#52 人質
しばらく動きはなかった。見張りが二度ほど交代し、雨脚も弱まり始めた。
(突入した村民が戻って来ないな。2、3人殺されたら逃げ帰ってくるかと思ったが……全員殺されたか、あるいは人質のせいでずっと膠着してるのか?)
状況がわからないのは焦れるものがあった。といってもラインハルトが気にかかるのは人質や村民の無事ではなく、刺客があと何人残っているかだ。
懐中時計を確認すると、基地を出る前に「帰着予定時間を過ぎても戻らなかったら援軍を派遣しろ」と副司令官に命じた時刻を過ぎていた。
援軍は定刻を過ぎたら基地をすぐ出発するので、あと一時間程度で到着するだろう。橋が落とされたので村に入るには多少時間がかかるかもしれないが、舟をつなぐなり木を渡すなり、今日中には合流できる。
(援軍が到着したら、あいつらは海を泳いででも逃げるか……? せめてカディルだけでも尋問用に捕まえたいが。さっき逃がしたの痛かったな……こっちから打って出るか? 俺を囮にしたら来てくれねぇかな。俺を殺しに来たんだからもっと根性見せて襲いに来いよ)
窓の外を見ながら考え事にふけっていると、「それ以上近づくな!」という見張りの怒鳴り声が外から聞こえた。
緊迫した空気を感じ取って避難中の村民がざわつく。
ラインハルトは腰のサーベルを確かめると、護衛が止めるのも聞かずに外へ出た。
集会所は大通りに面しており、入口はひとつだけ。
大通りの両脇には防衛のため家具や荷車、木箱といったもので簡易的に
「大した悪役ぶりだな!」
吹き矢が届く範囲外なので、ラインハルトは身を隠すこともなくカディルを笑った。背後に隠した手指のジェスチャーで近衛に指示を出し、気づかれないよう回り込めと伝える。シドかタシュカルがいれば伝わっただろうが、近衛たちはラインハルトの指示に気づかず、バリケードに身を隠すと次々に刺客に銃を向けた。
陽動を自覚しての行為なら演技賞だが、仲間が殺されて近衛隊は頭に血が昇っていた。今すぐ撃ちたくて仕方ない様子だ。
敵より射程が長く、殺傷力の高い火器は驕りを生み、自制心を削る。ラインハルトが銃を嫌う理由の一つだ。
ベテランが負傷して離脱し、諌め役を失った若い兵士たちはチンピラと変わらなかった。早まらぬよう下がらせたいくらいだが、ラインハルトは交渉と陽動で手が回らない。兵が制御不能状態になっているとバレて、敵に付け込まれたくもなかった。
(これは人質は無理かな……)
真に警戒しなければならないのは人質を取った刺客より、それを陽動にして隠れているだろう刺客のほうなのだが、そこまで考えて対処する余裕は兵たちにはなさそうだった。
そうなったら人質の安否は度外視で、とにかく撃たせるしかない。若い女と赤ん坊の命を諦めれば刺客数名が確実に排除できるなら、成果としては悪くなかった。女と赤ん坊は可哀想だが仕方ない。
「血に飢えた獅子め……っ、それがあなたの本性ですよ! 民の命なんかなんとも思ってない! あなたみたいな人間を皇帝にしたら、この国は終わりだ!!」
人質と刺客の後ろからカディルは叫んだ。よく見ると刺客とカディルは負傷していた。
村民有志の突撃隊は頑張ったようだ。結果、皆殺しにされたのだろう。
人質はふたりとも返り血で汚れていた。目の前で自分を助けに来た家族が殺されるのを見たなら気の毒なことだ。
(もしかすると、突撃隊が刺客のうち何人かは殺したのかもな。それで余裕がないのか?)
周囲を見回しても伏兵が隠れられる場所は限られていた。危険な博打に出ていることからも、刺客の残りはもう少ないのだろう。
「聞いてるんですか、殿下!」
責め立てる言葉に無反応なラインハルトにカディルが叫ぶ。
「いいや? なんで俺がお前の言うことを聞かなきゃならねぇんだよ」
屋根の上かなと見上げると、霧雨と死角で見づらいが刺客が一人いた。ラインハルトが「撃て」と命じる前にそいつは撃たれて屋根を転がり、目の前に落ちてきた。胸を一発で撃ち抜かれている。
(……誰が撃った?)
ラインハルトの警護のためにこの場にいる近衛は誰も発砲していない。刺客が屋根の上にいたことすら気づいていなかったようで驚いている。
この場にいる人間をラインハルトはさっと確認した。いないのはセディク・クーアだ。ラインハルトの手指による指示に気づいて、こっそり人質救出のために回り込んでいるんだろう。
(あいつなら人質救出で頭がいっぱいになってそうなものだけどな。よく気づいたもんだ)
称賛ものの働きだった。この場にいる兵に撃たせても、角度的に仕留められたかは怪しい。よく自分で判断して撃った。
刺客とカディルの顔色は明らかに悪化していた。撃たれた刺客が数少ない伏兵の一人だったのは間違いないだろう。
ここぞとばかりにラインハルトはカディルを煽り立てた。
「なんだっけ? 俺が血に飢えた獅子? まあ、なんとでも言えばいいけどな。俺は戦死した副官の家族に会いに来ただけだ。そこを刺客引き連れたお前に襲われた。関係ない村の人間を人質にし、家族を取り返しに行った男たちを殺したの誰だ? それをお前に命じたのは? 俺よりさぞ皇帝にふさわしい奴に仕えてんだろ。そいつの名前を言ってみろ!!」
煽るうちに腹が立ってきて、ラインハルトは怒鳴り声を上げると
ひっとカディルが刺客の背後で怯えた声を上げる。この期に及んでもカディルは暴力に不向きな臆病者だった。それがラインハルトには余計に卑劣に感じた。自分で戦う気もない奴が、内通して裏切って死人を出しても、「お前が皇帝にふさわしくないからだ」と自己を正当化しているのだ。
(やったことは必ず後悔させてやる。拷問して「いっそ殺してくれ」って言わせてやるからな……っ)
ラインハルトの怒りを感じ取ってカディルは震え上がっていた。
人質に短剣を向ける刺客二人が外国語――おそらくペルシア語――でカディルを叱咤した。彼らは帝国語がほとんど話せないのだ。交渉はカディルがするしかない。
「人質を殺すと言え――とでも言われたか? 殺した瞬間、お前らは全員蜂の巣だ。なのになんで俺が従うと思う? 俺が血に飢えた獅子だってお仲間は知らないのか? 教えてやれよ。俺に人質は効かない」
暗殺者たちはペルシア語でラインハルトを罵った。言葉はわからなくても罵る様子だけは世界共通だった。
青ざめた顔で、カディルはキッと顔を上げた。
「あなたはそういう人です。ただの村人じゃ人質にならないとわかってました」
「なら解放しろよ。無駄に死人を増やすな」
人質のうち、娘のほうはずっとうつむいて震えているし、赤ん坊は泣きわめいていた。
「死んでも仕方ないな」と思っているとはいえ、「死ねばいい」とまで思っているわけではないので、ラインハルトだってできれば人質を助けたかった。
娘と赤ん坊はただ、自分の命をかけるほどの存在ではないだけだ。
「女性と赤ん坊は、ただの盾です。僕らは本当の人質を確保しています。……シドさんの母君を」
その言葉を聞いた瞬間、ラインハルトは全身の血が沸騰するような怒りを感じた。
目の前が赤く染まってサーベルに手が伸びる。
それでも歯を食いしばってラインハルトは耐えた。冷静になろうと努めた。
(本当に人質にしてるなら連れてくるはずだ……っ)
なによりカディルの言葉が事実なら、リーシャのことに触れないのはおかしい。二人は一緒にいるのだから。
(……殺したのか?)
カディルはリーシャの顔を知っているが、暗殺者たちは知らないはずだ。
少年の格好をしたリーシャを『将軍が護衛に付けた従僕』だと思って殺したなら――。
「てめぇ、ぶっ殺してやる!!」
気付いたときにはラインハルトはサーベルを抜いて駆け出していた。
閣下!と叫ぶ護衛たちの声が後ろで聞こえる。
怒りにかられてしくじったと気づいたが、もう止められなかった。
刺客たちは片手に短剣、片手で人質を抱えている。毒の吹き矢が飛んでくる可能性はない。
(ここで仕留めてやる……!)
自分の命を守るためには刺客を殺しきるしかなかった。
死ぬわけにはいかなかった。母の仇を取るまでは、どんなに血にまみれようと戦うと決めたのだ。
人質の娘が刺客の手を振り払い、助けを求めてラインハルトの前に飛び出した。邪魔なので押しのけようとして、ラインハルトは勘違いに気づいた。
娘は短剣を持っていた。ラインハルトを見る目には明確な殺意があり、冷静かつ的確にラインハルトを狙っていた。
(こいつ、刺客の一味か……!)
短剣ごと体当たりしようとしてくる娘をかわせない。短剣には毒が塗られているはずだ。前回はかすり傷だったのに死にかけた。深く突き立てられたら、次はもう助からないだろう。
(クソ……っ)
銃声がした。
頭を撃たれた女がラインハルトの目の前で倒れる。
九死に一生を得たことに気づいて、ラインハルトは即座に立て直した。娘を人質に取るふりをしていた刺客を刺し殺し、カディルの耳を削ぐ。
「ぎゃあ!」
「うるせぇ、耳くらいで叫ぶな!!」
尋問の必要があるので、カディルだけは殺すわけにはいかない。代わりに顔面を思い切り殴りつけた。痩せた元補佐官は鼻を折られて吹っ飛んだ。
(あと一人……!!)
残りの刺客は赤ん坊を人質にする男だけだ。
最後の刺客に向き直って、やっとラインハルトは誰が撃ったか理解した。
娘はラインハルトの体に隠れて、後方の近衛たちからは完全に死角だった。横から撃てるとしたら、回り込んでいた人間だけだ。
皇子に当たるかもしれない状況で、自分で判断して発砲できる人間は少ない。猶予が少なければなおさらだ。
娘が隠し持っていた短剣を取り出してラインハルトに襲いかかるまで、ほんの数秒しかなかった。最初から娘を怪しんで狙いをつけていなければ撃てたはずがない。
良くも悪くも善人のセディクにそんなことができるか――違和感はずっとあった。
(なんて無茶を……っ)
煙を上げる銃を構えていたのは、リーシャだった。
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