第二章(執筆中)
結局、あの日から時を忘れたように描き続け、一週間でデッサンから油絵の半分まで進めてしまった。迷いが消えたからこそ創作に集中できるようになった。彼女の肌色や瞳の色の深さ、髪の艶まで、これまでかかわっていた間にしっかりと記憶していたことには我ながら気持ちの悪さを覚えたが、それほどまでに彼女しか見えていなかったことに気づいて、この創作を始めてよかったと感じた。サイズもF6号のいかにも標準的なサイズだったためにそこまで負担も多くなかった。6月の梅雨の重さを油絵の重厚なタッチで表現しようとの思いつきもうまくいった気がする。
「千明お疲れ。どう?制作は進んでる?ヤマから聞いたよ。『彼女』を題材に創作するんだって?」
私のアトリエに入ってきたのは彩女先輩だった。最近フランスで研修(という名の旅行)をしていたので会うのはあのアドバイスをもらった時以来だ。ちなみに「ヤマ」というのは私の師である山田先生の事だ。仲良くなっていくと教授の事をあだ名呼び出来てしまうのは人数が小さい専攻の特権だろう。
「彩女先輩、お疲れ様です。そうですね…。まぁ割と。このペースだと二週間で一つできそうな感じになってますね。彩女先輩のアドバイス、マジで参考になったんで。」
「あぁそう。それはよかった。…ところで、その『彼女』はどんな子なの?」
…優秀な先輩って、本当に恐ろしいんだ。こちらの顔を見ずとも“わかる”ようだ。
「…なんでわかるんですか。」
「ふふっ。わかるよ。だって、絵に現れてるんだもん。『彼女の事を想ってたまりません…!』っていうタッチしてる。」
「タッチで分かるの恐ろしすぎでしょ…。どんだけ天才見せれば気が済むんですか。」
「そんなつもりはないんだけどなぁ。…で。どうなの。教えてくれないの?」
精一杯話をそらして抜き足差し足で逃げるつもりだったのに。椅子から立ち上がった瞬間に両肩をつかまれて座らされたようだ。
「…水曜の一限の西洋史の授業で。初回に話しかけてくれたんです。私より少し小柄で、透明を具現化したような子です。文学部で日本文学を専攻してて、授業後にはいつもカフェスペースでアールグレイのミルクティーを頼むんです。」
「めちゃくちゃ見てるのね、その子の事。実は人に興味がないあんたからこんなに一人の話を聞くなんて、びっくりかも。」
確かに私は“コミュ障”と呼ばれる分類とは程遠く、リーダーやまとめ役に就任することが多い方だが、人に対しての興味は限りなく薄いと思う。美術専攻ということもあるだろうが、協働系の課題がない限りは個人対個人でいいし、ほかの授業も一人で受けることが多いし、製作時間以外は家に引き籠ってゲームをするのが自分にとっての至福なのだ。そんな私を理解してくれている人間なら、“そんな私が一人の人間について何かしているという状況”というのに驚くのは無理ないのかもしれない。
「そんなに想える人が大学でできるの、いいことだと思うよ。これまでの千明は想い人どころか親友という言葉すら知らないですって顔してたから。ヤマもその性格を鑑みて珍しさでこのコンセプト、許可したんだろうなぁ。私の学部時代の同期も好きな人について作品創ろうとしたことがあるんだけどさ、ヤマに却下されてたの、私知ってる。どうせ、ソイツはただいろんな手間を省いて楽をしようとしてたんだろうけど。」
過去にそんなことがあったなんて知らなかった。ということは山田先生にも私の性格がバレバレだったわけだ。まだ自分は二年生になったばかりだというのに。
「ま、頑張ってよねぇ。作品集、楽しみにしてる。個展開くんだったら呼んでよ。てか、困ったらできること手伝うから言いな。私、今年はファッションショーと卒制だけでかなり余裕ありそうだから。院進学もいい調子で打診できてるし、むしろ暇だから。よければギャラリーとかも紹介するよ。」
そういってアトリエのドアを閉めて去っていってしまった。ありがとうの言葉も言えなかった。
その数分後の事だ。咲来が進捗を見に来た。咲来も私の作品を楽しみにしてくれているようで、「初めて千明ちゃんが専攻の事をしてるの見た…。」とか、「油絵って面白いんだね!初めて見た!すごい!」と褒めてくれたりするのだ。
「今日も描いててえらい!私も実はちょっと飽き性だから、こうやってずっと座って絵描いたりするの無理なんだよなぁ。すぐ漫画見ちゃったり、ほかの事気にしちゃったり。」
「私もいつもはそうなんだけどね。でも咲来の絵だから早く完成させたくて。できて喜んでる顔、もっと見たいかもなんて。」
開き直った私は強い。咲来が少し顔を赤らめた気がする。「咲来かわいいフィルター」がかかってる自覚はあるからそう見えるだけかもしれないが。
「…それでさぁ…?」
ガラララ、と雑な音を立てて開いた扉。同じ部屋の同期達が帰ってきたようだ。咲来がすこし驚いて私に近づく。
「お、千明じゃん。制作やってたんだ。」
「う、うん。この時間に来るの珍しいじゃん、瀬川。制作でもすんの?」
「いや、大学ではなるべく制作しないって決めてっから。ちと画材取って帰ろうかなって。…てか、その絵、隣の子じゃね?え、可愛いじゃん。どこの子だよ。」
遊び人で有名な瀬川月(つき)が話しかけてきた。よりにもよって、咲来がいる今。
「初対面の女の子にそれはよくないぞ。黙って画材取って帰りなよ。」
「えぇ、めっちゃ可愛い子じゃん。俺、こいつの同期の瀬川月。よかったら連絡先でも…」
「うるさい。早く帰れ。私の友達だからやめてくれない。ホントに。」
「友達に独占欲??嫌われるぜ??」
一番めんどくさい捨て台詞を履いて瀬川は出ていった。その間、咲来は一言もしゃべらなった。
「…ごめん咲来。変な人に顔覚えられちゃったね。あいつヤバい奴で有名だから。ほかのところで話しかけてきても無視するんだよ。」
「う、うん。なんか、私、ああいう人苦手なんだよね。無視するから大丈夫。なんか心配かけちゃってごめんね。ありがとう。」
よほど怖かったのか、私の服の裾を掴んでいる。
無題 天見結葉 @AmamiYuiharts
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