29話目 健全なはずがない商店

雪がようやく止んだ冬の朝。吐く息は白く、石畳の隙間には溶け残った霜が凍り付いている。


陽が少し高く昇った十時過ぎ、冒険者ギルド《鉄獣の軌跡》の木製の扉が、乾いた軋みを響かせて開いた。

誰でも入りやすいようにという意図を込めてか、普段は開放的なスイングドアだが、流石にこれだけ冷え込んでいるからか分厚い扉へと変わっている。


途端に、室内に冬の冷気が流れ込む。だが、暖炉の薪がくべられたホールは、心地よいぬくもりに包まれていた。


中へと足を踏み入れたのは、二人の少女だった。一人は、艶やかな若葉色の髪を肩口まで垂らした、落ち着いた物腰の女性――もう一人は、プラチナ色の髪と橙の瞳を持つ、小柄で儚げなルーンフォークの少女。


ホール内はすでに朝の混雑が過ぎ去り、賑わいの名残だけが残っている。

掲示板の前では、数名の冒険者たちが立ち話を交わしながら依頼を吟味していたが、椅子に座って飲み物を楽しむ者も多く、やや緩んだ空気が漂っていた。


奥には、赤レンガ造りの暖炉があり、薪のはぜる音が穏やかな間を埋めている。天井近くには古びたギルドの紋章が掲げられ、その下には、数多くの武器を模した意匠の壁飾りが並ぶ。


受付に立つ女性が、3人に気づき微笑みを浮かべた。


「プリマさん、リベリスちゃん、いらっしゃい。あら、そちらのグラスランナーさんは初めて見る顔ですね。」


彼女の名はセラ。飾り気のない亜麻色の髪を後ろでひとつにまとめた、物腰柔らかいアルヴの受付嬢だ。チャーミングな八重歯が印象的で、常連からの信頼も厚い。


プリマは軽く会釈を返した。

「こんにちは、セラさん。彼女は私の放浪者ヴァグランツ仲間です。少し、依頼の要請で相談がありまして。できれば、責任のある方とお話したくて……」


「……そういうことね。わかったわ。少し待ってて」


セラは受付の奥に引っ込み、ほどなくして戻ってくると、2人を応接室へと案内した。グラスランナーの少女は堅苦しい話は苦手だと変身魔法の持続時間の関係上去って行ってしまった。

まぁ、放浪者ヴァグランツらしいといえばそうなのだが。


その応接室は、ギルド建物の一角に設けられた小さな部屋だった。

木目の浮いた長椅子と、何度も使い込まれた古い卓。壁には小さな窓がひとつあり、外の光が斜めに差し込んで埃を照らしていた。卓の上には、茶の入った陶器のカップが二つ置かれ、既に誰かがここで待っていたことを示している。


そこに座っていたのは、一人の壮年の男だった。


「ようこそ。私は冒険者ギルド《鉄獣の軌跡》の受付部マネージャー、カレンツと申します」


五十を過ぎた頃合いの男は、黒に白が混じった短髪を持ち、顔には幾筋もの皺が刻まれていた。軍隊の経験を思わせるまっすぐな背筋と、観察を欠かさぬ視線。彼は手元の記録書に目を落としながら、口を開く。


「プリマさん、ですな。名前は記録にある。ギルド登録はされていないが、何度か依頼に同行しており……リベリス嬢とも縁が深い、と」


「ええ。私は登録していない放浪者ヴァグランツですが、ファージアヘッドの仲間と共にいくつかの依頼で協力をしています。……その件でもあります」


プリマは、静かに、だがはっきりと語る。


「リベリスちゃんは、あの蛮族の誘拐事件以降も、何者かに狙われています。しばらくは私や仲間たちが守ってきましたが、限界があります。……ですので、彼女を“護衛依頼”という形でギルドに預けたいのです」


「預ける……か」


カレンツは眉を寄せ、腕を組んだ。


「四六時中、冒険者を雇うとなれば、相応の報酬が必要になる。それは理解しておられてますか?」


「はい。なので、常に護衛をつけるという形ではなく“職場体験”という形でギルドで働かせて頂けないでしょうか」


「……職場体験?」


「表向きはそれで。実際には、ギルドの庇護下に置くという意図です。リベリスちゃんは特別なルーンフォークで、一般的な個体とは違い成長します。外の脅威だけでなく、街の暮らしや安定した環境にも触れてほしいと、リーダーと話して決めたのです」


プリマはそう言って、隣に座るリベリスの手をそっと握る。ルーンフォークの少女は小さくうなずくが、言葉は発さない。


「彼女は、過去に一度――妖魔に誘拐マッチポンプされています。その件では、ギルドにも協力をいただきました。そして最近も、蛮族や魔神、破落戸といった連中に、再び狙われているようなのです」


応接室に、一瞬の静寂が流れる。


カレンツは顎に手をやり、考え込むように言った。


「理屈はわかる。が……依頼主あなたの身元、保証人、金銭の出どころ……その全てが、まだ不明瞭だ。」


「ごもっともです。」


「依頼自体は“仮受理”として本部に送ろう。だが、正式な受け入れはできん。それまでは、ギルド施設内への立ち入りも、事前連絡が必要となる」


「……ありがとうございます。誠意は、示すつもりですごめんなさい、利用します。」


深く頭を下げるプリマに続き、リベリスもぺこりと頭を下げた。


──ふたりが応接室を去った後。


カレンツは机の上の書類を整理し、セラに視線を送る。


「……怪し過ぎる。どこまでが本当だ?」


「プリマさんたちは、悪い人じゃありませんよ。それにお金だって放浪者ヴァグランツ時代に貯めたものでは?」


「それは“感情”だ。ギルドは、情報と証拠で動く。それに彼女自身が天誅祭前に資金の事をぼやいていたと証拠もある。」


そう言って、カレンツは引き出しから地図を取り出し、スラム街の一角――《アウサイ商店》と記された場所に赤い丸を記す。

前に自身の部下にプリマの"仲間"を調べさせていたのだ。


「この店舗を調査させろ。店主の素性、仕入れ、近隣との関係……依頼主には伝えるな。」


セラは一瞬だけ表情を曇らせたが、静かにうなずいた。


「……承知しました」


その返事にうむ、と頷くとカレンツは部屋から出ていった。

廊下の外には、まだ薪の香りがかすかに漂っていた。


「はぁ、全く仕事とはいえ疑う仕事ってのも辛いものですね......おや?」


そこには、リベリスが胸に抱いていた、熊のぬいぐるみが置き忘れていた。

確か祭りの景品でサーマルさんが渡したものだったか。リベリスちゃんに自慢をされたのでよく覚えている。次来た時に渡してあげるか、そう思いつつアウサイ商店とやらに派遣する冒険者を考えるのであった。










「ってなわけで明日の昼にギルドから斥候軽戦士スカウトフェンサーの冒険者が来るみたいだよ~。」


熊のぬいぐるみを[リモート・ドール]で五感共有をすることでギルドの情報を入手したカイはグ~ッと背伸びをしながら仲間に告げる。


「明日カ。結構早いナ。」


「早くプリマの身の潔白を証明してリベリスを引き取りたいって所かしらね。いい人じゃない。」


「身ノ潔白どコロか"穢れ"ダラけだがナ!!!」


「さぁ~て、その冒険者に押し売りする為に商品のチェックをするか~。冒険者ならそれなりにお金は持っている筈だしね!!! 稼がせて貰おうか!!」


「アウサイ商店はスラムの子を労働力にしている以外はお金の流れも全う。ふふふ、これでギルドからも私たちは普通の放浪者ヴァグランツとしてのお墨付きを貰える。自分の鼻の下は見えないIt's hard to see what is under your noseってやつよ。」


うふふふふ~と調子に乗っているレプティを見て、カイとローグは顔を見合わせる。

レプティがこうなっているときは、後から大体碌でもない事が起こると分かっている二人は、すぐに逃げ出せるよう貴重品を纏めておくのであった。













 そして調査当日の昼下がり、薄い陽光が細長い路地に差し込む。だが、温もりはほとんどない。

 道端の石畳の隙間には白い霜が残り、冷たい風が商店街を吹き抜けるたび、吊るされた布や紙札がぱたぱたと揺れる。


その一角に、木箱と棚を並べただけの簡素な雑貨屋があった。

 扉も壁もないため、店先から奥まで通りから丸見えだ。色褪せた布地、乾きかけの香草、様々な色のポーションに、何に使いうかわからない骨や石――どれも場末らしい品揃えだが、目の肥えた者なら時折「本物」が混じることを知っている



 店の戸口には二人の店員――いや、二人の「仮の顔」を持つ者がいた。

 一人は、毛並みのよい黒兎の耳を持つ小柄なタビットの少年に変装したカイ。にこやかな笑顔を浮かべて、商品棚の布を丁寧に畳んでいる。

 もう一人は、グラスランナーの少女に変装したインテゲル。カウンターに腰掛けて武器の手入れをしていた。

 表向きの彼らは愛想のいい商人と、落ち着きのある補佐役だ。

交易共通語を話せないレプティとローグは裏方に徹し、レプティは骨を加工しアクセサリーなどを作成し、ローグはポーション作成と荷運びをしている。



 ――そろそろ時間だな。

 インテゲルは目だけで店前の道を見やる。やがて、靴音が二組、近づいてきた。

 足音の軽い方は小刻みで、歩幅も呼吸も一定。軽戦士側は革や布主体の装備で、動作音はほぼしない。もう一方はやや重みがあり、腰にぶら下げた杖が布袋を叩く小さな音が混じる。


「あらっしゃっせぇ~。」

 タビットが元気の良いで迎える。耳をぴょこんと揺らし、無防備に見せながらも、目は素早く二人を値踏みした。


 現れたのは、革鎧に汚れたマントを羽織った青年と、ローブと鎖帷子 を組み合わせた魔法戦士風の女。

 人間の青年は腰に短剣と手斧を携え、動きは軽い。ナイトメアの女性はスタッフを肩に担ぎ、腰にも短剣を差している。

 どちらも旅慣れた冒険者の装いだが、その息の合わせ方、視線の流れから、経験豊富なペアであることがわかる。どちらも近・遠距離を対応できる組み合わせであり、男は投擲フェンサー、前衛の確保から女は操霊術を嗜んだ魔法戦士だろうと当たりをつける。


「ちょっと品物を見せてもらってもいいか?」

 斥候が視線を巡らせながら言う。


「お客なら歓迎だ。おすすめはこのフッド狩りの手引書だ。」

 グラスランナーが短く返す。フッドを殺す布教ももちろん忘れない。


「お兄さん達、冒険者さんですよね? こういう裏通りに来るなんて珍しいですねぇ。」

 タビットは笑顔を崩さずに近づき、手にした布をたたみながら斥候の動きを視界に収める。


「聞き込みがてらだ。何か掘り出し物でもあれば……と思ってな」

「……面白い物があれば、買わせて貰おうかと思ってね。」


 男の視線が棚から棚へと滑り、 女もその口調は抑えられているが、周囲の様子を決して疎かにしていない。


「面白いもの.....やはりこのフッド狩りの手引「その辺にしようね。」.....むぅ。」


「ははは....そこまで言うならその手引書を見せてもらっても?」

「私はこの石が気になる。これはゴーレムの素材か?」


外の風が、看板を叩いて鳴らす音がした。

冬の昼間、薄明るい影の中で、互いに正体を探る時間が始まった。

....そして、冒険者二人は結局フッド狩りの手引書と様々なポーション、素材を買うことでギルドからの前払い金を全て使ってしまったのだ。









 午後の光が傾き始めた頃、二人の冒険者はギルドの厚い扉を押し開けた。

マントには霜が白く残り、靴底からは融けかけた雪がぽたりと落ちる。

受付のセラが顔を上げ、微笑みを浮かべた。


「おかえりなさい。どうでした?」


 革鎧の青年が短く息を吐き、袋を置く。

「特に怪しいところはなし。品は雑多だが質は悪くないし、値段も相場通りだ。」

横にいたナイトメアの女も頷く。

「店員は少し警戒してたけど、それも商売人として普通の範囲。裏ではスラムの子供たちが働いてたけど、虐待や搾取の形跡はなし。むしろ活気があったわ。」


 セラは記録紙にさらさらと筆を走らせる。

カレンツは腕を組み、二人を見据えた。


「つまり……少なくとも今のところは白、か」


「ええ。むしろ面白そうな品が多くて……前払い分、全部使ってしまいました」


 それを聞いたセラが目を丸くする。

「全部? ……あなた方が唸るほどの品があったのですね。」


「えぇ、店主のタビットは操霊術の使い手なのか話も会い、ゴーレムの素材などが興味深いものでつい.....。」


「ポーションも独特なものが多かったですね。スラムの子作成のポーションは質が良いとは言えないのですが、店の奥のドワーフが作成した質の良いポーションをごっちゃに混ぜてガチャ形式で安価に販売することで雇用を生み出しています。」


「それと、店員お勧めの[フッド狩りの手引書]なんてものまで売ってました。内容も興味深く、新人冒険者の研修などにも使えるでしょう。まぁ、少々過激な言い回しも多いのでそこは修正した方がよいとは思いますが。」


「手引書ですが、確かにフッドの生態や戦い方、それを逆手にとる戦術は興味深いですね....。しかし、フッドに対しこれほどまで憎悪を抱いているとは、過去に親でも殺されたのでしょうか?(親兄弟全て皆殺しにしています。フッドだししょうがないね!)



 カレンツは鼻を鳴らし、書類を閉じた。

「ふむ……報告ご苦労。依頼の審議は続けるが、急いで動く必要はなさそうだな。

では、かえって来たばかりで申し訳ないが、次の依頼だ。最近らしくてな、調査に行って欲しい。詳しくは明日追って伝える。」


 二人が軽く礼をして去る。セラは机の上の報告書を眺めながら、ぽつりと呟いた。

「……やっぱり悪い人じゃないと思うけどなぁ」

 カレンツは何も言わず、ただ書類を重ねて引き出しにしまった。





 一方その夜、アウサイ商店の奥では――

 レプティが机に足を投げ出し、上機嫌に笑っていた。

「ほら見なさい! ギルドの人、満足そうに帰っていったわよ! 計画通り!」

「ギルドで受付嬢さんにお話を聞きましたが、かなり満足気だったそうですよ!!!」

「皆、嬉しそうでした。」

「やはりフッド撲滅の必要性を冒険者はわかってくれたな。」


 テンションの高い女性陣を傍目に、カイは帳簿から顔も上げずに返す。

「こっちとしても過去最高の売上率だよ。いやぁ、ありがたいね。」

「フン、まァ俺のポーションを質が良イと言ッてタシナ。違イが分かる奴だっタゼ。」ローグが淡々とポーションを作成しながらニヤリと言う。


「ふふふ、これで私たちは“健全な放浪者”として認められたも同然!」

「健全と放浪者って言葉は共存するものかな?」

 カイの皮肉も、レプティの鼻歌を止めることはできない。


 外では冬風が看板を揺らし、からん、と鈴が鳴った。

それが新しい客なのか、新しい騒動なのかは――まだ誰も知らない。


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