#51 仕方のない犠牲



 集会所に着くと同時にとうとう雨が降り始めた。雨の中では火器は不利だが、それは刺客の使う吹き矢にとっても同じだ。飛距離が落ちる分、より近づかなければならなくなる。

 村民かどうか判断させるためという名目で、ラインハルトは兵士と一緒に村の男を見張りに立たせた。卑劣な暗殺者から皇子将軍を守るという栄誉に男たちは興奮し、率先して協力を申し出てくれたのだ。

 刺客の吹き矢が村の男たちに当たってくれれば、兵の損耗なく貴重な毒矢の消費が期待できる。そのためにラインハルトはできるだけ大げさに男たちの助力に感謝し、「お前たちが頼りだ」と煽り立てた。

 小さな村の住人達がいくら死のうと、ラインハルトの懐は痛まない。大げさに褒めるし頼りにするし、死んだら盛大に悼んでやるから兵の身代わりになってくれというのが将軍としての本音だ。

 村民と違って兵士には育成に金も時間もかかっているからだ。

 だが当の近衛たちは村民を煽り立てるラインハルトに不審感を覚えているようだった。


(人選をミスったかな……)


 そばにおくなら裏切りに抵抗を持つような善良で単純な人間が望ましい。結果、ラインハルトの護衛を務める近衛隊はそうした人間が多かった。


(せめてタシュカルが生きてたら俺の代わりをさせたんだが……)


 近衛隊の隊長は、毒がひどく効いたようで先ほど息を引き取った。不運なことだ。

 おかげでラインハルトは冷酷な命令役を押し付ける相手を失い、兵の信頼を失う危機だった。できることなら「今、村民をかばう善良さは弾除けにもならねぇんだよ」と説教したいくらいだが、やったら逆効果だろう。


(姫と母上は大丈夫かな……)


 雨のおかげで集会所に火をつけられる危険性は下がった。様子が知りたいし迎えをやりたいが、兵を分散するのは悪手だった。最悪二人が人質にされかねない。そうなったらラインハルトには詰みだ。

 見知らぬ村民なんかどうでもいいし、兵の命だって諦めがつくが、一生大事にすると決めた人たちを失うのは耐えがたい。継承戦のためにラインハルトはすでに母を失った。これ以上、自分や自分の人生に絶望しないためにも、大事な人たちだけは守りぬきたかった。


「た、助けてください……っ」


 ずぶ濡れになった村の男が集会所に飛び込んできた。まだ集会所に避難できていない家に声をかけに行くと言って出ていった若い男だ。

 血相を変えてラインハルトに向かってきた男を近衛兵たちが捕まえて押し留める。

 彼はその場に膝をついて「お願いします、助けてください」と汚れた布の包みを差し出した。

 兵がいぶかしんで包みを開くと、中に入っていたのは血まみれの人の指だった。


「バリスの家に行ったらバリスが殺されてて……っ、セルマと赤ん坊が――!」


 人質にされたか。予想の範囲内だった。


「連中はなんと言ってた?」

「女性と赤ん坊の命が惜しければ、殿下に一人で来るようにと……」


 血相を変えて村長がやってきた。切られた指を確かめると、彼は這いつくばってラインハルトに頭を下げた。


「セルマは私の娘なのです。どうか助けてやってください……っ」


 ラインハルトは自身が占有している広間の一角に村長を呼び、声をひそめて告げた。


「悪いが、それはできない」

「そんな! 赤ん坊は生まれたばかりなのです。どうか……っ」


 ラインハルトは状況を説明した。


「この雨のせいで銃が使えない。対して向こうは毒の吹き矢と短剣で待ち構えてる。俺の命を狙う連中が、俺が行ったところで大人しく人質を返すと思うか? あんたの娘と孫のせいで俺が死んだら、汚名とともにこの村は地図から消える。付近の村もついでにいくつか焼き討ちにあうだろう」


 保身ではなく、あくまで村のために軽率なことは出来ないんだというていでラインハルトは言い聞かせた。大嘘である。

 皇子がそんなに大事にされていたら、そもそも皇子同士で殺し合いなんかさせられていない。

 だが村長は信じて絶望的な顔になった。


「せめて兵隊さんに娘と孫を取り返しに行かせていただけませんか……っ」

「こいつらは俺の護衛だ。行かせることはできない」


 代わりにラインハルトは死傷者のサーベルを持ってこさせて、村長に手渡した。


「敵国が攻めてきたら俺は将軍として命がけで戦う。だが皇子として、人質をとった暗殺者に従うことはできない。……大事なものは最後には、自分で守るしかないんだ」


 震える手で村長はサーベルを受け取った。

 ラインハルトは避難した村民のところへ行き、声を張り上げた。


「卑劣な敵は村の人間を殺し、赤ん坊と母親を人質にとった。村長は娘と孫を自ら取り返しに行くと決めた。助力してやりたいと思う勇気のある者は一緒に行け! 武器は貸してやる」


 ラインハルトが煽り立てると、体格のいい男が何人か立ち上がった。ラインハルトは彼らにも余った武器を貸し出し、送り出した。


(これで敵の一部なり、武器の一部を使い物にできなくさせたら御の字だな)


 戦場では敵が女子供を人質にしたり、盾にすることはままあった。

 交渉が失敗すれば人質の命は無視して制圧するのが常道だが、厄介なのは人質の命惜しさに家族が裏切る場合があることだ。

 今回の状況でもラインハルトが一番警戒していたのは、刺客が村民の振りをして襲ってくることと、家族を人質に取られた村民に襲われることだった。だから先手を打って村民を集め、こちらが味方で向こうは卑劣な敵だと印象付けたのだ。

 村民がみんな敵側についたら、こんな護衛ではひとたまりもない。


(……姫がいなくて良かった)


 リーシャやタマルに「助けてあげて」と言われたら断りにくい。タマルは説得できるかもしれないが、リーシャは騙せないだろう。

 こうなることを承知の上でラインハルトは暗殺者たちをおびき出した。村人に犠牲を出しても決着をつけることを優先したのだ。


(俺は自分だけ犠牲になる気はない)


 帝国は皇子たちによる熾烈な皇位争いを繰り返してきた国だ。

 時に内乱は長期化し、政治の停滞や国力の低下を招いたため、即位の際には他の皇子を皆殺しにすることもやむなしとされた。

 国のためなら無能な皇子は犠牲にされても仕方ないと、父親に、国に、そして国民に判断されたのだ。


(俺は父親も、この国も、国民も、本当は大っ嫌いだよ……)


 ただ生きてるだけで命を狙われる。それを是とされる。

 その果てに母を殺された。優秀じゃなくても息子には生きてほしいと願ってくれた、たった一人の人だったのに。


(俺は無辜の民の命なんかどうでもいい……)


 どうして何も悪くないような顔で、弱いから助けてくれなんて言えるのか理解できない。

 皇子のことは死んでもいい、内乱で国が乱れるよりは――そう思ってきたくせに。声を上げず、変えようともせず、何もしないことで同意してきたのに、皇子に助けてもらおうなんておこがましい。

 命を狙われないだけ、彼らは恵まれている。

 ただの平民に生まれたかったと、どんなにラインハルトが思っているか彼らは想像もしないんだろう。


(……姫に会いたいな)


 どうしてそう思うのかわからない。

 この孤独も、怒りも憎悪も、皇子に生まれつかなかった者には理解できないだろう。女性には特に――そう思ってきたのに、リーシャには話してしまいたくなる。彼女は理解してくれるんじゃないかと、もしかしたらすべて彼女はもうわかっているんじゃないかと、根拠はないのにそう思うときがあるのだ。

 何もかもぶちまけてしまいたくなる一方で、こんな汚い本性を知られたくないとも思う。

 彼女は音もなく降り積もる雪のような人だった。

 この汚さも、黙って白く綺麗に覆い隠してくれるような気がする。


(早く終わらせて、迎えに行こう……)


 護衛の数を増やせば暗殺で命を落とす危険性は下がる。だがラインハルトがそれでは納得せず、おびき出して殲滅を狙ったのはリーシャのためだった。

 憂いなく彼女とまた遊びに行きたい。

 刺客を返り討ちにして残忍に皆殺しにすることだけが、つかの間の安全を得る唯一の手段だった。

 そのために誰かの大事な人間が死ぬことになっても仕方ない。皇子同士で殺し合うのが仕方ないように。

 それは帝国の人間すべてが受け入れるべき犠牲なのだ。

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