#47 手紙の真相



「母上、帝都で俺と暮らさない?」

「え?」


 ラインハルトの唐突な提案に、タマルは驚いて顔を上げた。念の為、リーシャは首から下げたヒモをたぐって服の下から笛を取り出した。


「口説いてるわけじゃないから、それしまって姫」


 スポーツ試合の審判のように、いつでも吹けるように構えるリーシャに、ラインハルトは居心地悪そうに言った。


「どうして笛?」


 首をかしげるタマルに、リーシャは端的に答えた。


「殿下が誰かにセクハラしたら吹く用です。持ち歩いてます。3回吹いたら、二度と殿下とは口をききません」

「1日3回なら2回までは許されるの?」


 リーシャは短く笛を吹いた。その発言がアウトだ。


「今のは試しに吹いただけだよね?」


 焦ったのか、ラインハルトはリーシャを自分の隣に座らせると、うやうやしくビスケットを差し出した。買収行為だ。


「さっき食べてお腹いっぱいなので、いりません」


 リーシャは甘いものが苦手だった。毒見なら食べるが、そうじゃないなら食べたくない。だが作って勧めてくれたタマルに悪いので、満腹ということにしておきたかった。

 ラインハルトは察した様子で、リーシャの代わりにビスケットを食べた。


「毎日、母上の焼いてくれたビスケットが食べたいな」


 甘いもの好きのラインハルトは気に入ったようだ。まるでプロポーズのセリフだった。


「あらまぁ。息子より若くて綺麗な男性に言われると、おばあちゃんでも照れちゃうわね」


 胸元を押さえて、タマルは楽しそうにリーシャにささやいた。


「玉の輿のチャンスですよ」


 タマルがその気になるように、リーシャもささやき返した。この家は母親思いの息子が建てたものだ。彼女は移動したがらないことを承知の上で、リーシャとラインハルトには引っ越しをそそのかしたい理由があった。


「……あなたたち、ひょっとして本気で言ってる?」


 タマルに不審の目を目を向けられて、リーシャは力説した。


「実は殿下は今、花嫁募集中なんです。知的で思慮深くて思いやりのある女性がいいそうです。お母様はぴったりだと思います!」

「……姫に俺の花嫁として女性を口説かれると、だいぶ複雑な気分だけどね」


 気乗りしない様子でラインハルトはぼやいた。協力しろ、とリーシャは彼の膝を密かに叩いた。言い出したのはラインハルトなのに、後ろから撃たれると困る。

 不満そうに嘆息して、ラインハルトは後ろからぎゅうぎゅうリーシャを抱きしめた。


「俺が結婚したいの姫だもん」

「その話、今します!? お母様の安全確保が優先でしょう!」

「安全?」


 話についていけないタマルが眉をひそめた。

 リーシャの腹に後ろから手を回したままラインハルトは説明した。リーシャがぺちぺち叩いても知らん顔だ。真面目な話の途中で笛を吹きにくい状況を利用されている。


「次期皇帝の椅子のために俺の命を狙ってる兄弟が、母上を利用しようとしてる」

「私を? まさか」


 タマルは自分を田舎住まいの老女だと思っている。そうではないことをリーシャは明かした。ラインハルトはまだリーシャを抱いたままだが、指を引き剥がそうとしても力で勝てないので諦めた。


「手紙です。お母様はずっとレオさん宛に出していたんですよね?」

「ええ」

「だからずっと届かなかったのに、一通だけ俺のところに来た。だから俺は今、ここにいる」


 ラインハルトは懐から手紙を取り出してタマルに渡した。

 手紙を確認したタマルは血の気を引かせた。


「これ、私が書いたものじゃないわ」


 リーシャは手紙をのぞきこんだ。差出人はタマルの名になっており、息子の死の真相が知りたいと丁寧な字体で書かれている。宛名はラインハルト将軍だ。


「字を書き慣れた人間の字体に見えますね。将軍に対する敬語も適切で、綴り間違いも見当たりません。書いたのは文官か、貴族か、代筆屋といったところでしょうか。筆跡から書いた人間を見つけるのは難しいでしょう」

「問題は、母上が息子の最期を知りたがってると知ってる人間だってことだ。……この家に来た人間を覚えてる?」


 タマルは動揺し、両手でこめかみを押さえ、記憶をたぐった。


「軍人さんが何人か……最初の人は家に入れて、いろいろ話をしたの。でもレオのことを聞いたら知らないというから怖くなって……それからはドアも開けてないわ。シドが死んだら、最初にあなたが来てくれるはずだと思ってた」

「ごめん。本当にそうするべきだった」


 落ち込むラインハルトの代わりにリーシャはタマルに弁明した。


「戦争が終わった後、将軍は忙殺されていたんです。補給が滞った件や、戦死した兵たちの弔いで駆けずり回っていましたから」

「その頃、姫と出会ってたら姫に頼んだんだけどね」


 ため息をついてラインハルトはリーシャの腹を撫でた。撫でるなの意味をこめてリーシャは笛を吹いた。ぴょふ、と変な音がした。


「ヒヨコのしゃっくり?」

「……殿下とはもう一生口をききません」


 3回めだ。笛をしまって冷たく言うリーシャにラインハルトは慌てて謝罪した。


「ごめん。姫のお腹、小さくて可愛いからつい」

「気持ちはわかるわ」


 タマルがラインハルトを援護してリーシャの腹を撫でた。「ぽんぽこりんにしたくなるわ」と言われ、リーシャは無心で耐えた。


「とにかく、第三者はお母様の名前を利用して、殿下を呼び出したんです。のこのこ殿下が来てしまったので、お母様のことは利用価値があるとバレてしまいました。ここに一人で残せば、さらわれて人質にされかねません」


 タマルが敵側に協力していたら心配する義理もなかったが、かえって危険度が増してしまった。この家から引き剥がすのは気の毒だが、残せば悲惨なことになるだろう。

 そうなったらラインハルトは一生、気に病むことになる。


「それで一緒に暮らそうと言ったのね? びっくりした。求婚されたのかと思ったわ」

「それでもいいよ。ちょうど姫に『まず他の女性と結婚しろ』と言われたから、条件をクリアできる。……シドが怒り狂いそうだけど」


 ラインハルトはそれすらもちょっと楽しみな様子で笑い飛ばした。守備範囲が広すぎる。

 タマルは苦笑した。


「30年前ならキュンとしたかもしれないけど、息子より若い男前と結婚する情熱はないわ」

「今なら姫もついてくるよ?」


 特典のように言われてリーシャは憮然とした。そんなことでタマルが釣れたら手間はない。


「それはかなりそそられるわ」


 リーシャの腹を撫でて、タマルは離れがたい様子だった。なぜだ。

 ラインハルトも全面的に同意した。


「だろう? 俺は姫がついてくるなら即決だよ。婚約者から姉君を寝取るのも悪くないなと思ってる」


 本気としか受け取れない言動に、タマルが目をすがめた。


「あなたそれいつか刺されるわよ……」

「姫を寝取るのはアウトだから苦渋の策だよ」


 部下の婚約者を寝取るのもアウトだが、リーシャは無視した。相手にすると話が進まなくなる。


「安全のため、お母様にはしばらく殿下の家で暮らしてほしいんです。この人の夜這いが心配なら私が責任を持って寝室に鍵をつけますから」

「姫、俺は女性に無理強いしたことはないよ」


 うるさい黙れと言う代わりに、リーシャはラインハルトの口にビスケットをつめこんだ。不敬罪に問われかねないギリギリである。


「でも……」


 まだためらうタマルに、リーシャはたたみかけた。


「皇子の家に滞在するのが気になるなら、働くのはどうですか? 屋敷でしばらく住み込みの仕事をすると思ってください」


 大量のビスケットを飲み込んで、ラインハルトが名案だと賛同した。


「母上も変な噂を気にしなくてすむし、夫と一人息子を亡くした副官の母親を雇うのは自然だ。女中頭として、俺の家を居心地よくしてくれたら嬉しい。あと数年したら姫も住むようになるし、それまでに姫が暮らしやすいように整えなきゃならないとちょうど思ってたんだ。母上が手を貸してくれたら万全だ」


 リーシャと結婚して一緒に暮らす未来を、ラインハルトはかなり具体的に思い描いているようだ。遺産を残すために遺言書を作成し、屋敷を整え、リーシャの味方になる信頼できる人間を集めようとしている。

 はりきりすぎにも見えるのは、リーシャが結婚を渋っているせいだろう。本来皇子が望めばリーシャに拒否権はないが、彼はリーシャの意向を尊重して、結婚したくなるように努力しているのだ。


(困ったな……)


 ラインハルトの好意がリーシャには重荷だった。彼が夢見る結婚生活が叶うことはない。その前にリーシャには呪いで寿命が来る。彼の努力はすべて無駄なものだ。でもそれを説明できない。

 真実を話す選択肢はリーシャにはなかった。ラインハルトはリーシャの話を否定しないかもしれないが、信じないだろう。それが普通の反応だ。

 だが言ったとおりにリーシャが死んだら、彼は自分の言動を悔やむことになる。「あのとき信じていれば死なせずに済んだんじゃないか」と一生考えることになるのだ。何をしても呪いが解けない以上そんな思考は無意味なのに、余計に苦しめることになる。


「……こんなおばあちゃんでも、役に立てるかしら」


 ラインハルトは微笑んでタマルの手を握った。

 目を伏せて、タマルは理由を説明した。


「ここは息子が建ててくれた家よ。最期はここで迎えたい……でも今は、ここにいるのが辛いの。もうあの子が帰ってくることはないから」


 いたましい告白に、ラインハルトは「うん」と頷いた。いたわりのこもった声だった。


「いつでも帰って来れるよ。でも今は新しいことに挑戦して、仕事に打ち込むのも悪くないと思う。……忙しくしていればマシになる痛みもあるから」


 経験者にしか語れない、重みのある言葉だった。そうしてラインハルトも痛みを乗り越えてきたのだ。

 リーシャは立ち上がると、タマルに荷造りをうながした。


「大きなものは、あとで人に運んでもらいましょう。ひとまず着替えと、置いていけない大事なものだけカバンに入れてください」

「今すぐなのね?」


 慌ただしさに戸惑うタマルに、リーシャは「今すぐです。手伝いますから」と頷いた。


「箱馬車があるから、大きな家具以外は持っていけるよ。母上と姫の乗るスペースだけ残しておいて」

「私は馬で帰りますよ」


 口をきかないと言ったが、不可抗力でリーシャは反論した。


「でも雨が降りそうだし。姫を濡らすわけにいかないだろ」


 窓に目を向けてラインハルトはリーシャを説得した。

 今日は朝から天気が悪かったが、彼の言う通り、空は真っ黒に染まって、いつ降り出してもおかしくない様子だった。


「濡れても平気です。雨具も持ってきましたから――」


 窓の向こうに煙が見えてリーシャは言葉を切った。

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