28話目 影の資金調達

 スラムの街中、瓦礫と廃材に囲まれた一角に、その倉庫はあった。外見こそ朽ちかけたただの資材置き場だが、内部には手が加えられている。通路には板が渡され、天井からは魔導灯が吊るされ、暗がりを柔らかく照らしていた。入り口には崩れた棚と錆びたドラム缶が積まれており、外部からは人の気配すら感じさせない。まさに、ひっそりと身を潜めるには最適の場所だった。


 その夜、拠点の奥に設けられた即席の会議室に、いつものように妖魔たちが顔を揃えていた。


 机の上に質のよさそうな封蝋付きの文書をポンと置き、カイが口火を切る。


「……マギテック協会からの報告が来ていたよ。流石は教授だね、新たな情報が得れたよ。」


 カイが書面を開き、さらさらと要点を読み上げていく。

「ヴァイツァー博士ってのは、魔動機文明アル・メナス時代に蛮族の復活を予期していたみたいだ。で、世界を守るために、魔神将アークデーモンを筆頭にした魔神の軍団を“制御”する計画を立てていた。」


「制御……? 魔神を? 召異魔法のようなものでしょうか。」

プリマが眉をひそめる。


「そうだ。なんでも、その制御には“純粋無垢な生きた核”が必要だったらしくてな。おそらくそれがリベリス……といったところだな。例のクリスタルの件は、正確な用途は不明だけど、制御装置の一部だと思われる。」


「ナァ、レプティなラ何カ知ッてるンじゃネェk―――

 ――スゴく嫌そウ!!」


 ゴ――ン、と効果音が聞こえそうなほど、レプティの顔がしかめられる。明らかにこの話題を聞きたくなかった様子だ。彼女は大げさな溜息をつきながら、椅子にもたれかかった。


魔神将アークデーモンねぇ....。まぁ、魔動機文明アル・メナス時代?が滅びて300年だったかしら。それだけ封印が解けてないってことは制御のシステム自体は問題ないんでしょうけど......はぁ....。魔法文明デュランディル時代から何を学んだのよ.....。これは想像以上に厄介なことになっているかも知れないわねぇ。」


まぁ、数千年近く魔神をほぼ完全に封じ込めたのならそうはなるかもしれないが....。とはいえ、世界を滅ぼせる力を持つ化け物を制御しようと普通は思うものだろうか。

そんな思考に耽っているレプティにプリマはおずおずと手をあげる。


「あのぉ……厄介なことといえば、リベリスちゃんの大切にしていた箱の中身の正体がわかりました。闇色のクリスタルだそうで……現在の持ち主も判明してます」


 皆が彼女に視線を向ける。


「“鉄道卿”のクルーク家の次男、バンションという方が買い取ったようです」


「鉄銅狂? 何ダそリャ。金属大好き集団カ?」


「……キングスフォールの鉄道関連を牛耳ってる、古くから続く元老議員の一派だよ。」とカイが補足する。

「“鉄道卿レイルロード”ってのは、その十数の家系の称号みたいなもんさ。」


「うっわぁ……それ、本当なの? なんでこう……面倒な時に限って、面倒な事が起こるのかしら。」


レプティがげんなりと呟く。


「クリスタルを見つけた探し屋、ドーソンさんの話では、バンションは金使いが荒くて権力を振りかざすような人物らしいです。珍しい物好きで、あの“闇色のクリスタル”も、ただの自身を着飾る飾りとしか思ってないようで……。」


「典型的な権力に酔う小物ね」


レプティが冷たく吐き捨てる。

「…で? 他にも何か気になるところはなかった?」


 問いに対し、プリマは少し逡巡しながら答えた。


「……気のせいかもしれないけど、ドーソンさんは“時々、変な声が聞こえるようになった”って。『思い出したくない』って怯えていました」


「リベリスの大切な物が、人に干渉している……つまり、魔神の影響が出てるってことか」


カイが重く言う。


「まぁ、ほぼ確実だろうな」


魔神に疎いインテゲルでも、闇色のクリスタルが良くないものだというのはわかる。だって"闇"色だし。名前からして禄でもないのだろう。禄でもない=フッド。

つまり魔神はフッド QED証明完了である。


「ンじゃァヨぉ....オ前らノ言ッテた夕方の襲撃者は、パンジャンってノガ差シ向けテキた可能性が高ェナ。」


「正体もバレたんでしょ? まずいわね....子供を妖魔から保護するっていう大義名分を次は掲げてくるでしょうね。」


「ほかにも、今この拠点がスラムの倉庫ってのも問題だね。金に釣られて破落戸ゴロツキがごろごろやってくるかも...."ごろ"だけに。」


リベリス以外の全員がカイに冷ややかな視線をむける。


「まぁ、リベリスの保護するには、ここじゃ厳しいな。確かに金に飢えたチンピラも多いし、噂が広まったら終わりだ。」


インテゲルもその意見には賛成する。


「キングスフォールかラ暫く身を潜めルカ? 他にモ候補は在ッタんだロ?」


「それは難しいかと思います。賞金首になっているのもあって、近くの遺跡はマークされてますので。」


プリマが申し訳なさそうに否定する。

そのときだった。


「やるわね、冒険者。.....だったら、その冒険者を利用するとしましょうか。」


「アン?どウいう事ダ?」


「リベリスは、ついこの間まで“冒険者ギルド”に保護されていたわよね? 蛮族に誘拐されていた子供としてね」


 彼女は、ゆっくりと立ち上がると、会議机を回りながら続けた。


「ならば、今一度その記録を利用するの。――“蛮族と通じる誘拐犯に追われている少女リベリスを、冒険者ギルドに保護してもらう”」


「「「「……!」」」」


「ギルドのお墨付きなら、誰も下手に手は出せない。バンションとて表立っては動けないわ。何より、リベリスを守るのは、“蛮族と相反する冒険者”よ。これほど皮肉な構図があるかしら?」


 その笑みは、まるで獲物を仕留める狩人のようだった。


「……悪知恵が冴えるな。」

インテゲルが呆れたように言うが、否定はしなかった。


「へぇ。ギルドの記録を逆手に取るか……確かに効果的かもしれないね。」


「善人ヅラした連中ニ、保護さセるッテ……痛快ダナ。」


 沈黙の中、リベリスが小さく口を開いた。


「……みんな、ありがとう」


 その声はか細かったが、確かに届いた。闇の中で、わずかな光を求めるように。

全員がニッと口角を上げる。

 策は決まった。だが、その実行には“ギルドに提出する正式な依頼”が必要であり――当然、それには相応の依頼金がかかる。


「……で、金はどっから出そうかしら。あたしの懐、いま氷点下の如き酷寒よ。」


 レプティが机に肘を突いて呟くと、全員がそろって無言になった。


 だが、それも一瞬。

 次にインテゲルがぼそりと呟いた。


「町で見た列車の時刻表、更新されてたな。明日夜、南東ルートに蛮族列車強盗バルバロス・トレインレイダースが潜伏中らしい」


 静かに立ち上がると、愛銃の銃身を布で磨く。


「乗ってる蛮族、魔神、時々護衛の冒険者。まとめて吹き飛ばせば、脅威度換算で数千ガメル。金目の物、帳簿に載ってる分だけでないだろ。護衛金として頂こうではないか。」


 そう言って、カーテンの隙間から月を見上げた。


「……私も、お金になりそうな情報があります。」


 続いて声をあげたのはプリマだった。


「盗賊ギルドで懸賞金が出てる凶暴な動物がいるそうで。ホワイトゴールドライガーという蛮族によって交配実験されたライガーの変異種だそうです。私兵団が上位蛮族を討伐した際に逃げられたそうで。表では脅威は去ったとされてるけど、裏では換金ルートある.....とペプシさんが酒場でおっしゃってました。」


 地図の隅を指差しながら、続ける。


「ライガーか....。物理攻撃が主だったはずだからローグなら負けないね。アルムもいるし。」


「オレとアルムなら充分だガ、オマエら、誰か残れヨ。拠点は開けナい方ガ良いだロウ。」


「大丈夫、僕が留守番するよ。スラムの子どもたちの商売もあるし、ゴーレムの整備も滞ってるしね。」


 カイが軽く手を振って答える。


「レプティが商売の下地を作ってくれているようだし、拠点の顔役ってことでさ。あと、ローグはそれが終わったら暫く留守番で頼むよ。僕らのタンクだからね。リベリスを守るにはゴーレムじゃぁ心細い。」


「.......。」


「嫌そう!!」


しゃーないか....とぶつくさいいながらローグも一旦は納得した。


「それで商売の方は儲かりそうなんです?」


「ぶっちゃけ軌道に乗るまでは赤字だろうね。でも信用付けて、まぁそこからだよ。未来への投資ってことで」


 軽口を叩きながらも、カイの目は真剣だった。

リベリスをギルドに預けても、街に潜む限り金はいる。安定した資金源は大切だ。


「……私は、ヒスウから依頼が来てるわ。“面倒な交渉役”だけど、まとまった額が動く。終われば、まとまった金くらいは出せるはず」

(……一応、保険は掛けておこうかしら。)


 レプティの言葉に、全員が小さく頷いた。

 金は、それぞれがそれぞれの方法で、血と知恵と行動で得る為動き出した。









 月は鈍く、低く。南東路線、崖の上。


 インテゲルは音もなく伏せた。岩肌に同化するように身を低くし、スコープ越しに列車の軌条を睨む。漆黒の銃身が、夜風を受けてかすかに冷えた。


「目標確認……魔神と蛮族混成、列車では護衛らしき剣士二名……」


谷の鉄道橋を渡る魔動列車を、飛行持ちの蛮族と魔神が強襲するようだ。

 照準を合わせる。呼吸を整える。脈を殺す。


 ──パンッ。


 ひとつ目の影が崩れ落ち、窓へ死体がガラスを割って落下した。サイレンサーをつけていたからかこちらには他の魔物は気づかない。その直後、蒸気の悲鳴が列車から上がり、混乱が始まった。その後体格の良い魔物数体を倒し、剣士が苦戦しつつも勝てるよう調節する。


「今だ」


 立ち上がると同時にフックを投げ、谷を駆け下り列車内に侵入した。音もなく、多少の宝石と換金品を頂戴してスマートに去る。


 終わる頃には列車は止まり、蛮族と魔神は死に、護衛の冒険者は終始何が起こっているのかわかっていなかった。








 霧立つ北壁の廃村跡――月が雲に隠れ、夜は獣の咆哮だけが満ちる。


 ローグの前に立ちはだかったのは、灰白の巨大な猫科の怪物。ホワイトゴールドライガー。

 その肉体は虎の筋骨に、獅子の威容を掛け合わせた異形で、金色のたてがみがぬらりと風に揺れる。

 それはただの猛獣ではない。蛮族の手によって交配され、戦闘兵器として生み出された、凶暴な化け物だ。


「ハッ、見た目はご立派サ……ダがナァ、オレを裂けるかヨ?」


ローグは金属鎧の下、鋭く牙を剥き出しにして嗤う。

巨大な盾を左腕に構え、右手は背中の相棒の手綱をぎゅっと握り締める。


騎乗するのは彼の相棒――ニンブルドラゴンのアルム。

鋭い眼光が獣たちを見据え、興奮の唸りを響かせる。


「アッギャァ......!!!!!」


 その瞬間、空気が裂けた。


 ──先制ファストアクション


 ホワイトゴールドライガーが地を蹴る。重力を忘れたような跳躍、唸りを上げる牙と爪――


一撃、二撃、三撃……六連の殺意。


 「チィッ……ッらァ!」


 牙が肩をかすめ、左脇を鋭く裂くも、血は滲むだけ。骨を砕くには届かない。

ライガーの四肢が翻り、今度はアルムを狙って襲いかかる。


 「させるかヨッ!」


 アルムの首筋へ伸びる爪を、ローグの盾が鋼鉄の音を鳴らして遮る。

衝撃で腕がしびれたが、相棒は無傷。


 「さァお楽しミダ、アルムッ!」


 返す盾の角を、ライガーの側頭部に叩き込むシールドバッシュ。

動きが一瞬止まり、巨獣の体はバランスを崩し、勢いよく地面に転倒した。

 

そこへアルムが跳ねるように突進。4mの巨体のバランスをとる丸太の如き尾が巨獣を的確に捉える。


「ガルルルルル....!?」


 ホワイトゴールドライガーは即座に起き上がり、目の前の敵の脅威度を上げる。

身構え、軽いステップを踏む事で間合いを図り回避をしやすいよう立ち回る。

体制を立ち直し、確実に相手の喉元に喰らいつく為に。


ローグが再び盾を眼前に振るうが、ライガーはそれをリズムを刻むように軽いステップで回避する。

それがローグの策とは気づかずに。


「残念ダナァ!!!ソレは囮だ!!!!」


ローグは、盾で視界を遮り、アルムの次の行動を悟らせないようにしていたのだ。

アルムの口元ががばりと開き、光が収束する――


 ──火炎のブレス。


焼け付く炎がライガーの皮膚を焦がし、獣は激しく吠え声をあげた。

その様子にアルムはこれこそが己が望んだ闘争だと言わんばかりに嗤う。


「アッギャギャギャ!!!!!」


炎の猛威がライガーの体を焼き焦がし、皮膚が炭化する音が周囲に響いた。

だが、獣はただ倒れ伏すことを知らない。


「グルルルル……!」


重い四肢を震わせ、焦熱の痛みを振り払うようにして、再び立ち上がる。

その目は血走り、怒りと執念が渦巻いていた。

ローグは間合いを詰め、盾を固く構える。


「コこらデ終イにしねェとナァ……!!」


相棒アルムも犬歯を光らせ、火炎の熱を吐き出す口を一瞬閉じて鋭い視線を送る。


ホワイトゴールドライガーは首を低く構え、獲物を狙う猛禽のように身を沈めた。

次の一撃は、牙と両前肢を使った激しい連撃で襲いかかるだろう。

速さと破壊力に満ちた攻撃を、ローグは覚悟を決めて迎え撃つ。


「来ナ!」


鋼の盾を前に掲げ、ローグは体重を乗せてシールドバッシュの構え。


獣の3連撃が襲いかかる。ローグは盾で爪の双撃を受け止めるが、アルムがホワイトゴールドライガーに噛みつかれる。


だが、アルムはそんな玩具相手に嬉しそうな笑みを浮かべる。

この痛み、この敵意。闘争とはつくづく楽しいものだと。


そのような戦闘狂バトルジャンキーな相棒にローグは苦笑すると、盾の角で噛みつくホワイトゴールドライガーの頭頂部を狙って反撃を仕掛ける。


盾が強烈にライガーの頭頂部を捉え、獣はまたしてもバランスを崩す。

そこへアルムが尻尾をしならせ、一撃を叩き込む。

巨大な棍棒のように轟音と共に振り下ろされ、獣の体が大きく揺れた。


「ガァアアァアアアッ!!!」


怒号とともに、ホワイトゴールドライガーは咆哮を上げて再び跳躍する。

今度はブレスを吐くための喉元を狙った一撃。


しかしローグは身を低く沈め、盾で喉元をがっちりとガード。

アルムも体格には見合わぬ俊敏さを発揮し、相手の攻撃を回避する。


「コレで終ワりダッ!!!!!」


ローグの叫びに応えるように、アルムが再び尻尾をしならせ攻撃を放つ。


ついに巨大な獣は重く地面に倒れ伏した。

呼吸は荒く、動きは鈍い。勝敗は決した。


ローグは息を整えながら盾を降ろし、相棒の背から静かに降りる。

アルムは誇らしげに低く唸り、勝利を祝福するかのように尾を振った。


「オレの相棒は最高だな、アルム」


ローグは相棒の頭を乱雑に撫で、薬草を与える。冷えた夜の空気の中で勝利の余韻を味わった。


霧の中に響く獣の遠吠えは消え、廃村跡には静寂が戻った。









 スラムの一角。その倉庫雑居ビルの一階を店に改造していた。

その中で、カイはタビットの姿に変装し、帳簿とにらめっこしていた。


「この仕入れルート、昨日より2%値上がりか……くぅぅぅ……このままじゃポーション類がまた赤字になるなあ……」

 頬を膨らませ、帳簿に赤線を引きながら頭を抱える。

 つぶれかけの文字と絵で埋め尽くされたノートには、経費・仕入れ・予測・在庫……と、かなり綿密な管理がされている。字は汚いが内容は濃い。


 その外では、子どもたちがせっせと動いていた。

 薬草を箱に詰める者、木の板を屋台にくくりつける者、小さな釜を磨いている者もいる。


「せんせー! この救命草、色がちょっと変なんだけど!」

 10歳ほどの少年が葉の端が黒ずんだ薬草を持ってくる。


「んー……あー、それは見た目が悪いけど、茎はまだいける。こうやって刻んで、ちょっと煮込んで……」

 即席の鍋に薬草を放り込み、火を灯す。辺りにすこし青臭い匂いが広がる。

ローグならもっと上手くやるだろうが、今はプリマと共にホワイトゴールドライガーの換金に行って居ないのでしょうがない。


「……ポーションってラベル貼れば……高く……売れる……かも!!」


 笑顔で言いながら、ラベルに「高級万能薬」と迷いなく書き込むカイ。

 子どもたちは「また始まった」と呆れたように笑い合っていた。


 屋上では、魔動で動くゴーレムが黙々と働いていた。

 全長2メートル、体は丸く、甲羅のようなプランナーとなっている。

 その背中には、簡易農園が広がっており、風に揺れる薬草の葉が静かにさざめいていた。リベリスがエレファントのじょうろでニコニコと水やりをしている。

 フレッシュゴーレムは巨大な鍬を器用に操り、黙々と土を掘り起こしている。

ファミリアで異常がないか確認したカイは独り言ちる。


「ちょっとだけ収穫早かったかなー……ま、薬効に影響ないはず。たぶん。」


 そのとき、通りかかった老婆が足を止めてぽつりと呟いた。


「あんたら、どこかの組の回し者かと思ってたけど……まさか、自分で店を始めるとはねぇ」


 カイは顔を上げてニッと笑い、ウィンクを一つ。


「ま、信頼ってのはね、地道にコツコツ積み上げるもんなんですよ、おばあちゃん!」


 老婆は「へぇ」とだけ言って去っていったが、その背中はどこか穏やかだった。


 カイは帳簿に目を戻し、最後の欄に赤ペンで記入する。


「今日の収支:±0……赤字じゃないだけ、進歩ってことで……う~~~ん……でもやっぱ厳しいかも……」


 頬をぽりぽりと掻いて、カイは道路に出て空を見上げた。

 薄い雲の隙間から、夕方の空が赤く覗いていた。









 夜、北東トライネア駅区の裏路地。魔動灯が滲む人気のない酒場の一角。

古びたランプの明かりが、静かに揺れていた。


 ティエンスに変装したレプティはテーブルの端に腰をかけ、脚を組んでいた。

机の上には無造作に置かれた短剣。その目は黙して語らず、対面の男を見据えている。

 商人風の男は、緊張からか額に玉の汗を浮かべていた。


「こ、これが……その、約束していた契約書です……」


 レプティは何も言わない。ただ、無表情で男の言葉を聞いていた。

 通辞の耳飾り――交易共通語を理解するためのマジックアイテムが、男の声を脳内に直接流し込んでくる。


 男は薄い笑みを貼りつけて続けた。


「条項通りに、ちゃんと……あの、ほら、割り当ても、あっ……!」


 レプティの右目がわずかに細められた。

 次の瞬間――男の指先が、ゆっくりと灰色に変わり始めた。


「な、な……!?」


 焦りで手を引こうとするが、変化は止まらない。

 石の皮膚が、じわじわと手首から肘へと這い上がってくる。


「や、やめてくれっ! ま、待ってくれッ! 言えば……全部渡す! 金だ! 金を渡せばいいんだろッ!?」


 男は半ば悲鳴のような声で叫び、鞄の中から金袋を取り出して机に投げ出した。

 金貨が散らばり、卓上で跳ねて止まる。


 レプティはそれを見て、石化の視線をそっと逸らした。

 男の腕が止まり、元の色へとじわじわ戻っていく。冷や汗を浮かべながら、男は力なくその場に崩れ落ちた。


 レプティは金貨の中から一枚を拾い上げ、ガリッと噛り付いて確認すると、満足げにそれを胸元へ入れた。


 言葉はなかったが、それ以上の“説得力”がそこにはあった。


 男は慌てて全ての金袋を差し出した。


「これで、全てお納めください……っ!」


 金貨が机に転がる音が、バーの喧騒を一瞬だけ飲み込んだ。









――三日後。拠点の会議室。

 テーブルの上に、ガメルの詰まった袋がいくつも並ぶ。


「依頼料、ギルドの補助、裏金込みで……十分ね。これで“正式な保護依頼”が出せるわ」


 レプティが目を細めて言うと、プリマが小さく息を吐く。


「よかった……リベリスちゃん、もう安心だよ。ギルドの名があれば、堂々と護れる。」


「……ありがとう。みんな」


 リベリスが小さく、けれど確かに微笑んだ。


「さて――いよいよ、ギルドに依頼を出すとしましょうか。」


 レプティのその笑みは、どこか狩人じみていた。

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