24話目 街に忍ぶ妖魔
天誅祭りから一か月が過ぎ、街はすっかり年の瀬の寒さに包まれていた。暮れも押し詰まり、人々は新年を迎える準備に忙しなく動き回っている。市場では商人たちの威勢のいい掛け声が飛び交い、干し肉や香辛料の山が積まれ、職人たちは最後の駆け込み仕事に精を出していた。
街道を行き交う荷馬車の車輪が、霜に覆われた石畳を軋ませ、路地裏では子供たちが湯気の立つ焼き菓子を頬張りながら、年の終わりを祝う賑やかな歌を口ずさんでいる。神殿では年末の祈りを捧げる人々の列ができ、夜になれば大通りの燭台が灯され、寒風に揺れる炎が街を幻想的に彩る。
一年の終わりを惜しむ者も、新たな年を待ち望む者も、それぞれの思いを抱えながら、街はひとときの喧騒に包まれていた。
そんな喧騒の中に、"人ならざる者" たちが紛れ込んでいた。
市場の屋根の上に、一人。
フードを深く被り、群衆を見下ろすように座る影――タビットの姿に化けたカイは、細い指を軽く振った。すると、その腕に止まっていた
「さあ、見て来ておくれ~。」
囁くような声に、烏は静かに頷くように鳴き、屋根の影に消えた。
街の動きを知るのに、自分が飛び回る必要はない。人間の世界を観察するには、目立たない"空の目" の方が適している。カイはそんなことを考えながら、彼は片目を細め、忙しなく動き回る人間たちを眺める。
「……なるほどね。年の終わりってのは、こうも騒がしくなるものなのか」
静かに呟いた声は、冬の風にかき消される。
路地裏に、一人。
ティエンスに化けたレプティは壁にもたれ、腕を組んだまま目を閉じている。だが、その聴覚は鋭敏に街の音を拾っていた。子供の笑い声、商人の声、酔客の騒ぎ――そのどこかに"異変" はないか。彼女の指先は、いつでも大鎌を抜けるよう微かに動いていた。
『……賑やかすぎるわね。』
感情の読めない声で呟く。静かすぎるのも嫌いだが、こうも浮かれ騒ぐ人間の群れの中にいるのは、それはそれで落ち着かない。
ドワーフに化けたローグは、頭からすっぽりと分厚いマントを被り、肌を極力見せないよう兜を被りフルアーマーの格好で人々の間を歩いていた。行列を成す屋台の食い物にちらりと視線を向けつつも、決して足を止めない。
『チっ……どイツモこいツモ、浮カレ過ぎダ。』
小さく舌打ちをしつつ、人の流れに逆らうように進む。彼の目は、遠くの街門へと向けられていた。
そして、狙撃手は影の中に。
グラスランナーに化けたインテゲルは、高台から街を見下ろしていた。
年の瀬の夜に揺らめく灯りを、何の感慨もなく眺める。
「……つまらん」
低く呟くと、手にした魔動機銃を僅かに持ち上げ、視界の隅で動く影を捉える。彼が狙うのは人間ではない。
この街の中に潜んでいる"本物の異物"――己が狩るべき存在を見定めるように、目を細めた。
妖魔たちは、静かに潜み、ただ"見ていた"。
――この街がどこへ向かうのか。
――自分たちは、この中でどう動くべきか。
寒風が吹きすさぶ年の瀬の街の片隅で、彼らはそれぞれの思惑を抱えながら、ひっそりと息を潜めていた。
商人たちは声を張り上げ、職人たちは最後の仕上げに追われ、路地裏では物乞いが小銭を求める。活気に溢れる中心街とは対照的に、その裏側では寒さと貧しさに震える者たちがいた。
妖魔たちは街の様子を一通り巡り、慎重に観察した後、外壁の外縁部に広がるスラム街へと足を踏み入れた。ここは街の余剰からあぶれた者たちが寄り集まる無法地帯。表通りの賑わいとは無縁の、荒れ果てた空間だった。
スラム街は、街の外壁をぐるりと囲むように広がっていた。汚れた布で覆われたバラック、ひび割れた石畳、路地裏に転がる酒瓶や骨の残骸。正規の街の光が届かないこの場所には、社会の枠から外れた者たちが集まっていた。
『人が集まりすぎれば、そこに居場所を見つけられない者も出る。そして、そういう連中は、力には従うものよ。』
レプティが、静かに言った。視線の先には、警戒しながらこちらを窺う男たちの姿があった。薄汚れた服、鋭い目つき、武器代わりの棍棒や短剣が見え隠れする。
暴力とは、知性あるものが決着をつけるのに最も用いられた手段であると過去の団長は言っていた。
戦争が無くならないのは、暴力による決着が最も納得させるのに適しているものだと。
そして、こうした場所にたむろする者たちは生物の根源的な支配を好み、強者に対しては従順である。強きを助け弱きを挫くじくとでもいうのか。自らより格下に対してはとことん強気になるが、格上に対しては驚くほど下手に出るものなのだ。
『ツマりヨぉ……コイツらを黙らせレバ、ここハ使えルって事カ?』
ローグが肩をすくめながら、周囲を見回す。フルアーマーの装備は布で隠しているが、それでも威圧感は隠せない。
『正確には、力を示せば、かな。』
レプティの言葉に、カイが小さく笑った。魔導書をこれ見よがしに開き不敵な笑みを浮かべる。
『さて、どうするか?じっくり交渉するか、それとも……手っ取り早くいくか?』
インテゲルが、魔動機の銃を軽く持ち上げる。冷え切った金属の感触が心地よい。
『まあ、あんまり荒らしすぎると、後が面倒だからねぇ……。サクッと済ませるとしましょう。』
スラム街の薄暗い路地裏で、レプティたちは無造作に転がるチンピラの身体を見下ろした。地面に散らばる短剣と、敗北を悟った者の表情が静寂の中に沈む。
『ま、こんなもんかしらね。』
『楽勝だったね。』
カイが軽く指を鳴らし、使い魔のカラスを飛ばす。その黒い影が空を舞いながら、周囲の動きを探っていく。
『さて、次は……。』
レプティの視線が、スラムの奥にあるここを縄張りとしている蜘蛛の巣団の拠点へと向いた。その名の通り、彼らはこの地区に絡みつく蜘蛛のように、縄張りを張っていた。だが、それも今日で終わりだ。
戦闘は短時間で決着した。蜘蛛の巣団の構成員たちは意外なまでに脆く、妖魔たちの圧倒的な力の前に崩れ落ちた。
『……ふむ。ちょっとあっけなかったな。』
インテゲルが魔動機の銃をくるりと回しながら、倒れた者たちを見渡す。その銃口はまだ冷え切っていなかった。
『まぁ、強さを示すだけなら、これで十分よ。』
レプティが小さく微笑む。彼女はこの戦いが終わる前から、次の一手を考えていた。
適当なチンピラを瞬く間に片付けた後、縄張りを仕切るギャングたちを力でねじ伏せる。その場の誰もが、突然現れた放浪者たちの実力を目の当たりにし、沈黙するしかなかった。
そして、しばらくすると、戦いの報を聞きつけたのか、奴が現れた。
『随分と派手にやらかしてくれたじゃねぇか』
その声は、戦場の余韻をかき消すように響いた。いつの間にか姿を現した男──ヒスウが、道の影からのそりと歩み出る。
薄汚れたローブを羽織った男が、悠然と歩いてきた。坊主頭で中肉中背、どこにでもいそうな顔立ち。しかし、どこか目の奥が笑っていない。
『あら、ヒスウ。遅かったじゃない』
レプティは、まるで旧友にでも話しかけるように軽い口調で言った。だが、その目は決して油断していない。
『テメェらが暴れてるっつー話を聞いてなちょいと顔を出しに来たってわけよ。で? 一体何のつもりだ? この場所で暴れりゃ、俺が出てくるのがわかってたんじゃねぇのか?』
ヒスウの目が細くなる。彼の周りには4人程の部下がいた。彼の性格的に伏兵も忍ばせているのだろう。部下の中でも特に目立つのは、バンダナを巻いた褐色の男だ。目元には傷があり、鷲のように鋭い目、がっしりした体躯、手には使い込まれたチャクラム。明らかに戦闘に慣れた男だ。
『あら、そんなに凄まないでよ。貴方、隣のシマに因縁付けられて居たんでしょ?大方、何で貴方がデカい面してるかってところかしら。派手に暴れたら理由なら、もちろんあなたを呼び寄せるためよ。でも、それだけじゃない。ここで戦うことで、あなたの周りにいる連中に、私たちの力を見せることができるでしょう?
“ヒスウの縄張りに、こんな奴らが現れた”って噂が広まる。それが意味すること、わかるわよね?』
レプティの言葉に、ヒスウはニヤリと口角を上げた。
『ハッ……頭の回る女だな。つまり、ここで俺に恩を売って、俺の縄張りでの影響力を使うつもりってわけか?そうやって好き勝手やられると、こっちもメンツが立たねぇが、まぁいいだろう。』
ヒスウは軽く指を鳴らすと、後ろから魔動バイクに乗った運び屋らしきフロウライトの女性が現れた。「生きた魔晶石」とも呼ばれる珍しい種族だ。
だが、戦う気配はないらしい。
『まずは、歓迎の品ってやつだ。』
部下が持ってきた袋には、レプティが好むコーヒー豆、香水、そして——少し大きめの子供用の服。
レプティの目が一瞬細められる。
『……気が利くじゃない。』
『そりゃどうも。ついでに、お前らが寝泊まりできる家も貸してやる。ただし、条件がある。』
『条件?』
『俺の部下、七暗器の連中を鍛えてくれ。それなりに頼りにされている奴らだ。そうすりゃ、お前らもこの街で少しはやりやすくなるだろ?』
レプティは小さく息を吐いた。七暗器——ヒスウの私兵ともいえる精鋭たち。しかし、ただの鍛錬を目的にした話ではない。彼らを送り込むことで、妖魔たちの実力を監視し、動向を探ろうという腹づもりだ。
レプティはその意図を察しながらも、微笑みを崩さない。
お互い顔には笑顔を浮かべつつも目の奥が笑っていない状況が続く。
『いいわ。ただし、監視のつもりなら、それなりの覚悟をしておいてね。』
ヒスウは肩をすくめる。
『お互い様ってやつさ。ま、せいぜい楽しませてくれや、お嬢さん。』
そう言い残し、ヒスウは部下達と共に姿を消した。
「……リベリスの情報はこちらが握っている、というわけね。」
プリマと共にマギテック協会に行っているのだから仕方ないとはいえ、相手にアドバンテージを与えてしまったと少し後悔する。
傭兵時代に
こうして、表向きは協力関係を結んだ二人。裏では互いの腹を探り合う冷たい駆け引きがありつつも、妖魔たちは新しい拠点を手にしたのであった。
暗い倉庫の中、妖魔たちが円を描くようにして立っていた。その中心に座らされたのは、プリマとリベリス。
「HEYHEYHEYHEYHEYHEY」
「HEYHEYHEYHEYHEYHEY」
「あうあうあうあうローグさんカイさん……そそそそれに皆さんも。いいいいやですよぉ怖い顔しちゃってぇ……ピィ....。」
プリマは縮こまりながら涙目で訴えた。だが、妖魔たちの視線は容赦なく彼女を見据えている。
カイは肩をすくめ、傍らに控えるアンデッドの使い魔に視線を向けた。白骨化した指先をカチカチと鳴らしながら、機敏なダンスを踊っている骸骨のような影。かすかに残る黒いオーラが、不気味さを際立たせていた。
「プリマ、僕はプリマが人間の側についていたことに関してそこまで気にはしていないよ。でもさぁ、さすがに戦ってしまった以上、何かしらの説明は聞かせてもらわないとね。」
カイは苦笑しながら、指を鳴らす。すると、アンデッドの使い魔がカタカタと骨を鳴らしながらムーンウォークでプリマに近ずく。
「ひぃっ!? な、なんでアンデッドを躍らせているんですかぁ....。」
「おおー、劇場のダンスみたーい!」
プリマは小さく悲鳴を上げ、リベリスはキャッキャと喜ぶ。
「マァまぁ、そンナに怖がるなッテ。別ニ今すグ何かスルつもりはネェかラヨ。」
「あの冒険者と一緒に依頼受けて砦に来たのだよな?」
ローグが腕を組みながら少し呆れたように言い、インテゲルは事実確認を行う。
「そ、それはっ……あの、そのぉ……ち、ちがっ……いや、ちがくなくて……えっと……その……ぴぃぃ……。」
プリマは完全に混乱し、言葉を詰まらせるばかりだった。ただでさえ、いきなり仲間に誘拐されて戸惑っているのに、周りで陽気にコサックダンスを始めたスケルトンがいるせいで情報量の処理が追いつかない。
「ええと、そのぉ……事故、です! じ、事故なんです! わ、私、悪気はなくて……! でも、その、お、お仕事はちゃんとしないとで……そ、そしたらその、戦う流れに……!」
プリマはガタガタと肩を震わせ、視線を泳がせながら必死に弁解しようとするなか、レプティが救い舟を出す。
「はいはい、2人とも気は済んだでしょ? これ以上いじめてあげるのは可哀そうよ。」
「わたしたちが知りたいのは、それだけじゃないの。あなたが、どうしてそうなったのか、どう思っていたのか。それをちゃんと聞きたいだけよ。」
「そ、そそ、そうですよね……そうですよね……。あ、あの、その……ええと……。」
必死に言葉を探すプリマだったが、そのまましばらく「あうあう」言いながら視線を彷徨わせる。
「……ちょット脅かシ過ぎタカ?」
「スケルトンがトラウマになっていた仮説はあっていたみたいだね。」
違う、そうじゃない。
プリマの涙目は、もう限界に近かった——。
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