第10話
鮮烈な入部デビューを決めた翌日の日曜日。
博一はロードワークと称して道路を走る。チンタラチンタラのんびりのんびり。
完全にコーチまで任されてしまった博一は大きな欠伸をしながら指導方針をどうするか頭を悩ませていた。
博一に指導経験はない。個人へのアドバイス程度ならともかくチーム全体へのコーチングを夏まで継続させるのはそれなりに難題である。
「はいはーい。そこのチンタラ走ってるお兄さん」
公園のベンチに座るスターズの帽子を被った眼鏡女子。
博一は足を止め、変装していても声で分かってしまう白那の前に立つ。
「そんなチンタラ走ってるお兄さんに何か用でも?」
「チンタラ走ってるから呼び止めたの。ほら、座って座って」
ベンチを叩く白那に従い、隣に座る博一。
「野球部はどんな感じでしょうか?」
「二人を除いてキャプテンの人柄もあって主戦力はそれなりに纏まってる」
「二人?」
「坂本と荒木の二遊間コンビは俺が気に入らないらしい」
「坂本君は目立ちたがりだもん。博一君が入ってきたら、ね?」
「知ってたのか?」
白那は坂本を知っているような口振りだ。
「一年の時にしょっちゅう声を掛けられてたから」
「姫に釣り合うのはオレ様しか居ないってか?」
「ぴんぽーん、正解。と、坂本君のことはともかくどうにかなりそう?」
白那が聞いてるのは博一がどうにかなるかではなく、チーム全体の話だろう。
万年三回戦止まりの県立野球部。だが、博一の見立てではさほど悪くない。問題は指導者が居ない環境だろうか。部員同士で教え合っていたと聞いているが、特に坂本のアドバイスが悪い。
「坂本のは間違ってないけど相手のことをひとっつも頭に入れてないんだよな。全員同じスイングで打てたら苦労しねぇよ」
「坂本君のことはともかくどうにかなりそう?」
「おっとそうだった。それに関しては今は待機中。ロードワークが吉と出ればシロも一緒に来るか?」
その時、博一のスマホの着信音。
「もしもし? 話は通ったのか?」
『丁度練習試合してるから顔を出せ、だって』
「助かるよ。それで何処に行けば良い?」
『公園出て、二人でちょいと車道まで、だね』
公園の外でハザードを焚くセダンのクラクションが鳴る。窓が下がり、顔を出したのはスマホを耳に当てた前田だった。
「その距離で電話すんなら糸で十分だぞ」
「こう言う悪戯は好きでしょ? ほらほら早く乗って」
前田に手招きされ、博一と白那は車の後部座席に乗り込んだ。
前田の車は昨今では珍しいセダンで型式は古いが、高級車の部類で乗り心地はかなり良い。
博一はだらけきった体勢で寛ぐ。
「はぁ、車って最高」
「ロードワークの最中だったのに良かったの?」
白那の真っ当な疑問に博一は当たり前のように返す。
「キャプテンたちには言っておいた。今日はこのまま直帰」
「帰る前にアタシのお店、ね?」
「送迎代だろ。分かってますよーだ」
「なら宜しい」
仲睦まじい二人のやり取りに白那が微笑む。
何の気兼ねなく楽しめる三人のドライブ珍道中。その目的地になったはとある運動公園内にあるグラウンド。そこではリトルシニアチームが練習試合を行なっている。
白那がスコアボードにスマホのカメラを向けてズームする。
そこに書かれていたのは『常陸リトル』の文字。
「あれ? 今、試合してるのはもしかして博一君の居たチーム?」
「もしかしなくても、な。それで何故か試合中にグラウンドを外から眺めてるあのおっちゃんが監督」
「積もる話もあるでしょ? アタシは妃ノ宮ちゃんと試合見てるからごゆっくり」
そう言われ、博一は帽子から白髪がはみ出た監督に近寄り、頭を下げる。
「お久しぶりです。監督」
監督はゆっくりと体を博一側へと向け、堅苦しい表情を緩めた。
「足本、久しぶりだな。元気そうで何よりだよ、本当にな」
「その節は……心配掛けちゃいましたね」
「心配なんか幾らでも掛けて良いんだ。それに……あの時は何もしてやれなかった。今回はしっかりと力になるさ。相談があったんだろう?」
過去の話で下がり気味になりそうな空気の向きを監督が変える。
博一は謝罪だけをしにわざわざ練習を抜け出して監督に顔を出しにきた訳ではない。それも確かにあるが、本題は別にある。
「俺、また野球始めました。常磐二高で」
「ああ」
高校二年に上がって直ぐと言う特殊なタイミング。
しかし、監督は嬉しそうに相槌を打った。
「まともな指導者が居なくてキャプテンにコーチも頼まれちゃったんですよね。正直どうして良いのか分からなくて」
「ふむ……チームの打線はどんな感じだ?」
「目立ちたがりで先頭打者向きの四番、それなりに長打が見込める三番、打率はそこまでだけど足の速い一番。後は当たれば最強のロマン砲が一人」
「そしてそこに足本か……狙っているのは?」
高校球児が狙うのはただ一つ。
「甲子園」
無名の県立高校。過去に甲子園出場の記録はない。
SK学園に聞かれでもしたらきっと笑い飛ばされるに違いない。それでも博一は本気だ。山路や谷村たちも本気なのだ。
その目標を口にすることに恥など一切ない。
行けるか、行けないか。
違う。行くのだ。
「やっぱりか。だろうと思った。あのピッチングを見た時からだがな」
「あの時?」
「SK学園との練習試合。ネットにあったぞ」
「ネット社会の弊害め……勝手に撮るなバカタレ」
悪態を吐く博一を見て監督は豪快に笑う。
「あの時点で既に復帰を……いや、SK学園を倒すことを考えてたんだろう?」
「練習試合で?」
「公式戦で、だよ」
白那も謙一も気付いていない博一の思惑も監督にはお見通しらしい。
「SK学園を倒すのなら打線に関しては足本がアドバイスして、速い球に慣れさせておけば良い。ピッチャーはどんなもんだ?」
「ロマンチストなキャプテンと制球力に難あり高身長左腕。と、俺」
山路に関してはあのロマン派投球を無理矢理にでも直させれば大丈夫である。
問題は山本の方だ。一番良い球を投げているのにコントロールだけが悪い。
少なくとも博一は制球力のない投手を試合で使いたくなかった。
その練習法を尋ねると監督は即答した。
「ホームベースだ。常にホームベースを持ち歩かせるんだ」
「まずはベースの気持ちから?」
「そんなスピリチュアル監督に見えてたのか?」
「いや全然」
「とにかくキャッチボールをする時から投げる相手の足元に置いておく。それでひたすらに投げさせろ。ボールがベースの横幅からはみ出さないように」
監督は縦より横をまずどうにかしろ、と言う。
「ひたすらは文字通り?」
「文字通りひたすら。疲れるなら疲れないように投げるだけ。例えそれで球速が落ちても、だ」
「怪我のリスクはあったりするんですかね」
「体も心も絶対怪我をさせない方法があるならこっちが知りたいくらいだ」
「……それもそうですね。後はどっかと練習試合でも組んで課題探しでもするくらいか」
山本の練習法が聞けたのはかなり大きい。夏の大会までに間に合えば戦力になる。
「それにしても懐かしいな。相変わらずの強さ……ん?」
博一は試合をしている後輩たちの中に居るはずだった選手が居ないことに気付く。
「監督ぅ、ミスターは? 体調不良っすか?」
「ミスター? あぁ、三星のことか。三星なら足本が辞めたと聞いて直ぐに辞めちまったよ。足本と野球が出来ないのなら意味がないってな」
「俺のこと大好きだったもんなぁ、あいつ」
博一さん、博一さん、と駆け寄る姿を懐かしむ。
「今、何処で何をしてるのかは知らないが、野球を辞めて勿体ないとは言わないんだな。かなりの逸材だったぞ三星は」
「監督だって、俺に言わなかったでしょ」
「さあ、どうだったかな。この歳になると記憶が朧げだ」
「おいおい」
監督は鍔を摘んで、帽子を深くしながら前田と白那に一瞬だけ目を向ける。
「野球再開のきっかけはあのめんこい
「可愛い女の子の笑顔を見る為に野球をやるのは変だったりしますかね」
「いいや、腹を括る理由としては申し分ない」
「おいおい」
「それくらいが丁度良いんだよ。きっかけなんてな」
小学生から中学二年で博一が辞めるまで微塵も変わらない監督。練習時は厳しくても個人に対する接し方は剽軽で、チーム内で嫌っているメンバーは居ない。
「それじゃあ、頑張って勝つとしますかね」
「最後に一つアドバイスをしておこう。野球は相手に点数をやらなきゃ負けない」
「それは良いことを聞いた。肝に銘じておきます」
「常磐二高の試合、楽しみにしてるぞ。そうだ、そっちの監督をやるのも……」
「その前に目の前の試合を気にしたらどうです?」
「ん?」
常陸リトルの三点リードで迎えた最終回裏。二死満塁で打者は四番。
継投を大事にする監督のチームのはずだが、マウンドには来た時と同じ投手が立っている。この距離からでも疲労が見て取れる。恐らく先発だろう。
八回までは零が並ぶスコアボード。誰がやっているのかベンチを離れた監督の代わりに指揮を執るコーチは無失点完投をやらせたいらしい。
「可愛い後輩たちの為にも監督にはまだまだ常陸リトルの監督で居て貰わないといけないみたいですね」
金属音と共に高々と上がる打球はスタンドイン。
「そのようだ」
「少年、ナイスピッチ。指揮官、バッド采配」
そして両チーム、ナイスファイト。
博一の拍手に続いて白那と前田が、最後に監督も参加した。
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