂ける。

瓦が砕ける。

英雄の足音が迫ってくる。

カイが指さす先、通路の鉄蓋が半開き、下から水音とが響く。


「こっち!! 地下水路の蓋、開けといた!!」

そこへ辿り着いく瞬間──


「……見つけた」


ソニアの声が背後から落ちる。

振り返ると、瓦を踏み砕きながら彼女が迫っていた。

目が、完全にこちらを捉えている。


(((……あかーーーん!!!)))


「煙! インテゲル!」


『了解。魔動制御球マギスフィア起動。――“スモーク・ボム”』


レプティの指示に即座に応えたインテゲルがマギスフィアを叩き、短く呟くと

濃密な黒煙が音もなく噴き上がる。

一瞬で視界が闇に塗り潰された。


「レプティ足止めお願い!!」


カイの声と同時に、レプティが地面を走る影へ飛びつき──

そこにたまたまいたただの蛙を、片手で捕まえた。


「こんなことなら贄くらい常備しとくべきだったわ。」

そうボヤきながら指先が禍々しい光を帯び、召異術が発動する。


「〈ヌズマル〉、出てきなさい!」


空間が裏返り、蛙が膨れ上がり、異形と化す。

一瞬で成人の腰ほどの巨大なカエルが姿を現した。

その緑色の肌は両生類のものにそっくりであり、頭部もまた、突き出た大きな目と横に裂けた広い口が蛙を想起させる魔人である。


ぎゅるるる……!

ヌズマルの赤い瞳がぎょろりとソニアの方向を見る。


「ゲロッ!」

「行け!」


雄叫びと共に、ヌズマルが黒煙へ突っ込んだ。

次の瞬間──


バギィッ!


肉と骨と声が同時に潰れ、悲鳴も残らない。

煙の向こうで、ソニアのカウンターがヌズマルを一撃で消し飛ばした。


(ですよねーー!!)


レプティが内心で叫ぶ。

だが、その一瞬で十分。


「走って!! 飛び込め!!!」


妖魔たちは屋根から滑り落ちるように蓋の影へと消えた。

鉄蓋が跳ね上がり、濁流の音に混じって、激しく跳ねる靴音が響いく。


「……逃がすか!」


ソニアが着地と同時に叫び、飛び込む。

地下水路へ、暗闇へ、足音の方へ。


ニ人分の足音は遠ざかっていくがまだ近い。

追いつける。──そう確信させる音。


彼女は迷わず、闇を駆け始めた。

ずしゃ、ずしゃっ、ばしゃっ……!

濁流の臭気、冷たい石壁、硬い足裏が水面を叩き、音を返す。


聞こえる。

前方、曲がり角の先へと消えては現れる足音。


バシャ、バシャ、バシャ──


(一定リズム……速度一定。揺れがない。足音が……軽い?)


脳裏によぎる、屋根の上の光景。

倒れたゴブリンの重量、鎧の金属音、仲間の負荷。

本来なら、もっと不規則なはずだ。


(……担いでる分、ブレが出る。片足ごとの沈みも違う。だがこれは……)


足音に追いついたソニアは勢いのまま胴体を素手で貫き、即座に魔法で2体目の頭部を消し飛ばす。


──偽物だ。


泥と石片が飛び散り、が粉砕される。

悲鳴も血もない。砕けた体が崩れ、足元に濁流が流し去る。


ソニアの目が鋭く光る。


「……あのグレムリンの魔術ね。」


声に迷いはなかった。

冷静な分析と、燃える闘志だけ。


「本物は……まだ上。」


天井を見上げる。

闇の中に、ほんのわずかな夜気の匂い。

これだけ悪知恵の働く蛮族だ、もうすでに街から逃げているだろう。

それよりは、魔神を召喚された奈落の門を潰すのが先決か。

唇がわずかに吊り上がる。


「逃げ足まで一流ね。……でも」


石壁に手を当て、跳ねるように後方へと走りだす。

水が弾け、足跡が消える。


「次は届く距離で殴るわ。」












一方その頃、地上の路地裏。


ただの石壁。

──のはずが、滲むように四人の姿が浮かび上がる。


「……い、行った?」

カイが小声で魔法を解く。霧のような光が揺らぎ、人影が現れた。


「足音が遠のいてる。去ったようだな。」


「はぁ……っ、心臓止まるかと思った……」

レプティが胸を押さえる。


「というか……あれ、カイの足音ゴーレム、耐えられる?」

「へ、平気……! 多分……5分……いや3分……ううん……1分くらい……もつかなぁ....?」

「どんどん自信がなくなっていってる!?」


実は、レプティとインテゲルが時間を稼いでる間、カイはゴーレムを2体作成していたのだ。

スモークの中、地下水路へ飛び込む──ように見せかけ、直前で壁に身を寄せ、カメレオンの魔法で背景と溶けたのだった。

生み出したゴーレムを地下水路に走らせてまんまとまいたのだった。


「そ、それにしても……カイ、天才……。」


「ふふ……そうだよ……僕って……天才……(震)」


「いいから移動するぞ。あのウィークリングが戻ってきたら詰む」


「ローグは.....ちょうどいいし酔っ払いってことにしましょう。変装して北門から遺跡を通ってスラムに戻るわよ。ついでに奈落の門も報告しときましょ。」


操、第四階位の幻ザズ・フォルス・ラ・ガス変化・幻惑──変装フォーシェイフ・モルガナ──タティオ。よし、行こっかぁ。」


魔動制御球マギスフィア起動。――“ディスガイズセット”....ふぅ、ローグはレプティが担いでくれ。流石に肩が痛い。」


三人と気絶した一人は、静かに夜の闇へ消えていった。










薄暗いスラムの奥、湿った空気と古びた薬草の匂いが混じる倉庫。

灯されたランプの炎が揺らぎ、長い影を壁に伸ばしていた。

あれから数日、街には厳戒態勢を敷かれライフォス神官があらゆる場所【サーチ・バルバロス】を行いながら巡回しており、蛮族探知機なるものも出回っているという話だ。

妖魔達は街に入ることが出来ず、スラムの子供を使って情報を得る事しか出来ずにいた。


ローグはまだ眠っていた。

全身に包帯が巻かれ、ミイラと見分けがつかないほどだ。

その傍らで、インテゲルが無言で銃器の整備を続け、レプティは腕を組んで壁にもたれていた。

カイはマジックアイテムの調整をしていたが、どこか上の空だった。


──その時、扉が静かに軋んだ。


「……ただいま。」


声を聞いた瞬間、三人の視線が一斉に向く。

そこに立っていたのは、灰色の外套を纏ったプリマだった。

いつもは穏やかで柔らかな微笑を浮かべる彼女の顔が、今はまるで死人のように青ざめている。


「……どうだった?」


最初に問うたのはレプティだった。

プリマは唇を震わせ、言葉を探すように視線を彷徨わせる。


「……リベリス、は……」

掠れるような声。

「……貴族に、“身請け”されてました。」


部屋の空気が、一瞬で凍りついた。


「……そう、住民票がないとはいえかなり強引な手を使ってきたわね。」


「ギルドが襲撃を受けて……。妖魔の群れが、街に入り込み冒険者ギルドに襲撃をかけたって。あの混乱の中で、“かわいそうな少女を保護した”とか言って……。

あの貴族が、身請けを申し出たんです。」


「鉄道卿の....バンションか?」

インテゲルの声は低く、冷たい。


プリマはこくりと頷く。

ベッドから木が軋む音がした。


沈黙が落ちる。

誰もが悟った。

それは偶然ではなく、意図的に仕組まれた罠。


「想像以上に魔神の力を使ってきたわね.....。やられたわ。」


プリマは目を伏せた。


「でも、リベリスは“安全な場所にいる”って、鉄道卿の私兵が言ってました。

 ……笑ってて……まるで、私たちがもう手を出せないって知ってるみたいに。」


プリマの肩が震える。

「私……遅かった。守れなかったんです……」


レプティは長く息を吐く。

その声は怒りではなく、氷のように冷たい。

「“保護”ね。いい言葉よ。檻に似てるけど。」


倉庫の静寂に、包帯の擦れる音が微かに混じる。

闇が、ゆっくりと広がっていく。












湿った石畳を踏む音が、ぽちゃん、ぽちゃん、と反響する。


ローグはふらつきながら歩いていた。

濁った水が靴先を濡らし、垂れ落ちる包帯の先端に泥が絡む。

息が荒い。


眠い。


動いてないモンが動いて見えたり。



聞こえない声が聞こえてきたり。




不必要な情報が押し寄せてくる。





体が正常に機能しないのがよくわかる。







「……GOAA」


笑いとも喘ぎともつかぬ声が喉で泡立つ。

下水道の壁に指を滑らせると、ぬめりがついた。気にも留めない。

油膜の浮いた水面に、ひび割れた顔が映った。

その瞳の奥で、恩寵の残光と、闇色の欲望が火花を散らす。

光と影が、ゆっくりと混ざり合う。



「……アァ……あ、アァ……頭ガ……頭が痛イ……ッ」


光が、まだ残ってヤガル。

頭の奥で、あの“声”の余熱がジリジリと燃えてる。


オレは……信じちゃいねェ、信じたつもりもねェ……のに。

あの“恩寵”トカ言うモンを浴びると、ナゼか、気分がよくなっていた。


心が……澄んでいく感じがする。

汚ェ血の流れが一瞬だけ止まって、世界が“マシ”に見える。

……だから、庇った。 目の前で、ちっこい女が泣いてたから。


“弱きを守れ”って、あの無音の声が響いた気がして。

ほんの一瞬、そうしてもいい気がした。

そしたら……そしたら、全部奪われた。


「オレGA……守ッタKaラ……」

「守ッtA……カRaァa……」


牙の隙間から声が漏れる。

憤りと、後悔と、快感が混ざって……気味が悪い。

“弱者を守れ” “弱者を喰らえ” 頭の中で、二つの叫びがグルグルと回ってる。


どっちも、オレじゃねェ。

どっちも、オレのモンだ。


弱ェ奴らを守るトキの震えも、喰うトキの興奮も、同じ匂いがスル。


「ゲゲGe……ァa、ソウKa……オレは……どっちデもイイんだな」


目の前の闇が、形を変える。 “餌”のアジトが、遠くで灯ってる。

歯の根が鳴った。 心臓がドクンと鳴るたび、頭の奥で“あの光”が瞬く。


「GOAAAAA……アァアァア……ッ!!」


理が溶ける。 本能が燃える。 剣ノ声が混ざる。

剣と本能が、綱引きの縄みたいにおれの中で軋んでる。


「守ル……壊ス……喰ラウ……救ウ……全部、同ジダロォ……!」


そのまま、夜を裂いて走り出す。 理性も、信仰も、もうどこにもねェ。

ただ、ひとつだけ。 “光”の残滓が、血の奥で、笑ってた。 ――― 光は与えられた。

それは救いの証でも、導きの標でもあった。


だが、受けたものがその意味を測れぬならば――それは毒と変わる。

過ぎたる力は身を裂き、恩寵は器を選ぶ。


神の“理”は、誰をも裁かぬ。

ただ、在るべき形を強要するだけだ。

そして、抗えぬ者の心は、いとも容易く歪む。


彼の名を呼ぶ声はもうない。

ただ、生臭い下水溝だけが彼の残した咆哮を運び、 “祝福”の名をした呪いの火は、なおも彼の内で燃え続けていた。

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妖魔達の珍道中 @soul21g

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