第24話 ヒビ

「明日も学園だし早めに寝るかぁ……」


 夕食を食べ、お風呂に入って時刻は夜の8時過ぎだった。今日はこれまで不足していた睡眠時間を取り戻すかのように睡眠をとっていた。それでもまだ眠いという感覚は残っていた。


「ん?電話?」


 明日の学園の準備をしているとスマートフォンから着信音が聞こえた。


「葛城……?」


 着信相手は葛城だった。一体何の用だろうか。


「もしもし」


「………………」


 返事は返ってこなかった。その瞬間嫌な予想が頭をよぎる。


「…………葛城?」


「…………うん」


「驚かすなよ。誘拐されたのかと思っちゃったぜ……」


「……そんなわけないじゃん。考えすぎだよ」


「何か元気ないな?大丈夫か?」


「…………まあね……」


「今日たくさん寝たけど俺もまだ全回復って感じはしてないわ」


「そっか……」


 葛城の声にはいつもの元気がなかった。それどころか疲労困憊という感じだった。


「で、何か用?」


「…………話したいことがあるの。今から……例の公園で会えない?」


 例の公園というのは葛城が義冥として歌っていたところに出会った公園のことだろう。


「今から?話って明日じゃダメなのか?」


「……今、話したい」


「俺1人でか?」


「…………うん。生駒君、1人で来て」


「………………わかった。すぐに向かうよ」


「うん。ありがとう」


 電話はそこで終わった。


「……行くか……」


 本当は断ろうと思った。しかし、葛城の声があまりにも深刻な声をしていたのだ。先延ばしにしたらダメだと直感的に感じた。


「………………胸騒ぎがするな……」


 この胸騒ぎが気のせいであることを祈り、俺は着替えた。



「お待たせ」


 俺が公園に到着するとすでに葛城は到着していた。


「…………ゴメンね。急に呼び出して」


「いや、別に何かしてたわけじゃないから問題はないんだけど……」


 葛城の顔を見て、俺の言葉は止まる。


「お前……大丈夫か?」


 理由は葛城があきらかにやつれていたからだ。1日でこれほど変わるものなのかと驚いた。


「ん?あー……たぶん」


「寝てないのか?」


「……まあね」


 この時点でしょうもない理由で呼び出したわけではないことが確定した。そうであればお前ふざけるなよで終われた。そうであって欲しかった。


「…………………」


 なぜ呼び出したのか理由を聞かなければいけなかった。それなのに俺は聞けない。聞いてしまうと何かが壊れてしまう予感がした。それも致命的なくらいに。


「…………………」


 俺が聞かないからといって葛城から話を切り出してくるわけでもなかった。きっと葛城も話をすれば何かが壊れてしまうということをわかっているのだ。俺達は妙な雰囲気で沈黙をしてしまう。


(話ってまさか……あれか?告白的なやつ……?いや、でも葛城がそんなタイプにも見えないし……)


 夜の公園に呼び出して2人っきり、相当悩んでそうな顔、そこから導かれる答えは告白しか考えられなかった。葛城からは悪い感情は向けられてはいないと思う。しかし、それは好意ではなく友人としてのそれだと感じていた。それに俺には莉愛がいる。恋人がいるとわかって告白をするのは色々と問題がある。葛城がそれをわかっていないはずがなかった。


「…………話……なんだけど……」


 痺れを切らしたのか葛城が口を開く。


「お、おう…………」


 まだ俺は葛城の話を聞く心の準備ができていなかった。しかし、それは俺の問題であり、葛城は待ってくれない。


「……こ、これ……」


「え……?」


 葛城は紺色の物を手に持っていた。予想外のことではあったし、それが何かはパッとわからなかった。


「何これ?」


「……とりあえず受け取ってもらっていい?」


「あ、ああ……」


 俺は言われるがまま、紺色の物を受け取る。


「これって定期入れ……?確か莉愛がこんな感じの定期入れを持っ…………」


 その瞬間、俺は全てを察した。


「………………」


 身体中から嫌な汗が吹き出し、頭はパニックになる。


「…………」


 葛城は俺の瞳を見ている。


「…………見た……のか……?」


 この発言は失言だったのだろうか。とりあえず俺の口から出てきた言葉はそれだった。


「……うん」


 わかっていた。見ない方がおかしいのに聞いたのはきっと僅かな可能性に賭けたからだ。当然、そんなことは起こらなかった。


「どこで……これを……?」


「私の家。昨日、2人が帰った後にソファーに置いてあるのを見つけて……」


「…………そうか……」


「悪気があったわけじゃないの……。どちらのか確認しようとして……裏返したら……名前が見えちゃって……」


「………………」


「ねえ……」


「っ……」


 この後に葛城が俺に何を聞くのかがわかってしまった。聞きたくない思いからか俺は目を閉じてしまう。


「…………ヨシノ……リサ……って……誰……?」


「………………」


 ついに来てしまった。この質問を聞く日が。逃れられないとわかりつつも俺はこの日が来ないことを心から願っていた。


「ふうーーーー…………」


 俺は大きなため息をつく。これほど昨日に戻りたいと思ったのは初めてだ。しかし、人間は過去には戻れない。これは至極当然のことだ。誰だってわかっている。こうなった以上俺が取れる手段は1つだった。


「頼むっ……!!お前が見たこと……全部忘れてくれっ……!!」


 なんて身勝手な発言だろう。葛城のことを一切無視したあまりにも我儘な発言。最低な行動。しかし、ほかに手段はなかった。


「え……」


 葛城は驚いている。意味が分からないといった感じだ。その状態の葛城に俺はさらに畳みかける。


「ち、ちょっと……」


 俺は公園であることを気にせず土下座をする。情けないことこの上ない。


「……葛城の疑問は当然だ。そして、これが身勝手なお願いであることはわかってる。でもっ……頼むっ……。定期に入った名前のことは忘れてくれっ……」


「え……えっ……」


 葛城の質問を受け入れず、質問はこれ以上させない暴君そのものだった。


「と、とにかく頭をあげてよ……。話もできないし……」


「悪いがこれ以上このことについて話すことはない。お前がこのことを忘れて、誰にも言わないと言ってくれるまで……俺はこの頭をあげられない……」


「何それ……。そんなの卑怯だよ……」


 葛城の発言はもっともだ。しかし、俺にも譲れないものはあった。


「……頼むっ……!!」


 俺は額を地面に擦りつける。額が痛いがそんなことを気にする余裕はない。


「…………………………わかった。忘れる……よ……」


「本当かっ……!!」


「……うん。納得は……してないけど……」


「本当にゴメン。いくら葛城でも……これは言えないんだ……」


 俺は額をあげる。


「もう土下座は……やめて。私はこんなことさせるつもりなんて……」


「あ、ああ……」


 葛城の声は辛そうだった。俺の心は痛んだが、元凶の俺にそれを心配する権利はない。


「これも……俺の都合で申し訳ないんだが……明日からは俺達とこれまで通りに接して欲しい」


 特に莉愛とはという言葉は付けなかった。


「……わかった。忘れるって言ったからね……」


「ありがとうっ。ありがとう……」


「…………私、帰るね……」


「……ああ」


 葛城はゆっくりと振り返ることなく公園から出て行った。俺はその背中を見守ることしかできなかった。


「…………ゴメンっ……」


 自分の最低な行動にめまいがする。同時に葛城に辛い思いをさせてしまったという罪悪感からか涙があふれる。


「泣きたいのは葛城の方だろっ……。俺に泣く権利は……ないっ……」


 そう悪いのは俺なのだ。


「これまで通りに接してくれって……言ったけど……無理だよな……」


 俺に対してもだし、莉愛に対してもなかなか難しいだろう。この1カ月で積み上げた関係にヒビが入ってしまったことに後悔しかない。きっと俺達はもうこれまでのようには過ごせないだろう。


「……とりあえず……電話しなきゃ……」


 スマートフォンで俺は莉愛に電話をかける。


「もしもし、幸一君?こんな時間にどうしたの?」


「…………」


 莉愛の明るい声に心が痛む。


「ああ……。お前……定期を俺の鞄の中入れただろ」


「えっ、ちょっと待って……」


 電話の奥でガサゴソと動く音が聞こえる。


「ホントだ……。ない。私、幸一君の鞄に入れちゃってた?」


「ああ」


「本当にゴメン。すぐに取りに行くよ」


「いや、明日の朝に渡すよ。夜遅いし」


「……ゴメンね……。怒ってる?」


「ああ。怒ってる。お前が定期を落としたら何が起るかわかってるよな?」


「うん。だから、定期を落としていないかはこまめに確認してるんだけど……。愛依の家で確認した記憶がない……です……」


「おそらく癖で落としてないかを確認して、戻すときに隣にあった俺の鞄に入れたんだろ」


「……そうだと思う……」


「気を付けろよ」


「うん。ゴメンね」


「……俺、眠いし寝るわ」


「お休み」


「ああ、お休み」


 電話が俺は大きなため息をつく。それは莉愛に嘘をついたことに対してだ。


「…………」


 葛城に定期を見られたなんて話すことはできなかった。話せば俺達は終わる。一番穏便に事が収まる手段をとったと信じるしかなかった。これからの日々は一体どうなってしまうのだろうか。


「はぁ……」


 俺はもう一度ため息をつく。気温が低くなってきたからかため息は一瞬白くなった。


「くっ……ぅぅぅうう……」


 涙が堪えきれない。このやらかしは絶対にやってはいけないことだった。たとえそれが信用できる友人の葛城であっても。


「あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ……!!」


 俺は膝から崩れ落ちる。こうなってしまったのは俺が学園祭を楽しんでしまったからなのだろう。これは天罰だ。学生生活を楽しんではならない俺への。

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