Peinture

 何年か前に帰省したときに、家族の用事を片付けるために市役所に行った時の話なんですけど…その「家族の用事」ってのがいろんな窓口を回らなきゃいけない、結構時間がかかるもので。

 私はただ単に車を出してあげただけで、その用事には無関係でした。

 だから、かなり暇だったんですよ。


 うちの地元は結構大きめの市で、県内でも県庁所在地に次ぐ中心地みたいな扱いをされているところです。だから市役所も建物自体がかなり大きくて、中に役所と市民センターと、あと演劇とかコンサートをやるホールが一緒に入っているような構造になってまして。

(そういえばここカフェあったよな、なんか食べよっかな~?)なんて考えながら建物の中をぶらぶらしてたら、ふっ、と目に留まった先に、「なんたら展示室」みたいな部屋があって、そこで小さな絵画展をやってました。

 地元のよく知らない画家の個展でした。

 正直言うとそこまで興味はなかったんですけど、まあ暇だし、たまにはこういうのを見てみるのも良いか…と思って入ってみたんです。


 素朴なタッチの風景画がずらーっと並んでました。

 その画家は…たぶん画家と言ってもほとんどアマチュアに近くて、「地元の絵が好きなおじいちゃん」以上でも以下でもないんだろうとは思うんですよ。実際、画家としての活動履歴みたいなのが入口に張ってあったんですけど、殆どがタウン誌の表紙とか、地元のお菓子メーカーのカレンダーとか、そんなのばっかりで。

 でも、個展を開けるだけのことはあって、どれもけっこう良い絵でした。

 しかも題材が全部地元の風景だったんで、懐かしい風景ばっかりで結構面白かったんです。(あ、これ、あそこの道だ!)とか、(この公園、子供の頃よく遊んだな~!)みたいな感じで。なんだろう、ストリートビューで地元を見て遊んでる時が感覚としては一番近いですかね。

 思いのほか楽しくなってきちゃって、どんどん会場内を進んでいきました。


 順路の最後に、同じ場所を題材にした四枚の連作が飾られていたんです。

 画面の構成でいうと、左側にはアスファルトの歩道があって、中央辺りに河川敷の斜面があって、右側には川が流れていて、奥の方に大きめの橋が架かっている…そういう風景を描いたシリーズだったんですけど。

 まず最初の一枚目を見たとき、ん?ってなったんですよ。

 実はそのシリーズの題材になっている場所っていうのが、私の家から割と近い場所だったんですね。なんだったら今日、市役所に来る途中も車であの橋を通ったぞ、っていう。

 だからわかるんですけど、その絵に変なものが描き込まれていて。


 画面左側のアスファルトの歩道よりも、さらに左の…場所としては河川敷の歩道の下ですね。絵の中では左端の、真ん中あたり。

 そこにちょっと見切れるかたちで、小さく一軒家が描き込まれてるんです。


 でも実際にはそんな家ないんですよ。


 確かに河川敷の脇…とギリギリ言えるような範疇の場所に何軒か家は建っているけれども、どれも河川敷からはちょっと距離を取ってるんです。

 なんでも、かなり前…私が生まれる何十年も前に水害が発生したことがあって、それ以来みんな河川敷のすぐ脇には家を建てなくなったんだよ、って母から聞いたことがあって。

 だから、河川敷の真横に家が建っているわけがない。


 最初は画面構成的な判断なのかなって思ったんですよ。ほら、構図的にそっちの方が良いから敢えて実際の風景とは逆に…右と左を反転して描く、みたいな。

 でも、正直その家を配置することによって絵の構図が引き締まっているかと言われたら…絵の素人から見ても、どう考えてもそんなことはないんですよ。むしろ、ちょっと邪魔に思えるぐらいで。

 それに、他の絵はどれも実際の風景に忠実に描いてるのに、これだけ現実の風景にないものを付け足しているから、違和感が物凄いことになってて。

 …なんていうか、この人って地域に密着している画家でしょう?絵の題材にしているのは一貫して地元の風景で、絵を発表する場所も地元だし、当然その絵を見る人たちも地元の市民なわけで。そう思ったら、なんでそんなことをするのか余計わからなくなっちゃって。


 …でも、絵の素人には分からないけどそういうもんなのかな、と自分を納得させつつ隣の絵を見て、ギョッとしたんですよ。

 その…明らかに他よりも荒れてるんですよ、絵が。

 確かに、全体的にちょっと素朴さを前面に出したような画風ではあったんです。だけど、それはあくまで表現手法の一部であって、技術的には丁寧に描いているな、ってことが素人目にも分かる感じではあったんですよ。そこまでの絵は。

 でも、その絵に関しては…下描きなんじゃないかと疑うぐらいに筆が荒れていて。

 だけど、例の家だけがやたら丁寧に描かれているんですよ。画面全体の中ではすごく小さい要素なのに、玄関のドアノブとか、窓のサッシとか、そういった細かい部分までめちゃくちゃ丁寧に描き込んである。

 え、何これ、と思って隣の絵を見たら、前の絵ほどではないけどそっちも若干雑な感じの絵で。それでいて家の描き込みだけがやたら細かい。


 その二枚を見たときに、(この人、家を描く口実として河川敷を描いてないか?)って感じたんです。

 でも…そんなのおかしいじゃないですか。実在しない家を描きたいのであれば、普通にその題材で一枚の絵を描けばいいだけの話で。わざわざ風景画の中に架空の家を忍ばせる意味が分からないですよね。しかも他の部分をないがしろにしてまで。

 あと、すごい嫌だなって思ったのが、二枚とも他の要素が雑に描かれているから、見ていると嫌でも丁寧に描きこまれている小さな家に目が向くようになっていて。

 なんか気持ち悪いなあ、って思いながら、その横にあった最後の絵を見たんです。


 その、最後の絵が…もう、雑とかってレベルではなくて。

 河川敷の風景が…輪郭も具体性も何もない、ただそれっぽく色を寄せ集めただけの、抽象画みたいな描き方になっていました。

 今までそんな描き方をしている絵、一枚もなかったんですよ。

 それで、左端に今まで以上に細かく丁寧に描き込まれた小さい家が建っている。

 完全に「この小さな家を描くためだけに他の部分を描いた」ってことが一目でわかる絵でした。


 それ見た瞬間、気持ち悪いとか通り越して普通に怖くなっちゃって、展示室から飛び出しましたよ。

 うわー、すごい厭なもん見た、っていう嫌悪感が凄くて…それからずっと、なんとなくぼやぼやした気持ちで一日を過ごしたのを覚えています。


 その画家ですか?う~ん…もう名前も覚えてないし…ちょっと気になって地元に帰る度にタウン誌の表紙とか見てみるんですけど、どうもあの画家の絵を表紙に載せていたのは私の実家がある地域とは別の場所のタウン誌だったっぽくて。

 だから、今も絵を描いてるかとか、そういうのはちょっとわからないですね。


 …いや、本当に普通の家です。めちゃくちゃ古い日本家屋とか、ボロボロの廃屋とかではない。

 壁が灰色で、屋根は紺色で、ちゃんと窓や扉が付いていて…そういう、住宅街の中に普通にありそうな、現代的なつくりの何の特徴もない家でした。

 だからこそ余計に気持ち悪かったんですよ。

 実際、結果として普通だったら速攻で忘れるような特徴のない家のことを、未だにこんなにはっきりと覚えているわけで。


 なんか…あの絵のことを思い出す度に、本物の悪意って、それと分かるようには存在していないよなー、みたいなことを柄にもなく思うんですよね。

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