16話目 絶望への扉

昨日一緒に食事をし、プリマという仲間が世話をしているというリベリスを救出する為、新米冒険者一人蛮族はメドゥーサやフッドのいる見張り砦へと進んでいた。


この砦は、ベルクフリートと呼ばれる住宅機能と防御機能を合わせ持った3階ほどの高さの塔である。このような構造なら中は螺旋階段で繋がっているのだろう。

その塔の周りには木で出来た簡易的な柵と堀がある。だが、慎重に進めば問題なく進めるはずだろう。


周囲はひんやりとした空気に包まれている。夕陽が沈む直前、森の影が深く伸びる中、一行は慎重に砦へと近づいていた。


木製の柵は所々壊れかけており、苔がびっしりと張り付いている。堀には水がほとんど残っておらず、乾いた泥が亀裂のようにひび割れている。


「音を立てないで。ここで気付かれたら厄介だわ。」


レベッカが小声で囁き、皆が息を潜める。プリマはこめかみに汗を浮かべながら、それでも足を止めるわけにはいかなかった。


砦の中からは、かすかな低い音――蛇が這うような音が聞こえる気がする。その幻聴は、砦の不気味な存在感を一層際立たせる。足元には小石が敷き詰められており、どれだけゆっくりと歩いていてもじゃりじゃりとした足音が消せない。4人は出来るだけ音を立てないよう砦に近ずく。


ペプシが暗視を活かしながら、静かに前方を確認する。闇の中で蠢く影の正体を探ろうとする姿が頼もしいが、同時に緊張が走る。レベッカは手の平に汗がにじむのを感じながら、どうにか声を絞り出した。


「リベリスちゃんが無事ならいいけど……。この砦に彼女が囚われているなんて。」


「落ち着け、冷静にな。必ず助け出そう。」


サーマルの力強い言葉が、ほんの少しだけ心を軽くする。そのような会話を聞きながらも、プリマの胸の奥では、砦の中にいる仲間たちのことが引っかかっていた。冒険者たちに彼らの存在をどう説明するか――その答えはまだ見つかっていない。







冒険者たちは砦の外周に近づき、木製の柵を見上げた。その向こうには堀があり、慎重に行動する必要がある。サーマルが塔の入り口の裏側の柵の隙間を確認し、手招きして促した。


「ここを潜れば行けるッス。」


全員が柵を潜り、堀の浅瀬を慎重に渡った。湿った足音が静寂の中に響くが、誰も声を発しない。


柵を抜けた先、砦の外壁に設けられた簡易的な厩舎が目に入る。その場所は塔の壁に寄り添う形で作られ、屋根の下には騎獣なのであろう、背には鞍や手綱が装着された亜竜が居た。


その亜竜はドラゴンの様に背に翼を持ってはいないが、その2足歩行の後ろ足、そして尻尾が異常に発達していた。尻尾を丸めている為正確には分からないが、尻尾を含まずとも4メートルほどの巨体、その筋肉質な体つきと厚い鱗が見る者に圧倒的な威圧感を与える。


鋭い牙と強靭な顎、そしてあの強健な尾の一撃は、今の冒険者では到底太刀打ちできるものではない。だが、キョロキョロと辺りを見渡しており、暗視能力は持ってないのか、闇夜では視界が制限されているようだ。


「(亜竜がいるぞ……あれは厄介だ。でぃのす って奴か?)」


「(いや、多分別種っスよ。詳しい品種はわかんないっスけど。)」


「(あれ、アタシ達で勝てる?あれを飼っている奴がいるってこと?)」


(アルム~~!!何でこんな時に限って外に居るんです!!)


屋根の下にはローグの騎獣であるニンブルドラゴンのアルムがいた。厩舎は暖炉の裏手に位置しており、石造りの壁がほんのりと暖かい。アルムはその熱を楽しむように身を丸めていたが、侵入者の気配を感じると低い唸り声をあげた。



アルムは低く唸りながらゆっくりと厩舎から這い出し、巨大な体を揺らして冒険者たちに近づいてきた。その目は鋭く、夜の闇でもその金色の瞳はわずかに光を反射している。その重々しい足音と低い唸り声が鼓膜に響き、ペプシが思わず拳を構え戦闘の意思を示すと、アルムは鼻をひくつかせた。


「止まって下さい、刺激しないでペプシさん! 戦闘となるとテンションが上がっちゃう子なんです!!!」


「GARUUUuu──アギャァ?」


「アルム!! メッ!!!!」


プリマが鋭く声をかけた瞬間、アルムはプリマの姿を認めたのか、唸り声を止めた。

そっして、プリマと冒険者の3人を交互に見て、ブフーと大きい鼻息を鳴らすと、やがて警戒を解き、再び厩舎へと戻っていった。

その仕草は、遊ぼうとしたら親に怒られて拗ねてふて寝する子供の様にも見えた。


(ありがとうアルムゥゥゥウウウウウウ!!!!)


「な、何だったんだ?」


「助かった……けど、これ以上は気を抜けないわね。」


「───何であの亜竜にアルムっていったんスか?」


「えぇっとぉ......手綱に書いてあったのでぇ、名前なのかなぁ~と?」


「でもおかげで助かりましたぜ!亜竜すら退けられるなんて本当に何でも出来ますね!」


「ペプシ、あんまり声を出さない。今まで以上に気を引き締めて向かうわよ。」


レベッカがそう言いながら、小石が撒かれた通りを指差した。一行はその道を静かに進み、砦の一階部分にたどり着く。古びた木製の扉に手を掛けたサーマルがそっと押すと、錆びた蝶番が悲鳴を上げ、砦の中の闇が、まるで口を開けた獣のように4人を飲み込む。






1階は食事と休息のためのスペースとなっているのだろう、中央には大きな木製の長机と椅子が並べられている。壁際には石造りの暖炉があり、そこには燃え尽きた炭がまだ少しだけ残っていた。暖炉の上部には鉄製のフックが掛かり、小鍋ややかんが吊るされている。砦の住人たちはここで食事をしていたのだろう。


床には意外にも食べ散らかされた食料の欠片が無造作に転がったりはしておらず、綺麗とは言えないものの、それなりに掃除されているようだった。

使用済みの食器も水場の隅に積まれており、洗浄する準備がされているかのようだった。


その無造作な状態だが、妖魔の巣であるならばもっと臭うはずだ。一部の上位種をのぞいて、奴等には衛生観念というものが無い。体を洗わないし、歯も磨かない。糞をしても尻すら拭かない不潔極まりない輩だ。実際、昼過ぎに戦闘をしたボルグが居た洞窟も匂いが酷かった。


「思ったより整然としてるわね。」


レベッカが周囲を見渡しながら低い声で呟いた。

食事のために使われている部屋にしては、あまりにも清潔すぎる。この砦が妖魔の巣だというなら、あり得ないほどの整頓ぶりだ。確かに妖魔たちは上位種を除けば衛生面に無頓着だし、荒んだ環境で生きるものがほとんどだ。だが、ここにはそのような雰囲気が全く感じられない。山賊が住んでいると言われた方が納得できるかのような空間だ。


その不自然さに胸の中で警戒心が湧き上がる。何かがおかしい。誰かがここを使っているとすれば、その正体が一体誰なのか、どんな意図でこんな整然とした空間を作り上げているのか。その疑問が頭をよぎり、さらに深く考える暇もなく、階段から甲冑のような金属が擦れる音が微かに響くのに気づいた。そして、ガシャ、ギャシャと言った足音を伴い、何かが降りて来る。足音から一人なのだろう。


一瞬で全員の視線がその音の源へと向かう。部屋の壁に螺旋状に階段が設置されている。自分らの心拍が速くなるのを感じながら、無意識に手が得物へ触れる。

彼らの目は、階段の上から降りてくる影に釘付けになっていた。


降りてきたのは二足歩行で肌の色が濃い緑の魔物───ゴブリンだ。

何かを呟きながら降りて来る。普通のゴブリンは人間の腰くらいの身長で、今の冒険者なら油断をしない限り問題なく倒せる。だが、上から降りてきたその影は、まるで一線を画しているようだった。


階段をゆっくりと一歩一歩踏みしめながら現れたのは、普通のゴブリンとは比べ物にならない強靭な姿だった。そのゴブリンは、身長が150cmほどもあり、普通のゴブリンより二回りほど大きく見える。


「|ᛏᚪᚱᚢᛗᚢᚾᛟᚤᚪᛏᚢ ᚾᚪᚾᛁᛋᛁᛏᛖᚾᚾᛞᚪ ──ᚾᚾ《アルムの奴何してンダ──ン?》」


無骨な鉄の大盾を片手に持ちながら、金属の鎧を身にまとっている。顔に浮かんだ不機嫌そうな大きく鋭い目つきは、まるで獲物を見据えているようだ。


レベッカが息を呑んだ。そのゴブリンの二の腕からは、鎧の下に鎧を着ているかのような筋肉が盛り上がり、その肉体はミノタウロスやオーガを想起させるほどだ。まるで、歴戦のドワーフの戦士のような体格を持っているのだ。目の前に現れたのは、普通のゴブリンとは比べ物にならないほどの威圧感を持っていた。


「|ᛈᚢᚱᛁᛗᚪ? ᛖ? ᚾᚪᚾᛁᛋᛁᛏᛖᚾᚾᛞᚪ《プリマ? エ? 何しテン》?」


「|ᛏᛁᚵᚪ....ᚴᛟᚱᛖᚺᚪᛏᛁᚵᚪᚢᚾᚾᛞᛖᛋᚢ《ちがっ....これは違うんです》!!」


そのゴブリンはプリマの方を見て困惑した表情を向け、何かを言っていた。恐らく汎用蛮族語なのだろう。それに対しプリマが何かを訴えかけ、ゴブリンは盾を構えた腕を少しおろす。



───その瞬間、3人の冒険者が先手を取りに動き出した。



大きく大きく、息を吸って、吐き、体内でマナを練る。それは、身体と精神を鍛えていく過程で、武と共に修めた肉体変容の技だ。目の前の敵から決して視線を外さす、目にマナを凝らす。音もなく、その身の内で一つの変化が起き、3人の瞳が一瞬揺れ、その瞳孔に一筋の線が走った。


錬技の一つ、『猫の如き俊眼キャッツアイ』だ。


───相手の動作の一つ一つが、つい数秒前よりも、ほんの少しであるが子細に見える。


サーマルは腰の矢筒から一本の矢を引き抜くと、素早く買い替えたばかりの弓に番え、ギュンという音を鳴らし弓を引き絞って放った。

放たれる豪速の矢は、困惑をしていたゴブリンの眼球に向かって一直線に飛んでいく。この矢は、相手の急所に当たりやすいとさえる〈閃牙の矢〉であり、1週間ほどの生活費もする高級品だ。だが、今ここで出し惜しみをすべきではないと本能が伝えている。


その瞬間、レベッカとペプシが左右にゴブリンを挟みこむように駆ける。


魔動制御球マギスフィア発動、ターゲットサイト ロック!!!」

レベッカの発した魔動機文明語の起動語コマンドワードに即応し、魔動制御球マギスフィアが瞳に力を与える。


そしてペプシは大盾を握っている右側からその速度を活かし、手数をもって体制を崩そうと拳を握る。リカント特有の獣の力と、『猫の如き俊眼キャッツアイ』にてその連撃は脅威となるだろう。

そんな3人の連携は、弱小なゴブリンならば何もすることが出来ず絶命していたことだろう。


───だが、このゴブリン、


サーマルの矢に一瞬目を剥いたが、盾を矢の方向に斜めに差し込むことでいなす。

盾が正面のサーマルの矢を受け流したことで空いた側面、顔と臓器、そして股間に蹴りを入れようとするが、その打撃に重装箇所をぶち当てる事で防御をされてしまう。


だが、そこに全力で攻撃を叩き込むレベッカがいた。正面、右側面の攻撃を連続で叩き込むことでレベッカは盾の無い箇所に斧を当てる事に成功した。

ドワーフ特有の筋力と器用さ、そこに『猫の如き俊眼キャッツアイ』と『ターゲットサイト』で更に予備動作すら完全に読み切ることが出来た。そしてレベッカの渾身の攻撃を叩き込む。


「はぁああああぁっ!!!!」


──ガキンッ


そう子気味いい金属音で斧は弾かれた。

ダメージが無いわけではないのだろう。ゴブリンは少し顔を顰めている。

だが、それだけだ。


「嘘.....でしょ?」


「盾の無い箇所にぶち当てたんだぞ!?」


「どんだけ硬いんだこいつ......!!!」




ᛏᛟᚱᛁᚪᛖᛣᚢ,ᛏᚪᛟᛋᚢᚴᚪとりあえズ、ブっ飛ばスカ。」


ゴブリンが体を大きく振りかぶるとその腕力に任せ盾を振り回す。

ペプシが咄嗟に横に飛び退き、レベッカも回避を試みるが、ローグの攻撃はその速度と破壊力で、彼らの位置を無理やり崩す。シールドバッシュと呼ばれるその戦法は、単に力任せではなく、敵の姿勢を崩す巧妙な技術が込められていた。


攻撃を叩き込んで隙が産まれたレベッカはその攻撃を避けることが出来ず、その攻撃を喰らってしまう。肺の中の空気が一瞬で吐き出され、骨が軋んだのを感じる。

二足では立っていられず、頭から倒れてしまう。


「ぐはっ…!」


「レベッカ!? くそ、なんて力だ……!」


サーマルは即座に次の矢を番えるが、ローグは盾で巧みに体を隠しながら距離を詰めてくる。その圧迫感、そして一撃で吹き飛ばされたレベッカの胴用でサーマルの手が一瞬だけ迷いを見せた。


「ダメだ、撃て!」


ペプシの声にハッとして、サーマルは矢を放つ。その矢は鎧の無い箇所を掠めるが、動きを止めるには至らない。

ペプシの攻撃ではそもそもダメージを与えることは出来ないだろう。

拳闘士グラップラーは豊富な手数で相手を押し切るが、一撃一撃が軽く、この相手のように防御力があるものが相手だとまともにダメージを与えられない。

絶望がジワリと冒険者の心を浸食し始めた───その時


「|ᚱᛟ-ᚵᚢᛋᚪᚾᚾ,ᚵᛟᛗᛖᚾᚾᚾᚪᛋᚪᛁ《ローグさん、ごめんなさい》! 【狂乱バニッシュ!!】」


「|ᚺᚪ ᛏᚤᛟᛗᚪ─ ᚵᚤᚪᚪᚪᚪᚪᚪᚪᚪᚪᚪᚪ《は? ちょ待──ぎゃあああああアアア》!?」


完全にプリマを戦力に数えてなかったのだろう。明らかに動揺した声をあげ、狂乱の声をあげながら砦の外へと逃げていった。その背に矢を番えるが、下手に【狂乱バニッシュ】が解けた方が危険と判断し、サーマルは弓をおろす。


「はぁっ、はぁ、えっと、あの、レベッカさんを治しますね!?【大治癒キュア・ハート】」


「痛てて.....何なのあのゴブリン。私の全力攻撃で血も流さないなんて。」

ありがとね、とお礼を言いながらも、レベッカの声に覇気はない。信じられない現実に脳の処理が追いつかないのだろう。


「こりゃ、早いとこリベリスちゃんを救出しなきゃまずいっスね。」


「あぁ、ただの妖魔と思ったら全員死ぬぜ。」


状況がさらに緊迫する中、冒険者たちは次の一手をどう打つべきか、判断を迫られる。あのゴブリンがこの拠点に入ってこれないよう扉を固く閉め、4人は2階へと向かう。

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