第25話


 「……あれの何処が右の本格派なんだよですか先輩」

 「うーん? おかしいなぁ……?」


 博一の敬語が崩れた原因はマウンドに上がった相手投手。

 身長は高く、細身。右手にグローブを嵌めていて、テイクバックが限りなく小さい独特な投球フォームをしている。投球練習だからかもしれないが、球速が遅い。

 右の本格派と呼ぶには程遠い。それどころか右利きですらない。

 

 「百三十も出てないんじゃねぇのか? あんなストレート余裕だぜ!」

 「古田、あのピッチャーの情報は?」

 「名前が星野幸四郎ホシノコウシロウ……以上」

 

 公式戦での登板も、練習試合での登板も今までなかったらしい。

 

 「これまでずっとエースが投げてたこと考えると……少しでも体力を温存出来るようにしたのか? こっちはダークホースの県立だしな……」

 

 山路の発言に反応したのは谷村だ。


 「水上高校は守備重視のチーム。どれだけ守備を鍛えていても取れない箇所に打たれたら意味がない。三振を大前提に投手を育ててるんだ。幾ら相手がダークホースだろうと甘えた策を取る監督じゃないぞ」

 「一回戦ならまだしもヒロ君が居るのはバレてるしね」

 「だとするとあいつがエースかもな。一度負けたら終わりの大会なら俺らみたいなのが一番怖いだろ。そこで隠し玉のエース登場ってところか?」

 

 仮に体力温存用に投げさせてるのだとしても今まで一度も登板していない。

 博一にはそこが気になって仕方がない。春に五打席連続敬遠を喰らって負けた水上高校からすれば夏の優勝は意地でも取りに行きたいはずだ。

 どんな大会でも稀に出現するダークホースの勢いは馬鹿に出来ない。

 博一が監督だったら決勝よりも本気でその勢いを止めに行く。決勝は普段通りの野球をするだけだからだ。

 

 「警戒し過ぎだろ。あんな球、カモに出来るぜ」

 

 四番の坂本はベンチにどかっと腰掛け、堂々と自信満々に言っている。

 

 「それはカモにしてから言ってくれ。さぁ古田、谷村先輩、一巡目は気楽に」

 「荒木ぃ! 気張れよ!」


 坂本の応援を背に先頭打者の荒木が打席に入る。

 初球の直球は大人しく見逃す。

 表示された球速は百二十五キロ。決して速いとは言えないが、投球フォームも相まってタイミングは計りにくそうに見える。

 続いて投げた球も似たような軌道。

 貰ったと言わんばかりに手が出る荒木。

 しかし、手元で落ち、バットは空を切る。


 「想像通りではあるけど……想像以上に厄介だぞあのピッチャー」

 「そうなのか?」

 「恐らく次は外れても良いくらい思い切ったスローカーブ」

 

 博一の予想通り、星野が選んだのはストライクゾーンを外れたスローカーブ。

 荒木は手を出さなかった。否、出なかった。

  

 「あのスローカーブを見せられたら」


 続くインコースの直球に見逃し三振。

 

 「手が出ないよな」


 三振に終わった荒木と同様に古田も緩急からの直球に振り遅れ、谷村はフォークで空振り三振。初回は三者三振と完璧に打ち取られた。

 谷村は気難しい顔でベンチに戻ってくる。


 「厄介だぞあのピッチャー」

 「俺さっき言ったじゃないですか」

 「ストレートが速いんだ。冗談抜きで」

 「球速ばっかり気にしててもしょうがないっすよ。ただの数字ですから」

 

 どれだけ周りが遅い速いと言っても大事なのは抑えられるかどうかである。

 博一は緩い球で谷村との投球練習を済ませ、水上高校打線と対峙。初回の裏、一番からの打線を同じく三者三振で打ち取った。

 全て百五十キロ越えの直球だけで。

 手を出すことすら出来なかった三番打者は球速表示に声を漏らす。 

 情報としては知っていても実際に打席に立つのはまた別だ。


 「嘘だろ……」

 「ただの数字だよ。ってあいつは言ってたぞ」

 「そうだな……数字以上だよ」

 「なら、お互い様だな」

 「何処がお互い様だよ」

 

 谷村はその言葉に敢えて返さず、ベンチに戻った。

 

 「ふむ、絶好調」

 「勝負所は次の四番だぞ」

 「そうだ。このオレ様が勝負所!」


 余裕綽々の態度で打席に向かう坂本を博一は指差す。

 

 「弘松の方だ。全球ストレートは無理だぞ」

 「分かってますよ。次の為のストレートチェックです」


 動画で弘松の凄さは頭に入れてある。

 博一が配球を考えながら打席に入る準備をしていると三度目のストライクコール。

 坂本も空振り三振。これで四打席連続三振。

 だが、坂本の苦手な球が遅い球であることを把握していた博一は驚かない。

 慣れ親しんだ素手でバットを持ち、打席に入ると捕手が口を開く。


 「速さだけが全てだと思うなよ」

 「思ってねーよ。けど、少なからず相性はある。秘密兵器だからってあんまり余裕ぶっこいてると痛い目見るぞ」

 

 そうして始まる博一と星野の初対決。

 まずは直球を見逃し、ボール球には手を出さない。フルカウントになってからの変化球をカットする。まるで打ちあぐねているかのように。

 それで緩い球に踊らされていると判断した捕手は直球のサイン。

 博一はインコースに差し込まれた直球を——三遊間に難なく打ち返した。

 長打には出来なかったので一塁でストップ。


 「こんな感じか」

 「次の勝負はどんな感じだ?」

 

 塁上で所感を反芻していると一塁手の弘松が声を掛けてきた。

 

 「一巡目なら大した動きはないと思います」

 「誤魔化さないでくれ。次の勝負だ」

 

 弘松が言っているのはこの回が終わった後のことだ。

 二回裏になれば打者は四番から始まる。

 谷村や世間の評判があれだけ高ければ当然、弘松本人も自信があるようだ。今大会大注目となっている博一との対決に。

 

 「まだ一打席目じゃあないですか」

 「最低三回。モタモタしてたらあっと言う間だ」

 「どんな感じかと言われましても……誰が相手でも変わりませんよ。打ち取ります。それだけです」

 「相手が誰だか分かってて言ってるんだろうな?」

 

 ただでさえ高校生らしからぬ顔なのに凄むと一層老けたように見えてしまう。


 「ぬいぐるみ好きな高校球児」

 

 博一がそう言ったのと同時にチェンジのコールが響き、そそくさとベンチに。

 

 「ま、待て! どうしてそれを知っているんだ!?」

 「ぬいぐるみ、可愛いですよね。癒されますよね」

 「おい!?」


 博一は風の噂で聞いただけだ。

 瑠璃色の風に乗ってきた噂。

 信憑性が限りなく高そうだった噂。

 スタンドで小さなくしゃみが聞こえた。


 「ような気がする」

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